016 須らく、女の子は

 須らく、女の子はお姫様であるべし。

 女の子はいつでもお姫様。可愛いとか、可愛くないとか、関係ない。

 女の子に生まれてきたからには、皆んなそうじゃないと駄目なのだ。全ての女の子は、お姫様でいるべきだ。

 愛されて、愛して。我儘言って、泣いて笑って、花のように美しく。

 花びら舞い散る時まで姫でいるべし。

 私はそんな糞みたいな言葉が、反吐が出るぐらい大嫌いだ。

 嫌で嫌で仕方がない。

 可愛いねって、お姫様みたいだねって、そう言われるのが嫌と言う意味じゃない。

 ピアノは絶望的。お絵かきも微妙。折り紙は悲惨。お歌はまあまあ及第点な私だ。

 それが褒められるところが少ない私の唯一の取り柄なら、それで妥協するしかないじゃないか。

 でも、どこへ言ってもお姫様だと言われても、本当の姫でもなんでもない。

 国なんて治めてないし、人が私に納税をしてくれているわけでもない。当たり前だ。だって、ただの女の子なのだから。

 つまり、須らく女の子はお姫様はなれない、べし。

 それは小さな頃から薄々気付いていた事だった。


 でも、それに気付いているのは私一人だけだった。


 小学校に上がる頃、私は家の近くの小さな公園で、ボールを追いかける同い年の男の子達を見かけた。

 何をしているのかと問いかければ、彼らはサッカーだと言う。

 おいおい。餓鬼ども、サッカーをナメているのか?今思えばそう言ってしまうぐらい、おざなりなサッカーであったのは間違いない。なんたって、ゴールもなく手も使いたい放題のやりたい放題。子供が見様見真似で始めたボール遊びなのだから仕方ないかもしれないが。

 でも、彼らは一様にそのボール遊びを心底楽しそうに笑いながら、追いかけていた。

 だから、私もそれに混ざりたいと思ったのは、仕方がない事だ。

 私は口を開き、交渉に入る。

 ねぇ、私も混ぜて!

 幼稚園の駆けっこはいつも一番だ。ジャングルジムに登るのも、一番早い。その事について、余り褒められはしないが、関係ない。体を動かす事は自分が好きなのだから。

 目をキラキラさせながら、私は笑った。しかし、返ってきた視線はそれとは真逆なものだった。

 駄目だよ。

 誰かが言った。

 服が汚れちゃうよ。

 誰かが言った。

 転ぶかも。

 誰かが言った。

 誰かが言った。


 だって、多香子ちゃんはお姫様でしょ?


 誰が、言った。

 皆んなが、言った。

 何なんだ、呪いか。須らく、女の子はお姫様であるべし。それは呪いの言葉なのか。

 お姫様なわけがない。

 これはごっこの強制だ。

 お姫様ごっこ。

 本物のお姫様になんてなれないのに、お姫様の様にいなきゃいけない。

 私はずっと、一生、こうやって生きて行かなきゃならないのか。

 果てしない絶望は、私の肩を掴んで、脳を揺らす。

 しかしながら、現実は何処も非情なものだ。絶望に打ち拉がれる間も無く、お姫様ごっこは加速していく。

 可愛いね、お姫様みたいだね。

 金色の髪、お姫様みたいだね。

 青い瞳が、お姫様みたいだね。

 母方の祖父はイギリス人だ。金色に青色の瞳の、よくいる、外国人。

 お姫様でもなんでもない。

 母はハーフ、父は日本人。私はクォーターだが、見た目以外は日本語以外は喋れないし聞き取れない通常の日本人。

 他の子と違う髪が嫌で仕方がなかった。他の子と違う目が嫌で仕方がなかった。

 虐められていた訳ではない。皆んな、私の周りにいた。私を囲んで私を見て。しかし、その輪の中に一歩でも踏み込んでくれる子は何処にもいなかった。

 何処にも、居なかったのだ。


 篠風綾子に会うまでは。


 突然だが、篠風綾子は私の運命の人だと思う。

 お姫様の呪いを解いてくれた私の大好きな魔法使い。

 それが、彼女だ。

 しかし、会っただけじゃ人間不思議なもので考えや性格なんて早々変わらない。

 小学校二年に彼女のいる小学校に転校したばかりの頃、私は初めて好きな人が出来た。

 今はただ人生の汚点だと決めつけているが、彼女と同じ人を好きになった事だけは誇りである。

 それは鹿山宗介。

 篠風綾子の彼氏である。

 私が鹿山宗介を好きなった理由は何とも単純な理由だった。

 彼一人、私を特別扱いしなかったのだ。

 いや、違う。特別扱いじゃない。私に興味がなかった、が正しい。

 その点は篠風綾子も同様だが、何と言っても彼女は地味の中の地味な子である。目立つ事は何もない。同じクラスである私が彼女の存在に気付いたのだって、鹿山宗介の彼女であると教えて貰って初めてその存在に気付いたぐらいだ。

 彼女は基本、話さない。

 友達がいない訳でもないのだが、自分から話す事は余りない。

 体育だって得意ではない。

 目立つ場所が何処にもなかった。

 それに加えて彼女の服装だ。当時の彼女の格好は、クラスの男子達と余り変わら無いものだった。

 男子の輪に女子一人は何かと目立つと思うかもしれないが、彼女は完全に見た目も何もかもその輪の中に溶けて混んでいた。髪も今より少し短くて、少しうねってる。女子のショートカットと呼ぶには余りにも無造作過ぎたのである。

 だから、知らなかった。

 彼女みたいな人間が、この世界にいるだなんて。

 もし、転校してすぐに、もし、隣の席で、もし、一番最初に話しかけていれば、運命みたいな事が怒涛の勢いで起きていれば、私たちは遠回りしなくても済んだのではないかと今も強く思う。

 遠回りした結果が今だと言うのならば、話は別だが。

 だから、そんな結果なんて知らない愚かな私は、お姫様だと思ってくれない今世紀最大のライバルに恋をする事となる。

 鹿山宗介にとっては、私は篠風綾子以外にカテゴライズされ、周りの女の子と同じ扱い。それが、凄く嬉しかった。

 体育の授業でも普通にボールを当ててくるし、気に入らなかったら怒ってくる。

 もっと仲良くなりたかった。他の子より、仲良く、なりたかった。

 それが恋か恋じゃないかは私にしか分からないかもしれないが、それは確かに、恋だった。初恋だった。

 周りの皆んなは何時ものように、お姫様扱いで、私にお姫様ごっこのお姫様役を押し付ける。それ以外はやっちゃダメだと輪を囲む。

 そんな場所から私を連れ出してくれる王子様だと、馬鹿な私は夢みてた。

 でも、どれだけ頑張っても、鹿山宗介との距離は縮まらない。

 何でだろう、如何してだろう?

 答えは簡単だ。篠風綾子の、せいだった。

 子供は単純で残酷である。

 私は初めて、特定の人物に悪意を向けた。自分がお姫様ごっこの姫であるのをわかっていながら。大嫌いなお姫様の力を借りてまで。

 しかし、篠風綾子はそんな事を一々構う女ではなかった。

 元々彼女曰く、友達など当時は余りいなかった。つるんでるのは近所に住んでる友達ばかり。彼女の近所は男だらけで女の子など彼女一人である。

 それに、当たり前だが小学校二年生で彼氏彼女と言っても、今みたいな二人の状態ではない。

 常には一緒にいるのは変わらないが、お互い言い合いもすれば、殴り合いもする。かと思えば、一緒に笑って、一緒に怒られ、一緒に遊ぶ。仲のいい友達程度だ。

 少し捻くれて、大人ぶっていた自分は、友達になって間もないある日、彼女にこう言ったことがある。

 彼女彼氏って言うより、男同士の親友みたいだと。

 すると、篠風綾子は見た事もない笑顔で頷いた。

 うん。宗介と一番仲良いんだ。

  今思えば、あの時から鹿山宗介が羨ましいと思い始めたかもしれない。

 さて、話が脱線してしまったが、私は篠風綾子を虐めに、虐めたのだ。

 彼女に効果があろうがなかろうか、知ったことかとそれはもう暴君の様に。

 時に露骨に、時に陰険に。

 これって結構な事だと思うんだけど、篠風綾子曰く、さして日常生活に不便があった訳じゃないから謝れても反省されても、私がどうしていいか困るから、一生モヤモヤその事に悩んで次にやろうと言う気が起こらないにした方が多香ちゃん的にもいい事だし健全的だとの事で、この事について私が彼女に謝った事は一度もない。

 正しくは謝らせて貰えない。

 しかしそれはいいのだ。

 謝りたい気持ちはあるが、それは私の自己満じゃんと言う自分自身に呆れた気持ちと、対等に仲良くなりたいと思うなのならば、違う事で挽回すりゃいいじゃん。そんな事も出来ない奴と、俺の綾子の親友って俺は認めない。と挑発してきた宿敵へ対抗心の方が優っているからだ。

 だから、虐めの事は詳しくは話さない。

 ただ、一生人にこんな事をやるぐらいなら、自分がやられた方がマシだと思う事をツラツラとやった。やらかした。

 それでも、篠風綾子は変わら無い。

 しかし、それは篠風綾子だけである。エスカレートしていく行為に、鹿山宗介がついにキレた。

 それは本当に嵐の様に、恐竜の様に、暴れに暴れた。

 その姿を見て、皆んな私を見るのだ。結局、これはお姫様ごっこ。本当のお姫様じゃない私を守ってくれる人なんて何処にもいない。

 気が付けば、私が望んでいたお姫様ごっこの終わりが来た。でも、ごっこがなければ私は一人だ。

 やっと大嫌いなお姫様ごっこが終わったんだ。手を叩いて喜ばなきゃいけないのに、私は両手をただ、一人見る。

 でも、本当に望んでたのって、これだっけ?

 私はただーー。

 そんな時に、篠風綾子に初めて声を掛けられた。切っ掛けは、兄のお下がりの敷物シートの柄である。

 そのゲーム、好きなの?私も好き。

 驚いた。私はその時、とても驚いた。

 何にって?

 それは勿論、彼女が普通だった事にだ。

 あれだけ酷い事をしたのに、彼女は私に普通に接してくれる。普通に話してくれる。普通に、私をお姫様の様に接してくれるわけではなくて、友達として接してくれる。

 特別扱いなんてされない。

 冗談を言って、喧嘩して、一緒に遊んで。友達として、接してくれる。

 汚れる遊びだって、止めもしない。

 ボール遊びだって、入れてくれる。

 中学生になった時、私は髪を真っ黒に染めた。目にはカラコン、篠風綾子とお揃いの黒目だ。皆んなが嘆いた。勿体無いと嘆いた。それでも、篠風綾子だけは笑ってこう言ってくれた。

 今日から、私達、お揃いだね。

 私が欲しかった全てを、彼女は全てくれたのだ。

 いつからか、彼女が私の中心になって行く。

 勿論、喧嘩もする。怒られるし、腹がたつ時だってあるけど、一人の人間として、私は篠風綾子を尊敬し、大好きだと心の底から思うのだ。

 きっと、あのまま大きくなったって、普通に友達が出来たかもしれない。かもしれないけど、私は彼女が一番最初の友達で嬉しかった。

 彼女が、鹿山宗介と親友みたいだと言われた様に、私も彼女を親友と言われたら、心の底から嬉しくて嬉しくて、笑うのだ。

 須らく、女の子はお姫様であるべし。

 何が女の子は全員お姫様でいるべき。だ。そんな事、あるわけないだろ。

 私を見ろ!

 今、こんなにも幸せなのに!



「私、この、須らくって言葉嫌い」

 三者面談の時間を待っている多香ちゃんが、国語の教科書を睨みながら口を尖らせる。

 多香ちゃんが、単語に殺意以外の感情を持ち出すだなんて初めて見たかも。

「え?何で?」

「偉そうだよね?」

「……漢字だよね?」

「感じ悪いよね?」

「か、漢字だけに?」

 別に上手い事を言ったつもりはないけど、これ以上の言葉が無いのだから仕方がない。

 漢字相手にそこまでの感情持った事ないけどなぁ。

「漢字じゃなくて、須らくって言葉ね」

「あ、そこは否定するんだ」

 須らくになにされたのか逆に気になるぐらい徹底的だな。

「でも何で須らく?そんなに悪い意味かな?」

「だって、全ての人間は何かするべき的な意味じゃん。偉そう。感じ悪い。決め付け感、半端ない」

 ……須らく。

「例えば、須らく、女の子はお姫様であるべし、とか。女の子がお姫様にならなきゃいけないって決め付け具合が腹立たしい」

 須らく、女の子はお姫様であるべし、ね。

「そう?私はいいと思うけど?」

「え?」

「どうしたの?」

「あーやお姫様になりたいの!?」

「いや、成りたくはないけど。そんな大きな役目やだよ。吐くよ。じゃなくて、多香ちゃん、須らくの意味を違って覚えてる」

 私は笑いながら教科書を捲る。

「須らく、女の子はお姫様であるべしってのは、全ての女の子がお姫様であるべきじゃなくて、女の子はお姫様でいた方が当然いいよ、とか、是非、そうした方がいいとか。皆んなって意味じゃないよ。推奨してるぐらいって感じ」

「……お姫様であった方が当然いい?」

 あぁ。目の前の多香ちゃんが混乱を始めている。

 そもそも、お姫様であるべしってなんだろ?

「んー。多分、その使い方も何か違う気がするんだけど、女の子は当然お姫様の様に上品に振る舞った方がいいとか、是非女の子はお姫様の様な上品さを身につけて欲しいとか、かな?私は、お姫様みたいな上品さを持ってもきっと持て余すだろうし、でも、持ってて損はないなら推奨って意味ならいいんじゃない?って事でそんなに悪い方には捉えられなかったかな」

 お姫様と言われても上品意外に意味合いが思いつかないから、上品を例に出したけど、お姫様って悪い意味では使われないもんなぁ。

 皮肉だったら別だけど、皮肉で須らくなんて使わないだろうし。

「何か、誰かに小さい頃言われた記憶があるんだよね。でも、なんだ、そんな意味だったのか」

「ニュアンス的にそうかなって私が勝手に推測しただけで、正解なわけじゃないと思うけど?」

「いいの。あーやが出した答えの方が正解で」

 そう言って、多香ちゃんが笑う。

「そう?」

「そうそう。なーんだ。違ってたんだー」

「須らくで、全てって言葉に似てるから勘違いし易いよね。で、この言葉好きになった?」

「いや、全然。テストに出てる単語は全て憎い」

「日本語全般アウトじゃない。それ」

「英語も数字も記号もね」

「憎む前に覚えようよ……」

 衣替えも梅雨も終わったこの季節、テストはすぐそこ迄来ていると言うのに。

「あ、そうだ。数字で思い出した。あーや、数学の課題の答え教えて!!」

「さっきの私の言葉聞いてた?」

「大丈夫!一問だけだから!」

「いや、だから聞いてた?」

「一問ぐらい本気で解きなさいって言われてね?」

「いや、だから、本気で解けよ。ループするの本当に止めよ?私が教えるから」

「わー!あーや、ありがとー!」

「完全に言わせてる感じだからね?で、どこの問題?」

「あ、ちょっと待って。あれ?昨日のプリントなんだど……あれ?無くした?」

「何でも学校に置いておく多香ちゃんが珍しいね」

 決して褒められた事ではないが。

 しかし、多香ちゃんの言葉通り、机の中を全て出しても、お目当のプリントは何処にもなく、果てはロッカーにも鞄にもなかった。

 かと行って、彼女が家にプリントを持ち帰るわけがないし……。

「捨てた?」

「一番最初にその可能性が出てくるんだ」

 もっと色々な可能性あるでしょ。何かに挟んだとか、誰かが間違えて持って行ったとか。

「いや、多分捨てたんだと思う。最近なんか、良く物を無くしてさー。何処からも見つからないんだよね。それって捨てた以外にあり得なくない?」

「え?失くし物多いの?落し物とかにもなかった?」

「そう!何処にもないんだってば。もうこれは無意識に捨てたとしか思えないんだよね。さっきのプリントみたいにどうでもいいものばっかりだし」

「それ本当にどうでも良くていいの?」

 提出物じゃないの?それ。

「ねぇ、他には何無くなったの?」

「んー。今回みたいにプリントとか、テストの結果とか、消しゴムとか?後は……、ポケットティッシュとか?」

「うわぁ。確かに微妙なものばっかりだ」

 本当に困らないものばっかりだなぁ。

 多香ちゃんなら要らないと思ったらどれも捨てそうだし。

「でしょ?」

「でも、次は捨てない様に気をつけなよ。ジュース買ってくる序でに、プリント余部がないか先生に聞いてくるね」

「え、私もついてくー!」

「多香ちゃん面談の時間大丈夫?」

「まだまだ余裕だって。あーや何飲む?」

 そう言って、私達は財布だけを持って教室から飛び出した。


 

 ねぇ、物が消えるって、どういう時?

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