第四話:ムゲンループの住人
「泣いてるように笑ってる、か……」
すっかり帰りが遅くなってしまった。日も落ちて、人気のない帰り道を、俺は一人歩く。
気付けば、何度も何度もその言葉を反芻していた。
じっくりと、その暁との前後のやり取りも一緒くたに思い返した。
癖みたいなものかもしれないが、何かを思い出そうとする時に独り言をよくする。口に出すことで、集中出来るような気がするからだろう。
時にのめり込み過ぎて、見られてないと思いきや、実は死角にいたおまわりさんに職質食らったのはいい思い出だ。
「泣いてるように……」
ムゲンループのことを、あんな少女一人に看破されかけた。
いや、看破というのは過大評価だろう。それどころか、暁はムゲンループの存在なんざ、想像にすらないはずだ。ここまでずっと危惧するほどの脅威はない。所詮俺と違って、彼女はムゲンループの住人じゃないのだから。
それでも、引っ掛かる。
何か根本的なミスをしてたのか、大きな失言をしていたのだろうか、と。
立花暁という少女は、思っていた以上に勘が鋭いようだ。彼女には、夕平どころか自分自身さえ気づいていない他人の表情を読む才がある。
……何を大げさな、と思うか? 今まで何のためのウン十年だったと思ってる?
『表情を読まれないための訓練』は死ぬほど積んできたつもりだったのに、それを見抜かれてしまったのだ。
言っておくと、表情を読まれないというのは、いつも何を考えてるか分からないように表情を隠すことじゃない。そんなのは、ずっと顔を包帯で隠してるのと何ら変わらない。ただの不審者だ。
そうじゃなく、笑う時には自然に笑い、怒るときには自然に怒る。
その喜怒哀楽をはっきりつけ、誰からもその表立った感情の裏を読まれないということ。いわば『表情の作り方』だ。
他人から裏表の無い人間だと思われることは、そのまま人間関係構築の手助けにもなる。
だが逆に、一度不自然と思われたらそれは大きな不審の元となる。俺は、世界がリセットされたらまずなによりもその訓練をすることから始めている。
鏡の前で何時間も粘って、あらゆる自然な表情の作り方をひたすら頭に叩き込む。自分の顔に酔って吐いたことさえある。
だから、あんなこと本来あってはならないはずだった。ましてや、『笑う』なんて初歩中の初歩かつ作りやすい表情を。その笑顔の裏には────なんてことをリアルに気取られてしまった。
あの無垢な双眸は、一体俺のどこを見たのだろう。そこが俺には分からない。
言った通り、今はまだ大して怖いものじゃない。
でも、予感がした。
────いつかその才が、俺の足元を掬うことになる気がして。
「俺の考え過ぎか……って言うと何かフラグっぽいな。まだ初めて会って一ヶ月だけど、注意はしとくにこしたことはないかもしれん」
しかし、あんな成人すらしてない子供に見抜かれるとは、俺もまだまだ、だ。
これじゃこの先待ち受ける最悪の出来事に対抗出来るとは思えない。
確かに俺は、ムゲンループを利用してカシコク生きようとしてきた。自分のためだけに努力してきた。
それは否定しない。なんなら今もそうだ。
やり直しが利いて、好き勝手出来るこの世界で過ごし、自分の都合で多くの事をしてきた。
サッカーは三年、バスケは四年、テニスはすっかりはまってしまったのもあって七年間もやった。県大会の常連にもなったことがある。
あらゆる大学の過去の入試問題をこなし、既に模試では全国百位圏内に入るくらいの知識も手に入れた。
何度も休学して、何度も海外に行った。アメリカ、イタリア、ドイツ、イギリス、ロシア、タイ……その国の表も裏も、酸いも甘いも多くの側面を見てきた。
中東にも行ったこともある。あの時は正直、何度か死の危険を感じた。まあこうして生きてるわけだが。
今まで一度も死んでないのは、ある意味奇跡なのかもしれない。
その多くの経験は、本来無かったもの。誰かに卑怯となじられても、言い返せない。
でも、生き残るために努力は欠かさなかった。何度もくじけそうになった。
こんなことする意味があるのかと。
その度に、あの時の記憶が頭をかすめる。焼き付けられたあの光景が、脳にフラッシュバックする。
あれを繰り返すのだけは、もうごめんだ、と。それだけのために、歯を食いしばった。足を奮い立たせた。血反吐を飲み込んだ。
夕平と暁との思い出があったからこそ、俺は諦めることをしなかった。ひたすらに、努力をすることが出来た。
カシコク生きるために、夕平を利用しようとしてるのも嘘じゃない。だが、それも含めて、二人を助けたいと思っているのも本当だった。
これは、一種の恩返しだ。『バッドエンド』を回避するという具体的な指針があったから、何十年も頑張れた。
初めからボス不在のRPGをやろうとする奴はいない。多分、自分の経験のために、なんて曖昧な目標だけだったら、すぐに楽な方へ逃げていたと思うから。
だから俺は────二人を救うためなら、自らの手を汚すことも厭わない。
『おい』
唐突に後ろから、イギリス訛りの英語で声を掛けられた。
ドスのきいた、男の低い声だ。
ピタリと足を止める。
少しだけ言いたいことをまとめてから、振り返らず口を開いた。
『……セリオの
『…………』
『というか、セリオでアンタら通じてるか? どうせ偽名だろう、伝わるんなら別にいいが────』
『アイカワ・タクジだな?』
俺の言葉に聞く耳も持たず、男は問う。
『……ああ、そうだが?』
『ミスタ・アイカワ。ボスから言伝を預かっている。聞くか?』
『……むしろ聞かないなんて選択肢ないだろう』
『その言葉は肯定の意として捉える。そのまま身動きせず、振り返らずに聞け』
まさか、この間の俺の返答にこんなにも早くお返事が来るとは。まだオーケーしたのも昨日のことだぞ。
果たしてそれはセリオなりの誠意なのか、それとも『最初からこうするつもりだった』のか。
『────アイカワ、この間の「交渉」、快諾してくれてありがとう。君はチェスも世渡りの仕方も筋がある。きっと僕の申し出に「うま味」を感じてもらえたんだと思う』
……『交渉』ってなんのことだ、って?
もちろん、この前のチェス中にしていたインスタントメッセンジャーの内容だ。
そう、よく考えなくとも、おかしな話だろう? もし本当にイギリス人の子供の盗み《イタズラ》を嘆いてたとして、日本人の俺を頼るとかどんな親だよと。
簡単な隠語だ。もっと詳しく言ってやると、『アル』は自分の組の系列子会社。知らない玩具は『密輸品』、あるいは『横流ししたお薬』ってところか。
つまり、自分とこが受け持ってた子会社が、自分達を無視してやりたい放題し始めたから助力が欲しいという暗号会話ってことだ。
チェスのおまけみたいに備え付けられてるチャットサービスでも、もちろん運営に監視されて記録は取られているし、直接的な単語はすぐに通報されるものだ。
が、逆に言えばああいう風に隠語を使った会話をする分には、少しわざとらしくても黙認されるという暗黙の了解がある。だからこそ、『少しだけヤバめな取引』や『暴力集団達ギャングの内緒話』には持ってこいなのだ。
だからこそ、セリオのようなイギリスマフィアもそこに目を付けた、というわけだ。
『とはいえ、今から君から僕達にやってもらうことはない。君はその日のために自分の準備をしておいてくれ』
『……死にに行く準備ってやつか?』
『信頼できる人間に追って連絡させる。順調に行けば数か月後以内には』
無視ですか、さいですか。
『もう一度言おう。君には期待してる。糸を手繰り寄せるように、それも僕達の内情を全て何もかもお見通しのようなタイミングで、僕のところまでたどり着いた君の腕に賭けてみたいと思った。これは本当だ。君の素性を知った上で、敢えてお願いするくらいはね』
『よくそんな長ったらしい美辞麗句全部覚えてきたな。セリオはいい部下持ってるぜ』
『うちの人間の中にも、若い上に学生の身である君のことを疎んだり疑問視したりする人間は必ずいるだろう。いくら僕の命令とはいえ。だけどそのリスクと天秤にかけても、君の力が必要だと判断した。……君にとっては、リスクの方の上皿が傾いた方が幸せだったかもしれないがね』
その言葉に、思わず吹き出してしまった。
マフィアでも、そんな安っぽい脅し文句が通じるのか。
『馬鹿言うなよ。もう後戻り出来るとこは過ぎちまってる。アンタが言うリスクの皿が傾いた時ってのは……俺の眉間に穴が開く時だ。そうだろ?』
『……ふ、ふふっ』
そう言うと、いままで無機質的に受け売りを話し続けていた男から、笑い声がこぼれた。
それは嘲るようなものじゃなく、一体何故なのか、純粋に可笑しそうに。
『あ、あれ? 俺なんか英語間違えたか?』
『……いや、合ってるよ。アイカワ』
途端、男の語調が柔らかくなった。
つられて、俺は思わず振り返る。
その瞬間、どてっ腹に重い衝撃を食らった。
「かっ……」
殴られた────。
そう思った時には、既にもう遅くて。
肺の空気という空気が絞り出されていく。口の端からよだれが糸を引いた。
がくん、と足がくずおれる。
『ただ、現実のマフィアでいちいちそんな持って回った言い方してた人は、大体みんな早世してるんだよ。だから君も案外、日本人にしては早死にするタイプなのかなと思って、ついね』
「おま……ッ、まさか、セリオ────」
『それじゃあね、今度は仕事中に会おう。英語、まあまあ上手だったよ』
それまで感じていた気配が立ち退いていく。
「『ネブリナ』――――覚えておくといい。それが君に与する我々の名前だよ」
そして、俺の意識は遠のいた。
◆◆◆
────……視界が、開けた。
もう何時間寝落ちしてたのだろうか。既に空は暗く、点々と光る星がいやに目に映った。
不思議と、目覚めは良かった。まさかまさかのセリオその人が、俺を殴って気絶させたこともすぐに思い出した。
セリオの組織内での
少し、肌寒い。五月の夜は、寝起きの身体には少しこたえた。
というか、後頭部が何か細くて柔らかい物を枕にしているが、これは────。
「────目、覚めましたか?」
そんな俺の真上から、女の声が降りかかった。
清々としたこの夜に合わせたかのように、濁りの無い澄みきった声だった。
「お宅の前で倒れてしまったので、ここまで連れて横にしておきました。お加減はどうですか?」
「ありがとう……アンタ、誰だ? ああ、俺は相川拓二。よろしく」
「……どうして先にお名前を?」
「人に名前尋ねる時は自分からってのが道理だろう? だから言われる前に言っておいた」
「そうですか、相川さん……ですね。随分と変わった人ですね」
「そんな変人を膝枕してくれてるアンタは?」
ゆっくりと頭を持ち上げる。気だるさはあったが、少し無理に持ち上げた。
ここは、公園のベンチか。今は誰も使われていない遊具が、夜の帳の中でもその存在を主張していた。
俺のカバンはすぐ足もとに置かれていた。そして、この女の物と思わしきカバンも一緒に。
振り返った俺の眼前には、青白っぽい顔をした女の子がいた。
あまり目立つような容姿ではない。ふと目を反らせば、いつの間にか姿を消し去ってしまいそうなくらい、存在感の無い子だ。
歳は多分、俺より上はないだろう。今までのループでも見たことのない女の子だった。
小風が、音もなく流れた。清潔的に両端を長めに結んだツインテールが、自身の耳横で揺れている。
「ぶー、駄目です」
そう言って彼女は、自身の顔の前で両手の人差し指を小さく交差させた。
バツ印……だろうか。
「え……?」
「自己紹介と言うなら、まだお話し下さってないことがあるでしょう」
「……?」
そんな少女が、そっと囁くようにして言った事は。
「貴方が今、何周目なのかも教えてください」
「────ッ!?」
……前述した『表情を読まれないための方法』をするまでもない。というより、今だけは、そんなこと出来る余裕が無かった。
心底驚愕した。今まで生きてきた中で、おそらく一番。
「貴方は私を知らなくても、私は貴方を存じています。貴方がこの世界をループしてること。おそらく私よりも長い間……ずっと。私、自分と同じ目に遭ってる方を今まで探していて……ようやく見つけました。この広い世界で、貴方に会えたのは幸運と言う他ありませんが」
静かな物言いで、淡々と俺に語り掛ける。俺を見る瞳には、何の色も浮かんでいなかった。
果たしてその言葉を、俺の耳はどれだけ拾えていただろうか。
二の句が継げない俺に焦れたのかどうなのか、目の前の少女は小さく一礼して口を開いた。
深海のごとく、どこまでも静かな声だった。
「……申し遅れました。私、
こいつは、この世界の異端。
────俺と同じ、『ムゲンループの住人』だ。
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