第九十二話:不穏

 今俺は、エレンを座らせた車椅子を押して漕いでやっている。

 メリーに比べて不慣れでも、丁寧に慎重に、この目の前にいるVIPを相手に甲斐甲斐しく接していた。


 西洋系の出で立ちの、それも英国一と言っても過言ではない美少女とその姉。その二人に付き従っている俺まで流れで悪目立ちしてしまっているが、それどころではない。

 両手に花────いや、俺から言わせてもらえば、英国の核弾頭にも等しい二人を連れての内心の動揺を見せまいとしているのだから。


『いや、確かに今度日本を案内してやる……とは俺も言ったけどな。まさかマフィアのご令嬢姉妹が、こんな気軽に日本来訪とか……驚きで言葉もないな』


 流石の俺も、この二人が日本に現れるなんてこと、予想もしなかった。

 こちらとしてもこんな込み入っている時に、それもイギリスから帰ってきた俺を追うように。


『なんだかそう言われるとあれね、ハリウッドスターのお忍び旅行って感じ? 別に私が偉くなったわけじゃないんだけど、ああいうの、ちょっと憧れてたのよね』


 俺の歩く動きに合わせて横に並ぶメリーが、あっけからんとそう言った。


 お忍びというのなら、もっとしっかり忍ぶべきだと思わなくもないが。

 メリーは俗世的とでもいうのか、つい数か月前まではネブリナの存在をひた隠しにされてきていたせいか、あまり自分の立場というのを理解していないように思える。下手すればハリウッドスターどころの話ではないというのに、その能天気さといったら可笑しなものだ。


『あはは、お姉様ったらもう』


 そのあたりの意識はエレンの方が、姉よりも妹の方がしっかりしているというか、頼りがいがあるというものだ。


『でもお兄様、驚いてるって割には順応してるよね』

『驚いてるっつうか……おっかなびっくりなとこはあるが、まあもう慣れたよ』

 

 そう、こんなことでいちいち驚いてはキリがない。


『それにどうせ、メリーが無理を押し切ってここに来たんだろ』

『うっ』


 俺に視線を向けられたメリーは、図星を突かれたと言わんばかりに声をあげ、身体をのけぞらせる。

 その隠す気もない様子に、呆れのため息も出てこない。エレンにはいつものことというように苦笑していた。


『変わってないな、まったく……ちゃんとあいつの娘だよ、お前も』


 そう、彼女達の父親────マクシミリアンもそうだった。

 当たり前のように姿を現し、自分の立場など気にも留めずどこにでも現れる。

 最近何かとあいつと会う機会が増え、不本意ながらマクシミリアンのことが分かり始めていたりする。しかし一方メリーは、あまり父親のように仮面をかぶらないというか、分かりやすい奴だ。


 それでも、そんなメリーも彼とどこか似ているところがあるように感じた。


『アンタは……ちょっと、雰囲気変わったね。会った時と比べてさ』

『そりゃ、良い意味で? 悪い意味で?』


 ふとメリーがそう言ってきたから、さりげなく尋ねてみた。

『変わった』と言われても、普段なら気にも留めなかったのだろうが、今はその言葉に過敏になってしまう。


『うーん……』


 すると、難しい事を訊いた時のように思案げな顔を見せて、


『……さあ? 分かんない』

『そうか』


 とだけ、ポツリと呟いてそれっきりとなってしまった。


 しばらく車椅子をこぐ音だけが続く沈黙が生まれてから、話を変えるようにエレンが口を開いた。


『……そう言えば、お兄様のお友達ってどこ? ここにいるのよね、ご紹介して欲しいな?』

『ああ……』


 そう言えば、そんな約束もした。

 友達と歓迎すると。

 夕平と暁、その二人を助けるという誓いの意を込めて。上手くいったその後が幸せなものになると疑いもせず。


 そしてそれは叶った。

 しかしすべてが思い通りになったわけでなく、あの時夢見た『その後』は、ままならないことだらけなのだが。


 今はあまり……二人をあいつらと会わせる気にはならない。


『あいつらは……最近音楽祭に向けて練習してるから』

『『音楽祭?』』


 二人には、学校の音楽祭が迫っていること、その音楽祭で自分も壇上に立つことになったことをかいつまんで説明した。

 その話を聞いたエレンはハッキリと、メリーは呆れたように鼻を鳴らしながらも、二人とも確かな喜色を浮かべていた。音楽祭という響きに心躍らせているのだろう。


『音楽祭、見たい見たい! ねえ、お姉様?』

『そうね、どうせ暇だし。行ってみても、まあいいかもね』

『おい、お忍びはどーしたお忍びは』


 途端に、年相応にはしゃぎだす二人。日本の学校という慣れない環境もそれを助長しているのだろう。特にメリーは、知る限りでは初めて日本に来たはずだ。


『でもお兄様は、練習しなくていいの? お友達は練習してるんでしょ?』

『……何やるか、ずっと色々考えてたんだけどな』


 ちなみに、呼び出しに応じてメリーとエレンを迎えに行ったのと同時、担任から音楽祭に無事参加出来るが認められたことを報告されていた。

 ギリギリであったようだが、こちらも御多分に漏れず琴羽による口添えに加えた他、一人の参加ということでそう時間や手間も要らないことから、出し物と出し物の間の余興という形で特例を与えられたという次第のようだった。


 そのせいか夕平達と比べて、俺以外に一緒に出し物を行うことも出来なければ、持ち時間もたった数分間と不利な点は多い。

 しかし勝負は勝負。すべてが終わった後の結果……すなわち両者に対する『勝ち』と『負け』は判然とそこにあるのだ。むしろ、それ以外には何もいらない。


 その処遇に不平を言う気もなければ、勝負を投げる気もない。俺は、どんなことをやってでも勝つ。自分が不利であるのなら、それ以外のところで勝つ。ずっと、そうやってきた。


『一つ、いいのを思い付いた』


 そう、それに今しがた思いついた『これ』なら勝てる。

 夕平がどんなに見事な演奏をしようと勝算のある戦いと、俺の中で自信があった。


 俺はそれ以上は何も言わず、エレンの頭を撫でてやった。子供らしい淡いシャンプーの香りがほのかに鼻孔をくすぐった。



◆◆◆



「私達が、いるから……寂しがりな貴方……ううん……」


 その日の通しの練習を終え、まだ学校に残っていた学生もいい加減帰路に就かなくてはという時間になった。

 拓二が出て行ってからそう間も無く、音楽室は使えなくなったが、代わりにツテを手繰って文学部を借りていたのだ。

 暁はもちろん、流石の夕平もそれは悪いと最初は固辞していたのだが、結局はそこの部長兼生徒会長が、音楽祭を盛り上げるためとむしろ快く部室を譲ったのだった。


「いやーあの部長さん、ホント気前良かったなあ」


 あのやけにノリの良い女部長とは、これから控えているという文化祭会議で琴羽共々別れた。

 彼女と縁あったことを心から僥倖と感じつつ夕平が呟くも、暁は一向に反応を見せず、ブツブツと何事かボヤいている。

 

「……なあヘイユー、あのオリジナルの歌詞まだ決まってねーのかよぉ?」


 その様子を見て、夕平が自分達のバンドに引き込んだクラスメイト、ドラマーのエイジが夕平にそっと耳打ちする。


「もうちょい待てってエイジ。後少しだってあいつも言ってたから」

「オイオイオイ……」


 その話に側で聞いていたメンバー、光輝も加わってこう言う。


「てかさ、小さいハコとかなら分かるけど、やるのって体育館だろ? そんなこだわらなくても、どうせよく聞こえないって。細かいところはテキトーにそれっぽいの書いてもらえよ」


 そう、準備不足の拓二と同様、こちらとしても問題が残っていた。

 キーボード、そして歌詞担当の暁の進展が芳しくないのだ。

 曲のメロディーは既に出来上がっている。曲調も仕上がっている。


 しかし、そこから先が完成しない。

『彼』に届けるべき言葉が、どうしてもメロディーに伴わない。


「いや、駄目だ。テキトーじゃ」


 そんな暁が捻り出した仮案を、夕平はこれまで幾つもボツにしてきた。

 彼女の苦心は分かっている。そして、それを今はただ見守るしか出来ない自分に対する歯痒さ情けなさ、そんなはやる気持ちが身に堪える。


「駄目なんだよ、ちゃんと聞いてもらわねえと……それも、暁の言葉じゃないと……」

「こだわり過ぎれば全部ハンパになっちまうぜ? へたし、一曲丸々穴空けちまう」

「それにさ、こんな風に全員で合わせる時間なんてほとんど……」


 光輝とエイジの心配そうな声には、バンドの成功失敗を憂いているだけではない。授業も休憩時間も上の空、練習以外は昼食もそっちのけでメモ帳を開きボヤいている暁のことを心配してのことだ。

 そんな話をしている今も────


「お、おい暁! 靴、靴忘れてる!」

「あっ……」


 夕平が、自分の靴箱を開けもせず、夢遊病のように玄関から外に出て行こうとする暁に気付く。

 暁はその声に自分の襟を引っ張られたかのようにして戻ってきた。


「しっかりしてくれよ、頼むから」

「ご、ごめん……」

「いいよ、ほら。靴出してやるから……」


 何とも彼らを知る者からしたら珍しい────夕平が暁に『しっかりしてくれ』なんて言うところなど、例えば琴羽や、あの祈が見ていたとしても噴飯ものの────光景であるのだが、彼ら自身はそのことに気付く様子もない。


 自分の靴を取り出した夕平が、そのついでに暁の分も取り出してやろうとした、その時。

 弦を弾いてすっかり細かな感覚の無い指先に、しかし確かに触れるものがあった。


 暁の靴とは違う感触。さらりとした紙切れのようなもの。


「なんだよ、これ……?」


 メモ書きのようなそれを手に取り折り目を開いてから────夕平は、静かに目を見開いた。



 ────オマエタチヲミテイル。 

 ────オンガクサイハジタイシロ。



 パソコンから書き起こしたであろう無機質なフォントで、たったそれだけの簡潔な文章がそこには記されていた。



◆◆◆



『はーっ、満喫したー』


 学校から外のショッピングモールにくりだした俺達は、姉妹の買い物を済ませていた。

 これと言う名所や特別な土産物など何も無い場所だが、日本というだけで二人は満足そうだった。俺の両手でも収まらない程の量の紙袋には、服やアクセサリー、マンガ、挙句にはバカ買いしたインスタントラーメンの数々まで詰め込まれている。


『なかなかいいわね、ニッポン! 私好きよ、この国』

『さいですか……』


 上機嫌なメリーが、ニッと笑う。つられて笑ってしまいそうな笑みだ。

 ふとそこで、俺が気になったことを尋ねてみた。


『お前らって、どこで過ごす気なんだ? 寝泊まりとかは……』

『いえいえご心配なく~。ネブリナの力でしばらくホテルに泊まることになってるから。なんだっけ? イセエビ? とか言うのが今晩のメニューらしいわ。楽しみよ。ね、エレン~』

『うん、楽しみ!』

『流石のVIP待遇か……』


 どうやらメリーは、日本を掛け値無しに楽しんでいるらしい。

 いつの間にかネブリナという存在に対しても割り切って、受け入れているのが分かる。エレンとも、以前会った時以上に仲良くなっているようだ。お互いのことを知り、気兼ねする理由がなくなったからだろう。


『それじゃあここで解散か。二人だけで大丈夫か? なんならそのホテルまで送るが……』

『はあ? 何言ってんの』


 と、俺の言葉を遮り、メリーは平然とこんなことをのたまった。


、私達と一緒に。日本に滞在してる間、アンタも同じホテル暮らしよ』

「……えっ?」


 突拍子の無いことに、思わず日本語が出てしまった。

 何言ってるの、とばかりにじろりと俺を睨むが、少なくとも今の今まで、そんな話は聞いてない。


『今タクシー捕まえてくるから、待っててよね。ふふ、一度やってみたかったのよね~「ヘイタクシー」ってやつ』

『おっ、おい……』


 しかしそんなことはお構い無しと、メリーはエレンを俺に任せ、足早に通りでタクシーを探し始めた。


『……やれやれ、マジか』


 去り際となって怒涛のように色々押し付けてから、さっさと行ってしまった。

 俺はもう何も言えず、ため息しか出ない。


『ごめんね、強引で』


 そしてその妹が、苦笑で俺を労う。


『……あいつにとっちゃ、俺は言うことにへいへい従う召使いだな。もう慣れたが』

『あはは』


 エレンはひときしり笑った後、


『……でも、お姉様を許してあげて? だってエレンがお姉様に、お兄様にそう頼んで欲しいって言ったことだから』

『? それは、何で……』

「お兄様」


 唐突に、その声は意識を惹き付ける、重みのある物言いで紡がれた。

 その猫のような大きな瞳が、じっと俺を射抜いている。


「もう分かってるくせに、ふふふ」

「…………」

「エレン達が日本に来た理由、まだちゃんと話してないよね。まさか本当に、観光に来ましたなんて話、信じてるわけじゃないでしょ?」


 今、ここにある大通りの喧騒や通行人の姿を置き去りにして、四方から取り囲まれたような緊張が二人の間でのみ流れた。


「ここから先は込み入った話になるよ、お兄様……


 気付けば辺りも暗い。

 店から漏れるネオンの余光は、エレンの美しい金髪や横顔を一方向からくっきりと照らすが、それ以外の部分は夜の陰りで彩られていた。


「『じきイギリスに戻れ』……これが、マクシミリアンから言付けられた言葉。まずはこの事を伝えに、エレン達は貴方に会いに来たんだよ」


 せり上がってくる何とも言い難い予感によって、胸の内がざわりと不穏に波打った。

 

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