イギリス編・番外

 番外第一話:とある深緑の洋館で・前編

「ごめんください、誰かいらっしゃいませんかー? ごめんくださーい!」


 長野の諏訪湖付近だったか、はたまた山梨の県境だったか。

 とにかく、俺はどこか山奥をさ迷っていた。

 

 バイクはガス欠、地図も何もない。まさか今日び、スマホも圏外なんて場所があるとは知らなかった。 夏の夕暮れで、ひぐらしが寂しげに鳴いていた。鬱蒼と繁った森があまりにも深すぎて、風すらも木々を揺らさない。山奥とは言ったが、少し渓谷沿いに位置する所まで、心細くなりながらも動かないバイクを押して来た。


 そして、開けた場所にポツンと『それ』はあった。


 一軒家――――というよりは、館だ。

 こんな辺鄙な場所とは不釣り合いな、大きなお屋敷があったんだ。


 古めかしく、あちこちに目に悪い蔦が蔓延っている。近付けば近付くほどまるでお化け屋敷のようで、日が落ちようとしていたためか薄気味悪い。だが、最小限の手入れはしてあるようで、人が住む形跡が微かに感じられた。

 

「あの、すいません! 誰かいませんかー!」


 チャイムも無かったから、こうしてドアをノックするしかないわけだが、果たしてちゃんと住人に聞こえてるのか分からない。もう五分はこうしているが。


「……こりゃ駄目か?」


 やはり反応がない。

 この家くらいしかあてはもう無いのだが、他を当たるしかないか……と。



「はぁい、ただいま……」



 諦めかけたその時、大きく軋む音がして、ゆっくり、ゆっくりと荘厳な扉が開かれた。

 

「ようこそ……お越しくださいました……」


 現れたのは、一人の女性だった。


 まるで喪服のような黒いワンピースを身に付け、垂らせるだけ垂らし、放っておいたかのように手入れをしていないぼさぼさ髪。化粧っ気も無い。既に腰の曲がった猫背もあってか老けて見え、実年齢が分からないというか、下手に突っ込むと思わぬ藪蛇になりそうだと思った。

 女ってのは年齢には五月蝿いって聞いてたしな。


 なんにせよ正直、あまり仲良くなりたいとは思わない出で立ちをその女性はしていた。


「あの、なにか……?」

「あ、ええと、その……」


 俺の言葉に反応して普通に現れたというのに、何で不意を突かれたみたいにきょどってんだかな。

 今とまるで違う?

 ははっ、そうかもな。

 まあでも、勘弁してくれ。『この時』はまだ、ただのコミュ障だったんだ。


「あ、実はバイクがガス欠で……しかもこの辺り何も分かんないんす。あのお金は払うんで、一泊させてくれませんか?」

「はあ……」

「突然で申し訳ないと思うんですけど……」

「ああ……」


 俺の言葉に、目の前の女性は生返事だった。ぼうっとしてるといった方がいいか。

 ただ、なにも考えていないと言うわけではなく、じろりとその落ち窪んだ眼で俺を見て、何かを判断しているかのようだった。

 ……一泊させるとなれば、それは普通だろうって?

 違うんだよ、この女が、そんな『普通 』の事を考えていたわ けがない。今思えばこの時から既に、この奇妙な話は始まっていたんだ。

 まあまあ急かすな、ちゃんと意味はある。順々に話していくからさ。


「ええと……取り敢えず、どうぞ」



 これは、『八周目』の世界での話。



 俺は、この女――――三奥舞葉みおうまいはに出会った。


 何でそんな苦々しい顔してるのかって?

 ……まあそれも、すぐに分かると思うぜ。



◆◆◆



「そうでしたか、夏休みに旅行で……」


 この日の夕食は、このお屋敷の広い食堂とは不釣り合いな、質素なものだった。

 なんでも、この辺りには数十キロに渡ってここ以外人気はなく、田舎以上に孤立した森の中らしい。


 そんなわけで、もちろんスーパーの類いは一切無く、時折一ヶ月分くらいの食料を配達で持ってこさせ、それ以外は自給自足で魚を釣ったり山菜を摘んだりしていると聞いた。

 凄い場所だろ? もはや辺鄙を通り越して辺境だったな、あそこは。

 

「旅行はついでで、バイクの練習っすね。昨日は大阪まで行ってました」

「まあ……そんな遠くから」


 実際、そんな楽しいことはしていない。観光もしてないし、大阪だってただの折り返し地点なだけだ。バイク運転の修行と言ってもいい。運転技術は、無いに越したことはないからな。


「夏休みも始まったばかりだし、まああちこちに行けたらと」

「そう……」


 舞葉は、まるで幽霊みたいな人だった。

 存在感が薄いというか、話してる最中にふっと消えてしまいそうだと思った。

 表情の一つ一つに、影が差している。この世の全てに絶望しているかのようだった。


「……あの、三奥さんはここに一人で?」

「いいえ、娘が一人います」


 ――――だから正直、少し驚いた。

 俺の問いに初めて、彼女の顔に人間らしい色が着いたから。


「娘さんが?」

「ええ、たった一人の愛娘です。今は上でお昼寝中かしら」

「へえー……」

「私ね、こう見えてチェスが得意なのですけど……時々、娘と遊んであげるのよ。ただぼうっとやるのも面白くないから、罰ゲームありで」

「凄いな、娘さん。チェスかあ……チェスはパソコンでいじったくらいかなあ」

「じゃあぜひ、お相手してもらいたいわ」

「いいっすよ、まあ多分負けますけどね」


 小さく、舞葉は笑う。

 幽霊も、この時だけは人間のそれと何ら遜色ない。


「っ……?」


 その時だ。突然、俺の身体がふらりと揺れた。

 揺れたということにも、遅れて気付いた。


 少し意識が飛びかけていた。いやまだだ。全身が、強い眠気に襲われている。

 心地よい睡魔の熱に包まれていた。走り続けて、眠くなったのだろうか。


「どうしました……?」


 薄れゆく意識のなか、舞葉の声がかろうじて聞こえた。


「あ、いや……少し……」

「あらあら、お疲れでしょうか。ベッドが二階にありますが……」

「いや、もうここで……」


 寝ます、と言葉を続けることも出来なかった。

 もはや口まで動かない。

 もう何も見えない。聞こえない。


 重たい瞼が、まるで分厚い暗幕のようにゆっくりと視界に降りる。


 そして俺は、眠りに就いた。



◆◆◆



 …………?

 ああ、睡眠薬? ここで盛られたんじゃないかって?

 

 ふーん。なるほど、賢いな。

 ああ、偉い偉い。

 

 でも……実際どうなんだろうな。そういや、聞いてなかったな。

 まあ、好きな方で考えたらいいんじゃないか。ご想像にお任せしますってな。


 俺はどう思うかって? 

 …………。

 さて、話を続けるか。

 ……知らないな、なんのことやら。

 ストーリーテラーは、自分の感情とか考えを話に盛り込んだら駄目なんだよ。


 さて、話を続けるぞ。

 もちろん寝てる時の記憶なんざ無いから、俺が起きてからが、話の続きだ……。



◆◆◆



 浅い眠りから、ゆっくりと目を覚ました。

 どのくらい寝てたのか分からない。寝てたってより、ぼんやり意識はありながら、身体が麻痺して倒れてたって感じに近かったな。


 頭がズキズキと痛んだ。頭に手をやる。

 その時、


 ――――じゃらり


「――――えっ」


 聞き慣れない、重々しい金属音。

 それは、すぐそばの――――足付近から聞こえた。


 そして、感じる異物感。突然そこに、『それ』が現れたかのようだった。

 足首に巻き付く、黒い輪状のもの。そこから蛇みたいなものがのたうっていた。

 その長く伸びている鈍い銀色に、俺はしばらく言葉を失った。


 『それ』は――――極太の鎖、だった。


 俺の足が、足輪のようなもので縛られていた。


 拘束具という、逃がさないという意志が満ち満ちた代物を前に、俺は完全に圧倒されていた。


「なっ、なんだ……これ……? う、そだろ……」


 何度鎖を激しく動かしても、当然夢のように消え失せるわけでも抜け出せるわけでもない。

 離れられない。それは間違いない。

 

 一体何故? なんで俺はこんな目に……?


 俺の今いるのは、なんてことない部屋の一室だ。少しぼろい旅館の一部屋といったところか。

 ここでやっと、俺が泊まっている場所の事を思い出した。


「み、三奥さん! 三奥さん、外にいますか!?」


 冷静さは欠けていた。気が動転していた。大声で叫びながら、慌てて外に出ようとする。

 が、届かない。ドアに手を掛けるすんでのところで、長さが足りない。鎖は確実に、俺を外に出すまいと足を掴んで離さない。


「くっ、くそ!」


 そう足を引っ張っても、絶対に出れない。何度試しても、手が届かない。

 無理だと悟っていても、それでも、足が痛くなるまで試行錯誤していた。

 

 そうしてどれだけ経っただろう。

 まるで、その俺の想いに応えたかのように、


 ――――ぎ、ぃいいい……


「っ……!?」


 扉が、開いた。

 そしてそこには――――


「…………」


 一人の少女だった。恐らく、十歳くらいの女の子。

 ただし、その姿は、普通であって普通じゃない。

 

 目に飛び込むのは、まだほんのわずかに膨らみかけの乳房。そして固く閉ざされた蕾を思わせる乳首。

 未成熟で、女としてのくびれも何一つない、言ってしまえば寸胴体型。それはまさに、色香を知る前の準備期間の身体であり、少女そのものが誰もが踏み込めない聖域。


 何も隠してない、隠れていない。

 まさに……丸見え。



 一糸纏わぬ生まれたままの姿で、少女はそこにいた。



「…………」

「はっ……はあああああっ!?」


 思わず、尻もちをつき後ずさった。

 驚く俺に対し、その少女はまるで無反応だった。

 そのお互いの温度差に、俺は混乱しながらもこいつが人形なんじゃないかとさえ思った。


 そして、あるものに気付く。

 少女の首に巻き付いた――――黒色の帯。

 俺の足首に取り付けられた物と似ている。


 あれは――――そう、首輪だった。


「目を覚まされましたか……」


 その時、少女の後ろから、声が聞こえた。

 

 聞き覚えのある、囁くようなその声。


「三奥さん……!」 


 少女の後ろから、ぬっと舞葉が姿を現した。


 その落ち窪んだ眼が、俺を射抜く。

 だが、何の覇気もなく、圧力もないその目に、何故か身震いするほどの畏怖を覚えた。


「三奥さん、これはどういうことですかっ!? 一体何が……!?」

「相川さん、相川拓二さん」

「っ……」


 俺の名前だった。死ぬほど驚いたのを覚えている。

 今にして思えば、寝ている隙に俺の私物から名前を確認しただけなんだろう。

 だというのに、この時は、気が動転してたんだろうな。


 話が逸れたな。


「……貴方には、ここで暮らしてもらいます」

「……はっ?」

「私の息子として、そしてこの子の兄として、ずっとね……」


 ……何言ってるんだ、こいつは。


 あん時は、本当にそう思ったね。

 というかそれ以外の言葉が見当たらなかった。

 何の冗談だと、そう言いたかった。



 ――――でも、その時の舞葉の顔と言ったら、あまりに真剣で。

 笑っちまいそうなほど、真剣だった。



「じょ、冗談じゃねえよ! いきなり何言ってんだ、ふざけんなっ!!」

「冗談なんて、そんなこと。……ねえ、愛花あいか

「…………」


 裸の少女に、舞葉が話し掛けた。

 それはまさしく、母親が子に向ける慈愛の笑み。


「よかったわね、愛花。新しい家族よ?」

「……おにい、ちゃん?」

「そう、お兄ちゃん。これから仲良くしなさいね」


 そう言うと、その子供は小さく息を吐くように笑った。

 それは、愛花が初めて見せた感情の色だった。


 ……こう聞いてる限りじゃ、微笑ましい親子みたいだがな。 

 愛おしそうに愛花の首輪を撫でる舞葉に、言いも知れない恐怖を俺は覚えていた。

 

「……まさか、その首輪はアンタが」


 混乱の中で、我ながらよくこんなこと理解出来たものだと思う。

 しかもさらに先、とんでもない事まで気付いてしまったんだから、理解が早いのも考え物だよな。


……?」

「ええ、二年前、親子で迷い込んできたところをね……」


 後から分かったことだったが、三奥舞葉という女は――――

 ずっと、こいつはこうしてきたのだ。


「でも、無理やりというわけじゃないのよ。私、お客さんにはいつも持ちかけることがあって」


 鎖で縛っておいて、何をいけしゃあしゃあと、と言いかけたが、止めた。

 

 その言葉に、かすかな『希望』が見えたからだ。


「一ヶ月の間チェスで勝負して、そちらが一度でも私に勝ったらここから出てもいい、と。外に出られるように地図も用意するし、帰られる分のガソリンも用意するわ」


 これはチャンスだ、と俺は喜んだ。顔に出てたかもしれない。


 チェスで勝てばもちろん帰れるし、最悪この女をぶん殴って無理やり押し通してもいい。

 帰れる可能性は十分ある。そう思った。


 だが。


「ただし、それが以外の方法でここから出られると思わない方がいいわ」

「っ」


 まるで心を読んだかのように、舞葉が告げる。


「その鎖は、私に勝つまで外せない。貴方はこの部屋で、チェスをするだけ」

「何だと!?」

「鍵は私が持ってますから。……大丈夫、この部屋はユニットだけど、トイレもお風呂もある。ご飯も、決まった時間にこの子に運ばせます。他の物も、頼んでくれれば届けるわ。貴方がここで不備に思うようなことは無いはずよ」 

 

 愛花の頭を撫でる。


「……でも、一ヶ月過ぎて一回も勝てなければ、貴方はずっとここで暮らしてもらう。それが『罰ゲーム』よ」


 そして、舞葉は愛花を連れて、踵を返す。

 二人が死角に隠れてしまう。


「おいっ! どこに行く!?」

「今日はお疲れでチェスなんて気分じゃないでしょう? とりあえず、また明日来ます。落ち着いてから、またお話ししましょう」


 足音が遠のく。舞葉が愛花に、何か話し掛けているような声が聞こえた。



 やがて、二人の気配が完全に消えた。



「……っざけんな」

 


 ……そして、俺は。


 怒ったらいいのか、それとも悲しめばいいのか分からなくて。

 やりきれなくて。


 怒りやら、恐怖やら、悲しみやら。


 もう、どこにこの感情をぶちまければいいか分からなくて。



「――――ふざけんなぁああああああああ!!」



 気付けば、あらん限りの声で俺は叫んでいた――――。


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