第60話 MSXを探して その5

 月面都市つくよみ市は眠らない街だ。


 なんて、カッコつけてはみたものの、なんてことはない、24時間営業のお店が軒を並べる商業区にコータくんのマンションが建っているだけだ。


 マンションのエントランスはジオフロント中層商業エリアにあり、その一階部分にテナントとしてコンビニが入っている。これがまたイートイン設備に充実したコンビニで、サクラコと一緒にしょっちゅう利用している、いわばひいきのお店だ。


 いつものように高速エレベーターでシートベルトを締めずに自由落下状態を楽しみながら一気に中層まで降りてきて、重力酔いに似た軽い目眩を覚えつつコンビニに入店。もはや顔馴染みのバイトのお姉さんに挨拶代わりのコーラフロートを注文する。


「コーラフロート、ソフトクリーム大盛りで」


「ハイ、ブリギッテ、こんばんは。こんな時間に一人?」


 まだ夕食後の夜も浅い時間だと言うのに、コンビニとしては広めの店内は閑散としていて、バイトのお姉さんはレジに片肘をついてアルバイト情報誌をめくりながら笑顔を見せてくれた。


「うん。ちょっとママに聞かれたくない電話をしようと思って」


「何々、ボーイフレンドでもできた?」


「違うよ。仮にそうだとしてもこんなとこで電話しないし。あともう一巻きしてよ」


「はいはい」


 カップに満たされたコーラの上にソフトクリームが巻かれ、ニコニコしたお姉さんはいつもよりくるりと一巻き多めに盛ってくれた。


「ありがと」


「ごゆっくり」


 子供みたいなスマイルでそう言って、すぐにまたアルバイト情報誌のページをめくる作業に戻るお姉さん。あたしも笑顔でお礼して、いつもより標高のあるソフトクリームの山を崩さないよう慎重に窓際のイートインスペースまで移動した。


 イートインスペースにもお客さんの姿はなく、席はどこでも選び放題だった。あたしは壁際の隅っこのテーブルに陣取り、ソフトクリームのトップをかぶりつくように一口食べてから、AR眼鏡の拡張現実を起動させた。


 眼鏡越しの視界がライムグリーンに明滅し、すぐにナチュラルな光景に戻る。一つ一つ違う点は、視界左上に拡張現実オンのマーカーが存在しているところか。


 ソフトクリームがコーラに沈んでいる部分がまるで化学反応を起こしてるみたいにシュワシュワとかすかな音を立てて泡立っている。あえてそこを避けて、まずはピュアなコーラを味わうためにストローを深く突き刺して深呼吸するみたいに吸引。炭酸の心地いい刺激が口の中のソフトクリームの甘さを解きほぐしてく。


 さて、と。あたしは両手を広げて左右の人差し指、親指でカメラのファインダーのように四角く視界を切り取って、それを小さくて真っ白いテーブルの上に持って行った。


「スクリーン投影。座標は固定で」


 拡張現実機能の音声入力。あたしの声に反応して、眼鏡の視界越しの白いテーブルは仮想ディスプレイとなった。


 人差し指と中指をくっつけてテーブルをダブルタップ。すると指のところにメニューアイコンが浮かび上がる。それを人差し指で押さえ付けて下にスワイプ。するするとメニューが紐解かれた巻物みたいに拡がった。


 いったん目線をテーブルから外して周囲を確認する。まだイートインスペースにあたしの他にお客さんの姿はなく、お姉さんもアルバイト情報誌に集中しててあたしの方を見てる気配もない。


「ドラクエを起動。チャットは音声入力で」


 ぼそぼそっと小声でコマンドを入力する。いくら馴染みのお店と言えど、テーブルに向かって一人でブツブツ言ってる姿はさすがのあたしでも人に見られたくない。他にお客さんがいない今がチャンスだ。お姉さんに届かないレベルの小声でドラクエをプレイする。


「オンラインモード。掲示板に書き込み」


 ドラクエを乱入プレイ可能にして、プレイ部屋に鍵をかけて掲示板に解る人には解るようにパスワードのメモを残しておく。


「もしヒマだったらコナミで入って」


 これでよし。ソフトクリームをひとすくいして、コーラと溶けかかったクリームとの境界辺りのどろっとしたのをストローでずずずっとやってる内に、すぐにあいつはやってきた。


『こんばんは、ブリギッテ。ドラクエの続きで遊ぶのかい?』


 テーブルに映し出されるドラクエのフィールドにもう一人の勇者が出現した。その勇者の名前はアトムだ。


「ハイ、アトム。部屋のパスワード解ってくれたんだ」


 あたしの声が、ドラクエのフィールドにいるあたしがプレイする勇者の側に吹き出しとして表示される。あたしの隣まで歩いてきたもう一人のドット絵の勇者が同じように吹き出しで喋る。


『部屋主がブリギッテって名前で、レトロゲーマーにとってのコナミって言ったらパスワードはもう決まっているよ』


 アトムの吹き出しは音声変換されなかった。ボイスチャットをオフにしているのか。


「それにしても部屋作ってからラグ数秒でログインするなんてタイミング良すぎ。監視してた? まるでネットストーカーみたい」


『ログインに関して言うならオンもオフも連続してるからね。オフの時は無であり、時間の経過も関係ない。常にオン状態とおんなじだよ』


「意味わかんないよ」


『わかんないって解る事も重要だよ』


 アトムの屁理屈口調は相変わらずのようだ。


 アトムはファミコンのドラクエを無理矢理VRマルチオンライン化させた時に偶然迷い込んできたハッカーで、それ以来たまにドラクエで一緒に経験値稼ぎをしているネット限定の友達だ。二人で戦闘をこなせるのでゲームは楽に展開できて、今ではメルキドまで冒険は進んでいる。


「まあ、ちょっと話したい事があったからすぐにログインしてくれてありがたいんだけどさ」


『こう言うの結果オーライって言うんだよね?』


「そういう事にしとく」


 アトム。彼について解っているのはその名前だけだ。そのアトムだって本名かどうか怪しいものだ。それに彼かどうか、それすらあたしは知らない。年齢不詳。国籍不明。性別不明。何にも解らない。


 ただ、月から遠く離れた位置を超高速航行する宇宙船に痕跡も残さずにハッキングできるレベルのハッカーだと言う事しか解らない謎の存在だ。月に住んでいるのか、地球で暮らしてるのか。どんな食べ物が好きか。ブロッコリーは嫌いか。どんなゲームで遊ぶのか。あたしは何にも知らない。


「でさ、アトムはMSXってふっるいゲームパソコン知ってる?」


 だからこそあたしにとって何でも話せる相手なのかも知れない。まるで架空の話し相手だ。あたしはドラクエで遊びながらアトムと色々な事を話してきた。


『そんなアルファベット三文字を組み合わせた単語は使った事がないよ。古いパソコンって、どの時代の機械なのかな。調べようか?』


「ううん、ネット検索くらいは自分でやれるよ」


 白いテーブルに投影されるフィールドを歩く勇者が喋る。AR眼鏡越しでしか見る事が出来ない勇者はモンスターと遭遇して戦闘画面に切り替わった。白いテーブルの半分が戦闘画面で、もう半分はあたしが操作する勇者がいるフィールドが映っている。


『じゃあボクにMSXの話をして、ブリギッテは何をしたいんだい?』


 あたしに勇者をアトムの勇者の隣まで歩かせ、戦闘に乱入した。


「ハッカーとしてじゃなくて、友達としてお願いしたい事があるの」


『そんな言い方されたらもう断れないな。何でも言ってみなよ』


 コータくんが言っていた。宇宙船単独航行は一人では成立しない。様々な部署の人間の協力があって初めて成り立つものだ。そしてパイロットは単独航行を成功させるために人を動かせるようにならないといけない。


「アトムにお願いしたい事はね……」

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