番外第八話:それは日常

「拓二さん、デートをしましょう」


 ある休日のこと。

 ごく当たり前のように、ケチをつける余地すら与えないように、いやいっそ油断した時の悪徳セールスのように、我が家の玄関先にいのりがやって来た。


 いつぞやから懲りもせずに、迂闊にも扉を開けてしまった俺は、直後、怪訝な表情をしていたと思う。

 

 というのも、こいつの直接の訪問には、今までロクなことが起きた試しがない。

 最初は、細波はさておき桜季に出会う羽目になったし、前回はマクシミリアンまで連れてきた挙句、夕平は事故を起こした。

 それらが故意ではなく偶然の噛み合わせと分かっていても、俺にとってみれば何かが起こる前触れ、フラグ建てなのだ。


 そんなわけで、しばしの休息でくつろいでいた俺は、警戒もひとしおなのだった。


「……今日は、話し合いの予定は無かっただろう?」


 話し合い、もといムゲンループについての考察会は、定期的に行われていた。

 基本はムゲンループの住人である俺達二人だけで、時に細波も交えてファミレスに長居する。そしてムゲンループの正体についてなどを、ああでもないこうでもないと議論を投げ掛け合っているわけなのだが……そうそうこれといった答えも出ず、今なおその慣例は続いている。


 しかし、今日がその日とは聞いてなかったはずだが……と思っていると、対するいのりは、あっけからんとこう答えた。


「はい、ありません。今日は遊びに来ました」

「デートって言ったな、どういうことだ」

「? どういうことも何も、そのままの意味ですが……」

「…………」


 こくんと首をかしげ、言外に『何を言ってるのか』と問いかけてくる。

 だがそれは間違いなくこっちの台詞だ。


「……なんのために」

「お買い物をしてみたいな、と思いまして」

「それだけか?」

「はい。それ以外に何かあるでしょうか」

「…………」


 買い物……何だってこんな時に、こいつは。


 と、考えたところで、こいつの表情からは何一つとして読み取れないことに変わりはない。

 愛想がないのは相変わらずとして、果たしてこいつは何の意図があってここに来たのか。


「あの、お忙しかったでしょうか?」

「……いや」


 ────だが、これではいけないと、すぐにかぶりを振って思い直した。


 何の意図が、何のつもりかといの一番に考え込むのは俺の悪い癖。

 思考を遊ばせた深読みは、時に盛大にすっ転ぶことを知っているのに。


 最近分かってきたが、俺はこいつに対して愚直に考えすぎなのだ。油断ならない奴であるのには違いないが、いつも気を張っているのでは、流石にこっちが疲れてしまう。


 生憎(と言うべきなのだろうか)、俺も今は都合がつく。

 気分転換も兼ねて、たまには悪くない。夕平みたいに頭を空にし、脱力して接してみてもいいのかもしれない。

 

「三十分……いや十五分待て。着替えてくる」

「十五分? 何かご都合があるのでしょうか?」

「買い物だろ? 外に出るなら、それなりに身なり整えないとだろうが」

「……ああー」


 腹に落ちたというように、声を上げるいのり。

 その様子に、俺は問いかけた。


「お前……化粧とかしねえの?」

「…………」

「ああ分かった、分かったよ。そういうの興味なさそうだもんなお前」


 よくよく考えてみれば、中身は成人に達していても、一応外面は中学三年生ではある。

 彼女の通っている清上学園がどうなのかは知らないが、私立の学校はそういう校則が厳しいと聞く。そう言えば桜季も普段、あまりめかし込んでいる風ではない。


 化粧っ気がないのは、そういうことがあるせいなのかもしれない。


「ま、いいか。準備してくる。中で待ってろ」

「あ、いえ。お構いなく……」


 そう言って一丁前に固辞するいのりの腕を引っ捕まえ、家のリビングで準備が出来るまで待たせた。



◆◆◆



 俺達は、四つほど駅をまたいだ隣町のモールまで出てきた。

 ここら辺ではそこそこ大きいショッピングモールであり、学生が遊びに行くとなれば基本はここに吸い寄せられることになる。


 そして俺達もご多分に漏れず、普通の学生のように過ごすことになった。

 もちろん、俺達は普通じゃない。ムゲンループの住人だ。


 その気になれば金には困らないし、どこに行こうが何をしようがムゲンループで全て無かったことになる。


 例えば俺が、度の過ぎた殺人快楽主義者だったとして、誰かを殺して捕まったとしても、『四月一日』が来ればそれさえもチャラだ。

 ムゲンループの住人は、誰からも咎められないし、裁かれない。

 もしムゲンループの住人が数少ない存在でなければ、この世はもっと混乱していたことだろう。


「この道行く人達は、皆さんムゲンループのことを知らずに過ごしているのですね……」


 ちょうど俺と似たようなことを考えていたのか、道ゆく人々に目を向けつついのりが呟いた。

 こんなところまで来ておいて、考えることは一緒かと思わず呆れてしまった。


「……そんなことより買い物だろ? 何を買うんだ」

「はい、そうでしたね」


 話を逸らすように顔を差し込んだ俺に、いのりが纏めた鞄を揺らしながら答える。何の飾り気もない、清上の学園指定鞄だった。


「と言っても、恐縮なのですが、少しだけ別行動でお願いします。個人的な買い物なので」

「はあ? おいおい、どういうことだ」


 ここまで連れて来ておいて、俺に付いてくるなと言う。

 俺いらなかったんじゃねえか、と突っ込まざるを得ないわけだが。


「すみません、あそこの喫茶店で待っていてください。それまでのお代は私が」

「金には困ってないからそれは別にいい。個人的な買い物って、例えば下着とかそういうのか?」

「ええと、それは……」

「……はあ、じゃあすぐ来いよ? 俺が暇になるからな」

「あ、はい……分かりました。ありがとうございます」


 いのりは、礼を述べ、ぺこりと一つ頭を下げた。

 束ねた髪の房が続くようにしな垂れたかと思うと、すぐに踵を返した際に大きく跳ねた。


「……何なんだ、一体?」


 その小走りで遠ざかっていくそんな背を、一人ごちりながら見送ったのだった。



◆◆◆



 日常とは、何の意味もない時間であると、俺は考える。


 人間は、よく意味を求めたがる。生きる意味だとか、勉強や仕事に意味を見つけようとする生き物だ。

 しかし常に意識的に行動し、意味のある時間を過ごしている人間などいない。誰しも怠け、心身ともに弛緩するべき時がある。

 先ほどの俺の考え込む癖もそうだが、気を張りすぎて良いことは何一つとしてない。

 

 ただ、無意味な時間というものは、言い換えれば平穏と安寧だ。刺激の無い、根を張る植物になったかのような穏やかな時の過ごし方。

 何事もないという心の平穏には、無意味という『意味』があるのではないだろうか。


 チェーンのコーヒー店の一隅、ウィンドウから表通りを拝める一席で、そこそこ盛況な人混みを見ていた。


 思考はループする。


 彼らは、今生きているこの時が何度も繰り返されている時間であるとは夢にも思ってもいないだろう。全て決められたことであると認知出来ないのだ。


 自身の呼吸を生まれてから数え続ける人間がいないように、自身の髪が伸びるその瞬間を肉眼で捉えようとは考えないように、誰もが無意識的に、この時間をループし続けている。

 ループという、一つの無意味な時間を享受している。


 しかもここは、将来へ夢や希望を馳せることが許されながら生き続けられる、特殊な世界。

 ループを実感することのない大多数である彼らの行動には、一年という期間に閉ざされた世界特有の閉塞感の代わりに、絶対の安心感が寄り添っている。

 謂わば、いずれリセットされる、意味の無い日常のまどろみを意識せず味わい続けているのだ。


 それでいい。どいつもこいつも、安堵していればいい。

 自分がやってること、生きていることが無意味であるといえる内は、この上なく呑気で幸せなことなのだから。


「……お」


 口に流し込んだコーヒーの香りが、咽頭まで広がったその時、通りから別れたばかりの顔が認められた。

 いのりだ。いのりはこちらにガラス越しに気付くと、俺のところまでやって来て、『お待たせしてすみませんでした』と改まった詫びを入れた。


 鞄からそっと覗くビニールの小袋のようなものがお目当てのものなのだろう。


「何か、考え事でもしておられたのですか?」

「うん?」

「難しい顔をしてらしたので……」

「ああ……」


 隣に腰掛けるいのりに向けて、独り言を聞かせるように言葉を整えて返した。


「ここにいる奴らは、幸せだよな。俺達の苦労も知らずに……何が起こってるのかさえ知らずに呑気なもんだ」

「…………」

「いや、馬鹿にムゲンループのことに首突っ込まれても迷惑だがな。今この世界が混乱してないのは、住人の少なさと言うよりも、無闇に動くことのリスクを考えられる頭がある連中ばかりだからなんだろうな」


 この世界にも、例外がある。


 いのり、そしてマクシミリアンというムゲンループの住人だ。


 今の俺が知る限りでは、二人は厄介なほど才能のある奴らである。

 それこそムゲンループなんてものが必要無さそうな人間ばかりが住人であるということが、最初は疑問だった。

 しかし、むしろそれは逆と考えられないか。


 アトランダムな選び方ではなく、何か目的があって、ムゲンループの住人となる資格を与えたのではないか。


「……哲学的ゾンビ、というやつですね」


 するといのりは大真面目に頷いてから、俺の言葉にに乗るようにしてこう呟いた。


 見返す俺と目が合ったかと思えば、何を思ったのか分からない表情のまま、いのりは続けて語った。


「生物的な意識はある。感情もある。泣いたり笑ったり、それこそ普段通りの日常を送ることが出来ますが、ただそれは『そういう反応をするべき』というプログラムを組まれた機械のようなもので、本人の自我だけ、そこには無いのです」

「……生きながら死んでる、みたいだな」

「もしかしたら、私達以外はみんな死んでるのかもしれませんね」


 ニコリともせず、そんな冗談とも聞き難い冗談を溢すいのり。

 拓二は息を一つ吐いて、改めていのりを目視する形で居直った。


「で、買い物は済んだのか?」

「あ、はい。もう終わりました」

「そうか、じゃあ今から何するよ? ゲーセンとカラオケなら案内できるぞ」

「そうですね、では────」

 

 ……本当のところは分からない。

 俺やいのり、マクシミリアンがムゲンループの住人であるべき意味だって、ひょっとしたら無いのかもしれない。


 しかし、ムゲンループが無ければ、俺はいのりと会うことはなかっただろう。いのりも、そう思っているに違いない。


 俺がここにいる意味。そして、いのりが俺と出会った意味。


 無意味な時間ムゲンループが作った例外いみが何なのかを、俺はまだ知らない。



◆◆◆



「……で、結局」


 夜は更け、電車で最寄り駅まで戻ってきた時には、夕食も既に済ませ、それぞれ家に帰るのにいい具合の時間になってしまった。


「こんな夜遅くまで……ムゲンループについて話し合ってただけだったな」


 いや、ムゲンループの話というより、主に互いの話で


「そうでしたね。せっかく外まで付き合っていただいたのに、デートらしいこと、全然出来ませんでした」


 歩きながら、少しシュンとしたように視線を落とす。

 と、近頃、何やらこいつの分かりづらい一挙動から感情が読み取れるようになってきている自分に気付きつつ、


「いや、俺はこの方がいい。話するのは好きだからな」


 気を遣ったわけでなく、本当にそう思っていた。

 カラオケの場所やらの学生が行きそうな遊び場は一通り知っているが、あまり好き好んで行こうとはしない。

 どちらかといえば、静かにお茶でも飲む方が性に合っていた。


「そうですね、お話が弾んでとても楽しかったです」

「弾んだ……のかね」


 会話が途切れないように俺があれこれ話して、それに思い出したかのような相槌を打っていただけだったような気もするが……まあいいか。


「まあでも案外、そういうところが気が合うのかもしれないな」

「…………」

「どうした、そんな豆鉄砲でも食らったような顔して」

「……あ、いえ。何でも……ないです」


 何故か俯いてしまったいのりに顔を向け、どうかしたのか話し掛けようとして────


「…………」

「……拓二さん?」

「しっ……」


 いのりが、不意に立ち止まってじっとする俺を見る。そしてすぐ、自分を通り過ぎている視線に気付き、その矛先を追った。


「あ……」


 そして、俺と同じものを見た彼女が、声を上げた。


 人気もなく薄暗い公園の、唯一の光となっている街灯の下、明らかな異質がそこに認められた。


 地面に手を着き背中を丸めてうずくまっている一つの人影に対して、取り囲むように二、三の足が伸び、体重の乗った踵がそれを踏みにじる。そして嘲けるような笑い声が上がる。

 遠目でよく分からないが、少なくとも、取り囲む彼らは背格好から高校生くらいに見えた。

 夜遊びを覚えた若盛り、といったところか。


「タカりだな」


 よくもまあこういうことだけは、飽きられもせずにどこにでもあるもんだと感心してしまう。


「くっだらね……」

「どうしましょうか、拓二さん。警察を呼んで……」

「いや、いい」


 警察は面倒だ。

 穏便に事が済むならそれでいい。


「ちょっと行ってくる。お前はこっちに来るなよ」

「ですが……」

「いいから」


 首をぐるりと回し、小さく息を吐いた。


「……準備運動にはちょうどいいしな」


 すると、近付いてくる俺に気付いたらしく、踏みつける足の動きと笑い声がぴたりと止まった。


「────てめえらもさあ、そういう方向で意味の無いことはよしな。つまらない人生を、もっとちゃんと謳歌しろよ」


 彼らの視線を一斉に受けつつ、俺はそう言ってゆっくりと公園に足を踏み入れた。



◆◆◆



『んで、タクジはそいつらを蹴散らしちゃったのね。アイツらしいわ』


 電話から、声が届く。


 電気を消した私室に、通話が為されていた。

 椅子に腰掛け、部屋の主である祈が空いた手で手遊びをしながら、相槌を打つ。


 対する向こうからの声は日本語ではなく、英語……それも、イギリス訛りのナチュラルなものであった。


『はい。いわゆるオヤジ狩りというものだったようで』

『オヤジガリ?』

『ええと、財政的に余裕がある社会人を目標にしたカツアゲのことですね』

『ああ、ハピスラ(Happy・Slapping)のことね。馬鹿なことするバカってのはどこにもいるもんねえ』


 声の主────メリーは、そう呆れたような声を上げた。


『それにしても、アンタ、だいぶ発音良くなったわね。以前と比べたら断然今の方が聞き取りやすいわ』

『ありがとうございます。ちゃんと話せないのもどうかと思いましたので、ちょっと勉強を』

『ふうん。真面目ねぇ、日本人ってのは』


 セリオから連絡先を手渡され、一か月が経った今、二人は一種のチャットフレンドとしてやり取りを交わしていた。果たして彼の思惑が何なのか、自分とメリーを引き合わせることに何の意味があったのか、ついぞ分からないままだったが。


『それで? 「目的のもの」は買えたの?』


 メリーは尋ねる。


『はい、何とか』


 そう、今日のこのショッピングで、いのりが拓二に隠れて買っていたもの。

 きたる時……今日のような日常が崩れ去るその瞬間を見越し、祈が用意したもの。それは、


『────。くれぐれも気を付けて使いなさいよ……イノリ』

『もちろんです』


 話の最後に、そう心配してくれているメリーに、祈は電話越しに頷き返した。


 拓二には、遂に話すことはなかった。

 自分が何を考えていたのか。これから何をするつもりなのか。


 今日のことを不自然に思っただろうか。もしこのことを知ったとして、こんなことのために付き合わされたと知ったら、彼は怒るだろうか。


『……メリーさん』

『なによ?』

「…………」


 無為に過ごせる平穏な日常は、確かに大事だ。

 だが、それが全てではない。そうであってはいけない。

 そんなものは、ただの逃げでしかないのだ。

 

『どうなるか分かりませんが、頑張ってみようと思います』

『……そ。なんかよく分かんないけど、頑張んなさい』

『はい』


 今日のような日常は、いつまでも続かない。


 しかし、だからこそ。

 待ち受ける困難を見据え、人は前を向くことが出来るのだから。



 ────そして、この三日後。

 祈だけでなく、夕平、暁、そして拓二にとって忘れ得ない非日常の一日が、幕を開けることになる。


 彼らそれぞれに『意味』を刻みつける闘いに、少女は赴いていく。


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