第百十三話:急転
「────『ムゲンループの住人が人を殺した時、殺した人間は生き返らない』というルールについて、因果律という言葉を用いて話してくれたのは君だったね」
十日程前。
大宮グループ本社にて、既に温くなった茶を前にマクシミリアンと祈、清道は膝を交えて会談を続けていた。
来たる三月三十一日を前に、歪み捩れた宿命と因縁の従うままに集った三人の、謂わば作戦会議。
彼らは知っていた。間違いなく当日は、『荒れる』こと。
多くの禍根や出来事、それらを過去にするような、未曾有の危機が迫っている。
自分達は覚悟し、身構えなくてはならない。
そのための現状整理であり、各々の意識の擦り合わせが、今は必要であった。
「あれは限りなく的を射た見解だと僕は考えている。面白い、仕事柄知っただけの僕には無いムゲンループを熟知した発想。必要であるのはもちろんだけど、単純に興味深い。より突き詰めた思考結果を聞いてみたいね」
「私の意見であれば、いくらでも……」
「では、『我々ムゲンループの住人の殺し方』について、君の思うところを聞かせてはくれないかな?」
マクシミリアンの突然で躊躇もない問い掛けに、祈の声が詰まった。
「それは……」
開いていた口を、顔を俯かせるとともに緩慢に閉ざした。
マクシミリアンの言うところは、『拓二を殺す』ということに他ならない。覚悟するべきとはいえ、かつて信頼するところは信頼してきた仲であり、心苦しいことに変わりない。
あの清道までもが、流石に空気を読めとばかりに『おい』とマクシミリアンを諌める声を上げた。が、彼は表情を崩さない。
「いえ、いいんです……分かってますから」
「……君の立ち位置は、複雑なものだ。その点に関して同情はするよ」
「…………」
「けど、ここでまだタクジを庇い立てようとしてもそれは無意味だよ。これは『答え合わせ』さ、レディ。なんせその答えは、僕にも分かる簡単なロジックなんだからね」
マクシミリアンの声はよく通る。
ここぞという時のずけずけとした物言いが、より明確に表れているかのように。
祈はしばらく黙りこくっていた。
重い頭をもたげ、重い口の行き場を答えるか否かと迷わせる。
しかしやがて、祈は意を決してこう前置きを紡いだ。
「……私の推測が正しければ。ムゲンループにおいてその住人と定義される存在は、ある程度の保護対象であるのだと思います」
「『保護』……ねぇ」
この場で唯一ムゲンループの住人ではない清道には、頭に入りにくい内容ではある。本来ならば一笑に付すところを、一応真面目に聞こうとしているあたり、彼なりに思うところがあるのだろう。
「ムゲンループは、完全な繰り返しではありません。あくまで『同じ出来事と同じ時間を繰り返している』にすぎない。そしてそれは、『ムゲンループの住人がいるから』成されることだと考えられます」
「おいおい、待て待て! その言い方だと世界がループしないために
「逆ですよ。そうでないと筋が通らないんです。何故なら、ムゲンループは全く同じことを繰り返す現象ではないのですから。同じ時間で全く同じことを繰り返してしまっては、それはもはや時間が止まったも同然です。つまり『ムゲンループという流動的な時間遡行が必要ない』ということ」
「……もしそうなってしまえば、確かに、ムゲンループなんてもはや必要なくなってしまうよね」
マクシミリアンの言葉に、こくりと頷く祈。
一度話してしまえ その口調には淀みはなく、今までで一番活き活きとしていると言っても過言ではない。
「ええ。言うなら『時間の凍結』……それを防ぐためにムゲンループに選ばれた存在こそが、ムゲンループの住人なのではないでしょうか。因果律という強固なルールへの対抗として、ムゲンループを完全にループさせないための防止策。この世界で唯一ループ中の記憶を所持するからこそ、ムゲンループの住人が生み出すバタフライエフェクトという力の作用によって因果律の時間凍結に至らずに済む」
「うぅむ……」
「だからこそムゲンループという世界にとっては、ムゲンループの
「なるほどね。つまり……」
ええ、と相槌を打ってから、祈は彼女の頭脳が辿った過程と、そこから弾き出した結論を告げた。
「────ムゲンループの住人を真の意味で殺せるのは、やはり同じムゲンループの住人だけ」
祈の言葉に、男二人は唸るように押し黙った。
彼女の言ったことに、証拠は無い。彼らに証明のしようもないことだ。
しかし既に発見されたルールに基づいてムゲンループの住人の存在価値を説いた彼女の推察は、既に知るところにある理屈の延長線として、比較的容易に受け入れられた。
「もちろん推察の域を出ません。しかしこれなら、『ムゲンループの住人による殺人ルール』にも筋が通ります。ループから人を除外出来るのは、やはりムゲンループの住人だけ。住人同士でもそれは同じことなんです」
「……突き詰めれば結局、何ということは無いね。つまり目には目を、歯に歯を。住人には住人を、というわけか」
清道は難しい顔のまま唸りっぱなしだ。彼自身が経験もしていない空想的な事象に対する要領の得なさ、そして面白くなさを感じているのは明らかだった。
一方で、真っ赤な手袋を嵌めた手と手を確かめるように擦り合わせ、マクシミリアンが祈の話の内容を噛み砕くために何度か首肯した。
「しかし住人の存在価値が時間凍結の防止策、か……うん。うん。面白い着目点だ。流石見込んだ通り、とても有意義な意見だったよ、小さな専門家さん。少なくとも、これで僕はより僕の確信を持って行動できる」
聞けてよかったよ、と満足げに言い挟んでから、
「その答えが見えていたからこそ、君達二人に助力を求めた。一組織の長として、知る限りで最も機知と能力に秀でた友人達に頭を下げにね」
「それは、私に……拓二さんを殺せ、と?」
祈は訊いた。
元はと言えば、去年の夏頃には拓二達の命を己の私欲に取り込んだ者であり、祈自身が黒幕として認識していた相手、そもそもの信用は低い。彼の人形として操られることになるのか、それが一つ気掛かりだった。
そしてそのことで、少なくとも夕平達のために命を張り救おうとした拓二に対してまだ未練がましく残る、『信じたい、やり直したい気持ち』の方が色濃いことを改めて思い知らされる。
……もう、そんなことを言ってられないのは頭で分かっているのに。
「……タクジを殺せるのは、僕と君だけだ。つまり、全てが順調に進んだとして、タクジの死に目には、必ず僕か君が居合わせてることになる」
「…………」
「ただ、積極的に殺せとは言わないさ。君にはそこまでの重荷は背負えないだろう? 君達にはあくまで支援を、全体の『組み立て』は僕が手配する」
マクシミリアンはその気配を察したのか、気遣うように優しくそう言う。
「……でも最悪の覚悟はしておくべきだ。何が起こるか、僕でも分からないんだから……僕に出来るのは最悪のケースに対する『予防』だけさ、例えばホラ」
色の派手な、真っ赤な手袋をチラつかせて見せてきた。が、祈にはその意図が分からない。
そんな祈に、気さくで明るい笑顔を見せ、頰を掻きながらこう話したのだった。
「……セイドウのお母さん、大の犬好きなんだ。服の毛一本でも蕁麻疹ものの僕には、彼女や彼女と会ったばかりのセイドウは最悪の天敵なんだよ」
何が天敵だコラ、と清道から悪態が飛んだ。
◆◆◆
斬撃のような蹴打が走った。
並の人間には目にも止まらないであろうその一撃を、ジェウロはフェイントごと容易くいなす。足運びに沿うようにして受け流してから、姿勢低く潜り込むようにしてあっという間に肉薄する。
パンチのように至近距離から放たれた銃弾を、拓二は気持ち大きく身を振って躱す。しかし気付けば自身は、民家の塀が背につくにまで追い込まれた。
蹴りに浮いた拓二の隙を的確に突く、まさに熟練の動き。
そのまま繰り出したボクサー顔負けの拳を、拓二が辛うじてカバーする。受け止めただけで、剛速球を受けたキャッチャーミットか、はたまた爆竹の弾けるような音が響いた。
ギリギリと、ジェウロの右拳と拓二の左掌による力の応酬が繰り広げられる。と思った先に、ぐっと力を固めた殴打がジェウロの顎先を仕留めにかかる。
持っていた拳銃を放り捨てることで、すんでのところでその攻撃を拾うジェウロ。結果、両者はそれぞれの手を拘束し合い、睨み合う硬直状態となった。
────かと思えばその次の刹那、彼らはほぼ同じタイミングで頭をのけ反らせ、恐ろしい音を木霊させて頭蓋と頭蓋を衝突させた。
『ぐっ、ぬ……!』
『む、くっ……!』
唇を逆剥かせ、食いしばった歯と歯がぎらつく。
世界が割れたと錯覚してしまいそうな、視界を揺らす重い衝撃。
額からゆるゆると、脳汁が滲み出たような血が滴る。
今までの拓二であれば────今の拓二でなければ、ここまでで既に昏倒させられていたに違いない。
ジェウロの動きは雄馬のように力強く、激しい。しかしそれでいて、ただの力押しというだけでなく、研ぎ澄まされた確実さがある。
イギリス事件で相対した時とは桁が違う。あの時が子供騙しだと思える程に、すぐさま呑まれてしまいそうな気迫と重圧。
まさに、ネブリナきっての戦士だ。
『ぐぅっ……流石。なかなかやる』
拓二も、これには心からの賞賛を口にせざるを得なかった。
かつてない程に自分は強くなった。常人では習得不可能の、チートじみた何十年もの蓄積。その経験が開花した自分と、こうも互角とは。
『────手出し無用だ、楽しみの邪魔をするな!!』
そんなジェウロの肩口から、後ろの方で僅かに身動ぐニーナの姿が見えた。
怒鳴られたニーナが、ピクリと身体を揺らし、行動しようとしたらしい足の位置を直す。
マクシミリアンとニーナはというと、互いのパートナーである拓二とジェウロの衝突を見守るようにして佇んでいた。互いに銃を向け合うギリギリの綱渡りの均衡で、いつでも撃てるようにその指に力を乗せている。
ニーナは固唾を呑むようにして眉根を顰め、鉄面皮を気取るマクシミリアンの額には、うっすらと汗が滲んでいた。
『……ごめんよ、ご主人』
『そう、いい子だニーナ。絶対にまだ撃つなよ……彼らとは話がある』
『……出来れば手短に。指がこのままなのは辛いんだ』
気が気でないとばかりの声音で、ニーナは言う。
彼女とマクシミリアンの緊張の糸は、これ以上なく張り詰めている。お互いに『我慢の限界』は遠くはないだろう。
『……なあ、マクシミリアン。どうやって俺の居場所が分かった? 是非ご教授願いたいな』
それに対して拓二は、普段とまるで変わらない。あっけカランとした調子で尋ねる。こんな構図でそんな風に振る舞えるのは、状況が分からない馬鹿くらいのものだろうに。
マクシミリアンは呆れるような息を吐き、
『さっきの警察さ。ちょっと「お願い」して、その懐に発信機を忍ばせてもらってる。……この数か月、ネブリナが総力を挙げても、ついに今日この日まで君の足取りは掴めなかったからね。出来る内から尻尾を掴んでおかないと』
『ふ……いや、よくそちらから会いに来てくれた。ジェウロ、そして「兄さん」。まさか単身で踏み込んで来るとは……おかげで俺の手間が省けた』
拓二はさらに続ける。
『それにしても、こうしてこの面子が一堂に会すると、イギリスでの共闘の一週間を思い出す……あの時のことが、なんだか遠い昔のように感じるよ』
『……君は随分様変わりしたね、タクジ。お友達が死んだのがそんなに堪えたかな?』
『ああ……もうどうでもいいんだそんなこと。どうせ世界はまたリセットされる。こんな失敗作の世界なんか、もうどうでもいい』
宙に虚しく木霊する、抜け殻のような拓二の声。
その一瞬、彼の声音、そして彼の顔にあったのは────何も無い、ただの無感情であった。
『……なあマクシミリアン、お前は』
『────我が
目の前のジェウロが、先に続く言葉を遮った。
『死ぬ前に言え。何故貴様は……貴様が首領を殺す必要があった。聞いてやる』
自前のサングラスの奥から、獰猛な生彩が覗く。
歯を剥き、目は血走り、まるで今にも肉に飛びかからんとする獣だ。
拓二は、しばし思案を巡らせ、ジェウロに話の矛先を変えた。
『……邪魔だったからさ。マクシミリアンをこうしてここに引っ張り出すためには、仕方ないことだった』
『仕方ない……仕方ないだと!?』
迸る怒りのままに、食ってかかるジェウロ。彼にとって、その答えは合点が行くようなものであるはずがなかった。
『貴様は裏切ったんだ!! ネブリナを、それもメリーお嬢様の目の前で……! それが「仕方ない」の一言で済むと思うのか!!』
『メリー、か……あれは馬鹿な女だったな』
壁際近くまで押しやられての攻防の最中、お互いがお互いを拘束し、対峙する両者の視線が絡み合う。
厳つく睨むジェウロに対して、拓二の反応は冷ややかだった。
『利用されてるとも知らず、疑いもせずに俺をご隠居のボルドマンのところへ連れてってくれたよ。改めて紹介したいんだとかで、父親に恋人を見せるようなつもりでホームパーティーに招かれたもんだから、「ズドン」。それだけさ』
そう言うと、拓二は。
『あの一瞬のメリーのポカンとした顔と言ったら……まあ、なんだ。────ケッサクだったよ』
うっすらと口角を持ち上げ────ゾッとするほど嫌らしい嘲笑を浮かべて答えた。
『貴ッ様ァァァア……!!』
凄まじい怒り。
周りの空間が、怒気の迸る熱でぐにゃりと弛んでいるかのように空目した。
『やはり貴様は!! ……ッ! あの時殺しておくべきだった……!!』
握り掴む力がより強まった。
その万力を物語る、絶する表情が拓二を睨める。
「…………」
拓二はしばらくその様を眺めていた。
じっと、静かに。汚泥で淀んだ、底の見えない湖のような瞳で。
血管を浮かべ、盛り上がるその筋骨の赴くまま拓二は押し返され始める。
愚直なまでに真っ直ぐに。
しかし、純粋な筋力勝負だからこそ、ムゲンループという『誤魔化し』の利かない長年に渡る鍛錬こそが物を言う。図らずしも、ジェウロの取った行動は有効的であった。
このまま動きが無ければ、タクジのジリ貧。雌雄を決するのはもう間近である。
しかし────彼は動かない。不自然なまでに動こうとしない。
怒り狂う獣が、首筋を噛み殺さんとばかりにその距離を詰めた。
────そしてその時。
『「D・22」』
耳朶にそっと落ちる囁き声。直後、まるで魔法にかかったかのように、ジェウロの目の色がさっと変わった。
マクシミリアンとニーナには、その声は届かない。
拓二の口唇が、薄く開いた。
『この言葉の意味……忘れたわけでは無いだろう? ────さァ、どうする?』
◆◆◆
『────vater、タクジお兄ちゃんがマキシーおいた……あ、ううん、ごめんなさい。アイカワ・タクジがマクシミリアンと交戦して、ます』
某所。
舌ったらずなドイツ語でそう報告するのは、人形を抱え通信機から現状を把握したベローナである。
彼女はそのそばのチェアーに細身を下ろし、呑気にも英字新聞を嗜む男────グーバを見た。
相も変わらず不機嫌そうな、陰が深い骨ばった顔。
この世のありとあらゆる呪詛を顔に貼り付けたような、まさに陰々滅々を表したかのようであった。
『うむ、もう知っとる。フン、マクシミリアンめ。我ら住人の殺し方に感づいたか。実に大胆だが、相当ににアイカワ・タクジを警戒していると見える。まあこれも、あの小僧の宿命であろう……』
『応援……「Schwester(お姉ちゃん)」は呼ばないの? ……ですか?』
『予定は変更しない、まだ「エトー」は出さん……が。奴は「引き金」。今ここで死ねば、計画に大きな支障が出るのは確か、か……』
言いつつも、そう大事に受け取っていないかのような、読めない重々しい語調。今のグーバが何を考えているのか、娘であるベローナでもまるで分からないでいた。
『ベローナ、ベローナ。ジェウロ=ルッチアはその場にいるのか? マクシミリアンと二人で?』
『え? あ、う、は、はい……だけど』
それを聞くと、グーバは読んでいた新聞を畳んで除け、ベローナに投げるように手渡した。
『……いい。実に予想通り、全て読み通りだベローナ。やはり何ら問題ない。既に、
『打開策……それは、マクシミリアンに対して?』
『マクシミリアンに、ではない』
作り物の能面のような顔は、そうあるべきとばかりに表情一つ変えることもしない。
しかしながら瞼が瞬くその一瞬、ぼうっと青白い瞳に、愉悦と嗜虐の明るい影が過ぎったのを、ベローナは見た。
『「D・22」────あの事件は、今のネブリナファミリーを形作った発端(げんきょう)であり、そして彼奴等にとって最大の「綻び」なのだよ』
◆◆◆
『な……何故』
息が止まった。
時が止まった。
世界が止まった。
『…………』
『何故だ、ジェウロ……どうして』
それは、突然の────謀反だった。
拓二を追い詰めた、と。まさにそう思ったその時。
身を翻し、ジェウロが取り出したのは、一本の大きなダガーナイフ。
跳ぶようにマクシミリアンの懐に差し迫り、そして────
とっさに
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