第四十話:プロ

 プロは、常に敵の二、三手を読む。


 敵の行動を数パターン予測し、瞬発的な決断を脳内処理で下す。

 その予見する敵の動きも、独りよがりではいけない。敵の動きを読むということは、えてして鏡合わせのように自己への問いかけとなりがちだ。

 自分ならどうするか、ではない、相手の考えを相手の立場に沿って考えなければならない。


 相手の情報、立場、人物背景や傾向を鑑みた、客観的な判断。命が懸かった極限の状況では、それを有することが肝要だ。


『…………』


 もう千発もの銃弾を撃ち込んだだろうか。マシンガンの引き金から指を離した。

 音が止むと、途端に教会内が静まり返ったかのような錯覚を抱いた。この場所が全ての世界であるような、そんな途方もない錯覚。

 

 マシンガンの名称は、M60。重量は10,4㎏相当で、拓二の想像通り、グレイシーが持つ武器の中で最高火力を誇る最強の兵器だった。

 そのため、祭壇の上にその土台を設け銃身を固定しなければ到底使い物にならない。

 本来、エレンを人質にメリーを呼び込むための籠城を目的としていたものだった。


 だが、そのメリー本人が直々に訪れた。

 これはグレイシーにも想像が及ばなかった。それも、一緒に厄介な存在まで連れて。


『…………』


 グレイシー=オルコットは考えていた。


 アイカワタクジという少年は、『まだ成人もしていない青少年というカテゴリー』を遥かに外れた経験を積んでいるようだった。

 単なる戦闘力というだけではない。グレイシーが拓二と行動を共にしたのはほんの数時間だけだったが、拓二自身、この一連の出来事という大きな流れに、翻弄されながらも彼は確かにその中心にいた。

 素人であるはずの彼の指し示す方向へ、皆がその通りに動いていた。反感もやむなく抑え、あの場にいる全員を確かに支配下に置いていた。いくらネブリナ家のつまはじき者同然のフリーク達とはいえ、だ。

 折々で見せた判断力と決断力は、年相応の初々しさを感じさせない頭の回転の速さ――――いわば老獪さから来ているものだ。


 そして何より、彼からは精神的な活力を感じる。

 それは、生への貪欲なまでの渇望。足掻いてでも死ぬまいとする、生存本能の『飢餓』を感じていた。

 ボルドマンに彼の元へ指し向かれた時は、本気でどうしたことかと思ったが。もう既に、拓二をただの子供とは見なしていなかった。


 要は、何をしでかすか分かったものではない、核弾頭のような怖さが彼にはあった。

 半端に素人寄りの存在であるせいか、なおさら余計行動が掴みづらい。


 ――――そして、このまま何も出来ないで引き下がる人間ではないことも、これまでの経験から感じていた。


「――――エレン、目と口塞げ!」


 突然、男の声が飛ぶ。

 それが日本語だということを、グレイシーは知らない。

 彼女が捉えたのは、何らかの言葉の後に、こちらに飛んでくる小さな陰影だった。

 タクジが投げたもののシルエットは、ふわりと弧を描き、空を舞うように回転していた。

 細長く、筒状の小物。スプレー缶のようと言えば言いえているだろう。


『チッ!!』


 舌打ちを溢し、うつぶせに身を伏せる。

 そして、右手から銃を取り出し、その物体に向けて引き金を引いた。


 その瞬間、片耳から片耳へ突き抜けるような破裂音が反響した。

 瞼の裏からはっきり映る、激しい白光。

 だが、光源は近くない。的確に貫いた銃弾が空中で閃光弾を爆発させたため、その光がグレイシーの瞳を焼くことはなかった。


『っ……!』


 そして、これだけでは終わらない。

 沈殿して降りてくる白煙に包まれながら、グレイシーの耳は確かに捉えていた。

 

 それも足早に、自分に向けて駆けてきているようだ。無防備と言える程に真っ直ぐに。


 足音は一人分のようだ。手錠で繋がっていたところを見た限りでは、鍵を外して、メリーは待機させているのだろう。


『――――ふふ』


 

 フラッシュバンを視認した時には、波状的に接近しようと突っ込んでくると、グレイシーは予想していた。

 マシンガンの銃口に向かって走るという一見無謀な強行も、先の目眩ましがあってのものとはいえ、大したものだ。


 だが、所詮それだけに過ぎない。

 拓二には、そうせざるを得ない理由がある。


 先程、銃をどう持つか確認し合った時、それを確信した。

 あれは、単なる確認ではない。拓二の実力を推し量るためのものだったのだ。

 彼は、人差し指を離したまま銃を持つのに苦心していた。落とさないようにはしていたが、グレイシーの目は誤魔化せない。

 そして、手練れグレイシーは見抜く。間違いなく、狙撃の腕はこちらの方が断然上だと。


 だから、彼はどうしても近付かなければならない。射程距離範囲が違うことは、本人がよく知っていることだろうから。

 近付くために、フラッシュバンを使う必要があった。煙のせいで本当に目の前まで距離を詰めなければいけなくなっても。他にそうするしか選択肢が無いのだから。


 手数が圧倒的に足りない。この一言に尽きる。

 これが、アイカワタクジの敗因であり、死因だ。


『甘い算段ですね、アイカワさん。本当に甘い――――』


 例えば、あと一つ。

 あと一つでも拓二に手数があれば、また別の結果になっていたかもしれない。


『残念ですが、これでお別れです』


 グレイシーは、立ち上がりざまに銃を突き出した。

 今なお視界が白く塗りつぶされているが、問題ない。

 煙で出来るだけ状況を対等にしたつもりかもしれない。だがしかし、拓二とは違って、グレイシーには他に相手の位置を特定できる術を持っている。

 目が見えなければ、耳を使えばいい。足音は聞こえる。その方向も分かるし、位置も掴める。


 目を瞑ってでも、拓二を撃ち抜くことができる。

 引き金を引く指に、力を込めた。


 その時だった。



『――――今だメリー、ぶっ放せ!!』



 ――――え? 

 と、素っ頓狂な自分の声が耳に届いた。



『――――う、わぁああああああっ!!』



 噴煙が立ち込める視界の中、かき分け白い煙幕を突っ切ってきたのは拓二ではなかった。


 


『め、り――――!?』 


 グレイシーが捉えたメリーは、何故かサングラスを掛けている顔をこわばらせて――――自分に銃を向けている。

 見たことも無いメリーの、本能的な殺気を纏った形相。思いもしないメリーの姿に、一瞬動きが硬直した。


 グレイシー=オルコットというプロは、その一瞬だけ姿を消した。


 既に手に掛けていた引き金を、引けなかった。

 それが命取りだった。私情を排除しなければならないはずのプロの、唯一にして痛恨の一瞬だった。


 一発の爆音が鳴り響く。

 

 グレイシーの身体は、まるでボロ雑巾のように軽々と吹き飛んだ。



◆◆◆


 

 一つ、言い訳させてもらう。


 俺は、自分が聖人君子になった覚えは無いし、物語の主人公のような、言うこと全てが正論というような人間でもない。

 自分のやっていることがいつも正しいとは思ってない。道徳に背くことはいくつかやってきた覚えはあるし、青少年の非行自慢じゃないが、しょっぱい軽犯罪なら挙げればキリがない。

 俺が自分を善人か悪人か問われれば、まあ少なくとも善人なんて柄じゃない。俺は俺の好きなようにやってきた。悪く言えば自分勝手に。何せ、例え捕まってもやり直される世界なのだから。


 だから、敢えて言う。

 俺は、メリーがそのまま殺される可能性も十分あると知っていながら、『この賭け』に出た。

 メリーに、命を賭けさせてしまった。

 

『ひっ……あぁ、ひっ』


 メリーは、へたり込んでいた。

 先程までの威勢は面影にすら無い。すっかり腰が竦んでいるようだった。

 それは、初めて銃を撃ったという経験から来る恐怖だけでないはずだ。その相手が、親しくしていたグレイシーであること、そして今、そのグレイシーが倒れていること。


 ――――自分がやったことを、今になってようやく理解し始めているのかもしれなかった。

 あるいは後悔しているのかもしれない。愕然として、何も考えられないでいるのだろう。


 流石に無理もない。

 我ながら、酷なことをさせてしまったと思っている。


『メリー、大丈夫か』

 

 霧のようだった煙は、既に晴れた。

 そんな俺は、メリー達が集っている祭壇まで駆け寄った。そして、ぬけぬけとそんなことをのたまう。


 我ながら、小狡い。

 自分の口から出てくる慰めの言葉が、身勝手な言い訳に聞こえる。


『あ、んた……』


 愕然としているメリーにしゃがみ込み、銃とかけているサングラスを取ってやった。

 フラッシュバンを使うことを考慮し、ジェウロから借りてきたものだった。まさか俺でなくメリーがかけることになるとはついぞ思わなかったが。


『もう平気だ。悪かったな、重いことやらせて』


 己の命を賭けさせて、やらせたことは友人を撃つこと。

 そして俺は、それを安全地帯で見守っていただけ。


 そこを咎められれば、何も言い返せない。

 こうするしかなかったとはいえ、一発殴られても文句は言えない。恨まれるだけで済むなら、いくらでも恨んでくれて構わなかった。


 誓って言うが、成功する可能性は信じていた。

 それを根拠づける理由は、グレイシーの考え方にある。


 まず、グレイシーは、最初からメリーを傷つける気ではなかったということ。

 殺す対象を、ずっと俺だけに絞っていた。特に『取引』で、その傾向は顕著に浮き出ていた。メリーを賞品化することで、メリーに必要以上の安全を確保していた。グレイシー程の腕なら、俺だけを狙って撃つことも可能だったはずなのに。

 本来彼女からすれば、メリーはここにいるはずではなかった。俺との殺し合いに巻き込むのではなく、交渉で『貰い受ける』はずだったのだ。

 メリーの存在が計算外だったために、俺にヒントを与えてしまったのだ。――――もしメリーと唐突に直面したら、グレイシーは一瞬躊躇うかもしれないと。

 グレイシーも向かってくる俺を仕留める気で、既に構えていたはずだ。おそらく、ゼロ距離まで近付いたところにヘッドショットを叩き込むつもりだっただろう。後は、引き金を引くだけで終わるはずだった。


 だが、現れたのは俺ではなく、メリーだった。怪我ならまだしも、相手を殺す気で引く引き金を、メリーにも引けるか。そう考えたのだ。

 

 そして、もう一つ分かったことがあった。

 それは、グレイシーはメリーを戦力としては全く見ていないということだ。

 前述の通り、賞品と言ってメリーには明確な線引きを施していた。俺達二人の意識の外に追いやろうとしていた。

 。メリーが進んで俺達の戦いに関わってくるという考えが無かった。

 それは、確実にグレイシーの虚をついただろう。何故なら彼女は、俺ばかり見ていたからだ。

 フリークチームの中に揉まれて、グレイシーを裏切り者と断定したのは、何を隠そうこの俺だったのだ。彼女の中の警戒は、この上ないものだっただろう。

 

 

 俺も、最初メリーと会った時であれば――――いや、ついさっきマクシミリアンに食って掛かるのを見るまでは、おそらくメリーに任せず俺一人でやろうとしただろう。そもそも、ここに連れてくることもしてなかったはずだ。

 だが、俺は知った。人の成長を。一度つまづいた後の進化を。


 グレイシーは知らない。今回の事件、何も俺だけが特別だったというわけではないことを。俺だけが頭を動かして、俺だけが『道』を進んできたわけではないことを。

 メリーもメリーなりに考えて、彼女なりの『道』を歩んできたのだ。


 メリーの苦悩を、変化を、そして成長を、グレイシーは見ていない。


 片や俺は、そばでメリーを見てきた。一昨日出会い、昨夜の一件を越えて、今ここにいる時まで、そばにいた。

 メリーの苦悩を、変化を、そして成長を。俺は見てきた。

 

 だから、グレイシーはメリーには出来ないと思った。

 だから、俺はメリーなら出来ると思った。

 

 そこが、俺達の一番の違いだった。


『メリー、さっき俺は言ったな。グレイシーをぶん殴るぐらいの気持ちで撃てって』

『…………』

『お前は悪くない。だから……気に病むな』


 そう言うと、じろり、と俺の方に視線を仰いで睨みつけてきた。


『……アンタさぁ、ぶん殴られたいの?』

『……すまん』

『聞かないもん。やっぱアンタはぶん殴る。じゃないと気が済まない』

『……ああ』


 それも、今なら悪くない。

 メリーは本当に頑張ってくれた。初めて握る銃で、引き金を引けるのかと危惧していたが、ちゃんと俺の言う通りにしてくれた。

 こいつの度胸に救われた。

 

『ありがとうな……本当に』

『な、何よ、言っとくけど、そんな言葉で許してやる気は――――』

『……生きて帰ってこれたら、ちゃんと埋め合わせするよ。約束だ』

『え……?』

 

 がはっ、と咳を吐き捨てるような音がした。

 その方向を見やる。

 グレイシーは、壁に手を着きずるずると重そうに身体を持ち上げていた。


『アイカワ、さ……、アイ、カワ……』


 息も絶え絶えに、グレイシーは立ち上がっていく。

 口の端からは、血が伝っている。目は落ちくぼんで、死人のように顔色が悪い。


 やはり、生きていたか。

 防弾チョッキ。メリーにも、仕込まれているであろうどてっ腹を狙えとは言ったが、相当なダメージのはずだ。ジェウロにやられた傷を含めると、動けなくなってもおかしくない。

 そのまま昏倒するかとも思ったが、流石にそうは甘くないようだ。


『……アイ、カワ。アイカワ、アイカワアイカワ、アイカワアイカワアイカワアイカワアイカワッ……!!』


 この世のありとあらゆる呪詛をかき集めてきたかのような言葉が、グレイシーの口からあふれ出て来る。

 頬を爪でかきむしって、引っ掻いたところからは血が流れていた。

 俺への憎悪をひしひしと感じる。グレイシーからしたら、俺のせいでメリーを撃ちかけた。

 一歩間違えれば、あれだけご執心だったメリーを殺し掛けたのだ。当然と言えば当然か。


 その時、


『――――ア、イカワアァアアアアアアアアアア!!』


 爆発したかのような叫声が轟いた。

 そう、まさに爆発だ。絹の裂くようにとか、天地が裂けるというような、細く鋭い絶叫ではなく、まるで荒れ狂う獣のそれだった。


『ギ、ギルっ!』


 メリーが声を上げるが、俺はそれを手で遮った。


『……メリー、本当にお疲れさん。もう下がっててくれ』

『で、でもっ……』

『お前はもう十二分に役目を果たした。後は、エレンを守ってやれ』


 すっくと立ち上がり、まっすぐにグレイシーを見据えた。

 歯をむき出しにし、怒りで煮え立った目がぎらぎらと俺を睨んでくる。そして、全身から憑かれたような強い凄みが伝わってきた。

 

 ――――だが、負けられない。


 メリーの頑張りを無駄にしないために。

 ここまで来たことの意味を無駄にしないように。



『さて――――後はもう、俺次第だな』



 腰を低くして右足を引いてから、手にしていたサングラスを掛けた。


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