009 彼女は呟く、雨音の中

 篠風綾子は何処にでもいる普通の女子高生である。

 高校までは電車通学。成績は優秀で、常に上位。ただし、体育は飛び抜けて低く、運動神経を全て母親の腹の中に置いてきたと自分で言うぐらいだ。

 趣味はゲームと読書。意外にババ抜きが弱い。ポーカーフェイスの為、皆顔色を見ずに運で引く結果であると彼女は言う。

 性格は、極めて大人しく静かである。感情的に騒ぐ事も怒ることもなく、余り表に出さない。ただし、意見は誰にも引くことなく、物怖じもせずにはっきりと言うタイプである。

 髪はショート。襟足が少しばかり制服に届く。髪の色は高校生になっても染める事はなく黒一色。少しばかり毛先が跳ねているが、生まれつきだ。

 顔はお世辞にも美人でも可愛いとも言えない。何処にでもいる普通の顔だ。目立ったパーツはない為、地味な印象を受ける。目は少し悪く雨の日など特定の時にメガネを掛けている姿を見る。少々つり目で、黒目がやや小さい。友人からは猫みたいな目だと言われて多少気にしていた時期がある。

 声は他の女子に比べてやや低め。話し方も落ち着いた雰囲気である為、声だけを聞けば実年齢よりも幾分か大人びた印象を受ける。

 身長は155センチ。制服のスカートの丈は丁度膝ぐらいで校則通りの規定の丈だ。

 そんな彼女には異性の幼馴染がいる。

 赤ん坊の頃からの付き合いで、家は隣。

 彼の名前は鹿山宗介。

 篠風綾子とは真逆のタイプである。

 兎に角彼は騒がしい。

 じっとしている事を嫌い、常に人の中心にいる。人見知りもせず、面白いことが好きで、周りを巻き込み騒ぐ。やや、喧嘩っ早い所もあるが、基本的に根は良い。常に堂々としている。

 成績は体育含む技術系以外は悪く、勉強はあまり得意では無いらしい。

 外見もその性格通り派手である。高い身長にまるで芸能人の様な顔立ちがはっきりした綺麗な顔。彼女曰く、神様は外見に恵まれ過ぎて中身が駄目にしたんだなとの事。

 髪は色素が薄く染める事もなく見事な薄い茶色だ。

 彼には3歳の頃からベタ惚れの彼女がいる。

 彼女の事は何よりも大切で、何よりも彼の中で最優先事項になっているのだ。

 彼女に嫌われたくなく、様々な努力を彼はしている。彼女もその事をよく知っているからか、態度にはやや問題はあれど、彼とより良い関係を築く為に彼女もまた努力を怠らない。

 その彼女こそが篠風綾子である。

 彼等は幼い頃から真逆な性質でありながら常に一緒だ。

 なんだかんだで、対等。恋人であり、友人であり、家族である。

 信頼関係は何よりも厚い。

 相手の事を知っているからこそ、信頼しているからこそ、彼女は彼に何の心配もしていなかった。

 彼もきっと、口煩く言う事もあるが、彼女を信頼しているからこそ、彼女の言動を無理やりにも制限しようとした事は一度もない。

 常に隣を見ればお互いがいて、お互いがお互いの事を見ている。

 それが彼等にとっては普通なのだ。

 だからこそ、今は異常である。

 息を切らし、篠風綾子は顎から滴り落ちる汗を手の甲で拭いながら、彼女はそう思った。

「何処に、いるの……?」

 切れ切れに、彼女はポツリと呟く。

 外は雨。

 耳障りに雨が地面を打つ音が聞こえる。

 この棟の4階の教室は全て見てきた。

 それでも、お目当てのモノは見つからない。時間はそろそろ18時に差し掛かろうとしているのに、彼女は制服姿のまま、優等生は廊下を走る。

「宗介!多香ちゃん!何処にいるの!?」

 そう、声を張り上げながら。




「何か最近、やたらと桃山を見る」

「へー」

 宗介の部屋で二人でゲームをやっていると、宗介がポツリと呟いた。

 私と言えば、そんなどうでもいいことよりも、目の前のゲームのモンスターに対して持ってくる武器を間違えた事の方が頭がいっぱいだ。

 何で雷属性持ってきたんだろ。×マーク付いてたのに。

「俺はそろそろアイツに殺されるかもしれない」

「へー」

 あっそう。その一言迄も惜しいぐらい、真剣にモンスターの予備動作を見ている。手数の多さで勝負をする武器なくせに、弱点特化ではないとは、タイムアウトもあり得る話だ。一瞬の隙も見逃さず、連撃を打ち込まなければ。

「綾ちゃん聴いてるの?」

「聴いてるけど、今こっちの方が重要。宗介さっさと殻壊してよ」

「殻一段階破壊」

「ご苦労。二段階目でバースト解放する」

「綾ちゃん、早く転ばせてよ。超必叩き込むから」

「今やってる。雷属性で来たからまだ少し時間かかりそう」

「あいあい」

 はいぐらい普通に言えばいいのにと思いながら、モンスターの安置である右足に確実に攻撃を叩き込む。

 二人で必死に戦う事30分。いつもの倍以上かかったが、何とかモンスターに勝利した我々2人は手を叩き。額をくっ付ける。昔からテンションがあがるとハイタッチに続きこれをやる決まりが私たちの中にはある。

「属性間違えると本当ヤバい。気をつけよ」

「お疲れ。素材足りそう?」

「……いや、装甲が足りない。武器変えてくるから、貼っといて」

「んー」

 いつもと代わり映えしない会話である。課題も終わった私達はゲームに熱を上げているのだ。

「あ、そう言えば、多香ちゃんの話なんだったけ?」

「桃山が俺を遂に殺そうと企んでる話でしょ。この蟹よりも優先度が低い話」

 そう言いながら、宗介は頬を膨らませる。

 何それ。変な顔。

「あぁ、凄くどうでもいい話ね。武器変えてきた」

「どうでも良くなくない!?綾ちゃんの大好きな彼氏に身の危険が迫ってるんだよ!?」

「身の危険が物理過ぎて、普通の女子高生にはイマイチ危機感が湧かないから」

「綾ちゃんは俺が死んでも平気なの!?死んだら如何するの!?」

「……除霊?」

 悪霊になりそうだし。

「なんで!?ずっと一緒にいて綾ちゃんを守り抜くのに!?」

「悪霊過ぎだろ。怖いから死なないで。お坊さんと私に迷惑掛けないで?」

「そっちの心配!?」

「そっちの心配。大体、何で死ぬ前提て話が進むわけ?」

「気付いたら、すげぇ怖い顔した桃山が後ろに立ってるんだよ……。怖くない!?」

「多香ちゃんなら全然怖くないし、楽しくお話しする」

「綾ちゃんは俺以外と楽しくお話ししないで!」

「普通に嫌だよ。あと、その話多香ちゃんから聞いてるから、別に何とも思わない」

「え?俺の殺害計画?」

「だから何でそうなるの?」

 いくら多香ちゃんが宗介のことが嫌いでも、殺されないってば。

「何か、最近宗介の近くに多香ちゃんを行かせたがる人が多いらしいよ」

 今日、お昼休みに発狂しそうになっていた多香ちゃんを思い出しながら、宗介に告げる。

「……え。何それ。嫌がらせ過ぎだろ」

「今年も始まったんでしょ。宗介と多香ちゃんの有志の会が。はい、ミッションスタート」

 私は騒ぐ事もなく、ゲームを始める。

 属性よし。攻撃力よし。アイテムよし。

 次こそは装甲がドロップしますように。今の所、三連敗中である。

「……ゆうじって誰?」

 宗介は首を傾げる。……聞き取れなかったという事にしておこう。お互いのためにも。

「有志な。ほら、毎年恒例の。あるでしょ?宗介と多香ちゃんをカップルにしようと頑張る人たち」

「うわ。キモいな。装甲禿げたから綾ちゃん場所変わって。こっちで火力取って」

「はーい。あっちのダメ結構貯めたからそろそろ一段階割ると思う。それにしても、彼女いるのかわっても、分からなくても、変わらないもんだね」

「綾ちゃんは怒ってもいいと思うんだよね。彼氏に無理やり浮気させようとか思う奴らに対して」

「んー。宗介と多香ちゃんだからってものあるけど、それ程腹は立たないし。何よりも善意でやってるじゃん。怖くて関わりたくないのが本音」

「彼女がいるのに、違う女の子とくっつける善意があってたまるか」

「それはそうだけど。でも、宗介は多香ちゃんに心揺れないでしょ?例え何があっても」

「例え桃山が裸で一人組み立て体操やってても何も思わない」

「それは流石に色々と思って、悩み聞いてあげて?子供人質に取られたぐらいの大事だから」

 もっと心動いてもいい案件だから。それ。

「ま、宗介が浮気しようがしなかろうかどうでもいいってのもある」

「それは流石に酷くない!?」

「何?するの?」

「絶対しないけど!」

 何だそれ。

「だって、浮気したら普通に別れるし。それ程、その子の事を宗介が好きなら、私が好きでも付き合ってる意味ないでしょ?それは浮気じゃないし、私は宗介の事が好きだから、宗介が幸せなら別にどうでもいいよ。他の事なんて」

 勿論、自分を含めてだ。

 全くもって、そう思う。

「……別れたくないとか言わないわけ?」

「言わねぇなぁ。そんな無様な事をするなら切腹する」

「武士かよ。いや、綾ちゃんたまに武士っぽいところあるけども」

 ……武士っぽいところって。彼女に何を言うんだよ。こいつ。

「だって、別れたくないって言ってたら宗介困るわけでしょ?そんな顔見たくないし、させた自分が許せなくない?」

 本当に好きだからこそ、相手の事しか考えれない。自分なんてどうでもいいし、もしその負担になるぐらいなら潔く腹でも何でも切る勢いだ。

 だから、宗介が他の女の子をみようが浮気しようが私には関係がない。宗介が幸せだと思う方へ行けばいい。

 でも、宗介は他にはいかない。

「綾ちゃんの愛が思った以上に重くて、宗介感激なんだけど」

「その感激を攻撃に回せよ。バースト解放すんぞ」

「えっ!?ちょっと待って!?綾ちゃん早くない!?」

「綾ちゃんは早くないですね。宗介君が遅いんですね。部位破壊早くしてよ」

「ちょっと、マジで待ってて!」

「んー。仕方がねぇなぁ」

 だって、宗介を一番幸せにしてあげるのは私だと思うから。

「部位破壊全部終わった!」

「おっけ。最後ぶち込むわ」

 怒涛の速さでボタンを押し、無事モンスターを仕留め終わった。

「ナイス綾ちゃん」

「宗介もナイス」

 二人でハイタッチ。

「で、どう?装甲出た?俺三個出たんだけど」

「……出ない」

 なんでた。このモンスターが雌だからか。格差社会だ……。

「あー。もう一回やる?」

「いや、今日はもう帰るよ。宗介は早く寝なさい」

「まだ8時だけど。早くない?」

「宗介、少し風邪ひいてるでしょ?さっき手も顔も少し熱かったし、引き始めなら早く寝て治して」

「え?マジで?自分でもわかんないぐらいなんだけど」

「ほら。私のおデコ、少し気持ちいいでしょ?」

 そう言って、宗介の額に自分の額を当てる。

「……うん」

「早く寝よ。続きは明日やればいいし」

「……はーい」

 不服ながらもちゃんと返事はしてくれるようだ。

「ちゃんと暖かくして寝なよ。明日起きて辛かったら無理して学校来なくていいから。ノートとかなら取っておくし、何かあれば言って」

「大丈夫だよ。綾ちゃんは心配性だな。自分でも風邪かどうか分からないぐらいだし」

「それは宗介が馬鹿だから、風邪を引いたことにも気付かないだけだよ……」

「いきなり辛辣だな」

 だって、それが馬鹿は風邪を引かない理論の原理じゃないか。

「帰る時におばさんにも言っとくから」

「平気なのにー」

「そう言って高熱になって、倒れる迄気付かないでしょ。十何年間一緒にいると思ってんの?じゃあ、お休み」

「玄関まで送ってく。夜は危ないから」

「隣じゃん。どっちが心配性なんだか」

 まったく、お互い様である。




「今日もさ、ストーカーの近くに行かされてさ、アイツ私の近くでクシャミしたんだよ?信じられる?もう、頭からアルコールランプ被るレベルだし」

 パンを齧りながら、多香ちゃんは嫌そうに顔を歪める。

 アルコールランプは被らないほうがいいもと思うけども、手洗いうがいはした方がいいかな。

「……風邪、やっぱり治ってないのかー」

 今朝の宗介を思い出しながら弁当をつつく。少しだけ顔が赤かったし、午後にはクシャミも出てるわけでしょ?

「風邪なの?うわ。菌がついた。早く帰って制服脱ぎたい……」

「多香ちゃん、そんなにストレス溜めてるの可哀想。毎年恒例だけど、多香ちゃんと向こうのストレスが一気にあがるね」

「毎年恒例の地獄の日々だよね。ま、今回は私の方が幸せかな?」

「何で?」

「だって、あーやが私の近くにいて癒してくれるから!」

 そう言って、多香ちゃんが私の手を握る。

「いつもならストーカーがあーやから離れないけど、独占出来てるし」

「前から一緒にいるし。二人をくっつけようとする間、私、本当に居場所ないもんね」

 要は邪魔なわけである。

 その為、いろいろと私への妨害作業も活発であった。別に苦はないし、一人隔離されるだけだけど。今年はその点とても平和で、二人には悪いが私は快適に過ごしている。

「あーやの居場所は私の隣!」

「今は前に座ってるけどね?」

「ストーカーに嫌がらせされても、あーやが癒してくれるから苦じゃないよ」

「よしよし。可哀想な多香ちゃんにはあーやから春巻きを一個あげよう。うまく作れた奴だから苦くないよ」

「わーい!久々に美味しそうなオカズだ」

 多香ちゃんはとても素直である。

「でも、最初は多香ちゃんもそのストーカーの事、好きだったじゃん?あれだけお膳立てされたらまた好きにならないものなの?」

「え。無理」

 即答か。

「キモい」

「キモい人と付き合ってるんだけども」

「別れた方がいい。あいつにあーやは勿体無いよ」

「はっきりと言うね。普通逆しゃない?」

 私に宗介は勿体無いだろうに。

「何処が?あーやはさ、凄いじゃん。頭もいいし、性格いいし、努力家であり、それでいて謙虚」

「卑屈の間違いとか?」

「まさか。卑屈だったらストーカーと付き合ってないでしょ?」

「選択肢がなかったからかもよ?なんせ、三歳の頃からだし」

「卑屈なあーやなんで見たことないけどね」

 卑屈ねぇ。

 確かに、私なんかとはあまり思わないし、言わない。言ったところで状況は何一つ好転はしないし、人の評価は変わらない。

「それよりも、何で急に私とストーカーが付き合わないかって疑問出てくるの?もしかして、ヤキモチ?ストーカーにやきもちやいてるの?」

「大丈夫。多香ちゃんの親友として一番適してるのは私だと思ってるからね。妬かないかな?」

「勿論!私、あーやのそう言うところ大好き!」

「ありがとう。別に多香ちゃんとアイツが付き合えばいいのになんては思わないけど、周りにあれだけお膳立てされるのはどうなんだろ?と、思って」

 残念ながら自分はされた事がない為、よくわからない。

「普通に不愉快」

 だろうな。

「周りからよいしょされれば、何かかっこいいところとか見えてきたりしないのかな?とか」

「ない。もっと嫌いになる。マイナスは何してもマイナス。よくて、ゼロ。例えば、私を命を懸けてストーカーが助けたとする。それでようやく、プラマイゼロ。有難うは言えるけど、それ以上にはならない。それぐらい、マイナスの位置にいるわけ。ストーカーは。それに、顔よりも私はあーやみたいに内面がカッコいい人が好き」

 昨日は宗介から武士と言われるし、今日は多香ちゃんからカッコいいと言われるし。私の女子力とはなんだろうか。

「褒められても、もう綺麗な春巻きがない」

「春巻きの為に褒めてないから。でも、珍しいね。本当に。あーやがそんな事言いだすなんて」

「春巻き?」

「好きにならないのかって話ですよ」

「あぁ。だからなんとなくだってば」

 そう言いながら、私は黒い春巻きを掴む。

「あーや、テストの結果悪かったの?」

「んー?別に良くも悪くもなく、全体で三位。いつも通り」

 中学校の頃と何も変わらない。

「……そんな順位って、現実にあるんだ」

「鳴子君なんて1しかないでしょ」

「え?それ、成績表の話?」

「テストの順位だってば。多香ちゃんこそ、どうしたの?急に」

 テストの順位なんて、中学一年最初のテスト以外聞いてきた事なんてないのに。

「んー。最近、あーや何か悩んでるのかと思って」

 ……私が?

「何を?」

「それは多分あーやしか分かんないと思うけど?」

「確かに。でも、特に悩み事はないけど?二人とも赤点じゃなかったし」

「その件ではお世話になりました……」

「次回も期待してるんで」

「あい。じゃなくて、何か最近、あーや元気無さそうだから」

「え?私も風邪かな?」

 だとしたら、原因は宗介である。

「違うとも思う。ま、私の思い違いなら別にいいけど」

「心配してくれたってこと?」

「勿論。唯一無二の親友だからね」

「ははは。多香ちゃんが難しい四文字熟語を使ってる」

「もー!それぐらい小学生でも知ってるし!」

 先日、数字に見覚えがないと騒いでいた人間が言うセリフではない。

 しかし……。

「心配してくれて、ありがとう。けど、別に悩みもなくて元気だよ」

 そう、私は笑った。

 多香ちゃんにばれているというのならば、きっと宗介にはとうの昔にバレている事だろう。

 2人に要らない心配を掛けてしまった事は心苦しいが、話すつもりは毛頭ない。

 どうせ、どうにもならない事だ。口に出したところで事態は好転なてしてくれない。また2人に無駄な心配を悪戯に増やしだけで終わってしまう。

「……うん。あーやが元気なら他はどうでもいいやー」

「いや、午後の授業はどうでも良くないから」

「それは、テスト前の話です」

 どうやら次のテスト前も騒がしくなりそうである。

「午後から眠くなりそうな授業ばっかりとか、嫌がらせだよね」

「うち、世界史」

「あーやのクラスもぐっすり寝れそう」「いや、寝ないから」

 普通は寝ないから。




 しかしながら、午後の授業は眠いのはよく分かる。

 お弁当で程よく満たされた満腹感が眠気を誘うのは万人共通。

 クラスに戻り、次の授業の用意をしていたら宗介も欠伸をしながら席を立つ。

「鹿山どこ行くの?」

「次の授業の教材取りに行く」

「あー、今日鹿山の出席番号の日か」

「面倒い」

 気持ちは嫌な程よく分かる。あの制度どうにかして欲しいよね。

 私も眠いし。

 昨日は結局、宗介に寝ておけと言っておきながら、自分の部屋に戻って夜遅くまで本を読んでいた。

 宗介とのゲームも楽しいが、矢張り一人で本を読みふける時間もまた楽しく、時間を気にせずに没頭してしまったのだ。

 鳴子君のオススメはハズレがないから、余計に。

 教科書片手にウトウトと舟を漕ぎながら、今日は何処まで本を読み進めようかとぼんやり考える。

 腹が満たされた後は睡眠欲と読書欲。勿論、ゲームもしたい。

 先程見た限りでは、宗介の頬が少しばかり赤かった。多分、今日ぐらいゲームはお休みした方がいいだろう。

 基本、風邪など引かない、引いても気付かない宗介はよく食べよく寝れば大抵は回復するのである。

 流石に骨折はそうもいかなかったけど。

 だから昨日も寝れば治ると思ったんだけど、ダメだったか。

 そう思っていれば、先生が入ってくる。


 しかし、宗介の席は空いたまま。


 結局、授業が終わるまで宗介が教室に戻ってくることはなかった。

 どうしたんだろ?体調が悪くて保健室でもいったのだろうか?

 しかし、次の授業も、宗介の姿を見ることはできなかった。

 流石に心配になってきた私は、最後の授業が始まる前に保健室を覗きに席を立つ。どれぐらい体調が悪いんだろうか?

 おばさんに連絡取って迎えに来てもらうとかした方がいいのかな。

 あ、でもおばさんより京ちゃんの方がいいな。

 そんな事を考えながら保健室の扉をノックし、中に入る。

「はい、どうかしたの?」

 中に入れば、髪の長い、優しそうな女の先生が私に声を掛けてくれる。

「あの、鹿山宗介の様子を見に来ました。迎えとかいりそうなら、連絡を……」

「え?今日、保健室の利用者は誰も居ないけど?」

「え?」

 先生の言った通り、三つ並んだベッドには誰もいなかった。

 授業が始まる前になんとか席に着くが、宗介が戻ってきた様子も戻ってくる様子もない。初めて、古文の授業が何一つ頭に入って来なかった。

「鹿山どこいったんだろ?」

「サボりっしょ」

「眠いとか怠いとか言ってたし」

 宗介の友達はそう言いながら、帰り支度を始めている。

 宗介は見た目はチャラい方だと思うが、少なくとも授業をサボる奴ではない。少なくとも、人生の9割以上を一緒に過ごしている私が言うのだ。間違いはない。

 それに、教室には鞄が置いてある。電車の定期は鞄に付いており、持ち出した形跡はなし。

 つまり、宗介は学校の中から出ていないという事。

 しかし、さぼりでもない、保健室にもいないとなると、何処へ?

 何処かで倒れてるとか?

 世界史の教材を取りに行った途中で?

 あまり現実的ではない。社会科準備室は職員室の近くにある。その為人通りは多く途中で倒れていたら誰かが気付くだろう。

 では、何処へ?

 この時、私はまだ能天気に宗介行方不明事件と銘打って、本の中の探偵気取りに現状証拠で推理ゲームをしていた。

 定期は鞄で教室。財布と携帯はどうだろう?この後公衆電話で電話でもかけてみようかな。

 その時、肩を強く叩かれた。

「篠風さんっ」

「え?」

 振り向けば、多香ちゃんのクラスの友達2人と鳴子君が立っていた。

「如何したの?」

 3人の頬が仄かに赤い。

「ねぇ、桃山さん知らない!?」

「多香ちゃん?知らないけど、何かあったの?」

 何だか、胸騒ぎがした。

 本当に、私は愚かでしかなかった。

「桃山さんが、居なくなっちゃったの!」

「……多香ちゃんが?」

「篠風さん知らない?昼休み明けから、クラスにいなくてさ。鞄もそのままだし、保健室にも……」

 鳴子君の言葉が終わらないうちに、私はガタリと大きな音を立てて宗介の机の中を見る。

 皆、呆気に取られて私を見ているが、今はそれどころじゃない。

「篠風さん?」

「……財布と携帯がある……」

 宗介の机の中には、財布と携帯がそのまま置いてあった。

「……篠風さん、そこ、鹿山の席だよね?」

 鳴子君の言葉にコクリと頷く。

「昼休み明けから、居ないの……」

 血の気が引くのが自分でもわかる。

「鹿山も!?」

 また、コクリと頷く。

「え、それって二人で授業抜け出したってこと!?」

 周りからの悲鳴やら雑音やらが頭に鳴り響く。やっぱり、あの二人は付き合ってたんだ!ショック!でも、お似合いだよね!?

「篠風さんっ!」

 ぐっと、肩を引っ張られ私ははっと顔を上げる。

「……鳴子君」

「大丈夫?顔色悪いよ?」

「……2人を、探さなきゃ……」

「え?」

 私の事なんて、どうでも良い。

「とういう事?」

 多香ちゃんの友達が怪訝そうに私を見る。

 私には一つだけ、心当たりがあるのだ。

 毎年恒例と茶化すほど、2人をくっ付けたい輩は定期的に沸く。

 毎年毎年、それも飽きずに。

 宗介の彼女で、多香ちゃんの親友の私は、彼らにとっては邪魔モノで、2人の最大障害であると常々思われてきた。

 2人の恋路を邪魔する悪い奴でも言うべきか。私は彼らにとっては敵そのものであった。

 だから、去年までら憎しみやら攻撃のベクトルは主に私に向いていた。私を攻撃し倒す事は、彼らは宗介と多香ちゃんが付き合う上で必要であると、彼は信じて疑わなかった。

 人間、分かりやすい方に飛びつくのは当たり前である。彼らにとって、お互いを毛嫌いしている宗介と多香ちゃんを理解するよりも、目の前に分かりやすくいる障害物を敵そのものだと仮定した方が分かりやすく、行動も具体的になる。

 だから、私は彼らに散々攻撃をされ、嫌がらせを受け、毛嫌いされた。閉じ込められて水を被せられようが、階段から突き落とされそうになろうが、どれだけ行動がエスカレートして行っても、別に構わなかった。2人に攻撃が行くよりはマシだと思ってたからこそ、気に留めずに甘んじて受けていた。

 しかし、今年から私と言うサンドバッグがいない今、あの二人に全てのベクトルは向いてしまう。

 もし、私がやられた事を宗介と多香ちゃんがされていると考えたら。

 ゾクリと背筋が凍りつく。

 今、宗介の体調は万全ではない。

 多香ちゃんだって、女の子だ。もし、私がやられた事を……。

「……多分、2人は学校から出てない。財布、携帯、定期はここにある。二人が揃いも揃って仲良く鞄を置いて帰宅したとは考えにくい」

 2人の仲の悪さを知る3人は、顔を見合わせる。

「……2人とも、最近嫌に周りに接近させられると悩んでた。多分それ、2人を付き合わせたい人たちが善意でやってる事なの。今回も、その一貫だと思う」

「え!?何それ!」

「何で!?」

 多香ちゃんの友達が驚いた声を上げるが、鳴子君は慣れたもので頷くだけ。

「多香ちゃんとそ、鹿山君、美男美女でお似合いだから。ほら、よくいるじゃん。彼氏欲しいって言ってた女友達と、彼女欲しいって言ってた男友達をお互い恋人欲しいんだしって理由で、特にお互いに興味がないのに善意で無理やりくっつける人。それの団体バージョンでね、絶対にお互いがお互いを意識して好きになるって思って、くっ付けてあげようとするんだよ。そう言う有志が定期的に沸くんだ。あの二人に対して」

 漫画みたいなことを、考えるのだ。人は。

 美男美女が惹かれあって、愛を育むべきだと。それが出来ないのは邪魔な地味女のせい。本当は愛し合ってるのに、地味女のせいで付き合えない2人が可哀想。

 そう、面と向かって言われた事がある。

 その時、私は始めて人は話が通じない人間と戦う術は物理的な攻撃か、全面降伏しかないのだと理解した。物理で勝つ以外、全て負けるのだ。

 最初から関わらない。それしか平和の道はない。

「うわっ。気持ち悪……っ」

「それ、桃山さん、今結構ヤバいんじゃない!?」

 私は彼女たちの言葉に頷いた。

 ヤバいに決まってる。勝手に人の恋路を決めつけ盛り上がり押し付けるのだ。マトモなわけがない。

「まだ、校内にいる可能性が高いなら皆んなで手分けして探そう」

 そう言って、鳴子君が私の手を引く。

「浦里さんと、若田さんは先生達に言ってきてくれる?僕と篠風さんは校舎の上から順に探すから」

「わかった!」

「何かあったら連絡ちょうだいね!」

 そう言って、二人は足早に教室から出て行った。

「篠風さん、行こう」

 鳴子君が私の手を引いて教室から出る。

「心当たりある?」

「ない。でも、保健室はいなかった。宗介は世界史の教材取りに出て行ったまま戻ってこなかった」

「社会科準備室は見に行った?」

「行ってない」

「今から社会科準備室に向かおう」

「……わかった。だけど、ここは二手に分かれたほうがいいと思う。社会科準備室にいる可能性は低いと思うの。うちのクラス以外にも、教材を取りに行く人達はいると思う。そこに2人が閉じ込められていたら、大抵の人は気付くでしょ?」

「……そうだけど、篠風さん大丈夫?」

 鳴子君が困った顔で私を見る。

「……私、何か変?」

 今日の昼の多香ちゃんと同じ顔をしている彼に問いかける。

「何かあったの?」

「……何もないよ。ただ、2人が居なくなって混乱してるだけ。大丈夫」

 大丈夫。

 それはまるで自分に言い聞かせる様に私はゆっくりと言葉を吐き出す。

 本当は、大丈夫なわけがない。

 訳のわからない思考や感情がぐるぐると渦を巻く。雨音すら聞こえないほど、心臓の音が耳の奥で響くのだ。

「……わかった。じゃあ、こっちで社会科準備室を見てくる」

「うん。私はさっき鳴子君が言った通り、校舎の上から見てくる」

「うん。あのさ、篠風さん」

「何?」

「あの2人は大丈夫だと思うよ。逆に、今、君のことを心配してそう。あの2人は君を中心に世界が回ってるからね」

 きっと、鳴子君は私を元気付けようと、気を使ってくれているのだとわかる。

 なんとも情けない。

 自分で自分が腹立たしい。

「何それ。嬉しくないな」

 今の私の精一杯の強がりを見せ、鳴子君に背を向ける。

 宗介が誰を好きになろうがどうでも良い。宗介が誰と付き合おうが関係ない。

 それは、宗介が決める事なのだ。

 だけど、何でこんなにも心臓が痛いんだろう。

 どれ程近くにいたと思っているのだ。

 近くにいないだけで、見えないだけで、こんなにも気が狂いそうになるなんて。

 こんなの、知らない。わからない。




「今何時かすらわからないとか、意味わかんない。暗いし、湿気多いし、菌がいるし最悪」

 桃山多香子は薄暗い部屋の中で、まるで苦虫を噛み潰した様な顰めた顔で口を開ける。

 まるで独り言のような彼女の言葉に返事を返すモノはない。

「あーや今頃何してるかな。今日部活が折角ないから、一緒に帰る約束したのに。ずっと昇降口で待ってたらどうしよう」

 自分の置かれた状況をわかっているのか、いないのか。

 いつもの口調で彼女は声をあげる。

「あー。本当に、最悪。閉じ込められるならあーやとが良かった」

 そう言って、彼女は壁にもたれて座ったまま、動かないままの人影を見る。

「……死体は腐るし、菌が沸くし、本当に最悪だわ」

 美しい彼女は、顔を歪めて、そう呟いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る