第4話
「大丈夫ですか」
「ううん、今夜が山でしょう」
白衣を着た医師が言った。
「先生、何とかしてください。お願いします」
母が、必死に頼んでいる。
「母さん、仕方ないよ。あんな事するから、この馬鹿が」
「すみません。僕達が一緒にいながら」
「仕方ないよ、君達のせいじゃない。本来、海って言うのは、地元の人間が一番知っているんだから」
{ええっ、そんな事言ったって、俺、あそこの人達はあんまり知らないんだよ}
「今夜が山だそうだから、あなた達は、もう帰ってくださいな」
「いや、いさせてください」
「いいえ、あなた達の気持ちはありがたいけど、あなた達に迷惑はかけられないわ。帰ってゆっくりしててちょうだい」
{帰って、て。まだ、浜遊びの途中なんだけど}
「あ、はい。わかりました。悔しいですけど」
{おい、お前ら何やってるんだ}
「じゃ、失礼します。また、明日来ます」
{おい、おい何言ってるんだよ。海の幸は}
「ありがとうね」
「おい、頑張れよ」
仲間の何人かは、泣きながら帰っている。
{だいたい、何があったんだ。俺は、何をして}
そこまで考えて、はっとした。泰介自身が寝ている。ベッドに。口には、人工呼吸機が装着してあった。ベッドの脇の、酸素ボンベが生々しい。心電図も、正確な鼓動を知らせていた。
{何だあれ}
顔は妙に青くなっているが、ベッドに横たわっているのは、確かに自分だった。
{じゃ、ここにいる俺は}
泰介がいる場所は、人の頭の上。明らかに浮かんでいる。しかも、泰介の存在は、誰も気づかないらしい。
{おいおい、何だよこれ。一体どうしちまったん}
「アワビやイセエビなんてどうでも良かったのに。馬鹿だねえ、この子は」
母親が涙を浮かべて、泰介の頬を撫でている。
「そんなに、友達に食べさせたかったのかい」
{違うよ、そんな友情物語じゃねえよ}
髪を撫で、頬を触っている母親の肩を、優しく抱く父親は、
「今夜、こいつの頑張りに期待しよう」
と、泰介を見ながら言って、母親の頬にキスをした。泰介は思わず、赤面して下を向いた。そのうち、だんだん思い出してきた。
{そうかあ、思い出したぞ。確か、イセエビを見つけた俺は、意識がもうろうとする中、鉾を突いたんだ。しかし、その時ゴムが手に絡まって、抜けなくなったんだ。そうかあ。そう言えば、そのあとの記憶がない。つまり、俺は生死の境を彷徨っているんだな。今夜が山、って言うのは、その事なん…。しかし、俺は死んじゃいないぞ。どうしたら分かってもらえるんだ}
腕組みをして考えた。胡坐をかいた。しかし、下がることはない。浮いたまま。しかも、よく見ると泰介の体は、少し透けている。
{ああ、まったく幽霊だよ}
その時、はっとした。
“【幽体離脱】だ。そうだ、きっと”
ベッドに横たわっている俺の体と、魂が分離してしまったのだ。
{どうしよう。もし俺があのまま生き返らなかったら、俺って、ずっとこのままかよ}
そのうち、兄弟が集まってきた。
「お兄ちゃん」
手を握って、ベッドにうつ伏す妹。
「しっかりしてくれ、兄ちゃん」
弟は、姉の肩をしっかり握ったまま、泰介に話しかけた。
「今夜が山だって」
母親が言った。四人でベッドを囲んで、泰介を見ている。
{俺はここなんだけど}
もう一度、大声で呼んでみた。誰も、反応しなかった。いよいよ、魂だけが抜けちまったらしい。途方に暮れた。腕組みをして考えた。後ろ手に歩きながら考えた。名案は浮かばなかった。その時、妙な言葉を思い出した。
“今夜が山”
{あれはどういう意味だ。今夜、どうにかなるのかよ}
不安が大きくなった。
{もし、このまま俺が体に戻れないと、ひょっとして。おいおい、冗談じゃねえぞ。止めてくれよ。《死ぬ》ってこと。嫌だよ、そんなの}
泰介は、おたおたしながら、病室の外へ流れるように出た。すると、そこに変な男が立っていた。しかし、顔やスタイルは、甲子園で活躍したあの《斎藤元気》のようだった。立ち位置が泰介と同じ高さだったので、すぐ、この世の者ではないことは分かった。
{誰だよ、お前}
{君に言う事は、ないだろう}
{何だよ。教えてくれたっていいじゃねえかよ}
{いいよ、もう}
{もう、って、今会ったばっかりじゃん}
{いや、僕はずっと知ってるよ。君が生まれた時から}
{何でだよ。誰だよ、お前}
{だいたい『お前、お前』って、僕に対して失礼だぞ}
{じゃ、名乗れよ}
{お前の守護霊さ。文句あっか。どうだ、少しは驚いたか}
{何い、守護霊。そうか、お前が情けないから、俺が死にそうになってるんだなあ。このへぼ}
{何だとお。バカも休み休み言え。このドアホ。何回助けてやったと思ってるんだよ}
{ええっ、いつ助かったの。そんなことあったっけ}
{もう忘れたのか。一番近いドジは、アイポッド聞きながら、遮断機のない踏切渡ろうとしただろう。あの時、近くの犬におしっこをかけさせて、踏切の目の前で立ち止らせたよ。僕が}
{何だあ、あの時は、えらい大きな警笛鳴らして電車が通ったから、てっきり試験でもしてるのか、って思ってた}
相変わらずの能天気だ。
{それに、もっと危なかったのは、一年前の渋谷。飲んで歩きながら帰ってる時、交差点で車に轢かれそうになった事があっただろう}
{ああ、あの時ね。あれは、運転手がなぜか俺を、しっかり見てた}
{あの時は夜だったし、犬や猫もいなかったので、運転手の人に、女の人の声で囁いた。『そこの先の交差点で待ってる』って、ね}
{だから、あの運転手、変な顔で俺見てたのか}
やっと理由が分かったらしい。いつまでも幸せな奴だった。
{出来の悪い人間に当たると、苦労するんだ}
{じゃ、俺は出来の悪い人間てことかあ}
どこまでも幸せな人だ、泰介君。
{良くはねえな。ドジばっかり踏んでるし。だいたい守護霊様に【お前】と呼ぶか}
仙人は、ため息まじりに言う。そして
{ここらが潮時って事じゃないか}
と言った。予想通り泰介は、意味が分からない。
{俺達の仲間になるって事だよ}
仙人はサラッと言った。驚く泰介。
{何い、守護霊に。じゃ、俺に死ねって言うの}
{そう言う所は、わかりが早い。簡単に言えばそう言う事}
ニコッとして『ご明答』と言わんばかりに、人差し指を立てた。
{だいたい、貧乏神や死神が、お前から離れてるんだ。この僕が精いっぱい助けても、先が見えてるって事さ}
{何い。貧乏神や死神が離れているだって。何て失礼な}
衝撃の事実を知った。
{そりゃあそうだろう。貧乏神は、本当に貧しい人間にはとりつかない。金の使い方を知らない奴について、その金を巻き上げ、別な貧しい人に廻す}
{へえ}
{死神だって同じ。死にそうな人を見つけて、死の世界へ引っ張り込むんじゃなく、悪い事をして、なお、隠れているやつを見つけて、『死神だ。自首しろ』と諭すんだよ。そうやって、人間界を浄化しているんだ}
{どっちも、悪い神だと思っていたよ}
{だろう。その二人がお前にはつかなかった。と言うより、寄りつこうとしなかった。まかり間違って、お前にとりつこうものなら、彼らの方が離れられなくて困ってし
まうくらい、お前の能天気さとスベるギャグには、定評があったからね}
{そんなこと、よくもすらすら言えるなあ。じゃあ、もうダメって事かあ}
{第一、あんなに無理するからだよ、自分の力も知らないくせに、長々と潜っちゃって。海の近くの人だって、アワビやイセエビを獲る時は、専用の道具を使うし、海底から海面に上がる時間も、考えて潜るんだよ}
{でも、一回浮かんだら、獲物のいる所が分かんなくなるじゃん}
{そんな時は、その場所に鋒を突き刺したまま浮かべばいいじゃないか。そしたら、次に潜る時に、その鋒を目指していけばいいだろう}
{ああ、そうかあ。でもなあ、だいたい守護霊なら、あの場面でも助けられたんじゃねえか}
{僕の力が及んだから、あそこまで持ったんだ。『一回浮かび上がろうか』って考えただろう。あそこまでが僕の範囲さ。あれを無視する欲深さが、僕の力を超えた。どうしようもないだろう}
仙人は、精一杯守ったと言う充実感がアリアリなのに、泰介は相変わらずの口ぶりだ。
{大したことないんだなあ、あんた。守護霊って言ってもさあ。超ダサ}
{おいお前}
腕を組みなおして、守護霊と言う男は
{いい加減にため口は止めろ。少なくとも、今までお前を、ずーっと救ってきたんだ」
と、結構厳しく言った。泰介は、ちょっと圧倒された。
{はいはい。じゃあ、何て呼べばいいんだよ}
{そうだなあ、キムタクとでも呼んでもらうかな}
{はっ}
あの泰介に、マジに呆れられ、
{あ、いや、いや冗談、冗談}
仙人も泰介も、一瞬、寒くなった。
{いっちょ前に赤くなってやがる。親父ギャグ。受ける}
{いやあ、久しぶりに冗談言ったもんで。何セ、今までの担当が担当だったんで、冗談なんて言う暇がなくて}
{ちょ、ちょっと。悪かったなあ、担当が担当で}
{そうだなあ、仙人とでも呼んでくれたまえ}
{何を、偉そうに言ってるんだよ。ま、命、救ってもらってたってことだから、呼んでやるか}
{しかし、どうもそのタメ口、気になるけどな}
{しゃあねえや。分かりましたあ、仙人様}
{ところで、どうする。本気で仲間になるか。そのまま【浮遊霊】でいるかだ。早くしないと、今夜が過ぎちまうぞ}
{そうだった。生き返りたいよお}
{そうだなあ、まず、【閻魔】様に報告に行って、《極楽》か《地獄》か、はたまた生き返れるかをお伺いする。そこで、生前の行いをチェックして頂いて生き返れるか、守護霊になれるか、【閻魔】様のご判断が必要だ}
{【閻魔】様、って、地獄の【閻魔大王】のこと}
{神々から、人間の悪の取り締まりを言われた大王様だよ。ただ、その親戚の【小閻魔】だけどね}
{【小閻魔】。名前は、怖そうじゃないけど}
{何、言ってるの。意味が分からん。怖いに決まってるだろう}
仙人の言葉は、伝わらない。泰介はドキドキしていた。小さい頃から
“嘘をついたら、【閻魔】様に舌を引っこ抜いてもらうよ”
と、親からよく言われていた。名前が違うものの、その【閻魔】様と同じ役割の者がいるのだと言う。しかし妙に怖くない。仙人は怖いと言うが。
{そうだなあ、お前のような人間だと、怖いかもな}
仙人と呼ばせる守護霊は、ぺろっ、と舌を出しながら、横を向いた。泰介は、不安な気持ちのまま、【閻魔】様の元へ急いだ。何しろ時間がない。今夜、息を吹き返さないと、泰介は自分の体には戻れないかも知れない。ドキドキしながら仙人につかまって、空中をぐんぐん進んだ。暗い中を、凄いスピードで飛んでいく。
{さ、着いた。ここが《地獄》だ}
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