第8話

やはり、ここにきても自分より下位の霊は、あまり見かけない。またまた、ため息が出た。そんな中、早速、ママ友の話が始まった。すると、何分もしないうちに、その家の女の子は、ママの傍から離れ、部屋をうろうろし始めた。そして、あっという間に、違う部屋へ出て行った。泰介は、<翔>がおとなしい事をいい事に、その家の女の子の、後を付いて行った。そこは、居間のようだった。しかし、<翔>の家より、やはり金持らしく、居間と言っても、六人掛けの大きなソファが二つ控え、床暖房仕様の暖炉があった。しかし、暖炉にも実際に薪をくべるらしく、周りのレンガに煤が付いている。そのレンガの上に置いてある、写真を何気なく見た泰介は、目が点になった。白百合女学園大学の卒業生らしく、卒業式で友達と映っている写真が、飾ってあるではないか。しかも、その写真の女子達は、泰介が天草の海でおぼれた時の美人集団。ほかに知らない女が二人映っていた。

“あん時の女子の友達か”

 泰介は、複雑な気持ちだった。写真をよく見ると、残りの二人のうちの一人が、この母親だと言う事か。

“て、事は。あの時、海に来ていなかった、野々村愛理か【新垣結衣】似の子だな。うひゃあ、めっちゃ可愛いじゃん。それが今は”

 泰介は、顔さえ見た事が無かった美人を、こんな所で見るはめになった。気になった泰介は、表札を見に行った。そこには【望月】とあった。【ガッキー】に似ている女子は、望月と言ったらしい。家族構成も書いてある。望月信が夫。妻は瑠(る)偉(い)。子ども恵(え)里(り)衣(い)。はしかし、現在は当時の面影さえ見当たらない。泰介のそんな愚行はさておき、ママ達に目を移すと、最近のママらしく、自分達の事に集中して、子どもはフリーだった。

「大丈夫なの。奈々ちゃん、一人で」

 何気無く裕美が聞くと、その母親は慌てたそぶりも見せず、

「大丈夫よ。今まで、何度も危ない目に合ってるけど、そのたびに危険をすり抜けて来てるの」

 と言う。泰介は、

”これこれ、それは、さっきの新人さんが大変な目に合って、守ってくれているからだぞ”

 と、思ったが、現世の人間が分かるはずはない。

「へえ、じゃあ、安心ね」

{違う。そんなこと言ってる場合じゃないって。早く行って見てあげてよ}

男の守護霊は、そう嘆きながら、泰介の横を追いかけて行った。ママは、ちらっと子どもを一瞥しただけで、早速、机上のせんべいをつまむと、ママ友との話に夢中になっていった。その間にも、男の守護霊は

{ヒイ、待ってえ}

と、半分泣きながら、奈々と言う女の子の後を、今度は逆に追い掛けていく。それを見ながら泰介は、申し訳なさそうにしながらも、くすくすとつい笑ってしまった。

{これだから困ったもんですな。まったく。昔を思い出しますよ}

聞き覚えのある声に、どきっとして上を見ると、やっぱり。仙人が浮かんでいた。“また、来たのかよ。よっぽど暇なんだな”

と言い掛けて、泰介は、慌てて口をつぐんだ。そして、

{あ、こんにちは。また、心配して見に来て下さったんですか}

と丁寧に言った。

{あら、珍しい。まともに話せるじゃん}

仙人がからかうように言った。一瞬、『何い』と思ったが、もう以前のような泰介ではなかった。

{いえいえ、まだまだです}

と答えた。すると仙人は、

{本物ですか。それならいいけどでも、少し気色悪う}

と、あくまでも、挑発してくるような言い方だった。しかし、この作戦にはもう乗らない。

{ふふ、そんなあ。いつまでも、そんなアホじゃありませんよ}

と、呟くように言った。

{ほう、そこまで成長したなら、次が楽しみだね}

と言うと、また、すーっといなくなった。少しは心配してくれているみたいだ。この時泰介は、先ほどのゲンコツの件も合わせて、初めて仙人に対して、スズメの涙ほどの、感謝の気持ちが芽生えた。その事を頭に入れてから見ると、さっきの守護霊の大変さは、一気に理解できるような気がしてきた。

そんな事があってから半年後、二人目の子どもが生まれた。泰介は、

“まったく俺の汗と涙のおかげだぞ。子どもが目を覚ましても分からないくらい、ラブに夢中になりやがって”

と、心の中でたっぷり恩を着せた。生まれたのは女の子だった。お産に立ち会うため、<翔>について病院に行った泰介は、そこで、この女の子の守護霊に初めて会った。その瞬間、泰介は目が点になった。裕美ちゃん以来の美人だった。

{こんにちは。私、この赤ん坊を守ることになりました、奈良原紗枝です。よろしく}

{や、やあ、僕、荏籐泰介です。よろしくお願いします」

{荏籐さんって、〈翔〉ちゃんの守りをなさってるんですね。どうですか、彼}

{い、いや、た、大したことないですよ。はは}

戻ったと見せかけて、実は二人の様子を隠れて見ていた仙人は、苦笑いしながら今度こそ、自分の担当者の所へ戻っていった。<愛結(あゆ)>と名付けられた妹は、おとなしい<翔>とは大違いで、ハイハイをする頃から、とても忙しかった。何にでも興味を持ち、それこそ、何でも構わず口に入れた。紗枝は、毎日息が抜けなかった。泰介は、自分のようにぶつくさ言わず、甲斐甲斐しく<愛結>の世話をする紗枝が、だんだん気になっていた。そんな毎日を繰り返しながら、あっという間に一年がたち、<翔>も<愛結>と兄妹で遊べるようになっていった。その様子を浮かんで見ている泰介も紗枝も、ニコニコして見ていた。二人で遊んでいる時はゆっくり見ていられる。時々、気を抜けるようになった泰介は、美人の紗枝が気になって仕方がなかった。そしてある日、とうとう思い切って、

{紗枝さんは、現世では、何のお仕事をしてらっしゃったんですか}

とプライベートなことを、聞いてみた。すると

{私は、普通のOLでした}

 と、現世では考えられないくらい、美人が普通に相手をしてくれた。

{なぜ、この世界へ}

 調子に乗って聞くと、

{ええ、実は細谷俊と言う彼と、夜の海へドライブに行った時の事なんです}

{彼がいたんですか}

{ええ}

”チャンス”

とばかりに泰介は、ほくそ笑んだ。この年だから、彼はまだ現世だろう。そうとくれば、この美人を目の前に、放っておく手は無かろう。現世では全く、女子と縁のなかった泰介だが、守護霊の世界に来て、初めて《恋愛》の機会が訪れた。しかし、守護霊同士の《恋愛》なんて、しちゃっていいのかな。ま、余計な心配はしないで、大丈夫にしておこう。

{交際していたんですか}。

 と聞くと、頷いた。海岸でデートを、良くしていたそうだ。

{海岸に車を止めて、海を眺めるのが、二人とも好きでした。遠くの灯台の灯りが、時々、海の上を滑るように光っていました}

”やっぱり、美人はムードのいい場所が似合うねえ”

一人で悦に入っている。

{サザンの曲を聞きながら、いろいろと話しをするのが、普通のデートでした。時には、食事もするのですが、仕事が終わってからなので、飲みに行く事もありました。ふふ、彼ったら私よりお酒弱いんです}

 聞いてもいないのに、どんどん話してくる。泰介は、ちょっと熱くなった。

“もう、いいけどなあ。彼の話は”

 ちょっと食傷気味になった

{そこで彼は、助手席の私に向かって、ぱっと箱を取り出して『結婚して下さい』って、言ってくれたんです}

そう言いながらはにかむ。頬を少し赤らめ、白い手で頬を覆った。

{そしてオーケーしたんですか}

{はい}

{その人はいい男だったんでしょ。あなたみたいな、美人が惚れるくらいだから}

少し投げやりに尋ねると、臆面も無く

{はい。実は、俳優の溝淵順平さんに似ていたんです。とっても優しくて}

と、嬉しそうに言った。目は虚ろで、夢見心地のようだ。もうこうなればやけくそだった。

“紗枝は、すでに守護霊になっているとは言え、まだ彼に、ぞっこん惚れているじゃないか。そんな人、いや霊。ええい、そんな事はどうでもいいが、つまりそう言う個体に、事もあろうに、惚れてしまうなんて”

と、テンションはガクンと下がった。ところが、泰介は、嬉しい事実を発見した。紗枝は守護霊になっているし、泰介もそうだ。しかし、問題の彼は、まだ生きているはずではないか。それなら、どんなに恰好よくても、愛し合っていても、もう、一緒になれるはずは無い。彼女と同じ、守護霊の泰介の方に、告白のチャンスが巡っている。

{でも、残念でしたね。その人と結婚できなくて。まだ、現世の方に}

と、泰介が少し喜んで言うと、紗枝は、下を向いてしまった。

”こりゃ、チャンス到来かも”

と、一瞬喜んだが、彼女は下を向いたまま、首を横に振り、泰介の後ろの方を指差した。

”ま、まさか”

と、嫌な予感のする泰介だった。恐る恐る彼女の指差した、自分の後ろの方を見てみると、なんと、そこにはさっきのイケメンがいるではないか。

”ええっ、まさか。さっきの彼。しゅ、守護霊じゃないか”

{ま・さ・か}

{彼です。細谷俊って言います}

{も、もう、守護霊なんですね}

{ええ、同時に現世を離れたんです。ある理由から}

 はにかんで言う、その仕草も可愛い。しかし、彼には参った。すでに守護霊になっている。しかも、泰介が、上から目線で物が言えた、数少ない守護霊だ。

”彼が、あの美人の彼氏だったのか”

諦め気味の泰介。しかも、よく見ていると、顔が良いだけではなく、自分が世話をしている女の子に必死だし、人柄も真面目そうで、全てにいい加減な泰介が、追い付ける要素は、まるで無さそうだった。この世界まで来ても、やはり女性に縁の無い男のようだ。相変わらず、奈々を必死で追いかけている彼を、ぼんやり見ていると、突然、バシャっと、頭に水が掛り、驚いた。

{だ、誰だ}

思わず叫ぶと、

{どうした}

まったくおちょくる言い方で、仙人だった。

”な、何すんだよ、く、くそったれ”

と、思いながら、ぐっとこらえて

{ちょ、ちょっと、ひどいじゃないですか}

と、精いっぱい下手(したて)に出て、文句を言った。

{また、ドジな事やってるね}

”う、しまった、見られていたか”

泰介は、一瞬焦ったが、そこは諦めて、正直に言ってしまった。

{い、いやあ、ばれていましたか。あはは、残念ながら、パスでした。}

{いやあ、そんなに冷静に言われると、水をかけたりして、申し訳ない。済まなかったねえ。ただ、早く目を覚ましてほしかったので。できれば『水入りにして』。なんちゃって}

{おやおや、仙人様まで親父ギャグですか。参ったな、こりゃ}

”くそおもしろくもねえ、親父ギャグなんだよ。へん、そんな事言われなくても分かってるよおだ。あんたに言われるまでも無く、土台、無理だったんだよな、あんな美人”

と、思ったが、

{あはは、ちょっと〈翔〉君に余裕ができたので、つい、気持ちに隙ができてしまいました。守護霊道に精進します}

と泰介は、半分やけくそで、仙人に言った。

{そうです、頑張ってね。うん、なかなか素直でよろしい。ぼちぼち、<翔>君にも目を向けたが良いんじゃない}

言われてみれば確かに、気になる。

”しかし、仙人はよくよく、自分の担当の人を離れられるな”

と、これもまた、気になる。そして思わず、泰介は聞いてしまった。

{いつも、僕のことを心配してくださって、感謝しています。ただ、仙人様が今、担当されている方は、大丈夫なんですか。しょっちゅう僕のことを心配して、来てくださっていますが}

すると仙人は、余裕の顔で

{はは、心配ご無用。今回の担当は、もうすでに百二十歳を超えておられる。細胞寿命の予定では、もうすぐ大往生なさるのだ。すると私もいよいよ、あの【カミューン】様に呼ばれ、転生が可能になる。ああ、目の前のアホな人間にさえ付かなかったら、こんなに長きにわたって、守護霊をする事は無かったのに}

仙人は、目を潤ませながら、遠くを見つめるような仕草で、一人感激していた。

”済みませんねえ、アホで。早く、転生できられるのを祈っています、よ”

こそっと【アッカンベー】をして、急いで<翔>の所へ戻った。行って見ると、紗枝が二人とも見ていてくれた。

{済みませんねえ。ありがとうございました}

{いいえ。全然心配要りませんでした。〈翔〉ちゃんって、おとなしいですね}

{そうですかあ。前は大変だったんですけど。そう言えば、最近はそうかなあ}

照れ笑いして頭をかきながら、泰介は言った。しかし【死神】にまで避けられた事は、言うはずもなかった。

{さっきから<愛結>ちゃんと、おままごとばかりしてますよ。本当にお利口だわ}

そう言いながら、二人を見つめる紗枝の顔は、優しいまなざしが素敵で、泰介はまだ諦めきれない。<翔>が日を追うごとにおとなしくなって、紗枝に、未練たらたらの泰介であった。ところが、日に日に<愛結>の方が元気になり、遊びも激しくなっていった。逆に<翔>の方は、<愛結>の使っていた、お人形さんで遊ぶ始末である。二人して、<愛結>を追う時間の方が、多くなっていった。そのうち、二人が保育園に行く事になり、泰介も紗枝も付いて行った。しかし、保育園でも<翔>はおとなしく、泰介は、<翔>の動きの少なさに感謝していた。それどころか、お人形さんで遊んだり、女の子と静かに遊ぶ事が多かった。逆に<愛結>が大変そうで、紗枝はますます忙しくなっていった。しかも<翔>と違って、男の子とばかり遊んでいた。守護霊の二人、特に紗江は、お昼寝の時間だけがゆっくりできた。

{紗枝さん、随分大変そうですね}

{ええ、家にいた時は、相手がいなかったんですかね。保育園に来たら、それこそ水を得た魚のように、元気になりました。だから、大変ですよ}

{代わって良ければ、代わってあげたいけど}

{仕方ないですね。これが運命としか、あっ、ちょ、ちょっと大変。午睡が終わったみたいです。済みませんが失礼します}

 バタバタしながら<愛結>の元へ駆けつける紗枝だった。それを悲しい目で追いながら、泰介は、ふう、とため息をついた。目の前の<翔>は、相変わらずぼやっと目を覚まし、おやつの準備を始めた。<愛結>は、布団もそのままに、隣のクラスに遊びに行っているらしい。三歳児の年中さんは、園にも慣れて、しっかりしてくる。男の子はそこそこに、元気らしいが、<翔>はまるで違う。ほかの男の子が、おやつをバクバク食べて、こぼしまくる時に、おとなしく、全然こぼしもせずに食べている。泰介でさえが、

{あんなにゆっくり食べて、果たして美味いのかな}

 と思うくらいだった。かと思うと<愛結>は、おやつに出た餅菓子のきな粉を、口の周りいっぱいにつけて、さっさと食べ終わると、部屋を走り回っている。先生の言う事など、耳に入りもしない。そのたびに、紗江がふうふう言いながら追いかける。 

おやつが終わると、帰りのあいさつをして、迎えを待つだけだった。その間、<愛結>は相変わらず、友達とキャーキャー言いながら、走り回っている。<翔>は、と言うと、逆に、人形相手に、頭を右に左に傾けながら、何か独り言を呟いている。それを見ながら泰介は、

“ゆっくりなのはいいけど、何でまたこんなにじっとしてるんだろう。ま、このままの状態で大人になって、寿命をまっとうしてくれれば、こんなに助かる事は無いけどな”

と、相も変わらずぐうたらな思考で、一人、ほくそ笑む。そのうちにお迎えが来た。この頃パートを始めた裕美が、車で迎えに来たのだ。車の上を、一緒に移動しながら、

{やっと家で、おとなしくなりますね}

と、疲れ果てた紗枝を慰める泰介だった。紗枝も

{そうですね。早く着かないかしら}

と、帰宅を今か今かと待っていた。ところが、車は、行った事の無い道へ入って行く。

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