第6話
仙人に促されるまま、再び暗い空に浮かび上がった二人は、流れ星のように急いで飛んで行った。間もなく、薄暗い土地に二人は降り立った。少し離れた所で、ザーッと木々の葉の擦れ合う音がする。山の近くのようだが、低い山ではないらしい。木々の香りが、麓から吹き上げる風に乗ってくる。微かに潮の香りだ。朝が近いとは言え、夜中である。三日月の薄明りで、やっと道が見えた。ごつごつとした岩肌を、転げそうになりながら、仙人の後ろを登って行った。途中で何気なく尋ねた。
{さっき最初からって、言いましたけど、いつからなんですか}
{お前が生まれる時からだ}
すると泰介は、
{生まれる時、って現世に戻れるんでしょ。最高じゃないですか}
と嬉しそうに言った。すると仙人は、これ以上ないと言うくらいの、苦り切った顔をして
{冗談じゃない。お前みたいな奴の守護霊をもう一回なんて、想像しただけでも反吐が出るわい。さ、行くぞ}
そう言うと仙人は、泰介の手を引き、ぐいぐい登って行った。
{分かりました。でも、そんなに言わなくても、いいんじゃないのかなあ}
登りながら、突然振り向いて
{いい加減に、すぐ手を抜こうとする態度、改めておけよ。この後お会いする方は、そのような心は、すぐに見抜かれるからな。いいか}
顔がくっつくくらいに近付けて、仙人は念を押した。
そうこうするうちに仙人は、だんだん慎重になって言った。
{さあ、着いた}
と、暗い中、大きな岩の前で立ち止まった。
{お前の新しい出発の、最初で最後のチャンスだ。さあ}
そう言うと、泰介を自分の前に立たせ、大きな岩をノックした。
{何じゃい}
地面に響くような太く、大きな声で返事がきた。思わず泰介は固まってしまった。
{誰だ、この人}
{誰じゃ。何か用かあ。速く答えろ}
岩の向こう側から、呼びかけてくる。空に響いて、聞こえて来る。少しイライラして
いるのかも知れない。
{あの、ゴクッ}
仙人は、唾を飲み込んで言った。
{と、東京から参りました。守護霊をしておりました、私が野上。そして、こいつが、例の荏籐泰介です。}
{何ですか、例のって}
小声で聞くと、
{【閻魔】様も、【カミューン】様も言われていただろう。お前は、人間以外の世界では、超有名だったからな}
{外でごちゃごちゃ言ってないで、入れ}
再び、太く、大きな声が、まるで様子が見えているように言った。
{は、はい。し、失礼します}
ビクッとした仙人は、慌てて、ギギッと、重い岩の扉を開けた。中に入ると、そこら中に広げられた釣針や網で、良く顔が見えない。
「お前が例の泰介かあ~。ふふん」
鼻髭や口髭が、顔の半分まで生えた中から、野球ボールはあろうかと思われるくらいの、大きな目玉で二人を睨みつけたのは、【燦(さん)王(おう)】だった。
{怖(こわ)}
泰介は、思わず漏らした。そりゃそうだろう。なんせ、四~五メートルはあろうかと思われるくらいの身長に、筋骨隆々とした身体。あの、法隆寺の運慶や快慶が作ったとされる、あの仁王像そっくりだった。
{怖、だと}
【燦王】は、そのひん剥いた眼で、頭を傾けて泰介を見た。
{わしの、どこが怖い。この優しそうな顔を見ていて、失礼な}
{そ、そうですよね。す、済みません、こいつ、思った事をすぐ、口にするので。あはは}
仙人は、慌てたあまり、正直に言って、ドツボにはまった。【燦王】は、ニタニタしている。そこが、めっちゃ不気味だ。
{あ、いや。こ、こわれ、壊れそうになっているんですね、その刀。って、言おうとしたんです。だ、だよな。おい}
仙人は、冷や汗をかきながら、泰介に同意を求めて来た。その顔に笑顔は無かった。明らかに焦っていた。
{なあ}
{あ、はい}
と、泰介までビビりながら返事をした。すると、さっと【燦王】の顔から笑顔が消え、雷が落ちたかと思うような、大きな声で言った。
{壊れそうな刀だあ。どれ見て言ってるんだ}
【燦王】は、そう言うと腰に刺した刀を抜いて、目の前にかざして見せた。ギラギラと鮮やかに光り輝くその刀は、壊れそうだとは、冗談でも言えないような立派なものだった。
{す、済みません。こちらからは暗くてよく見えなかったものですから。ほら、お前からもお詫びして}
そう言うと仙人は、急いで泰介の頭を強引に下げさせた。
{どうも、あ、すいません。と言うと、【燦王】が来るう。ってね。なんちゃって}
完全に、仙人はドン引き。後ろへ下がっている。逃げる用意だ。【燦王】は、と言うと、泰介のアホさを実感したようで、話題にもしない。完全にスルーだ。
{ふ、そうか、暗いのか。そう言や、外は未だ夜が明けてないんだな}
肩透かしを食った感じだが、仙人は、泰介の口を押えて、胸を撫で下ろしている。
{はい。そうなんです。ど、どうぞ、お許しを}
{で、何の用だ。そこで、こそこそ言ってないで、はっきり言え}
{はい。じ、実は、例のアホな男も、守護をする立場になりまして、そのお許しを頂きに参りました}
{どれ、しっかり顔を見せよ。先ほど、アホさ加減は見せてもらった。聞きしに勝る男だ。そうは拝めんだろう}
{【燦王】様、ご存じで}
{お前を知らないと、【JK】に置いてかれるからな}
そう言うと、【燦王】は、『信じられない』と言う顔の仙人を尻目に、わざわざこちらに近づいてきた。そして、まじまじと泰介の顔を見ると、
{ほほう、よく見ると、なるほどお。そんな顔しとるわい。ふん}
と、鼻で笑い飛ばした。
泰介が泣きそうになると、横を向いて『くっ、くっ、くっ』と笑いをこらえる仙人だ。【燦王】に言われたとあっては、泰介も反抗はできなかった。
{どれどれ、そのアホが、いよいよ人に恩返しするのか。承認されたら、ま、迷惑を掛けないように、頑張るんだな}
{頑張ります}
力を込めて返事をした。すると、【燦王】は泰介と仙人を中に入れ、奥の部屋へ連れて行った。薄暗いものの、天井はあるのかないのか、分からない位に高い。大きな洞窟の様な所を、歩いて行った。途中には、広場の様な場所があり、鳥居があった。その鳥居をくぐると、高さ三メートルはあろうかと言う大きな岩が、泰介達三人の前に姿を現した。
{着いた}
【燦王】は、低く静かに呟いた。同時に『ごくっ』と、仙人が唾を飲む音もした。明らかに緊張している。
{ふう}
と、一息吐いた【燦王】は、
{では、参るぞ。気をしっかり持て}
と、今度は太く、しかし、静かに言った。
{何ですか}
さすがの泰介も、雰囲気は感じたので、小声で仙人に聞いた。仙人は、目をひん剥いて泰介を諭した。その様子は、さすがに、黙っているしかなかった。大きく前に出た【燦王】は、
「中におられます、偉大な神よ、戸を開けていただけないですか」
と声を掛けた。暗闇の洞窟に、太く低く【燦王】の声が響いた。しばらく時間が経ったが、中から声はしない。もう一度、同じように【燦王】は声を掛けた。
{一体、誰が居るんですか。こんな暗闇の洞窟に}
{知らないの。天照大神様のいとこの【天輝凜(てんきりん)】様だ。お前の守護霊への承諾を、このお方に頂かねばならないのだ}
泰介は神妙に聞いた。
{太陽の神とされるこの神が、扉を開けて神の光を当ててくれれば、お前も晴れて守護霊になることができる。だから、今が一番大事だ。ここで失敗すれば、お前は体を失ったまま守護霊にもなれず、次の守護霊が見つかるまで、【閻魔】の下で働き続けるか、浮遊霊として、【補助霊】と、出会うまで浮遊しておくか、となる}
{【閻魔】様の下ですか。ラップでも、【閻魔】様は怖いですね}
その時、【燦王】が帰って来て、
{駄目だこりゃ。諦めよう}
と、引き返して来た。
{駄目だ、じゃないですよお。頑張ってくださいよ。お願いします}
仙人は、打って変わって必死になり、あれほど怖がっていた【燦王】に迫った。よほど、泰介から逃げ出したいらしい。その気迫に押された【燦王】は、
{分かった、分かった。じゃあ、もう一回だけ言ってみるわい}
{こいつ、一緒に行かせましょうか。ひょっとしたら、【天輝凜(てんきりん)】も、このアホさはご存じではないでしょうか}
その仙人の言葉に、じっと泰介を見た【燦王】は、
{そうだな、駄目もとで連れて行ってみるか。じゃあ、来い}
そう言うと、泰介の腕を掴んで、大きな岩の戸の前に連れて行った。並んで立ち、耳元で
{お前、人間だった時、友達に大受けした踊りが、あるそうだな}
{よくご存じで。これだけが友達とつながる唯一の技でした}
{お前、それを踊れ}
{ええっ、ここでですか。何だか恥ずかしいなあ}
{バカ、恥ずかしいなんて言ってられるか。踊れ。さあ}
{わ、分かりましたよ。踊りゃあいいんでしょ、踊りゃあ}
【燦王】に言われて、大学のコンパや試合の打ち上げで踊った、腰振りダンスを踊り出した。泰介の腰振りダンスは、【泰っちスペシャル】と呼ばれ、これだけは友達も喜んだ。ただ腰を振るだけではなく、手を上下左右に振り、友達に教わった天草の【牛深ハイヤ】と【佐渡おけさ】を、合わせたような踊りだった。
{よし、お囃子を私がやろう}
そう言うと仙人は、どこに隠していたのか、太鼓や笛、鉦(かね)などを、まるでドラえもんのポケットのように、次々と出した。そして、どんどん、カンカンと鳴らし始めた。
その音に合わせて、得意のダンスを踊り出した。
「中におられます、偉大な神よ。ぷっ」
言い掛けていた【燦王】は、泰介のダンスを見て、途中で吹き出した。
{ちょ、ちょっとお、【燦王】様。ちゃんとお願いしますよ}
{すまん、すまん。あ、う、よし}
声を出す準備をし直して、もう一度チャレンジした。
「中におられます、偉大な神よ、戸を開けていただけないですか」
そして、その後に
{今日は、あの有名な、アホダンスの男が来ております。どうぞご覧ください。神よ}
そう言うと、【燦王】は片膝をついて、毛むくじゃらの右手を胸、左手を腰の剣に当て、頭を垂れた。まるで中世の騎士が、王にかしずく様なイメージだった。しばらく踊っていると、突然『ごごっ』と言う音がしたかと思うと、目がくらむようなまばゆい光が、三人の中に射しこんできた。
{うわ、眩しい。誰だ、こんな眩しいライト当てる奴は}
{わらわは、【天輝凜】と申す。少し眩しいかもしれんが、我慢いたせ}
そう言いながら、さらに岩の戸が開いて、昼間のように明るくなった。太陽が目の前にある様な印象だ。眩しくて目を開けてはいられない。
{わあ、ついに神さんが出て来たよ}
{こら、神さんではない、神様だ。それではまるで、家(うち)のかみさんではないか}
【燦王】が戒めたが、それどころではない。
{どうでもいいから、早く用件を済ませちまおうぜ}
仙人も、目を開けてはいられないらしく、【燦王】にお願いしている。しかも、眩しさに我を忘れ、ため口で【燦王】に話しかけている。気付いた仙人は、慌てて言い直した。
{いや、し、失礼しました。ちょっと、ちょっと、言葉が出て来ませんで。す、済みませんが、早くお願いしていただけませんか。眩しくて、眩しくて}
{よし、分かった。では早速}
そう言い掛けた時だった。
{駄目じゃ。すぐにはオーケーせん}
{そんなあ、何で。本当は出来なかったりして}
泰介は、踊りながら嘆いた。それを聞いた仙人は少し慌てたが、
{お前の踊りは、神の世でも、黄泉の世でも、人の世でも珍しい。しばし、踊って見せよ。さっき、モニターで少し見たが、大笑いしてしまったぞ}
と言う【天輝凜】の話に、ホッとした。
{モニターなんて持ってるんだ。そう言や、【閻魔】様もDVDとブルーレイの、デッキ持ってたしな}
ぶつぶつ言いながら踊っている泰介に、仙人はここぞとばかりにけしかけた。泰介は仕方なく、泰っちスペシャルのスイッチを最高レベルに上げて、思い切り踊った。
すると目が慣れて来たのか、光が弱くなってきたのか、ようやく目を開けられるようになった。周りを見てみると、【燦王】は腹を抱えて大笑いしていた。【天輝凜】はどこかと探してみると、戸の前で着物の裾をはだけて、転げ回って笑っていた。泰介も嬉しくなって、もっとパワーアップして踊った。余りに踊り過ぎて、くたくたになった泰介は、息をはあはあ言わせ、フラフラしながら
{もういいですか}
と聞いた。
{はあ、はあ。ああ、可笑しかったあ}
そう言う神の顔を見ると、
{わお、美形じゃん}
と、思わず言ってしまうほど、美人だった。目は二重の涼しい目元。鼻筋はすっきり通って、眉は細く長く、髪は、黒髪に天使の輪が光っていた。色白は七難隠す、の言葉通り、何があっても許せそうな顔立ちだった。タレントで言えば、さしずめ米倉涼子か土屋アンナだろう。その美人が、目に涙を浮かべて、大笑いしたと言うのだから、
“踊って、良かったのかも知れない”
と泰介は思った。すると、さっと舞い上がるように浮かんだ。そして
{では、結論から言おう。お前を守護霊に任ずる。守護霊になる人間を選ぶために、福岡は久留米の【水天宮】へ行け。人間時代、役に立てなかった分、人間を助けよ。その人間が無事に往生出来たら、お前の輪廻だ。以上}
それだけ言うと【天輝凜】は、さっさと岩の中へ帰ってしまった。【水天宮】とは、子授け・安産の神で、久留米を総本宮として、全国に分かれている。その総本宮から、泰介がいる東京の【水天宮】を介して、都内で守る人間を探す事になった。
{頑張りますう}
ガッツポーズで、【天輝凜】に手を振ると、仙人と手を取り合った。
{それにしても、良かったじゃないか}
{はあ、ありがとうございました}
洞窟からの帰りも、【燦王】はまだ、思い出し笑いをしていた。
{じゃ、お世話になりました}
{おう、元気で頑張れ。もう、来るなよ}
{ええ、もう絶対来ません}
泰介は、口をへの字にして言った。すると、【燦王】が呼び止めた。そして、飛び立とうとする泰介達に、
{あの、踊り、いつか教えてくれよ}
カードを渡しながら、そう言ってきたので、
{【燦王】様用を考えておきます}
そう言うと仙人と泰介は、さっさと飛び立った。そして、いよいよ今度の目的地、東京の【水天宮】を目指すことになった。【水天宮】でいよいよパートナー探しだ。
{さ、つかまって。早く行くぞ}
仙人はそう言うと、にやけている【燦王】をほったらかしにして、さっさと飛び立った。泰介も必死につかまって飛んだ。帰りは、飛行機並みに速いスピードで飛んだ。
そのあまりの早さに、泰介も、何も考える余裕はなかった。宮崎から福岡の久留米だから、あっという間だ。しかし急がないと、東の空が白み始めている。それを見た仙人は、大慌てで【水天宮】の総本宮に入り込み、それこそ、あっという間に交渉し、またまた、あっという間に東京へ向かった。早い、早い。その裏には、仙人の『泰介と、二度と関わりたくない』と言う、強い気持ちがあったのだ。知らぬが仏。泰介は、仙人に引かれて、優雅に歌でも口ずさんでいた。そして仙人は、日本橋にある【水天宮】へ着くなり、受付に行って、受付嬢にまくし立てた。
{来月生まれそうな赤ちゃんのリストを、一刻も早く見せてください}
すると、巫女のような格好の受付嬢は、首を軽く横に振り、
{証明書を見せてください}
と、ゆっくりと言う。
{ええっ、承認もらったじゃないか。【天輝凜】様に聞いてよ}
と、仙人は焦って言った。
{ではお待ちください}
そう言うと、傍らのパソコンでメールを打ち始めた。すると程なく、返事が来てようやく、オーケーをもらうことができた。
{早く、早く。君も早く}
仙人に急かされて、赤ん坊のリストを見た。リストには、将来の予想される顔写真と、XX細胞とXY細胞の遺伝子の、螺旋状構造が載せてあった。
{こんなんで分かるわけないよ}
そうしている間にも、一番鶏が鳴き始め、牛乳配達の車がきて、新聞配達の車がきた。
{わお、もうどれでもいい。この子、この子に決めた}
{それでいい。よし、姉ちゃん、この子にしてくれ}
《姉ちゃん》と言われ、明らかにムッとした感じの受付嬢は、
{では、ここにサインして、誓約書を書いてください}
と、乱暴に書類を差し出した。さっさとサインして、必要事項を記入すると、キーを渡された。
{何じゃあ、これは}
{心の鍵だよ。これで、この人間の心に入り、先の行動を読んで守るんだ。心が読めないと、誰かさんみたいな、すっとぼけた人は、絶対に守れないし}
ぺろっ、と舌を出しながら仙人は、口をへの字にして言った。
{大変だったなあ。ここまでも道のりは。でも、これでやっと守護霊になれるな}
自分の事を言われてるのが分からない、幸せな泰介だ。
{いいえ、どういたしまして。とうとうお別れかあ。寂しいなあ}
仙人が言うと、
{しゃあねえや、分かりましたあ}
仙人は、さも気持ちよさそうに笑った。泰介は、
“いよいよ第二の人生だな。人生、て言ったって、いつ人間に戻れるかは分からない。
あいつが言うように、せいぜいあの赤ん坊を守るしかないか”
と、腹をくくったのだった。
{じゃ、長い間のお付き合い、ありがとうございました。また、どこかで会える日があるかもしれないな。がははは}
仙人は、心の底から笑った。本当に嬉しそうだった。
{そ、そんなに喜ばなくても}
{いや、これで大きな肩の荷が下りた。さ、帰ろう}
{ちょ、ちょっと待ってくださいよ。これからどうしたらいいんですか}
うろたえる泰介。慌てて尋ねた。
{あ、そうそう。最後の仕上げだね。さっきの《姉(ねえ)ちゃん》に}
{仙人様、《姉ちゃん》って、言われて嫌な顔していましたよ}
呼び方までいつの間にか変わった。
{仙人様だって。参ったなあ、そんなに尊敬されて}
{しっかり頼みますよ。俺、今からが本番なんですから}
仙人のヘルプが無くなった泰介は、いきなりマジになった。
{心配するな。今から言うようにすれば、いいんですう}
自分の役割が無くなった仙人は、強気になって教えた。
{受付の女の子に、【燦王】からもらったカードを見せて、登録番号を記録してもらう。そして、渡されたGPSの機械を、体にセットすればオーケーだよ。じゃ、元気で。
今度こそ、失敗しないようにしよう、っと}
そう言いながら、仙人は軽く右手を上げ、さっさと帰って行った。来る時も早かったが、帰りはむちゃくちゃ速い。そして仙人は、【閻魔】様の元へ帰っていた。泰介のように、守護していた人間に落ち度があり、守護霊には何の責任も無い場合。しかも、仙人のように優秀な守護をしていたと、【カミューン】が認知していた場合に限り、特別措置として、《現世に近い人間》の守護を命じられる場合があった。《現世に近い人間》と言う事は、簡単に言えば《死の近い人間》。言い換えれば、《間もなく死ぬ人間》と言う事で、輪廻を希望している守護霊にとって、有難い措置であった。その対応のため、【閻魔】様の元へ飛んだのだった。
ところで泰介は、と言うと、
{いよいよ、守護霊かあ。ずいぶん先が長いなあ}
赤ちゃんが生まれるまで、少なくとも一年以上ある。その先、大きくなっていくのに数十年もかかる。考えただけでも泰介は、ふう、とため息が出るのだった。ふらふらしながら受付に行くと、受付嬢の《姉ちゃん》は、殺気立った顔で、目をひん剥いて大声でまくし立てた。
{何をしているんですか。担当の赤ちゃんが生まれます。早く、産院へ行ってください。ほら}
そう言いながらGPSを渡すと、カードをパソコンに記録し、チップを手に巻きつけるように言った。言われたとおりに、ばたばたしながら
{ずいぶん慌てるね}
と聞くと、一瞬怪訝な顔をして
{あなた、まだ人間界の気分でいるんじゃないの。この世界では、人間界の五年は、一年で過ぎてしまいす。あなたみたいにしていると、守る人間の時間の流れについて行けず、いつまでも復活できませんよ}
と、窘められた。
{そうかあ。だから、早く時間が動くんだ}
泣き事を言っている、ゆとりは全くなかった。泰介は、すぐに指定された、渋谷の産院へ飛んだ。
{大丈夫、大丈夫。ゆっくり、息を吐いて、はい吸って}
{ゆんちゃん、頑張れ。俺も一緒だぞ。それ}
額に汗を浮かべ、必死に陣痛に耐える妻と、その手を握りしっかり支える夫。感動的な場面にいきなり出くわし、泰介はたじろいだ。
{やべえ、こんなたいそうなことして、赤ん坊って生まれるのか。その守護霊とは。
果たして大丈夫かなあ}
泰介は、不安な気持ちのまま、産室の空中で生まれるのを待っていた。どれくらい時間が経っただろう。少し待ちくたびれた泰介の耳に、
{おぎゃあ、おぎゃあ}
と言う元気な赤ん坊の声が響いた。
{やったあ、ゆんちゃん、よく頑張ったなあ}
父親の感動する声。看護師がお祝いを言う。
{おめでとうございます。元気な男の子どもさんですよ}
{わあ、可愛い。こんにちは、赤ちゃん。私がママよ}
母親も、まだへその緒の付いた赤ん坊を見て、涙を流していた。
{へえ、俺もこんなに、望まれて生まれたんだな}
みんなが喜ぶ様子を見て、泰介は少し感激していた。
{何、感動しているの。今のうちに入らないと、へその緒が閉まってしまうわよ。あなたが望まれて生まれて来た事なんか、どうでもいいのさ}
そう言う大きな声が、突然耳に入って来た。
{うわ、誰だ}
{私です。受付ですう}
さっきの女の子の声が、耳に入って来た。
{受付の《姉ちゃん》か。何だよいきなり}
その言葉を聞いた《姉ちゃん》は、
「プチッ」
と音を立てて、声が聞こえなくなってしまった。
{あれ、おい、聞こえないぞ。《姉ちゃん》どうした}
泰介は、まだ気が付いていない。速く言い方を変えないと。
{おい《姉ちゃん》}
そう言った時だった。
{おい。いい加減に止めろ、私は《姉ちゃん》じゃねえ}
と、耳がつんざけるかのような、大きな声が聞こえてきた。あまりの大きさに吹っ飛んだ泰介。
{ああ、びっくりした。なんだよ、いきなり}
すると、その声に反応して、答えが返って来た。
{私は、飲み屋の姉ちゃんじゃねえ。ちゃんと【水天天使】と言う名前があるんだ}
と言う。しかし、初めて聞く泰介。
{で、でも、知らなかったし}
と、素直に反省せず、言い訳を言う。
{あ、そう。じゃあ、もう知らない。勝手にどうぞ}
そう言って、またスイッチを切りそうになった。
{ちょ、ちょっと、待ってください。【水天天使】様}
と、声を掛けた。するといきなり、
{なんですか、御用は}
耳を疑うような変身した声で反応した。しかし泰介。こんな事で無駄な時間使って良いのかな。
{あの、この後どうしたら、良いでしょうか【水天天使】様}
すると突然、口調が変わった。
{だから、言ったじゃないの。早く赤ん坊の体に入らないと、へその緒が閉まるの。
するとあなたは、入れなくなって、ずっと浮遊する事になるのよ}
{そ、それは困る。ど、どうしたらいいの}
大慌てで、赤ん坊の上に行った。すると、彼女の指示が飛ぶ。
{体をできるだけ細くして、へその緒に向かって、突っ込んで。早く}
泰介は、体を精いっぱい細くして、へその緒に向かって突っ込んだ。すると一瞬、体の周りが暗くなったが、すぐ元通りの景色になって、空中に浮いた。不安になった泰介は、
{これで良いの。ねえ、お姉さん、じゃなくて【水天天使】様}}
と、丁寧に聞いた。
{ああ、良かった。どうやら間に合った。全く、手のかかるアホだわ。噂通りだった。
ったくう。しかし、大丈夫かねえ}
マイクのスイッチを切り忘れた【水天天使】の、本音が泰介に丸聞こえだった。
{ちょ、ちょっとお。思い切り聞こえてるんですけど}
泰介が注意しても、そこは立場の違いがあって、泰介が断然弱い。
{あらあ、聞こえました。おほほほ。本当の事言ってごめんなさい。ひょっとしたら、こちらへお戻りになって}
ちょっと、上から目線だが、仕方ない。
{ハイハイ。分かりましたよお}
と、ため口で言った。すると、
{すみませんねえ。ってか、いいから、さっさと仕事をしろよ。ちったあ役に立ってっつうの}
キレ気味だ。
{役に立て、って、誰の役に立てって言うんだよ}
{おらおら、間に合わせてやったんだぞ、ちったあ、感謝せんかい。人間をしっかり守ってやることが、結局あんたに還って行くんだからさあ}
豹変、とはこう言う事を言うのだろう。さっきまでとは全然違う《姉ちゃん》だ。ま、逆に言うと《姉ちゃん》も、ここまでよく我慢してくれた、と言える。
{ひゃあ、めっちゃ強気になって、ため口になった}
{がたがた言ってないで、しっかりやれよ}
{分かりました、やればいいんでしょ、やれば}
すっかり、性格の変わった【水天天使】だ。泰介は、空中で受付嬢とやり取りしながら、仕方なくちらちらと三人の親子を見ていた。特に自分が守ることになった、赤ん坊の寝顔を見ていると、この男でも少しは身の引き締まる思いだった。
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