イギリス編

第十三話:飛行機

 話は、遊園地デートの前日に遡る。


 俺はこの間サボった分を取り戻すべく、いつものように学校へ行き、夕平達や他のクラスメートと囲んで談笑し、つまらない授業を受け、遅くなる前に家路に着いていた。

 なにも変わらない毎日の繰り返し。不満の無い日常と平穏。


 なにも特筆することのない、そんな『とある一日』が、事の発端だった。


 いつも俺は、帰宅する時はまず家のポストに目を向けている。これは、ムゲンループを知るよりも前からの習慣だった。

 今日の夕刊やくどいくらい商品の安値を強調している広告の束に、一つの手紙が挟まれていた。


 俺はその場でそれを開いた。中は、絵が描かれた一枚の紙が封入されていた。

 縦横八マスの白と黒の盤表。マスの中には一つ一つに二桁の数字で指標化がなされている。


「これは……」


 今時珍しい、郵便チェス。そのポストカードだった。


 郵便チェスとは、遠距離との相手と対戦する通信チェスの一つで、一つの手紙に一手ずつ書き込み双方が交互に送りあうというもの。

 今ではメールなどが普及し、面倒臭さもあってかこういう方法はあまり取られないが、これがまたおつなものという意見も根強い。


 だが、あいにく俺には性に合わないみたいで、基本ネットサービスを利用している。この郵便チェスは、一局が終わるのに一年以上が掛かることも珍しくない。勝負が終わる前に次の『四月一日』によって無かった勝負になってしまうのだ。

 だからこんなチェスメールにも、当然心当たりは無いのだが……。


 差出人の名前は、当然のように無い。

 それどころか、郵便局の消印すら無かった。本来はそこに書かれた日付で、一手を打つために使った時間や残りの持ち時間を判断するのだが。


 その盤表の下に、『Later soon』という一文だけが記されていた。


「……何だこれ。イタズラか?」


 俺がこう言うのも、この差出人不明の謎の手紙の事だけじゃない。


 紙面上の戦いの、明らかな異質。


 まだあまり動かされていない白駒の陣の中に、黒のビジョップがぽつんとそこにあった。それも、白側の陣地の一番奥、キングの隣に鎮座している。

 それも、ただの特攻じゃない。

 見た感じまだ序盤も序盤、十手にも満たない内に、あり得ない位置にそのビジョップは存在していた。


 これはビジョップが敵地に突撃したというよりは、まるで味方の白いビジョップが突然黒く染まったかのようだった。


「……それに、この局面どっかで見たような」


 その時はただ、言い知れぬ違和感に首をかしげるだけだった。


 その二日後、俺は日常の均衡を越えた非日常の世界へと飛び込んだ。

 俺がこの手紙の意味を知るのは、それからそう遠くはなかった。



◆◆◆



 ぱちり、と目が覚めた。


 見知らぬ天井だ。

 いやネタでも何でもなく、本当に覚えの無い場所で、俺はリクライニングシートらしきものに横たわっていた。

 倦怠感は無い。目を開ける前から、意識を残しながら眠っている感覚があった。耳からは絶え間なく、何かが燃えているような、はるか地底からの地響きのような篭った音が入ってきていた。


「……目覚めたか、ニッポンジン。よく眠っていたようだな」

「っ……!」


 声が掛けられる。

 その声調は、俺が知る限りの誰のものでもなかった。

 その声のした方向に、ばっと顔ごと視線を向けた。頭の奥が、ずきりと痛んだ。


 俺のすぐ隣の席で、ゆったりと身体を横にしてくつろいでいる様子の男がいた。


 一目で、日本人ではないと思った。

 澄んだ青空のような青い目と、思いきったスキンヘッドが特徴的な男だった。それこそ、ハリウッドスター顔負けの渋みのある面立ち。

 おそらく、四十代かそこらだろう。額の皺が、その年季を如実に物語っている。

 そんな彼は、背もたれを倒した状態のまま、妙なイントネーションの日本語を紡いだ。


「安心るといい。お前を眠らせたの、ただの睡眠薬だ。一応お前はボスのVIP《おきゃくさま》だ、持っていた荷物もそのままにしてある。中身の確認はさせてもらったがね」

「……ここは、どこだ?」

「飛行機の中、いわばお抱えのプライベートジェットというやつだ。アイカワ、私と一緒に来てもらおう。良い子にしていれば、こちらも危害加えない。寝ぼけたその頭でも分かる、簡単な話だ」


 飛行機? プライベートジェット?

 何が? 何で?

 確か俺は、遊園地に――――


「…………」


 いや、ぼんやりと思い出してきた。

 遊園地から帰って来たあの後。まず夕平と暁と別れ、少ししていのりとも別れて、一人夜道を歩いていた時だ。

 通りがかった公園の自販機で、何か飲み物を飲もうと財布を取り出した瞬間、突然口と鼻を柔らかい何かで塞がれたのだ。

 ぶれる重心と、暗転する視界の端で光る自販機が見えたのが、最後の記憶。


 ……ああ、つまり拉致られたのか、俺は。


 あまりに一瞬過ぎて、言葉もなかった。多分、後ろから薬を染み込ませた布を押し付けたのだろうが、気配すら感じさせないとは。


 目の前の男がそれをやったのだとしたら、こいつはかなり『こういう事』に手慣れていることになる。


 ゆっくりと、周りを見回した。

 内装は豪華絢爛、広大無辺だった。通路も幅があり、広々としている印象が強い。

 間違いなく、ファーストクラス以上の超VIPルーム。

 そんな中に俺たち二人だけの貸切状態で、他には誰もいない。空いたまま並んでいる席に、他の乗客の荷物は無い。別室で待機してるのかどうなのか、客室乗務員もCAもいなかった。


「どうし? 気味が悪い程冷静だな。色々と訊きたいことあるんじゃないのか?」

「…………」


 呆気にとられそうになっていた俺は、その声ではっと我に返った。

 まだ薬が身体に残っているのか、億劫ながらも全身に少しばかり力を走らせる。いつ何が起きてもいいように。

 それでも警戒色を見せないよう、敢えて背もたれに身体を委ねながら、頬をかすかに緩ませ俺は口を開いた。


『英語? ドイツ語? それともイタリア語?』

「huh?」


 男が、首をひねる。

 強面のこの男がやると、えらくシュールな仕草だった。


『さっきからアンタの日本語分かり難いんだよ。とりあえず、話しやすい言葉に合わせる。つっても、スペイン語は無理だな。自信あるのは英語だ。どれがいい?』

『英語でいいが……日本人というのは、あまり自分をひけらかさないと聞くが』

『だからどうした。そんなもん俺には関係ない』


 ……おそらく、こいつは今俺を見定めている。

 果たして、俺が役に立つのか立たないのかという点において。

 だから今のうちに俺自身を売り込んでおかないと、過小評価されたままあっさり殺されかねない。


 そう、『ヤツ』も言っていた。


 ――――うちの人間の中にも、若い上に学生の身である君のことを疎んだり疑問視したりする人間は必ずいるだろう。


 そういう能力とは関係ないハンデがあるからこそ、俺は自分を誇示するのを躊躇わない。

 俺はコイツに、『使える人間』だと判断されなくてはいけないのだから。


『あんまり人を人種だとか見た目で判断しない方が身のためだぜ。

『気付いていたのか』


 男は特に驚く様子もなく、足を組み替えながら俺の言葉に応えた。


 やはりそうだったか。

 


 ついに俺に、お迎えがやって来たということか。

 意外と冷静に、その事が受け入れられた。


『……あのチェスメール、見覚えがあると思ったらネットの時の俺との対局だ。まるっきり同じじゃないが、俺が指した一手があんな感じだった』


 確か、ビジョップを突っ込ませた時の状況があれに似ていた。実際はもうちょっとお互い駒を減らしていたし、俺の駒も黒じゃなくて白の駒だったが。

 ……あれから、二か月近くが経っているのか。俺の予想よりも、少し早い。

 なかなかに状況は逼迫していると見た。


『なるほど、あのチェスメールにはそう言う意図があったのか。いやなにせ、「ボス」が直々に作成して私に託したものだったからな』

『……アンタ、チェスは?』

『いや、もっぱら身体を動かす方面専門でな。いわゆる頭脳労働とは畑が違う。それが?』

『ふうん……別に』


 なるほどな。

 

 


『要は、とうとうセリオが俺に召集を掛けたってことだろ? 意外と早かったじゃないか』

『察しが良くて助かる。つまりまあ、そういうことだ』


 男はそのままこう続ける。


『ああ、それと、ボスの名前はマクシミリアンだ。ウチではそれで通っている。セリオでは話が通じにくいやもしれん』

『了解』


 つまり、セリオという名前と同じく本名ではない、と。

 多分、その偽名もいくつかある別称コードネームのうちの一つに過ぎないのだろう。本人が教えてくれない限りは、セリオ……もといマクシミリアンの本名を知ることはないだろう。


『ジェウロ=ルッチアだ』


 体を横たえたまま、手を差し出してきた。大きなごつい手だった。

 握手を求めているらしい。

 名乗ったということは、つまりそういうことだろうか。彼なりの及第点は一応超えたようだ。 


『お前をこれから約数週間、我々ファミリーの一員同等かそれ以上としてスカウトする。こんな特例はこれからも二度とない。そのことをよく胸に刻んでおけ』


 そりゃそうだ。こんなバイト感覚でマフィアになれたら、日本は世紀末もいいとこだろう。


『ボスのお眼鏡に適った人材だ。有益な働きを期待しているぞ、アイカワ』

『……どうも』


 何の気なしに、その手を握り返そうと手を伸ばして――――



 突然。

 まるでピラニアのように激しい勢いで、俺の手首が引っ掴まれる。



「っ――――!」


 途端、苦悶に眉をしかめてしまう。

 まるで万力のような握力が、手首を襲っていた。

 ぎりぎり、ぎりぎりと骨ごとちぎりかねない程の強さ。死ぬほど痛い。今にもぶちゅり、と音を立ててもげそうだ。


『……何が「あんまり人を人種だとか見た目で判断しない方が身のためだぜ」だ、ションベン臭えガキが。身の程を弁えてから同じことを言ってみろ』


 まるで囁くかのような調子。声だけ聴けば、とても激昂している様子には思えない。

 だが、ジェウロの額には今にも破裂しそうなくらい膨れ上がった青筋が浮かんでいる。間違いなく凄んでいる。

 怒りを全身からぶちまけず、手の筋肉に強く込めてくる。


 ────してやられた。今までの友好的ムードはただのポーズだったか。

 非常に厄介な人種だ。激情をコントロール出来る器が、こいつにはある。



 ――――うちの人間の中にも、若い上に学生の身である君のことを疎んだり疑問視したりする人間は必ずいるだろう。



『……なるほどな。アンタ、マクシミリアンの俺への待遇を疑問視してる口か』


 改めて、セリオの言葉を思い出す。

 俺の質問に、ジェウロは首を横に振った。


『疑問ではない。反感だ』

『反感……』


 今誰もいないとはいえ、他の人間に聞かれたらただじゃ済まないはずの事を、平然と言ってのける。今のは言ってしまえば、ボスへの反抗ととられてもおかしくない言葉だ。


『お前のような部外者は、ウチには必要ない』

『だが、人手がいるんだろう? だからこそ、マクシミリアンも俺を――――』

『必要ないと言っている。それも、日本のような所で平和ボケに膿みきった黄色人種イエローモンキーの助けなどはな』


 いっそ清々しいくらいの断言っぷりだった。


『……おいおい、自分のボスに歯向かうのか?』

『既に何度も進言した。お前のようにウチに関係の無い表の人間を引き込むのは、自滅への道だとな』


 一理ある。というか、正論もいいところだ。

 俺だって何も知らなれば、マクシミリアンよりもジェウロの方を支持する。むしろ信用も実績もない俺を引き抜こうとするマクシミリアンの方が、気でも違えたかのようにしか見えない。


 はっきり言って、ジェウロは良い部下だ。本心でそう思う。これだけはっきり物言いが出来る人間ほど、信頼できるものは無い。


 ただ……今の俺には一番厄介な人間だ。


『…………』

『どうやってこうしてボスの元まで嗅ぎ付けた? お前は一体何が目的だ? 普通の高校生であるお前が、何のために我々に接触した? 答えろ』

『……それを話して、何になる? 自分が納得すれば、仲間に引き入れてやるってのか?』


 ほぼ無意識に唇を舐めた。

 対するジェウロは、俺の方を見もせずに横倒しの姿勢のままだ。


『……アイツの部下如きに答える義理は無い、と言ったら』


 そう言うと、俺の目の前に、『ある物』が突き付けられた。

 空いた手から覗くのは、ぬらりと光る黒い物体。


 拳銃だ。


 その銃口が、まっすぐ俺を射抜いていた。


『……その減らず口以外の穴を作って、答えさせてやってもいいが?』


 既にここは、上空数千メートルの密室。

 俺達二人以外、誰もいない。それに、マフィア御用達ともあれば、当然パイロットや航空機関係者にも、その息が掛かっているはず。掴まれてる上に薬の効果で動きも鈍い今の俺に身を守る術はなく、荷物も確認されて丸腰だとばれている。


 今この場に、俺の味方はいない。

 撃たれれば、俺が死ぬ瞬間を知る人間は……いない。


『話せ。これはお遊びではない。話さなければ、私はお前を我々の敵とみなす』

『ボスの客を殺すのか?』


 いや、まだだ。まだこいつは撃たない。

 殺すなら、眠っている間に殺していたはず。

 今のこの行動も、ジェウロなりのハッタリに過ぎない。


『それも仕方なし、だ。もしボスの琴線に触れたのなら、アイカワ、お前を殺して、私も次に殉じよう』


 何気に気持ち悪いことを言われてる気がする。


『……俺は必ず役に立つ』

『ならなおの事、有能であるからこそ警戒する必要がある。我々の何かを破壊しかねない。リスクが高すぎる』


 しかしこれでは、説得どころか取り付く島もない。

 マズい、この状況……マジでこのままだと殺されかねん。


『私の命を散らしてでも、私は私のファミリーを守る。それこそが、ボスに報いることだと考えている』

『大した忠誠心なこって』


 こんな軽口を叩きながらも、内心緊張が張り詰め過ぎて吐きそうだった。

 今すぐこの手を振りほどきたいのは山々だが、そんな動きを見せればこいつは即座に撃つ。それだけの覚悟がある。


 数分の沈黙。先に口を開いたのは、ジェウロだった。


『……どうやら、話す気は無さそうだな』

『…………』


 引き金に掛けられた指に、力が込められていくのが分かる。

 その指一つ動くだけで、俺の命はゴミのように軽々と吹っ飛ぶだろう。

 息を呑むと、喉が鳴った。背中に浮かぶ冷や汗が、シャツに染み込む。ぞくり、と心臓が跳ねた。


 まだだ……まだ目を反らすな。前を見ろ。


『……ならば、仕方ない』


 ため息を一つ。

 そして、


『墓石くらいは作ってやろう』



 パン、と爆竹か何かのように軽い銃声が、耳に響いた。



 ――――俺は、生まれてこの方、銃に撃たれたことはあれど弾が当たったことは無い。


 来るべき衝撃に歯を食いしばって、その瞬間だけは目を閉じていた。


 そして、撃たれて思ったのは……銃声が意外に小さいということだった。

 というか、あまりにも小さすぎるような……?


『っ……!』


 息を呑む気配。もちろん、俺ではない。


 手首からするりと手が離される。真正面から、身体を起こすような布擦れの音が聞こえた。

 いや、それ以上に、



 爆ぜたかのような衝撃も、血液いのちのみなもとが零れ落ちていく感覚も、眠くなるような甘い死の誘いも、

 何も、何もない。


 目を開けた。

 既に、寝る姿勢のまま銃を構えるジェウロの姿は無かった。


 次に、ばっと俺自身の身体を見た。が、何ともない。血の汚れ一つも付いていない。

 なら、さっきの銃声は……?


 少し起き上がって、周囲に視線を泳がせた。

 ジェウロは出入口付近にいた。備え付きの電話機ルームフォンで、誰かと会話しているように見える。


『……しかし、それでは――――本気、ですか? ですが彼は――――』


 遠いせいで、全ては聞き取れない。だが、ジェウロが少し焦っていること。

 そして、あの彼が丁寧な口調にならざるを得ない相手と話している事は分かった。


 あのルームフォンは、無線を使って機内から機内にだけ繋がる連絡機のはずだ。本来、乗務員かCAがもしもの時にパイロットに異常を伝えるための。


 ということはつまり。

 ジェウロよりも格上の人間――――それこそマクシミリアンのような存在が、この機内にいるということになる。


『……分かりました。ええ、――――してはいません。油断――――お気を付けて。はい。では、そのように』


 そして、受話器をおろしため息を溢した。心なしか、俺を相手していた時より疲れているように見える。


 振り返り、俺の方を顧みた。


『お前はここで殺す予定だったが、その予定も変更だ』

『え……?』

『だが、助かったとは思うな。むしろ、より一層の地獄を見ることになるだろう』


 そう前置いて、ジェウロはもう一度ため息交じりにこう言った。



『ボスのご息女であるエレンお嬢様が、新たな「お喋り相手」をご所望だ。彼女の部屋まで案内しよう』





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