014 策士策に溺れてボートに乗る

 遂に、遂にはっきりと言ってしまった。

 いや、遂に彼女の方がはっきりと言ったのだ。

 

 鹿山宗介と付き合っていると、はっきりと、自分の妄想を口にしてしまったのだ。

 

「せ、先生、え?付き合ってないって……?」

 目前にいる、篠風綾子は目を白黒させながら、慌てふためていている。

 辛い現実で現実と妄想の区別がつかなくなってしまった、哀れな教え子。

 相川歩美はもう一度、ゆっくりと言葉を並べる。

「篠風さん、貴女と鹿山君は恋人同士ではないのよ。貴女が、一方的に、鹿山君の事が好きなだけなの」

 信じられない気持ちもわかる。

 けど、これ以上彼女の暴走を許せば、彼女自身にもまた悲劇が起きるのだ。

 ここではっきりさせなければならない。

 三者面談の前に、彼女のこの闇を解決させなければ。

「いや、あの、付き合ってますど……?」

 しかし、何度言っても、本人の心にはやはり、どうしても届かない。

 あれだけ成績は優秀だと言うのに、現実を理解しようとする事を拒んでいるかの様に。

「篠風さん。それは、貴女の妄想よ。貴女は鹿山君とお喋りした事すらないはずでしょ?」

「……いや、先生落ち着いてください。私、一年の八割は鹿山君としか話してないレベルです!むしろ、何と言うか、その、ほぼほぼ一緒に住んでますからっ」

 一緒に住んでいるですって……?

 相川はを見開き、額に手を当てる。

 妄想が、そこまで進んでいると言うの……?

 何とか目を覚まさせなきゃいけない。私がこの子の先生なのだから。

「貴女と、鹿山君は一緒に住んでないでしょ!?」

「す、住んでないですけど、ほぼ毎日一緒に家に帰って課題して、ご飯食べて、ゲームしてます!」

 ……ちょっと待って。いくらなんでもこれって具体的過ぎじゃない?

 相川は思わず自分の口を抑え、綾子を見る。

 これって、まさか……。

 日常からのストーカー行為で家迄近づいてるって事!?

「し、篠風さん、それはまずいわっ!間違いが起きる前に今すぐやめなさいっ!」

「えぇっ!?ま、間違えって、その……。ま、まずいですか?」

 頬を赤くして思わず弱気になった所を見て、相川はまだこの子は戻ってこれると確信を持った。

 そうか。初めての恋心なのか。

 でも、友達はいないし、相談出来る相手もいない。

 だから、彼女の仲ではこのストーカー行為が行き過ぎた行為かどうかわからないのではないか。

 聞いた所によると、彼女の友人はあの桃山多香子である。

 入学当初から男性陣の中で女優みたいに綺麗な子だ噂されてきた子である。

 派手な見た目と、気の強そうな態度。

 友達と言われても、きっと奴隷の様な関係に違いないと見てきたが、間違いないだろう。

 一方的に桃山の話を聞くだけで、この子から話しかける事は皆無。

 気が弱そうだし、話し下手なのも先ほどからの会話でわかる。

 指摘してくれる友人なんていなかったのだ。

 私が、彼女の担任である私が道を正さなくてはっ……!

 いやはや、人の使命感とは何故もこんなにも強いもなのか。

「もし、鹿山君のご両親とかに見つかったらどう言い訳するの?」

「え、あ、み、見つからない様に、それはちゃんと、気を付けていまして……」

 矢張り、悪い事をしている自覚はあるのだ。

「駄目よ!いくら気を付けていても、いつかは見つかってしまう事よ」

「……いや、でも、その……、き、気を付けます……」

 口籠りながらも、彼女はなんとか頷いてくれた事に、相川は安堵を覚える。

 聡明な彼女だ。少し考えれば己のやっている事が如何に世間から逸脱した行動かを分かってくれるものだと相川は信じていた。

「よかった……。やっと分かってくれたのね……。いい?篠風さん。貴女、初恋でしょ?」

「……あ、はい」

「どうしていいのか分からないんじゃないかしら?」

「へ?」

「だから、そんな事をしちゃうのよね?」

「……何の話ですか?」

 ぽかんと、彼女が首を横に傾げる。

「恋愛ってね、お互いがお互いを好きになって、初めて始まるものよ。自分一人では、恋愛は出来ないの」

 うんと優しい声で彼女に話しかける。

「せ、先生?」

「たとえ、貴女がどれだけ鹿山君の事が好きでも、それは独り善がりであれば、恋愛ではないの。ただの片思いなのよ。片思いの相手にそんな事をしちゃ駄目」

 やっと彼女に私の言葉が届いたのだ。

 ゆっくりと時間を掛けて、彼女に……。

「……いや、だから私と鹿山君は付き合ってるんですけど?」

 あ、これ届いてない奴だ。

「……篠風さん。貴女と、鹿山君は付き合ってないでしょ?」

「付き合ってます」

「それは、貴女の妄想です。いいですか?付き合ってるなら、相手の後を追わないです。本屋で会っても声を掛けます」

「本屋?」

「先生、偶然この前の連休の時に本屋で貴女を見かけました。鹿山君の後ろをこっそりつけて、同じ本を手に取っていたでしょ?」

 彼女はすこし考える振りをして、ああっ!と口を開いた。

「ち、違いますよ!あれは、宗介が勝手に!」

 顔を真っ赤にしながら彼女が立ち上がる。

「私だって、声掛けてくれればと思ったんです!」

「勝手に、鹿山君のジャージを持って帰ったのは?」

 相川が先日の行為を指摘すると、綾子はぐっと口を紡ぎ、ため息を吐く。

「……先生、見てらっしゃったんですか?」

「えぇ。見てました」

 だからこそ、この面談をやろうと思ったのだ。

 今まで疑惑だったものが、確信と変わった瞬間である。

 そして、この発言で、綾子の方でも宗介から得た情報が全て一本の線で結びついた事となる。

 成程、この相川先生は、私が宗介のいじめをしていると疑っているわけではなく、私が宗介のストーカーをしていると思っているのか。

 ならば、先ほどからの発言も全て合致が行く。

「先生、もう一度言いますね。私は、鹿山宗介と三歳の頃から付き合ってます。付き合いは生後からです。本当なんです。信じて頂けないでしょうか?」

「……信じられるわけがないでしょ?学校で貴女と鹿山君が話している所を見た人もいないし、仲の良いと言う噂も聞かなわ。それとも、何か証拠でもあるの?」

 綾子はこの時、小さく自分の手を握りしめる。

 この状態はまさに、策士、策に溺れるである。

 宗介と自分の関係を誰にも悟らせない様にとした完璧過ぎる自分の策。まさか、こんな所で仇になるとは考えもしなかった。

 むしろ、想像すら出来なかった。

 証拠何て学校中探してもないに決まっている。

 そんなハイリスクを犯する必要なんて何処にもないわけで。

 携帯の履歴と言う手もあると思うが、綾子は携帯を持ってすらいない。

「それとも、鹿山君本人を呼んで聞いてみる?」

 相川先生の一言に、思わず綾子は口を開く。

「それが一番、駄目ですっ!」

 慌てて先生を止めると、疑惑目のは余計に深まる。

 しかし、今は致し方ない。

 だって、今、宗介は腹を立てているのだ。もし、綾子が誤解を解けなければ暴れると、彼女に宣言したのだ。

 そんな怪獣状態の宗介をここに連れて来るだなんて色々な意味で危険極まりない。

「今、鹿山君を呼ぶと、多分、学校が爆発します……」

 主に、篠風綾子の学校での行動範囲がと言った方が正しいが。

「……爆発?篠風さん、嘘ならもっとましな嘘を吐きなさい」

 嘘と言うか、何と言うか……。

 自分でもどうかとは思う言葉ではあるが、一番正解に近い言葉なのだから仕方がない。

「取あえず、鹿山君は抜きで。証拠は……今考えます……」

「直ぐ出てこないのは怪しいと思うけど?」

「私たち、付き合っているのは高校では内緒にしようと約束しあっているので、そう迂闊にバレるものなんて持ってないんです」

 約束と言うか、一方的なルールの取り決めを敷いたわけだのだが、そこまでは言う必要はないだろう。

 出来れば、これ以上事をややこしくしたくない。

 出来るだけ綾子は正直に先生にここまでの道のりを話すが、やはり顔は半信半疑。

「それは篠風さんの妄想の話に先生は聞こえるわ」

 現状と違い過ぎる話をしても、やはり現実味に欠けるのは致し方ない。

 多香ちゃんに聞いて見て下さいとも言いたいが、彼女の事である。

 素で、綾子と宗介の交際など認めない発言が飛び出してく可能性の方が高い。

 かと言って、事情を知る浦里さんや若田さんに聞いてみても、彼女達は内緒に絶対するからと、綾子の手を握って宣言してくれた。何の説明もなければ、きっと知らないと付き通してしまうだろう。

 と、なると、だ。

 この情報を覆せる要員は限りなく少ない。

 宗介をここに呼び、付き合ってるかどうかの返答をさせれればそれがベストだが、あの時のあの発言、態度。何よりもリスクが大きすぎる。

 八方塞がりとは、この事か。

 頭を文字通り綾子が抱えていると、相川はため息を吐く。

「私だって、貴女の言葉が本当ならと思うわ。だけど、信じられるものが何処にも無いの。私だって、貴女が体育倉庫に閉じ込めた犯人だなんて考えたくないのよ?」

 綾子は相川のその言葉に顔を上げた。

「……それの犯人も私だと?」

「……先生はそう考えています。貴女が閉じ込めたわけではないの?」

「違います!私は、宗介と多香ちゃんを探して、鳴子君達と学校中を走り回って……」

 あっ。

 思わず、口を手で押さえた。

「どうしたの?」

「あ、いえ。その件は絶対私犯人ではないです。隣のクラスの子と探していましたし、何故鹿山君を呼び出して桃山さんと一緒に閉じ込めておく必要があるんですか?好きな人と、自分の親友を」

「……それはそうだけど」

「それに、私は鹿山君が教室を出た後もずっと教室にいました。呼び出せるタイミングがないし、閉じ込めるタイミングもない。ちゃんとその後の授業に遅刻せず出るのは無理なのでは?私が授業に遅刻なんてしてない事は教科の先生もクラスの全員も知ってますよ」

「誰かに協力してもらってとか……?」

「先生、私に言いましたよね?友達いないって。いや、確かにいないんですけど、協力してくれそうな人なんていませんよ。クラスで評判悪いって、先生も知っているでしょ?」

「え……」

「先ほどの英語の時間中に、鹿山君から聞きました。先生が私の事を他のクラスメイト達に聞いてるって。鹿山君にも聞いたらしいじゃないですか」

「貴女聞いていたの?」

「その後、先生と会ったのに、何処で先回りしてその会話が聞けるんですか。本人から聞いので知ってるだけです」

 そうか。自分の身の潔白などアリバイの提示で十分じゃないか。

 漫画でも小説でも、そう書いてあったし。

 そう綾子は思って頭を切り替える。

 最早、自分を守れるのは自分だけだ。

「立派な現状証拠でしょ?その情報、私が他に誰から聞けるんですか?」

「その件は、そうかもしれないけど……」

「あぁ、先生はまだ体育倉庫の件も疑われているんですね」

 綾子が問いかければ、相川は口をつぐむ。流石にそうですよ、とははっきりとは立場的には言えないだろう。

「協力者もいなければ、どう考えても無理だとは思いませんか?」

「でも……、あ、そうよ!桃山さんに頼まれとか……」

「先ほど先生は仰られましたよね?私は鹿山君が好きで、鹿山君のモノを取るほどのストーカーですよ。十分過激な事をしている。そんな人物が友達に頼まれて実行するとお思いですか?」

「桃山さんが怖くて、脅されていかもしれないわ!桃山さんが協力者じゃ……」

 相川は続きの言葉を出す口を思わず閉じた。

 思わず見てしまった綾子の目が、まるで冷たい氷のように軽蔑する様な視線を彼女に向けていたからだ。

 綾子はまるで悪戯をした子供に言い聞かすように、ゆっくりと、そしてはっきりと、言葉を紡ぐ。

「桃山多香子は、そんな事をする子じゃないです」

 彼女の言葉と目は何処までも冷たい。

 流石にこれは、言い過ぎだと相川は自分でも自覚を覚えた。

 その様子を見て、今度は綾子が呆れたようなため息をつく。

「では、先生の仮説通り、桃山さんに脅されて手を貸したとしましょう。その場合、私が鹿山君を呼び出しますよね?鍵は外からしかかけれない。しかし、二人を呼び出して鍵を掛ければ、授業に間に合うのは不可能です。動機はどうであろうと、物理的に不可能なことなんですよ。私が二人を閉じ込めるのは」

「……確かにそうだけど」

「それに、もし、私が犯人だったら、桃山さんは兎に角、鹿山君は呼び出した私の名前をあげるのでは?同じクラスで中学校、小学校も同じ。流石に地味な私でも姿形ぐらいは認識されているはずですよ。そうなれば、先生の言い分では鹿山君に私を庇う理由などない。直ぐに私の名前が上がるはずですよね。名前を知らなくても同じクラスだったなどの特定は出来るかと。それが出てこない時点で、その件では私は犯人ではないですし、犯行も無理です。仮に、私に面識があり、庇わなければならないぐらいの関係ならば二人を閉じ込める必要はないはずですよ。さて、付き合ってないにしろ、私と鹿山君の接点も多少なりともある事はお分かり頂けましたか?」

 先生は少し渋った後、漸く頷いてくれた。

「友達が出来ないのは、ご心配して下さってありかどうございます。その、私なりに何とか努力してみますけど、その、あまり人間関係に恵まれすぎてて、高校に上がってからどうしていいのかはあります。今後、その、頑張りたいです……」

「……いいえ。先生も決めつけて話していた部分はごめんなさいね。けど、鹿山君との関係はまだ、信じきれないわ」

「あー……。そこは、難しいですね。嘘はついてないですけど、物理的な証拠なんてないですし……」

 こればかりはどうしようもない。何度も言うが、宗介の介入は極力避けたい。

 無駄な争いは新たな百年戦争の火種だと先人たちも言っていたじゃないか。

 しかし、八方塞がりなのも間違いではない。

 宗介の証言以外で自分が彼と付き合っている証拠を見せるのは現状困難だ。

 携帯は元より、宗介に通ずるものなど何一つ持ち合わせているわけない。いつもだけど。隣に本人いるし。

 付き合ってる云々はもういい。せめてストーカー容疑は何とかして、ここで晴らさなければ自分の明るい明日はこないのは確実だ。

 綾子は頭の中で何か無いかと張り巡らせる。

 然し乍ら、そんな都合の良いものなんてないわけで。

 と言うよりも、綾子は自分からそれら全てを手放してきたのだ。それも、徹底的に。

 策士策に溺れるどころでは無い。もやはこれは溺死と言ってもいい。

 何か宗介との共通点を提示できれば……。

「本人に言えない時点で、貴女は鹿山君と付き合ってるとは言えないと先生は思うの」

 なんて無慈悲な現実なのだろうか。

 掴む藁すら用意されていないだなんて。

「……この件、三者面談で親御さんに報告をさせて貰おうと先生は……」

「あ」

 三者面談。

 綾子は自分の口を慌てて手で塞ぎ、天井を仰ぐ。

 これは、長くいすぎて宗介のアホ度が移ったかも……。

「先生、携帯って持ってます?三者面談の件でご相談が私にも有りまして……」

 いやはや、策士策に溺れてボートに乗り込む。

 藁なんて簡単に浮いてるわけ無いんだから、浮いてるボートに乗った方が簡単でしょ?

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