第3話
しかし、今は仕方ない。海を楽しもう。若者の特権のような、ビーチボールのバレー。最初は、七人で歓声を上げながら、腰まで水につかって遊んでいた。ビキニの水着で騒いでいる女子。最近の女の子らしく、胸の発達は良かった。バレーを楽しんでいるように見せて、泰介や他の男どもはちらちら、水着を見て楽しんでいた。仕方なく泰介は、それぞれに声を掛け、盛り上がろうとするが、女子は、泰介の事など鼻にもかけず、明らかに他の三人の誰かと友達になろうと、必死で自分の可愛さをアピールしている。泰介につけいる隙はない。どうしてまた、こんな男を誘ったのだろう。
考えてみると、さすがの泰介も推測がついた。
“ひょっとすると、佐田と野々村の欠席の代わりに、代役を頼んでいた者がいたに違いない。その代役ももまた、ダメになったのだろう。だから、どうしようもなく当て馬として、誘ったに違いない”
そんな事を証明するかのように、みんな泰介には、黙って水から上がり、砂で遊び出した。例の、男女が盛り上がる、首だけ出して砂をかぶせる、遊びをしていた。すっかり、自分達だけで楽しんでいる。だんだんしらけてきた泰介は、こんな事もあろうかと、持ってきていた水中眼鏡と、鉾、ヒレの三点セットを取り出し、海に入って行った。しかし、泰介だけはずれても、誰も気にも留めなかった。海で女の子と遊ぶなんて、泰介は今まで経験がない。夏になると海に入り、獲物を狙って潜る、と言うのが茶飯事だった。シュノーケリングで、きれいな海の景色を見るだけで、普段の嫌なことや、モテないことなども、忘れることができるのだった。こうなれば、得意の素潜りだ。いわゆる、シュノーケリングを始めることにした。あそこまで盛り上がれば、自分などに用は無いはずだ。だから泰介は、
“とにかく潜ろう。そして、美味い獲物を見つけよう”
と、徐に海に入った。
「あ~、いい景色だなあ」
素潜りで海底を回る。色とりどりの魚や貝が、海の底を鮮やかに飾っている。
“海に誘ってくれたのはいいが、女の子のあて馬みたいになっちゃったぞ。何とかして、みんなの鼻を明かしてやろうか。でかい獲物を取って、俺の株を一気に上げて、ジャニーズに一泡吹かせてやるか”
と泰介は、秘かに思った。ダサい男も、海の中では【潜りイケメン】になる。因みにその【潜りイケメン】とは、水中メガネで顔がよく分からない。でも、潜って漁をしている時の格好は抜群、という意味だ。泰介には、バッチリの呼び方だった。
“よし、こうなりゃ、アワビかサザエだな”
そう思って、息をため、ぐっと沈んでいく。三~四メートルくらい潜ったが、もう少し深い所の岩に這う、アワビを見つけた。一回上がりながら、水中で泰介は、一人にやけた。
“やった、見つけたぞ”
その時頭の中には、すでに妄想が浮かんでいた。
《鉾を片手に持って水中眼鏡をはずし、もう一方の手には、手のひらサイズのアワビを数個持っている。雫をたらしながら浜に上がった。海岸で遊んでいた女子も、あいつらをほったらかしにして、歓声を上げて近寄って来る。そして口々に、荏籐君てすご~い。と感嘆の声を上げる。少し微笑んだ俺は、横でポカンと口をあけている、男子の友達に手渡し、一言。これ、やるよ。みんなで食べて。と、潔くあいつらにくれてやる。するとお前、どうするの。と心配するみんなを尻目に、“あ、俺。俺、また潜ってすぐ獲るから、いいよ。とクールに言ってのける。女子は、きゃあ、きゃあ、だろうよ》
とらぬ狸の皮算用さながら、瞬間的にそこまで、きちんとストーリーはできた。泰介は一人でにやけながら、アワビを目指していた。しかし問題は、本当に獲れるかどうか、だった。実際潜ってみると、さっきよりさらに深い。以前。関東の海で潜った時には、三メートルくらいの所で獲る事ができた。しかし、ここはさすがに深い。もう一度挑戦するが、アワビに触るのがやっとだった。近くを見ると、地元の若者が潜って、海底の岩を二~三個起こし、下を覗いてから海面に浮かんでいる。その途中で、息を吐きながら上がっている。日の光を水中で受け、大きなシャボンのような泡にまみれ、まるで海人(あま)のように、ヒレを動かしながら、一気に海面に向かっていた。上から見ていると、人間が手のひらくらいに、小さく見える。少し躊躇した。
“あれくらい、ぎりぎりまで。時間にして五分くらいだ。でも、目指すはヒーローだろ”
浜辺で遊んでいる友達を見て、もう一度気持ちを奮い立たせた。大きな息を吸って、ぐっと潜った。
“今度こそ”
目指すアワビに向かって、一気に沈んで行った。快調だ。三、二、一メートル、と近づいて、アワビが目の前にきた。野球でこんだけ頑張ればいいのに、ああ、何と言う勘違い。泰介よ。しかし、今は目の前の獲物だけ。
“今夜のおかず、ゲットだ”
泰介の妄想が、ぐっと膨らんだ。しかし浜辺では、泰介の事などすっかり忘れ去られ、見事三組のカップルが、自分達の目的を達成した喜びに浸っていた。大井田と篠山、富士岡と町田、そして那珂川と富山。それぞれのカップルが、浜辺の岩の陰で、今から愛を育んでいこう、としている最中だった。ああ、悲しいかな、泰介。
手に持ったナイフを、一気に貝の下へ刺し込んだ。瞬間、貝が閉じようとする。
“これを逃したら、食えないぞ”
力を入れて剥がしにかかった。何秒もしないうちに、ころんとアワビが落ちた。
”やったあ。獲ったどお”
喜びが体中を走る。急いで拾おうとしたその時、アワビの落ちた岩の傍の穴から、触覚が伸びているのが目に入った。
“ん、あれは。ひょっとして”
すでに息苦しさを感じていたが、初めて見る触覚の動きにつられ、思わず覗き込んだ。髪の毛のような細い触角が一本、弱い陽射しにうごめいていた。水中眼鏡の先には、暗い影の中で、赤やピンク、オレンジの色を身に纏った足が、ゆっくり前後に動いている。その途端、泰介の心臓ははちきれんばかりに、大きな鼓動を打ち始めた。
“イ、セ、エ、ビ、だ”
その触角は、正体を確認すると、いきなり優雅に、豪華に思えてきた。
“すげえ、絶対逃がさないぞ。お前ら、今に、俺の凄さを見せてやるぜ、待ってろよ。イセエビとアワビ。この獲物を持って上がって行くと、俺、絶対ヒーローだ”
泰介はすっかり、息苦しさも、どこにいるのかも忘れ、思わず持っていた鉾を、もう一度握りしめた。しかし、息は限界に来ていた。
“一回上がるか”
一瞬考えた。
“しかし、一回上がってもし、この場所が分からなくなったらどうする。でも、このままじゃ、息が持たないぞ”
自問自答した。どこからか
“そんな獲物で、自分をよく見せたって、あの女子達はその場だけさ。無理するな”
と言う声がしたように思えた。泰介は、〈この苦しさから、なんとか言い訳をして、逃れようとしている、弱い自分〉を感じ、〈このまま行く事〉を決めた。そんなにモテたいか。何回も言うけど、野球でそれだけ必死になったらどうだ。
“ぶほっ”
口から息が、大きな泡となって漏れた。丸い球が数個、青い海の底から、明るい水面へ登って行った。お日様が散り散りに揺れて、光っている海面に向かって、上がって行くようだ。必死でこらえ、鉾のゴムに手をかけ、狙いを定めて鋒を突いた。ボスッ、と言う鈍い音がして、びくびくと物の動く感触が、鉾先から伝わってきた。
“やった”
必死にもがいている【イセエビ】が、動かなくなるまで、突き刺したままだった。しかし、息が限界で、意識が朦朧としていた。頭の中で
“もう少し、もう少しだ、がんばれ”
励ましていたが、目が見えにくくなり、
“もう、ダメ”
と、鉾から手を放そうとした瞬間、
“なに”
泰介はわが目を疑った。鉾のゴムと手が絡まっている。普通なら簡単に外せるのだろうが、意識が薄れているこの状態では、とてもそんな器用なことはできない。泰介は青くなったが、すでに息が限界に来ていた。薄れゆく意識の中で、
“こんな所で死ぬのか。誰か助けて”
必死の思いで叫んでいた。しかし、その声が届くことはなかった。ゴボゴボ、ゴボゴボ~。
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