019 何で私だけ?
私が扉を勢いよく開けて踏み出すと、室内には月夜に薄っすらと照らされていただけで、見えてた影は煙の様に消えてしまい、誰もいない。
私の見間違え? でも、そんな事は……。
私は唇を噛んで、黒板の近くにある電気のスイッチに手を伸ばす。
そう言えば、鳴子君が見回りで懐中電灯を使わない理由があるって……。
私は、はっと顔を上げて月明りが薄っすらと照らす教室を見渡した。
そうだ。
私はどうやら、馬鹿である。この考えに行きつかない浅はかさと鈍さを呪いたいし、恥じたいが、それは後でも出来る。
彼が言っていた事は正しい。
見回りに懐中電灯など必要あるわけがない。
ここは昔から変わらぬ寂れた校舎でもない。近代的で一般的な何処にでもある高校の一つ。
火の玉は炎であったら揺らめくし、大体幽霊なんてこの世にいない。
だったら、何で……。
私は恐る恐る足をまた一歩、また一歩と進める。
幽霊だったらどれ程良いか。あの影が見えた場所を考えれば、そんな非現実的な言葉が頭を過っても仕方がない。
手には、鞄。鞄には教科書。
五十メートルは本気で足が千切れると思いながら走っても十二秒。握力は余裕のガラスの十台。喧嘩なんて、中学校からしたことない。多分、攻撃力はクラス最低の自信はある。
この鞄を振り回した所で、当たるかどうかすら怪しい程の確立に勝算。
好奇心がないかと言えば嘘になるが、猫をも殺す好奇心にいつか私も殺される事になるのだろう。
今その時ではない事を願うばかりだ。本当に。
それでも、無視できない理由が私にはあるのだ。
私は息を止め、掃除道具の入ったロッカーに手を掛ける。
『人』が隠れれる場所なんてここぐらいだ。
いるのなら、ここだ。
右手で鞄を握りしめながら、私は出来るだけロッカーから距離を取り、もう一度、息を止める。
『人』でなければおかしいのだ。
懐中電灯を選択する理由も。
私の前から姿を消さなければならない理由も。
影を見た場所は、桃山多香子の席であった理由もっ!
「誰がいるのっ!?」
私は一杯扉を開ける。
しかし、ロッカーには掃除道具しかない。
え?
私、もしかして……。
私の後ろで、何かが動く気配がする。
ロッカーだけじゃない。隠れられるのは、別にロッカーである必要はない。だって、私はロッカーの扉が閉まる音なんて一度も聞かなかったじゃないか。
私は、もしかしなくても、随分と愚かな間違いを易々としてしまったのだ。
ああ、本当に、私は……。
「掃除道具入れなんて開けて、篠風さん今から掃除でもするつもりなの?」
「……鳴子君」
振り返れば、鳴子君が呆れた顔で鍵片手に私を見ている。
「電気も付けずに何やってるの。鍵、開いてたんだね」
「鳴子君、私っ!」
「ああ、あったあった。忘れ物も回収したし、早く帰ろうよ」
「あのね、鳴子君」
私はここで……。
「篠風さん、帰るよ」
そう言うと、鳴子君は私の手首を掴む。
「痛っ」
それは、思わず声が出るぐらいに、強い力で。
「篠風さんは昔から怖がりなんだから、先に行っちゃ駄目だよ。帰りはしっかりと手を繋いで帰ろうね。そんなに青い顔をして幽霊でも見たの?」
幽霊じゃない、私が見たのは、間違いなく『人』だ。
だけど、きっと彼なら分かってくれる。
「幽霊、見た」
誰かがまだ、ここにいる。
気付いて、鳴子君っ!
「幽霊なんていないのに、篠風さんは本当に怖がりだね。大丈夫、幽霊が出たら僕が守ってあげるから、早く帰ろう」
そう彼が笑えば、私の腰に彼の手が回る。
「えっ」
何でっ!?
私の言葉に気付いてないの!?
「もう、そんなにしがみ付かなくても、大丈夫だよ。きっと見間違いだから」
私の腰に回した腕は、手首よりも強く、私の軽い体を簡単に押して教室の出口まで出て行こうとする。
待って、何でっ!? まだ、誰が隠れているか、わからないのにっ!
抵抗になるかもわからないが、私は必死に鳴子君の腕を引っ張る。
それだけじゃ、彼は止まらない。
無駄な抵抗になんて、絶対にしない。
これが駄目なら、これ以上の力を加えればいい。
びくともしないけど、勢いを付ければ、きっと体制を崩してくれるはず……。
「誰もいないからって、駄目だよ。僕たちが付き合ってるのは内緒でしょ?」
しかし、鳴子君から飛び出した言葉に、思わず私の動きがピタリと止まる。
は?
え?
何? 聞き間違いか何か?
今、僕たちって……。
「はぁっ!?」
「照れ隠ししなくても今はいいけど、早く帰らないと篠風さんの門限怒られちゃうでしょ。早く行くよ」
「ちょっと、誰も照れてないからっ!」
何で、そんな単語が出てくるんだよっ!
「はいはい。ちゅーは鍵をかけるまで待っててね。すぐかけるから」
「誰もそんな事頼んでないし、望んでないっ!」
本当にどうしたの!? 頭でも打ったの?
若干、さっきの幽霊よりも怖い。
「鳴子君、君、一体……」
どう言うつもりだと声を上げようとした口を彼が抑える。
本当に、さっきから一体なんのつもりだと言うのっ!
しかし、怒りよりも先に鳴子君の声が振ってくる。
「いいから、話合わせて。早く逃げるよ」
逃げる……? 待って、やっぱり、鳴子君は誰かいるって事を知ってたの!? じゃあ何で?
「いいから、逃げるから適当に話合わせてっ。幽霊怖いとか、言って!」
鬼気迫る鳴子君の言葉に、私は思わず頷いた。
「な、鳴子君がいないから、私怖かった」
「……うわ」
おい、今のうわって小声なんだ。文句あるのか。
「幽霊見たから? 今日は一人で寝れる?」
寝れるよ。疲れてるから。
「いやー。鳴子君がいないから無理だわ」
「見間違いだよ」
「そうね。暗く怖かったから、きっとそうなのね」
「……ひど」
おい、今のは完全に悪意ある小声だぞ。
「電車の時間もあるし、早く学校でないと乗り遅れちゃうよ」
「そうね。走りましょう」
鳴子君は頷いて私の手を引いて走る。
だけど、何度も言うけど、五十メートル十二秒だから。私。
「……遅くない?」
「これ以上無理っ」
鳴子君はあきれ顔でそのまま職員室迄走り、それ以上何も言わずに学校を出る。
私としては、彼に従うしかない。
きっと、これは大きな借りになるのだ。
次に彼が口を開いたのは、電車を待つホームの端。誰も来ない改札から離れた場所。
「篠風さんって、たまに本当に馬鹿だよね」
ぐうの音も出ない正論を……。
「何考えてるの? 馬鹿しかないよ? あの状態で、人探すって、僕が来なかったらどうなってたと思ってるの?」
「やっぱり、鳴子君も気づいていたの?」
「多分、誰かいたんだろうね。けど、探すなんて、馬鹿だよ。懐中電灯を用意しているぐらいの人間が、他の物を用意してないだなんて思えない。何で見回りが懐中電灯使わないか、わかった?」
「うん。普通に電気を付けるから」
昔だったらまだしも、学校でそんな見回りは必要ない。
「そうだね。あそこには少なくとも、電気を付けられない人間がいた」
「影は多香ちゃんの席の近くにいた。多香ちゃんは最近よく身の回りの些細な物がなくなると言っていた」
「そうなると、篠風さんが見たのはその犯人かもって思っちゃったの?」
人を馬鹿にした様な言い方に少しばかり腹は立つが、今回は鳴子君に助けてもらったと言っても過言ではないのだ。
「思った馬鹿だけど?」
「違うよ。一人で犯人暴こうとした馬鹿って言うの。そう言うのは。少なくとも学校の人間だろうし、篠風さんが一人で怪しんでるって思われると後々面倒になるよ」
犯人は少なくとも学校の人間。
これは私と同じ考えだ。
電気を付けてはいけないが、学校の中に容易に入り、多香ちゃんの席を知っていると事。
多香ちゃん以外に物がなくなると言う噂は聞かない。もし、あのクラスで多発している事だと言うのならば、周りに興味がない多香ちゃんと鳴子君は兎も角、浦里さんと若田さん辺りがきっと教えてくれるだろう。
あの人影は故意的に多香ちゃんの席にいた。そこに、誰が座っているか知っていて、何かをしているのだ。
きっと、鳴子君も同じ思考だろう。
だからこそ、私が犯人を見たと確信を持っている事を犯人に知られない様に、あんな小芝居を打って出たのだ。
でも、こっからは思考がまるっきり私とは真逆だ。
「知った方が、私を餌に誘き出せるでしょ?」
別に知られたことで迷惑になる事などない。この事件が解決すれば問題ない。
これが私の考えだ。
「馬鹿じゃなくて、滑稽だね。体育倉庫に閉じ込めた犯人かもしれないでしょ?」
「だったら、尚の事好都合じゃない」
まだ、あの犯人は分かっていないのだ。
「君が居なくなったら困るんだけど」
「漫画の有能なアシスタントが居なくて?」
「有能なアシスタントには心当たりはないけども、友達が一人も居なくなるのは悲しいってのもあるけど、篠風さんはもっと自分を大切にした方がいいし、自分を過信しない方がいいよ。思っている以上に君は何も出来ない子だから」
「……その言葉で友達が一人も居なくなる心配した方がいいかも?」
「篠風さんはそんな子じゃない事は僕が一番良く知ってるからね」
「……鳴子君って本当に人畜有害だなぁ」
全く以って呆れる以外に言葉はないが、彼なりの心配での忠告だと言う事は、付き合いで分かる。
でも、少しぐらい言葉を選んでくれよ。
「それに、あの犯人が篠風さんの跡を現在進行形で追ってないとは言い切れない」
「今の所、このホームではうちの学校の制服は見ないけど?」
「私服って鞄に入る事知ってる?」
ああ言えば、こう言う奴だ。
「駅から鹿山に迎えとか頼める?」
「宗介は用事があるらしいから、多分まだ帰ってないと思う」
「僕が家迄ついてい行くしかないのか」
え。
何そのサービス。
「いいよ。別に。大丈夫だって」
そこ迄迷惑は流石にかけられない。なんたって、鳴子君の家は、私の家から多香ちゃんの家よりも遠い。
「あのね、さっき何を見せられたと思ってるの?」
私の不用心さと浅はかさだろうけど、答えてやるつもりはない。
「分かった。親でも何でも迎えは呼ぶから。変な気遣いはお願いだからもっと違う処に向けてくれる?」
例えば、漫画の手伝いとか中にでも。
「篠風さんも結構言う方の人間だと思うけど?」
「その言葉だけは鳴子君にだけは返して欲しくなかったよ」
君よりは酷くないから。自称だけど。
あぁ。本当に心外以外何物でもない。
勿論、私の事を心配してくれると言う気遣いも。
多香ちゃんみたいな美少女ならともかく、私の様に目立たなくて地味なチビブスに心配なんていらいなのだ。刺される心配はあっても、同じ学校で、まだ確定もしてないぐらいの事件でそんなリスクを冒す馬鹿なんていないに決まっていると言うのに。
そして、我が家に人はいないのも決まっている。いざ地元の駅に着いたはいいが、電話は掛けても誰も出ないし。
これはいつもの事である。
ま、一人で歩いて帰ろう。それ程遠い距離でもないし、確かに時間はいつもよりは随分と遅いが、比較的大通りを歩いて帰れる道を選べば問題ないだろう。
さて、これから帰って、課題やって、明日のお弁当を用意して……。
その時、不意に目の前に手が現れた。
「へっ?」
これって……。
「綾ちゃん、こんな時間に何処言ってたの?」
「宗介?」
振り返れば、宗介が不機嫌そうに立っている。
「別に、学校から帰って来ただけだけど?」
「遅くない? 俺、言ったよね。一人だから早く帰って、って」
「小学生か」
私服姿と言う事は、宗介の方が私よりも早く家に着いたのだろう。
私がまだ帰ってこないから駅まで迎えに来てくれたのだろうか。
「学校で何したの?」
まだ少し不機嫌な顔をしつつ京介が私の鞄を持ってくれる。
学校で……。
「勉強に決まってるじゃん」
何となく、京介には言わないでおこうと思った。
今日の奇妙な出来事を。
本当にこれは些細な気まぐれ。言って怒られるや喧嘩するとか、鳴子君の顔を立てるとかを考えていたわけではない。
ただ、何となく。
何となく、何で私だけが言わなきゃいけないの? って、思ったんだ。
宗介は言わない癖にって、ただ、何となく。
いつもなら絶対に思わない気まぐれが起こっただけなのだ。
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