第3話 神を祀る
水希たちの家がある山とは湖を挟んで反対側に、地元民も忘れかけた、小さな神社があった。
由緒と歴史がとてもある、だが言い換えれば古くさいだけの神社だが、一応神主が駐在していた。
二十代半ばは過ぎているだろうか、細目が特徴で、長い髪を一つに括っているのがその神社の宮司だった。
彼は朝早く、日課の掃き掃除をしながら、
(今日も暑くなりそうですねー)
と呑気にまったり、竹ぼうきを右に左にと動かした。やる気のある感じではあまりない。
どうせ誰も来ないし。
暑いし。
ちょっと不貞腐れ気味なのもこの暑さのせいか。
暑いのは得意じゃない。それでも務めとあらば仕方がない。
掃き掃除を終えて、今度は敷地内にある小さな池へ足をむけた。池の奥にちょこんとお社が建立されているが、ここ何年も開けられたことはない。
池には鯉が泳いでいる。
世間は猛暑と日照り続きで、水不足が嘆かれているが、この池にはなみなみと水が張られていた。それもそのはず、目の前の湖から引き上げられているのだから。湖自体も水嵩が増減しているようには見えない。
「ちょっと失礼しますよ」
そう彼が言うと、鯉がすうっと奥に逃げた。こちらの言葉を理解したかのような反応だった。
持ってきた柄杓で手桶に水をくむ。その水を植え込みに撒き、さらに打ち水をし、パンパンと柏手を打つ。
水と音で大地と辺りの空気が浄められる。
神社という神域を、清浄に保つのも神職の務めだ。
水を撒いたおかげか、少し気温が下がったように感じられた。
ふうっと吐息をついた。
猛暑のせいか、近頃辺りがキナ臭く感じられる。大気に濁りが混じっているような息苦しさ。暑さも毎日更新され続け、猛暑日が何日目かがニュースの目玉になっている。
このままでは、日々の生活に支障が出るのも遅くはないだろう。何処かの県では断水しているため給水車がでたとか。
(まあ、この辺りは水不足の心配はいりませんが)
ちらりと目線を湖に向ける。
地元のだれもが忘れてしまっても、彼は忘れることはない。
この神社に奉られている神は、水神だった。
その昔、湖が枯れかけるほどの干魃が村を襲ったことがあった。
時の権力者の命で、村から生娘を生け贄に捧げ、雨乞いの儀式が行われたことが史実に残っている。
娘を哀れに思われた神は、雨を降らし、命を取らずに村に帰し、二度とこのような事が無いように、湖を守る約束をしたとされている。
だからこの湖は枯れることがないと。
事実はどうあれ、その大干魃以来、周辺の村が水に困ったことはないようだ。
干魃もなければ、洪水の被害もない。
ただ常に、穏やかに水を湛えている。
深く感謝した村人は、その神のために神社を建立した。
今では忘れ去られているようだか。
(何百年も経てば、そんなもんですよねー)
長く生きれて百年余りの人間に、忘却を責めるのは意味のないことだろう。
困った事態が起きれば思い出すかもしれないが。
(ほぼ毎日お参りしていた
澪さんはよくおかずの差し入れまでしてくれた。
他には時々、村の歴史を調べに物好きがくるくらいで、静かなものだ。
かといって、このまま誰も来なくなるのは寂しい気もする。最近流行りの御朱印でも始めようかな、なんて思わなくもない。
そうは言っても、あんまり賑やかなのもどうなのか…。経営の上では、参拝客が多いのは喜ばしい事なのだか。
物思いに耽っていると、ポチャンと水の跳ねる音が思考を妨げた。
池の方からだと察して、急いで向かう。
予感があった。
鯉が再びポチャンと跳ねた。
小さな社がぼんやりと光っている。
(…おやおや…)
その場に膝をつき、社の様子を伺う。
光はどんどん強くなり、閉ざされていた扉が開いた。
観音開きに開かれたその中は、さらに強い光を放った。
目をやく刺激に耐えられず、宮司は頭を垂れた。
平伏の形で迎える。
自分が長らく待ち続けた相手が、そこには現れる予定だった。
光が収縮していくのを感じて少し顔をあげた。
今まで無かったか物が目に入る。
ゆったりとした袴の裾と、今では見ることのない
「久しいな」
覚えていたよりも高めの声に驚き、顔をあげた。
「……随分お可愛らしいお姿ですねぇ」
そこに居たのは十を越えるか越えないかくらいの童子。古代の装束を身に纏い、悠然と立っている。背後にもう少し年嵩の少女を伴っていた。
少女は状況がよく分かっていないらしく、周囲をキョロキョロと伺っている。
「久方ぶりの顕現にガールフレンドを伴うとは、流石は我が
何年ぶりどころか、何百年ぶりの顕現に、皮肉が混ざるのは否めない。宮司にしてみると、何度も何度も何度も何度も、呼び掛けたのに答えて貰えなかった恨みがある。
宮司の影がふわりと蠢いた。獣の尾のような動きだった。
察するものがあったのだろう。神という上位の立場で在りながら彼は素直に謝った。
「お前に、ここを任せきりにして、すまなかった」
どれ程の時が経っているのか、正確なものは図りかねたが、それが決して短いものだとは流石に思えなかった。例えそれが、時の流れを無視した存在だとしても。
「お気遣いなく。私が勝手にしたことです」
そう、恨むのは筋違いだと、分かっていた。彼は神に命じられてここに残った訳じゃない。
むしろ、自由を貰ったのだ。自分の自由意思によって、彼を待ち続けたのだ。
結果として、神は彼を思い出し、戻って来てくれた、それだけで十分だった。
「で、私でお役に立てることがありますか? 我が主様」
我が主、とまた呼べることがこんなにも喜ばしい。もう二度と、地上に現れることがない可能性もあったのだ。そう思うと、主が後ろに連れた少女に感謝の念すら浮かぶ。神を動かしたのは間違いなく彼女の力だ。
「ああ」
すっと己の背後にを見やり、
「この娘の力になってやって欲しい」
急に話を振られた少女が慌てて頭を下げる。
なにがなんだかわからないが、地上に出たことは確かなようだ。
足元は玉砂利。頭上は青空。激しい蝉時雨。先程まで、間違いなく洞窟らしき空洞にいたのに。
(さすが神様…とでも思っとこう!)
現代っ子は開き直りが早い。
いちいち驚くのもバカらしくなってきた。相手は神様なのだから、何が起きても不思議はない。というか神様事態が不思議な物体だ。
目の前には
神社で見かけられるその服は、神職者特有の装束だ。袴の色で位がわかるが、あまり一般にしられていない。
(神主さん、だよね)
コスプレとかじゃない限りは。
「あの、よろしくお願いします」
水希は小さく頭を下げた。
(この子は澪さんの…)
よくお参りに来てくれていた老婆の面影が、少女にはあった。
「あなたは水希さんですね。澪さんのお孫さんの」
宮司の言葉に水希は目を見張った。
「曾孫なんだけど、おばあちゃんを知ってるの?」
おばあちゃんを知っている人に、まさかこのタイミングで会えるなんて。
水希は嬉しくなった。
そういえば、おばあちゃんはよく神社に出掛けて行っていた。小さい頃は、一緒に来たこともあるはずだ。
「よくお参りに見えてましたよ。あなたの事もよくお話ししてくれました。最近、お見かけしないと思っていたんですが?」
「…春に、亡くなったの…」
「…そうだったんですか…。お元気な方だったのに」
宮司は手を合わせ、弔意を示した。今は、お墓参りに行くこともできない。それが出来るのは全てが上手く片付いたら。
(それならそれで、会いに来てくれそうなものなのに、随分つれないですね)
魂だけになったって、宮司には見ることが出来る。話すことも。人外なのは何も神に限ったことではない。澪はそれを心得ていた数少ない人物だった。
「積もる話は沢山ありますが、まずはその穢れを落として頂きましょうか」
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