第36話 第一部最終話 レトロゲーマーはリセットボタンを押さない その1

 月面マスドライバー、大型射出機「タカマガハラ」の射出カーゴ内に取り残された僕と桜子とブリギッテ。


 まったくの無音の中、ハッチのロック音の残響が嫌に耳に残る。もう残響音なんて消え失せているはずが、僕達の耳が必死になって音を探してありもしない音を繰り返し響かせているんだろう。


 桜子が身体をよじってハッチの方を見つめる。


「この沈黙が怖いわー」


 このカーゴは基本的に人間が乗ることを想定していない。もちろん座席がある訳でなし、隅っこに文字通り即席のコントロールパネルが設置されているだけだ。でもそれだって航行コンピュータもない単なる貨物の積み込みチェックなんかのマネージメント用のものだろう。据え置き型のディスプレイが放っている画面の明かりが妙に寒々しい。


「いつまでもこうしていたいとこだけど」


 僕は抱いていた桜子の華奢な身体をぽいと放した。


「ハッチを開けるなり、管制室と連絡取るなりしないとまずいな。このまま打ち上げられたらどこまで吹っ飛んで行くかわからないぞ」


「月の軌道港だよ」


 不意にブリギッテが口を開いた。


「パパが言ってた。これでママのところに行こうって」


「マスドライバーで軌道港って、ちょっと無茶過ぎない?」


 桜子が上半身をひょいと起こして言った。もう鼻血は止まったようだな。


「確かに無理だな。ムロフシと違って、これは宇宙船じゃなくて容れ物だ。スラスター一個すら付いていない、自分で減速も軌道変更もできないただの箱だぞ」


 マスドライバーで軌道上に打ち上げられた箱は、通常ならマスキャッチャーと呼ばれる大きなエリアで減速機とドッキングして回収船に拾われるんだ。それなのにカーゴで直接軌道港に飛んでいくなんて、それは豪華絢爛なガラスのシャンデリアにパチンコを撃ち込むようなものだ。


 と、そこまで考えて僕は気付いた。妻に去られ、半ば一方的に子供を押し付けられ、自暴自棄になった男がやろうとしていることは……。


「だからよ。パパは、このカーゴを軌道港にぶつけようとしてるの。みんな一緒に、死のうって」


 ブリギッテが涙声で言う。よたよたと足元も頼りなく歩いて自分のバックパックを拾い上げ、両腕で抱くようにして桜子の側にしゃがみこんだ。


「それって無理心中って言うよりも思いっきりテロじゃないの」


 そうだ。これはまさに破壊的テロ行為だ。


「パパが、もう射出航路の設定も終えて、あとはハッチを閉めるだけ、だったの」


 ブリギッテの父親はマスドライバー技師とか言ってたな。月の周回軌道上を一定の速度で回っている軌道港は、その巨大さ、超大質量さからほとんど速度や軌道高度を変えることはない。簡単な計算で狙い撃ちできる大きな的に過ぎない。


「サクラコ、痛がるのは後回しだ。まずはこれを止めないと」


「わかった。後で甘える」


 月周回軌道の宇宙港は月と宇宙との架け橋を繋ぎとめる役割を担っているが、それだけでなく地球と火星を結ぶ航路としても重要な位置付けにある、まさに宇宙の攻略拠点だ。だからこそ、事故やテロなど様々な事案に対して何重にも安全対策が施してある。


 こんな石ころみたいなカーゴが一個撃ち込まれたところで、マスドライバーから射出された瞬間にロックオンされて、防衛衛星の射程距離に入ったら即対空レーザー砲でちゅんっと蒸発だ。


 問題は、その石ころに僕達が乗っているってことだ。


「こんなパパが、ごめんなさい。二人を巻き込んじゃって」


「気にしないの。ブリギッテも巻き込まれたんだし、そいつを蹴っ飛ばしてもいいくらいだ」


 桜子がコントロールパネルをチェックしつつブリギッテの方を振り返って気遣ってやってるようだ。でもちょっと心遣いの方向性が違うようにも思える。ブリギッテはそんな桜子の気遣いをしっかりと受け止めて、バックパックを抱いたまま、横たわっている父親の脇腹を爪先で蹴り上げた。


「そのバックパックには何が入ってるんだ? 随分とゴテゴテしてるけど」


 僕はハッチ周辺を調べながら、何とか話題を変えようとブリギッテに話しかけた。あのまま蹴り続けて父親が意識を取り戻したらまためんどくさいことになるし。


「これ? パパがあたしを連れ出そうとした時、これ持ってかないとどこにも行かないって言ってやったの」


 ブリギッテがバックパックの口を開ける。彼女の身体にはちょっと大き過ぎるバックパックには、僕がプレゼントしたニンテンドーセットが入っていた。ファミコン本体、光線銃、ファミコンロボット、ファミリーベーシックとキーボード。全部丸ごとだ。


「これさえあれば、死んじゃっても退屈しないで済みそうだし」


「ずっと持っててくれたんだ」


 桜子の声が優しく聞こえた。見れば、もうコントロールパネルを調べていない。僕を見て、小さく首を横に振った。その顔は今にも泣き出しそうな笑顔だった。


 僕も笑ってみせた。ダメだ。このカーゴは貨物仕様で、コントロール用タブレット端末や道具もなしでは中からロックを解除できそうにない。


「そういえば、ブリギッテと初めて会ったバスの中でも言ってたっけな」


 僕はブリギッテに歩み寄ってバックパックの中を見て言った。桜子もブリギッテの肩に手を置いてこっちを覗き込む。


 退屈で死にそう。18時間を越える長距離バスの中でブリギッテは僕のコンパートメントを覗いてそう言った。あれから数日しか経っていないってのに、もう随分と昔のことに思える。


「あの時ね、カーテンの隙間からすごく楽しそうにゲームしてるのが見えてね、あたしもゲームで遊びたくなったの」


「ゲームしてる時のコータくんはほんっとに楽しそうにしてるからなー。わかるよ、その気持ち」


 桜子まで人を子供みたく言わないでくれ。それよりもこの重苦しい空気はなんだ。桜子、まさか君はもう諦めてしまったのか?


「おい、なんだよ、この諦めムードは。まだゲームオーバーじゃないぞ!」


 改めてカーゴの中を見渡して、僕は強めに言葉を投げつけてやった。桜子もブリギッテもびくっと身体を震わせて僕を見つめた。


「マスドライバー打ち上げを止められないなら、射出後に軌道を変えればいいだけだ。やれることは全部やるぞ」


 ブリギッテの父親はすでに貨物を積み込み済みのカーゴを乗っ取って軌道港に突っ込むつもりだったようで、このカーゴの庫内は耐熱パッケージされたコンテナが壁際にびっしりと固定されていた。


 カーゴの大きさは僕のソルバルウ号の貨物庫と同じくらいの大きさだ。同一規格のものだとしたらちょうどいい。軌道を変えるためには重心がどこにあるか把握しておく必要がある。


「軌道を変えるって言っても、この船にはスラスターどころかエンジンすら付いてないよ。どうすればいいの?」


「サクラコ、クリアする順番が違うぞ。まずは射出の8Gをクリアするんだ。軌道を変えるのはその後だ」


 そう言い聞かせてからとりあえず手近なコンテナを開けてみた。耐熱パッケージフィルムは使えそうだな。あとは中にどんな荷物を積んでいるか、だ。


「サクラコ、ブリギッテも、片っ端からコンテナを開けて、何かクッションになりそうなものを探すんだ」


 そして、カーゴは射出体制が整ったことを、小さな振動と大きな金属音とで僕達に宣告した。

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