第2話 回想

 いつの間にか、眠ってしまっていた。

 社殿では神様と対峙して、自分でもよくわかっていない、今まで起きた事の説明を求められた。

 宮司が曾祖母の亡くなった頃から時系列でお願いしますと言ったので、曾祖母の澪が亡くなった春からの出来事を、かいつまんで話した。

 澪は唐突に、何の前触れもなく、眠ったまま逝った。前の日は元気だった。いつものように散歩したり、家族の為に食事を作ったり、普段と何も変わらなかった。

 おばあちゃんっ子の水希は澪を喪い、とても悲しんだ。だか、高齢な事もあって、周囲のものはそれほど驚いていなかった事を覚えている。

 更には、両親の事故死。

 原因は、未だにわかっていない。

 そうこうしている内に、世間は夏休みに入ったが、色々な不幸が重なった水希は、気づいたら一学期分の出席授業時間が足りなくなっていた。

 担任が申し訳なさそうに

「夏休みの始め一週間補習な」

 と、期末テストで赤点だった憐れな仲間と共に水希は補習を受ける事になった。

 補習を受ける事に、水希はむしろほっとしていた。

その頃には叔父が、少しおかしくなっていたからだ。

 家にいるのが嫌だった。

 そうして、補習最終日を迎え、友達と時間を潰し、家に帰った。

 叔父は仕事でいなかった。

 正直、いなくて良かったと思ってしまった。

 いつものように夕食の支度をし、叔父の分はラップしてテーブルに残し、自分の分は部屋に持ち込んだ。出来る限り顔を会わせないようにしようとした。

 だから叔父が帰ってきたとき、ソレが気に入らなくて怒っているのかと思った。

 いつもなら一緒に食事を摂るのに、あからさまに避けるように部屋に籠っているのだから。

「水希」

 と呼ぶその声からして怒気を孕んでいた。鍵のかかった部屋のドアをガンガン叩く。

 だんだんと声が大きくなり、言葉もなにを言っているのかわからない喚き声にかわり、耳を塞いでも意味が無いほどだった。

「やめて!!!いい加減にしてっ!!!」

 怒鳴り返しても、男には通じなかった。むしろ

「…そこにいるんだな…」

 ドアを蹴破る方向に行ったらしかった。

 今までのものとは比べ物がない勢いで、ドアが叩かれる。いや、体当たりをしているような衝撃だった。ドアの接続部、蝶番がミシミシ剥がされ、

「うそぉ……!」

 ドアが内側に倒された。

 その向こう側に、息を荒くした男が立っていた。

「…はぁ…はぁ…み、ずき…はぁ…」

 ぞわぞわぞわっと鳥肌がたった‼

 あまりの事に体は硬直して動かなかった。

 手が伸ばされ、部屋に男の脚が踏み入れられる。

 はっと我に返った時には、男は間近に迫っていた。

「な、なにをっ、するの?」

 上擦った声で牽制する。近くにあった枕を盾のように構えた。

 ブルブルと体が震える。こんなに叔父を恐いと思ったことは無い。

 男の体がゆっくりと覆い被さる。

「…せ、ろ…」

「ちょ、冗談でしょ? ふ、ふ、ふざけるのもっ、いい加減やめようよ!」

 枕を自分と男の間に挟んで、なんとか正常を保とうとする。これは悪ふざけで、何でもない事にしたかった。

「…すわ…せろ…」

 男から黒いモヤが漂う。

「…チカラ、ホシイ…」

「な、なにを言ってるの…?」

 力一杯押し返しているが、所詮中学生。大人の男の力に敵う筈がない。枕が大きいお陰で何とか触れさせないように出来ていたが、それも時間の問題だとわかっていた。

「チカラだ…イキを、よこせ…」

 ぐいっと顔の前の枕がずらされる。

 目に飛び込んできた、血走った眼差しの男が顔を寄せてくる。

 狙われているのが唇だと理解した瞬間、嫌悪と恐怖で頭の中のなにかがぶちギレた。

 両手、両足で、力一杯男をはね飛ばした。後から思えば、火事場のなんとやらだったのだろう。

 男にとっても反撃は予想外だった。それまで水希は歯向かうことなどなかったのだから。

 たたらを踏み、床に転げた男は呆けたように座り込んだ。その隙に、水希は家を飛び出した。


「イキと言ったのですね」

 そう、確認したのは宮司だ。

「はい」

 鏡の前の神が

生気いきか…」

 と呟いた。

「澪さんの曾孫さんだけあって巫女体質なんでしょうね」

(なにそれ?)

 と思い、鏡の前に座る神から宮司に視線を移した。

 目が合った。糸目がキラッと光った気がした。

 その途端、急に凄まじい眠気に襲われた。意識が強制的に奪われる。くったりと、座っていた床に体が倒れる。

「…お前な…」

 呆れたような神の呟きが耳に残ったが、そこから先の記憶は水希にない。

「少し寝かさないと体が壊れてしまいますからね。それでなくても思い出したくないことを思い出させてしまいましたし」

 残酷な真似をしてしまいましたから、と嘯く宮司に、可愛らしい声が重なる。

「ヌシ様はお優しいのです」

 ニコニコ笑顔のコンだ。

「…優しさか?」

 神の小さな突っ込みは二人に届かなかった。


 気がつくと、サーっと水の音が聞こえた。

 敷き布団に横たえられた水希には、タオルケットが掛けられていて、側には水差しの乗ったお盆が置かれていた。

 眠ったせいか、幾分体がすっきりとしていた。

 むくりと体を起こすと、窓に目を向ける。それほど大きくない部屋だ。畳敷の和室。隅に小さめの箪笥と文机が置いてある。

(…雨の音だ)

 優しい水音と湿った土の臭い。

 そっと文机の前の窓に近づくと外を眺めた。

 外は薄暗くなっていた。

 空には星が瞬いている。

「…雨、降ってるのに、晴れてる?」

(狐の嫁入りってやつ?)

「キレイ…」

 星のキラキラと、雨粒のキラキラ。

 濡れた梢も光を弾いてる。

 もっと近くで見てみたくなって、外に出ることにした。

 襖を開けるとそこは一般的な居間だった。テレビや、ちゃぶ台のような丸テーブルが置いてある。テレビでよく見る、田舎のおばあちゃんちのような部屋だ。

 さっきお風呂を借りた時にも通っていたので、誰も居なかったが困ることはなかった。

 玄関に行くより、神社との渡り廊下に出る事にした。そちらの方が、誰かしらに会える可能性が高いからだ。

 渡り廊下は社殿の裏と繋がっている。本殿に向かう縁の途中で、水希は立ち止まった。

 神様がいた。

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