千夜川編・番外

 番外第六話:イイススの祈りは誰が為に。

 例えば、道路を人と連なって歩いている時。


 例えば、教室で同年代と一緒に授業を受けている時。


 そんな、他人が自分のそばにいると感じる時、薄々と脳裏に浮かぶことがあるのです。

 それは、私の両親とされる凡才の男女と比較しても、格段に。


 誰かと一緒に何をやるにしても、私だけいつも一人隔たっているような感覚。どうしても、人とは別の離れたところにいるような気がしてしまうのです。


 私は、思考能力において、人並みより優れていることが早くから分かっていました。

 周囲の彼らと私との差は、才能的見地から俯瞰しても、埋められない一線を画しているとも。

 

 ────瞬間記憶能力。

 それが私には、幼少の頃から備わっていました。

 狂いもせず、風化もせず。見たものや経験したことを覚えていられる能力。

 すれ違う誰かの会話でも、ちらりと視界に入っただけの物体でも、それは例外なく。


 例えば、無造作にカレンダーを遡り、とある一日を指差されても、私は、その日食べたもの、過ごし方、何があったかを完璧に思い出すことが出来ました。 


 この能力で気味悪がられたことは数知れず、人から外れた私を見る好奇と不審の目は、忘れることは出来ません。


 周囲との距離は、何時までも詰まることはなく。

 人より優秀な能力を有しているのに、一人取り残されているような感覚は、胸の奥にしこりとなって漂っていました。


 ――――私は、本当に恵まれているのでしょうか?

 

 果たして、対するその答えは、今でもまだ分からないままです。



◆◆◆



 あの『四月一日』。あの日から、全ては始まりました。

 朝目が覚め、起床すると、私はすぐに異変に気付きました。


 部屋の様子が、少しずつおかしい。

 置かれた教科書の位置であったり、鞄の使いこまれ具合、そして昨日まで確かに無かった部屋全体の形跡。


 一目見れば教室の机の持ち主が全て判別出来る私には、その異様さにすぐに目を引かれました。

 というのも、この自室の様子には、見覚えがあったからです。


 ――――

 何もかもが、一年前の『四月一日』へと。


 目を覚ました瞬間、そのことに気付きました。

 風に吹かれたカーテンの揺れ方から道行く通行人の一人一人の人相まで、一日毎の微細な変化を忘れることのない私には、この程度、容易いことだったのです。


 普通あり得ないこの出来事に、混乱していなかったと言えば、嘘になります。


 しかし、唐突に降りかかった事態を、私はどこか楽観していたのだと思います。

 変わり映えのない日常から、突如降りかかった非日常に、胸が高鳴りました。


 ――――それは、自分の身に何が起こっているのか、その大きさを私は真に理解していなかったのです。



◆◆◆



「――――では、次に今期の中学生徒会長、柳月祈さんの就任の挨拶です」


 紹介の言葉とぱちぱちとまばらな拍手に迎えられ、私は眩いライトに照らされた壇上に昇ります。


 四月半ば、こうして公衆の面前に立たされることも、全て『一年前』通り。


 私は、この世界の歪み――――ムゲンループを認知していない他者と、何一つ変わらない生活を送っていました。

『この現象を私以外の人間は認知していない』というルール――――そして、この事象に巻き込まれた、私のような『選ばれた人間』が他にもいると、確信に似た推測をこの時には立てていたからです。


 の私』を模倣しました》》。

 私の能力にしたらこの程度、朝飯前なのでした。


「……担任教諭の督促により、仕方なく務めさせていただきます。柳月祈です」


 ――――だからこれも、『一周目』通り。


 ざわざわと、講堂内がどよめきました。

 生徒会長という単なる学業優秀者に押し付けられる肩書きだけの任を拝命した苛立ちから、つい口走った一言さえも、すべて記憶していました。


 何故こんなことをと問われれば、前述した私の推測に戻ります。

 そう、『私以外のムゲンループの住人』がいるという推測。この証明と探索に必要なことでした。

 

 ループこそがこの世の理というのなら、ループしていない人間を探せばいい。


 言葉にすればこうも単純なことはない方法で、私のような異端を見つけようと考えました――――しかし、だからこそ、沿


 瞬間記憶能力ありきのスマートでない方法でしたが、その他に手段はないと思いました。


『おい柳月、お前何てことを――――!』


 ……もっとも、過去をやり直せるというのなら、もっと当たり障りのない挨拶にしたかったのは山々でしたが。



◆◆◆



 過去の私をなぞりながら、他のムゲンループの住人とのコンタクトを取ろうとしてから、気付けば一年が過ぎようとしていました。

 まるで機械のように決められた時間に正確に活動し、そして夜は一人自室に籠って、痕跡を探り続ける。


 この時私はようやく立ち会っている物の大きさに焦り、頭を抱えていました。


 ――――バタフライエフェクト。この現象こそが、何よりの原因でした。

 元を辿ればとても些細な出来事でも、気候を変えるほどの変化になる――――この理論の壁にぶち当たり、疲弊していました。


 確かに、他のムゲンループの住人の存在は、かなり早くから確認がとれました。

 しかし、あまりにも――――私の想像よりも遥かに、事態は大きかったのです。

 瞬間記憶能力などというものは、世界規模の現象の前にはあまりにもちっぽけなのでした。


 まるで広大な海から一本の手縫い針を探すような緻密な作業に加え、一日の大半を自分自身の繰り返しに費やしました。


 その果てのなさを考えると、目眩がしました。


 記憶のなかの鏡を覗き込み続けるような一日に、頭がおかしくなりそうでした。



 この狂った世界が――――悪夢が覚めてほしいと祈るにつれ、正気を忘れ気が狂いそうになりました。



「…………」


 たかが一年。

 しかし現状への絶望を感じるには、私には遠く長い時間だったのです。


 ――――三月三十一日、午後十一時五十九分三十八秒。

 あの『四月一日』の、前日。


 もし、私の予想が正しければ――――


「…………」


 そして――――四月一日。


 針は回り、無慈悲にも、その瞬間は訪れました。


 普通の暦通りなら、本来の私が知る世界であれば、今は二〇一三年の四月一日になるはず。

 ……ムゲンループというの現象をここまで理解しておいてこんなことを言うのも、ちゃんちゃら可笑しな話でしたが、それだけ当時の切羽詰まっていたとお考えください。


 しかし、気付けば。

 部屋の様子は一変――――いえ、


「ああ……」


 分かっていたこととはいえ、その事を私は認め――――


 ――――人知れず涙が、静かに頬を伝いました。



◆◆◆



 そして、時間は流れるように過ぎていきます。


 三年目、失敗。

 四年目、失敗。

 五年目、失敗。


 失敗。失敗。失敗。嗚呼、失敗。


 慢性的に、しかし挙動に気を配り続ける毎日。

 見えない未来に対する閉塞感と憔悴。

 私の意識だけを置いてきぼりにして、世界が回り続けているという孤独。

 それがいつまでも、いつまでも。頭の隅に付いて回りました。


 元々小柄の私でしたが、日に日に痩せては『四月一日』には元に戻るを繰り返します。しかし吐き気がずっと止まらず、食べ物は喉を通らない、お腹は鉛でも入っているかのようでした。


 それでも、私は行動を続けました。

 

 十年に近い調査の続行は、果たして惰性だったのか意地だったのか。

 今思えば、それは思考の停止だったのでしょう。

 ムゲンループの調査を進めているようで、その実何も進歩がない。私は壊れた人形のように、思考を閉ざし、内心諦めながら動いていました。

 新たな行動に移さず、何も考えず。


 そして……結果は、ご想像の通りです。


 終わらない失敗を繰り返し、病に伏せることも出来ず、自分では咳一つ付くことも出来ない、無力を晒したまま。


 まるで籠の中の鳥。

 まるで檻の中の囚人。


 私の『祈り』は、何時になれば届くのか。

 何処の誰に届くのか。


 ……分かりません。

 何も、何一つ、分かりません――――


 ……こんなに。

 こんなに苦しいのなら、嗚呼、いっそ……



「――――ねえ、柳月ちゃん?」



 ふと、声を掛けられました。


 肩を叩かれ、身体が跳ねました。

 心臓を鷲掴みにされたかのようでした。


 ばっと振り返ると、そこには一人の女性がいました。


 放課後の、生徒会室。

 その人は、黒髪が映えるその美貌と、満ち満ちた才気で、学校でもとてもよく知られた人でした。


「あ……」

「大丈夫? 会議の間見てたけど……顔色、良くなかったよ?」


 

 


「あ、あ……」


 その意味が、分かりますでしょうか?

 ……そうです、本来、あってはならないことなのです。


 私の記憶にない、繰り返しから外れた出来事。

 


「……す、いません。すぐ、か、帰りますので……!」

「あっ、ちょっ、ちょっと……?」


 私は、手早く荷物をまとめ、逃げるようにその場を後にしました。



 走って、走って、走って――――


 一体、どれだけの時間走っていたのかは分かりませんが、とにかく走れるだけ走りました。


 滅茶苦茶になってしまえ。

 こんな世界、壊れてしまえ。


 こんなに苦しいのなら、いっそ――――死んでしまいたい。


 走っている間、ぐるぐると頭に回るのは、『もうどうなってもいい』という自暴の気持ちと、しかし遠いどこかで鳴らされる『走ったらいけない』という警鐘。

 そんな、バタフライエフェクトを今更恐れている自分の思考に、嫌気が差していて。


 ……怖くて。

 それは、この瞬間初めて思ったことじゃなく、今までずっと……ずっと、怖かったのです。

 あるべきのものが変質し、あったものが通じないということが。

 全てが敵になったかのような感覚……ムゲンループが現れる前よりも、それはより明確に見えるような気がして。 


 ――――私が独りなのだと、はっきり告げられているような気がして、押し潰されそうでした。


「はあっ……はあっ……はあっ……!」


 運動不足の身体は、すぐに音を上げました。


 肺が痛み、足が震えます。

 気付けば学校に近い、時刻からして人気のない公園に訪れていました。


 空を見て、そして次に自分のちっぽけな身体を見て、自身を抱き寄せて屈み込みました。


「あ、ああ、あうう……!!」


 いえ、大丈夫……大丈夫です。

 ……話を、続けますね。


 私は、もう我慢できなくなったのだと思います。

 壊れかけて継ぎ接ぎの心を無理矢理固め、奮わせ、大きな脅威に立ち向かおうと必死に虚栄を張って。


 けれど、それももう限界でした。

 苦しい、苦しい。

 誰も私を見てくれない。

 気付いてくれない。


 ――――そう。もう、嫌になったのです。


 異常に気付かず、呑気に流されるままの人々に?

 私を認めず、助けてもくれず過ごしている周囲に?


 ……いえ、違います。

 私は――――私のやることに、嫌気が差したのです。

 無力で、無様で、所詮はループをなぞることしか出来ない、ちっぽけな自分に。


「ああああああ……!」


 叫べば叫ぶほど、絶望が押し寄せ、目の前が暗くなっていく気がしました。

 ――――独りになっていくような気がしました。


 私の自由は何処?

 何処の誰を今の私のことを恨めばいいの?


 何一つ――――そう、何一つ分かりません。


「――――……おい、何やってんだ?」


 こうしてうずくまる私は、果たしてどのように映ったのでしょうか。


 また、声をかけられました。男の人の声です。

 これも、私の記憶にはないもので、少し驚いたことを覚えています。

 もっとも、私の『繰り返し』が崩れてしまった今、ループの記憶の意味など、もうないのですが。

 

「放っておいて、ください……私のことは……もう」

「…………」


 私は、その人を見ることも叶いませんでした。

 身体が重く、見えない糸で縛られたかのように、


 まるで子供の駄々のように、私がそう言うと、その男の人は黙ったまま側に佇んでいるようでした。


「……何か、挫けそうなのか?」


 彼は、静かに話し出します。

 突然でした。端的で――――そして的確に、私を形容します。


「…………」


 喉がいっぺんに塞がってしまったかのように言葉に詰まった私に、その人は続けます。


「……お前みたいな奴を知ってるから、俺には分かる。お前のそれは、挫折で地に伏す奴の姿だ。泥に足を取られて、目がそっちに向いている。――――だが頭ん中は、祈るように誰かに救いを求めてる目だ」

「祈り……」


 ……不思議な、人でした。

 彼は、まるで私を今までずっと見ていたかのような物言いで……しかし確かに、私のことを言い当てていました。

『祈り』という単語に至っては、もはや狙ったものではないのかと勘ぐりたくなるほどで、彼の言葉は。


「ああ。本当に、そっくりだ……本当にな」


 そして、その声に籠められた語気は、静かながらもとても力強いものでした。


「もしかして、それは……本当は貴方の実体験なのでは?」

「……お前のような勘のいいガキは嫌いだよ」


 ですので、何となく察しがつくところでもありましたが。

 肩越しに様子をうかがえば、触れられたくないのかどうなのか、どこか少し拗ねたかのようにそっぽを向いているようでした。


「……一つ言っておく。失敗は、糧だ。肥やしだ。踏み台だ。そいつらを足蹴にしてようやっと、祈りは通じるもんだ。意味なくすがって待つだけじゃ、叶うもんも叶わない」

「で、ですがっ……もしそれを、どうやっても誰も見てくれなかったとしたら? いくらやっても、それこそ何年と努力しても、祈りが届く先が何処にも無くて、誰も――――」

「はあ? 祈りが届く先? 何言ってんだよ」


 私の言葉は、途中であっさり遮られてしまいました。

 そしてあっさり――――こう言葉が返ってきました。



。ってかそんなの、赤の他人に任せるな。他の誰でもない、お前が大事に抱えてろよ」



 ――――今度こそ、息を呑みました。

 その一瞬ハッと呼吸が止まり、脳髄に紫電が走ったかのようでした。


 私は、自分が優秀であることを理解していました。

 多くの試験であったり、他人からの声であったり、その根拠には事欠くことはありませんでした。


 しかし、だからこそ――――私はどこか傲っていたのです。

〝自分の優秀な知性が、努力で必ず報われるに決まっていると〟。

 挫折を、失敗を、私にとっては決められた成功の前にある前置き程度に過ぎないとしか考えていませんでした。


 だから、初めて乗り越えられない挫折を前にして、私は足踏みをするしかありませんでした。

 どうしても届かない深みに、すくんでしまっていました。祈れば届くと、楽観的で


「……もう、大丈夫か?」

「え、あ……」


 肩を叩かれ、我に返ります。

 いつの間にか、震えが止まっていること。金縛りに遭っていた身体が、動くことに。視界が開け、身体がそれまでの重荷も忘れてふっと軽くなった気がしました。


「後悔しないように、なんて言わん。後悔はやり直して変えろ。そしてどうしてもって時は、それまでの自分のやり方を疑え。――――俺は、今までそうやって来た」


 彼はそう言い置くと、私には目もくれずその場を後にしようとします。

 恐らくは、私の方など一度となく一瞥してはいないでしょう。


「あ、あのっ……! 待ってください!」


 彼は私と同じかやや年上の風貌の少年でした。制服を着ているため、高校生といったところでしょうか。


 私は、気付きました。

 

 彼もまた、とても大きな壁を前にもがいている最中なのだと。


 しかし私とは違って――――自身の祈りを胸に秘め、たった一人で立ち向かい続けている。


 ――――それのなんと気高く、猛々しいことか。

 その後ろ姿は、頭がいい程度の私なんかよりもずっと毅然と揺るぎなく、そして大きい。


 私は、会って間もない彼に――――これ以上ない憧憬の羨望の念を抱きました。

 生まれて初めて、私よりも賢くないはずの、私よりも劣るはずの他人に対しこんな感情を抱きました。

 他人に対し尊敬し、感動するということは、私にとって初めてのことだったのです。


「ど、どうしたら! 貴方のように強くいられるのでしょうか!? どうして……どうして貴方は、そんなに強くいられるのですか……!?」

「…………」


 去ろうとする彼を止めるように、声を飛ばしました。


 彼は、私の言葉に足をとめながらも、振り返ろうとしません。

 日が落ちかけた暗がりがうっすらと場を支配し、墨を広げたような空が包みます。


「……俺は……約束したんだ」


 ざあっ……と、冷え冷えとした夜風が吹いて、そして静かにその口が開かれました。

 


「絶対に、決して忘れられない記憶があるんだよ。――――〝例え、世界が何度変わってもな〟」



「――――えっ……!?」


 聞き間違いはありませんでした。

 日没の寒風に乗って、その言葉は確かに私の耳朶を打ちました。


「あ、待っ……!」


 慌てて立ち上がった時には、既にその姿はなく。


 先程までいたところにはだれも目に映るのは、彼のその背格好。

 鼓膜に残ったのは、私を励ますでも突き放すでもない――――今まで待ち望んでいた『先住者』の声。その存在。

 そのどちらも、彼の存在は確かにこの瞬間記憶能力に焼き付き――――いえ、仮にそんなものが無かったとしても――――この先一生忘れることはありません。


 ――――こうして、私はここにいるのです。



◆◆◆



「……はあー、なるほどね」


 人気のあるファミレスで、男は息を吐いた。

 賑やかな店の雰囲気に対して、難しい話に呻くように眉根をしかめ、とんとんとテーブルを指の腹で叩いている。


「いや、言っとくけどよ、ループとかそういう話をまだ信じた訳じゃないぜ? ああでも、さっきまで万馬券当てまくってたしなあ、しかも単勝で……」

「私に話せることは全部話しました……細波探偵、貴方のことは信頼しています。このような荒唐無稽なお話にここまでお付き合いいただけただけでも、感謝していますから」

「まあ、SFものは好きだからな」


 少女は、それまで長々と話していたためか、注文のミルクティーを啜って喉を潤している。


「でも柳月さんよ、君はその『彼』を俺に探し出して調べて欲しいんだろ? ええと、君と同じ可能性のあるそいつを」

「ええ。あの人が着ていた制服には見覚えがあります。手がかりには十分かと」


 彼女は平然とこう続ける。


「……もちろん、あれで足りないようであれば、お金などはいくらでも――――」

「い、いやそれはもういいってっ。また悪目立ちしたくないし……」


 慌てて探偵と呼ばれた男が手をわたわたと横に振る。


「それに、もし話が本当なら、俺も無意識にループに巻き込まれてるってわけだ。そんなの聞いて、協力しないわけにはいかないぜ、本当ならな」

「……ありがとう、ございます」


 ――――自分のことを優秀だと確信していた少女がいた。

 事実、彼女は才気に長け、優れた知能から人を寄せ付けなかった。自分より劣る他人を認めず、一人で物事を推し量ろうとしていた。


 かつては、それで上手くいっていたから。

 明確な劣等を有する他人など、必要なかったから。


「でもさ。一つ条件を足していいか?」

「条件……ですか」

「ああ、身構えなくていいぜ。ちょっとしたお願いだから」


 しかし、彼女は行き詰ってしまった。

 初めて、一人であることに疑問を持ち、一人であることを恐れ、一人であることの限界を知った。

 たった一人の、『自分』の脆さに気付いた。


「俺のことは、細波って呼んでくれ。さっきから探偵なんて言われちゃむず痒い。君のことも、いのりちゃんって呼んでいいだろ?」

「……それで、契約成立ですか?」

「ああ。俺達は、世界を救うヒーローだからな」


 ――――後悔しないように、なんて言わん。後悔はやり直して変えろ。

 

 それを教えてくれたのが――――あの少年の言葉だった。

『自分の前例』が、その強さを見せてくれた。自分よりも更に長期間一人を生きたであろう、孤独の強さ。


 それを見て少女は、正直に敵わないと考えた。


 ――――そしてどうしてもって時は、それまでの自分のやり方を疑え。

 ――――俺は、今までそうやって来た。


 だから。聡明な少女はその代わりに、他人の価値を、自分以外の人間の意味を、もう一度見直そうと思った〟。

 自分のやり方を、変えることに決めた。人を信じることを決めた。

 おそらく、それが今の自分が唯一、彼に並ぶことの出来る手段で――――そして己の弱さを補えるものだろうと考えたから。


「……分かりました。どうか、よろしくお願いしますね――――細波さん」


 少女は、あの言葉を胸に暖めて、再び歩き出す。

 

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