011 困っている事なんて

「昨日は、その、お見苦しい所をお見せしまして……」

 いつも通りの昼休み。多香ちゃんの目の前には私のお弁当箱と、今日だけ特別に小さな袋が横に置いてある。

「……中身は?」

「多香ちゃんが好きな、パン屋のメロンパンです……」

「何で?」

「……昨日の失態の詫びです」

「失態って?」

 段々と、気のせいか多香ちゃんの声が冷たくなって行く。

 ああ、矢張り怒ってるのか。

 それはそうだ。高校生にもなって、アレだけの大泣きを人前に晒した挙句にだ。

「多香ちゃんの制服を多分鼻水で汚してしまったことです……」

 昨日、あのまま、宗介に引っ付いて帰ったのだが、家に着いた頃には宗介の制服は凄いことになっていた。

 お陰で彼は今日1日、制服の上着がないわけで……。きっと多香ちゃんもと思い、汚いなようだけど、誠意を物で見せようと、朝早くから人気のパン屋に並ばせて頂いた。

 あれを失態とは言わずになんと言うのか。

「……それがあーやの失態?」

「……いや、色々したと思う。恥ずかしい所を、多香ちゃんや宗介以外にも見られたところとか」

 思い出しても見っともない姿ばかりを露呈したものである。

「……私にはいいわけ?」

「ん?……見たくなかった?私のカッコ悪ところは」

 いつも、かっこいい、かっこいいと褒めてくれる多香ちゃんである。そりゃ、あんな子供のような姿を見られたら少しばかり幻滅されるかもはしれないなと、思わなかったわけではない。

「でも、私はあれだけカッコ悪い所もあるし、これから長く親友をやってくなら、いつかは見られちゃう姿じゃない。でも、それが嫌なら……」

 その瞬間、黒い影が上から降ってくる。

「うわっ!」

 勿論、黒い影とは、多香ちゃんだ。どうやら、机の向こうから、私に飛びかかってきたらしい。がっちり首がホールドされていて、いつ締められてもおかしくない状態なんだけど。

「た、多香ちゃん?」

「許す!!」

「……は?」

 耳元での大声よりも、許すって……。

「もう、さっきの言葉で全部昨日は許す!!あーや、ありがとう!!!」

 何の礼かわからないけど、取り敢えず、機嫌は直ったと言うことでよろしいのだろうか?

 多分、いいんだろうな。

「こっちこそ、ありがとう。で、わかったからそんなに大声やめよ?そして、ちゃんと席についてご飯を食べましょう」

「はい!!!」

「嫌がらせかよ」

 私から離れた多香ちゃんは、表情もいつも通りに戻っていた。

 一体、さっきのはなんだったのだろうか。それよりも、耳がグワングワンする……。

「でも、変な話よね」

「何が?」

「昨日の事。何であんな場所に私達2人を閉じ込めたんだろ?見つからなきゃ、結構な大事件じゃない?」

「んー。後でこっそり鍵外してあげる予定だったとか?その事、先生に話した?」

 実は、今朝、その件で宗介と多香ちゃんは職員室に呼び出されているのだ。

「うん。けど、うちの担任悪戯じゃないかとか、手違いじゃないかとか、言うだけ。何の手違いだっつーの。あーやのところの担任は顔が青くなってくだけだし、役に立ちそうもない」

 昨日の動きを見れば、それはそうだろうと思いたくもなる。

 先生達は、明らかに多香ちゃんと宗介が勝手にいなくなったと思っている態度だったと鳴子君が言っていた。

「多香ちゃん、犯人の顔覚えてる?」

「目と鼻と口があったことぐらいしか覚えてない。男か女かすら微妙」

 宗介と全く同じ回答に、思わずため息が出そうになる。

 いや、犯人を探したいわけではない。しかし、また同じ事が続いたらと考えると、どうしても晴れた気持ちにはならないだろう。

「また次に多香ちゃん達に何かあったら、多分次は泣きわめくだけじゃ済まなくなりそう……」

「大丈夫。私も少し気をつけるし、もう、あーやを泣かせないよ?」

「本当に気を付けてよね?」

「信用ないなー!」

 うちの中学校で名を馳せた無鉄砲問題児が何を言うか。

「多香ちゃん自分の胸に手を当ててみて?」

「?」

 私がそう言うと、多香ちゃんは素直に従い自分の右胸に手を当てて目を見開く。

「心臓の音が聞こえる!」

「多香ちゃん。多分多香ちゃんの心臓は左にあると思うよ」

 すっと、多香ちゃんの手は左に移動し、多香ちゃんがまたも口を開く。

「こっちからも聞こえる!」

「良かったね。生きてる証だね」

 振り返らない生き様を見せ付けられた気分である。

「あっ、あーや。あーやは三者面談の日いつ?」

「……あ」

 多香ちゃんの問いかけに、すっかり忘れさられいた事を思い出して、口をあんぐり開けてしまう。

 ……そうだ、この前何か、言われてた……!!

「あ?」

「ヤバい。忘れてた……」

「うわー。珍しい事もあるもんだ。あーやママ来るの?」

 あーやママの事を考えると、思わず眉間に皺が寄ってしまう。

「んー。多分来ないと思う」

「じゃ、あーやパパ?」

「無理かなぁ」

「じゃあ、誰来るの?」

 うちの両親の仕事は医療関係で大いに多忙である。前から言えば有休とかを使ってはくれるが、あの二人は小学校時代から一度たりともそんなものに参加した事はない。

 いや、別にわざわざ少ない有休をもぎ取ってまで、そんな事に参加して欲しいとはまったくもって思わないわけだけど。

 なんせ、私の面談はこれとって話題もなく粛々と終わってしまうのが常だ。問題は起こさない方の私である。

 だから、私の保護者代表は毎年……。

「……例年通りなら、宗介のお母さん……」

「……あぁ」

 思い出したのか、多香ちゃんが遠くを見る。

 優秀な娘だからこその放任主義なのか、そもそも、そんなに私の事ではなすことがないと先生に言われるからなのか不明だが、毎年恒例、進路前の三者面談でさえ、宗介のお母さんに代理で来てもらったっているわけである。

 我ながらしっかりしてるのかなんなのか、親にも先生にも、中学校でさえ進路のことは事前に話を通していた為、何を話す事があるんだろうと言う状態であった。その後の宗介の面談は私も参加して揉めに揉めた事は言う必要もないだろう。

 本当に、宗介がここに入れたの奇跡だと今でも思っているぐらいだ。

「まあ、毎年話す事も特にないしね。成績も授業態度も文句ないし」

「自分で言っちゃうと所があーやっぽい」

「ぽいと言われても。本人だし、本当の事だし。今困ってる事も特にないしね」

 まったくもって。

 あるはずがないのだ。




「んー。困った」

「何々?綾さんお困りですか?」

 宗介の部屋で差し出されたマグカップを受け取りながら、私は首を縦に振る。

「宗介の三者面談いつ?」

「水曜日」

「あ、一緒だ。何時?」

「最後」

「私、十五時の半」

「時間空いちゃうなぁ」

「空いちゃうなぁ……、じゃなくて。お母さんもお父さんもこれ無さそうなんだよね」

 案の定、予想は大当たりである。

 宗介の携帯を借りてメールをしてみたものの、良い返事は帰ってこない。

 まあ、無理して入学式に有休もぎ取ってくれたのだから不満とか寂しさはまったくないけども。

「え?うちの母さんじゃないの?行くの」

 当たり前のように、宗介が首をかしげる。

「高校まで流石に、おばさんに迷惑かけるのもいかがなものなのかな?と思うけど」

 それに、小学校、中学校は状況を全て先生達が周りが把握済みだったのもあり、それが当たり前になっていが……。

 何処の世界に、隣の家のお母さんが三者面談受けに来るんだよと今ほど思ったことはない。

 10年間ぐらい来てもらってたけど。

「迷惑じゃないって。と言うか、綾ちゃんの順位見てこの前近所に自慢してたぐらいだし」

「……良く良く思えば、なんで未だにテストとかの順位やら成績表って、持って帰ってきて一番最初におばさんに見せるんだろ」

 小学校から染み込んでいる行動を振り返り、頭を抱えてしまう。

 前も言った通り、うちの親は共働きで、私はほぼほぼこの鹿山家に育てられて来ている。

 宗介のお母さんは本当に、私にとっては実母と変わらない存在なのだ。

 また、宗介のお母さんも我が子と隔てなく、私を実の子供の様に可愛がってくれるている。よく昔は宗介と兄妹だと間違えられるぐらいには。

「もう、習慣付いてるよね。俺のと並べて渡すの」

 確かに。

 何かと、二人笑えない程一緒だったわけなのだ。

「確かにやってたな。でもさ、高校に入って、私と宗介には距離が出来てるわけですよ」

「言い方!!言い方気を付けて!?その言い方、凄く刺さるから!」

「うっせ。はっきり言うと、仲良くないじゃん?」

「はっきり言う必要ある?仲良いし」

 そう言って、宗介が私の膝に頭を下ろす。

 話の流れを汲み取れない奴だな。

「宗介君の為に分かりやすく解説を入れてあげたと言うのに、お前ときたら。学校だけは、私と宗介は最早、二人で一組ではないじゃない。私と宗介のこの距離感をみんな知らない」

 勿論、多香ちゃんと鳴子君。そして、昨日あの現場にいた浦里さん若田さんは除いての話である。

「先生だって知らないわけでしょ?そこで、おばさんに私の面談頼んだら、先生が困惑しない?」

 冷静に考えれば混乱しかないわけで。

「じゃあ、学校でもいつも通りにすれば良くね?」

「いや、そこは普通にうちの親が面談にこれば良くね?」

「でも、ルリさんもおじさんも仕事だろ?」

「どっちかが開けてくれる日付に先生に変えて貰おうかなって思ってる」

「えー。ママ行く気満々なのにー?お洋服も新しいのなのにー!?」

 私の話が終わらないうちに、扉から明るい声が聞こえてくる。

 扉の方を見れば、宗介によく似た美人が。

 言うまでもなく、宗介のお母さんである。

 因みにだが、この家にプライバシーという概念はほぼほぼない。昔からである。

「母さんだって、行く気満々じゃん」

 ほら、とおばさんを指差すが、いや、うん。だからね?

「おばさんは宗介の面談張り切ってあげてよ」

「だって、そー君の面談、毎回怒られて謝まってだよ?あーちゃんの面談は褒められて笑顔になれるし、どちらかと言うと、あーちゃんの面談の方がママめっちゃ楽しみ」

 ……。

「綾ちゃんそういう目でこっち見ないで?」

「もっとおばさんを喜ばせてあげるように日頃の行動改めろよ。でも、今回は流石におばさんに頼むのはなぁ」

「ママ大丈夫なのに?」

「中学校から状態も変わってるし、流石に1回目で両親じゃないのは不味いんじゃないかな?」

 普通に考えても。

「未来の両親って事にしちゃえば大丈夫!」

「……」

 ……おばさんも結構ぶっ飛んでる人なんだよなぁ。

「あーちゃんはルリちゃんに来て欲しいの?」

 ルリちゃんとは、うちの母親の名前である。

「うん。出来れば、お母さんかお父さんに出てもらって、進路の話とか交えて一度に説明したい」

 既に両親は知っているが、両親も把握済みである事を教師陣に認識して欲しい。そうすれば、来年からの面談やらは、結果が伴えば大抵融通は聞いてくれるのだ。

「……進路早くない?」

 この親子は2人揃って何を言うのか。

「小学校から決まってるからね。三日間以外の日付に変えてもらえないか交渉してみようかなぁ」

「あーちゃんは学校とかで困ってることない?」

 何故、皆んなそれを聞くのだろうか。

「特にはないよ?」

「そっかー。じゃあ、面談急がなくてもいいなら日付ずらせるか聞いてみた方がいいかもね。無理なら、ママがいるからいつでも言ってね!ルリちゃんにもあーちゃん任されてるし!」

「ありがとー」

 私が礼を言えば、おばさんは手を振って下に降りていく。

 困ってる事かぁ。

 困ってる事があれば、お母さんやお父さんを呼びやすいんだけどなぁ。

 しかし、そんなに都合よく困っていることもないわけで。

 結構一人快適に高校生活送れちゃってるし。宗介が絡まなきゃ巻き込まれる事もないわけだし。

「綾ちゃん。ここで一つ提案なんですが、母さん待ってる間、暇だよな?」

「……多香ちゃんと待つから結構です」

「俺まだ何も言ってないですけど!?」

「言わなくてもいいよ。宗介は勉強してて?特に英語な?」

「綾ちゃんが一緒にしてくるれるなら考える!」

 あ、考えるだけなんだ。そっか。

「次テスト間際に泣きついても助けない」

「なんでそうなんの?」

「普段から努力しなよ。人間脳を使わないと、宗介みたいになっちゃうよ?」

「その宗介なんですが」

「……あぁ、手遅れだったか」

「最近その憐れむ目って流行りなの?なんなの?ステータス下げる効果でもあるの?」

「こっちがステータス下げられてる感しかないけどな」

 かれこれ十何年間、私の中で流行ってる事になるけどいいの?それ?

 それよりも、面談だ。日付の変更が無理と言う事になればどうするか。

「……まあ、いいか」

 お言葉に甘えて、変更無理ならおばさんに頼もうかな。うむ。悩む。

 そんな悩みなんて吹き飛ぶ程の悩み事が起きるだなんて、私はこの時考えもしなかったのである。




 場所は変わり、職員室。

 篠風綾子の担任である、相川歩美、二十六歳は机に向かい、文字通り頭を抱えていた。

「相川先生、大丈夫ですか?」

 隣の席の先生が声を掛けてくれるが、彼女は曖昧に笑い心配の礼を言う。

 ため息の先には、一人の生徒の書類が一枚。

 彼女はその書類を見て、またもため息を吐く。

 昨日、自分の生徒に起こった体育倉庫の閉じ込め事件。

 彼女は、犯人の予想がついていたのだ。それが、この書類に書かれている生徒。

 勿論、証拠は何処にも無い。

 だがしかし、書類の生徒にはそれをするだけの動機がある。

 あの生徒の周りをかきまわっている姿を、偶然、彼女はあの連休で見てしまった。

 気にして目で追っていれば、確かに目に余る程、あの生徒を視線で追っており、異様な執着を感じた。

 その人物はクラスでも浮いており、普通とは違う雰囲気を纏っているおと彼女は思う。

 まさか、自分の担任しているクラスで、こんな事になるとは……。

 どうにかして、早めになんとか手を打たねばならない。

 せめて、今度の面談で。

 そう思い、彼女は書類を机に戻す。



 その書類の、氏名の欄には、『篠風綾子』と書かれていた。

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