第5話
仙人の声に目を開けると、《地獄》と言う看板が掲示してあった。さらに奥に行くと、鬼が門を開けた。途端に、【血の池地獄】や【針の山】が見えた。しかし、そこには数人しかいなかった。思ったほど人がいないことに少々驚いた泰介は、思わず呟いた。
{来てる人、少ないなあ}
{最近は、事件が凶悪化してきているので、ここで更生させられるような人間は、ほとんどいないよ}
{じゃ、最近の犯罪者は、どうしてるの}
{そのまま地獄を通り越して、後で機会があれば教えるが、もっと大変な【六道】の最下層へやられている}
{【六道】ですか}
初めて聞く名称だった。しかし、凶悪犯が行くと言うので、そこそこに怖い所なのだろう。
そうこうしているうちに、【小閻魔】様のいる場所に着いたらしい。きらきらした金箔で、周りを飾りまくってある、豪華な屋敷だった。中に入ると、【閻魔】様がいた。仙人が声を掛ける。
{【閻魔】様}
しかし、なぜかヘッドフォンをしているので、聞こえていないらしい。仙人は、
“ったくう”
と言う雰囲気バリバリで、片方のヘッドフォンを持ち上げると、大きく息を吸い込んで、大きな声で言った。
{【閻魔】様。え・ん・ま・さ・ま}
{な、何だあ。そんな大きな声で}
【閻魔】様、と呼ばれた男は、服装はそれなりに見えたが、冠のようなものを被った頭からは、茶髪がのぞき、仙人が外した片方のヘッドフォンからは、軽快な音楽が聞こえていた。鬢(びん)から顎(あご)にかけて伸びた髭は、そこそこに威圧感があった。しかし、
{また、Jポップを聞いていたんですね。少しは、経典でも読んでください。まったくう}
{まあまあ、そう言うな。時々は、読むから}
と、仙人から注意される【閻魔】様に、その威圧感は少し薄らいで見えた。泰介は、少しほっとしていた。
{時々じゃいけません。経典を読む事が、まずは第一です}
{わかった、わかった。まったくやかましい}
{はあ。何かおっしゃいましたか}
{あ、いやいや。な、何も言っとらん}
泰介は、
“あんたらのやり取りはどうでもいいから、早く結論を出して”
と、祈っていた。
{ん。で、その若者はどこに}
話を聞いて泰介を探した【閻魔】様は、泰介を見るなり
{守護霊がいいんじゃないか}
と、即答した。
{何で、そんなすぐ決めるんですかあ}
泰介が、語尾を延ばした、なれなれしい言い方で聞くと、
{お前は、このワシでも知っておる。この忙しいワシでもな}
と、一瞥しただけで言った。
{そんなに有名ですか}
嬉しくなって泰介が聞くと、【閻魔】様は、皮肉たっぷりに言った。
{有名も有名。神や仏の世界で、君を知らん者は、モグリと言われるじゃろうなあ}
少し鼻が高くなってきた。泰介は、ほら見ろ、と言わんばかりに、仙人の方を見た。
{あんなに、貧乏神や死神から避けられるのも珍しい、ともっぱらの評判じゃ。ワシ等が頼んでも、死神が拒否しおった。そんな奴に、守護霊なんてもってのほか、と思ったが、そこはほれ、例の【小邪迦】がいてなあ}
【閻魔】様が見つめる先には、優雅な白い服に身を包み、白魚のような指、プロテインをきれいにしみ込ませた黒髪、長いツケマの大きな目には、どことなく憂いを秘め、何処(いずこ)ともなく見つめて佇む、【小邪迦】様の姿があった。【小邪迦】様の住まいは、【閻魔】様の屋敷のすぐ近くで、少し高台にあった。白を基調に、椅子やテーブルも優しいクリーム色。大理石を敷き詰めたような床には、庭の池から取って来たのであろう、ハスの花が飾ってあった。
“どのような人間にも、良い事をする気持ちはあるもの。そこを生かすようにした方が、人間達のためになるのでは”
{と、【小邪迦】がいつもこう言いうんじゃ。わしゃ、つまらん奴が、つまらん事をして、こちらの世界に来るのだから、つまらん人間だと思っているんじゃがなあ}
【閻魔】様は口をへの字にして、仕方無いさと言う顔で言った。
{【閻魔】様。それはないですよ}
そう言う泰介を尻目に、【閻魔】様は【小邪迦】を熱いまなざしで見ている。
“ははあ、【閻魔】様は【小邪迦】様が好きなんだなあ”
そう直感した泰介は、
{【閻魔】様、【小邪迦】様が好きなのですね。やるう、ヒュー、ヒュー}
と、小さく冷やかした。すると、【閻魔】様は真っ赤になって
{ばかばか。そんなこと言うな。ワシの密かな思いが、ばれてしまうじゃないか}
と、大きな声で言った。仙人は、脇汗をかいて、
“あなたのしている方が、余計バレると思うけどな“
と思ったが、黙っていた。
{でも、【小邪迦】様って、女だったんですね。男だとばかり思っていた}
それを聞いた【閻魔】様は、何をバカなことを言ってるんだ、とばかりに、泰介を睨みつけた。
{最近の人間界は、女装やコスプレ、果ては見た目な女でも、裸になれば男、って言う奴も多くなりましたからね}
{な、なに、それじゃ【小邪迦】が、まるで女装している男、みたいな言い方じゃないか。なんて失礼な。お前、いきなり《地獄》に落としたろか}
明らかに焦っていた。
{こらこら、バカな事を言うんじゃない。あんな綺麗なお方が、男であるはずがないじゃないか。言葉を慎みなさい、ねえ、【閻魔】様}
仙人が言ってきた。
{確かめたんですか。何なら、俺が聞いてきましょうか}
そう言うと【閻魔】様は、慌てて頭(かぶり)を振った。
{いらん事をしなくていい。それより、お前の事だが、あれ、何だったっけ}
【閻魔】様は明らかに動揺していた。すかさず仙人が、
{【閻魔】様、こいつの今後の身の振り方です。もう、しっかりしてください}
仙人は、『もう【小邪迦】様の事になると、デレデレなんだから』と、ぶつぶつぼやいていた。ばつが悪そうに苦笑いしながら、それでも【閻魔】様は大きな声で
{だから、こんな奴でも守護霊になった方がいいと思うの。人間を一生守り続ける事ができれば、その時、再度申告に来い。そこで、生き帰れるかどうかの判断をしてやろう}
と、簡単に結論を出した。しかもそう言いながら、しっかりと【小邪迦】に自分の優しさをアピールしたつもりで、【小邪迦】を見てウインクをしていた。【小邪迦】は、少しほほ笑んで、頷いた。【閻魔】様は、得意そうに泰介をみて、ガッツポーズをした。
ただ泰介は、不思議と悲しくはなかった。その気持ちを仙人に伝えると、
{そりゃそうさ、戻る体は無くなるけれど、魂はずっと生き続ける。君の家族とだって、会話こそできないけど、雰囲気を感じさせることはできるんだ。肉体はだんだん衰えるけれど、魂が衰えることはない。いい、選択だよ。ただ、守護霊になれた時に、今みたいないい加減な事をしていると、『六道(ろくどう)』の最下(さいげ)道(どう)が待っているけどね}
と、一回褒められ、すぐに、しっかり釘を刺されてしまった。
“『六道』って、さっき言ったよな。尋ねてみるか。いや、何か不気味だったから、聞くの止めよう”
そう思いながらも、泰介が、
{それにしても、みんな悲しむだろうなあ}
そう呟くと、仙人は
{そのうち忘れるよ。いや、そうしないと生きていけない。悲しみに押しつぶされちゃうからね}
とあっさり言った。
{それが人間さ。時間(とき)に任せて、記憶を流して行かないと、生きちゃいけないよ}
それもそうだと思った。時間が解決してくれる、と言う話をよく聞く。
{さあ、感傷に浸ってる暇はない。そうと決まったら、守護霊の申請をしよう}
仙人は急いだ。しかし泰介は、相変わらずほざく。
{守護霊になるのなら、なるで申請の承諾を受けて、パートナーを探さないといけないのか。MDKだな}
すると仙人は、
{何が『面倒くさい』だ。承諾を受けて守護霊になる。その前に大きな仕事がある~}
と、タレントのザキヤマ君の真似をして言った。すると、
{うわ、上手。MDKも分かるし、『ある~』も、ちゃんと口をすぼめて言えたじゃん}
調子に乗った泰介が、上から目線でそう言った時、仙人はにやっと笑った。何も言わずに軽く笑った。しかし、それが逆に不気味で不安になった泰介は、その後何も言わなかった。いや、言えなかった。その不安が後になって的中するとは、悲しいかな、まだ理解できない泰介だった。
そしてとうとう、夜が明けた。いよいよ泰介の、生死が決まるのだ。泰介は、仙人の傍から、そっと抜けて、自分の体が置いてある病室に来ていた。両親や兄弟が揃っていた。お医者さんも来ていた。
「どうされますか。生命維持装置」
「あなた」
「一晩頑張ったけど、意識や呼吸は戻らない。このまま、生命維持装置を付けていても、回復の見込みはない。となると」
親父の言葉が、一瞬止まった。そして、医者の方に顔を向けて、ぽつりと、しかしはっきりと言った。
「お世話になりました」
「父さん」
母親と兄弟の嗚咽が漏れる。家族が見守る中、酸素ボンベが外され、心電図の脈が弱くなり、一直線の音になった。
「泰介~」
「兄さん」
母親は涙を流して、泰介に抱きついていた。
“可哀そうに、可哀そうに”
泰介の顔を撫で廻し、人目もはばからず泣いていた。
{これで、普通の悲しいドラマなんだけど、ここで俺自身が見てるからなあ}
悲しむ家族の上方で、まるでテレビドラマを見ているように、腹這いになって一部始終を見ている泰介だった。病院を出た泰介の肉体は、葬儀の会場に移され、通夜の準備が進んでいた。
{何だよ。あと一晩したら、俺の体無くなっちゃうじゃん。まずいよな}
さすがの泰介もしょげてきた。
“ああ、由美ちゃんに告白しとけばよかったなあ”
“米沢牛の霜降りも食べてなかったし”
“合コンもしてみたかった。無理かも知れないけど”
いよいよ体が無くなると言うとなると、いろんな事をもっとしたかった、と言う後悔だけが先に立った。しかし、さすが泰介。言っちゃ悪いが、死ぬ前にする事としては実にくだらん。もう少し、まともな事は、考えられなかったものか。そんな泰介にも、友人達が次々にお参りに来ている。海に連れて行った三人の他には、同じ野球部だった、
“青木、遠藤、梅津、小清水、梅原、緒方”
その他に、マネージャーとチアリードの女子達。
“みどりちゃん、遥ちゃん、冴ちゃん、裕子ちゃん、照美ちゃん等々。たくさんありがとう”
三人の男達は、父母の前で深々と頭を下げ、自分達の責任を痛感しているようだった。
「済みませんでした。僕達の不注意で、泰介君が」
そう言うと、女子に一番モテていた大井田信彦は、膝につくぐらい頭を下げた。ほかの奴らも、周りをはばかることもなく泣いていた。
{おおい、そんなに気にするなよ。運が悪かったんだ}
あまりに気落ちしてるので、下を見て、みんなに声をかけた。友達の言葉に親父は、
「済みません、皆さん。あのバカ息子が、身の程知らずの事をしたせいで、嫌な思いをさせてしまいましたね。本当に、あのバカ息子。あいつ自身のせいですから、気にしないでください」
と、バカ息子を連発しながら、みんなに応えていた。
{そんなにバカ息子、バカ息子って言わなくても}
と、さすがの泰介も少しむっと来たが、どうしようもなかった。そのうちに、ふと気がついた。
“肝心の裕美ちゃんが来ていない。あれえ、そんなあ。片思いだったけど、クラスも違ったけど、俺の気持ち、伝わってたはずだけど”
{裕美ちゃんは。信彦~、どうして彼女、来てくれないんだ}
大井田信彦の側に降りて行って問いかけるが、当然返事はない。それどころか、気付きもしない。一緒に行った、藤岡幸雄の側に行っても同じだった。諦めた泰介は、また空中に浮かんで、自分の通夜の進む様子を見る事にした。すると、焼香を済ませた大井田と、藤岡、それに中川の三人が、通夜会場から出て来て、何かを話していた。つい気になって、近くへ行って聞いてみると、
「あいつ、死ぬまでへぼだったなあ」
「誰が、あんな奴一緒に連れて行こう、って言ったっけ」
「佐田だよ。でも、あいつ自分が来てないからな」
斎場を出た途端、いつものテンションに戻っている。そして言いたい放題だ。
「野球じゃ、補欠。人生はバケツ。そして最後は墓穴、ってか。あははは」
「おい、うまい事言うじゃん。まさにその通りだよ」
なんと、泰介の悪口で盛り上がっているではないか。それを直接、聞いてしまった泰介は、自分の体とのお別れを言うために、葬式の最後まで見るつもりだったが、そんな気はさらさら、無くなってしまった。そんな時、仙人が来た。
{ここにいたのか。探したぞ。何やってるんだ、早く、誰を守るのか決めるぞ}
{何やってるって。自分の通夜と葬式を見てるんです。最後の別れを言うために}
珍しく、しおらしく言った。すると仙人は、
{バカだなあ、そんなことしたって、体が戻るわけでもないのに}
と、半笑いで言った。
{あんたにまで、バカ呼ばわりだ}
{仕方ないよ。実際そうなんだから}
{そんなあ、ドストレートだなあ}
{まったく。反省してるのかねえ。困ったなあ。とにかくさあ急げ。【閻魔】様がお待ちだ}
あきれ顔の仙人を前に、名残惜しそうに葬儀場を後にした。
{遅くなりました。【閻魔】様。こいつが自分の葬儀場に行っているものですから}
{生前から、そういう気持ちを持っていれば、もう少し長生きしたかも知れんな。惜しかったな、フォーチュン、ク~ッキ~♪}
【閻魔】様は、聞いていたJポップのリズムを、体で刻みながらそう言ったが、相変わらずヘッドフォンの外まで音が漏れている。ひょっとすると、仙人の唇を見て口唇術で、言う事を読み取り、言ったのかも知れない。内容が変だ。仙人は、そう言う所は見逃さない。
“むっ”
とした顔になって仙人は、耳元で注意する。
{【閻魔】様、音が漏れています。しっかり、仕事をしてください、もう}
仙人は、【閻魔】様の右の耳から、ヘッドフォンをはずしながらそう言った。
{わお、びっくりしたあ}
すごい音量だった。【閻魔】様は驚いて、慌てて、本体のスイッチを切った。すると仙人は、
{さあ}
と、凄んで促した。【閻魔】様は、しぶしぶ
{荏籐泰介、お前を守護霊、第一千億五千六百万くらいに任命する}
と、やる気なさそうに言った。
{くらい、って、【閻魔】様、何ですか}
{だって、しっかり記録するのって面倒なんだもん}
仙人に注意され、しどろもどろの【閻魔】様だった。
{ああ、こりゃ、大丈夫かね}
泰介が、そう言いながら、肩をしゃくり上げると、
「あんたが、言えた立場か」
と、泰介まで一括された。
{はい、分かりました。以後気をつけますう}
口をとがらせて謝る泰介を見て、【閻魔】様も小さな声で
{気をつけますう、だって}
と、くすっと笑いながら真似をして、口をとがらせた。すると、間髪入れず仙人が
{【閻魔】様}
と、睨みつける。今度は【閻魔】様が、口をへの字にして、肩をしゃくりあげた。
{だいたいねえ、今から行く所が大変なんだから。そんな態度だと、格下げになるかも知れないよ}
仙人が言う。
{何、格下げって。値下げとは違うよね。あは、違うっつうの。これっ、すいまセブン}
{何じゃ、そりゃ。そのノリ、ツッコミ、WKN。女子にはモテんわ}
【閻魔】様が、調子に乗って言うと、
{ちょ、ちょっと、【閻魔】様}
即、仙人の怖い顔が、【閻魔】様を睨む。
{わ、分かった、分かったからあ。もう}
{もう、って牛ですか}
仙人が、やっと冗談ぽく言うと、【閻魔】様は
{牛じゃないもん。僕、【閻魔】だもん}
と、幼い子が拗ねた真似をする。これには仙人が、両手を広げ、肩をしゃくりあげ、お手上げのポーズだ。
{頼むよ、【閻魔】どん}
吐き捨てるようにしかし、聞こえないように言うと、今度は泰介に向かって
{ま、せいぜい、しっかりやるこった}
と、仙人ははっきりと、大きな声で言った。
{【閻魔】様から証書をもらえ}
{証書}
【閻魔】様の手には、卒業証書ならぬ《守護霊任命承諾書》が握られていた。
{さ、この承諾書を持って、いよいよ守護霊となるための許可申請に参る。それが認可されれば、晴れてお守りする人間を決められる}
{この証書で終わり}
泰介は、楽勝だ、と言わんばかりに、ニコニコして聞いた。すると、
{いや}
応答のおかしい仙人を見ると、妙に顔が引き締まっている。明らかに緊張している。それを見た泰介も、変に緊張してきた。
{何さ。今から、また何か。ねえ、ねえ、ちょっとお}
泰介の問いかけには答えず、
{さ、行くぞ}
仙人は、意を決したように前に進み出した。
{ちょ、ちょっと待ってよ。どこ行くの}
返事をしないでずんずん進む仙人に、明らかに違う雰囲気を感じた泰介は、
{ちょっと待ってくださいよ}
と、丁寧に言ったが、無駄だった。仙人は、すーっと空中を浮かび、夜空を流れるように進んだ。
{おおい、待ってくださあい}
仙人に遅れてはならぬとばかり、必死に追いかける。しかし、あの仙人が見向きもしないで、マジな顔でアトムばりに飛んで行く。泰介は、さすがにただならない雰囲気を感じて、黙ってついていくだけだった。しかし、ずいぶん置いて行かれてしまった。仙人も居ないし、せっかくなので星空を眺めながらゆっくり飛んだ。空に近いだけで、ずいぶんと美しさが違う。飛びながら
{裕美ちゃんと、このロマンチックな星空を眺めたかったなあ}
と、つい気を緩めた時、いつの間に戻ってきたのか、目の前に仙人がいた。そして、
{ええ加減にせい。もう着くぞ}
と、しっかり釘を刺された。
{さっきのは、証書じゃないんですか}
{あれは、証書をもらうために、【閻魔】様が出しくださった承諾書。この次の所が、問題の証書をもらう。まさに、お前の運命を決める所だ}
そう言いながら、ニヤッと、薄気味悪い、笑みを浮かべる仙人。
{仙人様。ちょっと不気味ですけど。その笑顔}
{まあまあ、そのうち分かるよ。早く決まればいいけどね}
何ともすっきりしない、奥歯に物の挟まった言い方に、少し不安になったが、ここまできたら仕方ない。そうこうしてるうちに、仙人がすーっと降り立った。ちょっと怖いので、ギャル系言葉は、少々控える事にした泰介だ。
{どこですか、ここ}
{出雲大社だ。言わずと知れた『八百万の神』さ}
その本殿の大きさや、注連縄の大きさに、一瞬目を奪われた。しかし、すぐに振り返り、泰介は聞いた。
{神様。俺、守護霊になるんでしょ。なんで神様なんかに}
{しっ、声が大きすぎる。いきなり参道だぞ。静かに}
{だから、何で}
声をひそめて、さらに聞くと
{守護霊になるには、その汚い心を清めてもらい、神様の中の神様に、認めて頂く必要がある}
低く静かだが、仙人は、泰介の腹の付近を見つめて、はっきり言い切った。その丁寧な言葉遣いが、逆に泰介を震えさせた。しかし、言葉は丁寧でも、言っている事はストレートだ。
{とにかく、『八百万の神』だ。お前のような、汚い心の持ち主には、相当厳しい清めの儀式があるはず。覚悟しておくことだな}
仙人は、薄笑いを浮かべながら言った。
{汚い心、汚い心って、何回も言わなくてもいいですから。分かりました。覚悟しときます}
{じゃ、まずお参りをして}
そう言うと仙人は、柏手を打ち豪快に鐘を鳴らした。さすがに、全国の神様が集まる所だけあって、通常の神社の鈴や縄と比べると、はるかにでかかった。少し圧倒されながらも、泰介も同じようにした。それを見た仙人は、意を決したような顔で、息を飲み、かっと開いた眼で正面を見据え、肩を怒らせていた。
{仙人様、一回来た事あるんでしょ。ここ。そんなに怖い神様なんですか}
泰介の問いには答えず、見開いた大きな目のまま、前を見ている。
少々ビビってきた泰介だ。
{入るぞ。着いて来い}
仙人は低く、静かに、しかしはっきりと言った。仙人について社(やしろ)に入ると、真ん中にぼんやり明かりがついており、その前にかなり大きな、人らしき影が、胡坐をかいて何かブツブツ言っている。白くぶかぶかの服は、教科書で見た、貫頭衣のような服だった。
{誰ですか、あれ。何やってるんですか}
すると、前に座っている神と思う人物が
{よいよい、こちらにおいで}
と、声を掛けて来た。仙人は、びくっとして直立不動になり、
{は、はい。し、失礼します}
と、大きな声で答えた。
{そいつが、例の奴か}
{は、はい。こ、こいつです。例の奴}
仙人は相変わらず、直立不動だ。
{何ですか、二人して。こっちは話がWKNですけど}
と、つい口走った。するとバシッと、仙人に頭をぶたれた。そして、小さな声で、でも強く、
{もう、そのため口は致命的だぞ。少しはピンチだと感じてくれ}
と、泣きそうな顔で仙人は言った。
{よいよい、それよりそいつをこっちへ}
落ち付いたその声の主は、泰介を近くへ呼び寄せた。
{ほう、君か、荏籐泰介君。人間界どころか、こちらの世界でも有名なドジ、アホ、マヌケ、アホ、能天気。ううん、なかなかの顔だ}
{あれ、大黒様。なんだ、偉そうに、七福神の大黒様じゃないか。人の悪口、さんざん言っちゃって}
その声の主を見た泰介は、思わず指差して笑った。それを見ていた仙人は、慌てて泰介の手を降ろし、引っ張り戻した。
{いい加減にしろ。私はこれ以上ミスったら、もう知らないからな。あの方は、大黒様ではない。大国主(おおくにぬしの)大神(おおかみ)と仰る、日本の国土と民を作られた、恐れ多い神様の子孫で、【カミューン】様と言われる。言葉を慎め、この、バカ}
{へえ、そんなに凄い人なんですか}
と、相変わらず能天気に言うと、
{ほほう、聞きしに勝るアホじゃな}
大国主大神の子孫の【カミューン】は、ニコニコしながらスパッと言った。
{そ、そんなあ、【カミューン】様、それは無いですよ}
泰介が言うと、
{アホだから、アホなんだよ。済みません、これですから今まで}
仙人が困り果てた顔で、泰介をストレートに諭し、【カミューン】に申し訳なさそうに言った。
{あ、よいよい。君ほどの有能な守護霊が、苦労する訳だ}
それを聞いた泰介が、自分で自分に呆れていると、
{彼にいろいろと話しても、時間の無駄のようじゃ。ま、せっかく来たんだ。一応、お祓いをするだけでも、一回してみるか。こっちへ参れ}
二人を、近くへ呼んだ。そこは、祈祷師が祈りをするような、縄を張った四角い場所に、仏像のようなものが横にして据えられており、赤や白の紙が、正月の飾りのようにぶら下がっている。
{ぜひ、お願いいたします。何とか躾ますので}
正座をして、両手を地面につけた仙人は、泣きそうな顔でお願いした。仙人にしてみれば、この問題児泰介が、守護霊となって自分の手を離れさえすれば、自分はこの悪しきお勤めから、晴れて卒業できるのだ。必死になるのも分かる。
{では、やってみよう}
仙人の顔がぱっと晴れた。
{お祓いをしていただけるのだから、有難く思え。私は、拒否されるとドキドキした}
仙人が緊張している。何となくやる気のなさそうな態度で、泰介が正面を向くと、【カミューン】は、大麻(おおぬさ)を右に左に振りながら、何やら難しい口上を言った。そしてまた、右に左に払い、頭を下げた。それに合わせるように、仙人と泰介も頭を下げた。
しばらくそのままの姿勢のままでいたが、頭を起こして二人に向き直ると、
{よし、これで終わりじゃ}
と、ニコニコして言った。
{えっ}
仙人は、驚いたのか大きな声をあげた。泰介は、キョトンとしていたが、厳しい清めの儀式が、何も無かった事を実感すると、その場で飛び上がって喜んだ。
{ほらあ、仙人様、何も無かったです}
小躍りしながら、泰介は仙人に言った。
{おかしいなあ}
仙人はそう呟くと、【カミューン】を見て会釈して、その場から去ろうとした。
{おかしい、はないでしょう。良かったじゃないですか。帰りましょ。あれ、あんまり嬉しそうじゃないですね。そんなに、厳しい措置をしてほしかったですか。そんなに、いじめなくていいでしょう}
さも嬉しそうに泰介は、軽口を叩きながら、仙人の肩を軽く二回たたいた。その時、
{あ、仙人よ、ちょっと}
【カミューン】が、相変わらずニコニコしながら、仙人を呼び止めた。
{あ、はい}
仙人は、不思議そうな顔で【カミューン】のもとへ行った。そこで二人は、こそこそ何か話している。
“何やってるの。早く行こうよ”
泰介は、イライラして貧乏ゆすりを始めた。しかし、そのすぐ後、【カミューン】に一礼して帰ってきた、仙人の顔を見た泰介は、えらい事があったと、すぐに察しがついた。仙人が青ざめている。身体もわずかながら細かに震えている。
{一体、何があったんですか}
泰介が聞くと、仙人は
{気を確かに、聞いてくれ。やはり、清めの儀式は終わっていない}
{ええっ、だってさっき、【カミューン】様が『よし、これで終わりだ』って}
{あれは、お前の汚い心を清めただけで、守護霊の任命が、あれで終わったわけではない}
と、うつむいたまま言った。明らかに仙人は、ショックを受けている。
{どう言うことですか。教えてくださいよ}
{やはり、簡単ではない。あと一段階上のステップをクリヤーしなくてはいけない}
やっぱり、簡単に守護霊にしてはくれない様子だった。しかも、これから先の儀式を失敗でもしようものなら、仙人にまでそのしわ寄せが及ぶらしい。
{九州は、宮崎。高千穂に向かう}
泰介は驚いた。出雲から高千穂へ。
{やはり、最高の厳しい儀式を受けることになった。そんな、態度では守護霊は務まらないと、【カミューン】様は判断されたのだ}
{高千穂ですか。九州なんて遠いじゃないですか。少し休みませんか}
そう言うと仙人は、とんでもないと言う顔をして、強く言った。
{何を言ってるんだ。明るくなったら最初からやり直しになるんだぞ。そんなのまっぴらごめんだ。さ、行くぞ}
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