番外第七話:最高傑作の厭世癖

 千夜川桜季は、何処にでもいるようなごく普通のサラリーマンの夫と、その会社のツテで設けられた見合いで結婚した妻との間に産まれた。

 千夜川という珍しい苗字くらいが特徴の夫とその二歳年下の妻が巡り合わせた生活は、それなりに幸せで、順風満帆と言うほどではないが前向きなものだった。

 やがてその平凡な家庭に、玉のような少女が産まれた。

 彼女を、桜の季節に産まれたから桜季と名付け、父母ともにその誕生喜び、近親縁者からささやかな祝福を受けた。


 桜季は、赤ん坊ながら既にとても可愛らしく、一年二年とするうちに、将来は見目麗しくなるだろうということが誰の目からもはっきりと分かった。

 何一つ不自由なく、普通に愛されて育てられた桜季は、滅多なことでは泣かず、子育てに従事しようと意気込んでいた母親からすれば物足りなくなるほど、手の掛らない大人しい子供だったという。


 しかし────それが違和感へと変わるのは、しばらく年月を経てからのことだった。


 桜季は、大人しすぎた。

 夜泣きをしない、それどころか人前で喚くということを一切しないという、全国の母親達からすれば羨ましいにも程がある、理想的な子供の図を体現していた。

 なんにせよ、手の掛らない子供ほど可愛らしいものはない。

 そう思っていたのは、まだ最初も最初の頃。


 最初こそ、その違和感は曖昧で、どう表現すればいいのかと首をかしげるだけであったが、徐々に形として合点のいく言葉が見つかるようになった。

 大人しい……というよりも、


 馬鹿げていると誰もが思うことだろう。

 話せば親馬鹿発言も大概と失笑を買われることに違いない。


 しかし、事実、桜季は不気味なほど泣かなかった。

 赤ん坊にとって、泣くという行為はコミュニケーションそのもの。流石に他の同い年の子供と比べてやや不自然だとは思い、病院にも連れて行ったりした。


 が、特に異常は無く、健康そのものだった。

 医者にも気にしすぎだと笑われ、そんなものかと母親は考え直していた。


 だが────前述した両親の、桜季の幼児らしからぬ分別の有無についての予感……それは、桜季が成長していくにつれ、さらに裏付けられていく。


 些細なきっかけがあった。


 それは、桜季が三歳になったある時、ふと桜季が腰を床に据え、遠くをぼんやり見ながら何かをぶつぶつと呟いていた。

 ぼうっと何をするでもなく、口を動かすだけ。

 母親がそのことに気付き、聞いてみると、桜季は舌ったらずな言い方で、何かを語っていた。


 まるで、本を音読しているかのように。


 そう、桜季は、傍らに開かれたまま置かれていた小説────もちろん子供用ではなく、ちょうどその時ベストセラーと称され流行っていた一般書籍────


 舌ったらずで、所々モゴモゴと発音の不明瞭な朗読であったが、それでも桜季は狂いなく本の一節を記憶し、はっきりと口に出していた。


 その歳で漢字の多い本一冊(フリガナ付きとはいえ)を読めることもとんでもないが、それを完璧に暗記するだけの記憶容量は、もはや子供どころか人並み外れていた。


 母親はこの時初めて、自分の娘を恐れた。

 平凡を自負していた彼女からすれば、異質とも呼ぶべき非凡は畏怖の対象であった。


 何かがおかしい────というより、今までなんとなく感じていた予感がついに正しかったと実感した、というべきか。

 その幼さとは対照的な分別の有無が、その高い知能によるものだとハッキリ目にしたのだ。


 自分の夫や、両親達、医者にも相談すべきでは、と彼女はついに真剣に考えた。


 だがしかし、考えに考えた逡巡の末────彼女はこの時のことを誰にも言うことはなかった。


 確かに、身内贔屓を差っ引いても、歳相応の子供にしては不審な点が多い。より言うなら、自分の遺伝子を持つ子にしては、あまりにも生物として優秀すぎると、言葉を交わさずとも肉親としての本能的感覚で感じ取っていた。


 しかし────お腹を痛めた実の娘の笑顔を見ているうちに、そんな疑心を持つこと自体、浅ましく愚かなことではないかと、そう考えたのだ。


 桜季は、愛らしく美しかった。散歩に連れて行く近隣でも有名になるほどに。

 桜季が自分にとって誇らしく、ありったけの情愛を向けるに相応しい愛娘であることに、変わりはなかった。


 自分の娘が優れているなど、この上なく贅沢な悩みではないか、と。そう思ったのだ。


 ────果たして、彼女の判断は正しくもあり間違ってもいた。

 


 と言うのも、桜季は────五歳の誕生日を迎えた数日後に、自殺を図ったのだ。



◆◆◆



 桜季の頭には、長い時間を経ても残る傷跡が一つある。

 既にその跡は、触って初めて分かる程度の隆起しか残っていないし、その古傷が今更痛むようなことも無かった。

 当時マンション暮らしであった彼女が、その四階のベランダから飛び降りた際のその傷跡は、数年すれば髪の毛に埋もれ、まるで目立たなくなっていた。


 その『転落事故』は、一度ローカルのニュース番組に取り上げられ、それっきりだった。


 そう、それは事故として処理された。

 まだ幼い子供の不注意として、少女の絶望は片付けられてしまった。


 少女の『絶望』とは何なのか?

 誰からも愛されていた彼女が、幼心に何を思い、自殺へと自身を駆り立てたのか?


 それは、桜季が五歳になる前日、土曜日のことだった。

 仕事のない休日で、父親は桜季を連れて二人でドライブに行った。


 ────お父さん、今日はどこへ行くの?

 ────そうだなあ……最初にちょっとだけ用事があるから、その用事が済むまでいい子にしてたら、桜季の好きなところに連れてってやるぞー。


 なんてことのない、誕生日前日の娘孝行。

 桜季は、両親を愛していた。どこにでもいる、普通の少女のように、彼らへの親愛を絶やさなかった。


 幼稚園に通った後には母親に構ってもらい、たまの仕事の無い日には、父親に遊びに連れて行ってもらうこと────……それだけで、桜季は満足だった。

 彼女は母親の思う通り、優秀だった。もはや異質を模る『非凡』。

 そして優秀故、その非凡を周囲の『平凡』に溶け込ませ、合わせることができた。

 父と母、そして自分という三人の平凡な毎日を愛し、そんな幸せを人にちゃんと伝わるように説明することも出来た。


 自分から両親へ、そして両親から自分への相互の、形の無い愛を疑いもしなかった。


 ────だが。

 同じように桜季を愛する父親は、それだけでは足りなかったようだった。


 愛という形の無いものを無邪気に信じるには、彼は大人すぎて、愛という可変的なものに忠誠を立てるには、彼は懐疑的すぎた。


 用事と称し、父親が連れて行った先は、その地域で一番大きな大学病院。



 ────DNA



 父親は、疑ってしまったのだ。『本当は桜季が実の娘ではないのではないか』と。

 父親は、はっきりさせたかったのだ。『桜季が本当に、自分が愛を注ぐ相手に間違いないのか』と。


 桜季自身の稀有な才能は、魔の手のように父親の胸中にたった一度だけ疑念を差し込んだ。

 妻がかつて踏み止まった一線を、そうとは知らずに踏み越えてしまったのだ。


『桜季は自分の子ではなく、妻の不貞から産まれた子ではないだろうか』、と。


 彼は、娘と違い、ごく普通の人間だった。

 普通に生き、普通に悩み、普通に間違える。


 そして、普通に愚かであった。


 今までの生活を、これからの将来を、年端もいかぬ桜季ごと巻き込んで疑ってしまったのだ。


 しかしこの時、何より彼が愚かだったのは────何の不運か、はたまた必然か、

 無事望んだ結果を得られたことにかまけて、桜季の様子を見落としてしまったことだ。



 この瞬間に、桜季の世界をひび割れ壊してしまっていたのだということに、彼はついぞ気付けなかった。



◆◆◆



「桜季ちゃん、お誕生日おめでとう!」

「五歳の誕生日おめでとう、桜季」



 桜季の好物が食卓に並び、バースデーケーキのロウソクが立ち、プレゼントを開き……五歳になった桜季の誕生日は、笑顔に始まり、笑顔に終わった。


 父親も、母親も満面に笑みを浮かべ、桜季もそれを受けて愛らしくはにかみ返した。

 

 その日は、平凡な家庭の、穏やかな時間が過ぎていった。


 ────桜季は、純粋だった。

 と言うよりも、純粋であることを美徳と考えていた。


 彼女は、今まで幸福だった。

 満ち足りていた。

 だからこそ、幸福の中にある愛を純粋なものとみなすべきと、幼心に考えていた。


 だが、それは子供らしい甘い見通し────潔癖過ぎだったと言わざるを得なかった。

 実際はもう少し、大人の黒く混濁した感情のもと、桜季の暮らしは成り立っていた。


 しかし桜季は、聡明な少女だった。

 自分が疑われたということを知っていた。


 それまで信じていた愛は、虚構だった。

 それまで感じていた愛は、薄弱としたものでしかなかった。


 誕生日に向けられたその笑顔も、何もかも嘘だった。

 お人形遊びと何ら変わらない。温もりを取り繕う自慰行為もどきに、全てが空々しく感じた。

 その日は自分が上手く笑い返せたか、流石の桜季でも自信がなかった。


 もう、何も信じられなくなった。何せ、愛される理由であるはずの血の繋がりさえも疑われてしまったのだから。


 彼女にとって、天地がひっくり返るような一種の『裏切り』を受け、手元に残ったのは、愛などではなく、孤独という虚しさ。

 それが齢五歳で抱いた、桜季の『絶望』であり、『真理』だった。


 だから桜季は、飛び降りた。

 声もあげなかった。泣きさえしなかった。

 当然のようにベランダに足をかけ、頭から落ちるように仕掛けた。


 もはや、どちらでも構わなかったのだ。今すぐ死のうがこれからも生きようが。


 たとえこの先、何かを成し遂げようが、両親のように慎ましく平々凡々に生きようが、どうせ百年もせずに自分は死ぬ。長生きなど、最大で数十年程度の延命に過ぎない。

 生きることというのは、あまりにもちっぽけで、無意味だ。よくよく考えてみれば。


 しかし、だからこそ。

 そこに意味を与えるものこそ愛なのだと、そう思っていたのに。


 その基盤を根底から覆された今、彼女にとって生きるも死ぬも、全てがどうでもよくなっていた。


 前述の通り、結局桜季は死ななかった。

 運良く、浅い夜分であればまだ人通りの多い、道沿いのマンションだった故の早期発見が幸いした。

 さらに運は味方し、切った頭を数針縫うだけの事故ということで、桜季の自殺は扱われた。

 悲惨が想像出来る『事故』で、助かる幸運に安堵していた両親もまさか、良く出来た自分の娘が自殺なぞするはずないと疑いもしなかった。

 疑うところを誤ってしまった、という自覚もなく。


 対して桜季は、診てもらった医者に、礼儀正しくお礼を言い、両親に自分の非を素直に謝り────そして、元通りの『千夜川桜季』に戻った。


 だだそれも、一見してみれば、だが。


 桜季は、愛を忘れていた。

 裏切られたショックからか、飛び降り、頭に衝撃を与えたせいか。

 そのたぐいまれな頭脳をもってして、最初で最後、頭の中から滑り落ちたもの。


 自分の中心が、空っぽになってしまった。


 愛があればこそ、桜季は彼らの子供でいられた。

 愛という理由によって、幼い彼女は両親に育てられ、生かされていた。



 ────その理由が無くなった今、生きることと死ぬことに、何の違いがある?



 桜季の本質は、人知れず変貌していった。

 自分の死をすぐ間近なものと感じるようになり、すると、自分がどんなことでも出来るような気分になった。

 どうせいつか死ぬ、死ぬために生きる。そう考えると、怖いものも何もなかった。


 死にながら生きていると言っても、過言ではなかった。


 誰も、自分を見ようとしない。

『千夜川桜季』そのものを見放し、無視していく。


 その孤独は、桜季に幼児的万能感をもたらした。

 彼女自身の能力の高さも、それをさらに助長していた。

 何をしても上手くいく、何をしても許されると思った。そして事実、その通りだった。


 そして、肥大化し、倦んだその感情が、後の所業を引き起こすこととなる。


 五歳の誕生日は、謂わば転機だった。

 あるいは潮時、ともいうべきか。



 ────どこか壊れてしまった少女は、誰にも知られることなく壊れたまま、長い月日を過ごした。



◆◆◆



「千夜川先輩、こちらの清上祭の予算見積もり案、幾つか修正致しました。ご確認ください」


 桜季は、高校二年生になった。

 近くで最も偏差値の高い私立にトップ入学し、半ば成り行きで生徒会長を務めることになった。


 桜季の才能は遺憾なく発揮され、常に完璧であることから、いつしか『清上の最高傑作』と裏で呼ばれるようにもなった。


「ありがとう。ええと……柳月ちゃん、だっけ」


 中学の生徒会長である後輩の少女に、愛想のいい笑みを浮かべる桜季。

 容姿端麗で、人当たりも良く分け隔てなく接する彼女には、同性異性も関係なく好意を寄せられていた。


 どこを取っても欠点の無い桜季に、誰もが味方だった。

 世界は彼女を、盛大に祝福した。


 まるで、空っぽなままの自分をあざ笑うかのように。


「覚えててくださったのですか」

「そりゃ、あんな挨拶したらねえ」

「あれは、事実ですから」

「んー……まあ気持ちは分かるけど……」


 苦笑し、この間のあの就任挨拶を思い出す。

 正直を真っ向から告げたこの少女は、舞台から降りた後に教師から厳重注意を受けたものの、結局彼女以上に有能な候補もいなかったようで、生徒会長の任を解かれることはなかったようだった。


 何でも彼女は、自分の『後継』足り得る逸材なのだと言う。

 事実、桜季も彼女の能力を認めていた。彼女以上に優秀な存在はそうはいないだろう。


 桜季は彼女に、自分と近しいもの……平凡から外れた才覚を感じ取っていた。


「私には、煩わしいものでしかありませんから」

「わあお、正直だね」


 その正直さは、どこか羨ましくもあった。

 脳の端切れを痺れさせ、虚しい誤魔化しと嘘で自分と現実と擦り合わせて生きる桜季には、好ましく思えたのだ。


「でも、そういうの嫌いじゃないよ?」

「……はあ」


 そして彼女は、自身の才能と周りの環境との埋められない齟齬に苦心していることが分かった。


「ねえ、柳月ちゃんは……『世界中の人間が自分以下だ』と思ったことはないかしら」

「……!」


 ふと、尋ねてみた。

 彼女なら、分かってくれるかもしれない、と少しでも考えて。


「千夜川先輩は、思ったことはあるのですか?」

「…………」

「私は、所詮俗物ですよ。……何でも出来る貴方などに比べれば」


 その答えに、軽い落胆と寂しさを覚えたのは、言うまでもなかった。


 確かに学問でも芸術でも運動でも、色んな分野でその成績を残してきた。数え切れないほどの賞を手にし、栄光を賜った。


 それらは、半分惰性だった。

 こんなことに何の意味があると問い続けながら、賞でも栄光でもない何かを求め続けていた。


 結果、誰もが桜季の非凡さを認めるようにはなった。

 誰もがその才能を尊敬するようにはなった。


「……それは、過言だよ」

「え?」

「なんてね、冗談よ」


 しかし、そんな彼女の孤独は、ついぞ癒えぬまま今に至る。


「私も人間だしね、きっと出来ない事の一つや二つはあるよ」


 そして────その日の帰り道。

 彼女は、一人の少年と出会う。


 自分と同じ目をした空っぽな『彼』は、雨に打たれて一人打ちひしがれていた。



◆◆◆



 日が、落ちていく。


 それまでの土砂降りで潤った空気の中に、揺らぐように燃える夕日が、地平線の彼方へ見えなくなってしまう。


「かふっ……ぁ……」


 左目を潰され、腕は折れ、胸骨が肺に深々と突き刺さったせいで呼吸が溜まらず逃げていく。どくどくと流れる血が地面に吸い込まれていき、全身が凍えるように固まっていく。


 あれが本当に沈む時、自分の命はもう無いだろうと、彼女は分かっていた。

 いや、日没を待つまでもない。自分はもう一歩たりとも動けないし、逃げられないのだ。


 もう、助からない。

 もうじきに、『彼』に殺されるだろう。


 広がる血だまりの中心で、人生で初めて地面にたたき伏せられたというのに、思考だけは身体から解き放たれたように冷静だった。

 しかしこれは、初めての感覚ではない。もっと昔、似たような経験をした。

 離れた意識だけが自分を見下ろしているような感覚で、もう痛みも死への怖さも、何も感じない。震えたくなるような寒々しさだけが、感じることの出来る全てだった。


「ユ……く……」


 しかし、今度こそは、頭を切るだけでは済まなかったようだ。

 もう誰も、助けてはくれない。


 ────いや……誰も助けてくれなかったのは、あの時も同じか。


 落ちていく自分に手を差し伸べてくれる人は、最初から誰もいなかったのだ。


「ゆう……げほっ、ゴボッ……」

「……大した執念だよ、お前も」


 血が詰まって篭った耳に、声が辛うじて聞こえた。

 昔から、目と耳は良かったのだ。


「……言いたいことは、山程ある」


 聞こえてないと思っているのか、その声は独り言のように抑揚がなかった。


「────お前、ムゲンループの住人じゃなかったんだな」


 ────『ムゲンループ』……『無限ループ』……?


「お前のその能力のせいで、答えを出しあぐねていた。お前が余りにも強すぎたから、俺と同じくループを繰り返しているのかと、ずっと思ってた」


 ────ああ、ああ……。

 ────なるほど……



『もし、世界が一年ごとに繰り返されてるって言ったら、アンタは信じるか?』



 いつか、喫茶店で『彼』と話したことを思い出した。


 あれは、嘘でも冗談でもなかったということか。

 あまりに荒唐無稽で、信じるも何もなくただのお遊びだと思っていたが……それなら、最後まで残った様々な違和感も疑問点も、これでほぼ解決する。


 もしかしたら、『彼』と自分は、もっと昔に会っていたのかもしれない。

 もしかしたら暁は、自分の手によって本当に死んでいたのかもしれない。


「……お前が予言した、たった一発だ。この時のための、たった一発……」


 もしかしたら『彼』は────この時のために、全てを賭けてきたのかもしれない。


 所詮はただの推測だ。

 もう間もなく死ぬ自分には、今更意味の無い邪推、ほとんど根拠のない妄想である。


 だが死を目前にして、考え続ける脳は動きを鈍らせるどころか、さらに思考を巡らせていた。


 もし、自分の思った通りのことがあったのだとすれば……悪いことをしてしまったのだろうと、そう思う。


 知らないところで、暁を、繰り返し殺してしまったのかもしれない。

 夕平や拓二を、延々と追い詰めて、苦しめてしまったのかもしれない。

 そう……『かもしれない』、だ。


 しかしもしそうなら、殺されるのは当然の自業自得だ。

 というより本当は自分は、あの五歳の誕生日死んでいるはずだった。それが、今になっただけだ。


「……たい……」


 ずっと……死にたかった。

 一人で死ねず、誰かに殺されたかった。


 ずっと……考えていた。

 どうして自分が、この世に生まれてきたのかを。


 空っぽな自分が生きる意味を問いながら、何か大事なものを忘れてしまった気がするまま。

 考えて、その答えが出ないままここで死ぬのなら、それでもいい。


 だが────それでも一つ、意味を作ることは出来る。


「……ぃた、い……いたいよぉ……ううぅ……」


 敢えて無様に、惨めに、哀れを訴えるようにして泣いた。

 子供のように、しかし幼少期にも滅多に泣くことをしなかった自分が、感情をあらわにしてすすり泣いた。


 躊躇なく、後腐れなく、自分を殺してくれと乞うために。

 自分のために、そして自分と同じ空っぽな『彼』に。自分を殺すことによる罪悪感を、遺さないように。


「────俺は、絶対にお前のようにはならない」


 霞み、薄まった視界に、引き金に掛けられた指を捉え────



 ────期待、してるよ。



 これからの『彼』の境遇を案じながら────そして最後に、小さく笑った。


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