第19話 クリスマス男子会 いっき

 乾き切った赤土の匂い。干涸びた草が混じった砂埃の臭い。血と汗とがない交ぜになった香り。手に染み付いて拭えない硝煙の薫り。それらが混然となって僕を悩ます。無視しろ。僕の本能が吼える。考えるな。またクリーニングされたベッドの上でケミカルな洗剤の匂いと女の濡れた髪の香りを胸いっぱいに吸い込みたいのなら、蒸した肉まんのようなフカフカとした思考を停止させろ。戦うマシーンとなれ。ここは戦場だ。動物と人間の骨が散らばった、水の一滴すら奪い合うアフリカの土の上だ。


 あ、いや、ウソ。ここはソルバルウ号の貨物区で、僕はVRMOFPSをプレイ中。ヘッドマウントディスプレイを装備して、マサムネとジャレッドと仲良くキャプチャー・ザ・フラッグ中だ。がらんとした荷物の少ない貨物区でライフル型コントローラを構えて、男三人でペチャクチャとチャットしながらアフリカ解放戦線と名付けられたCPU戦の真っ最中だ。


『おい、聞いたか? 火星がついにゴキブリの侵入を許したらしいぞ』


 マサムネがアフリカの乾いた赤土に片膝ついて弾倉交換しながら言った。このゲームの時代設定は2030年代のアフリカ大陸大戦なんだが、何故かマサムネのアバターは2060年代の日本の陸上自衛軍の装備で固められていた。もうガンダムみたいになっちゃってる。


『ニュース読んだよ。何でも食用に品種改良されたかなり大きくて凶暴な奴だってな。どういうルートで入植したんだろうね』


 敵陣に立てられたフラッグを奪い取り、もう少しで自陣に帰還するジャレッドはWW2時代の米兵のアバターだった。


『どんな過酷な環境でも種は保存されるんだ。生命の神秘かな? DNAに刻まれた命のギミックの勝利かな?』


 誰に問いかけるわけでもないジャレッドの声に、僕はなるべく感情を込めずに返した。


「すごいなー。僕は何にも知らないよー」


 このゲームのデフォルト装備の一つである標準ロシア兵の僕のアバターをマサムネとジャレッドがじっと見つめる。


『……何か、知ってるのか?』


『何その棒読み調は』


「いいえ、僕は全然関係ないよー。あ、そういえば、ジャレッドはいまイズにいるんだよな。温泉入った?」


 これ以上追及されても面白くないので、とりあえず話題を変えてみる。ジャレッドはまだ地球で温泉を楽しんでいて、例の黒ストッキング動画の釈明も何もしてもらってない。


『そうだ、おまえまだ地球にいるんだよな。くそうらやましい奴だ』


 マサムネをうまく誘導できたようだ。マサムネはたぶん月面の狭く汚い自室でゲームしてるはずだ。常々地球に降りて温泉行きてえと言っていた。


「そうだそうだ。自分ばっかりいい思いして。サクラコもぷりぷり怒ってたぞ」


『あー、ストッキングのコマーシャルの件は何の相談もせずに決めちゃって、確かに、うん、悪かったと思ってるよ』


 何とも歯切れが悪いジャレッド。WW2時代の米兵のコスチュームで飾られたアバターも俯いてしゅんとした顔付きをした。


『でもね、ちゃんとお土産用意しているよ』


 ジャレッドのアバターが二カッと笑う。


『アキハバラで面白いの手に入れたんだ。2Dのファミコンソフトを無理矢理3Dに変換するツールだ。このVRMOシステムにも対応してるよ』


 そうは言っても、VRMOはもともと小規模チャットルームの視覚化ソフトだったはずだ。ヴァーチャルリアリティならではのリアルなんだけどあり得ない背景、写実的なんだけどアニメなアバターでチャットを楽しむソフトウェアだ。その仮想現実世界の中でアバターを使ってボードゲームを遊ぶことから始まり、今ではFPSやRPGを遊べるまでに進化した一つのゲームハードのようなシステムだ。


 でもゲームの中でゲームで遊ぶならどうぶつの森でも十分楽しめるし、なにより最先端のVR技術で古典とも呼べるファミコングラフィックを再現することに意味があるとは思えない。ドット絵はドットだからこそその真価を発揮するんだ。


『2Dを3Dって、ただ奥行きが出るだけでキャラがペラッペラだったらかえってつまらねえぞ。その辺は大丈夫なのか?』


 ゴテゴテしたアーマードスーツを装着したマサムネのアバターが1秒間に16発の弾丸を発射できるアサルトライフルを構えて言った。


『ソロプレイでは再現できないらしくって、まだ俺も試してないんだよ。だからコータとマサムネに協力してもらって、VRMOファミコンを体感してみようじゃないか』


「マルチプレイ限定か。まあ、面白いならそれでいいけど」


 ファミコンソフトを3Dにリメイクしたゲームはたくさんある。しかしオリジナルゲームを無理矢理3D化させるってのは聞いたことない。ま、やってみれば解るか。


『じゃあゲームをチェンジするよ。どんな風に見えるかな?』


 プツッと世界が真っ白くなった。白く光るワイヤーフレームの地面と空が遥か彼方まで続いていて、そんな気が狂いそうになる無限の視界の中にWW2米兵とアーマードスーツ自衛軍と標準ロシア兵の三体のアバターが立ち尽くしている。


『ゲームスタート!』


 新しい世界が一瞬で組み上げられた。ワイヤーフレームがおびただしい数の小さな三角形に変化して新世界を構築していく。


『基本は三角形らしいよ』


 仮想現実世界に色が滲む。原色のカラフルなフィールドが広がっていく。


『二人のプレイヤーと一つのキャラクターの2D座標を線で結んだ三角形を仮想座標にオブジェクトとしてロケーション固定して、それをベースにすべてのキャラクター要素で相互に座標比較して三次元的に二次元の三角形を構築して、今度はそのうちの三つの三角形で3D座標に三角錐を設定して、その三角錐の各頂点の座標から1秒間に60フレームでエミュレートして……』


『長えよ』


 マサムネがぴしゃりと言った。あと15フレーム遅ければ僕が言ってたところだ。


「それにしても……」


 僕はまたしゅんとして俯いたジャレッドに問いかける。


「……何のゲームをリロードしたんだ?」


 空の青さはアフリカの青だった。さっきと変わらない高い空がそこにある。ゲーム的に画面表示されない部分は再現できずにデータを流用しているんだろう。地面は乾いた赤土からゴロゴロとしたドット絵の地面に変換されていた。やけに1ドットがでかい。無理矢理3D化するって言ってたな。と言うことは、僕一人のサイズが16、あるいは32ドットで表現されるってことだろうか。


 視点を足元から徐々に上げて遠くを見やる。薄茶色いドットの塊があり、川を見立てたのか、水色の大きなドットがゴロゴロと流れているレーンがあり、畑なのか田圃なのか、畝を表現しているようなうねうねしたドットがあり。


『日本の時代劇か?』


 マサムネが茫然と言った。


「そうか? 何故わかる?」


『ほら、あれはニンジャだろ?』


 マサムネがアサルトライフルで指す方向に黒いドットの塊が歩いていた。確かに黒装束に身を包んだ忍びの者に見えなくもないが、ドットのサイズが怖過ぎる。手のひらサイズの立方体が集まってできた人間サイズのカクカクした化け物が1/60フレームのぬるぬるした動きで迫ってくるんだ。怖い。怖過ぎる。


 あ。何か投げた。と、思ったらものすごいスピードで僕とマサムネの間を手裏剣がすっ飛んでいった。


『そう、いっきだよ』


 やりやがったな、ジャレッド。


『そこはフロントラインとか怒にすべきだろうが!』


 僕は戦場の狼と予想していたけど、いや、そういうレベルの問題じゃない。やはりジャレッドはもう少し考えてから行動すべきなんだ。


『ほら、もうゲームは始まってるよ』


 ジャレッドのアバターである米兵が年代物の自動小銃で忍者を撃つ。乾いた発砲音が耳にこだまして、嫌に立体的な大きなドット絵の忍者はもんどりうって倒れた。


『こっちの装備は変わんねえのかよ!』


 そりゃあライフルからセミオートで鎌が撃ち出されたらシュール過ぎるだろ。って言うか、ドット絵の忍者が目の前を走り抜けるだけで十分シュールか。


『ほら、俺は今温泉旅館にいるんだよ。タタミの上で、ユカタを装備して、温泉って奴を満喫してるんだよ。当然ゲームも日本を象徴するものじゃなきゃあね』


「悪いがさっぱり共感できない」


『考えるな、感じろ!』


 マサムネがアサルトライフルを掃射する。忍者が走る。手裏剣を投げる。撃たれて消える。リアルなドット絵に満たされた空間で繰り広げられる時代と次元を越えた戦争。何て世界観だよ。


『コータ! ぼさっとしてんな! 撃たなきゃやられるのはおまえだぞ!』


 一瞬で順応してしまったマサムネ。姿勢を低くして身を隠せる障害物へ駆け寄る。こいつは忍者ってだけでいいんだろう。ただの日本好きだし。僕としては、僕の理性が踏みとどまれと叫んでいるので、彼らとは違う世界で生きていきたいんだが。


 と、マサムネが迂闊にも川を表わす水色のドットに踏み込んだ。


『マサムネ、そこはダメだよ!』


 ジャレッドが叫ぶが、もう遅い。川に嵌ったマサムネの動きが極端に鈍くなる。いっきでは川の中に入ればキャラの動きが急に遅くなってしまうんだ。


「マサムネ! 早く水から上がれ!」


 忍者達はこのミスを見逃さなかった。川から抜け出そうとするマサムネの背中に一つ、胸に二つの手裏剣が突き立った。


『あ、ああ……。ちっくしょう……』


『マサムネ!』


 ジャレッドがマサムネのもとに走り寄ろうとするが、その時にアイテムと重なってしまったようだ。ジャレッドの自動小銃が急に竹槍に変わってしまった。


『あれ?』


「あれ? じゃない! ちゃんと前見て歩けよ!」


『ごめんよ、マサムネ、コータ。竹槍取っちゃった』


 いっきにおいて、ある種のパワーアップアイテムである竹槍は前方攻撃に関しては相当強いが、前にしか攻撃できなくなるという足枷とも言える欠点がある。しかもここは360度視界の仮想現実空間だ。そんな世界で、前にしか攻撃できないだなんて。


 これじゃあ撃ってくださいって言ってるようなものだ、と思っていると撃たれた。ジャレッドの背中にもドット絵の手裏剣が突き刺さった。


『ジャレッド! マサムネ!』


 ジャレッドはその場で崩れ落ち、マサムネはうつ伏せで川を流れていく。何をやってるんだよ。せっかくのクリスマスに、そんな死に方ってあるかよ!


「メディーック!」


 気が付けば僕は叫んでいた。アサルトライフルをフルオートで撃ちながら倒れた二人に駆け寄る。


「メディーックッ!」


 あ。忍者。リアルで立体的なドット絵の忍者が僕の側を走り抜け、手裏剣を放った。ドット絵の手裏剣が高速で近付いてk

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