第50話 その3

 パックマンことお掃除ロボットはゴミや水滴でタンクがいっぱいになったら、集合中継機、いわゆるマザーに戻ってゴミを捨ててタンクを空にして、またゴミを求めて動き出す習性がある。


 で、パックマン達に捕まったコータくんは、きっとその体積の大きさから五体総がかりでマザーまで運び、そこでゴミとして放置されるんだろう。まさかバラバラに細かく切り刻まれたり、宇宙空間へ没シュートされたり、そんな際どい事にはならないと思う。おそらく。たぶん。まさかね。


 そしてパックマン達はソルバルウ号の船内に浮遊する次なるゴミを除去するために、五機でフォーメーションを組んで飛び立つのだ。


 そのゴミとはあたしの事だ。


 しかし待てよ、と少し冷静に考えてみれば、このゲームのあたし達の勝利条件はマザーの確保、あるいは破壊だ。奇しくもコータくんが運ばれていく先もやはりマザーだ。これはもうあたし達の勝ちは決まったようなものじゃないか。


 もっとも、コータくんがこういうルール無視の戦法を取るとは思えない。やっぱりあたしがやらないとダメか。って、いやいや、そもそもルールって何だ。コータくんが勝手に遊んでるだけじゃないか。


 あたしはパックマン達がコータくんを運んでいる隙にコックピットに舞い戻った。


 本日分の業務報告書の作成も終わっていないんだ。いつまでも遊んでる訳にはいかないって。


 移動用のマグネットアンカーを一丁用意する。カンフーの武器であるトンファーってものに似た変形T字型のアンカー射出器だ。磁力でアンカーを壁や天井に固定して、ワイヤーを巻き取る事で無重力空間でも素早く移動ができるようになる。


 あとは、飲料水のペットボトルを二本、でいいか。これはあいつらのエサだ。


 さあ、準備オーケイだ。ゲームスタートの前に生乾きの髪をツインテールに結んでいると、AR眼鏡が控えめのクリック音を奏でた。通信要求だ。やっとコータくんの拘束が解けたか。そう思ってあたしはAR眼鏡の回線をオンにした。


『こんばんは。ブリギッテ』


 相手はコータくんではなかった。あたしは、誰もいるはずもないのに、思わずコックピット内を見回してしまった。


「……誰?」


『僕はアトムだよ。以前に一度ゲームで遊んだ事があるけど、覚えているかな?』


 幼い男の子のような声、アトムと言う名前。覚えている。VRMOでドラクエを遊んだ時に乱入してきた子だ。どこの誰かまでは知らないけど。


「あら。ひさしぶり。でもね、ちょっとタイミング悪かったわ。今とても厄介な事に巻き込まれてて忙しいの」


『知ってるよ。メイアイヘルプユーって思ってコネクトしたんだ。力になれればって』


「どうして知ってるの?」


 あたしはAR眼鏡の前で指を下にスクロールさせた。左レンズから投影される拡張現実画面に動作履歴が指の動きにシンクロして表示される。いつからアトムはログインしていた? いや、VRMOでゲームしていた訳じゃないからログインするまでもないか。じゃあ何か、拡張現実のアカウントに張り付かれていた?


『いろんなところを巡回してるんだよ。たまたまブリギッテは何しているかなってチェックしたら、たまたまおもしろそうな事をしてて、たまたまチャット申請したら、たまたま受理されたんだよ』


 AR眼鏡が少年の声で喋る喋る。


『ちなみに、パックマンってゲームはプレイした事なかったけど、今試してみたらけっこう得意なタイプのゲームだったよ』


 さて、どうする? 信用に足る人物だとは思うが、ストーカー的な気味の悪さも感じる。まあ、しかし、背に腹は変えられないと言うし、コータくんをさっさと救出してとっとと眠るとしようか。


「わかった。信用するよ。パパを助けたいの。協力してちょうだい」


『了解』




『パックマンは非常に古いゲームだけど、ただの追いかけっこで終わらせないだけの小さな工夫が随所に見られる優秀なレトロゲームだね』


 コックピットから出ると、早速AR眼鏡の3Dマップに反応が見られた。五体のパックマン達がうわっと貨物区から出てきた。やっぱりあそこがネストだ。マザーもコータくんもあそこにいる。


「確かにシンプルなくせにやたらゲーム性が高いけど、動きがねー。自機を止められないってのがあたしは苦手かな」


 それぞれの赤いマーカーが動いては消え、消えては動いて、ソルバルウ船内に散って行く。AR眼鏡を移動物体センサーとリンクさせているからパックマンが動いていない時はマーカーも反応せずに消えてしまう。パックマン達がそれも計算に入れて五体で連動しているとしたら、それはとても驚異的能力だ。


『パワーエサの存在がゲーム性を飛躍的に高めているね。追うもの、追われるものの立場の逆転。キャラの見た目、移動スピードの変化。ストレスがカタルシスに変わって快楽に直結する瞬間だ。パックマンを壁に押し当てるようにすれば座標を固定できるよ。パワーエサとモンスターの位置を調整して、一気に形勢逆転。面白いよね』


「うちのパパみたいな言い方するのね。屁理屈をこねて言葉をそれっぽく仕上げちゃうの」


 あたしはゆっくりと通路を浮かびながら、ペットボトルの飲料水を少しずつ撒いてやった。水滴は真ん丸くふわりと空間に漂い、それを一定の感覚で置いて行く。まさにパックマンのドットの役目だ。空気密度の変化と移動物体センサーに反応して奴らはやって来る。パックマン達をこれで誘導してやる。


『そうなんだ。ブリギッテのパパともお話してみたいな』


「そのうちね」


『そのうちか。じゃあそのためにもパパを助けないと。まずは作戦通り一匹捕まえよう』


「近寄るだけでいいのね?」


『うん。30センチメートルくらいまで接近すれば、僕ならコントロールを乗っ取れるよ』


「アトムってハッカーなの?」


『そのようなものだね』


 拡張現実マップを確認する。二体のマーカーが速いペースで近付いてくる。残り三体のマーカーは消えたままだ。センサーに反応しないよう秒速1センチ以下で動いてるか、じっと待ち伏せしているか、だろう。


「そのようなものって、意味深ね」


『まあね、そのうちね』


 さて、無駄話もそろそろおしまいだ。一つのマーカーがすぐそこまで迫ってきている。もう一つはぐるっと迂回して挟み撃ちを狙っているのか。


『パックマンのモンスターもそれぞれ個性があって、よく考えられているよね』


「同じ動きしたらすぐにパターンにはめられるもんね。よく考えられてるわ」


 パックマンのモンスター達には縄張りのようなものがあり、それぞれ動き方に個性がある。だからパックマンってゲームは面白い。でも、このリアルパックマンと言うか、自律型自動お掃除ロボット達のアルゴリズムはシンプルなものだ。このペットボトルの水のドットですぐにパターンにはめてやる。


『来るよ』


 マーカーがすぐそこまで来た。通路の角を曲がったところだ。もう水のドットに食いついているだろうか。AR眼鏡越しに黄色い機体が飛び出して来るのを待つ。出てきたらそれ、アンカーを撃ち込んで鹵獲だ。ここがパックマンとの違いだ。いつでも反撃するぞ。


「えっ、ウソ!」


 来た。が、その姿を見てあたしは思わず声を上げてしまった。


 奴らは、パックマン達は機体同士をくっつけていた。イエローの球体が三つ、お団子のように連なって飛んでいた。これなら、重なっている分だけ確かにマーカーは一つしか表示されない。やられた。こいつら、こんなに賢いのか。たかがお掃除ロボットと侮っていた。


『ブリギッテ、撃って!』


 AR眼鏡からアトムの鋭い声が響く。コータくんの身体は五体のパックマンで完全にホールドされた。あたしの細い身体じゃ三体で十分拘束できるだろう。ここが勝負の分かれ目だ。


 あたしは三体連なったパックマン達に向かってアンカーを撃ち込んだ。直径30センチ、質量は2キロもない軽量級のロボットだ。アンカーの直撃でけっこうなダメージを与えられるだろう。


 あたしの思い描いた通りにアンカーはパックマン達へ真っ直ぐに突き進み、そしてあたしが想像もしなかった動きでパックマン達はそれを紙一重でかわした。


 お掃除ロボットは三方向に分裂するみたいにするりとスライドして、アンカーはその真ん中をずどんと貫いて通路の突き当たりまで飛んで行った。


「避けた?」


 移動物体をゴミと認識するはずなのに。いや、違うな。優先順位を付けているのか。さっきもこいつらはあたしをスルーしてコータくんに襲いかかった。今度はマグネットアンカーは眼中になく、あたしがターゲットなだけなんだ。攻撃をかわしたんじゃない。ただ順番が違っただけなんだ。それなら、まだやりようはある。


 あたしはワイヤーのリールを巻き取って、アンカーに引っ張られるように三体のパックマンの真ん中をすり抜けた。三体のパックマンはあたしに視点をロックしたかのようにくるりとこっちを向いてあたしを見送る。うん、今度は予想通り。逃げずに、あたしをロックオンし続ける。


「もらいっ」


 通りすがりざまに一番後ろの奴の口に腕を引っ掛けて掻っ攫った。


「アトム、頼むよ」


『うん、いただくよ』


 AR眼鏡のチャットモードが切れて、あたしが小脇に抱える一機のパックマンピクンと震えた。もう乗っ取った?


 そいつが、アトムパックマンが口を大きく開けてあたしの方を見る。目はないけれど、たぶんこっちを見てる。


「はいはい、お水ね」


 パーカーのポケットに突っ込んでいたペットボトルを取り出して、このパックマンの口に突っ込んでやる。ごくっごくっと水を吸引するパックマン。


 一本500ミリリットルまるまる飲み切ったパックマンはくるっと向きを変え、残り二体のパックマンに向かって行った。


 無重力状態で体当たりをした場合、その運動エネルギーが大きい方が勝つ。運動エネルギーは速度が同じ時は質量が大きい方が押し勝つ。今この三体のパックマンで、一番質量があるのはアトムのパックマンだ。水のペットボトル一本分違う。


 アトムのパックマンは二体のパックマンに体当たりを食らわせ、がんっと弾き飛ばした。一回だけでなく、がんっがんっがんっと連続で小突き、少しずつ少しずつ押していく。


「よし、アトム、あとはお願いね」




 あたしは他のお掃除ロボット達が追いかけてくるのよりも速く貨物区に滑り込めた。


 コントロールパネルを引っ叩くように操作してハッチを閉める。オーケイ。勝負ありだ。パックマン達はハッチを開ける事は出来ない。もうあたしは誰にも邪魔されずにマザーをぶっ叩ける。


「やあ、ブリギッテ。早かったね」


 やっぱりコータくんもここにいた。無重力状態で何にも触れられない位置にぷかぷかと座標固定されていた。これではもう動きようがない。ぐったりとただただ浮かんで助けを待つだけだ。まったく、一人だったらどうするつもりだったんだろう。


「はいはい、ちょっと待ってね」


 あたしはとりあえずコータくんは後回しにして、がらんとした貨物区の壁に設置されたマザーに取り付いて、ぱきっとパネルを引き剥がして問答無用でバッテリーをぶっこ抜いた。点灯していたグリーンのパイロットランプが静かに消える。


「はい、あたしの勝ちっ!」


 マザーは完全に停止した。五体のお掃除ロボット達も指示系統を失い、あとはそれぞれのバッテリーが切れるまで口をパクパクさせて無秩序に飛び回るだけだ。もう敵でもなんでもない。ただ浮遊するサッカーボールと同じだ。


「コータくん、遊びは終わりね。あたしもう寝るからね」




 マザーのバッテリーが外された時点でお掃除ロボット達はそのコントロールの支配権が消去され独立したネットワークを泳ぎ始め、アトムのコントロールも消滅していた。


 その夜、VRMOのドラクエにログインしてちょっと待ってみたが、アトムが現れることはなかった。

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