第五十七話:清上祭・その二
清上学園の体育館は熱気に包まれていた。
バスケットコート二つ分以上の広さに大勢の人間が詰めている。窓には備え付けの黒の分厚いカーテンが覆われ外の光を遮っていて、非常に薄暗い。せいぜい隣の人間の顔の面影が見える程度だ。
外に通じる扉も閉じきっていて、観客達は蒸し暑い思いをしながら突っ立っていた。
そんな彼らの視線の向く先は、舞台のようにせりあがった檀上。
その壇上には、今日のために練習を重ねた学生バンドが、持ち前の演奏を披露していた。
唯一照明が灯るステージで、汗をほとばしらせながら、ギターを弾き、ドラムを叩き、昔流行った曲やら誰もが知っている名曲を響かせていた。
もちろん、しょせんは素人まがいの演奏で、リズムをとちったり、ボーカルの声は後ろの楽器で潰れてしまっている。
しかし――――。
「ね、夕平。バンドの人達楽しそうだね」
それを眺めていた暁が、隣の少年――――夕平に話しかけた。
ちらりと見上げても、この薄闇ではその顔色までは窺えない。
本来は、拓二を含めた三人でここにいるはずだった。
だが、拓二はいつの間にか仲良くなっていた尾崎の妹、琴羽と一緒に行くのだという。そして琴羽は極度の対人恐怖症であるために、まずは清上祭を見て回ることで人に慣れてから、夕平達と引き合せるのだという。
いつ知り合ったのか、どういう経緯があったのか、暁は知らない。相変わらずそういうところは謎めいている。
そんなわけで、拓二達と合流するまで暁は夕平とともに二人で清上祭を見て回ることになったのだが。
「清上ってもっとおかたいイメージがあったけど、こうしてるの見てると私達とあんまり変わらないよね」
「ん、ああ……そーだな。確かに」
「『がり勉ばっかの』清上祭、行ってみると案外楽しいでしょ?」
「おう……」
「…………」
「…………」
暁は今――――途方に暮れつつあった。
言っておくと、夕平が嫌いになったとかそういうわけではない。今更大喧嘩でもしたというわけでもない。
もう数えれば十年来の付き合いだ、そのくらいとっくに通り越している。
そうではなくて、暁は混乱しているのだ。
ありていに言えば、接し方が分からない。夕平のことが分からない。
それこそ、長い付き合いにふさわしくない困惑なのかもしれないが。
「……夕平、踊ったりしないの?」
「ん? ああ……今はいいや」
というのも、いつもの夕平らしくないのだ。
今だって、いつもならきっと曲に合わせて陽気に踊ったり手拍子はしていたはず。ギプスはもう外れているし、それくらいは出来るはずだ。
それで、自分だけ盛り上がりすぎて知らない人達に笑われて、結局なんだかんだで周りも巻き込んでいってお盛り上がりするのだ。少なくとも、中学での文化祭ではそうだった。
しかし、今は黙って突っ立っているだけである。ぼうっとしているというか、じっとバンドの方を眺めているだけだ。
それだけじゃない、こんなお祭りの日だというのに、あの夕平があまりしゃべらないのだ。
どこに行くと話しかけても、返事は決まって『お前に任せる』としか返さない。
夕平の元気がない。母親にさえ『あたしの腹の中でカラオケでもしてたのかと思ってた』と言われるくらいのあの夕平が。これは一大事である。
実際、病気かなにかを疑い、何度もしつこいくらい尋ねてみた。
だが、夕平の答えは『大丈夫だって。なんともないぜ』だけである。その返し方自体、何かあると言っているようなものなのに。
もっとも、病気だとかそういうわけでもないように暁には見える。目下に悩みでもあるかのようだった。
一体どうしたらいいのか、ずっと考えている。このままでは、気まずいまま終わってしまうだけだ。
……この場に拓二がいれば、また何か違ったのだろうか。
そう、拓二なら――――
「……夕平っ」
暁は、いてもたってもいられずといった風に、何を思ったのか夕平の手と手を繋ぎ、掲げるくらいに持ち上げた。
「ほ、ほら夕平! わんつー、わんつーっ!」
「あ、暁? 何すんだよ……?」
そして、リズム感もへったくれもない珍妙な拍子で、ギクシャクと握った手を動かした。
窮屈なところゆえ、当然周りの人間に、振り回した手がぶつかる。迷惑だと訴える舌打ちが飛んでいるが今は気にしない。あとでちゃんと謝ろう。
きっと自分達を見る人達はみんな、眉を潜めていることだろう。この時ばかりは、暗くてよく見えなくて良かったと心の底から思った。
「――――……なに悩んでるのか知らないけど、一緒にいる女の子をちょっとは立ててよ。ほら、レディファーストレディファースト!」
「暁……」
しばらく、ぽかんとした様子で暁を見ていた。
呆気にとられている、と言わんばかりの間抜け面だった。
「……ああ。だな!」
しかしそれも一瞬のこと。
すぐにその意を呑み込んだようで、ニンマリと顔一杯に笑みを浮かべた。
暁がいつも見る、夕平の笑顔だった。
「よっしゃあ、病み上がりでも知ったこっちゃねえ! ほらほら、みなさん手拍子手拍子! あ、そこのお姉さん暑いんすか? 暑くないなら踊りましょー! 暑いんならその服脱いじゃってもいいっすよーっ!」
「こら夕平!! セクハラ禁止!」
最初はみな困惑したり、うざがっていたりしたが、やがて場は全体を巻き込んで激しく盛り上がり、あたかも大きめのダンスクラブの様相をなしてきた頃、清上祭委員のストップが入ったのだった。
◆◆◆
「五十五、五十六、五十七、五十八、五十九……六十っ!」
一分を口で数え、人波に揉まれながら琴羽の手を引っ張ってその外に抜け出た。
「――――はあっ……はっ、はっ……!」
人のいない外れの広場に連れていくと、まるで今まで海の中にいたかのように、止めていた息を盛大に吐き出し呼吸する。
「よし、新記録だな。一分耐えてるぞ」
時刻は今、十三時を回ったところだ。
晴れのお祭りに、一体何をしているのかと問われれば、多分答えに窮すると思う。
屋台や出し物を楽しむでもなく、やることといえば琴羽の対人恐怖症のリハビリに付き合ってやっていることだけ。
ほんの数十秒人波に晒し、十分程休憩時間を取ってまた人混みに突っ込む。これをかれこれ一時間続けていた。
琴羽は本当に拒否反応が相当辛いのか、何度も涙を目の端に浮かべ、唇を震えさせている。
「……平気か? 水飲むか?」
「……いい」
いくら無理なことをさせてる自覚があっても、無茶なことをさせるつもりは俺にはない。そんなことしても逆効果だ。
いずれ琴羽の方から口を開くまで気を取り戻すのを待ってから、また同じことを繰り返すのだ。
俺には琴羽の対人恐怖症の根本を治す画期的な手段を知らない。というか、そんな方法があれば世のカウンセラーはああも苦労はしていない。
そうではなく俺に出来るのは、せめて琴羽人への生理的嫌悪感に早く慣れてもらうようにするだけだ。
琴羽もムゲンループの住人ではない以上、どうせ次のループで何もかも忘れてしまう。
ならば俺が、効率的な人への慣れ方を繰り返し精練し、さっさとその目をふんだんに使ってもらうように調教してやればいい。
桜季を消した後、残った俺が永遠に賢く生きるために。
「少し休め。さっきより長く時間を取ってもいい。落ち着くまで待ってやる」
「…………」
「腹は減ってるか? 買って欲しいもんがあるなら――――」
「……ね、先輩?」
薄く、掠れた声が耳に届いた。
「うん?」
「どうして先輩って……ここまで私のために色々してくれるの?」
「どうしてって……」
まあこの少女には、そんな算段はおくびにも出さないがな。
「……俺とお前が、よく似てるからかな」
少し考えてから、俺はそう答えた。
琴羽が少し驚いたように見返す。
「似てる……? あたしが、先輩と?」
そして、琴羽が俺の方へ居直った。
どうやら、話を聞きたいらしい。当時のことを思い出すのは、あまり好きじゃないのだが。
「ああ。俺も孤独で……でも、一度救われたんだ」
しかし、エレンにいつか話したように、俺は元来おしゃべりらしい。
「一人は、絶望して這いずっていたところを、笑って引き上げてくれた。一人は、戸惑っていたところを手を差し伸べてくれた……」
そして、本当ならもう一人。
一番最初に、道端の石ころのように無価値で無個性だった俺を見つけてくれた。
……そのはずだったのに。
「今思うと、そいつらに憧れてたのかもしれないな。俺は」
「先輩……大丈夫?」
「ああ。……別に、なんでもない。話が過ぎたな」
こんなところで、俺は一体何をやってるんだか。
誰かに何かを話しすぎるのは、俺の悪い癖だ。感傷に浸る余裕があるわけでもあるまいに、馬鹿みたいだ。
「でも、俺にはそいつらとおんなじことは出来ない。そのやり方は知らないんだ」
「…………」
「だからまあ、お前からしたらここにいるのがそいつらじゃなくて俺で残念だっただろうが――――」
「そっ、そんなことない! そんなことないよ!」
その時、存外大きな声が飛んで返ってきた。
一瞬、誰だとさえ思った。目の前の少女でしかありえないのに。
「その人達がどんなに凄くたって、あたしを見てくれたのは、あたしと今ここにいるのは、先輩だもん!」
通りで彼女の声が聞こえた数人が、ちらちらとこちらを見る。
しかし興奮して見えてないのか、強い勢いで捲し立てていく。
「だからっ、その……せっ、先輩じゃなきゃやです! 絶対!」
「…………」
まるで子供のわがままのように、彼女は最後そうまとめた。
考えなく言いたいことだけを言って、論理性も何も感じない乱暴な言葉の繋ぎ合わせ。こういう感情任せの物言いは、俺はあまり好きではなかった。
「……そんな堂々と偉そうな口が叩けるんなら、人が怖いのも何とかして欲しいもんだな」
「うっ、それは……が、頑張りますから!」
あしらうようにそう言ってやると、少しだけ尻込みしたようだったが、持ち直して威勢よく返事をした。
「まあ、やる気があるのは分かったし……もうちょっと付き合ってやるとするかね」
「っ……! はい先生っ!!」
「……なんだその先生って?」
「教師と生徒ごっこです。小学生の時とか、友達とやりませんでした?」
「…………」
「たとえば意味もなく師匠、とか言ったりとか――――あっ……ごめんなさい」
「おい今何を察したこら」
相変わらず、俺のように普通の人間相手だとやかましいくらいだというのに、難儀な奴だ。
しかし、そろそろいい頃合いだろう。
今の時刻は夕平達と合流する時間が迫っている。
ここで対人訓練は切り上げて、二人と会わなければ。
まだ心もとないが……まあ何とかなるだろう。あの二人なら。
「元気そうだしもういいな? とっとと行くぞ」
「うえっ? も、もうあと五分だけ……」
「それはさっき休憩した時聞いた。しかもさらに八分延長してな」
「ぶー、ケチ」
「うっさい。とにかく行くぞ、お前に会わせたい奴らが――――」
パシャリ。
その時、何やら小気味のいいシャッター音が聞こえた。一瞬の光が目にちらつく。
「あん……?」
「こんにちは、拓二さん」
次いで、感情の起伏の薄い抑揚のない声が飛ぶ。
琴羽はささっと俺の後ろに隠れて、盾にでもするように身を隠した。
まったく、やれやれだ。
――――相手は、年下の中学生だというのに。
「……いのり」
少女は清上学園の制服に緑の腕章、そして何故か構えていたスマホを下ろす。
柳月祈。まさかここで会うことになるとは思わなかった。本当なら夕平達と合流してから会うつもりだったのに。
まさか俺達がここにいることを予期して――――って、そんなわけはないだろうな。本当に偶然出くわしたと見るべきだ。
それが幸か不幸か、その判別はまだつかない。
「桧作先輩と立花先輩もご一緒ですか?」
「いや……まだだよ」
しかしこうしていのりと会うのも、久しぶりな気がするな。
最後に会ったのは桜季同様、チェスの勝負をした時以来か……。
いや、違うか。
こいつとこうして目を見て会話したのは、何時振りだろう。
イギリスから帰ってきた直後でさえ、もう少し何か、うまく言えない何かが俺といのりの間にはあった気がする。
「あれっ、この子写真の……」
俺のそばから、琴羽の声が上がった。
こいつも気付いたのだろう。その声に、俺以外の人間(きかい)が近くにいることへの恐怖はない。
いのりが、ちらりと琴羽に視線を向けてから、尋ねかけてくる。
「……もしかして、そちらの方が以前桧作先輩がおっしゃっていた?」
「え? ああ……小森琴羽だ」
「そうでしたか。……初めまして、ようこそお越しくださいました」
ぺこり、といのりが頭を下げた。
そして人形のように感情がうかがえない瞳が、こちらを向く。
「私、清上学園中学三年、柳月祈と申します。お話は伺ってます。小森先輩……でよろしかったでしょうか?」
「え、あ、ああうん。こ、これはご丁寧に……?」
またいつもの自己紹介か――――と思ったが。
そういえば、いつも言っている俺の彼女云々のくだりを言っていないことに気付いた。
俺といる時は決まって、初対面の人間にも遠慮も何もなく自称していたはずなのに。えらくまともだ。
「この度は、此方まで足を運びいただいてありがとうございます。つきましては、生徒会長としてこの清上祭を――――」
「? え? え、え?」
「あー……そこまでにしとけよ」
聞き慣れないいのりの口上に、琴羽が困惑している。
「……え、えーっと、なんだかよく分かんないけど、よろしくね。いのりちゃん」
「はい。こちらこそ」
だが――――さっきまでみたいに震えていた琴羽が、嘘のように明るくなっていた。
「いのりちゃんは、今一人なの?」
「ええ。そうですが」
「だったらさ、一緒に見て回らない? それなら……あたしも心強いというか、なんというか」
「……すみません。私もほんのわずかに時間をいただけただけで、これからすぐ仕事がありますので。せっかくのお言葉なのですが」
「そっかあ、残念……」
本当に残念そうに、琴羽は肩を落とした。
こいつは、俺との会話でもそうだが人と話をすることにおいて、自分の感情を素直に表してしまうタイプらしい。
だが、それが一種の会話での潤滑油になっているとでも言うのか、言うなればどことなく愛嬌があった。
しかしなるほど、やはり相手が人であれば――――すなわちムゲンループの住人であれば、恐れることなく普通に話せるようだ。これほど分かりやすい目方もない。
面白い。順序はズレたが、やはりリスクを負ってでも直接会わせてよかった。写真を見せるという選択肢もあったが、そんなすぐ出来ることよりも試せるうちにやれることはやった方がいい。
住人を見分けることの出来る目などまだあまり信用してなかったが、これでまた、確信を持って行動できる。
上手く使えば、こいつは『住人探知機』になるのだ。こいつの目には、やはり貴重な価値がある。……もちろん、今のままでは使い物にならないことに変わりはないが。
後は上手いこと、桜季にも会わせられれば良いのだが。
「……いのりは、ここで何やってたんだ?」
だからこそ、目の前のこの少女に気取られるわけにはいかない。
「写真を、撮っていたのです」
「写真? ……ああ、生徒会の仕事か」
てっきりアルバムとか、学校のホームページによくある文化祭の様子を撮った写真作成のためかと思っていたが、いのりはあっさり首を横に振る。
「それくらいでしたらマスコミの方が腐るほど撮ってくださいますよ。私よりもはるかに上手に」
「……なら、なんでだ?」
「最近出来たお友達に、こっちの文化祭の写真を差し上げようと思ったんです」
にこりともせず、口だけが動く。
こいつが無表情なのは、いつものこと。
だがそれが今まで以上に能面のように見えるのは、清上祭というこの場の雰囲気とのギャップがそうさせているからなのだろうか。
「お前、少し見ないうちに雰囲気変わったな。なんていうか……少し感じが冷たくなったか?」
「……そんなことはないですよ」
「……そう、か」
――――やはり、気のせいだろうか。
「拓二さん」
「何だ?」
「…………」
ぱっと口にに手を添えるいのり。
まるで、思わず口を衝いてでてしまったとでも言うように。
「……いえ、すみません。呼んでみただけ、です」
――――その声は、顔は、なにかを思い詰めているかのような……。
「お前、一体――――」
だが、その時は。
それ以上のことを、いのりに尋ねられなかった。
「……あーっ!」
突然、それまで黙っていた琴羽が、大きな声をあげた。
思わず振り返る。
琴羽は、ある一点――――屋台の通りの人ごみを指差していた。
そして、はっきりとこう告げた。
「今、いた!」
「いた? いたって……まさか?」
すぐに言葉の意味に気付いた。
琴羽が『いる』だの『いない』だの言うその意味に。
「機械じゃない人! あそこにいたよ! 人みたいなの、絶対いた!」
そうは言っても、俺にはただの人混みしか見えない。俺にそんな能力はないのだ。
と、その時、いのりにかまけて手を放していたのがいけなかった。
琴羽は俺達と同じ住人の存在を自分の希望と考えたのか、俺以外にもいのりがいたことに安堵していたのか、何か言って止める前に、その足を駆け出していた。
その人ごみに向かって。
「――――ちょ、ちょっと見てきますね!!」
「お、おい!!」
俺らしくもない、反応が遅れてしまった。
もちろん、あいつはまだ一人で行かせられるような状態ではない。俺がそばにいただけでも、今にも吐きそうな、グロッキーな顔をしていたというのに。
そして、迷ってしまえばあいつは一人だ。助けられる人間は、いなくなる。
「あんの馬鹿……! 行ってどうするってんだ、くそっ!」
少しだけ、いのりのことに逡巡してから――――舌打ちをかまして、琴羽を追いかけるように走り出した。
「…………」
自然とその場に残されたいのりが、後ろで何か言ったような気がした。
◆◆◆
清上祭の出し物は、大きく分けて三つある。
一つは、夕平達が先ほどまで見ていた、体育館の中の催し。これは、バンド演奏や合唱、劇といった多様なパフォーマンスが主である。
昼休みを挟んで午前と午後の出し物で分かれており、午後三時という早い時間の終幕となっている。
次に、学校の敷地に並ぶ屋台の出店。商店街振興を名目として、学生ではなく商店街の大人が清上学園という場を借りる形で設けられている。
メディアへの露出も少なくない清上の名前を借りてアピール出来る、絶好の機会というわけだ。基本的に食べ物の系統の出し物で、数やバリエーションこそ多くはないものの、祭りのような雰囲気が味わえる。実際、毎年人で込み合っている場所だ。
最後に、校舎内にあるそれぞれの教室の学生主導の出し物。お化け屋敷や模擬店、展示物といった、まさに文化祭のイメージそのままのチープながらも学生らしい、様々なクラスごとの内容が充実している。
午後四時半まで公開されており、出し物の営業時間としては、一番長く催されてる。
「いや~怒られた怒られた。楽しかったなー!」
「私はもうこりごりだけどね。ああもう、絶対迷惑だったよね……夕平がヒートアップしすぎるから!」
The・DQN夕平と実質その保護者である暁は、通り道に並ぶ出店の近くにいた。
いつの間にか買ってきていた焼きそばとわたがしを手に、昼時で呑まれそうになる程大勢の人と人の間を二人は何とかすり抜けていた。
「んだよー……なんだかんだお前も楽しそうだったじゃんか」
「それは……そうだけど。でも夕平はケガしてたのに……」
「ってかそもそも焚き付けたのはお前だろー? どうしたんだよ一体? 珍しいよな、お前がそういうのするのってさ」
「う……」
夕平がそう訊くと、暁は顔をそらして不満げに唇を尖らせた。
「……夕平が人のこと言えるわけ……?」
「え?」
「何でもない! ほら、わたがしくらえ!」
「もごすぁっ!!」
暁の持っていたわたがしが、夕平の口に思い切り突っ込まれる。
突然すぎて入りきらず、口周りがべとべとになった。
「な、なにすんだ!」
「ふん。知らない、バーカ」
「んだとう!」
わいわいとケンカする二人であるが、一見してただ仲が良いようにしか見えない。
気兼ねしない彼らは、自分達がそうであるとは自覚してはいないのだが。
それが落ち着いた頃、ふと、思いついたように暁がこう言った。
「……そうだ夕平」
「んー? どっか行きたいとこでもあったか?」
「今度の文化祭さ、バンドやらない?」
「え?」
今度の文化祭、というと、清上祭ではなく秋に行う自分達の学校の文化祭だろうか。
暁は続けて言葉を紡ぐ。
「夕平、ベース出来たでしょ。私はキーボードで……あとは何人か知り合いに頼んで。あ、相川くんは何か楽器できるかなあ。あとそれに、千夜川先輩といのりちゃんも招待して……」
「おいおい、ほんと急にどうしたんだよ? らしくねえ」
夕平の言葉に、暁が苦笑する。
「……やっぱり、らしくないかな?」
「おう。……ああもしかして。やっぱ、さっきの楽しかったんだな? お? そうなんだろ、やーいこのミーハー!」
「そ、そんなんじゃないったら! そうじゃなくて!」
ぱたぱたと手を動かす暁だったが、やがてその手を止め、わずかに息を吐いた。
「……ずっと、こうだったらいいよね」
「え?」
そして、声を落として、囁くように話した。
「ずっとみんなが楽しく遊べて……仲良く出来たらいいなあって、ここ最近よく思うの。なんとなく」
おかしいよね、と言ってぺろりと舌を出して笑った。
まるで、悪戯がバレた時の子供のように。
「だから、バンド。別にそれじゃなくてもいいんだけど、今日見てたらなんかやりたくなっちゃった」
そう言って笑う彼女は、どこか儚げに映った。
「お前は本当に……今日はどうかしたのか?」
「え?」
「……そんなの、あったり前だろっ!」
それが何だかむず痒くなって、耐えきれなくて、勢いよく声を発した。
「なんならほれ、指切りでもすっか? な、『アカちゃん』?」
「もー、茶化さないでよ。ずっと昔のことでしょ」
「はは、わりいわりい」
茶化したのは、今にもそのまま目の前の少女が空に溶けてしまいそうだったから。
昔よくやった指切りを持ち出したのは、今も隣にこの幼馴染みがいることを確かめたかったから。
馬鹿馬鹿しいと自分でも思う。だが、この時彼は半分本気でそう思えた。
「あ……」
――――お前は、絶対に俺のようになるな。
ああ、そうだ。そういえばあの時も。
あの時も確か、おんなじようなことを思って……。
「……なあ、暁? お前ももしかしてさ、何か隠してるんじゃ――――」
尋ねようとした。
だが、その時。
その声を遮るように、激しいクラクションが鳴り響いた。
けたたましい騒音を喚き散らす一台のライトバンが、この雑踏を無理やり分け行ってくる。驚きながら、その乱暴な車から逃げ惑う人の群れ。
広くはない上に、屋台が並び通行禁止のはずの学園内をかなり危うい運転で進んでいるようだ。
「きゃっ」
「うわっ!」
夕平と暁も、他の客同様それをよけた。
ざざざ、と人ごみはモーゼの十戒のように車にぶつからないよう道を開ける。
暁は人波に押し流され、夕平は思い切り押されて後ろにすっころんだ。
そのライトバンは、そこからやや離れた来客用駐車スペース(もっとも今は、運動場を駐車場代わりにすることで使用禁止にしているのだが)に停まった。
中から、数人の人間が出てくる。彼らは商業用らしい大きなカメラやマイクといった機材を持って、少しやり取りをした後に足早にどこかへ駆けていってしまった。その後ろ姿に、数人の罵倒の声が飛ぶ。
そんな彼らを見ていた大半の人間には、それがマスコミ関係者の車なのだろうと見当がついただろう。
「いってえ……ったく、あぶねえなあ」
夕平は起き上がった時、また足をやってないだろうかと少し気にしてから、なんともないことを確認した。
そして、気付く。
「……あれ、暁?」
いない。
ついさっきまで隣にいたはずの少女の姿がない。
「暁! 暁ー!」
返ってくるのは、ただただ周りの喧騒だけで、期待した彼女の返事ではなかった。
慌てて周りに視線を移すも、あの小さい身体は大勢の人間に埋もれてしまったのだろうか視認することは難しかった。
「もしかして、今のではぐれちまったのか……?」
確かに、車のせいで大きく二分されてしまったが……だがしょせんは学校の敷地内の幅のない通り道、すぐに見つかるはずだと彼は思っていた。
「そうだ、スマホ……!」
いつしかのミスと同じことはしまいと、すぐにスマホを取り出した。
すると、一つ着信があった。
一瞬、暁ではと色めきだって電話に出たが――――。
『――――もしもし、夕平か?』
耳に届いたのは、同じく清上祭にいるはずの拓二の声だった。
「おう、どうした相川……」
『お前、琴羽を見なかったか?』
急ぐように早口で、電話の向こうにいる拓二がそう尋ねてきた。
やや面食らいながら、正直に答える。
「見てないな……というか、俺、まず顔も知らないしよ」
『そうか……くそっ、まずいな』
苛立たしげな舌打ちが小さく跳ねた。
珍しく、かなり焦っている様子なのがうかがえる。一体何か起こったのか訊こうとするより前に、彼はこう夕平に告げた。
『今通り道で何があったのか分からんが、屋台近くのところで完全に流されて見失っちまった――――出来れば探してくれないか!?』
◆◆◆
どこのクラスも、学生の文化祭らしい控えめながらも華やかな飾りが施されている。
人の入りは多く、老人から年端もいかない子供まで幅広い。中には県外からわざわざ名門清上学園を見学に来ている人間もいるとかいないとか。いずれにせよ、活気があった。
この清上祭は、元来一般の人間に向けて公開されていなかった。あくまで清上の関係者(みうち)で行われる、ささやかな催しだった。内容も、ほんの数年前まではただの生徒による合同発表会と、学校が招いた有識者による講演会だけだったのだ。
多少のリスクを背負っても、一般向けに開放すべきと進言したのは、数年前、まだ中学二年生にしてほかのどの生徒よりも優秀であった少女。清上祭が今このような盛り上がりを見せているのも、彼女の力があってこそのものだ。
その少女――――いまや高校生徒会長として、その統括を任されるようにまでなった千夜川桜季は、その校舎内の廊下を歩いていた。
そしてその美貌には、比喩でなく十人中九人は振り返り、その大半が目を奪われていた。
特に生徒以外の人間が校内に立ち入れる今は、桜季を見る目はますます多い。
「クレープいかが~? 2-Bのクレープ、クレープいかがー! ――――あっ会長さん、お昼もう食べましたー? 私らんとこ寄ってきません?」
「うーん……うれしいけどごめんね、仕事なの。後でちゃんと寄るよー」
顔見知りの後輩に声をかけられるも、やんわりと固辞し、歩を進める。
すでに三度、同じように同級生からも後輩からも誘われていたのだが、これらをやむなく断っている。
彼女がここにいるのは、クラスの出し物を見るためではない。
実行委員の一人から、『ある報告』を聞いて、ここに来たのだ。
「……あれかな?」
桜季の目先に、大きな人だかりが出来ている。
彼女はそこに近づいて行った。
「すみません、生徒会の者です。ちょっと通してください……」
――――二階の廊下で、お客さんらしい女の子が一人で泣いている。
体育館での午前の分の司会進行を終わらせてきて、ようやくわずかに手が空いた桜季のもとに、そんな報せが舞い降りてきた。
小さな女の子が、親とはぐれて迷子になってしまったのだろうと彼女は考えていた。
清上祭に迷子センターなるものはあいにく存在しないが、生徒会で身を預かることは出来る。だが、委員会の人間に仕事以外のことは任せられない。
他の生徒会役員は忙しそうにしていたため、桜季が直接その女の子を面倒見る運びとなったのであるが――――。
「あれは……」
そして、二人は出会う。
否、出会ってしまったというべきか。
千夜川桜季が、そこで見たものは。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
目を閉じ耳を塞いで、呪詛を詠じるかのようにぶつぶつと呟きながら、壁に持たれうずくまっている少女――――
「っ、た、たすっ……助けてっ、相川先輩……!」
――――小森琴羽の姿だった。
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