018 正しい答え
「鳴子君って、私の事をどう思ってるの?」
「随分と行成だね。篠風さんは、可愛いと思うよ」
「茶化さないで。そんな事を聞いているわけじゃないの。私は真剣に聞いているのだけど?」
ため息と共にカラりと、グラスから氷が溶ける音がする。
「こんな所で、こんな格好をさせて……、こんな……」
声が心なしに上擦る。
こんな……。
「篠風さん、これは篠風さんから言い出したんだよ?」
「いや、私カラオケで体操服着るとか言い出してないんだけど。あと、もう、本当不器用だからベタとか怖い」
目の前の紙にひたすら記号がついてる部分を黒く塗り潰す作業に手と声を震わせながら声をあげる。
そう、私は今、カラオケで体操服に着替え、ひたすら漫画の原稿と戦っているのだ。
勿論、着替えたのは制服を汚さない為の自衛。
「篠風さんが、鳴子君を応援するよ。何か手伝う事があったら言ってねって言い出したんでしょ?あと、締め切りが本当にヤバいから、手動かしながら喋ってね」
「鬼か」
そんな器用な事が出来るなら、最初から根を上げてない!
鳴子君に至っては、こっちを見ずにひたすら原稿にペンを走らせている。
「鬼じゃないよ。鳴子だよ」
「いや、知ってるけど」
腹立つ返しだな。それ。
「ほら、それ終わったら消しゴム掛けが待ってるから」
「私に遣らせる意味とは?」
「作業効率。1人じゃ無理」
やっぱり、鬼じゃなか。
鳴子君は私の事、万能アシスタントでも思ってるわけ?いや、思ってないな。万能ではない。何でもない。
「締め切りっていつなの?」
目の前の原稿には綺麗な絵が描かれている。
テーブルに広がった紙全てにそれは描かれていて、最初見たときは息を飲んだものだ。
これらは全て、鳴子君が描いたものである。
「テスト最終日」
「あと、何ページあるの?」
「下書きが十二ページにペン入れが二十九ページ。仕上がってるのは今篠風さんが触ってるの含め、五十九ページ」
「間に合うの?」
「間に合わせるの。だから、篠風さんがここにいるんだよ。今日中に十二ページは上げたい」
何時迄付き合わせる気なんだ。この人は。
家でなくて本当に良かったと思う。前回の失敗を踏まえて抵抗して良かった。この人に遠慮という文字は絶対ない。
この前、家に伺った時は死ぬ程付き合わされたんだから。
「篠風さんが手伝ってくれるんだから絶対に間に合わせるよ」
にっこりと笑って鳴子君はそう言うが、そんな意気込みよりも、もっとやる事があるだろうに。
「消しゴム掛けも怖いなぁ」
不器用に輪をかけた人間に遣らせる作業ではどれもないのは確かだ。
破ってしまったら、粗相したらと心配事は絶え間なく訪れてくる。
「最初の事を思えば、大分篠風さんも進化してるよ」
「それ程、私をこき使ってるって事実を重く受け止めて」
最初、そう、鳴子君のこの秘密を知った時である。
私は鳴子君の秘密を、中学校三年生の春に知った。
それは随分と偶然であった。
あの時、私は彼の境遇を知らなかったし、彼の心情など全くもって把握すらしていなかった。
だから純粋に、これ、面白いね。もっと無いの?と、言葉を発した。
彼が泣いたのを見たのは、それが初めてだ。
その時は、何故そんな事で彼が泣くのかなんて、まったくもって、ただの部活動が同じぐらいしか接点がない私は、知る由はなかった。
「感謝してるよ。篠風さんのお陰で、本は出せるし、読んでもらえるし」
「そこの感謝はいらないんだけど。強制労働だからね。これ」
「出来ることあったら教えって言ったのは、篠風さんだってば」
いつの時代だと言わんばかりのこの待遇。
勿論、応援するし、出来る事があるなら言ってねとも言ったが……。
「極限まで出る事をやさられるだなんて思うわけないじゃない」
そして、知ってる?
社交辞令って言葉。
「篠風さんの心の底から応援してるって気持ちを一ミリも無駄にしたくなくて」
「言ってる事はいい事なのに、意地汚さがそこはかとある言葉でびっくりする」
「僕は国語が得意なんだよ」
知ってるよ。学年一位。
「あー。もう、設定人物全員ハゲとかダメなの?」
「いいけど、きてる服が全員黒とかでバランスを取る様になります」
「いいんだ。いや、何も良くないし、誰も救われない話じゃない?それ」
「それが世界の理ってことでしょ」
ああ言えば、こう言う。こう言う男なのだ。彼は。
本当に、一筋縄ではいかない男だ。
「そう言えばさ」
「待って?今、妖精の髪塗ってるから」
「クラスで聞いたんだけどさ」
「無視かよ」
自分の原稿の命がかかってるんですけど。
妖精は普通のコマでもどこでも小さくて、彼女の髪を黒く塗る作業は、どうしても手が震えるのだ。
もう、どうなっても知らない。知らないから。私。
「鹿山君の彼女は年上らしいよ」
「マジか。凄いな」
「何でも、うちの学校の先輩だって」
「上級生とツテがあるなら是非とも教えてほしいね」
「今日も一緒に帰る所見たって」
「おー。うちのクラスにまで迎えに来るぐらいアツアツカップルだよ」
あ、はみ出てない!奇跡!!
「鳴子君!これ、私、上手い!!」
そう言って鳴子君の方を見れば、彼は面白くなさそうに私を見ている。
手、動かせよ。
そう言ったのはそっちからよ?
「何か用?」
まだベタの山は終わっていない。
「怒ってないの?」
「鳴子君のこの所行に?ブチ切れ中だけど?」
文句なら死ぬ程言えるけど?
「違うって。鹿山の事」
「あー。別に。私に関係ないし」
私の話じゃないし。宗介の話だし。
「何かあるでしょ?」
「もう正直帰りたい」
「ここになら、僕と篠風さんしかいないわけまよ?何でも話していいし、何なら泣いてもいい。周り気には聞こえないよ!カラオケだよ!?あ、泣くなら原稿気をつけてね」
「鬼か」
泣く可能性を見出しておいてそれはどうなの?
「ほら、心の中の闇を僕にブチまけてごらん!?」
「何キャラだよ!?」
君の方が余程闇を抱えてると思うんだけど!?
はぁ。と、私はため息をついて、筆を置く。
「何でそんなに楽しそうなの?」
「恋話って、男の僕にとったらめちゃくちゃ貴重だから。こんな機会がないと、浮気された相手の気持ちなんて分からないし、人に聞けない」
正直か。
「君に明日、ドアを開ける時に小指に力一杯あけたドアが当たる呪いを掛けた」
しかも、角。ドアの角だから。
「うち、基本引戸だから問題ないよ。で、どうなの?」
……呪いの意味ねぇし!
「どうもなにも、言ったでしょ?私には関係ないって。宗介の事なんだから」
私が先輩と付き合っていると言う噂でも、一緒に帰ったわけでもない。完全に部外者以外の何者でも無いわけである。
「ショックは?」
「無い」
「怒りは?」
「無い」
「じゃあ、悲しいは?」
「無いって」
そんな感情は何処にもない。
「じゃあ、君は何を思うの?」
「だから……」
私には関係ない……。
「違うでしょ?感情が無いわけじゃないし、篠風さんにはちゃんと思考がある。物事をどう捉えて、どう思って、どう感じるのか。僕は感じる側の話をしているんだよ。今の意味理解出るでしょ?」
鳴子君の言葉に私は口を閉じる。
「僕の為は勿論だけど、これは篠風さんの為にも聞いてる。前もそうだけど、君はすぐ、鹿山以外の人間の前だと自分の考えを隠そうとする悪癖がある」
悪癖……、と言われてしまえば、それまでだろう。
鳴子君の言っている意味も指摘もわかる。
「今回は鹿山の前でも隠していそうな勢いだよね?」
「……そんな事は、ないけど?」
隠しているわけではない。
ただ、言う必要がないと思うだけだ。
「篠風さん、僕は君を親友だと思っている」
「行成、何?気味が悪い事言わないでくれる?」
いや、本当に突然どうした。
気味が悪すぎる。
「篠風さん、本音と建て前逆になってない?」
「いや、心の奥底からの気持ちだし、鳴子君に建て前も何もないから」
そちらが無遠慮ならこちらもでしょうに。
「……そんな君を、僕は友達がいないから、親友だと思ってる」
「思ってた以上にどうしようもない理由だな」
消去法ですらないとか。
「だから、結構僕は君の事を見てると思うんだよね」
「友達少ないから?」
「そう」
認めちゃうかー。そこで、認めちゃうのかー。
「だからこそ、君の事はある程度理解してるつもりだよ。桃山さんや鹿山とは違うベクトルで」
「成る程、それで?」
「君は自分が思ってる以上に不器用だと思うんだよね。勿論、手先もだけど、人として」
喧嘩を売ってるのか、何なのか。
「何が言いたいの?」
いまいち、はっきりとしない鳴子君の言葉に、私は諦めたようにため息をつく。
こうなると、彼は頑固だ。
私だって、鳴子君は親しい友人だとは思っている。こんな待遇でも。
だからこそ、彼の言葉は真摯に受け止めたいし、聞いておきたいし、何より、彼がどう言う人間かも知っているのだ。
彼は彼なりに私のことを考えているのはわかっている。
「ここらで、不満吐いときなよ。今にも、爆発しそうだよ」
爆発。
「私がそんなに不満がある顔してた?」
「篠風さんが表情筋なんてあるの?」
「笑顔が張り付いている鳴子君には言われたくない台詞だな」
顔と思考が上手くリンク出来てないのはお互い様だろうに。
私は本日何度目かの諦めを吐き出した。
「不満は、本当にないの。本当に、私は無関係だと思うし、さっきのが本音」
でも、正しくはない。
「で、時に親友から質問だけども、そんな下らない事を話してる時間あるの?今日の作業が終わったなら私帰るけど?」
先ほどがから一ミリも動いてない鳴子君の手を白い目で見ていると、彼はにっこり笑って立ち上がる。
「篠風さん、僕達には時間がない。まずは手を動かそう!」
……この男は、本当に。
「まあ、篠風さんに不満がないならいいんだけどね。お詫びに飲み物何か取ってくるよ」
「安いお詫びだなぁ」
「お詫びに価値があったら皆んな死んでるよ。篠風さんは作業続けてて」
「はいはい。いってらっしゃい。暴君殿」
扉の向こうに消えた鳴子君の背中を見送りながら、私は彼の言葉を繰り返す。
私が、何を思うの、か。
そんなもの、決まっている。
私は誰もいない部屋で一人口を開ける。
「……何も、思いたくない」
ただ、ただ、そう思う。
「……何も、考えたくなし、知りたくない」
これが一番、正しい答えだ。
「ノルマを達成した人に、こんな仕打ち普通する?」
「こんな時間に女の子一人帰すのは駄目でしょ?」
「それは、家に送る時に言う言葉だから」
ノルマを達成無事達成出来た我々の現在地はカラオケでも、家でもない。
学校である。
「忘れ物取ったら直ぐ家に返すよ」
「誘拐犯みたいな事を言うなよ」
ノルマを達成喜んだ後、鳴子君が学校に忘れ物をしたと言うので、じゃ、気を付けてと背中を見せた瞬間、ぐいぐいと学校まで引きずられたと、実に分かり易く且つ、納得出来ない理由で学校にいるわけである。
「一人で行けばいいでしょ?何で私を引き摺る必要があるわけ?」
本当に疲れてるんだけど。
「夜の学校、怖くない?」
「女子かよ」
いや、でも。ちょっと意外。
「鳴子君、怖いの苦手なの?」
幽霊よりも怖いもの代表である鳴子君にも苦手なものがあるのか?
「心外な事言うね。僕にも怖いものはあるよ」
「へー。それは普通に意外」
「目に見えないん分からないものは、どうしてもね。普通に考えて、恐怖の対象じゃない?」
本当に、夜の学校が怖くて、私を此処まで引き摺って来たと?
……すごく失礼だけど、そんな普通な鳴子君の方が怖いと私は思う。
だって、鳴子君だし。
「篠風さんは怖くないの?」
「え?普通に怖いけど?」
この会話、何なのか前にもした気がする……。追いかけ回されるの怖いって。
いるだけとか、見えないとか、全然平気だけど、追いかけ回されるのは嫌。
「もっと、女の子っぽい感じ出して言ってみて?」
「は?」
女の子っぽい感じ?
「こう、もっと怖がりながら。心底、恐怖しながら」
「急にどうした」
「全然怖がってる様には見えないからさ」
私達は昇降口に入り、靴を脱ぐ。
「そりゃね。今は怖くないからね」
命の危機はまだ来てはいない。
「暗いよ?」
「夜だからね。暗さは怖さではないでしょ?」
「そうなると、ゾンビとか系?」
ゾンビとか系って何だ。系って。
「ゾンビとか系が分からないけど、意味もわからず追い掛けられるのは怖いと思う」
ゾンビも追い掛けてくるし、そう言う意味ではゾンビも怖いか。
だけど、あいつらゲームでは結構足遅いし、勝てる気もしなくもないんだよね。
「あー。パニック系?骸骨とか、人体模型とか追い掛けてくる奴」
「あー。そうそう。足遅いから諦めるしかないからね」
「そっかー。追い掛けられる系かー。じゃあ、まず理科室行こうか?」
あ、これ、デジャブって奴だ!
「もうその下り、宗介としたからいいってば」
思い出して来た記憶にもため息をつきながら、私はうんざりした顔で鳴子君を見るが、いつも通りの爽やかだけの笑顔である。
「と言うか、鳴子君、本当に怖いの?」
「え?怖いよ?」
「本当に?私、この前君の教室で人魂見たよ?幽霊出てるかもだよ?」
「人魂って……あの?」
どのだよ。そんなに人魂詳しくないよ。
「一般的な?」
「うわぁ。篠風さんの口から人魂なんて非現実的な言葉を聞く日が来るとは思わなかったな」
「見たんだって。宗介も見た。二人で、すーっと動いて消える光を見たの」
「揺れてた?その光」
「揺れては……」
いなかった気がするけれども。
「炎の光は揺れるよ?揺れてないなら人魂じゃなくない?」
「LEDの人魂だったかも」
「それは懐中電灯だね」
……正論だけども。
「怖くないでしょ?鳴子君」
「僕は怖がりだよ?」
「人魂にもっと心揺れて」
「僕の心もLEDだから無理かな?」
何だそれ。
「まあ、人魂なんてないし。見回りか何かを見たんでしょうね」
「……それはそれで、可笑しいでしょ?」
「え?」
私は鳴子君の言葉に振り返る。
「よく考えてよ。何で見回りに懐中電灯と使うのさ?」
「え?」
見回りに懐中電灯可笑しい?何で?
「あ、職員室寄って行かないと鍵かかってるかな」
考えてると、鳴子君が声を上げる。
まあ、こんな時間だし、閉まってるだろうな。教室なんて。
「あ、うん。そうだね。いってらー」
「え?篠風さん来ないの?」
「行くわけない。遠回り過ぎる。教室の前で待ってるよ」
「人魂怖くないの?」
「水筒あるし、勝てる敵に怯えるほど弱くないから」
火でも電気でも、水には弱い。
LEDだろうが、関係はない。
「篠風さんのそう言うところは素直に好感が持てるよ」
「普通の所にも好感持ってよ」
何だそれ。
「じゃ、教室で」
「また後で」
私は鳴子君と別れ、一人階段を上がり鳴子君の教室に向かう。
廊下は暗いが、歩けないぐらい見えない訳ではない。
それにしても、何でおかしいんだろ?
懐中電灯、見回りの人って持つんじゃないの?漫画でもゲームでもよく見るし。
あ、でも、見回り中にに懐中電灯消すのは可笑しいか。では、たまたま電池が切れたとか?
そんなことを考えながら歩いていると、多香ちゃんと鳴子君の教室の前に着く。
そもそも、教室内に見回りって入るのか?いや、そこもわからないけども。全室の部屋の鍵持ち歩くの?あ、マスターキーか。
何気なく、私は教室の扉を開ける。
本当に、何気なく。
「……あれ?」
しかし、鍵はかかっておらず、簡単に教室の扉は音を立てて開いた。
施錠し忘れって奴?
何で……。
「開いて……」
いるんだろうか?
そう、疑問を上げる前に、私は目を見張った。何かが私の目に入ったのだ。
それは、だって……。
「誰っ!?」
私は暗闇の教室の中に足を踏み入れるのだ。
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