第五十八話:清上祭・その三

 四月一日、突然世界が変わった。


 高校一年生になって、起きた朝は、壊れた日常の始まりだった。


 少女は見る。


 朝の食事を用意して、母親の真似事をする『機械』

 上の階から、寝坊したとどたばたと大きな物音をたてる兄のように振る舞う『機械』


 そして――――感触でさえも無機質で、剥き出しの鉄と歯車、はみ出ている無数の糸のようなコードで構成される、変わり果てた自分の肌――――


 あまりにも唐突に訪れた破滅的な光景に、少女は言葉を失った。


 内も外も、見えるもの全てが『機械』

 しかも、どこぞのマスコットのロボットのような、可愛らしいものではない。


 

 誰が誰であったかの区別はほぼ付かず、一体どうやっているのか、精巧に人間の挙動の真似をして、当たり前のように日常を送っている。

 

 その目を凝らしても、顔を洗っても、頬をはたいても、嘲笑うように最悪な光景は止まなかった。


 とうとう夢だと逃げられないと分かった頃。

 目に見えるものが機械となった少女は、これからの通学路となるはずの道端で、突然金切り声をあげて倒れた――――。



 ――――その日から、少女は自分の部屋に閉じ籠った。



 やることなどはない。起きては自分の姿を鏡を見て、そしてまた眠っては起きて鏡を見る。眠れなかったら、親から盗んだ薬で無理やり眠ろうとする。

 そして、あの四月一日以前の日々を思い出して泣くのだ。

 ただそれだけの繰り返し。毎日毎日、惰眠を貪るだけ。


 いつか、世界が元に戻ると信じて。

 起きたら自分の知っている母と兄が帰ってくると疑いもしなかった。

 

 だが、しかし。

 元の世界を待ち続けるのも、やがて疲れてしまった。


 日にちの感覚を薬で混濁した曖昧な意識の最中、ふと我に返ると、自分が『あるもの』を持っていることに気付いた。

 本当に無意識だった。部屋の真ん中に突っ立って、当たり前のように自分の手の中に収まっている『それ』を見た。


 それは――――ハサミの刃だった。

 

 ――――…………。


 ぎらりと剣呑に光る鋭い刃先が、まるで威嚇するかのようにこちらの首筋を向いていたのだ。 

 その光に、思わずぼうっと見とれていると、ふと思い至った。


 ――――もしかして、無意識に死のうとしてた?


 そのことに気付いた時、その無意識の恐怖よりも先に、乾いた笑いが出た。


 ――――死にたくは、ないなあ……。


 素直に、そう思った。

 もしかしたら、土壇場で我に返ったのは、死にたくない心情の表れだったのかもしれない。


 自殺は、出来ない。

 少女に、この狂った世界を厭って自殺するような勇気は無かった。


 しかし――――……。


 ――――じゃあ、こうしよ。


 ふらふらと裸足の歩を進め、カーテンと窓を開けた。

 外は、今にも雨が降りだしそうな、どんよりとした曇りだった。湿った温風が、ふっと流れた。


 それが、ただただ残念だった。


 


 ――――……よかった。これで、楽になれる。


 この目が無ければ、もう苦しむこともない。見えなければ、何も怖くなる必要がない。

 恐怖という感情そのものが麻痺していたのではない。。なにせ、今こうして生きていること自体が恐怖なのだから。


 くたびれ、惑い、恐れることで、絶望の捉え方は逆転していた。


 そう思うと、この曇天もまあ、悪くないとさえ思えた。


〝そして、ゆっくりと、持ち直したハサミの刃を、己の眼底に向くようにして掲げた〟。


 少女は、狂ってしまっていたのだろうか。

 それとも、世界が少女を狂わせてしまったのだろうか。


 それは、今となっては誰にも――――……。


 ――――え……?


 その時、視界の端に見えたのは、人影だった。


 そう、それは確かに『人』だった。

 ここ数ヶ月で、初めて見る人間。


 目を見開いた。そして瞼をしばたたかせる。


 しかし、夢でも幻覚でもなく、そこに一人の少年が自分の家の前にいた。

 頑なに世界中の人間を機械に見せていた自分の瞳が、だった一つだけ許した奇跡だった。


 その少年らしい人影は、見た目は自分と同年代かそれ以上だった。今まで走っていたのか、ジャージ姿で息を整えて佇んでいた。

 整った顔立ちだと思った。綺麗な作りをしていながら、童顔というわけではなく、中学の男友達よりも大人びて見える。四月一日以来初めて見た人間だったから、補正が掛かっていたかもしれないが。


 まるで彼に見惚れた乙女のように、ハサミを持っていた手を下ろし、ただその姿をじっと食い入るように見ていた。

 その姿を一時でも目に焼き付けておきたかった。


 一度でも目をそらしたら消えてしまうように感じたから。

 声を出せばよかったのに、出そうとする度使わずに閉じきってしまっていた声帯が震えるだけで、それすらも叶わない。


 ――――あっ……!


 しかしやがて、その少年は息を整え、手慣れた様子でランニングを続行してしまった。

 もっと彼をよく見ようと身を乗り出し――――慌てて落ちそうになってからひっこめた。その姿は見えなくなってしまってからも、その方向に目を向け続ける。


 ――――あの、先は……。


 去って行った先は、普段あまり人が寄り付かない、小さな公園。


 名前さえも知らない、この世界で初めて見つけた男の人。

 この日こそが、孤独な少女の日常のなかで、唯一の希望を見出した運命の日だった。



◆◆◆



「あいかわ……? ということはもしかして……」


 清上祭、2-Fクラス前の廊下。

 桜季は、壁にもたれ、項垂れて小さくなっている少女を見た。


「……ね、どうしたの? 苦しいの?」

「ひぁ……う……」


 彼女のそばまでしゃがみこみ、幼い子供に話しかけるように優しく言葉をかける。

 が、応答がない。しっかりと耳を塞いでいる。こちらの声が届いていない、と桜季は思った。


 少女――――琴羽は、怯えていた。

 震え、目を固く閉じ、五感への情報を途絶している。


 単なる体調不良ではない。見えるもの、聞こえるもの全てを、酷く恐れているようだった。


 桜季は、この少女と面識はなかった。もちろん、琴羽のことは何一つ――――名前さえ知らなかった。

 が、その口から出た名前と同姓の少年を知っている。


 そして、桜季が知っているその少年は、今日、〝とある引きこもりの少女を清上祭に連れてきているということを〟。


「……とりあえず、すみません。生徒会です! みなさん、この子のことは私が見ますので、どうぞお構いなく!」


 ひとまず、人が多いと逆効果だと考えた桜季は、周りの野次馬を散らすように声を上げる。

 だが、


「大丈夫なのその子、尋常じゃないわよ?」

「もしかして病気? やだ、早く連れて行ってよ……」

「食中毒なんかじゃないわよね!? ここの階の模擬店のクレープ、さっき私ら食べちゃったわよ!」

「ええっ!? 食中毒!? 冗談じゃないんだけど!」


 遅れてやってきた実行委員の人間も、そのように一般客に呼びかけるものの、反応は鈍い。

 それどころか、反応が反応を呼び、何も知らない野次馬の根も葉もない言葉に周囲はごった返し、ますますパニックになりつつあった。


「今は何とも言えませんので、とにかく落ち着いて、こちらで対処しますので……」

「もしこっちまで何かあったら責任取れんのかよ! こっちは祭りに来てやってる客だぞ! 状況説明くらいするのが筋ってもんじゃねえのか!?」

「ですから、その状況の把握のためにご協力を……」

「そうよそうよ、こっちは出るとこ出られるんだからね! こんなかの誰かが病気になってもお祭りだからとか子供のやることだから、とかで見逃されるほど世間ってのは甘くないんだから!!」


 事態は混迷を極め、それどころじゃないというのに無意味に騒ぎ立てる外野。

 これでは琴羽を保健室等に運び入れることすらままならないだろう。こうなると今はただ追い払うだけでも骨が折れる。

 

 ちらり、と桜季が青ざめて生気のない表情のまま動かないでいる琴羽を見る。


 ――――まずいなあ、このままじゃ……。


 と、その時だった。

 


「――――おいコラボケども! 道開けろや鬱陶しい、人が通れんだろーがァ!」



 ドスの利いた野太い声が、雷鳴のように辺りに響いた。 

 ざわつきがぴたりと止まり、声の主へと一斉にその場の全員が振り返る。


「大の大人が、なまっちょろい学徒ガキ共相手にピーチクパーチクうっせんだよ。なんか知んねーがこうも集まっちゃ邪魔にきまってんだろーが。おめえら責任者でもねえのに、一丁前に文句つけてんちゃうぞごら」


 彼は恰幅のいい、ジャケットをだらしなく着崩した四十代前後の壮年だった。


 眉間には苛立たしげに何重にも皺を寄せ、顎周りには剃り残した無精髭が残っている。年老いている、というよりは長年の経験に晒され、世俗の波濤を浴び続けた巨木を思わせる面立ちだった。

 なによりもその男の周りに漂う呑み込まれそうな雰囲気が、一般人とはどこか一線を画していた。


「な、なんだよおっさん! かんけーねえだろ、すっこんでろよ」

「なにこの人、トーシツ……?」

「うわ、キモー……雰囲気わるっ。てんけーてきな空気読めないオヤジだわー、あれ……」

「もしかして学校の人ですか? なら偉そうなこと言う前に早く対処してください!」


 自然と群衆の矛先は桜季達ではなくその男に集中し、口々に言いたいことを言い募っていく。

 ぐちぐちと不満と非難を受け、最初は黙って耐えていた彼も、やがて眉をピクピクとひくつかせ、腕組みをした指の腹でトントンと叩いていた。


「そもそも、まず私らに失礼とかはないの!? 私らなんも悪くないじゃない」

「おいなんとか言えよ! 俺らに謝れよおっさん!」


 そして、もはや関係のないエスカレートし罵詈雑言と化してきた。


 ――――あ、爆発する……。


 と思って、琴羽を庇うように桜季が抱き寄せたのとほぼ同時。



「――――じゃっっっかあしいわああああああああッッッ!!」


 

 二度目の一喝。

 が、今度はその比ではなかった。


 まさにそれは、獣の慟哭であった。

 空気がビリビリと音を立てて震え、窓ガラスが微細に振動し、見えない壁にぶつかったかのような強い衝撃が轟いた。


 肌が粟立ち、身の毛が逆立つ。

 男のそばにいた数人は、彼のその声量と気迫に打ち倒されておののき、パクパクと口を開いたり閉じたりして何も言えなくなってしまった。


 誰もが怯み、いとも容易く萎縮してしまっている。

 圧倒。その一言に尽きる。

 まるで、虎の威嚇のように。ライオンの咆哮のように。


 男が放った圧は、数多い多勢を難なく抑えた。

 それどころか、この階下にある他のクラスまで、その怒声は轟き、時間が止まったようにありとあらゆる物音が消え失せた。放送から聞こえるポップな音楽が、今はただ可笑しくなるくらいに虚しく流れる。

 

「フン……任せてくれっつってんだから任せてやって、自分らはのーてんきに遊んでりゃいいだろーがよ。ったく馬鹿馬鹿しい……」

「こら清道っ、なにやってるの!」


 その時、しんと静まり返ったこの階下に、女の声が飛んだ。

 年老いた上品そうな婦人と、ワイシャツ姿の老人、そしてそんな二人の脇には、夏の暑い気温にもかかわらずぴっしりとダークスーツを汗一つ搔かずに着こなしているガタイのいい男が二人付いていた。


「げっ、か、母さん……」


 清道と呼ばれた男の母親らしい老婦人が詰め寄ると、男はそれまでの雄壮な気迫から一転、頭を掻いてのけ反る。困ったような表情だった。


「まったく、どっちがじゃかしいんだか。ここには学生さんや小さいお子さんもいるのよ、びっくりしちゃうじゃない。あなたまた人呼ばれるわよ、ただでさえ怖い顔してるのに」

「ぅぐっ……」


 自分よりも一回りも二回りも小さい母親には何も言えずたじろぐ清道。


「……清道?」


 桜季が反応したのは、その男の名。

 彼女には、聞き覚えがあったのだ。


「もしかして……?」


 その桜季の呟きが何人の人間に聞こえたのか、わずかにその人だかりの中でざわつきが起こった。


 ────大宮コンツェルンは、今や日本を代表する最大企業グループだ。

 製紙業から保険事業まで幅広い市場の掌握を執り行っており、日本に住んでいるなら聞いたことのない人間は一人もいないと言われるほどだ。

 特にその社長である大宮清道は、マスコミにその姿を現すこともあり、テレビ番組やCMにも出演している。豪胆で感情的ながら、本職で得た鋭い視点からの毒舌的で大味な言い回しは、賛否こそあれど見ていて痛快として見られている。


 まさに現在の時の人だ。 

 手に入れられるものを全て手に入れたと週刊誌にも題される男が、何故この清上学園に現れたのか。


 そんな、母親からのお小言に呻く彼をよそに、彼女――――大宮紫子が周囲に柔らかく声をかける。


「……さあさ、みなさん。そりゃ心配なのはもちろんのことですけれど、まずは子供たちにお願いしてみましょう。もし手に負えなくなっても、ここにいるのは生徒さん方だけじゃなく、あの優秀な清上学園の先生達までいらっしゃるんですから。話はそれからにしませんか。……ねえ、学園長先生?」

「ええ、ええ。もちろん。その通りですな」


 学園長が額の汗をハンカチでぬぐい、告げる。


「あー、みなさん、この件はキチンと対応させていただきますので、ご心配なく。模擬店に出される食べ物などの品質は確認済みですが、もし万が一何かあれば、本生徒ではなく最寄りの教師や保健室、学校関係者まで、適宜対応いたしますので、よろしくお願いします」


 その言葉で、狐に化かされたような複雑な表情をしながら、野次馬はこそこそ、と解散していった。


 何も言い返せるわけがない。

 そもそも非は無意味に騒ぎ立てたこちら側であるし、彼らの側にいる二人のダークスーツを着た、さらに図体の大きな男達――――彼ら清道達のSPと、わざわざ揉め合いになる気は、とてもじゃないが起きなかった。

 そしてそれ以上に、自分達とははるかに次元の違う存在が、鶴の一声といわんばかりにこの場の流れを容易く収めてしまったのだから、どうしようもない。


 あたかも先ほどまでの騒ぎがなかったかのように、清上祭は元のように再開したのだった。



◆◆◆



「――――相川くん!」


 屋台に集まる人混みのなか、誰かが俺を呼んだ。

 聞き慣れた声だ。少し視線を移して見渡すと、暁の姿を認めた。


「暁! ……よかった、ここにいたのか」

「ごめんなさい、車のせいではぐれちゃって……」


 どうやらまだ夕平と一緒ではなかったようだ。

 琴羽と同じく、暁がいなくなったとあいつから聞いた時はぞっとしたものだが、まずは無事見つけられてよかった。

 

「でも、それより、琴羽ちゃんもいないんでしょ? 夕平から聞いたよ。私、その子を探してたんだよ」

「……自分も迷子なのに?」

「うっ、そ、それは……その」


 ……こういう奴なのだ。天然というか、なんというか。

 こいつはもっと、自分のことも省みるべきだと思う。


「……それは助かるけど、夕平も探してる。とにかくまずはあいつと合流して――――」


 が、次の瞬間、まるで爆発のように激しい怒声が、学園内に轟いた。

 空気を震わせるような怒号。

 その瞬間だけは、ここにいる全員が動きを止め、音の出所――――校舎二階を凝視した。


「なっ……なに、今の」


 あまりの轟音に耳を塞いで驚いている暁。


「……さあ。でも」

「でも?」

「――――夕平なら、今何があったのか見に行くに決まってる」

「まあ、単純だからね……」


 俺達はお互いに苦笑し合い、その場所へと足を向けた。



◆◆◆



「ほおー、お前が今の生徒会長か。なかなか別嬪じゃねーか」


 じろじろ、と眺めるように見る清道に、桜季が丁寧に頭を下げた。


「初めまして、大宮社長。千夜川桜季とだけ申します。……〝それとも、先輩と言った方がいいでしょうか〟?」

「おっ、知ってんのか。いやー、あんな面白みもねえ上に、けったくそワリぃおっさんの講演会(むだばなし)だった清上祭が、いやはや変わったもんだねえ」


 隣で学園長が乾いた笑いを浮かべているのも歯牙にかけず、言葉を続ける。


「色々聞いてんぜ、『清上の最高傑作』なんだろお前」

「いえ……わたしなど、、まだまだ若輩の身ですから」

「はっ……若気の至りさ。今思えば引き受けなきゃよかった。いちいち清上がなんだ恩師どうだっつってマスコミはうっさくてな、あんさんも気ぃつけなよ」


 身を翻し、ただ一言、


「あと……そう。お前には期待してるぜ。その、これから頑張んなよ――――千夜川桜季」

「え……?」

「……いんや、何でもねえ。じゃあな」


 とだけ最後に言い残して、ひらひら手を振りながら清道は場を去って去っていった。


「…………」

「……うちのがごめんなさいね。お嬢さん」


 すると次に、紫子に声をかけられた。


「あっ、いえ。私も、お会いできて光栄でした」

「ふふ、あんなバカ息子、全然大したことないわ。……時間とらせてしまってごめんなさい」


 それじゃあ、と紫子と学園長、そして二人のSPもこの場を後にした。


「…………」


 思いもしないことだったが、その背中を目で見送ったあと、桜季は琴羽の様子を再び確認した。


「――――ねえ、大丈夫? 立てるかな?」


 琴羽は、今も身を抱き寄せ、唇を噛んでいた。

 騒ぎが終わったのに気付いてないのかどうなのか、壊れ物に触れるかのようにそっと肩を叩く桜季の姿を認める様子はない。ただただ、子供のように首を横に振るだけだ。

 

「会長、どうしましょうか……」

「……駄目ね。この子の連れを知ってるから、とりあえずはその子が来るまで」 


 その時、フラッシュを焚いた音が鳴った。


 琴羽以外の桜季と数名の実行委員全員が振り返る。

 見ると、そこには数人のテレビ局のロゴが入ったジャージを羽織り、カメラを持つ集団が桜季達を見ていた。


「あの大宮コンツェルン気鋭の若虎、大宮清道と清上の現生徒会長千夜川桜季さんのツーショット、いただきでーす」


 軽薄な笑い声とともに、馴れ馴れしい態度で接触してくる。

 彼らに向けて、怪訝な視線を送る。


 櫻季には、見覚えがあったからだ。


「……私へのインタビューは明日の予定のはずですが」


 そう、彼らは清上祭のタイミングで、現生徒会長である桜季をテレビに取り上げたいと売り込んできたマスコミであった。

 だが、問題はその人員である。彼らの所属する局は、押し売り強盗めいた横暴な手口でネタになることをもぎ取るなど、いい噂を聞かないことで知られていた。


 有名税と言ってしまえばそれまでだが……要は、わきまえない輩がたまに擦り寄ってくるのだ。


「いやいや、祭りでの生徒会長さんの活躍も撮らないと。なにしに行ったんだって怒られんのはこっちなんだよね」

「……なんでもいいですけど、今はそれどころじゃないんです。どいてもらえますか」

「いやいや、うちらはちゃんと撮影の許可も取ってるんでね? ちょっとは協力してもらわないとねー。あ、目線くださーい」


 その中でもディレクターらしい、ニット帽を被ったラフな男が、にやにやと笑みを見せる。


「ねえねえ、大宮社長からなに言われたの? やっぱお仕事がんばれって? 大変だもんねー」

「…………」 


 しつこく絡んでくるその男を無視する。

 そんなことよりも、琴羽の具合だ。

 これ以上ここにいさせるのは素人目でもまずいと分かる。もはや震えは止まってこそいるが、ぶつぶつと聞き取れない何かを呟いていた。

 

 が、彼女は全然動こうとしてくれない。突発的に何をするか分からない精神の摩耗を感じられた。


「――――きみ、今すぐ校内放送を流して! 相川って名前の連れがいるはずだから、その人にこの子がここにいることを伝えて」

「えっ、ですが……」

「はやく!」


 声を飛ばして、近くの実行委員が慌てて放送室の方へと駆けていった。


「おっ、『生徒会長、迷子を助けるの図』かな? おいカメラ! アップで撮れアップで!! ぼさっとすんなよ!」

「いい加減やめてください! 刺激しないでください!」


 そのカメラのフラッシュを止めさせようとしても、桜季の言葉一つで止まるような連中ではない。

 実力行使に出れば話は早いのだが、彼女にも清上学園生徒会長という立場がある以上、あまり強くは出られない。

 相手は仮にもマスコミ関係者。もしここで手段を問わず追い返せば、今後何をやられるか分かったものではない。先ほどの清道とはわけが違うのだ。



「う、うう……」



 だから、その応対をしていた桜季も、反応に遅れてしまった。


 うめき声をあげ、桜季の横を――――琴羽がよろよろとすり抜けていった。


「先輩、どこぉ……どこなのお」

「え……?」


 それまで動こうとしなかった琴羽が、子供のように泣きじゃくり、目を覆ったまま不安定な足取りでよろめいていた。


「光、ひっヒカリ……い、いやあ、ハサミ、あ、あああ……死にたくない、シニタクナイ……!」


 がりがりと頭を掻きむしり、何本か引き抜いた髪の毛をその指に絡ませる。

 目は落ち窪み、口から泡を吹きかけている。その様子は、今にもなりふり構わず逆上しかねない危うさがあった。


「待って、お願い! もうちょっとで相川くんも来るから……!!」

「あ、ああ……い、いやあああああああああああ!!」


 そして、布を引き裂くような悲鳴が響いた。

 狂乱した琴羽が、逃げるように足を駆けさせ、桜季と揉めていたディレクター風の男を強く押しのける。


「――――ってぇ! 何しやがるガキ!!」


 がなり立てるその蛮声に弾かれたように、他のカメラマンが琴羽の行く先を阻み、体当たりをかますその小さな身体を、包むように抑える。

 それでひときわ琴羽の悲鳴が大きくなることも知らずに。


「いやっ! いやいやいやああああああああああああああああ!! どいて! どいてよぉおぉおおおおおお」

「こいつ! 狂ってんじゃねえのか!」

「駄目! やめてください!」


 もみくちゃに争う琴羽に、何も知らないカメラマン達が取り押さえる。

 が、それからもがき離れようと、琴羽はさらに手を激しく振り回して必死に暴れる、というように悪循環が続くだけとなってしまう。



 ――――そして、がり、とその手の爪がそのうちの一人の頬に当たり、深く引っ掻いた時だった。



「ッ――――ンのキチガイが!!」


 どっ、と少女の華奢な身体を振り払うようにして突き飛ばした。

 その運動もせずに引きこもり、筋肉が衰えたその身体は、不意を突かれた衝撃でいとも簡単に吹き飛ぶ。


 その琴羽の身体は、吸い込まれるようにして窓縁にぶつかった。

 それでも大人の男の力に押された琴羽は、ぐらりと上体を傾けさせ――――


「えっ――――……」


 ――――それは、彼女の類い稀な目の良さ、動体視力の賜物であったのだろうか。

 

 その一瞬が、桜季には長く長く感じた。

 音が止まり、時間の概念が消えうせたかと思った。

 まるで一秒が希釈し薄まったかのように、万物の動きが緩やかになる。


 彼女は、そこで初めて気付いた。


 琴羽が、ゆっくりと傾けていく、その窓。


 

 



 ――――瞬きするその刹那の暇もなく。 

 ――――あっ、と思う間すらなく。


 その身体がふわりと泳ぎ、無抵抗のまま何もない宙に、投げ出されて、いって――――



「――――うっ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」



 一つの雄叫び。

 そして時間が停留した緩慢なこの空間を、意にも介さないように突き進む一つの影。

 その影は、勢いよくその窓枠に駆け寄り、ぐんと思いきり身を乗り出した。


「はあっ、はあっ、うぐっ……!!」


 はっと目が覚めたように我に返った瞬間、時間の流れが怒涛のように押し寄せた。


 様々な反応が沸き上がった。


 一部始終を脇で見ていた一般客が叫声を上げ、他の人間は何事かと狼狽え始める。

 当のカメラマンは情けない悲鳴をあげると腰を抜かしたように後ずさり、ディレクターの男は茫然と立ち尽くす。

 外の方からでも悲鳴は上がり、多くの人のどよめきが起こっているようだった。


 そんな阿鼻叫喚の最中、いち早く状況に反応し解き放たれたように動いたのは、桜季だった。


 そして。


「――――っ! 大丈夫!? 女の子は――――」

「はやく!! はやく誰か持ち上げてくれえッ!!」

「っ!?」


 それは、桜季がよく知っている声だった。

 まるでお話のヒーローのように女の子の危機に駆けつけ、

 あらん限りの声を出して、必死に自身とその少女を落ちないよう支えているその少年は。


「つっ、掴んでる!! ちゃんと掴んでっから、はやく引っ張ってくれよおッ!」


 暁とはぐれて完全に迷子になり、あてもなく校舎の中をさまよっていた――――夕平だった。


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