第4話

 彼女はふつふつと湧き上がる怒りを地面を踏みしめることにぶつけていた。

 流れるような金の髪に、大きな碧色の瞳。そして危険な動物や魔物の蔓延するこの森を通る街道を、独りで歩いているのが不思議なくらい、身にまとう服飾系が繊細で美しい。その体躯は、どう見ても華奢でか弱そうだった。

 そしてそのように乱暴な足音を立ててこんな鬱蒼とした森を歩いていたら、魔物や野獣が現れかねない──と、右手の茂みから前触れもなくその瞬間だけバサァッというような葉音を立ててが襲い掛かろうとした

 彼女が鬱陶しがるように咆哮ほうこう(!?)しながら右手を振り払うと、バチィッというかなり大きな音をたてながら、眩しささえ覚えるほどの放電光が爆発した。そのが何であったかも分からないうちに、一瞬で灰と虹色のもやになって、どちらもゆっくりと空中に拡散していく。

 それはストレス発散か八つ当たりか。何か出てこようものならこうしてすべて、なにごとか乱暴に叫ぶ言葉を詠唱に、彼女によって灰ともやに変えられていった。

「……許さない……許さない……」

 その呟きは無意識にこぼれているようだった。

 森の中だというのにこの街道は結構広く、往来の活発さを物語っているのだが、今は人っ子一人見当たらない。その怨嗟えんさの声は誰に聞かれることも無かった。

 どすどすと地面に八つ当たりをしながら進んでいた彼女だったが、ふとかなり先の方に人の気配が在るのを察知してそれをやめる。一転して気配を消しながら先へ進んだ。こちらが気配を捉えられたのだから、あれだけ足音激しく歩いていたのだ。向こうも気付いている可能性はある。だが一応、というやつである。

「……だか……ない……」

 しばらく進むと人間種族の言語らしきものが聞こえてきた。さらに、彼女はその声に聞き覚えがあった。

「向かって来るのなら刈り取ってあげるよ。僕らは釣り餌だからね」

 しばらく進むと、その声がとても楽しそうにそう言っているのが聞こえた。サイドの茂みに身をひそめて様子を覗う。

 そこに居たのは彼女が見知ったエルフ種族の兄妹と、見知らぬ男性が一人。

「兄ぃに、こいつくさいよ!」

「どういうことかなシスター?」

 このように呼び合っているため二人の名は未だに分からない。

「こいつきっとどこかでエルフを食べたんだ!」

「なんだって……じゃぁ、ますます殺し甲斐があるね!」

 語尾を言い終わるか終わらないかで彼は魔法波を放った。だがそこにいた男性は少し動いただけでそれをかわす。

 人間と違ってエルフは呪文詠唱を必要としないらしい。エルフ種族は、おとぎ話のみに出てくるというのが一般認識であるくらいに、存在すら疑われているような種族だ。その特性など知る者は少ないはずなのだが、どうやら初顔合わせらしいにも拘らず彼は詠唱無しのそれをかわしたのだ。……本当にエルフを食べたことでもあるのだろうか?

「ひでぇこと言いやがる。……まぁ、救えなかったのは事実だがな」

 そう静かに言った男性の声は地の底から響くように恐ろしかった。

 後ろからでは、明るい緑色のざんばらな髪が目を引くのみだった。それは風の精霊の祝福を受けた証。しかも髪全体とくればかなり強力なものだ。

「お前らは、あっち側のエルフ、ってことでいいんだな?」

「ああん?」

 男性の言葉にエルフ兄は怪訝そうな顔をした。

「何言ってるの? エルフにあっちもこっちもないよぉ。居るのは全っ部、人間に迫害されてかわいそうな子猫ちゃんたちだけ!」

 エルフ妹がぺらぺらと喋る。迫害。何のことだろう。

「だから魔王の片棒を担ぐのか? お前らも一緒くただぞ?」

「何を言ってるのか分からないな」

 エルフ兄が本当にきょとんとした顔で言った。こちらも訳が分からない。

「……まぁいい。ここで妨害してくるなら皆同じだ。来やがれ、千斬りにしてやる」

 男性が挑発すると兄妹は嬉々としてそれに乗った。

「多分お前勘違いしてる! でも殺せるならなんでもいい!」

 妹が笑いながら光線を閃かせた。だがやはり男性は少し動いただけでかわす。

「この世界に魔王なんていやしない」

 兄が嘲笑いながら空間をなぎ払う。男性は少し退いてそれをかわす。

「人間が神様に嫌われてるだけさ!」

 兄が交差させた両腕を即振り開くと小規模な、しかし激しい竜巻が現れて男性に襲い掛かろうとする。

 しかし。

「──雷よドンナァ、散らせ」

 稲光がその竜巻に直撃し霧散させる。

 男性は驚いたように顔だけこちらに向けた。彼は瞳も明るい緑色で、大人然とした落ち着いた顔立ちをしていた。

「ねぇ、あなた強そうじゃない。ちょっとわたしそいつらに襲われて困ってるのよね。共闘してくれないかしら?」

 そう持ちかけてみた。

「……あんた、ガイゼリア出身か」

 男性が問うてくる。『ドンナァ』と言うのはガイゼリア方言で雷のことを指す。

「あら、ご存知? ということは貴方もだったりするのかしら?」

 逆に問い返してみた。

「察しの通りだ」

「ふふ、奇遇ね」

 本当に奇遇だが、無いことではあるまい。ごく普通のシチュエーション。

「決まりだわ」

「ああ。決まりだ」

 二人は横に並んで立つと、兄妹と対峙する。

「だが魔法に期待すんなよ、俺はコレだ」

 男性は自分の右中指を示した。その爪さえ明るい緑色。

抑制環リストレインリング……あらまぁ」

 よくよく見れば繊細な装飾の施されたそのアクセサリーは、指輪だけではないようだ。暴走しかねない魔力を極端に抑えつけてしまうそれらに、リリアはくすりと笑う。それらのアクセサリーは、ワイルドそうなこの男性の雰囲気に、まったくもって似合っていない。それでも装着せざるを得ないことに、彼自身も何か嫌なものを感じているようだ。

「だが──」

 男性は背中から大剣を引き抜いた。

「こっちはちょっと自信あるぜ」

 言うなり姿がかききえた。

 兄の方が大きく跳び退る。

「なんだよ、避けられちまった」

 男性が振り下ろした大剣は一瞬前まで兄が居た場所を陥没させていた。

「自信があるんじゃなかったのぉ?」

 笑ったのは妹の方だった。

 だが。

「退くぞ、シスター」

「え? 兄ぃに……」

 振り向いた妹は言葉を失っているようだった。

 兄の額が裂けている。ただ出血量は多いが浅そうだった。

「視界が悪くなった。分が悪い」

「いい判断だが、逃がすと思うか?」

 男性はなおも攻撃態勢を取るが、

「逃げるさ」

 兄のその言葉とともに二人は姿を消した。

 リリアは少しの間気配を探っていたがすぐに諦める。

「無駄ね。こうなると追えない」

「無駄?」

 問うてくる男性にリリアは答える。

「始めはわたしも単に気配を消しているだけだと思っていたわ。けれど、これは瞬間移動らしいのよね」

 肩をすくめてリリアは言った。

「装置もなしにか?」

 男性が怪訝そうな顔をする。

「さあ。もしかしたらアクセサリがそれかもしれないし、わたしには魔法特化種族のことなんて分からないわ」

「じゃあ何で瞬間移動だと」

「あの二人が言ってたからよ」

「ふむ……」

 男性はとりあえず納得してくれたようだった。

「ねぇ、それはともかく自己紹介でもしておかない? 共闘してくれるんでしょう?」

 リリアがそう言うと、あっさり彼は答えてくれた。

「あー、そうだな。俺はフィレン=ディラール。あんたは?」

「わたしはリリア=フィヒター。よろしくね」

 フィレンが固まった。

「あんたまさか……いや、よくあるファミリーネームだよな……」

「えぇ、よくあるわ」

 リリアは胸を張ってそう言った。

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