第11話 ブラック・トローチ 海腹川背 その1

 僕がその異変に気付いたのは、オーブンで焼き上がった鳥もも肉に照り焼きソースを塗ろうとチューブからソースを捻り出した時だった。




 ぽんっとすごく小さな破裂音が遠くで鳴った、ような気がした。


 宇宙空間にいるからもちろん船の外の音じゃない。何かが船に当たった音でもない。音の発生源は船内だ。しかしそれはありえない事だ。慣性航行中には基本として加減速はないので、等速移動する船内に存在する物体には一切の運動エネルギーは発生しない。現在座標は地球重力圏でも火星重力圏でもないので位置エネルギーも物質に作用しない。船内の物体が動くはずもなく、つまり音がするはずがないんだ。


 物音の原因として唯一考えられるのは、気圧差により何かの容器が破裂耐久限界を越えて膨張し爆発したか、くらいだ。でも今回の輸送貨物に液体関連はなかったはずだ。申告漏れや、あえて申告しなかった不正荷物ならまた話は別だけど。


 チューブから照り焼きソースがでろーんと伸びた状態のままでじっと耳を澄ます。目を閉じて耳を澄ます。……耳を澄ます。


「さて、どうする?」


 さらに不審音が発生することはなさそうだ。かと言って無視していい現象でもない。何らかの異変が起きていることは間違いないんだ。宇宙単独航行はほんの些細なことでも命取りになる。宇宙船パイロットとしては何が音を立てたのか確認だけでもしておくべきか。


 でもせっかく鳥もも肉が美味そうに焼き上がったのに。また音が聞こえるまで、現状のまま待機でもいいんじゃないか。


 いや、でも、音の原因を判明させてから安心して晩御飯を楽しむのもいいんじゃないか。


 ああ、もう、あれこれ考えていても仕方ない。皿の上の鳥もも肉には少し待っててもらうことにしよう。


「すぐ戻るからおとなしくしてろよ」


 貨物区は少し寒い。僕は対静電気仕様パーカーを羽織って、無重力域移動用のマグネットアンカーとマグライトを手に取って居住区を出た。




 僕が乗っている宇宙船SSV型12式『ソルバルウ』号は基本的には会社の所有物だ。しかし僕は宇宙貨物船A級ライセンスを取得しているので、会社から管理を任される感じで配送の仕事をしている。居住区に生活用品一式を運び入れて、仕事がない日もここで寝泊まりしたり、友達を呼んでオールナイトでゲームをしたり、『ソルバルウ』って名前だって勝手につけちゃったり。さすがにプライベートで運航するのは燃料費も軌道港使用料も安くはないので仕事でしか走らせていないけど。


 そんな勝手知ったる我が家のような船内をマグネットアンカーも使わずにすいすいと泳いで貨物区のハッチまでたどり着き、タブレット端末でハッチのコンソールから情報を読み取る。


「気圧、気温に変化なし。で、極小物の浮遊物あり、か。やっぱり何か弾けたな」


 最悪の事態、極小デブリが船体を貫通し貨物区の機密が破られるということも想定できたが、室内の気圧も気温も変化はない。浮遊物があるということは、港内作業員の誰かが貨物の積み込みの時にペットボトルの水でも置き忘れたか。


 ソルバルウはドッキングカーゴと内蔵型貨物庫と併用できるタイプの船だ。ドッキングカーゴはそれ自体が独立した機密性を持った一個の宇宙船のようなもので、貨物に関しては完全にノータッチでカーゴごと受け渡しをする。そして小規模の貨物はコンテナに入れて船内の貨物区に運び入れるんだが、結局その時に港内作業員の手を借りざるを得ず、その手の忘れ物、落し物はたまにある。


「罰金しっかり払ってもらうぞ」


 僕はパーカーのファスナーを首いっぱいまで上げて口元を覆い隠し、ハッチ正面から身体をずらしてタブレット端末でハッチを操作した。ハッチが開いた瞬間に水滴に襲われでもしたら厄介だ。無重力空間ではほんのちょっとの水でも気管が塞がれたら窒息してしまう。


 ハッチが小さな作動音を上げて開いた。貨物区と船内通路とに少しの気圧差があるせいで開くと同時にプシュッと何か細かい物が噴き出してきた。僕は顔を背けてそれを避け、静かになるまで数秒顔を伏せて待った。


 そっと顔を上げる。特に目立つ浮遊物はなし。何か飛び出したように見えたけど、壁にぶつかってハッチ内に戻っていったのか。貨物区の中を覗き見ると、僕の頭の動きにセンサーが反応して貨物区に明かりが灯った。柔らかい光が四方の壁から放射されて、飛び散った何かの破片らしき物が漂っているのが見て取れた。


「やっぱり貨物の破損か」


 異音の原因はすぐに解った。あきらかにパッケージの破けた貨物がある。ソルバルウの貨物区はバドミントンがプレイできるくらいのスペースの中央部に立体的な格子状のフレームが設置されている天地無用アラウンド型で、貨物は専用のパッケージコンテナに入れてフレームに固定する。部屋の外壁にびっちり並ぶコインロッカーのように貨物を収納するのではなく、部屋の中央部にコンテナを柱のように収納している。大きさがまちまちのコンテナを格納するのに一番バランスがいい貨物格納方法だ。


 そのコンテナの柱の一角にパッケージが破けた痕がある。基本的に無重力空間を想定しているからコンテナに頑丈さは求められてなくて、パッケージそのものも軽量化のためすごく薄い素材でできている。とは言え、コンテナ内部からパッケージを破く破壊力とは、一体何が破裂したのか。


 とりあえず貨物区に備え付けの虫網を引っ張り出して空間を漂う破片を集めようか。何かの破片はくるくると回転しながら壁やコンテナに当たっては跳ね返って、貨物区内を結構なスピードで飛び回ってる。僕は空中遊泳をしながらそれを追って虫網で掬い取るんだが、これがなかなか面白い。


 虫捕りなんてゲームの中でしかしたことないから実際のところはわからないが、ブロック崩しを3Dで遊んでみたらこんな感じなんだろうな。


 スカッシュみたいに対象のベクトルを予想し、入射角と反射角を推測して網を差し込む。対象物がボールだったらきれいに反射するんだろうけど、飛び回っているこれらはいびつな破片なので、しかも高速に回転しているのでどっちに反射するか解らない。とんでもない角度に跳ね返ったりして、なんか異音の原因なんてどうでも良くなってくるくらい楽しめる。こんなゲームもありだな。


 かと言っていつまでも遊んでいる訳にはいかないので、目に見える破片をあらかた回収し終わると破けたパッケージコンテナの情報をタブレットに読み込ませた。


 データを読み込み中に虫網を確認する。プラスチック容器の破片と、ペットボトルの破片。それと半透明のゼリー状物質が網にへばりついていた。このぶよぶよしたものはおそらく保冷剤だ。あとは、何だかわからないが、黒っぽいのがある。5センチほどの細長い黒い棒状の小さいパーツで、先端がなんか鉤爪のように分かれている。


「なんだこれ?」


 エビの脚、みたいなものか。と、僕は不意に空腹感に襲われて鳥もも肉を思い出した。そうだ、もうすっかり冷めちゃったか。さっさと温め直して晩御飯を済ませてゲームで遊ばなければ。今日は虫捕りができるゲームで遊ぶか。

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