第六章 太陽は萌えている
「……ここって、犬か猫、飼ってると思う?」
「さああ……どうしてえ? 見たの?」
「なんていうのかな、神社の奥のほうにヨタヨタ歩いてくの。犬かどうか、わかんないけど」
「ああ、お賽銭箱とかあるトコ」
そうそうと、ぎこちなく素足の正座を組み替えると、良子は落ちつき無く室内を見まわした。
東向きの窓が
すみきった朝の夏空は、淡く重ねられた水彩画だった。
石畳をはさんだ
その和室に、良子と菊花はもうかれこれ、人気恋愛ドラマの結末を十通り予想するほど待たされている。
「せっかく染めたばっかなのに、あんだけ雨に打たれてさ……。心配だから電話したら、また時間あるときに直してくれるって」
「
「そう? もともと菊花の紹介じゃん」
「なんだけどさ……。遅いねえ『かぐや姫』の人」
「それ、オフレコでおねしゃす。ま、予約して来たワケじゃないし」
「けど向こうが来てね、って言ってたのよ。良子はあんまり、覚えてないかも知れないけどさ」
境内の参拝客はまばらで、さほど忙しそうは見えない。
社務所の売り場では、
正座のままで腕をうんと伸ばし、生あくび。
良子は白のノースリーブにカプリパンツ、菊花はキャミソールにスカートという涼しげな格好だが、両者とも和室にはいかにも不似合いである。
たいくつのあまり、またも足を組み直そうと、身じろぎしたとき。
前触れも無く――す、と襖がひらいた。
あかるは襖の開け閉めに、白足袋のつま先を立てて正座し「お待たせして、申しわけない」とそっけない挨拶をすると、丁寧に畳へひざをついた。
無言。
思いだしたように、本殿の裏でセミが鳴き始めた。
良子は、中途半端にしていた足を組み替えると、その勢いで口をひらき、
「ここ、涼しいですね」
「そうね」
お見合いのような静寂のなか、セミの輪唱がやんだ。
(なぜに無言だし……)
来客は堅い顔で座す巫女を眺めた。
思いつめた表情から外した視線を、気まずく窓の外に振り向けると、参拝客はすでに無く、境内は静まりかえって、本殿の背後にはヤマカエデの木立が陽光に照り輝いている。
と、また襖がひらいて、先ほどまで売り子をしていた老神主が、盆をかかえて入ってきた。
「こんにちは、腰が悪くてね……この格好で失礼しますよ。あかるのお友だちですか?」
「え……あ、はい」
「はいはい、そうですか、珍しいことだ。あかるのおじいちゃんです。これ、ちょっと食べてて。いま家内がお茶をいれてるから」
菓子が満載の編みかごを置いた老神主は、岩のような肌つきで、落ちくぼんだ目もとがクリクリと憎めない。頭髪は白いが血色のよい、七十歳ばかりの元気そうな老爺である。
「いま、家内がね、お茶いれてるから。もうちょっと待ってて」
大事な事でもないのにもう一度言うと、襖を開けたままで退室していった。
クーラーのない社務所のなかでは、開け放しのほうが都合がよいのだろうが、これから「こみいった相談」をする身には、いささか不都合であった。
「三度も違うのよ」
「え……?」
来客は、二人同時に疑問声を発していた。
あかるがなにを言ったのか、わからなかったからだ。
だが、部屋の主は沈黙を拒むように、せきを切って、
「この境内はほとんどが石づくりだし、後ろには森も広がっているわ。だから測候所と比べると、平均で三度も涼しいんですって。今日は確か三十度の予報だから、最高でも二十七度ということになるかしらね」
「……ああ、それでこんなに過ごしやすいんですね、森の風も入ってきて気持ちいいです」
ようやく会話がつながった喜びで、良子は大きく息を吸ったが、
「耳が遠いのよ」
「は……」
また、わからない。
どうもあかるは、主語を省略して話すクセがあるらしい。
菊花が小さく手を打ち、会話を引きとって、
「あのお、おじいちゃんのこと? 耳が遠い、って」
「そう。年相応に耳が悪いの。だから心配無用、なんでも話してちょうだい」
「あ、そゆことですか」
良子は板張りの天井を眺めた。
ここ数日来、頭上を占めている、疑問の群れを見つめているのだ。
鎮守の森のこと、変態呪術師のこと、あかるのこと。聞きたいことは山ほどあったが、ともかく一点――最重要なのは。
横にいる友人と顔を見合わせると、決意をにじませた顔でたずねた。
「どうしても、確かめておきたいことなんですけど……」
「良子、やっぱり私が聞いてあげるよ」
珍しく言いよどんだ良子に代わって、菊花がひざを乗りだし、
「あのお、あなたは、その……制服のときはメガネなんですか?」
「そこからかい!」
「それが、どうしても聞きたいことなの?」
総ツッコミを浴びた菊花は、意外そうにポカンと口をあけたが、しかし、あかるは、白い頬をほころばせ、
「ふふ、そうね、でも。やっぱりそこからよね。では改めまして、照峰あかる、です。
「私は一年で、蒼井菊花です。こっちは同じクラスで柊良子、小学校からいっしょです」
「ありがとう、よろしくね。それで、質問というのは?」
良子は、なかば目をつぶって、意を決した。
「はい、あたしのことなんだから自分で聞きます……。あの、あかるさん、あたし、オオカミ男なんですか⁉」
「男には見えないけど」
「や、違います。みたいって、よく言われますけど」
「それじゃあオオカミ女じゃなくて?」
「やっぱりオオカミ人間なんですか?」
「違うわ。そんな怪しげなものじゃない」
きっぱりと否定する声音に、質問者たちは胸をなでおろしつつも、
(じゃあなんなの……?)
疑問に顔を見合わせた。
ここへやって来る前に――。
柊宅の玄関先で合流した菊花は、開口一番、
『オオカミ男よ、良子は! かっこいい! 昨日は新月だったもの!』
高らかに宣言したのだ。
半徹でしらべた、とも言っていた〈人狼伝説〉だったのだが、あっさりとあかるは否定した。
「オオカミ人間、人狼は古代ヨーロッパにおける、動物を祖霊とする民族の戦闘における祖霊との一体化、という伝承から起きた連想とされているらしいわ。私はどうも、食人の風習から影響を受けているように思えるのだけれど。とにかく、そんな子供だましや迷信じみた
「それじゃあ……あたしは、なんなんですか?」
「〈
「フォローになってない⁉」
「フォローしてないわ」
少女たちは、またも顔を見合わせると沈黙し、結局は巫女に向きなおった。
「あの……犬神憑き……って、なんですか……?」
「長くなるから、ものすごくはしょるけれど、要するに人間に犬の霊が取り憑いている状態ね」
「うわあ……あたしオオカミ人間のほうがよかった。いろんな意味で」
「同じことよ」
「あのお……どうしたらそれを、良子から追い払えますか……?」
「お祓い、ということね。ムリよ」
「あっさりと⁉」
あかるは少し眉根を寄せて、困惑の顔になった。
ようやく表情がほぐれたようである。
「ええ。犬神はね、良子さんのご先祖からの血縁が影響している、いわゆる〈
「じゃ、あたし……どうすればいいんですか?」
「共存することね。憑きものは不利益ばかりではないし、犬神のご機嫌をとっていればいいのだから、そう難しいことではないわ」
「ご機嫌?」
「そう。あなたのなかで、うまく飼いならせば役にたってくれるでしょう。例えば彼らは
「それで甘酒ですかあ」
菊花が、感心したようにあかるを見つめたが、良子は、
(いやいや、おかしいだろ……この人、炎天下に甘酒マイボトルで持ち歩くって、どんだけ好きなんだ。あえて突っこまないけど)
疑惑のまなざしを向け、
「その犬神……ってなんですか、犬の霊ってことはわかったんですけど、あたしのご先祖が犬を殺した呪いとか
「難しい質問ね。ひとことで言うと妖怪、〈もののけ〉なの。だから霊というよりは概念と言うべきなのだけれど。そう、
菊花が受けて、
「ああ、それ、知ってます。ええと……日本にはたくさんの神様がいて、八百万というのは数が多いことをあらわしているとか」
「ご名答。ではその神様とはなにか」
「ええと、〈
しどろもどろの答えを、今度はあかるが感心して見た。
良子は、よくわからないという顔つきである。
そこへドタドタと通路が鳴って、さきほどの神主とおそろい装束の老婦が、あわただしく入室してきた。
年の頃も同年代だろうか、顔も体つきも丸い、これも愛嬌のよい顔立ちである。
「すみませんねえ、お茶遅くなって。麦茶を切らしてしまってて、いえ麦茶のパックはあったんですよ、パックは。でもこの暑いのにねえ、お湯出しの麦茶なんてねえ、お嬢さんがた、いやよね。それでどうせいれるならハーブティーのほうがいいでしょ、ねえ」
まくしたてると、畳には不似合いのティーセットを、三人の前に並べた。
「あら、あの人、テーブルも出さないで、もう本当に気がきかないわ、年ばっかりくって!」
「いいんですよ。これから
「あら! じゃあお友だちじゃなくて、お客さんだったんですか。まあ気がつきませんで、すみません。いやだ私ったら、気がきかないのはこっちのほうよね!」
老婦人は、かん高く笑った。
「
「はいはい、わかりましたよ、ごゆっくりね」
去っていく松枝の早口に、来客は会釈をかえすのが精一杯だった。
「ごめんなさいね、にぎやかで」
「それより、あかるさん、拝殿って?」
「
ハーブティーをロックでいただいた三人は、飽きもせずに照りつける日差しのもと、石畳の参道へ出た。
ひんやりとした
東端に、天を突かんばかりに巨大な
西の突きあたりには拝殿が見え、さらに奥には本殿、裏手には
と、良子の目が、木立からノソノソと這い出た、おぼつかない足どりの影をとらえた。大型犬らしき影は本殿と拝殿にめぐらせた木づくりの
思わず、あかるに視線を向けたが、ゆったりと参道を歩む巫女は意にかいさず、聖域の冷涼な空気のなかで輝くかのように見えた。
「あかるさん、ここって犬飼ってますか?」
「いえ、いないわ」
「あ、猫ですか」
「なにも、飼ってないわ」
どこか突き放すような声音に、思わず口をつぐむ。
石畳を歩ききって、冷え冷えとした石段をのぼると、左右に広い
正面には、本をひらいて伏せた形の板屋根と、紫の三つ巴が染め抜かれた白幕がかけられていて、さらに石段を上ると、くす玉のように鈴が下げられ、賽銭箱も置かれている。
来客の少女たちは、大きな木戸を押しあける巫女の手引きで、オドオドしながらも
陽の眩しさに慣れた瞳孔が、ひととき視界を暗転させる。
室内には底冷えするような冷気がただよっており、とても真夏とは思えない。四十畳ほどのだだっぴろい空間は、天井も彼女らの背丈の倍はあるだろうか。
全面がヒノキの板張りで、入ってきた扉から縞模様の日差しがこぼれる他には、採光もない。正面には
滝の落水をとどめたような、壁一面の
家具と言えば、木づくりの台にかけられた
「こういう所に入るの、初めてです……」
良子が声が響くのを恐れるように、小声で言うと、
「そうかしら。
そこではじめて、あかるが口ごもった。と。
みしり。
拝殿が、きしんだ。
「……父が宮司なのだけれど、長く体調を崩しててね。私や、ほかから神主さんにきてもらって代理をしているのだけれど。あれからは、氏子の方々の足も遠のいて、」
またも、みしり、と。
拝殿は、微震のような余韻をのこして静止した。
「今日はよく鳴るわ。話題が気に入らないようね、いいわ」
祭壇の前に敷かれたイグサの座布団に落ちついたのも束の間、ふと見回したあかるが、つぶやくように、
「あら八橋、こっちにいたの」
「……あかるさん、さっきから。誰のことなんですか?」
「良子さん、あなたも〈
たしなめるような言葉に、二人はまたしても顔を見合わせた。
菊花がおずおずと、
「あのお、この拝殿? 誰もいませんよね? 私たち以外には」
「そうかしら、さっき犬のようなものを見たと言ったじゃない」
「それは、言いましたけど……?」
良子は不審を深めて答えた。
「あの人たち、私のおじいちゃんとおばあちゃんではないのだけれど、親戚なのよ。両親ともいないようなものだから、幼少からここに暮らしている私を世話してくれて、優しい人たちです。神職の衣装を着ているけれど、無資格なのよ。それはいいのだけれど」
「いいんですか⁉」
「人手が足りないのは、神祇院が神主を
良子も菊花も、その呼びかけに目を点にして、次の瞬間にはあんぐりと口もあけていた。
二人の正面にはあかるが座り、あかるの背後には祭壇に続く短い階段がある。段の脇には黒々とした木目も美しい十三弦の琴が横たわって、片端のみ、木製の猫足がついている。
その足が。
「……動いたあ⁉」
異口同音に叫んでいた。叫んで固まる。
サーフボードのように長い胴が、二本の猫足を立てて、長い体を引きずり、ひとりでに這いずりだしたのだ。
十三本の弦は一歩のたびにたわみ、弦の支えの発端である
ズルズルと、あかるに近づくと、犬がなつくようにすり寄って鎮座する。
よく見ると琴の頭――竜頭部分には冗談のように丸い目がひらいており、
「わ……わかりやすい説明を求むます……」
「求めます、よ」
つっこむ菊花も忘我の態である。
「説明? ああそうね、ごめんなさい。琴、と呼んだけれど正確には
「そういうことじゃなくて!」
「箏、だけに?」
「あかるさん、聞いてます?」
「箏、だけに」
「リピートしなくていいから!」
あかるは満足げに、琴のお化けの頭をなでた。
なでられたほうはトカゲのような舌を出し、目を閉じてうっとりと喜んでいるように見える。
「これは〈
「かわいいというか不気味というか……」
「しいて言えばあ……キモかわいいみたいな?」
「そうかしら」
琴のお化け――八橋は、頭髪にあたる獣毛をくねらせながら、猫足を折ってウトウトし始めた。
「いつから飼ってるんですかあ?」
「犬じゃないのよ、妖怪よ」
「見ればわかりますよお」
「良かったわ。あの人たちは常識人なのよ、これが犬に見えるくらいにね」
「どういうこと……ですか?」
良子が先ほどからの疑問を口にすると、あかるは細めた目で見かえした。
「この八橋といい、良子さんの変身といい、見えない人には見えないのよ。いえ、見たくない人には、と言うべきかしら。それはほかの違和感のないものに、例えば動物や装飾品のように見えるの」
「つまり……もし変身してしまっても、周りは気がつかないってことですか?」
「そうとも言えるわ。けれど、わたしが言いたいのは『目を
やや怒気をふくんだ口調に、二人の少女はその意味するものがわからない顔で、ただ見つめかえした。
と、おもむろに――ピクリと八橋が四角い顔を起こすと、のっそり二本の足を立て、扉に向かって這いだした。
「なにかが彼の
八橋は大きな体を引きずりながら、扉を頭突きで押し開けると、賽銭箱の裏にそろえられた三足の
やがて赤いスニーカーを片方くわえてUターンして戻り、あかるに差しだすと。
もぞもぞとスニーカーが
「おおっ⁉」
「きゃっ!」
板張りの床に着地したそれは、白い名刺サイズのカエルだった。
目のないカエルは、空気を読みとるかのように鼻をもたげると、ピョンピョンと素早くはねて、半開きの扉に向かって逃走する。
だが、八橋が一瞬早かった。
カメレオンのような舌が、カエルを捕らえて歯並びの良い口に運ぶと、どうされたものか、カエルはシュレッダーに通されたコピー用紙のようにズタズタに引き裂かれ、排出された。
あかるがカエルの死骸を手にして目をこらしたときには、それはすでに、なにごとか書きこまれた紙片と化していた。
「
あかるは紙くずを
バリバリと噛みくだく音を背に、あかるは姿勢を改め、本題に戻った。
「さて、こうして〈琴古主〉に会わせたのは、他でもない。万物に精神が宿る、という概念を知ってもらうためなの。琴に限らず、あらゆる無生物、人や動植物、いかなるモノにも心、すなわち霊は宿っている。霊という言葉に抵抗があるなら、魂、精神、精霊、神、ラマッ、マブイ、なんでもいいわ」
「霊が、神……?」
「同じものよ。神と言う言葉は、明治期にゴッドの誤訳として用いられたから、わかりにくくなっただけで、それ以前の日本人の認識に照らして精霊や魂と考えれば、しっくりくるでしょう」
だからね、と、あかるは背すじを伸ばしつつも、柔和な表情を良子に向け、
「良子さん、あなたに取り憑いているモノも神なのよ、犬神。動物に人間のようなメンタリティを設定した、いわば犬の擬人化ね。同じように琴古主は琴の、天照大神は太陽の、
「ハバネロたんは唐辛子の、ビスケたんはビスケットの、びんちょうたんは
「そう、日本刀や戦艦、戦闘機にパソコンにシャンプー、なんでもありね。幼児が話すときに、特にキャラクター化されていなくてもイチゴちゃん、クレヨンくん、お星さまと呼ぶことがあるけれど、あらゆる対象に人格を求めることは、人類に普遍的な行為といってさしつかえないと思うわ。さしずめ天照大神は太陽萌え、かな」
「ああ、それが八百万の神ってことですかあ」
「そう、話が早くて助かるわ、菊花さん。日本神話は、それこそ汗やら血、ワニや貝に至るまで、なんでも神格化、というか人格化しているのよ。八百万の神というのは、森羅万象あらゆるものに魂が宿っている、という考え方のことなの」
さてそこで、と、あかるは言葉を切った。
さっきまで晴れわたっていた空が、木陰に入ったかのように、スウと陰ったからだ。
「悲しいかな、魂は不滅でも肉体は有限にして、うつろうもの。神の宿る体が滅び、あるいは壊れ、焼け、破損して、肉体を失うと、どうなるか」
「ええと、生まれ変わるんじゃないですか? あたしのおばあちゃんがそんなふうに言ってたような。もう亡くなりましたけど……」
「仏道では、魂は
「はああ、神様も幽霊もいっしょですかあ?」
「実体を持たない、という意味ではね。ところが神やもののけも、実体なくしてはその
「だから人に取り憑く……?」
「そうね。さっき憑きものと説明したけれど、今の話をふまえれば〈
「ちょ……ちょっと待ってください」
立て板に水の説明を断ち切った菊花が、
「この……八橋? この子はどうなんですか? これにも何か取り憑いてるってことですかあ」
名前を呼ばれ、閉じていた目を薄くひらいた八橋は、迷惑顔でまぶたをケイレンさせると、再びまどろみに落ちていった。
「いいえ、神懸かりとは一種の後天性、だからこれは違うわ。ただ古くなって、もともと内在していた魂が、モノの精として
良子は、二人の会話を不思議な面持ちで眺めていた。
社務所で顔を合わせたときの、話の糸口をさぐるような、ぎくしゃくしたやりとりが一変して、弁舌なめらかな巫女に違和感を感じたのだ。
参拝客に応対し、宮司の代役までするという彼女が、いまさら人見知りもあるまいと、にわかに考えを巡らしたが、不幸にして、このときの良子には答えを見つけることはできなかった。
「もっとも、この琴は依り代の条件は満たしていると思うわ。
「あたしのように……ですか……」
「どうして……良子なんですかあ?」
「正確に言うと〈犬神〉は、良子さん個人ではなく、あなたの血筋に取り憑いているの。だから祈祷が難しい。犬神は古くは平安時代から
「どうしていま、憑き神が発現したのかはわからないのだけれど。なにか、きっかけがあったのかも知れないわね」
「きっかけですか……ううん、思いあたらな……」
良子は最後まで言葉を続けられなかった。おのれの腹が空腹をうったえて鳴いた、遠吠えのような声に、はばまれたからだ。がらんとした拝殿に音は響き、さすがに良子は赤面した。
「う……すいません……。今朝ちゃんと食べてきてるんですけど。最近とくにお腹すくのが早くて……」
「犬神の特性よ」
「そうなんですか⁉ あ……そういえばあの蟇目って人も、そんなこと言ってたような……」
「ときに良子さん」
「はい?」
「あなた、つぶあんとこしあん、どちらが好きかしら?」
「は……?」
「重要な確認よ、答えて」
「ど、どっちも好きですけど、どっちかといえば、つぶあんかな」
あかるは、良子の両手を、がっきと握ると、
「そうよね! やっぱりつぶあんよね! 気が合いそうね」
「あんこで性格占いですか?」
「単なる好みの話よ。大福、たい焼き、大判焼きにはつぶあんが多いし、おはぎ、おたべ、アンパンマンだって」
「ええ? 私は、こしあんジャスティスなんですけどお」
あかるは菊花を軽蔑したように見つめ、
「あなたとは、わかりあえないかも知れないわね」
「あんこのことで⁉」
「主義主張は個人の自由。こしあんの、あのメリハリの無い食感を楽しめるあなたには、強い忍耐力があるのかも知れない。けれど、これだけは覚えておいて。『つぶあんは、ごまかしが効かない』素材だということを」
あかるは熱く語ると、ふと我にかえったように居ずまいを正した。
「ええと。うん、いい時間だし、とりあえずお昼にしましょうか? 今日は、伊太郎さん趣味の手打ちで、冷やしうどんをいただけるはずだわ。それとデザートに冷やししるこはいかが? こっちは私の手作りになるけれど」
少女たちは、一も二もなく同意した。
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