第十二節

「……♪~~~♪♪」


事務所のテーブルに大量に積まれたお菓子の山。

機嫌良さそうに鼻唄を歌いながらそれを崩して袋に詰めてはラッピング、完成すればまた同じように包装するの繰り返し。

一袋一袋、できあがるまでに1分とかからない。

にこにこと笑ってエウリューダは素早くかつ丁寧にプレゼント袋を作り上げる。


「も、戻りましたーぁ……」


そこへ、へとへとな様子の新米二人。


「お帰……わー凄いことになってるね!?」

「い、いやあ、かなりやんちゃな子たちでした……」

「と、とっても、元気な、猫ちゃん………でし、た……」


トラベロは顔から手まで引っ掻き痕まみれ、ファナリヤは髪の毛が酷いぐらいにぼさぼさだ。

そして二人して猫の毛まみれ。

依頼内容は家族が日帰り旅行に言っている間、飼い猫四匹の面倒を代わりに見る、という至って内容は平和なものだが

この姿からして酷く手を焼いたようだ。

しかし猫に振り回された二人の姿はどことなく微笑ましく、エウリューダはくすりと笑う。


「元気なにゃんこは長生きするよーきっと。とりあえず二人とも服の毛を落とそっか?トラベロ君はレヴィンさんに怪我治してもらいなよ」

「そうします……お腹すいたぁ……」

「ファナリヤちゃんは毛が取れたらこっちおいで、髪とかしたげる」

「あ、はい!」


トラベロはへろへろと動く一方、ファナリヤは元気が出てきたようでせっせと毛を落としていく。

エウリューダに髪の毛を梳いてもらうことが彼女の現在の楽しみの一つ。

アキアス曰くエウリューダは「髪フェチ」だそうで、人の髪の毛を手入れするのが物凄く好きだとのこと。

故に彼にとってもファナリヤの髪を梳かすのは楽しみの一つなようだ。


「ファナリヤちゃんおっけー?」

「おっけー、です!」

「よっしこっちおいで!」


毛を落とし終えたファナリヤがソファに座ると、エウリューダは櫛でゆっくりと髪をとかし始める。

ぼさぼさな髪に櫛が通る度にファナリヤの顔がふにゃりと綻び、気持ち良さそうに息を吐く。


「髪にも猫の毛絡まってるねー……」

「猫じゃらしと思われたみたいで……」

「あはは、凄くふわふわでふさふさでさらっさらだもんねー。気に入ったんじゃないかな?」

「そうなん、でしょうか」

「きっとそうだよー!こんなに綺麗な髪だもん!俺も好きだし!」


かあ、と思わずファナリヤの顔が赤くなる。

トラベロに「笑顔の方が可愛い」と言われた時もそれはもう顔が赤くなったものだが、

それに勝るとも劣らぬ恥ずかしさで思わず縮こまらずにはいられない。

別に特別な感情があるワケではない、ただただエウリューダの言う言葉が文字通りのストレート故である。

見た目も中性的でなよなよしい印象の彼だがその底抜けの明るさ、そして言動の直球っぷりはかなりのものだ。

そして全て良かれと思って一切の悪気なく発言するものだから、嬉しいのだが直球すぎて言葉が見つからなくなる。


「……お前、もうちょい言葉選べよ」


溜め息をついてやってきたのはアキアスだ。

手に持っているトレーにはアップルパイと紅茶が二人分載せられている。


「えー?いいって思ったことはちゃんとつたえてあげなきゃじゃん」

「それはいいけど言葉がストレートすぎんだっつってんの」

「うーん、そうかなぁ」

「あの……気にしないで、ください。わたしは、嬉しい、ですし」

「こいつホント直球で言葉投げるから、はっきり言ってやっていいんだぜ」

「えーアキアスそれは酷くない!?」

「俺は事実しか言ってねえからな!言われた方の身にもなれっつーの!」


アキアスは怒鳴りながら、乱暴にパイと紅茶を二人の前に置く。

調度髪の手入れも一段落ついていたので早速二人してパイを頬張る。

林檎の酸味と甘さの絶妙なるハーモニーに舌鼓しか打てない。


「ん――――――おいっしー!やっぱアキアスの作るお菓子は最高だね!ご飯も!」

「そりゃどーも」

「えへへ、毎日食べられるなんてホント幸せ~♪」

「だから直球すぎるっつってんだろ!何でそんな平然と言えるかなあ!?」


今度はアキアスが顔を真っ赤にして目を逸らす。

つっけんどんとした表情から嬉しさが滲み出ているのは明らかだ。

そしてさらに後ろからパイを頬張っているトラベロからの追い討ちでアキアスはますます顔が赤くなる。


「僕はエウリューダさんに同意ですよ!こんなにおいしいお菓子食べられるなんて幸せすぎます!

しかもご飯は3食毎日だなんて……!いいなあエウリューダさん、いいなあいーなー羨ましいなー!」

「へっへーん!いいでしょー同居人の特権なのです!」

「元はと言えばお前が飯作るの下手なせいだかんな分かってんのか!?」

「あぅ……ごめんなさーい」


午後の微笑ましいやりとり。

3人がやいのやいのと騒いでいるのを見てファナリヤはくすくすと笑う。

そしてそれに即座に反応しエウリューダが嬉しさで声をあげた。


「あっファナリヤちゃんが笑った!」

「ふぇっ!?」

「最初にきたときより笑ってくれるようになったよね!よかったー、やっぱり笑顔が一番だよ!ねー二人とも!」

「ですね!またまたエウリューダさんに同意しちゃいます」

「だからお前らストレートすぎだっつーの!そりゃ俺もそう思うけどっ」

「……ぷっ」


ファナリヤは噴き出しまたくすくすと笑い始める。

それに釣られてトラベロとエウリューダも笑い始め、その光景に溜め息をつきながらもアキアスは微笑んだ。

そして、それを見守る大人三人と子供一人。


「随分賑やかになったわよねえ、ここも」

「いいじゃないか、若い子はあれぐらい元気なのがいいよ」

「私たちより一回り年下な癖に。何言ってるんです」

「僕はいーの!前世換算アラフィフ間近だから君らより精神的に年上だし」

「そう言うのを、屁理屈って言うんじゃないのか?」


それぞれ紅茶やコーヒーをすすりながら、その光景を微笑ましく眺めていた。




午後のティーブレイクが終わり、それぞれまた各々の仕事をこなす。

丁度この後にこなす依頼もないということで、エウリューダのやっている菓子の袋詰めを先ほどやいのやいのと騒いだ三人で手伝うことに。


「こ、こんな感じ……ですか?」

「うんうんいい感じ!上手にできてる、初めてには見えない出来だよー」


そう言われると嬉しくて俄然やる気が出る。

慣れない手つきながらも丁寧にファナリヤはひとつまた一つと袋を作っていく。

その一方でエウリューダは彼女よりも速い手つきで袋を作り、トラベロとアキアスも彼ほどではないが手慣れた様子だ。


「そだそだ。トラベロ君、そっちの準備はどう?」

「あ、はい。多めに用意しときましたから何回か失敗しても大丈夫かと」

「おっけー!それならみんなに行き渡るね!明日みんな喜んでくれるといいなー」


ますます機嫌良さそうにエウリューダは笑う。

今回の依頼はある児童養護施設で子供たちに催し物をする、といったもの。

施設にも神秘力者の子供がいて、その子たちが生活するに当たって困っていることはないかと様子を伺うのも兼ねているとも聞いている。

普段はエウリューダとアキアスの二人で受けているらしいが、偶然アキアスに別途警察依頼が入ってしまい都合が合わなくなることに。

どうしようかと悩んでいたところでトラベロに白羽の矢が立ち、二人で分担して準備を進めていたのである。

今作っている菓子袋も子供たちにプレゼントするためのもの。適当な雑談をしながら一つ、また一つと袋を作り上げていく。

そんな中でトラベロがふと気になったのか、エウリューダとアキアスに問いかけた。


「……そういや、お二人って凄く仲良しで一緒に生活してますけど親戚か何かなんですか?」

「んーん?違うよー、お互いに住むとこないからルームシェアしてるってとこ!ねーアキアス!」

「ああ。別に血の繋がりとか特別な関係ってワケじゃねーよ、ただの親友」


そう答えた瞬間、後ろにいる大人たちが一斉に疑問の眼差しを向けた。

嘘つけ、と訴えているようにも見える。

あからさまに疑っている様にトラベロは何故か冷や汗が流れた。


「……おいレヴィン、何だよその目」

「私だけか!?」

「じゃあスピルも追加」

「酷!?てか君らただの親友じゃないでしょどー見ても!」

「ちゃうわ!エイダが勝手に言ってるだけじゃねーか!!」

「えー俺のせいなの!?」

「お前のせいじゃなかったら何だってんだよ!?」


何故か口論が始まり、先ほどとはまた別の方向で騒がしくなる。


「あ、あの、僕何か聞いちゃいけないこと聞きました?」

「ううん違うわよー。ただ親友って割には密なスキンシップじゃない?」

「確かに、隙あればアキアスさんにハグとか何かしてましたね……」

「そんでもってさっき「毎日アキアスのご飯食べれて幸せー♪」とか言ってたでしょ?」

「言ってましたね」

「つまりそういうことよ」


にこりと答えるマリナ。

瞬間、トラベロは全てを察した。

確かに何かと隙あらばエウリューダはアキアスに飛び付いたりやら何やら彼にくっつこうとしている。

アキアス本人は拒否するがその度に何かと顔が赤い。先程の反応もまた然り、茹でだこのように顔が真っ赤。


――つまり、そういうことなのである。


「……すみません、そうとは知らず……!」

「違う!誤解だっ!!」

「お二人がそれ程までに深い仲なのに僕その、最初泊まらせてもらったりして……いやホントすみません!!」

「だから違うっつってんだろ誤解を深めてんじゃねぇ!!!」

「エウリューダさんは、アキアスさんのこと、大好き……なんです、ね」

「おいファナっ」

「うん、大好き!世界で一番大切な人!」


トラベロもファナリヤもおお……と声を上げる。

ここまで公言できると言うことはそれほど強く想っている証拠としては十分どころか十二分だ。

やはり二人はそれほどまでにお互いを……と、感動を禁じ得ない。

それをさらりと言いのけたエウリューダはにこにこと笑っているが一方、

さらりと言われたアキアスは顔を真っ赤にして、かつ血管を浮き上がらせながらエウリューダの頬を引っ張った。


「お・ま・え・なああああああああ!!!さっきから誤解ばかり生みやがってえええええ!!!」

「いひゃいいひゃいいひゃいーっいひゃいおあひあふーーー!!」

「知るかァッお前の自業自得だあああああ!!!!」


アキアスが引っ張れば引っ張る程エウリューダの頬は伸びに伸び、その伸びっぷりにトラベロとファナリヤは他人事のようにおお、と二回目の感嘆の声を上げた。





――そんなこんなで一日が終わり、翌日の午後1時。


「こんにちはーっ!」


元気よくドアを開け、施設の職員室へ入る。

大量の菓子袋と小道具を両手に抱えたトラベロとエウリューダを施設長であろう初老の女性が迎える。


「こんにちは。まあ、今日もたくさんありがとうね」

「えへへ、みんな食べ盛りですもん!」

「そうねえ、みんなきっと喜ぶわ。そちらの方は?」

「あ、初めまして。トラベロ・ルシナーサといいます」


トラベロは荷物を急いで床に置き、深々と頭を下げる。


「今日はアキアスが来られなくなっちゃったから、彼にお願いしたんです」

「あらそうなの?こんな学生さんも働いてるのねえ」

「あ、あはは……」


学生扱いにトラベロは苦笑する。

敢えて訂正はせずそのまま流したが、成人でありながら学生に間違えられるのはやはり複雑だ。

隣に自分より年下の青年が一人いるから、余計にである。


「ともあれ、今日もお願いね。子供たち待ちきれなくってまだかまだかと騒いでてねえ」

「騒ぐのは元気な証拠ですよー。じゃ、早速いってきまーす!」



ざわざわと騒いでいる一室。

子どもたちが話をしたり、簡単な遊びを何人かで集まってしていたりする中、薄緑の髪の少女が隅っこで体育座りしている黒髪の少年に話しかける。


「ねえねえ、もうすぐおにいちゃんくるよ?こっちおいでよ?」

「いいよ。みんなが嫌がるから」

「うーん……」


パーカーのフードを深く被り、少年はそれだけ言ってそっぽを向く。

それ以降は見向きもせず少女は困ったように唸り、どうにか集まりに入れないかと考えていたら横から心のない声が。


「シャノラーそいつほっとけよー」

「そーそー、"ヤクビョウガミ"なんだからさー」

「もー!せんせいがそういうこと言っちゃダメって言ってたでしょ!」


少年に向けて嫌味を言う別の子どもたちを叱りつける。

わあ、きゃあとわざとらしく逃げまわる連中に対してシャノラはぷくりと頬を膨らませた。

一方、少年はそれに見向きもしていない。

そんな風に騒いでいると、こんこんとノックの音。

それが聞こえた途端、子どもたちはぴたりと止まって一箇所に集まる。


「………そ、そ、そ~」


ゆっくりゆっくりと引き戸が開き、ちらりと朱色の瞳と紫の髪の毛が覗く。

子供たちは瞬間きらきらと星のように表情を輝かせ――


「こんにちは―――!」

「わ―――――――っ!!」


青年が一気にドアを開けて声をかけると一斉に彼めがけて突撃した。


「エウリューダおにいちゃん!あいたかったよー!」

「お兄ちゃんも会いたかったよー!元気そうでよかったあ!」

「ねえねえ、アキアスおにいちゃんは?」

「今日は別のお仕事入っちゃったんだ。これなくてごめんねって言ってたよ」

「おにいちゃん聞いて!あたしねー……」


次々とエウリューダに押し寄せる子どもたちの波。

一斉に話してくる彼らの話を一人ずつではあるがしっかりと聞いて、反応を示す。

至って普通のやりとりではあるが、子供たちにとっては自身の話を聞いてくれるというのはとても大事なこと――大人になってもだが――。

この姿を見るだけで、エウリューダがいかに子どもたちに慕われているかをトラベロが理解するには十分すぎた。

それを見ているだけで自分も微笑ましくなり、後ろから見守っていたら一人の子どもがトラベロに目を向ける。


「ねえ、おにいちゃんだあれ?」

「トラベロ君だよ。今日アキアスがお仕事でこれなくなっちゃったから、代わりにきてくれたんだ。仲良くしてあげてね!」

「はーい!」

「よろしくねトラベロおにいちゃん!」

「あ、うん!よろしくね」


先ほどまでエウリューダに固まっていた子どもたちが次々とトラベロにやってくる。

色々質問をされ、時には自分の跳ねっ毛を興味深そうに見つめられたり、はたまた肩によじ登られて引っ張られたり。

その元気さに思わず気圧されてしまいそうだ。

しかしそんな中、一人だけその輪に入ろうとしない子が目に映る。

パーカーのフードを目深に被り、部屋の隅から絶対に動こうとしない、一人の少年が。


「あれ、あの子……あだだだだっ!」

「あはははは!すっげーあほ毛ーっ!」


しかし子どもたちの勢いに押されて気にかける余裕はなく、トラベロはしばらく延々と振り回された。


「……」


少年が少しだけ、こちらに目を向けたことには気づかぬまま。



それから少しして。

子どもたちが一人一人、真剣に割り箸をくるくると容器の中で回している。

くるくる、くるくる……


「できたーっ!」


一気に持ち上げると、箸から雲が生えているかのような立派な綿菓子が姿を現す。


「おー!上手だねー!」

「ねえねえおにいちゃん、これもう食べていいの?」

「もちろん!食べていいよっ」

「わぁいっ!」


皆嬉しそうに綿菓子を口いっぱいに頬張る。

やはり子どもたちはこのように笑っているのが一番だと心底思う。

……しかし、その笑顔溢れる中で一人だけ笑わない子がいた。


「ねぇねぇ。みんなでわたがし食べようよ」

「……いらない」


少女が一人歩み寄り自らの綿菓子を差し出すがそれにもそっぽを向く。


「ごめんね、綿菓子嫌いだった?」


トラベロが歩み寄り、しゃがみこんで声をかけると少しだけこちらを見る。

フードの中から覗かせたその表情は暗い。


「……そうじゃないけど」

「じゃあ、お腹が減ってなかったかな?」

「……違うけど」

「ほっとけよ、そいつ"ヤクビョウガミ"なんだから」


後ろから別の少年の声。

綿菓子を頬張りながら隅に座っている少年を横目で侮蔑するかのように見る。

少女はまたぷくりと頬を膨らませ、トラベロも流石に眉をしかめた。


「ちょっと、そういうことは言っちゃダメだよ」

「だってホントのことだもん。こいつがきてから変なおっちゃんたちが先生にひどいこと言ったりらんぼうしたりすんだもん」

「そーだそーだ!こいつがきてから怖いことばっかり起きるんだ!そういうの"ヤクビョウガミ"って言うんだろ!」

「こーらっ!!」


ごつん――心ない言葉を放った子ども二人の頭に拳骨が飛ぶ。

……エウリューダだ。

悪いことをしたら拳骨というのはよくあることだが、彼がそれをするとは普段の姿から予想できずトラベロは思わず目を見開いた。


「人に対して疫病神なんて言葉使っちゃいけません!君たちが言われたらどう思う?」

「…………やだ」

「でしょ?だからそういうことは言っちゃダメ。ごめんなさいしようね?」


子どもたちは俯いてはいるものの、決して謝ろうとはしない。

"疫病神"――そんな言葉で用いて表現するようなことが起きるような原因があの少年にあるのだろう、

それは先程の子どもたちの発言から察することができる。

しかし、ここまで嫌悪を向けられるような状態は只事ではない……いったい何があったのか?

少年本人に話を聞いたところで口は開けないだろうと、トラベロは少年の近くにいる少女に声をかけた。


「ねえ、変なおじさんがきたりって……どういうことかわかるかな?」

「……クーヤがきてからね、変なおじさんがいつもくるの。それでせんせいがお話するんだけど、いつも聞いてくれなくてらんぼうするの」

 せんせいのことぶったり、おへやのものをかってにもっていこうとしたりするの。おかねがないならこれを持っていくって――」


少女がそう説明したまさにその瞬間だった。


「だから何も渡すものもお支払いできるものもありません!お引き取りください!」


施設長の声だ。

先程話していた穏やかな雰囲気からは想像もつかぬ大きな声で怒鳴っている。


「ああん!?こちとら金ェ貸しとんじゃ!ガキが払えねえなら保護者が払うのは当たり前だろうがぁ!!」


そしてもう一方はしゃがれた男性の怒声。

互いに一歩も譲らず言い合いを繰り広げているのが耳に入るだけでよくわかった。

子どもたちはその言い合いが聞こえた瞬間、震え、怯え、果てには泣き出し……先程話しかけた少女は隅に座る少年――

クーヤを護るように抱きつくが酷く震えている。

トラベロが恐怖で抱きつき泣き出した子供たちをあやしている一方、エウリューダは静かに立ち上がり部屋のドアを開く。

その表情は普段の彼とは似ても似つかぬ淡々としたもので、その表情と同じぐらい淡々とした声で言った。


「トラベロ君、この子たちをお願い」

「えっ、あ、エウリューダさんっ!?」


子供たちを託し、エウリューダは急ぎ足で施設の外へと向かう。

至って淡々とした表情で、何も感情がないかのような顔つきで、怒鳴り合いの声が大きくなる方向へと走っていった。




「――いい加減にして下さい!また警察を呼びますよ!」

「なんじゃ偉そうに!最初に金をせびったのはそっちのガキんとこの親なんじゃ!ちゃんと担保にガキもらうっつってサインもちゃんともらっとんやぞ!

 ガキで払えんならワレが体の一つ二つ売り払ってくれるんか!?ああ!!?」


外では未だに主張の応酬が続いていた。

施設長が携帯を取り出したにもかかわらず、数人の屈強な男を連れた肥満体型の中年は銃を構え、その銃口をつきつける。


「今ここでワレん頭撃ちぬいて内蔵引っ張りだしてもええんやぞ?わかったなら大人しゅう金出せや、なぁ?」

「だからお支払いできるものなんて……!」

「"銃を下ろして"!"彼女から離れろ"!」


後ろから青年の声が聞こえると、中年ははっとしたような顔で銃を下ろし、施設長から距離を取る。

しかし何故こんなことをしたのかわからず何度もきょろきょろと周りを見回し、ふと前を見ると施設長の隣に紫髪の女性とも取れるような容姿の人物が

そこにいた。

その朱色の瞳は侮蔑を込めたような表情で睨んでいる……


「貴方たちに渡せるものはないよ。帰ってください」

「ああん?なんじゃワレ、いきなり出てきて割り込みおってからに。ならワレが払ってくれるんか??あ???」

「いいから帰って。子どもたちが怖がって泣き出すんだ、迷惑です」

「さっきから偉そうに言うてきおってからに……痛い目に遭いたいんか!?」


中年が合図をすると、周りにいる屈強な男たちが二人を囲む。

それは脅しのつもりだろう、各々スタンガンやサバイバルナイフ、警棒などを持ってじりじりと迫ってくる。

青年は施設長を護るように前に立つ。


「え、エウリューダ君!危ないわ!」

「大丈夫です、そこから動かないで」


前を見据えたまま手で施設長の動きを抑止する。

じりじりと滲み寄る男たちと、それを見てにやにやと笑っている中年に対し大きく息を吸い込み――


「"帰れって言ってんだろ"!!"ここから立ち去れっつってんのがわかんねぇのか"ッ!!!」


先程までの怒声の応酬にすら勝る程の大声で叫ぶ。

すると、先程まで余裕の表情をしていた彼らは途端に竦み上がり始め、囲んでいた男たちは即座に後ずさる。

彼らを支配したのは例えようのない恐怖――こんななよなよとした見た目の青年がただ一声発しただけだというのに心臓を鷲掴みにされたような

戦慄を覚えずにはいられない。


「なっ、何やワレ……!お、覚えてろや!!!」


仕舞いにはそんな捨て台詞を残して一目散に逃げ帰っていく。

それをエウリューダは睨みつけるような視線で見送り、少ししてから施設長へと振り向く。


「もう大丈夫です、言霊の効力が続くハズだから、少なくとも今日一日は絶対にこないです」

「あ、ありがとう……助かったわ……」

「それにしても、今までこんなことなかったですよね、何かあったんですか……?」

「ええ、そうね……こうなったらお話するしかないわね…」


今から数週間ほど前になる。

少年、クーヤはネグレクトの果てに捨てられていたところを施設に引き取られたばかりの子。

両親は毎日酒や博打に溺れる日々を送っており、借金をして博打につぎ込み、またなくなっては借金して……の繰り返しで莫大な借金を背負っていて、

借金の取り立てに追われ八つ当たりとして息子に酷い暴力を振るっていたという、文字通り"人間の屑"だったそうだ。

そしてある日、両親は彼を置いて蒸発。

……しかも、こともあろうに担保として息子を差し出すというとんでもない置き土産を残して。

最初数日は平穏だったものの、クーヤの所在を突き止めた借金取り――あるヤクザの一員らしい――が

定期的に訪れては施設長が何とか引き返させていたが、

その過程で暴力を振るわれたり、施設のものを勝手に持ちだされたりということも頻繁にあったそうだ。


「……クーヤは神秘力者みたいで、自分の姿を消すことができるの。

 だから彼らがきて見つかりそうになったら姿を消して、何とか彼が連れて行かれるのは防いでたわ。でも……子どもたちがね……」


このようなことが頻繁に起きるようになってから、他の子どもたちはクーヤを避けるようになった。

それどころか望まずして原因となってしまった彼に対して酷い言葉を浴びせるようにもなり、"疫病神"と罵るのもその一環……ということらしい。

唯一、先程クーヤに対して気遣っていた少女シャノラが味方として常に彼を庇う……そんな日が続いているらしい。

そういった経緯故に、先程からずっと輪の中に入ろうとしなかったのだ。その話を聞いたトラベロはあまりものやるせなさに拳を握りしめる。


「……酷い話ですね。クーヤ君は何もしてないのに」

「ええ……私たちも何度も注意しているのだけど一向に収まらなくって……シャノラも他の子たちを説得してくれるけど聞く耳持たずでね……」

「養護施設だから似たような理由でここにきた子も多いし、昔のトラウマを思い出させるから、かもしれないね……」


エウリューダの言う通り、ここは児童養護施設……クーヤのように親に謂れもない扱いを受け、心身ともに疲れ果てた状態だった子も

決して少なくはない。

故に怖い大人を引き寄せる存在は恐怖以外の何者でもないのだろう、しかしかといってこの状況は決して看過していいことではない。


「……大体事情はわかりました。俺が何とか――」


そうエウリューダが口を開いた瞬間、バン……と派手に扉を開ける音が響く。

何があったのかと職員室のドアを開けた瞬間、外へ走り出ていくクーヤの姿が。


「クーヤ!まって!!」


それをシャノラが追いかけていくが、玄関のドアを開けた瞬間クーヤの姿が消える。

先程施設長が言った自らの姿を消す神秘力を行使したのだろう、姿を消す瞬間に放たれた灰色のオーラをトラベロとエウリューダはしっかりと見た。


「シャノラ、どうしたの!?何があったの!」

「みんながクーヤをかこんでひどいことばっかり言って……そしたらクーヤ、「ぼくがいなくなったらいいんだろ」って……!」

「!!」


シャノラの話を聞いた瞬間、トラベロもエウリューダも飛び出していた。

クーヤを探し、一目散に街へと駆けて行く。

早く見つけなければ……見つけられなければ、彼はもしかしたら最悪の選択をしてしまうかもしれない。そう直感してしまったのだ。

幼い子にそんな選択をさせるワケにはいかない――!


「俺はこっち探すよ!トラベロ君向こうお願い!!」

「わかりました!!」


大きな交差点付近で二手に別れ、クーヤの名を呼びながら走り続ける。

しかし神秘力で姿を消した少年は簡単には見つけられない。

時間ばかりが過ぎ焦りが募っていく……そんなエウリューダの姿を偶然にも見かけた心強い仲間が声をかける。


「エウリューダ?」

「そんなに急いでどうしたんです?まだ依頼の終了時間ではないハズですが…」


――レヴィンとレインだ。

エウリューダはこの偶然に感謝せざるを得なかった。

得にここでレインと合流できたことは大きな助けとなる。彼の金色の瞳で状況を覆せるかもしれないのだ。


「レインさん!《千里眼》の透視能力で姿を消した人って見える!?」

「はあ……透明人間みたいな感じでしょうか?実際にやってみなければわかりませんね、私の透視はそこまで強くはないですし……」

「ダメ元でいいからお願い!!早くしないと子どもが……!!レヴィンさんも手伝って!!」

「!……わかった、私とレインはこの辺りを探してみよう。見つけ次第連絡する」

「ありがとう……!!」


心強い増援を得たエウリューダは再び走り出す。

正直もう足が棒になっているかのように疲弊しているがそんなことは構っていられない。

先程の借金取りと遭遇している可能性だってある、もしくは自ら……


――どうか、どうか早まりませんように!


そう強く祈りながら、少年を探して一目散に駆け抜けた。



「施設長っ、お願いします……!」

「何かねえか、そのクーヤって子が持ってた奴!何でもいい!」


一方、トラベロは偶然にも依頼を終えたアキアスと合流。

彼の《氣力昇華》で気配を探ることでクーヤを見つけ出そうとしたはいいが、彼の生命の"氣"を理解していなければ徒労に終わってしまう。

本人の私物を借りれないかと一度施設に引き返すが本人が引き取られた時何も持っていなかった上に家に何も残っていなかったとのことで

手詰まりの状態にあった。


「はあ……はあ……っ、家からのがないなら、ここにきてからのものとか!はぁ……っ、ありませんか!?」

「と言われても、クーヤは何を持っていたのか…」

「あたし持ってるよ!持ってくる!!」


話を聞きつけたシャノラは小さい足が出せる全力で部屋へと駆け出していく。

一分ほどして帰ってきた彼女の手にあったのは……


「――似顔絵?」

「クーヤが描いてくれたの!クーヤとってもお絵かき上手だったから……

 これでさがせるならつかって!トラベロおにいちゃん、アキアスおにいちゃん!」

「……サンキュ!絶対に連れて帰ってくるからな!」


絵を受け取り、アキアスは目を閉じ神経を研ぎ澄ませる。

トラベロとファナリヤが連れ去られた時と同じように、クーヤの気配を一歩一歩確実に辿り……


「――いた!」

「本当っ、ですか!?」

「想像以上にまずいぞ、早くしねえとマジで取り返しがつかねえ……トラ!行くぜ!!」


絵をシャノラに返し、アキアスはバン、とトラベロの背を叩く。

するとどうしたことだろう、切れていた息が瞬時に整ったどころか棒のようになっていた足に再び力が湧き上がってくる。

神秘力で生命の氣を自身に与えたのだろう。今なら先程よりも早く走れそうだ。

状況は一刻を争う……先程よりも速い足取りで施設を再び飛び出しながら、エウリューダに事態を知らせねばと携帯を取り出した。




それから程なくして、アキアスから渡された情報とレインの目撃情報に基づいた地点へとエウリューダは走っていた。

その地点は……イリオス郊外で最も大きな交差点。

クーヤは現在そこへ向かっているという。これだけで最悪の事態を察するには十分だった。

もはや息は絶え絶え、足は棒どころか、鉄の重りのように重い――それでも彼はひたすらに走った。走り続けた。

絶対にそんなことはさせない、させてはいけない、させたくない……その一心で。


「クーヤ君……クーヤ君っ!どこ!?どこにいるのっ!?」


ひたすら名を叫び、時折転びそうになりながらもひたすら探し続ける。

あと数十メートルでその交差点にたどり着く――その瞬間だった。


「――!!」


目の前の風景から、すう……と少年が姿を現す。

フードが脱げたパーカーから覗かせる黒い髪……間違いない、クーヤ本人だ。

しかしまた即座に姿を消そうと、神秘力のオーラを放ち始める。


「クーヤ君!!待って、"消えないで"!!」


エウリューダは声を振り絞って叫ぶ。

言霊による抑止で灰色のオーラが消えたクーヤが一瞬だけこちらを振り返る。

しかしそれでも止まることはなく、交差点に一直線に突っ込んでいく。

そしてエウリューダは思わず言葉を失う……歩行者信号は赤。車が通っているにも関わらずクーヤは足を踏み入れたのだ。


「ダメ……っ!!!"待って"!!」


止めようとするが言霊が遅すぎた。

ぴたりと止まったクーヤの目の前数百メートル先からトラックがこちらめがけて走ってくる。

こんな小さな子だ、すぐに運転手の目に入りはしないし止まる気配もない。

このままでは――といったところで残りの仲間たちが集まってくる――しかし。


「くそっ、間に合わないッ!!」


歩道橋の上にいるレヴィンが手を翳し、神秘力でトラックを無理やり止めようとするが距離が迫りすぎた。

トラベロとアキアスの二人もたどり着いたのが遅く、今から全力で駆け抜けても確実に間に合わない程の後方にいる。

運転手もやっと気づいて急ブレーキをかけるが、それでもクーヤにぶつかるのは避けられない。


「クーヤ君ッ!!!」


最後の力を振り絞り、エウリューダはその間に割って入る。

しかしトラックはもう彼の10メートル程手前まで迫っている――!


「エイダッ!!!」


アキアスが必死の形相で叫んだ、その直後。


――ガシャン!

大きくぶつかった音が響き渡る。

トラベロも、アキアスも、レヴィンもレインも、そしてクーヤも。呆然とした表情でそれを見つめる。

エウリューダはそこに、無傷で両手を広げて立っていた。

トラックは彼との間わずか数十センチ程の間に展開された不可視の壁に阻まれ、そこでやっとブレーキが間に合う。

……彼のもう一つの神秘力絶対障壁。使用者の前方全ての干渉を遮断するその力が功を奏したようだ。


「はっ……はあっ……は、あ……っ……」


緊張の糸が解れたかのように、エウリューダはその場に膝をついた。



――その後、交通事故事故未遂とのこともあり警察が呼ばれ、警察署にて各自事情聴取を受けることとなる。

しかし幸いにも生命が一つも奪われなかったこと、運転手としては実質生命を奪ってしまうところを助けられたようなものでもあることから互いに不問とする形で話がついた。

大体の事が終わった後、事態を聞きつけ駆けつけたスピルに連れられた施設長は真っ先にクーヤに駆け寄り抱きしめる。


「ああ、クーヤ!よかった……よかったわ無事で……!」

「……」

「さ、帰りましょう?」


クーヤはうつむき、差し伸べられた手を取らない。 子どもたちに言われたことを引きずっているのだろうか、皮肉るように呟いた。


「……僕なんていない方がいいんだろ」

「そんなこと……」

「クーヤ君」


そんな彼の前にエウリューダはしゃがみ込み、肩を掴んで真剣な表情をする。

怒りを抑えこんでいるかのような淡々とした低い声で、しっかりと見据えて言葉を紡ぐ。


「何であんなことしたの」

「……」

「今回はたまたま間に合ったけど、もしかしたら死んでたかもしれないんだよ」

「……死んだ方がいいんでしょ。"疫病神"なんだから」

「そんなワケない!!」

「だってみんな僕のことを嫌ってるじゃないか!僕がきてから先生が乱暴されたりするようになって!

 僕がいなくなったらあのおじさんたちもこなくなるんでしょ!?」

「だからって死ぬなんて絶対にダメ!!」


クーヤの肩がびくりと震える。

その言葉に込められた感情は、言霊にせずとも嫌という程その場にいたトラベロたちにも伝わっていく。

どんなことがあっても生を願って欲しいという、彼の強い感情が。

その言葉が強く響いたのか、先程まで暗く無表情だった少年の顔が、少しずつ涙でくしゃくしゃになっていく。

しゃくり上げながら、詰まり詰まりに想いをぶちまけ始める。


「だって……だってっ……ひっく、僕っ、何にもしてないのに……みんな僕に酷いこと……ひぐっ、言うん、だもん……っ!

 だから、僕がい、いない方がいいん……だって……!!」

「……うん。辛かったよね。でも、でもね――どんなことがあってもこんなことは、絶対に、しちゃダメ。

 クーヤ君が死んだら、先生もシャノラちゃんたちも、お兄ちゃんたちも。悲しくて泣いちゃうよ」

「ひぐっ……ひっく……うわあああああああああああああん……!!」


声を荒げて泣き出すクーヤを、エウリューダは優しく抱きしめる。


「よしよし……辛かったね。辛かったよね」

「わあああああん……うああああああああん……!!」


その姿はまるで本当の兄弟、あるいは親子のよう。泣きじゃくり震えるその頭を優しく撫で、あやし続ける。


「大丈夫だよ。クーヤ君は、あそこにいていいんだよ。ずっといられるようにお兄ちゃんが何とかするからね」

「ほん、と……?」

「うん。絶対に……だから俺を信じて。ね?」


腕の中で、クーヤはこちらを見上げて「うん」と返す。

それを見てエウリューダはまたにこりと笑うとゆっくりとクーヤを離して立ち上がり、駆けつけていたスピルへと声をかける。


「お願い、力を貸して」

「貸すに決まってるじゃないか。舞台は僕が整える……それから後は君の仕事だよ、エウリューダ」

「ありがとう。……トラベロ君も、お願いしていいかな?」

「はい、もちろんです!けど……僕にできることありますでしょうか」

「元劇団員のトラベロ君に、色々といい演出方法を聞きたいんだ。裏方でも俺たちよりは詳しいじゃん?」


――舞台、演出。

そういうことかと理解したトラベロはこくりと、強く頷いた。



……それから4日程経った昼。

ばたばたと足音を響かせ、先日訪れた借金取り共が再び施設に向かう。


「やれやれ、こないだは厄介な奴に会うたもんじゃ……今度こそあのガキをもらってやるけえな……!」


今日はあの変な力を持つ男もいないだろう。

意気揚々、勇み足で施設の敷地内に入った……その瞬間。


「なっ、何じゃこりゃ……!」


先程まで普通に佇んでいたハズの施設がそこにはなく、黒い雲が棚引く紫色の空の下に荒れ果てた大地が広がっていた。

こんなことありえるハズがない。

そうだこれは夢だ、夢に違いない――そう言い聞かせた男たちをまたしても非現実的な現象が襲う。


"……イタイ……イタイ……"


幼い少年の声が響き渡ると共に、足元に何かが絡みつく。

ひ、と息を飲み恐る恐る下を見やると――


「ひっ、ひぎゃああああああああああ!?!?!?」


裏返る程の悲鳴が上がる。

コールタールのような黒い液体で形作られた少年の顔をした何かが、彼らの足に纏わり付いていた。

しかもそれらの顔は皆……彼らがターゲットとしていた少年の顔をしているのだ。

どろりと解けた顔で何か恨みの言葉をぼそぼそと呟いている……


「ひっ、ひ……っだ、誰か!誰か助けっ、助けてくれえ!!」

「――助かりたいか?」


今度は若い男の声。

目の前を見ると、そこには血塗れのローブを纏った青年が立っていた。

紫色の髪に朱色の瞳……どこかで見覚えがあるがそんなことはどうでもいい。

助けてくれるのなら何でも構わないと、藁にもすがるような想いで男たちは懇願する。


「助かりたいわ!!助けてくれや!!ワシこんなとこで死にとうない!!」

「ふふっ……さあて、どうしようか?"お前らはこのまま地獄行きがお似合いだが"な?」

「い、嫌じゃ!あの世になんか行きとうないっ!!」

「都合のいいことだ。"この少年を突き落としたのはお前らだと言うのに"」

「そ、そんなことしとら……ひぃいっ!!」


否定しようとすると少年の顔をした液体がじわりじわりと体を蝕んでいく。

じわじわと服に染み込む度、体の中にすら入り混んでいるかのような気持ち悪さを覚えて仕方がない。


「もう一度聞く。助かりたいか?」


青年が聞くと、最早恐怖で声も出ない男たちはこくこくと頷く。


「ならば"この場から早々に立ち去れ"、そして"二度と近づくな"。"近づけばこの少年の怨念によりお前らは生命を落とすだろう"……

 くくっ……あははははははははは!!!!」

「ひぃいいいいいいいい!!!!」


狂ったように青年が笑うと、情けない悲鳴を上げて男たちは逃げ出していく。

それをじっと見据え、姿が見えなくなるのを確認する。

……そして。


「おっけートラベロ君、鏡閉じて!」

「はーい!」


エウリューダが合図すると、枯れ木の影から出てきたトラベロは開いていたコンパクトミラーを閉じる。

すると先程のおどろおどろしい風景は姿を消し、晴れやかな空の下に佇む養護施設が再び現れた。


――エウリューダの考えた作戦、それは男たちが二度とこられないような恐怖を植え付けてやろうというもの。

もう絶対に行きたくないと思わせるような出来事に出くわすのが何よりも有効的である。

と、いう理屈に基づき二人であらゆるホラー映画をドラマ、アニメ問わず見漁り続けて演出方法を練り出し、脚本を作り上げる。

スピルの《幻想具現》で与えられた鏡――漫画「鏡天の巫女」に出てくる主人公の7つ道具の一つだとかどうとか熱く語られていたがよくわからなかった――を用いてスタジオを用意。

そこにエウリューダの《言ノ魂》による言霊を載せ、完璧な「ホラーの世界」を作り上げて……という、中々に作りこまれたかつえげつない作戦である。

普段、明るく気さくで誰に対しても親切なエウリューダが考えたと思うと、トラベロの中での彼の印象は大きく変わらざるを得ないものがあった。


「……エウリューダさんって、レインさん並に強かですよね」

「そうかなあ。……レインさんがやってたらこれじゃ済まなかったよ……きっと……」

「……それもそうですね」


二人してあの日の夜のレインを思い出し、冷や汗を流す。

レヴィンと二人でドス黒いオーラを放ち、鬼のような形相でぶつぶつと今の作戦以上にえげつなく犯罪スレスレの内容を呟いていたのは今でも恐ろしい。

地獄すら生温いだの、いっそのこと事故を装っても何ら問題はないだろうだの……

トラベロとファナリヤ以外の仲間たちが皆口を揃えて「地雷を踏み抜かれた顔してる」と言っていた程。

もちろん、何故地雷なのかということについては触れなかったし触れる気はないが。


「でもとにかく!あんだけ怖がってたらもう大丈夫でしょ。作戦は大成功ってことで!」

「はい、これでもう大丈夫ですね!」


やったね、と二人でハイタッチ。

これでクーヤを始めとした子どもたちが脅かされることはないだろう――万が一次の刺客がきても、自分たちがまた撃退すれば良い。


「……お兄ちゃん」


施設の玄関からこっそりとクーヤが顔を覗かせ、恐る恐るこちらを見る。

エウリューダは慌てて今日のために仕立てあげたローブを脱ぎ、愛用のカーディガンを着直して彼に歩み寄る。


「もう大丈夫だよ。怖いおじさんたちはやっつけたからね!」

「ホントに?」

「ホントだよ!それにまたきても同じように俺たちがやっつけちゃうもん!ね?」

「…………ありがとう……!」


心底安堵したような笑顔を浮かべるクーヤ。

やっと笑ってくれたとエウリューダは嬉しそうに笑い、彼の後ろからこちらの様子を伺う子どもたちに声をかける。


「みんな、もうクーヤ君のこと仲間はずれにしたり、酷いこと言ったりしちゃダメだよ。それからちゃんとごめんなさいすること!いーい?」

「……はーい……」

「ごめんなさい……」


子供たちは皆次々と申し訳無さそうな表情でクーヤに声をかけていく。

その言葉をかけてもらえただけで嬉しいのか、クーヤは涙目になりながら微笑んだ。


「よかったね、クーヤ!」

「うん……ありがとう、シャノラ」

「またみんなで一緒に遊ぼうね!」

「……うん!」


シャノラがクーヤの手を引っ張り、楽しそうに奥へと駆けていく。

もうこの子たちは大丈夫だろう。そして施設にもまた平和が訪れる。こうして今回の依頼から始まった事件は幕を下ろした。



――翌日。


「ただいま戻りま……した……??」


依頼を終え、トラベロが事務所に戻るとそこにはソファーで嬉しそうにびったんばったんと転がるエウリューダの姿が。

嬉しそうに笑っては一枚の紙を見て喜びに跳ねている。


「あっ!トラベロ君おかえりー!あはは、うふふふ!」

「どうしたんですかエウリューダさん。凄く嬉しそうですね」

「えへへへ!見て見てこれー!」


そう言って見せたのは一枚の絵。

おにいちゃん、ありがとう――綺麗に描かれたエウリューダの似顔絵の隣に、子供らしい拙い字でメッセージが綴られている。


「クーヤ君が描いて持ってきてくれたんだっ!すっごい上手でしょ!」

「うわあ、ホントだ……!よかったですね!」

「トラベロ君の分もあるんだよー!」


そういってエウリューダは机から一枚の絵を持ってきてトラベロに手渡す。

同じように描かれたトラベロの似顔絵と、全く同じメッセージ。

クーヤは絵を描くのが上手だとシャノラが言っていた――実際あの時に見せてもらった絵も少年が描いたとは思えない程に綺麗だった。


「……えへへへ。これは喜んじゃいますね!」

「でしょー!それにホントに上手!将来有名な画家になるんじゃないかなっ!」

「お前、それは大袈裟すぎんじゃねーの?パイ切ったから絵は片付けな、汚れちまうだろ?」

「わーいっ!アキアスの手作りパイー!!どーしよー今日二人のおかげで幸せすぎー!!」


喜びで飛び跳ねながら絵を仕舞い、手を洗ってエウリューダは喜び勇んでフォークを手に取る。

アキアスはまた顔を赤くしてそのストレートな物言いを指摘しようかと思ったが「今回ばかりは大目に見っか」と微笑む。


「ほら、トラも食えよ。依頼お疲れさん」

「はいっ!」


――帰ったら額縁に入れて飾ろう。

トラベロもまた絵を片付け、嬉しそうにアップルパイを口にした。

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