第三十七話:突入
先に火蓋を切って落としたのは、ネブリナ家精鋭達であった。
教会回りを俯瞰出来る位置に配された、傭兵集団の一人。皮切りとなった一発の銃弾は、見事にそれを仕留めた。
教会から離れた
――――作戦は、至ってシンプルなものだった。
突然の襲撃に敵が混乱している内に、三手に分かれて交戦し、敵勢力の大半を抑える。
その隙にフリークチームが突撃し、本丸であるグレイシーを手早く仕留め、他大半を投降させる。いわゆる電撃戦というわけだ。
いくつか想定されるパターンを組んではいるが、動きとしてはおおむねこの通りであり、現場の人間頼りのアドリブ性が強い。
そしてなにより、フリークチームたった数人に重きをおいた作戦だった。
だがはっきり言って、現状においてベストな方法を選んだとは言い難い。そうせざるを得なかった、と言うべきだ。
まず、籠城している傭兵達が見事に死角に潜んでおり、その位置情報が限りなく薄弱としていること。
この点は恐ろしいまでに徹底されていた。グレイシーがここに逃走してから丸一日ずっと人員の隠匿が施されていた。
間違いなく彼女の入れ知恵による対策だった。
そして、もう一つ。ネブリナが周りを取り囲んでいるにも関わらず、教会の中に明らかな増員がなされているのが確認されたのだ。
よって、敵人数の詳細はこれでほぼ不明。ネブリナ家でも特定出来ない隠されたルートがあるのは明白だった。
以上の点で、今一番の問題として現場の情報不足が挙げられていた。
何事にも、情報というものは欠かせない。
情報戦において、実はここまで劣勢であるのは、マクシミリアンやネブリナの精鋭達がお粗末だというわけではない。
籠城という状況を利用し、こちらに最も効果的な手を用いたグレイシーが、一枚上手だったのである。
ただ、マクシミリアンも出来る限りの手は打っていた。
彼が先程言った『一分後』という単語。あれは、単に言葉通りの意味ではない。
狙撃手への射撃許可の合図だったのだ。
マクシミリアンは考えていた。
ネブリナの制圧隊の中に、まだグレイシーと通じている人間が数人はいると。
そして、こうも考えていた。
それを追求することなく、敢えて泳がそうと。
『一分後』という嘘の合図で、かえって相手の混乱を誘えると。
――――始まる前から、既に彼らは心理戦を繰り広げていたのだ。
じりじりと互いを見計らい、何としてでも相手の裏をつこうとする、身を焦がすような応酬が。
結果、ネブリナ家の突入への対応は僅かに遅れる。彼らが施錠された正門を破り終わるのと、傭兵達が姿を見せるまで、小さなラグが生まれていた。
「GoGoGoGo‼」という叫び声が響く。
この籠城戦も、つまるところこの敷地内全体を使った立てこもりだ。すなわち、素早い制圧が求められる。
教会に入れる唯一の門を破った構成員の一人が突入し、他がそれに続く。
教会の敷地にネブリナが乗り込んだ瞬間、彼らに銃弾の雨が襲った。
だが、待ち伏せは折り込み済みで、それをポリカーボネード製の
頭から膝の範囲を十分覆えるほどの大きさで、一見脆そうな透明の薄っぺらい板に見える。だが、知る者こそ知っていることだが、SWAT、Special Forcesといった警察特殊部隊に流通されている代物をそのまま、ネブリナの力で取り寄せた一品だった。
それだけじゃない。その防弾チョッキやヘルメット、彼らが身に付けている対テロ組織用の一式は全て、同様に『快く』譲り受けたものだった。
仮にもマフィアが、警察の装備を着て、世界を恐慌から守ろうとしているのだから、奇妙なものだ。
数度の爆音が鳴り響いた。同時に、白いスモークがこの場を包む。すぐに全てが煙の中に消え入っていく。
ネブリナチームが仕掛けた発煙弾が作動したのだ。これにより、相手の視界を遮断し、被弾を減らす。いくら盾持ちとはいえ、黙って撃たれながら進むわけにもいかない。
彼らは盾で身を覆い隠しながら、それを押し出すようにして突き進んだ。
世界か、弔いか。
二つに一つを決定付ける夜は、硝煙と血の臭いを迎え、ここに始まる。
◆◆◆
『――――うん、了解。今のところ不備はないんだね。うん、うん……取り敢えず、予定通り第二段階にシフトしていくから』
口元に当てた端子に向けて、マクシミリアンはこう返していく。
悠然とした様子のまま、銃声が木霊する教会を見据える。
『ただ、問題があるならこっち……いや、何でもない。取り敢えず、事態の変化があれば連絡してくれ』
相手にそれだけ告げて通信を絶ち、小さくため息を吐いた。
ここまでは、確かに彼の計算通り。思った通りに事は運んでいた。
だが、そんな彼の、唯一の『計算外』が、その視線の先にあったから。
『――――なりませんお嬢様。いくら貴女の願いとは言え、貴女を危険にさらすわけには』
『なによ! あたし一人がそんなに問題なの!? エレンを助けるのにあたしが行かないで誰が行くってのよ!』
決戦間近になって、やかましくもめているのは、ジェウロとメリーだ。
より正確に言えば、メリーが憤然と声を荒げて詰め寄る一方、それをあくまで冷静に受け答えし、寄せ付けないジェウロ。それを我関せずとばかりに黙っているフリークチームとボルドマン。
二人の温度差はどこまでも対極で、このままでは埒が明かない。マクシミリアンは知っている。どれだけジェウロが冷ややかにあしらおうと、わが娘は決して納得しないだろうということを。立場が立場ゆえ、強くは言えないジェウロを、勢いだけで言い負かそうとするその我の強さを。
思えば、こうなることは考えられたはずだった、とマクシミリアンは今になって自分の浅慮を恨んでいた。
彼女が一番大事に思ってきた妹のエレンと、友人であったグレイシーがここにいるのだ。来ないはずが無かった。彼女の性格を考えたら、例えトランクの中に潜り込んででも会いたいと思うに決まっていたのに。
『そもそも、あちらに行ってどうするというのです? まさか、グレイシー=オルコットを庇おうとしていらっしゃるので? ……断言しておきますが、もはや彼女は助けられないのです。この先を考えれば、始末しないといけない、殺さなくてはならないのですよ』
『それくらいは分かってる! ううん、本当は色々分からないことばっかだけど! でも! だからこそあたしは行かないといけないの!! 二人のそばにいたいの! 分かってよバカァ!!』
『しかし――――』
マクシミリアンは、冷静に、静かに一つの想定(ケース)を頭に巡らせる。
つまり、メリーをこのままフリークチームに連れて行かせた時のビジョンを。
しかし、すぐにその考えを捨て去るように頭を振った。
駄目だ。明らかに戦力外。どうしても、グレイシーを討つ邪魔になる未来しか見えない。
例え怪我をしているジェウロかメリーのどちらかを選ぶとしても、自分はジェウロを行かせるだろう。
今回の
彼女はれっきとしたプロの人間だ。わざわざこちらの隙を作れば、すぐさま付け入られる。メリーという
つまり、メリーを同伴させるのは無意味。悪手中の悪手。
ただただこちらのリスクを上げるだけで、何も旨みが無い。
よって、メリーは不要だとマクシミリアンは結論付けた。
『ねえメリー、気持ちは分かるわ。でも、私達を信じてちょうだい、ね? 必ずエレンは助けるから――――』
『信じたから、あたしはギルに裏切られたのよ!? 信じたから、アンタ達から色んなことを隠されてきたのよ!? もうこれ以上あたしを除け者にしないで! 全部を見せてよ!』
カマタリまでもが、とうとういたたまれずに口を出すが、聞き入れない。しゅんとしてしまった彼を横目に、メリーは止まろうとはしなかった。
『それに、あたしだって――――』
『メリー』
だが、マクシミリアンが声を上げたその時、メリーがピクリと肩を揺らした。
ゆっくりと、困惑の目でマクシミリアンを見る。
『わがままは止めなさい。これは遊びじゃないんだ。お前が行っても邪魔にしかならないよ』
マクシミリアンは柔らかく、神経を心地良くさするような声の調子で話しかける。
しかし、今のメリーにそれは通用しない。優しく言って聞くような性格じゃないのは、彼なら知っているはずのことだった。
案の定というか、メリーは父親の言葉に猛反発した。
ジェウロが、呆れたようにため息を吐く。どちらかというと、こんな時まで、娘に対して強く拒否しないマクシミリアンに対して。
『……い、いや! いやよ! あたしも行く! このままギルとさよならなんてしたくない! お願いパパ、あたしも――――』
『――――メリー』
荒げる声に対し、もう一度、娘の名を呼ぶマクシミリアン。
耳にすっと入ってくるような優しい声音で。
普通に、娘と家族の団欒を楽しむ時のような温和な微笑で。
そして――――その時、それまで憤っていたメリーが凍りついて固まった。
『動かないで。――――うっかり掻っ切ってしまうと事だからね』
形のいいその顎の下に、マクシミリアンの手がそっと差し込まれていた。
触れた首の柔肌に、冷たく固い感覚が伝う。
その手には、銀色に眩く光る『何か』が握られていた。
『え、あ……っ?』
誰も、何も出来ないでいた。動けない。
動きそのものは、緩慢な一動作だったというのに。決して避けられないものじゃなかった。
メリーの喉元に近づくその挙動自体は誰の目にも、それこそメリーにも見えていたにも関わらず、あたかも最初から首元に添えられていたかのようだった。
そこに、悪気も殺気も無い。実の娘だというのに、一切のためらいも緊張さえ無かった。
手を、ただ首筋に置きにいくだけ。
それだけで、何者にも反応出来ない得物になる。
『な、マクシミリアン!? 一体何を――――』
『ジェウロ。今は私が、メリーと話をしている。これは、父親と娘の問題だ。黙ってなさい』
一足早く我に返ったジェウロが口を開くが、これをすぐに黙殺する。
息も出来ないくらいに動けないメリーを、じっと見据えて続けた。
『……メリー。もし、お前を連れて行かせたとして。今私の頭の中には大まかに三つの可能性が浮かんでいる』
空いているもう片方の手で、三本の指を立てた。
『一つは、お前を庇った挙句、フリークチームが全滅する未来』
まず、一本。人差し指を倒す。
『二つは、お前の邪魔によって、グレイシー=オルコットを取り逃す未来』
そして、二本。中指を倒す。
『そして三つ。お前が死んで、グレイシー=オルコットを仕留める未来』
最後に、三本目の薬指を折り曲げた。
『これら三つの可能性には、一つの共通点がある。それは、どうあがいてもメリー、お前は死んでしまうということだ。それが遅くなるか、早くなるかの違いだけで、ね』
そして、マクシミリアンはこう続けた。
『私は、お前を愛している。だから、どこの誰とも知れない者に殺されるのは我慢ならない。それならいっそ、私が殺そう。これで万事滞りはなく、世界は守られる……』
『パ、パパ……? ジョ、ジョークよね? そんな、殺すなんて――――ひっ』
首もとに当たる感触が、より食い込まれた強いものになっていく。
『ジョークかどうかはお前次第だよ、メリー。事実、我ながら合理的じゃないかと思うんだ。場違いなんだよ。邪魔となって死ぬくらいなら、犠牲となってくれた方が美談じゃないか?』
『あ、あ……』
先程までの威勢は、完全に立ち消えていた。
根本から折られたと言ってもいい。
――――メリーは自分なりに悩んで、それでも死んでもいいくらいの気概で臨んでいた。
敵に殺されるかもしれないと分かっていても、気持ちは抑えられなかった。気付けば、車のトランク除け者に中に忍び込んでいたのだ。
どんなことをしても、誰からも反対されても、一目でいいからグレイシーに会いたかった。
だが今、それ以前にマクシミリアンに殺されようとしている。
反対されるどころか、まるで赤の他人と言わんばかりに睨まれ、命の危機にまでさらされている。
足がすくみ、動けない。
逃げられない。
――――逃げる? 実の父親から?
重い絶望が、頭の中を黒く塗り潰していく。
『あ、たしは……』
これまで、訳もわからないまま奔走してきた彼女も、もう限界だった。
今度こそ、信じていたものを全て無くした気がした。
『……俺は、メリーも連れていくべきだと思う』
――――この一言がなければ、彼女はこの先、打ちのめされたままだったかもしれない。
存外に近くからの声に驚きながら、メリーは振り返った。
声の主――――拓二は、彼女のすぐ横にいた。
メリーを安心させるように、すぐそばに。
『タ……クジ……?』
『……なんのつもりだい。アイカワくん』
マクシミリアンの手を掴み、まっすぐに見据えている。
『もう一度言ってやろうか? 俺は、メリーを連れていきたいと思ってる。出来ることなら、グレイシーの元に』
『……何故』
マクシミリアンの声には、何の感情も浮かんでいなかった。
まさに無心。一切の彼の内心が感じ取れなかった。
『メリーの存在自体が、アンタにとって予想外の存在だからさ。ネブリナ家のボスで、今回の事件の全体を裏から手ぐすね引いていたアンタの意識の外にあった、唯一の「例外」がここにいるメリーだ』
『……ふむ』
『つまり、アンタでさえ予想外なんだったら、グレイシーにだって予想外のはずだ。当然だよな。普通、ここにメリーを連れてくるメリットなんて無いんだから。度胆を抜かれるに決まってる』
この場の全員の意識が、拓二一人に集中する。
マクシミリアンの耳に当てた端子から、向こうの現場からフリーク達の突撃を促す声が漏れているが、その応対すべき本人は、僅かに興味深そうな色合いを瞳に宿して聞き入っていた。
拓二は、掴んでいた手を離し、続ける。マクシミリアンも、もうメリーに何もしようとしなかった。
『悪手は時に奇手になり得る。土壇場のからめ手が、相手の足元を掬う可能性に俺は賭けたい』
『……屁理屈だな。それではいそうですかと言える現実なんてない』
『屁理屈ってんなら、アンタらの理屈に合わせてやろうか。そのネブリナ家の仁義ってやつに、訴えかけてやってもいいんだぜ』
『…………』
言葉の意味を、マクシミリアンは即座に理解する。
グレイシー討伐の目的は、レッジの魂の慰安、そして裏切り者の制裁だ。
フリークチームを前線に置くのも、それがもっともふさわしい。その名目があってのことだ。
そして、この理屈に沿えば、それ以上にメリーはグレイシーとの交流があった。今となっては、禍根と言ってもいい。
彼女にも、この戦いに参加する資格はある。そう言いたいのだ。
『レッジへの餞だとかなんとか色々言ってたけど、しょせんこんなのただの喧嘩だ。聖戦でもジ・ハードでも何でもない。なんせ
『……デメリットの方が明確な上に多い。危険だ』
そこを突かれると確かに弱いところではある。メリーを参加する資格が無いというのであれば、拓二がここにいる理由に疑義が生まれるのだ。
そもそも、その拓二が拓二自身の存在の疑問を突っ込むのも可笑しな話だが。
『今さら危険を説くのか? 生きるか死ぬか二択のこの状況で?』
『…………』
これが、何も知らない素人の一意見であれば、聞き入れることすらなかった。
『…………』
「…………」
だが、と静かに拓二を見据える。
彼は自分の言っていることの意味を理解している。夢見心地の推量でなく、負うべきリスクを理解した上で話している。
メリーがここにいるということに、何かしらの確信を得ているようだった。
『……君をリーダー代行に任命したのは、言うなれば僕の勘だ』
ふう、とため息を溢し、マクシミリアンは肩をすくめた。
『そんな僕が信じた君の勘を、どうして僕が撥ね付けられようか』
「……!」
『分かった。メリーの意志を尊重し、リーダー代行であるアイカワ・タクジと共に同行するものとする。マクシミリアンの名において、これを認可しよう』
その一言に、場がざわついた。
ばっとメリーが顔を持ち上げる。
そして、信じられないという面持ちで、父親とそばの拓二を交互に見た。
『――――ば、馬鹿な! マクシミリアン、さすがにそれは見過ごすわけには!!』
『決定事項だ』
ジェウロが吠えるようにマクシミリアンに向けて叫ぶ。
が、マクシミリアンは聞かない。
ジェウロは肩をいからせ、自らの立場も構わずに、むべなく退けられてもなお続けた。
『自分の娘を殺す気かっ!? いくらなんでも酔狂に過ぎるぞ!! これはっ、これこそもはやネブリナ家への背信、暴挙で――――』
『――――ジェウロ!!』
マクシミリアンが声を張り上げた。
ここにきて初めて、彼のとどろくような大声が響いた。空気を切り裂いたかのような鼓膜を震わせる音が、叫び声に後続した。
ジェウロはようやく、自分の失言に気付き、すぐさまマクシミリアンに向けて首を垂れた。
『……今のは聞かなかったことにしてやる。〝君の死体をまだ見たくないからね〟。だから、口を慎め』
『……くっ……』
悔しそうに噛みしめているその唇から、苦悶の息遣いがこぼれた。
しかしそれ以上は何も言わずに、ジェウロは彫像のようにその姿勢のままで黙りこくっていた。
『メリー、行きたいか行きたくないか。どっちだい?』
『……行きたい。ううん――――』
重苦しい空気の中、マクシミリアンはメリーに尋ねる。
メリーは、凛とした声音でその問いに答えた。
もうその答えに、怯えは無かった。
『――――行かせてください、お願いします』
自分が場違いであることも、自分勝手であることも、戦力になり得ず無力のまま殺されてしまいかねないことも承知した上で、彼女はそれでも変わらなかった。
言い目をしている。マクシミリアンを見据える目は、透き通っていた。
そして、静かな力が宿っているように見えた。
『よろしい……アイカワくん』
そして、次に拓二に視線を向ける。
メリーのそばにいる彼は、迷いない目をしていた。
覚悟をし終えた者――――『道』を決めた者が持つ、穏やかと言ってもいい目つきだった。
『ほら、これはあげるよ』
『?』
その彼に、『ある物』を放った。
タクジはそれを受け取り――――そして苦笑した。
『……本当、食えないやつだな』
それは、先程までマクシミリアンの手元にあって、メリーの首元に迫っていた代物の正体。
それは、鋭利なナイフでも先が尖ったコックピックでもない。
……なんと、銀製のお子様スプーンが、拓二の手の中にあった。
メリーも、ここにいる全員も、それを見て目を丸くしている。
『……ユーモアが足りないんだよな、アンタは』
『エレンにもよく怒られてるよ。元来口下手なんだよね』
『よく言うぜおい……』
『メリーも、さっきはすまなかったね。まさかあんな驚いてくれるとは』
『……ま、ままままったくよっ……ま、まあ? あたしは気付いてましたけど? そんな子供だましくらい』
『ははは、そうだね』
――――こうなることは、完全に彼にとって計算外だった。
マクシミリアンにとっては、今まで画策してきたものを、積み上げてきたものを、最後の最後で崩されたも同然なのだから。
マクシミリアンが作った安全な『道』を、悪く言えば踏み外そうとしている。
メリーがいなくても、結果は変わらないかもしれない。むしろ、悪くなる可能性の方が多い。
なら何故行く意味があると考えるのは、当たり前だ。拓二の言い分は、何も知らない素人の感情論と大差ない。
メリーを連れて行くのは、やはりどうあがいても合理的ではない。
しかし、それでも。
目の前に並ぶ子供達二人は、確かな力を背負って、ここにいるのだ。
それを止める権利はあっても、道理は無かった。
『……娘は頼んだよ、タクジ』
『――――ああ、分かった』
拓二は、迷いない語気で、簡潔にただこう答えた。
◆◆◆
『……言いたいことがあるなら、今がチャンスだよ。ジェウロ』
向こうの教会を仰ぎ見ながら、マクシミリアンは傍に控えるジェウロに話しかける。
この場には今、彼ら二人とボルドマン、そしてベッキーが寄り添うようにマクシミリアンと手を繋いでいた。
フリークチームは、教会へ向かった。今頃、門をくぐって建物内に入ろうとしていることだろう。
ベッキーは流石に戦闘に不向きということで、参戦せず留まっていた。
『……私は、何も』
『今は僕たちしかいない。さっきとは違う。この一瞬上司と部下でなく、〝まだお互い同期として「マクシミリアン」の座を巡ってしのぎを削っていたあの頃みたいにさ〟』
そのマクシミリアンの言葉に、わずかに身体を動かしたジェウロ。
ずっと膝をつき下げていた頭を持ち上げる。
そして、何か物申そうと口を開いて――――一瞬の逡巡の後、また口を閉ざした。
先程の失言は例外として。
これが、彼我の格の差を寡黙に物語っていた。
『…………』
ちらりと、寂しげな笑みを浮かべるマクシミリアン。
ジェウロの様子を横目に、シガレットを口に含んだ。
『……何故僕が、こうもタクジを信頼しているか。贔屓紛いなことをしているか。きっと真の意味では誰にも理解されないんだろうね』
独り言をぼやくかのような声に反応して、ベッキーが不思議そうに彼を仰ぎ見た。
その頭を、軽く撫でてやる。少女はこそばゆそうな笑い声を上げて身じろぎした。
『言うなれば……僕とあの子は同じだからだ。同じものを共有した、同類。選ばれた人間なのさ』
『……?』
『似たようなことを何度か言ったことがあるんだけどね。君には』
もう一度、吐息を溢しつつ小さく目元を下げ口角を吊り上げる。
そして、教会から背を向けるようにして身を翻した。
『マキシーおいたん。どこか行っちゃうの』
『ちょっとね。最後に仕事が残ってるんだ。ベッキー、いい子にしてるんだよ』
『うん』
最後に子供に言い聞かせるようにその小さな頭を撫でて、はたとボルドマンに向き直った。
ネブリナ家の言う家族よりも、濃い関係にある彼に。
彼は、今なおBGMのように銃声吹きすさぶ戦場をじいと眺めていた。
『……先代、ジェウロを置いておきます。こちらの方の後処理をお願いいたします』
『分かった。「あの娘」が残した二人の未来を、救っておくれ』
『ネブリナの名に誓って』
それだけのやり取りを交わし、マクシミリアンは戦場から立ち去る。
ボルドマン達がいたところからも遠く離れた。
用意されていた車まで近づいたところで、一度だけ元来た方向を見やった。
『……見てるかレッジ。……これが、お前がいなくなった後の世界だ』
その声を拾う者はどこにもいない。
そよ風に乗って、夜の帳に呑まれてしまった。
『こんな時こそ、お前がいてくれたらと思うよ。心の底から』
そう言う彼の顔は、誰の目にも映らない。
どんな表情で、何を思っていたのか、それは誰にも分からない。
◆◆◆
教会内部、それも奥まった位置にある礼拝堂の部屋。
その部屋は、簡素な作りをしていた。
やや深い縦長の構造の中に、簡素な木製の長椅子がずらりと並べられ、その脇に支柱がいくつも突っ立っている。よく見ると、微細なバロック様式の装飾が凝らされている。
そして、奥に内陣と言われる段差と腰くらいの丈の柵で仕切られた祭壇があり、そこに二人の人影があった。
真上の天井にあるステンドガラス越しの光に照らされた、その影のうちの一つは、祭壇のそばに転がされて動かない。
子供特有の、小さい体躯。後ろ手で縄で縛られて、身じろぎ一つ出来ないようにされているようだ。
もう一つの影は、その祭壇に腰をおろし、静かに天井から漏れる月明かりに目を向けていた。
美しい月光に、銀の髪がなびく。
周囲から聞こえる銃声にも、まるでどうでもいいとでも言うように。
じっと、月を見ていた。
『……お父さん』
祈るように、胸元に秘めた十字架のネックレスをそっと握りしめた。
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