第11話

その仙人、こと漆原辰夫は許しを得た元カノの、今の様子を見るために、【カミューン】の部屋へ来ていた。その部屋は、全体が雲で出来ているかのように、白いクッションの上を歩いているような、不思議な感覚だった。いくつかの部屋を通り過ぎ、客間のような、少し、お堅い感じのする部屋に、辰夫は通された。真ん中にどでかいモニターが現れ、現世の人間界が映し出された。操作する【指導霊】は、頭からすっぽりと白い布を被り、顔の表情は分からないが、浮遊して移動した。【指導霊】の声は、星一徹のように落ち着いており、【カミューン】に相談していた。すると、時代をサーっと戻し、辰夫の、四十九日の後に戻った。約二十年前だ。

公江は九州にいた。辰夫の、四十九日を済ませた彼女は、その年の年度末に、言っていたパリ大に留学した。日本にいるより、辰夫を忘れられたからだった。ヨーロッパの文化を学び、二年の留学生活を終えると、学刈素大学に戻って大学院に進み、文学の研究に没頭した。そして、この後留学先で知り合ったハンガリー人、バイナル・タマーシュと結婚した。パリ大で知り合った二人は、バイナルが日本の文化に興味があり、公江はヨーロッパの文化に興味があって、すぐに意気投合したのだった。ハンガリーがナチスの迫害を受けた第二次大戦。その同じ大戦で受けた被爆と言う、日本のとんでもない現実に、同じ苦痛を味わった国同士と言う事で、友人関係から恋愛感情へと変わり、被爆の事実を後世まで伝えたいと、バイナルのたっての希望で、長崎は浦上の天主堂で式を挙げたのだった。そして、子どもが三人。女の子と男の子二人。今は、長女が長崎の大学二年。長男が高校三年。二男が中学三年、と五人で幸せな家庭を築いていた。ビデオが流れるように、時系列に沿って流れる映像。それを見ながら、モニターの前で涙ぐむ辰夫。頷きながら

”良かった、良かった”

と何回も繰り返していた。しかし、その涙が一瞬止まる。辰夫の目が点になっている。それは、飾ってある神棚の奥に、隠すようにして置いてある、自分の写真を見た時だった。今でも毎月、辰夫の命日に公江は、その写真を引っ張りだし、しばらくの間その写真を膝の上に置いて、ひと時を過ごしていたのだった。その瞬間を食い入るように見つめていた辰夫は、神棚の後ろに戻す様子を見て、再び、涙を流し始めた。そして、今度は

”ありがとう、ありがとう”

と何回も言っていた。

「どうだ、少しは気持ちが落ち着いたかい」

 【カミューン】に聞かれた、辰夫こと仙人は、流れた涙を拭こうともせず、大きく何回も頷き、両手を握りながら

「ありがとうございました」

と、深々と頭を下げた。【カミューン】も、笑顔で頷き、

「では、心おきなく現世に戻りなさい。非常に残念じゃが、ま、君のような人間は、現世のためにもなるから、世直しを頼むぞ」

 その言葉を聞くと辰夫は、さっきまでの、優しさ溢れる泣き顔からきりっとなって、

「分かりました。このお気持ち、終生心に刻み、感謝いたします。では、大変お世話になりました。現世に行って参ります」

「では、よろしくな。ただ、次に会う時は、ぜひ『三界萬霊の番人』を考慮して見てくれよ」

「分かっております。私も、公江のようなすばらしい家庭を築きましたら、思い残すことなく、【カミューン】様の元へ」

「ただ、気を付けてほしい事がある」

「何でしょう」

 【カミューン】は、少し持ったいぶって言った。

「実は、現世の時計が、時を少し早く刻む傾向にある」

「どう言うことですか。実際に時間が早くなっている、と言うことですか」

「そのようじゃ」

「それはまた、どう言うことでしょうか」

「どうも、電磁波の影響らしい」

「電磁波」

「そうだ、電磁波だ。ま、正しくは電磁波の量だ」

「電磁波の量。どういうことですか」

「つまり、お前がこちらの世界で、あのアホに振り回されている間は、現世ではパソコンが主流となっていたな」

「あのアホ。ああ、あのアホですね。確かに、大学入試にも、面接でパソコンを使うことができるか、などと言う問いもあったらしいですし、社会人では必須でした」

「ところが今や、iパッドやiフォーンに始まった、電子機器の発達は、携帯をさらに発達させたスマホ、そしてタブレットが出て来た。今や、一般家庭では、一人一台のスマホは持っている、と言う有様だ」

「何ですか、そのタブレットって」

「説明を聞くより、現世に行って触ると良い。若者にとっては、今や、命の次に大事なものとなっておる」

「それが、何で時間と関係あるんですか」

「それなんじゃ。電磁波は、宇宙から地球へ飛んできている宇宙線と絡み合い、地球の自転速度を少しずつ上げておるんじゃよ。実際に、こちらの一年が現世で五年だったのに、いつの間にかこちらの一カ月が、現世の一年になってきておる」

 言われている事がさっぱり分からない辰夫は、呆気に取られていた。自分が、あのアホ、いわゆる、泰介と意味のない二十年を過ごし、やっと天草の海で、その意味のない時間から決別できた。その後、守護霊にして必死に育てて来た。その育てている間に、現世では、今までの時間の進み方と違ってきていたのだった。

「じゃあ、【カミューン】様は、僕にどうしろ、と仰るのですか」

「いや、お前一人ではどうにもならん。ただ、今のうちにどうにかしないと、温暖化で地球が熱くなって焼け焦げるか、急速な地球の自転ついて行けず、地球自体のオゾン層や大気圏が無くなって、徐々に窒息してしまうかのどちらかだ」

「では、どうすれば」

「できれば、科学者の家に生まれて、電磁波を研究してくれればいいが。【閻魔】にもそう伝えておく」

「分かりました。では、私は【閻魔】様に、現世に戻る方法を一任しておけばいいのですね」

「ああ、そうだ。ただ、前のような失敗はしないよう、返す返す口を酸っぱくして言っておこう」

「そうですね。それは、ひとつよろしく」

 この時辰夫は、初めて微笑んだ。

「では、今からすぐに【閻魔】の所へ行け。後は、良い恋をするんじゃよ」

「はい」

 そう言うと辰夫は、【閻魔】の元へ飛んだ。


 仙人こと漆原辰夫が、現世に戻る喜びの中で、【水天宮】目指して【閻魔】と向かっている頃、<翔>の妹<愛結>は、見事、大江戸大学医学部に入学、医者を目指して勉強を始めていた。学費を稼ぐため、ぶらぶらとバイト募集の張り紙を探して歩く。大学が新宿駅に近い場所にあり、アパートも西新宿だったため、まず新宿、そして次は渋谷か池袋の予定だった。そして、渋谷で、ある募集広告が目に止まった。《一晩、三十万稼いでみませんか。お姉さま方の相手をするだけで、金が入る。イケメンの君に。〔トッケム・ニャア渋谷店 電話・〇三ー××ー××ー○○○○〕》。いわゆる、ホストの募集だった。金が欲しい<愛結>は、取り敢えず男になる手術費用を稼ぐまでは、とにかく早く金が欲しかった。すぐ、決めた。

{ちょっと、決めるの早過ぎじゃない}

 上で見ていた紗枝は、少々焦りを感じていた。急いては事をし損じる。こんな時は、だいたいしくじるものである。案の定、その会社は、何とあのハーフ・ホウモウ・タレントプロダクション(HHTP)だった。何も知らない<愛結>は、会社のあるビルに入って行った。紗枝は、何となく嫌な雰囲気を感じていた。

{だいたい誘い文句が良すぎるわ。一晩で三十万。そんなに稼げる仕事って、危ない類に決まってるじゃない}

エレベーターで三階まで上って、会社名を張り出したドアを見つけ、ノックをした。すると、中から出て来たのは何と、明石家大輔だった。

「いらっしゃ~い」

 先輩の有名なギャグで、迎え入れた。すると中はかなり広く、ゆうに百人近く入りそうな事務所だった。すでに、四十人近く応募に来ていた。

「さ、みんな、中の方に入ってや。入口が狭いからな」

 独特の、テンポのいい関西弁で、仕切っている。ニコニコしている。それはそうだ。これだけの数が来れば選り好みできる。

「ほな、もうそろそろ、締切の時間やな。人事部長が来るさかい、ちょっと待っててや」

 そう言うと、黒の蝶ネクタイに、白スーツで決めた明石家大輔は、部屋の奥へ行った。みんな、ライバルと思っているのか、あんまり他と話そうとしない。事務所は、ひっそりしていた。そこへ来たのは、

「お邪魔します」

 と言う、ギャグで入ってきたのは、人事部長だろう。薄くなった頭は、まさに一昔前に言われた、バーコードだった。

「ええ、失礼しました。私が人事部長の島田です。どうぞ、よろしく。君たちを、心から待っていました」

 パイプ椅子に腰かけた応募者は、金髪に染めた長い髪の者、薄いサングラスを掛け、ちょうどディ・アルフェーの一人のような奴。オールバックで、画体が良く器械体操の選手のような奴。薄いサングラスに、白いスーツと白いエナメル靴の者等、様々な男が来ていた。モテたい、稼ぎたい奴らだろう。<愛結>のような者は、皆無に違いない。

「では、今から整理券を配る。この順番に、奥の部屋に来てくれ。面接を行う。今のうちに、書類に名前等、必要事項の記入を頼む。なお、合否の連絡は、書類に書いた電話に、明日中に掛けるので、明日の夕方六時までに電話が無かったら、不合格だった、と思ってほしい」

”へえ、不合格の連絡なしかい。珍しい。それにしても何、聞くんだろうなあ” <愛結>も、さすがに緊張していた。

{どう言う事を聞くのかなあ。<愛結>ちゃんも、今さらどこにも行かないだろうし、ちょっと、面接会場を覗いてみようかしら}

 そう思い、紗江は面接会場に行ってみた。すると、真ん中に座っているのは、名前札に[専務取締役 ジョーカー・藤陵] と書いてあった。金キラ金のネクタイに、赤のシャツ。白いズボンに赤のエナメル靴。と、派手であった。

「君はなかなかいい男だねえ」

 島田が、既に始まった面接で、一番の男に呟くように言った。金髪の長い男だ。薄いサングラスの奥の目が、少し笑った。

「ありがとうございます」

「名前と年齢は」

「大河内安、二十六才です」

「大卒だろう。就職はしなかったのか」

「選考が経済だし、二流の大学なんで、なかなか就職口が無くて」

「それでとうとうここへ。ふん、まあいい。大河内君、年上の女性は好きかい」

「はあ。逆に若い子より、何でも知ってて扱いやすいですね」

{うわあ凄い。さすがに熟女ブームね}

 紗枝は、上で見聞きしながら、一人で驚いていた。

「社長、いかがですか。お聞きのとおりですが」

すると、藤陵は

「よし、ほかの者には黙っておいてくれ。ここで合格だ」

「えっ、本当ですか」

「君ほどのイケメンで、熟女が得意と。あらば、問題は無い。後、夜の方も大丈夫だろうね」

「はい、もちろんです任せてください。一晩、三回戦くらいまでは、オーケーです」

「ようし、いいぞ。このまま隣の部屋で、書類にサインして帰りなさい。数日後、詳しく連絡するから」

「分かりました。ありがとうございました」

 すると、島田が隣の部屋を指差した。大河内は、ホイホイのていで隣の部屋へ行った。

{うわあ、言ってる事と違うじゃない}

島田は、案内役の男に目配せした。すると、その男は次の応募者を部屋に入れた。オールバックの、画体のいい男だった。

「掛けたまえ。名前と年齢を教えてくれ」

「はい、小田万次郎、三十歳です」

「三十。今まで何をしていたんだ」

「はい、自衛隊にいました」

「ははあ、それでその体か」

 そう言うと二人は、タンクトップの隆々とした筋肉と、骨太の体を、舐めまわすように見つめた。

「君、女性は好きか」

 そう言われると、小田は途端に目を細め、鼻の下をだらんと伸ばし、

「は、はい。大好きです」

 と、力を込めて言った。

「分かった。君は夜も大丈夫だな」

「はい。あそこが破れちゃうくらい、って言われた事あります」

「こんな言うてますが、部長、どないでしゃろ」

「ま、顔は芸人のHGみたいだが、体までそっくりだから良いだろう。ほかには言うなよ。この場で合格だ」

「よっしゃ、ありがとうございます」

 上で見ていた紗江は、思わず

{えっ}

 と声を挙げてしまい、慌てて口を押さえた。どうせ聞こえはしないのだが、ついやってしまう。

{うっそお。続けてその場で合格。おかしいんじゃない。まさか、三人続けてなんてことは無いでしょうね}

 紗江がそう思っていると、三人目が呼ばれた。

「名前と年齢を教えてくれ」

「はい。安永ジョーン。三十三才。元、モデルです」

「おいおい、何で元モデルが。仕事無かったのか」

「いいえ。この世界で、もっと男を磨きたいのです。何とか、採用してください」

 島田が聞くまでも無かった。

「そりゃ、君みたいないい男は、即、合格だ。今すぐ、サインしてもらえ。頑張ってくれよ」

と言う具合に、何と、三人目もその場で合格。その後も次々と合格していく。紗江が呆れて見ていると、とうとう<愛結>の番になっていた。

{しまった。<愛結>ちゃん、忘れてた。ひょっとしたら、<愛結>ちゃんも合格じゃない}

勘ぐって見ていると、

「じゃあ、君、まず名前を」

 そう言われて、思わずドキッとする〈愛結〉だ。

”あ、し、しまった。男の名前を考えてなかった”

 焦る〈愛結〉。前に並ぶ二人の親父は、不思議そうな顔をしている。

{細谷俊、って言いなさい}

 とっさに紗枝が、自分の恋人の名前を言った。〈愛結〉は、耳元で何かが聞こえたように感じ、耳をはたくようにして、辺りを見回した。

「どうした。虫か何かいたのか」

「あ、い、いいえ。えっと、細谷、細谷俊です」

「変な奴だな。まあ、いい。とこえろで何だ君は。ずいぶん。胸が張ってるな。何かスポーツをやっていたのか」

「あ、はあ、空手で鍛えたもんで」

 実は、高校時代、空手部に所属した〈愛結〉は、さらに男を磨くため、男子空手部員と練習していた。当然、筋力も女子よりついていた。しかも、元々の胸のサイズもDカップで、どちらかと言うと、どころではなく。確実にグラマーだった。しかし、こうやって男の中に入る時は、晒で締め付けていた。それでも、男と違って、やわらかい盛り上がりの線は隠せない。島田は、上から下まで舐めまわすように見ると、一言藤陵に囁くと、〈愛結〉に再度聞いた。

「君は、まだ若いんじゃないか」

 と、藤陵が聞いた。

「はい、二十歳です」

「ひゅう」

 島田と藤陵のスケベ親父二人は、揃って口笛を鳴らし、なぜか指を鳴らして、

「はい、合格」

 と、案の定合格だった。しかも、<愛結>に限っては、明日から来ても良い、と言う事だった。藤陵は、〈愛結〉の書類に二重丸をつけ、島田に目配せをした。すると島田は、その書類を藤陵専用のカバンに入れた。

“あれって、どういう意味かしら”

 一部始終を見ていた紗枝は、二重丸の意味と、個人専用のカバンに入れられた意味を思案していた。ただ、彼女一人明日から、と言う事とつながりがあるように思え、その接点を探るつもりだった。合格者全員が、一回は必ず研修すると言う。明日、ここに再度集合、と言う事で、その日は結局、全員合格して帰った。〈愛結〉は、収入が得られそうになり、嬉しくなって、兄にメールした。しかし、そのメールがどうしても、届かない。相手が受け付けないのだ。妙に思ったが、仕方なくその夜は、そのまま眠ってしまった。

そして次の日、集合場所の代々木に行ってみると、何と貸切りバスが来ており、団体名の所には『《トッケム・ニャア》研修生御一行様』とある。そして、昨日の合格者(全員)四十人を乗せて発車した。その先は、〈翔〉が連れて行かれた場所と同じ【富岳風穴】だった。そして、研修のための部屋へ案内された。しかも、その部屋は、何と〈翔〉たち『ニューハーフ』が集められた場所と、反対側にあった。穴の中への入り口は同じだが、右が『ホスト』。左が『ニューハーフ』。その真ん中に、ステージがある。二階が事務所のようだ。

しかし彼らは、ここの造りを理解していない。事務所の上には、大きな建物が建っている。エレベーターで昇っていく造りだ。そしてよく見ると、周囲を鉄条網で囲んであった。その上、サーチライトや防犯カメラ、温度センサー、振動センサーが建物の至る所に取り付けてある。エレベーターで昇った先は、まるで飛行機の管制塔だ。

計器やディスプレイがたくさんある。そのディスプレイには、防犯カメラの映像がくっきり写っている。あちこちの計器には、センサーで感知した反応がアップされる。

つまり、樹海に逃げ出す前に、センサーで感知され、サーチライトで照らされ、防犯カメラで捉えられ、あっという間に、例の禿げ頭達に捕まってしまう。恐ろしい【タコ部屋(※明治時代の北海道で、開拓労働を受刑者にさせた時、住居や食事、労働時間等が過酷。しかも、住まいは鍵を掛けられ、監視がいた)】と同じだ。

しかし、まだ実感のない〈愛結〉は、早く働きたくてウキウキしていた。次の日から、《トッケム・ニャア》と言う名前の店で、働く意欲満々の<愛結>だった。しかし、心配なのは紗枝だった。如何せん怪しい。部屋に入ってメールをしている〈愛結〉。しかし、当然のようにつながらない。

“そのうちつながるだろう”

と、さして気にもせず、明日に備えてさっさと寝てしまった。

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