第3話 追い詰められるくらいなら

好きと伝えるのは簡単ではない。

それは、異性愛だろうが同性愛だろうが変わらない。


でも確実に言えるのは、好きになってしまった相手が同性愛でない限りは、




期待通りの答えが返ってくることは限りなく0に近いということだ。





同性愛という言葉を聞くだけで、「性欲が強すぎる変態」だとか、「ケダモノ」だとか、そういうマイナスなイメージが定着しているのは事実である。


それは、メディアがそういった偏見を植え付けるような報道をしたり、多数派である異性愛者が自分たちの感性を「常識である」と認識しているケースが多いため、同性愛者を「非常識な人間」という認識になってしまい、排除しようとしたり、嫌悪感を抱いてしまうのは、仕方がないことだ。




本当は我慢したくなんてない。




でも、自分が自分のためにカミングアウトをすることで、自分に不利益を被ることがわかっているのならば、我慢ぐらいする。




自分が我慢をすれば全てが円満に終わるなら、それでいい。そう思おうとした。











































俺は子供の時、自分が同性愛者であると気付いた瞬間、パニックになってたくさん調べた。


「異常者」「変態」「性欲過剰」


こんなことばっかり並べ立てられていて、さすがにショックだった。




自分は、社会的に「異常な人間」なのかと。




でも、すぐに立ち直った。というか、そういう記述が過剰な表現であったり、無知な人間の言葉であることがだんだんわかってきて、安心したのもある。


それと同時に、誰かにこのことを話してしまうと、取り返しのつかないことになるということもなんとなくわかった。



だから、好きになってしまった優太にはもちろん。親しい友人、そして親にすら言うことができなかった。



でもいつか、母さんには・・・母さんには言おうって思ってた。




そうやってモヤモヤしてるうちに、



母さん・・・死んじまった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る