第三十六話:決戦準備

 夜気に当てられて冷えた微風が、頬を掠める。

 月明かりの下、凛とした空気が降りた夜。図ったかのように張り詰めた帳が、スーツ越しのこの身を引き締める。

 |地上(カモフラージュ)のカジノは今晩に限り既に閉めきっていて、辺りはおそらくこれからもう金輪際無い静寂に包まれていた。


『……乗れ。しばらくすれば出発する』


 その表の駐車場には、数十台のスモーク張りのワゴン車が隙間なく並んでいる異様な光景が広がっていた。見かけたら思わず見なかった振りをしたい位に雰囲気が怪しすぎる。

 その中でも一見普通の黒塗りのベンツ(ベンツが普通かと問われれば、それはさておき)に俺は連れられた。

 

 ただ、俺をこの車に誘導した人間というのが……。


『……あのさ、アンタ怪我はもう良いわけ? ジェウロさん』

『いらん気を回すな』


 グレイシーに深い怪我を負わされ、安静中のはずのジェウロが、何故かここにいる。


『いや、でもなあ……』


 足にはあの時の爪痕を覆い隠すように包帯が巻き付けられている。

 まだろくに歩けないはずだ。それなのに、無理をさせるわけには────

 

『早く乗れ』

『……うっす』


 それ以上言えば殺すと言わんばかりの強い眼力で睨め付けられ、口をつぐんでしまう。身体中から迸る圧力が痛い。

 それも、俺が勝手に感じているだけなのかもしれないが。

 というのも、俺には負い目がある。つい昨日、銀行で会った時に、知らなかったとはいえ色々言った挙げ句、思い切りぶん殴ってしまったから。 俺がジェウロを裏切り者だとしばらく誤解することも、マクシミリアンの計画のうちだったのだろうし、気にしすぎなのかもしれないが。


『何だ、アイカワ』

『……いや、なんでも』


 結局、頭を振って勧められるままに車に乗った。

 正直に話してもよかったが、ジェウロにはそれこそ余計なことをと振り払われる気がしたのだ。

 別にジェウロと友達になろうだの考えているわけでもなし、エレン救出のため一時的に共同戦線を張っているだけに過ぎない。

 今は、それどころじゃないから。


 ────確かに人が死ぬ戦地へと向かおうとしているのだから。


『やあ、一昨日ぶりだね。無事会えて何よりだよ』


 車には、意外な先客がいた。

 白い髭をたくわえ、杖を片手に柔らかな微笑を絶やさない老紳士が、当たり前のように座っていた。


『ボルドマンさん……?』


 メリーやエレンの祖父であり、ネブリナ家の象徴的存在。


 目を丸くしながらも、確かめるようにその老人の名を挙げた。

 すると、彼もいつものように朗らかな笑い声で返した。


『ほっほっほ。まるで場違いだと言わんばかりだね』

『あ、いや。そんなことは』


 すっかり忘れそうになるが、こう見えて彼は、『あの』マクシミリアンの先代なのだ。

 今は拳銃や武器の代わりに杖と帽子を身につけ、傍観者の立場を明らかにしているが、時期が時期なら、彼もこうした抗争にもっと積極的に加わっているはずだ。


『ただ、意外だっただけです。隠居した人間だと、ご自分でおっしゃってらしたでしょう?』

『よく覚えてるね。確かに、私はそう言った』


 車に乗り込み、ボルドマンの向かいに腰を落とす。

 そんな俺に、表情を引き締めて頷いてみせた。


『……しかし、今回は例外だ。我が愛しの孫娘がさらわれただけではない。その首謀者が手塩をかけて育てた愛弟子の一人なのでね』

『…………』


 グレイシーは、ボルドマン直属の秘書を任じられていたと聞く。その個人的な思い入れは、メリーと負けずとも劣らずに違いない。

 また彼女も、昨夜、まだ裏切り者と発覚する前、ジャッカルにボルドマンのことを侮辱されて怒っていた。二人が決して、信頼関係を損なっていたというわけではないはずだ。


 彼の言葉を聞いて、改めて、グレイシーが現在とんでもなく多くのものと相対していることに気付かされた。

 メリーだけじゃない。彼女は今、ネブリナ家全体を敵に回している。

 先程の集会にも、百人近くの人間が集まっていた。同情でもしてしまいそうなくらいの数の人間が。


 これは『掃討戦』であって、抗争なんかじゃない。虫の駆除となにも変わらないのだ。


 今さらになってそれだけのことが分かって考えるのは、『グレイシーが何故裏切ったのか』という疑問。

 部外者である俺ですら、あまりにも釣り合いが取れなさすぎると感じる。グレイシーであれば、俺以上に捨てるものの大きさが分かるはずだ。


 それでも敢えて、ネブリナ家に仇なすことになってしまった理由とはなんなのか。

 ……いくら考えても、納得できる答えは出ない。


『お待たせしました。まもなく発車いたします』


 その時、ジェウロが運転席に乗り込んだ。

 

『……運転、出来るのか?』

『いらん気を回すなと言ったろうが』

『でも……』

『まあまあ、アイカワくん。これくらいジェウロにはどうってことない。その心配は自分に向けたまえ「リーダー代理」さん』


 にこやかに、そんな皮肉を飛ばしてくるボルドマン。

 ついでに運転席からも、冷や汗が出そうなくらいのガンを飛ばしてくる。


『……文句なら、俺じゃなくマクシミリアンに言ってくれよ? ジェウロさん』

『文句ではない。反感だ』


 何か、久々に聞いたなそのフレーズ。

 相変わらず、ボスの言うことでもずけずけと。


『まあけど、ジェウロの言うことも一理ある。そういう声は組織のなかでも大きいから』

『あー……だろうなあ』


 分かりきってたことだ。

 いくら限定的とは言え、マクシミリアン直々の客人とは言え、俺みたいな新参を堂々と押し上げすぎだ。それも、前線の立役者なんて。贔屓と言われても否定出来ない。


 ────他の誰でもない、君こそが、彼女に直接ケリを着けるんじゃないかって、そんな予感がしてるんだけどね


 ……あいつの考えが分からない。

 まさか、あの言葉が本気だったわけでもあるまいに。


『もしかしたら、グレイシー達傭兵集団に紛れてウチのものに殺されるんじゃないかね。ほっほっほ』

『笑えないっすよ』

『それを考慮して、特別に貴様だけこの車に同乗させたのだ。有り難く思うのだな』

『おい、ジョークにもならないのかよ……』 


 知らぬところで命の危機だったのか、俺は。


『……頭目、出発いたします』 

『ああ。よろしく頼むよ』

『安全運転で頼む……』

 

 エンジンを吹かせ、鈍い唸り声のような音が響き渡る。

 俺達を乗せたベンツは、全ての決着の場へと向かい始めた。



◆◆◆



『場所は、グラストンベリー郊外にある修道院。田園に囲まれた田舎町の、小さなものだ。そこを根城に、グレイシー達は立てこもってるそうだよ』


 揺れる車内の中、ボルドマンがこれからのことについて俺に話していく。俺と同じ車に同乗することになったのも、このことをマクシミリアンから頼まれてのことらしい。


『数は確認してるだけでも四、五十人。でも、どうやらあちらも戦力を集結させているみたいだから、ここはまだどうなるか分からないね』

『勝てるんすか?』

『人数だけならね。でも、問題は相手がグレイシーであることだ。こちらが相手の集団のことをよく知らない一方、こちらのことは向こうに筒抜けだろう。|割りに合わない(ピュロスの)勝利になりかねないね』

『何か、作戦が?』


 訊くと、ボルドマンはあっさりとした口調でとんでもないことを口にした。


『あるよ。────君達フリークチームが特攻して、グレイシー本人を真っ先に討つことだ』 

『お、俺達次第すぎないか!?』


 あまりにも作戦と呼ぶには曖昧な作戦を展開しようとしていること、そして、思っていた以上に事が重大だということに驚愕した。

 それもそうだろう。逆に言えば、俺達がどうにかしないとこの掃討戦は失敗すると言っているのも同然だ。

 それこそ、ピュロスの勝利になる可能性。あるいは、エレンを救出できず、グレイシーを取り逃がす可能性。それらは絶対にあってはならない事態だ。ここで負けると言うことは、イギリス発の世界恐慌を引き起こし、ネブリナ家は滅亡の一途を辿るはめになるのだから。


 そして、当然俺も無関係では済まない。

 もしそうなれば、その原因となったフリークチーム及び俺に対して、ネブリナ家の人間の報復が来るのは必至。グレイシーに向けられていたはずの矛先は、今度は俺へと向かう。


 とどのつまり、グレイシーを倒さなければ、俺達はみな共倒れなのだ。


『だからだよ、我が息子の指針を疑問視している者が多いのは。いくら君の尽力を聞かされたとしても、マクシミリアンがやってきたことに狂いはなかったとしても、前例がない。今もせっせと他幹部達を説得中だろうね』

『い、いくらなんでも無茶振りというか、とんでもない話過ぎだろ!? 何で一介の高校生の俺にそこまで……!』


 眩暈がしそうだ。俺がムゲンループ以前の、『本当に』ただの一介の高校生であったなら、とっくに胃の中のものすべて吐き散らかして発狂している。その方が、いっそ正常なのかもしれないが。


 そして何より、マクシミリアンは何を思ってこんなことを実行しようとしているのか。

 血迷った、錯乱している、我を忘れている、という言葉を並べるのはたやすいが、事はそんな簡単な言葉にし尽せる状況じゃない。

『live or die (生きるか死ぬか)』の大博打だ。しかもそんな鉄火場に持ち込んだ算段が、よりにもよって俺ときたもんだ。

 あいつ……やりやがったとは思っていたが、そんな言葉ですら生ぬるい────『やり過ぎやがった』。


『それは、マクシミリアンに訊いとくれ。息子の考えていることは時折、私にも分からないことがあるから。正直、私も納得しかねるところはある』


 俺の言葉に、ボルドマンは肩を竦めつつ首を振った。


 ネブリナ家の行く末が、俺達の肩に掛かっている。

 乗せるには、あまりにも重すぎる『全て』が。


 考えるだけでもぞっとする。

 喉と舌が渇く。滲み出る脇汗が気持ち悪い。


 あたかも自分の心臓の鼓動が、死刑台を上るカウントダウンであるかのような。

 あたかもこの車が、三途の川を渡る船のような。


 その一方で、どこか冷静な俺の内面が、今更すぎるだろうと呆れる。 


 ……言わないでくれ、そんなこと。

 分かってる。今ちょうど後悔している最中だ。

 過ぎていく一分一秒が憎い。突然世界中の時が止まってしまって、今すぐここから逃げ出したい。


『あ……お、俺は……』


 いつしか膝が震えている。止まらない。

 

 これほどまでの重圧を、俺は────。



『────アイカワくん、手を……指を見せてくれたまえ』



 その時だった。


 穏やかでありながら、はっとさせられるようなその声に反応して、ボルドマンを見る。


 彼は、静かに俺を見ていた。現状にそぐわないくらい、静かな灰色の瞳が俺を見据える。


『指を、見せてくれないかね』


 もう一度、念押すように彼は俺に呼びかける。

 俺は、黙ったまま、ボルドマンに両手の指の先を見せた。

 

 ────小さな刺し傷がある、その指十本を。


『……「血の掟」。君は、その意味を分かっているのかな?』


 知っている。俺はこくりと頷いた。


 それは、マフィアのメンバーになるための誓い。

 互いの親指に針を刺し血を流して、それを重ね血が交わることで、一族に加わったとする儀式であり、マフィアの十戒と呼ばれる十の誓約を象徴する証だった。


 十の誓約には、仲間内での不倫、信頼を削ぐ行為への牽制、マフィア内での素行を主とした内容がある。

 だが、それ以上に象徴的な意味合いとして、兄弟で酌み交わす盃同様、両者の絶対的信頼を示すものでもあるという。


『私は、マクシミリアンが過去に血の掟を交わした者を全て知っている。レスター=バレッド、グーバ博士、そして────』


 そっと鼻歌を口ずさむかのように、ボルドマンは告げた。


『────グレイシー=オルコット。以上三名だ』


 俺の両手を、彼の両手が柔らかく包み込んだ。

 温かく、そして年季の入った大きな手。それに包み込まれた手から、血が巡るような感覚がした。

 不思議な気分だった。全身の緊張が、ゆっくりとほぐれていく。


『そして今日、君で四人目になる。四、五年ぶりだろうか、この傷を見るのは……』

『……そちらの運転手さんは?』


 なんだかそれがくすぐったくて、思わず口を開いた。

 

『ほっほっほ、ジェウロは既に私と血の掟を交わしてるからね。マクシミリアン同様、私にも、家族の信頼を分かち合った者が何人もいる。その意味は、ネブリナ家の誰よりも知ってるつもりだよ』


 そして、と言い繋いで、彼は続ける。


『マクシミリアンが血の掟を交わしたということは、そこに必ず意味はある。私には思いもしない意味が。だから、思いもしない重責に不安がらず、君は君の為すべきことをすればいいんだよ』

『為すべきことを……』

『ああ、そうさ。私と初めて会った時────ミス・リュウゲツと見せた君自身の手腕を見せておくれ』


 その言葉を聞いた瞬間、目が覚めたかのような心地になった。


 ────そうだ、思い出した。

 思えば、俺のこの四日間はずっとこうだったじゃないか。

 

 飛行機でジェウロとエレンに会ったこと。


 ハロッズでボルドマンに未来に起こる世界恐慌について話したこと。

 

 レッジと銀行へ向かい、そこでジェウロと命を張って闘ったこと。


 エレンを乗せた車に、発信機を付けたこと。

 

 グレイシーやフリークチームと出会い、検問に扮した敵を倒し、そしてそのグレイシーが裏切り者だと断じたこと。


 そのどれもが、無くてはならないものだった。

 それら一つ一つが、俺の潜り抜けた死線であって、リスクを伴いながら俺が成功してきた『道』。その延長線が、今なのだ。

 ────ならば、これからやろうとすることと一体何が違う? グレイシーとの対決は、いわば俺が今までやってきたことの集大成だ。


 今まで何度も死を覚悟した。何度も失敗するかと思った。


 だが結果として、それらを何とか切り抜けてきたのは────俺自身の力なのだ。

 なら、今回だってきっとうまく行く。確証は無くても、根拠はある。

 

 必ず、俺の『道』は途絶えない。


『……ありがとうございます。目が覚めました』

『ふふふ、そうかい。ならよかった。やはり君は聡明な子だね』


 もう大丈夫と言うように、ボルドマンがそっと手を離した。

 両手を引き戻し、胸の前で力強く握りしめる。


『……マクシミリアンに言いたいことは腐るほどあるけど、あいつが出来ると考えたのなら、俺はやります。それが俺の「役目」だと思うから』

『うむ、そうだね。頑張りたまえ』


 絶対に、と小さく日本語で呟いた。


 窓の外は薄暗く、ガラスに映った俺の顔は、心なしかはっきりとした輪郭を伴っているように見えた。



◆◆◆



 一時間後、着いた先は先程話した通り、片田舎の教会だった。


 正確には、目的の教会から数百メートルは離れた道中で、この黄昏時の薄闇ではそこから教会を視認することは難しかった。ようやく目が慣れてきた時、白い建物の形を捉えた。


 小さいと聞いていたが、俺が考えたものよりもスケールは大きく、敷地が広い。おそらく、ご丁寧に門と取り囲むような壁があり、敷地内には豊かな木々が高々と生い茂っていた。


 教会の周辺は緩やかに起伏している丘陵で盛り上がっており、囲うようにして田園が広がっている。

 聞こえてくるのは、虫のさざめきだけじゃない。何十匹もの大きなカエルが合唱するかのようにやかましく鳴いている。

 開けた場所だ。死角がないわけではないが、よく注意を凝らせば、木立の隙間から向こうからこちらの位置は見えてしまうだろう。

 

『既に行動開始しているようだね』


 先に車から降りたボルドマンが、教会の方を見て呟く。

 俺もその視線の先を追ってみたが、何の変哲もないただ普通の風景があるだけだった。

 

 俺は諦めて、自分達の周囲を見回した。

 先着したネブリナ家の車は三台だけで、他の先に出発していたはずの車は見当たらない。

 当たり前か。どうやっても目立つし。


 この場に残っていたらしい構成員が、あちこちで声を上げている。

 教会近くに攻めこんだ人間と、無線で連絡を取り合っているのだろう。


「はあい、相川ちゃん。調子はどうお?」

「アンタは……」


 ここでは珍しい日本語で、野太い声が掛けられる。

 カマタリだ。


「アンタも、ここに来たのか」


 少し驚いた様子で訊いてみる。

 カマタリは、正確にはフリークチームの一員ではない。だから、ここに来たのは完全にカマタリの意思ということになる。

 一体何を思って、こんなところまで来たのか尋ねてみた。


「まあねん。ちょっと色々あって」

「ふうん。他のフリーク達は?」

「ベッキーとジャッカルは、一休み。ミランダ……今はポリーだけど、ほら、あそこ」


 それだけ言って、指である一点を指し示した。

 その方向に視線を移した。


 そこには、赤毛の女と話しているマクシミリアンの姿があった。



『────でも、コウタロウがうるさくて拗ねてましてー……』

『うーん、しょうがないな。全部終わったら、何か日本のアニメで欲しいものを買ってあげようかな。よかったら聞いておいてね』

『はあーい。……それで、ですねー。頼まれてた件ですけどー』

『ああ、どうかな? いざという時に』

『「アレ」は……他の皆がいないと暴走しちゃいますからー、あんま出したくないっていうか、最後の手段くらいに考えた方がー……』

『無理なら仕方ない、前向きに考えてみてくれ。……っと、そろそろ始まる頃合いだ。ベッキーとジャッカルを呼んできてくれ』

『はいはーい』

 


『アイカワくん、間もなく時間だ。準備を頼むよ』


 俺の視線に気づいたマクシミリアンが、俺達の方に近づいて話し掛けてきた。

 頷き返して、それに応じる。


『分かった』


 たったそれだけのやり取りだった。それで何もかもが通じたような心地がした。

 マクシミリアンは、ほんの数秒俺の顔をじっと見続けた後、すぐに忙しそうにしてさっさとどこかへ行ってしまった。そして、違う構成員の者に話し掛けている。

 

 その様子を見ていると、カマタリが唐突に口を開いた。


「……あたしねぇ、これで後腐れなくなったら日本に帰ろうと思うの」

「え?」


 まるで独り言のようなトーンだったせいで、俺に向けた言葉だと気付くのに一瞬を要した。

 振り返って彼を見やると、照れたように小さく苦笑を浮かべている。


 そして、その大きな手が俺の頭にのしかかった。

 どうやら、撫でられているようだ。手がでかいから、鷲掴みでもされるのかと思った。


「お店も壊れちゃったしねぇ。日本の知り合いに、何度か小さい空きテナントを借り受けないかって誘われてて。そこでまたお店を開こうかなって」

「お店? 『the workplace』みたいなクラブか?」

「いいえ。今度はねぇ……猫カフェってどうかなって」

「猫カフェか。そりゃまた大変そうだな」

「かもねぇ。でも、あたし猫好きなのよ、特に野良猫がね」


 頭を撫でていた手を降ろして、抑揚のない会話が続く。

 戦闘前なのに、と思わなくもないが、これはカマタリなりに俺を気遣って励ましてくれているのかもしれない。


「ね、相川ちゃん。あなた良かったら、ウチで働かない?」

「遠慮するよ。俺は犬派なんだ」

「あら、残念ねぇ……相川ちゃんなら即採用したげるのに」


 そこは本当に残念そうな顔をしてみせるカマタリ。

 だが、すぐにそのごつい顔を綻ばせ、にっこりと笑顔を浮かべた。


「……うん、血の掟の時よりも良い顔してる。さっきまで、ちょっと心配だったから」

「そうか? ……ボルドマンさんのおかげかな」

「あー、なるほどね。それで……」


 ボルドマンの方に視線を向ける。

 彼は今も変わらず、遠くの教会をじっと眺め、何か思いを馳せるかのように静かに佇んでいた。


「あの人も、凄い人よ。マクシミリアンとおんなじくらいにね」

「……そうだな」

「そんな凄い人達に目を掛けられてるんだから、あなたも十分大したもんなのよん? それに、相川ちゃんからも、二人と似た空気を感じるもの」


 ……似た空気、なあ。

 

 肯定も否定もしようがないというか、喜ぶべきなのか反応に困る彼女なりの主観を聞き、思わず苦笑いしていたその時だった。


『おーい、坊っちゃん! カマの字よぉ!』

『ふぁふ……ねむん』


 ジャッカルとベッキーに声を掛けられた。

 その後方で、ポリーが二人の背中をぐいぐいと押している。

 どうやら二人とも寝起きらしく、ベッキーに至っては寝ぼけまなこをこすっている。本当に最後まで気が抜けていると言うか何と言うか。


 とはいえ、ジャッカルは二度も撃たれているし、ベッキーはまだ幼い子供だ。昨日のことがあった以上、本来なら休んでこの場にいなくてもおかしくはない。

 なのに、彼らはここにいる。カマタリと同じく、この戦地に臨んでいる。

 一体何が、彼らをそうさせるのか。


『いや、もう坊ちゃんじゃねえか。なあリーダー代理殿? きひひひっ』

『アンタ、具合はもういいのか?』

『あー? 具合悪いっっつえば、仮病でもさせてくれんの、センセイよ? ひひっ』

『ジャッカル、止めなさいって』

  

 粘っこい口調で絡んでくるジャッカルを、カマタリが制する。

 それに少し機嫌を損ねたような渋面を見せた。

 

『んだよ、おカマちゃん。テメエもボスのやり方に賛成ってクチか? こんなガキに命預けてもいいってのか?』

『マクシミリアンが考えたことですもの、きっと何か考えがあるに違いないわよ』 

『けっ、どうだかな』


 その醜いと言っても過言ではない顔をぐいと突き出し、告げてくる。

 警告というよりも、脅しかけるように。


『おい坊っちゃんよ、上からの命令だから俺たちゃアンタに命預けねえといけねえ。渋々な。社会科見学しようってんじゃねえんだぞ、そこんとこ分かってんだろなあオイ』

『…………』

『いいか? もしテメエが役に立たねえただのサンバ野郎だったりしたら』

『俺は、十分役目を果たしてきた。今までも』


 ジャッカルの言葉を遮り、俺はこの場にいる全員を見据える。


『────そしてこれからもだ。……昨日のことを振り返って、それでももし俺が気に食わないって言う者がいるのなら、この場で申し出てくれ』


 ……誰も、何も言わない。


『……オーケー。もしこの戦いが失敗に終わったら、俺のことを好きにしていい。責任は俺が取る』

『……吹くじゃねえか。後悔すんじゃねえよ』


 ジャッカルが、俺を恨みがましい目で睨んでくる。

 大方、あまりこき下ろせずからかいがいが無いとでも思ったのだろう。


『後悔はしない。俺はレッジに託されたことを為すだけだ。アンタらだって、そうなんだろう?』


 レッジの遺書にあったことを、俺は思い出していた。

 フリークチームは皆、それぞれ一人一人が好き勝手していたところを拾われた身の上の者ばかり。レッジの元に寄せ集められた集団で、レッジに生かされていたという確かな恩義がある。


 つまりは、そういうことなのだろう。彼らが俺に疑問を持ちながらも、それでもここに来た理由はこれだ。

 

 ────彼らは確かに、レッジの部下だったのだ。


『もう一回言う。昨日の俺は、マクシミリアンの計画の一要素で、レッジに色んな物を託された俺だ。アンタらの上司が信じた俺を信じてくれ』

『そうよそうよ! ここまで来てグダグダ言っても仕方ないでしょ! やることやればいいだけじゃない!』

『その通りだ。だから必ず、俺が、いや俺達がエレンを────ん?』


 思わず、聞き流してしまうところだった。

 今、この場にいてはならない合いの手が聞こえた気が────?


『タクジがやるって言ってんなら、あたしらはそれを支えるしかないじゃん!』

『……え?』


 そして、呆気に取られた。

 何時の間にかこの場に混じった『彼女』を見て────俺もカマタリも、フリークチーム全員が口を開けて絶句した。

 無視できるはずの無い、この場に一番在り得ない存在を、俺達はそこでようやく確認した。


『な、なんで、お前……』

『────フリークチーム諸君、もう一分後には始まるよ……って、あれ?』


 マクシミリアンが、俺達の元へやって来た。ボルドマンも一緒だ。

 

 そして、彼は驚いたように目を丸くしてこう言った。  



『────どうしてメリーが、ここにいるんだい?』



 その時、遠くの方から銃声が響いた。

 深く濃い木々の隙間から、慌てた風に鳥の影が飛び立って散らばっていく。

 

 銃声は鳴り止まない。間髪入れず、次々に爆竹のような爆ぜる音が連なっていく。


 あれは、戦場が展開しているその真っ最中の音だ。



 ────終焉を迎えるための決戦が、幕を開けた。




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