015 感情を失った私
ボートに乗り込めば、溺れた策士だってお茶を啜りながらクッキーを優雅に食べて夕日を見るわけで……。
「ほ、本当にごめんなさいっ!」
「いえ、誤解が解ければ問題ないので……」
自称策士、篠風綾子。
まさに、今、私の前にはお茶とクッキーが差し出され、絶望的な顔をした相川先生の謝罪を聞きながら夕日を浴びている最中である。
いや、もう、本当に乗り込んだボードを間違えた感しかないんだけど。
やっぱりセオリー通りに初心者は藁にも縋り付いてれば良かったって事?何の冗談だ。藁一つにそんな浮遊力があってたまるか。
しかし、少なからず色々な工程を吹き飛ばした感は否めない訳で……。
私の今迄の苦労とか、努力をあっさりと吹き飛ばしてくれたのは、勿論先生から借りた携帯電話のお掛けである。
電話一つで問題解決。ピザよりお手軽だ。宅配待たなくていいし。実に所要時間は五分も掛からなかっただろう。
実に、今の現代のニーズに合ってる。合ってるけどさ……。
さて、私の嘆きは置いといで、だ。誤解は実にあっさり、尚且つスピーディーに解けた経緯は事細かに言う必要はないだろう。
なんたって、電話の相手は宗介の母親。
こう言う時、学校と言う場所では『親』と言うカテゴライズの絶対さを知ることになる。
きっと、私が幾度も説明した事をおばさんの『うちの宗介がお世話になっています』の挨拶から、『無理をお願いしてすみませんね。綾子のご両親からも先生にご連絡が行くと思いますので。今後とも、ご迷惑をお掛けすると思いますが、うちの宗介と綾子をよろしくお願い致します』の結びの言葉で全て解決してしまったわけだから。
電話を切った時の先生の顔と、震えた声でクッキー食べる?と掛けてきた掠れた声は、ちょっと怖かった。断る間もなく頷くぐらいには、怖かった。
そのせいで逃げ遅れて、私は今、先生の長い謝罪を受けているわけである。
「先生は、なんてことを……」
「あ、いや、別に、全然、はい……。大丈夫です……」
いや、確かに疑われた時は、気分は良くはなかったが、別にここまで謝罪されたい訳でもないし、誤解解ければこちらとしては問題はない。
それだけでいいんだけどなぁ。
どうやら、それでは先生の気は済まないらしい。
でも、お茶、果てはクッキーまで出して頂いているわけで、無碍にするにも何か悪い気がするし、かと言って、私に今の先生を落ち着かせるような上手い慰めが言える様な語彙力もない。
出来るのは差し出されたクッキーを貪りながら、代わり映えのしない相槌を打つ事だけ……。
……自分で言ってなんだけど、すごく無力過ぎる。
結構な終盤で全員オール六十オーバーまでレベルを持って行った時に次の町で、仲間に入ったキャラとがまさかの十六レベルからスタートするレベルでの無力過ぎない?今の状況って。
でも、人には得意不得意が云々って、これ前も言った気がする。
そんな対人スキルがあれば友達なんて今頃百人ぐらい余裕でいるってば。
余裕で今クラスに一人もいないから。
あぁ、自分で言っといて悲しくなって来た。
「先生は、先生失格で……」
「あ、いえ、教員免許の返却がされていないのならば、失格ではないのでは……?」
失格と言うのは可笑しいんじゃない?はく奪されたわけでもなく、資格がないわけじゃないんだし。
「……先生がそれぐらい酷い事をしたって事よねっ!?」
「え?」
何でそうなるの!?
ダメだ。今の言葉で私は火に油を注いだって事実以外、まったくもって把握出来ない。
もう、ダメだ。諦めよう。クッキーを食べ終わるころには先生も落ち着いてくれるのかもしれないし、下手に手を打っても、自分の首が締まるだけな気がしてきた。
自分が落ち込んでいる時に慰められる経験なんてないし。
何言っていいか分らないし。
焦っても結果が変わらないなら、この有り難いクッキーを咀嚼して時間の経過を待っていた方が得策だ。
いいじゃないか。自分のミッションは既に果たした訳である。
頭の切り替えは早い方だ。
そうと決まれば、私は一心不乱にクッキーを食べながら先生の謝罪に延々と相槌を打つ作業へと戻っていく。
元はと言えば、自分で蒔いた種だ。
ここは割り切ってやって行こう。
「疲れた、かも……」
腹の中とは裏腹に、げっそりとした顔をして教室に戻った時には、既に夕日も暮れ切り、時計の針も七時を指そうとしていた。
随分と長い時間捕まってしまったものだと思うけど、先生がある程度落ち着いてくれて良かった。
鞄やらはすべて教室に置いて来てしまったのは大きなミスである。
こんな時間誰もいないし、教室は案の定真っ暗だ。
下校時間も過ぎているせいか、グラウンドから聞こえて来た話声も、随分と前から聞こえてこない。
こんな時間の学校って、確かに何処か薄気味悪い。
別に幽霊とかは怖くないけど、一人で長居をしたいとは思わない。
だって、幽霊なんていないし。
科学的根拠云々とかは置いといて、私の十五年間の実績がそう告げている訳である。そんなものに一々恐怖する理由がまったくもって分らないだけだ。
そんな事を考えてながら、私は自分の席で帰る用意を始めると、後ろで曇った声がする……。
「私、花子さん。今貴方の後ろに居るの……」
……いや、そこはメリーさんじゃねぇの?
「色々混ざっているけど、頭大丈夫?宗子さん」
「悲鳴とかは?」
「ゴミスキルの忍者が出たー。って悲鳴上げる大賢者様が居るとでも?」
後ろを振り向けば、鞄を持った宗介が笑っていた。
「ゴミスキルじゃないですー。隠密スキルカンスト忍者ですぅ」
「ははは。冗談スキルカンストとは面白いな」
「そこまで言うなら、せめてもっと面白そうに笑ってくれる!?」
「全然面白くもなかったから、正直な彼女でごめんね」
「そこでデレる必要あんの?」
あ、これ、お前にとってはデレなんだ。引くわ。
「まだ残ってたの?先に帰ればいいって言ってなかったけ?」
「言ってたけど、まあ、忍者だから」
宗介はそう言うと、後ろから私を抱きしめる。
「綾子、お疲れ様」
ああ、なんだ。
「……隠密スキルカンストおめでとう。全然気づかなかったけど、少し腹は立つ事してるって自覚は……あるか」
だから、さっき濁したわけだし。
私が何も言ってないのに、宗介は今日の結果を知っているだなんて、そう言う事なわけでしょ?
「信じてないわけじゃないけど、うちの大賢者様の持ってるスキル考えると心配にはなるじゃん?」
これ、かなり高度な喧嘩の売られ方してない?私。
悪かったな、コミュニケーション能力スキル皆無で。
「ずっといたの?」
あのドアの前に。
「いた。少しでも、綾子が黙ったらドア蹴破る気、満々でいた」
「そこは普通に開けろよ、破壊神。鍵してないんだし」
「そこは、かっこよく登場したいじゃないですかー。彼氏でっせ」
「宗介君は小中学校で何故、連帯責任って言葉を覚える機会が人の百億倍あったのに学習してこなかったのか疑問で仕方がないんだけど」
宗介のせいで関係ない私が何度怒られたと思っているんだ。
「でも、そっちの方がびっくりして涙引っ込むでしょ?」
「今日は泣いてないし、普段からそんなに泣かない方の人間です」
「うん。そうだね」
人の話を聞かないように、宗介は私の頭を優しく撫ぜる。
そんな人間じゃない事ぐらい、私の次によく知っている癖に、宗介は……。
「……ありがとう」
ポツリと呟くと、宗介は満足そうに彼氏ですからと呟いた。
「いや、そっちじゃないけど」
「……今の雰囲気で!?」
「有り難いとは思うけど、礼を述べるほどではない物件だと思うのね?別に泣かないし、蹴破る覚悟は要らないし」
「そうかもしれないけど、いろいろと、こう、ここ迄来て、それ!?いつも思うけど、綾ちゃん雰囲気ぶち壊さないと死ぬの!?武者なの!?」
「何言ってんだ。女子高生だろ。そっちじゃなくて、私がありがとうって言ったのは、良くあの会話で、途中で乱入してこなかったなって事」
宗介を呼ぶ呼ばないの会話で、よく踏みとどまったなと思う。
いつもならば、百発百中で飛び込んでくるのに。
そこは、宗介の成長と言ってもいいのかもしれない。
私だって、今日のピンチを切り抜けた様に、宗介だって、高校に入って随分と成長したんだ。
信用されてないから、外で待ってたわけじゃない。ただ、彼氏として心配だったから外で待っていてくれたんだ。
これに礼を述べずして、いつ礼を述べると言うのだろうか?
「宗介が彼氏で良かったよ」
そう言って、私は振り返り、宗介を抱きしめる。
ん?
いつもだったら、うるさいぐらい何か言うかやるのに、なんの反応もないって何だ?病気か?
訝し気に顔を上げ見ると、宗介は口を抑えて横を見ていた。
ん?
「……宗介?」
「いや、うん。彼氏スキルもカンストするよね!」
おい。
「嘘下手過ぎか」
いつもの宗介がする、何の事か分ってない顔じゃないか、それ。
思わず私は宗介の二の腕を軽く叩く。
「だって、廊下じゃ流石に何話てるか聞こえないし!」
よくよく考えれば確かにそうである。
話し声はするけど、流石に会話内容までは無理だ。しかも、私と先生は廊下とは反対側の窓際で話していたわけだし。
「早く言えよ」
感動損にお礼損じゃん。
「話す間もなく礼を言ったのは綾子さんの方じゃないんですかね?」
「否定ならその場ですぐできた事をしなかった自分の怠慢を棚に上げるのは如何なものですかね?もう、いいや。準備も終わったし、帰るよ」
私は鞄を手に早々と教室を出る。
この時間なら誰もないし、宗介と一緒に学校を出ても問題はないだろう。
「それにしても、誰もいない学校でアレだよね」
「何?幽霊出そうって?」
何を小学生みたいな事を言っているんだ。
「あー。そっち?俺は何してもバレない的な事だった」
そう言って、宗介は私の手を握ってくる。
「……くだんねー」
「いつも以上にクールですね」
「いつも以上に疲れてて、感情を失った綾子だと思ってくれ」
本当に今日は無駄に疲れたんだってば。
「でも、綾ちゃんが幽霊とか言うとは思わなかった。綾ちゃん幽霊とか怖くないでしょ?」
「いや、行き成り人いたら驚くけど?」
「……感情がないと怖いと言う事も理解できないのか」
「感情かないと失礼な事言っても良いとか思うなよ。怖くないけど、普通に驚くぐらいはするって。昔さ、みんなで肝試し行ったじゃん。町内の」
「行ったな」
確か小学校低学年ぐらいに。
当時仲の良かった宗介含む友達と七人ぐらいで参加されられた事がある。
「あの時、夜の学校で七不思議がって奴。あれは普通に怖かったよ」
「……嘘っ!?」
「マジで、怖かったね。だって、訳のわからない大人に追いかけまわされるんだよ?皆、足早すぎだし、私だけめちゃくちゃ遅いし……」
「あの時、綾ちゃん、自分だけ諦めた顔で止まって、ここは俺が食い止めるからお前たちは先に逃げろって叫んだ雄姿は今でも町内の伝説になってると思うよ」
「だって、皆早いし。逃げ切るの無理だし。絶対に追いつかれて殺されるぐらいならここで皆の糧になろうと本気で思ったからな」
死を覚悟したと言っても過言ではないだろう。
「あれ、怖かったんだ」
「初めて足が遅い事を後悔したレベルで怖かった。結局宗介が私を担いで逃げると言うまさかの暴挙に出て事なきを得たけども」
「いや、綾ちゃんの方が大人にとっては暴挙だけどな?」
確かにそうかもしれないけどね。
「幽霊は怖くないけど、追いかられると逃げ切れない自信はあるから、そう言う系は怖いよ」
「そん時は、また俺が担いで走ってやるから。学校の怪談系だと、そう言う追いかけられるのって、人体模型とかだよね。理科室寄る?」
「何でだよ」
話の流れって知ってる?
「怖がる綾ちゃんレアだなって思って」
「私宗介のそう言う処、めちゃくちゃ嫌い」
「ここからお姫様抱っこする?」
「しないし。アホな事言ってないで、早く帰るよ」
これ以上、アホな会話に付き合ってはられないと、私は宗介の手を引いて昇降口に向かう。
靴を出し、扉に手をかけて、ふと宗介の顔を見る。
「……怪談的には閉じ込められるとかよくあるよね」
「私も思ったけど、普通に開くし、現実だからね」
やっぱり考えてる事、同じって顔してた。
残念ながら扉は普通に開いて、私たちは外に出る。
「先生もいるこの時間に幽霊なんて出てこないって。それに、今の時代セキュリティーもあるし」
「現実的な単語の前には幽霊って無力だなぁ」
セキュリティーの前では人も無力だからなぁ。
「でも、セキュリティーで、扉開いたら感知とかだから、教室の中では結構好き勝手出来るんじゃない?」
「あー。じゃあ、今校舎の方向いたら人体模型がこっち見てるとか?」
「何でそんなに、人体模型推しなの?人体模型総選挙出てるの?」
「そんな国民的な人体模型は逆に推せないだろ」
そう言って、私たちは何気なく振り向いて校舎を見上げると、目を疑いたくなる現象が目に入る。
私たちの教室の隣、つまり、多香ちゃんの教室から、一つの光が窓の向こうで浮遊してすっと消えていった。
「……」
ん?
「……宗介」
「……綾ちゃん」
私と宗介は顔を合わす。
「今の、見た?」
「あれ、人魂って奴だよ、ね?」
つまり……。
「人魂は火災検知に検知されないから、セキュリティーも関係ないんだな……。じゃあ、幽霊、今日の私より無力じゃないね。心配して損した。帰ろ」
今日何損してるんだろ、自分。
私は肩を落とし、宗介を置いて一人でスタスタと校門の方へ歩いて行った。
「……綾ちゃんの感情の失われ具合が深刻化してるっ!」
だから、言ってるじゃん。今日の私は感情を失った綾子なんだってば。
別に幽霊なんて怖くない。
自分に害がなければいてもいなくても別にいいし、問題はない。
でも、それは、本当に?
疲れ切った私の頭は、この時余り正常ではなかった。あの人魂にどんな意味があったかなんて、自分には関係ないと言い切った私の代償がどれだけのものかなんて、考えてもみなかった。
幽霊なんて、いるはずないって、分ってるのに!
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