第十三節
ちゅんちゅん、ちゅんちゅん……
窓の外から小鳥の歌声。
閉めきったカーテンの間から僅かに差し込む朝日がファナリヤの顔を照らし出す。
「うぅ……ん」
その眩しさにもぞりと起き上がり、目を擦る。
時刻は朝9時……本来なら遅刻している時間であるが、今日は定休日たる土曜日。
もう少し寝ることもできるが、こういう時こそ起きて何かをした方がいいかもしれない。
ベッドから降り、服を着替えて部屋を出る。
「あらファナリヤちゃん。おはよう」
部屋を出ると、一人の女性がにこやかに声をかける。
どうやら掃除をするつもりだったのか掃除機や雑巾を手にして隣の部屋のドアを開けていた。
「おはよう、ございます。おばさま」
ファナリヤは微笑みながらぺこりと頭を下げて挨拶を返し、その笑顔を見てまた女性はにこりと笑う。
彼女――トパーツィエ・サヒタリオはマリナの実母である。
マリナがファナリヤを連れて今日からここに住まわせることにしたと言った時に笑って快諾してくれたのがこの人だ。
反対のはの字も出さず受け入れたのは今でもファナリヤの記憶に強く残っている。
毎日もう一人の娘のように可愛がってくれていて、母親というのはこんな感じなのかと毎日思う。
しかし、今日は少し違うようにも感じた。
「あの……マリナさんの、お部屋のお掃除じゃないん、です?」
「ああ、それは昨日終わらせたからね。今日はこっちを掃除しようと思ってるの」
「こっち、ですか?」
マリナは私生活は割とズボラな面が多く、部屋を常に散らかしては母が掃除し始めて慌てて自分がやると代わっているのが日常茶飯事。
しかし、今回開けている部屋はマリナの部屋とは反対方向にある。
中を覗いてみるととても綺麗に整理整頓がなされており、とても掃除が必要なようには見えない……と、見せかけてあちこちにホコリが溜まっていた。
「……この部屋、綺麗ですけど……使われて、ないような」
「ええ、でも綺麗にしておかなきゃ、虫や蜘蛛が住み着いたらダメでしょう?」
「……誰か、この部屋を、使ってるんですか?」
「そうよ、今は家に帰っては……」
「ただいまー!」
下の階からドアの開閉音と共に女性の声。
マリナだ。タオルで汗を拭いながら階段を登ってくる。
身体を動かすのが趣味なようで、休みの日はこうして朝からジョギングをして帰ってくるようだ。
「あらマリナ、おかえり」
「おかえり、なさい」
「ただいま母さん、ファナリヤちゃん……あ、そ、掃除ならあたしやるわよ!?自分の部屋ぐらい自分で掃除するから!」
「それは昨日やったわよ。ちゃんと綺麗にしといたからね、今日はこっち。やるなら手伝ってちょうだい?」
「あの、わたしもお手伝いします」
「あらそう?じゃあお願いするわね」
こうして主のいない部屋の掃除が始まったワケであるが、ホコリを取って布団を干す程度のことしか必要がないぐらいの整いっぷり。
布団はマリナが軽々とベランダに持って行ったし、掃除機はトパーツィエが使っている。
ファナリヤにできることは精々掃除機では取れないホコリを取り窓を拭く程度だった。
彼女が神秘力者であることはトパーツィエも承知済み。気兼ねすることなく髪の毛を手の代わりとして隅々まで掃除をする。
ふと一枚の立てかけられた写真が目に入る。
仏頂面ながらも不器用に笑う男性と、隣で笑顔を浮かべている女性。そして子供の頃のマリナであろう少女と、もう一人……
彼女にそっくりな顔をした瑠璃色の瞳の少年。
――この人、どこかで見たような……
少年の顔にどことなく覚えがあり、じっと見つめて手が止まっているとトパーツィエが笑って声をかける。
「ふふ、姉弟そっくりでしょう?」
「……きょうだい?」
「ええ。トゥルケーゼ……トゥルケって言うの、マリナの弟よ。
とても生真面目で姉と違って小柄な子だったから、よくそれをからかわれては姉弟喧嘩に発展するなんて日常茶飯事だったわ」
懐かしげに、しかしどこか悲しげに語るトパーツィエ。
その話だけでファナリヤは察した。ここは、そのトゥルケの部屋なのだ。
だがしかし、この部屋はファナリヤがきてから一度も出入りが起こったことがない……
正確に言うなれば、こうしてトパーツィエが掃除を始めた時ぐらいにしか行われてないのだろう。
これはいったいどういうことなのか?それを口にせずとも答えはすぐに、布団を干して戻ってきたマリナから返ってきた。
「そんなクソ真面目君が今や三年間行方不明の身だからねえ、あたしが言うのも何だけどうちも前より静かになったもんだわ」
「え、ゆ、行方不明……!?」
「そ。ちょうど三年前にまあ、警察の汚職云々の報道があってね。
うちの父さん警察でそれも結構上の方にいた人間だったからあいつそれで怒って大喧嘩、そのまま飛び出しちまって音信不通なのよ。
今頃どっかで野垂れ死んでるかもね」
ぶっきらぼうにマリナは言う。
その顔には怒りと、心配……その他にも色々な想いが詰まったかのような複雑そうな表情が描かれている。
何て言葉をかけたらいいか迷うファナリヤ。マリナは直後あ、と声を上げて申し訳無さそうに言う。
「別に隠してたワケじゃないのよ!ただわざわざ言うことないじゃん?
それでファナリヤちゃんが遠慮がちになっちゃうのが嫌で黙ってたの……ごめんね?」
「あ、いえ!あの、わたしの方こそ、気を、遣ってもらって……す、すみません」
「いいのいいの!うちに住む以上は遠慮はしてもらいたくないからさ。ねー母さん?」
「そうねえ。ファナリヤちゃんもうちの家族の一員になったんですものね」
「そうそう。たまたま今日の掃除で偶然知ることになっちゃっただけの話だから、謝る必要はないのよ?はいこの話はこれで終わり!」
ぱん、とわざとらしく手を叩いてマリナは話の路線を変える。
「母さん、あたし今日ファナリヤちゃんと出かけてくるからお昼はそっちで食べるわ」
「あらそうなの?わかったわ」
「お出かけ……わたしも、ですか?」
きょとん、と首を傾げるファナリヤ。
「そ!せっかくの休日だしお買い物とか色々しましょ?服とか可愛いグッズとか買ってーそれからスイーツ食べたりとか!」
「すいーつ……!」
ファナリヤの目がきらりと輝く。
やはり食いついたな、とマリナは心の中でにやりと笑う。
もちろん、反応を予測していただけで誘導したワケではないのだが、流石年頃――正確な年齢はわからないがおおよそ10代であろう――の女の子、
ファナリヤはは甘いものにはとことん目がない。
可愛いグッズや洋服ももちろんだが、スイーツに関しては別格と言えるぐらいに情熱を宿らせている。
アキアスがお菓子を作ってきた時に、真っ先に彼女が目を輝かせているのを見てはメンバーが皆微笑ましく思うのは今や日常茶飯事だ。
「あたしちょっとシャワー浴びてくるから、その間にファナリヤちゃんも準備しておいで」
「はいっ!わかり、ましたっ!」
意気揚々とした足取りでファナリヤは早速部屋に戻り、勢い良くばたんとドアを閉める。
その光景を見てくすりと笑い、トパーツィエが口を開く。
「ファナリヤちゃん、よく笑うようになってよかったわ。最初にきた頃よりは随分元気になって」
「そうね、大分ここの生活も慣れてきたみたいだし。まだ話すのが苦手みたいだけど、前より大分喋れるようになった」
母娘二人でファナリヤが最初に家を訪れた時のことを思い出す。
――もうすぐ一ヶ月前になるだろうか。娘が連れてきた少女は、両手を包帯で縛り付けていておどおどとした素振りをしていた。
最初は話すことすら恐怖を覚えているかのように声をかける度にびくりとして、挨拶すら戸惑っていた子が今では明るさを前に押し出し始めている……
仕事と私生活、両方見守り続けてきただけにそれがとても喜ばしい。そんな思いを馳せつつマリナは大きく背伸びをする。
「じゃ、あたしもシャワー浴びて準備すっかなー。夜も外食になりそうだったら連絡するわね」
「はいはい。気をつけていってらっしゃい、レヴィン君とレイン君に会ったらよろしく伝えてね」
こうして、女子二人の休日が幕を開けた。
最初に訪れたのは飲食店街。
敢えて車を使わず、電車でぶらぶら出かけるのが重要だ、とはマリナの弁。駅を出てこの場所に着いた時には午前11時。
この時間帯を逃せば当分空いてる席にはありつけないのは明らかで、とりあえずまずは腹ごしらえからということでぶらりと歩き始める。
「ファナリヤちゃん何食べたい?」
「えっと……わたし、いつものとこがいいです」
「あ、やっぱり?あたしもそう思ってたのよね。他より安めでかつおいしい!」
「デザートつきの定食が、凄くおいしいですし!」
「わかる~!」
彼女たちには行きつけの店がある。彼女たちだけではなく、ティルナノーグのメンバー全員にとっても行きつけの店だ。
ワンコインで定食が食べられてかつおいしいという、平日はサラリーマンで、休日は家族で賑わうこの飲食店街の老舗。
入り口に入る前に、店の外にある食品サンプル兼メニューを見て決めてからというのが常連の中での習わしだそうで。
楽しく語らいながら歩き、店の前に近づくと。
「「最初はグー!じゃんけんぽんッ!!!」」
……聞き慣れた男二人の声がする。
お、と声を上げてマリナが少し駆け足で向かい、ファナリヤもそれに続く。
「っしゃあ!」
「ぐっ……また負けた……」
「じゃ、今日お前の奢りな」
レヴィンとアキアスだった。
自分の出したチョキを見てがくりとレヴィンがうなだれ、一方グーを出したアキアスは非常に上機嫌そうにしている。
どうやらじゃんけんでどちらが奢るかを決めていた模様。
マリナとファナリヤが駆け寄ったのにいち早く気づいたのはアキアスで、こちらが声をかける前に話しかけてきた。
彼の姿にファナリヤは思わずぽかんと口を開ける。
「ん、マリナにファナじゃん。お前らも昼飯か?」
「おう。あんたら今日は引き分けだったの?」
「ああ」
「私が31勝29敗12分……なんだがぶっちゃけこれアキアスの勝ち越しなんじゃないか……」
「そりゃお前がいつまでたっても初手チョキしか出さねえからだろ……」
呆れたようにアキアスはため息をつき、ファナリヤの方を見やる。
「……で、ファナどうした?さっきからぽかんとしてっけど」
「え、あ、あの、その、えと、えと…………」
「…………ふぁ、ファナ?どうした?」
――言えない。流石に言えない。
アキアスが普通にシャツにパーカーを羽織った姿でいるのに驚きを隠せないなど。
どう言い訳を作ろうかファナリヤは自らにある知恵を全力で振り絞るがそれをよそにマリナがぶふ、と噴き出して大笑いした。
「ぶっふ!お前が服着てんのにびっくりされてやんのー!!!」
「なっ!?ファナお前もそう思ってたのか!?てかそこ笑うんじゃねえ!!」
「ちっちちちち違います!そうじゃないですっ!た、確かに……アキアスさんがおへそ出してないの、ちょっと、びっくり、しましたけど」
「ぐっ!?」
ぐさりとアキアスに言葉が突き刺さる一方、マリナはさらに腹を抱えて笑い出す。
レヴィンはファナリヤの発言にまあわからんでもない、というような感じでううんと唸り眉間にしわを寄せる。
ぺこぺこと謝るファナリヤに複雑な表情をしつつ、アキアスは複雑な顔をしながらごほんと咳払いした。
「と、とにかく!そろそろ入らねえと席なくなっちまうから!入っぞ!せっかくだし四人で食いながらくっちゃべりゃあいいだろ!」
「お、アキアスたまにはいいこと言うじゃん」
「たまにはってオイ」
「そうだな、たまにはこういうのもいいだろう」
こうして四人で食堂に入ることに。
各々いつも食べる定食の言葉を胸に、それぞれ一歩を踏みしめる。
「えーっと、カツ丼定食と天丼定食と、それからオムハヤシそれぞれ1つずつお願いします!」
「……あら、トラベロ君?」
「え?……あれ皆さん!奇遇ですね、こんなところで合うなんて」
しかしさらに偶然が重なり、トラベロも交えての5人での語らいになったのは、全員流石に予想外だった。
「トラベロ君ほんっと、よく食べるわよねえ。昔っから?」
「ふえ?」
烏龍茶をちびちびと飲みながらマリナが口を開く。
トラベロは答えようとして口に食べ物を頬張っていたことに気づき、一気にお冷で流し込む。
「んぐ。そうですねえ……気づいた頃には人一倍食べてましたね」
「お前の場合五倍六倍って言っても過言じゃねえぞ……」
「あはは、そうかもしれないです。多分元々なんだと思います。両親のことは覚えてないですけど、どっちかの遺伝かなあ?」
そう言ってトラベロは天丼を口いっぱいに頬張る。
食べている時の彼の顔は本当に幸せそうで、まるで犬の耳かのようにぴこぴこ髪が動いている……ような気がしたが全員気のせいだと思うことにした。
ファナリヤがこの光景に遭遇するのは二度目である。
しかしやはり自分のように力があるならともかく、ただ単に感情で髪が動くなんて流石にないだろうと目をこすり、オムライスを一口食べる。
「ん。……と、あの。レヴィンさんとアキアスさんは……お休みの日はいつもここに?」
「まあな。月2回ぐらいか?」
「それぐらいじゃねえかな……」
レヴィンとアキアスは、ティルナノーグにおいて力仕事を最も任される二人。
警察からの依頼で神秘力者絡みの事件に赴くことも定期的にある。
犯罪者相手にやり取りをするのだ、もちろん戦闘に発展することは多い。下手すれば命に関わる仕事だ。
依頼を終えて帰ってきたレヴィンの服についてしまった血のシミをトラベロが見てしまって倒れかけたなんてことも最近あった。
故に腕が鈍らないよう、常に定期的に二人でジムの一室を借りて組手をしているらしい。そして勝った方がその日の昼食を奢る。
引き分けだった場合は主にじゃんけんでどちらが奢るかを決めるのだが、その場合全てにおいてアキアスが勝っているそうで。
そして今日も例によってアキアスが勝ち、レヴィンが彼の分を奢ることになった丁度その時に、ファナリヤとマリナがたまたま訪れ今に至る。
「レヴィンあんた、いい加減必ず最初にチョキ出すのやめたら?」
「……そう、そうなんだがな……気づけばいつも出してるんだ……」
「無意識の癖になってるレベルかよ。今度じゃんけんで検索すれば?」
「検索して何か出るのか……?」
「さあ?」
ええ……とレヴィンは半ば引いた顔――と言っても普段の表情とは眉の動きしか変わってないが――でマリナを見るが、
当のマリナは知らぬ顔をして焼き鮭の身をほぐして口に放り込む。
ティルナノーグに入ってから早一月近く、ファナリヤ、そしてトラベロには一つわかったことがある。
それは、マリナの男性への態度の極端さ……正確に言うなら、その極端な態度がレヴィンに対して特に顕著であるということ。
主に彼女の無茶振りの対象になるのはレヴィンを初めとし、スピル、アキアスの三人だが、その中でもレヴィンへの態度の辛辣さは別格だった。
聞くところによると、マリナとレヴィン、レインの双子の兄弟は幼なじみらしい。だからより辛辣なのだろう。
しかしそうするとレインに対しては何もしないのが疑問なのだが、その理由は何となくわかるので敢えて言及はせず二人のやり取りを苦笑しながら見守ることにしようと決めた。
数秒ほど沈黙が続いた後、マリナはあ、と思いついたように口を開く。
「そうだ。久しぶりにあたしとも手合わせしろよ」
「んあ?唐突だな。別にいいけど」
「だがファナリヤはいいのか?買い物にきたんだろう?」
「バーカ、別に今日しろっつってねえでしょうが」
「わたしは大丈夫、ですよ。マリナさんがやりたいなら、ついていきます」
「あらいいの?じゃあ張り切って二人をボコっちゃおっと♪」
嬉しそうにマリナは定食のご飯を口に入れるが、ファナリヤはえっ、と思わず声を上げた。
トラベロも同様、驚いた表情でオムハヤシを載せたスプーンを口に入れたまま目を見開く。
「あ、あの……ま、マリナさん、今、なんて……?」
「え?言ったままの通りだけど」
「んぐっ……や、その!マリナさん神秘力者じゃないじゃないですか!?」
「もちろん神秘力は使わない前提の組手よ。まあその反応は想定内、トラベロ君も予定ないなら一緒にきなよ。あたしの実力見せたげるから」
マリナはそう言うとかっ込む勢いでぱくぱくと残りを平らげていく。
二人は大丈夫なのか、と言いたげに呆然としてレヴィンとアキアスへ視線を向ける。
「……まあ、本人がこう言ってるから敢えてこの場では言わないでおく」
「実際に目で見て確かめてみろってやつだな。多分、今以上に口があんぐり開くだろうが」
その反応は想定内だったと言わんばかりの答えを返すと、彼らもまた残りの分を次々と平らげ始める。
当人たちがそう言うということは、つまりマリナはそれ相応の実力を持っているということになるのだろう。
しかし女一人が男二人を相手に立ち回るなんて本当に大丈夫なのか……?
トラベロとファナリヤは不安で不安で仕方なく、互いに顔を見合わせた。
――そして、それから30分後、ジムにて。
その不安は見事にひっくり返され、トラベロとファナリヤは口をあんぐりと開ける。
二人の目の前に広がっているのは、地べたにぐったりと倒れているレヴィンとアキアス……そして。
「ふぅ」
いい汗をかいたと、気持ちよさそうな表情を浮かべるマリナの姿。
ここに至るまでの過程は、何度見ても呆然とせずにはいられない光景しかなかった。
『一気にまとめてかかってきな』
と余裕そうな表情でくい、と指を動かすマリナに言葉通りレヴィンとアキアスが二人して一斉に仕掛けたのだが、
それをそれぞれ片手であっさりいなすどころか即座に反撃にまで出た。
アキアスの拳を左手で受け止めつつ腹部に蹴りを打ち込んで突き飛ばし、レヴィンの脚を受け止めた右手はそのままひっつかんで投げ飛ばし。
何度も似たような応酬が続くがマリナが優勢を譲ることなく、だいたい10分程であっさりと彼女の勝利で決着。
そして今のトラベロとファナリヤの呆然とした表情へと繋がるのである。
「……な、言ったろ……さっき以上に口があんぐり開くって」
心底ぐったりした表情で額を抑えているアキアスの言葉にトラベロとファナリヤは黙って首を縦に振りまくった。
彼のその額には大きなたんこぶ。
決着がつく最後の一撃は、脚をひっつかまれ宙ぶらりんになったアキアスが最後のあがきで勢い良く頭突きをしかけようとしたが、マリナはそれをお見通しだった。
彼が勢い良く体を起こしたその瞬間に彼女から頭突きをしかけ、あまりにも痛いのかアキアスは情けない声を上げ、涙目でその場に倒れて終了。
尚、マリナ本人の額は全くの無傷である。
「どーよ二人共。あたしの実力!」
「あっはっはい!凄かったです!何か凄すぎてどう言えばわかんないです!」
トラベロの言葉にファナリヤが続くかのようにまた首をこくこく、こくこくと縦に振る。
マリナは自慢気にふふん、と笑うとその場でぐったりとしている男二人をぎろりと睨む。
「さて、久々に手合わせして思ったことをちょっとぶっちゃけさせてもらおうか。
まあ下手すりゃ命がかかる仕事もやってんだし腕が鈍ってねえのは確かだがな……オラァてめぇら正座しろォ!!」
鶴の一声でびくりと震え上がる男二人。ぐったりと寝転ぶ暇もなくその場に正座を余儀なくされた。
それに対しマリナは仁王立ちで構え、ぎろりと睨みつける。
それだけで二人共縮こまっている辺りどれだけ恐怖なのだろうか。
「まずはレヴィン!」
「……はい」
「お前はいい加減「すぐ治るから」を前提にした動きやめろっていっつも言ってんだろうが!お前の神秘力重傷には効かねえんだろ!?ああ!?違うか!?」
「い、いえ……その、その通りです……」
「だァったら!!ちったあ自分の身を大事にしろ!!警察依頼受けてる身だって自覚をもっと持て!!何度怒られたと思ってんだ!!」
「……すいません…………」
――レインさんが怪我をした時はあんなに怒って心配してたのに。
第三者視点から話を聞いたファナリヤの第一感想がこれだった。
恐らくトラベロもそうだろう、同じ立場で聞いてる彼も非常にマリナに同意しているかのような表情を見せてうんうんと頷いた。
ここ一月だけでも嫌という程わかったことの一つに、レヴィンは自分の身を非常に軽視するきらいがあるということがある。
自分より弟のレインや仲間の方がよっぽど大事だと言わんばかりに、彼は自ら怪我をしに突っ込んでいくのだ。
よくアキアスから「血まみれで酷いから直帰させた」と連絡が入ることもある程には酷く自己犠牲的……いや、半ば自殺衝動にも近いような行動が多い。
彼が怪我をして帰ってくる方がそれよりもよっぽど大事だ、と今のマリナのように毎回レインにも怒られているのだが、当分直る気配がないようだ。
くどくどくどくど、10分程説教は続き。
「……ったく、ちったあアキアスの立ち回りを見習えっつの。こいつの方ができてんぞ」
「……き、肝に銘じておきます……」
「でまあそのアキアスは肝心なところで思考放棄するの多いからそこを敢えて考えて動け。以上」
「それだけかよ!?俺から最初に言えよ脚しびれたんだけど!?」
「知るか」
「ああ!?」
相変わらずのぞんざいな扱いにアキアスがとっかかろうとして立ち上がるが、脚の痺れでその場にばたりと倒れ込み、先程のたんこぶが床に激突。
情けない悲鳴が一室に響き、第三者二人は苦笑い。
「さ、て。じゃあお前ら、ついでにこのままあたしらの買い物付き合え。荷物持ちな」
「……お前、荷物持ちいるか?」
「ああん?ファナリヤちゃんの分誰が持つんだよ」
ぐ、と真っ先に反論したレヴィンは言葉を詰まらせる。
ファナリヤが慌てて別にいいですとマリナに訴えるもマリナは聞く耳持たず。
「あっじゃあ僕お付き合いしますよ!この後予定ないですし!」
そうトラベロが進言すれば途端にマリナは笑顔を浮かべてこう言った。
「あらありがとう!じゃあトラベロ君にも・・お願いするわねっ」
……どうやら残り二人の同行は決定事項なようだ。
トラベロとまさかこんな形で一緒に出かけることになるとは思わず嬉しさがこみ上げてくるが、それよりもファナリヤは二人への申し訳無さに慌てふためく。
「え、えと、その、あの、む、無理なら……大丈夫です、からね……わたしだからって、気にしないで、くださいね…!?」
「いやいいよ。俺も今日はもう帰るだけだったし、ついでに自分も何か買うつもりで行くわ」
アキアスから真っ先に返事が返ってくる。
こういう流れだとだいたい断るようなイメージがある彼が最初に承諾したのは意外だった。
「私も予定はないし。構わない」
「あの、あの、す、すみません……!」
レヴィンからも承諾の返事をもらい、ファナリヤは申し訳無さとみんなで一緒に遊べる嬉しさの入り混じった複雑な顔でぺこぺこと頭を下げた。
こうして旅の道連れとして、女二人のお出かけに男三人が追加されたのであった。
『神秘力者が一人後をつけてる。目配らせとくからみんなで楽しく騒いでろ』
直後、アキアスがマリナに向けて送ったメールの内容が彼が承諾した理由だった――ということはもちろん、ファナリヤはこの時知る由もない。
旅は道連れ、世はなんとやらと言う。
しかし、その道連れに人数制限というものは存在しないのである。
最初に訪れたのはファンシーグッズ店。
女の子が大好きそうな可愛らしいキャラクターのグッズで溢れているこの店に、マリナはファナリヤと共に意気揚々と足を踏み入れる……
が、もちろん男三人は躊躇った。躊躇わないワケがなかった。
明らかに男子禁制のオーラが滲み出ているこの店に、大の男が三人も入るなど流石に抵抗感を禁じ得ない。
特にレヴィンは顔に大量の冷や汗をかき、ぷるぷると震えている……
「あんたらどうしたの?さっさときなよ」
男三人の葛藤に容赦なくツッコミを入れる女子一名。
ファナリヤは思わず苦笑い。間違いなくマリナは確信犯だ、口元は半ばほころんでいる辺り間違いない。
――最初にここにしたのわざとなんだろうなあ。と心の中で呟いた。
「あ、おr……わっ私、外で待ってる……」
「お、俺も!場違いすぎてアレだし!トラ任せた!」
「ええっ僕だけです!?」
「大丈夫お前はまだセーフいけるいける!」
やいのやいのと同行者――彼らにとっては犠牲者である――を選ぶだけでただ時が過ぎていく。
しかしてそんな時、救世主は突然やってきた。
「あれ?どしたのみんな、今日お休みなのに集まってるって珍しいねー」
……エウリューダだ。
しかも、堂々と店内から声をかけてきた。
背丈や声は男性相応のそれなものの、生来の中性的な外見と所謂ゆるふわスタイルな服装。
この店に入るには全く持って問題のない唯一の男性。
――これが神タイミングというものか……!
男三人は勝利を確信した。こんな問答に勝利もクソもへったくれもあったものではないのだが。
「あらエウリューダ。奇遇ねー」
「そうだねー。二人もこれ買いに来たの?」
「あっ、そ、それ!ふわみゃストラップの、あの、アレですよね……!!」
「そうそう!あっ、すぐに売り切れそうだし二人の分も確保しようと思って……じゃーん!」
「ええっ!?そんな、ありがとうございます……!」
「やだもうホントいい子すぎない!?やーんありがとー!!」
わいわい騒ぎ出す女子三名。否、女子二名と男子一名。
「……エウリューダさんに全部、お任せしませんか?」
トラベロの問いに、レヴィンとアキアスは黙って頷きそっと店の外へ出た。
「――おや、やっぱり。見慣れた人影だと思ったら」
店を出たら出たでさらに偶然の遭遇。
レヴィンが少し目を丸くして返事を返す。
「レイン?……何か偶然が続くな」
「偶然……ですか。なる程、用事を済ませて帰ろうとしたら皆揃ってて何かと思いましたけども。マリナたちは中に?」
「あ、はい。たまたまエウリューダさんにお会いしたのでお任せして……」
「おや、彼まで?本当に偶然が続いてるようで……でも確かに、三人にこういった店は難しいですよね」
まあ私でも難しいですが、とレインはくすくす笑う。
「私も同行させてもらえませんか?この後特に用事もありませんし、せっかくですから皆で何か食べに行くのも良さそうです」
「昼も夜も一緒、か。悪くねえんじゃねえの?そういやみんなで食いに行くとかあんましねえもんな」
「ですね。だいたいスピルさんとレインさんがお留守番でしたもんね」
「サボり癖直してくれれば私一人で留守番でもいいんですけどねえ……」
そう笑顔でレインは言うが、声はいつもより数段トーンが低く思わず男三人は背筋に寒気を走らせる。
「……わかってるとは思うが、レインは一番敵に回したらいけないタイプだ。覚えとけ」
こっそりとレヴィンが耳打ちし、トラベロはもの凄い勢いでこくこくと頷く。
そんな二人にレインが声をかけると慌てて何でもないと主張し、そうですかとだけ告げられて終わった。
直後のレヴィンの顔に店内のやり取りの時程ではないとはいえ、冷や汗がたらりと流れている辺り恐らく気づかれてはいるが。
「――ああ、そうそう。しばらく出てきませんでしょうし、軽くメールを送っておかないと」
こうしてレインも道連れに加わったのであった。
「……ん」
程なくして一方。マリナの携帯から着信音。
すぐに携帯を取り出し確認。内容に目を通したと同時に表情が険しくなる。
「マリナさん……?」
それを心配に思ったファナリヤが不安げに声をかけると、マリナはあ、と声を上げて携帯をしまう。
「ごめんごめん、何でもないわ。ただのメール。レインがついていくって」
「えっレインさんもきたの?偶然って続くもんなんだねー」
「せっかくだし夜も何かみんなで食べない?って言ってるんだけど」
「あっ、いいですね!わたしは賛成、です。おばさまに連絡しますね」
「じゃあ俺代わりにお会計済ませてくるねー。後でレシート渡しとくよー」
「おっけー!あとでお金渡すわね」
エウリューダは三人分の買い物カゴを手にレジへ向かい、ファナリヤはメールを送ろうと携帯画面に集中する。
そしてその間に、マリナは先程届いたメールにもう一度目を通した。
『アキアスから連絡が入っていると思いますが、尾行者が一人。姿を消す力を持つ神秘力者の模様で今店内に潜んでいます。
恐らくマグメールの手先か何かでしょうが、気づかない振りをしてください。それと皆にも敢えて連絡は避けるように』
――せっかくの休日に無粋なことをしてくれるもんだわ。そう心の中で独りごちる。
しかしこうして全員で行動している以上手を出してはこないだろう。
何よりファナリヤがこうして楽しんでいるのだ、わざわざそれを自分たちから潰しに行く必要はない。
『了解』
その一言だけをメールにしたため返信した。
その後、合流した7人はゲーセンに足を踏み入れる。
入り口を通った瞬間、様々なゲーム機の音楽や効果音が不協和音となってファナリヤを襲う。
その騒音は初めてきたばかりの彼女には少々刺激が強く、思わず耳を塞いでマリナたちについていく。
「そういやファナリヤちゃんゲーセン初めてだったねー。そりゃびっくりしちゃうよね」
くすりとエウリューダが笑うが、耳を塞いでいるファナリヤは何を言ってるかわからず首を傾げる。
聞き返そうと思って耳から手を離すが、途端に騒音が再び彼女の耳に突き刺さり耐え切れずにまた耳を塞いだ。
「無理しない無理しない。そりゃ初めてなんだからうるさいのもしょうがないわよ」
――と、マリナは携帯で言葉を記してファナリヤに見せる。
なる程その手があった、と皆して携帯を手に持つ。
慣れてはいても、やはり声による意思疎通はこのような騒がしい場所では難しいもの。
こういう時こそ文明の利器というものは非常に役に立つと思い知らされる。
「どうする?それぞれ好きなゲームやりにいく?」
まずエウリューダが提案する。
「あまりバラバラになりすぎてもアレですし、二手に分かれるのが良いかと」
一番最初に返事をしたのはレイン。それにエウリューダは即座に返事を返す。
「じゃあ、アキアスとレヴィンさんと俺で組もっか。残った四人で一組。どう?」
「それが妥当だわな」
「とんらいはいろほもお」
瞬間、レヴィンの文章に全員の視線が集中した。
……何を言っているのか、全くわからない。全員が全員首をかしげた。
「……畜生、やっぱり合わせるんじゃなかった……!!!」
自分の携帯の画面を見返して恥ずかしさのあまりレヴィンはその場にしゃがみ込む。
「……お前まだメールできねえのかよ。ファナはもうとっくに覚えたってのに」
アキアスが呆れた顔で大きく溜息をつく。
レインとエウリューダががまあまあ、と苦笑いしながらレヴィンを励まそうとするが効果は明らかに薄そうだ。
「見た目からは想像できないレヴィンのマル秘情報その2。超弩級の機械音痴」
一方、マリナは新米二人に堂々と彼の恥ずかしくて隠したい情報をさらりと公開し、「だからガラケーなんだ……」とトラベロを納得させていた。
ちらりとファナリヤがレヴィンを見ると、相当恥ずかしかったようでずっとしゃがみ込んでいる。
ずーん、とした暗いオーラが明らかに出ている辺りこれはしばらく直りそうにない……しばらくここに留まることになるだろう――
「おおお……!」
――と、思っていたら塞いでいた耳にも届く程の歓声が届く。
他の皆も同じように声のする方へ顔を向けると、何やら人だかりができている。
そして歓声の中に紛れてひたすら何かを踏みつけるような音も響いている……
興味を示した一行は向かってみることにした――尚、未だに動かないレヴィンは強制連行である――。
「ぬぐぅぉおぉおおおおお……ッッ!!!」
その人だかりの中心にいたのは他の誰でもない、我らがティルナノーグ所長であった。
今までに見たこともないような決死の表情で、手すりを掴み画面をガン見し、ひたすらパネルをどこどこどこどこ踏み続けている。
どう見てもその画面の矢印は人間の足でできる領域を抜けているとしか思えないぐらいの量とスピードで進んでいるようにしか見えない。
「う、うわあ……」
トラベロがおもわず声を上げる。
まるで足が何本もあるかのような素早さで画面のタイミングに合わせてひたすらにパネルを踏むその姿、今彼が行っているのは人の所業なのか。
ファナリヤは気づけば耳を塞ぐのも忘れてその光景に半ば驚きかつ引き気味な表情で見入り、一方先輩職員一同の表情は、当然ながらいつも見せる所長に対しての各々呆れた顔。
「あの情熱を少しでも仕事に向けてくれませんかねえ……」
そう呟いたレインの声は非常に低く抑揚のないトーン。
以前ある依頼に同行した時と同じ冷たさに「よっぽど困ってるんだ」とファナリヤは思わざるを得なかった。
「おいここまでノーミスだぞ……」
「あんな小さい体でよくできんな……」
「てかここだとまだフルコン達成者出てないよな……!?」
野次馬共も動揺している。何がなんだかよくわからないが、スピルが凄いことをしようとしているのだけはわかった。
そして数十秒後……
画面に現れたのはどうやらスコアを示すであろうゲージと「SSS」、「FULL COMBO」の文字。
「いぃいいいいいよっしゃあああああぁあああああああああああああ!!!!!」
瞬間、スピルはその場に崩折れると同時にガッツポーズを決めた。
野次馬共も大きな歓声で彼の健闘を称える。
「……あいつは放っときましょ」
そしてマリナの一言により、一行は撤収を始めた。
「あれ?みんなきてたのk……ってちょっと待って何で黙って撤収してんの待ってええええええ!?!?」
また旅の道連れが増えたのは言うまでもなかった。
――その後。
「全くもー、ずるいじゃないか僕だけ置いてってご飯しようだなんて」
帰りの電車内、爪楊枝を咥えたままスピルは頬を膨らませる。
しかしその表情とは裏腹に食った食った、と言わんばかりに腹をさすり非常にご満悦そうだ。
「やーなんか衝動的においてこって思ったのよね」
全くの悪びれもなくマリナは返事する。
「酷いなあ、僕がいなかったらもし割り勘してもお金払いきれなかった場合どうしてたんだい?」
「お前堂々と自分を金ヅル扱いすんなよ」
「だって貴族ですから♪」
「そんなんでいいのか貴族……」
てへぺろ、とわざとらしいポーズと表情を取るスピルに全員が呆れてため息をつく、あるいは苦笑する。
「で、でも……スピルさん、凄かったです。あの動き……」
「そうかい?ふふーん、ゲーセンデビューしたばっかのファナリヤちゃんに僕の勇姿を見せられたのは幸運だったなあ」
「何が勇姿よただの百足にしか見えなかったわよあたしゃ」
「でもホントに凄いですよ。アレ譜面動画見たことありますけど人がやるもんじゃないレベルじゃないですか」
「おっトラベロ君知ってたんだ!みんなそう思うよねー、しかしアレを乗り越えてこそホントのガチ勢、廃人を名乗れると思わないかい!?あっ因みにガチ勢ってのはねえ」
「ファナリヤちゃんにいらん知識を教えんじゃねえ」
すぱーんとマリナの平手がスピルの脳天に直撃。電車内のマナーに則った可能な限り小さい声で悲鳴を上げた。
そんなやりとりをしていると次の停車駅のアナウンスが車内に響き渡り、ファナリヤがあ、と声を上げる。
「わたしたち、次の駅で降りるんでした、よね?」
「そそ。もう着くなんて、時間過ぎるの早いわねえ」
「そうですね……」
少しばかりの名残惜しさを胸に、二人は荷物を持って立ち上がりドアの前へ。
やがて電車はゆっくりと止まり、二人を帰路へ誘うかのようにドアを開く。
「んじゃねみんな、今日はありがと!」
「凄く楽しかったです……!またみんなで、遊びたいですね。じゃあ……」
「うん!またねー二人共!」
「気をつけて帰れよ」
エウリューダが勢い良く手を振り、アキアスは軽く手を上げて見送る。
ファナリヤは嬉しそうに小さく手を振り返してから、先に進むマリナを小走りで追いかけた。
……そして、先程から見ぬふりをしていた追跡者も、後を追うように出ていった。
《千里眼》でそれを捉え続けていたレインは、電車のドアが閉まると同時に携帯を取り出しメールを送った。
街灯が照らす道の下。先程とは違ってファナリヤの後ろを歩くマリナの携帯から着信音が鳴り響く。
二人して歩みを止め、マリナは届いたメールの内容を確認する。……レインからだ。
『背後に例の追跡者。注意』
という一文だけが綴られている。
「……ま、狙うとしたら今よね」
ぼそりと聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟くと、ファナリヤが不安げに声をかけた。
「マリナさん……どうかしました?」
「んー?いや、レヴィンに荷物一つ預けてたの忘れちゃって。んで今届けにこっちきてるって」
「あ、わ、わたしも今……思い出しました……」
「たくさん買い物しちゃうとこうなるわよねー。ところでファナリヤちゃん」
「はい?」
「……あたしの後ろ、何か憑いてない?さっきからめっちゃくちゃ肩重いんだけど……」
瞬間、ファナリヤがびくぅと震え上がった。
やはり(恐らく)年頃の少女らしく、ファナリヤはホラー系統が苦手である。
涙目な表情でぷるぷると震えながら必死に訴えた。
「つ、つつつつついてないですよぉぉ……ゆ、幽霊なんていないです……いなくていいですぅぅ……!!」
――ヤバい、めちゃくちゃ可愛い。
と思いながらも今はそういう状況ではないのでぐっと呑み込み、マリナはこう告げる。
「いやあ、よく見てみてよ……後ろ何かいるっぽいんだけど……あたしには見えないのよねえ」
「わ、わわわわたしにも見えませ……――!!」
瞬間、ファナリヤは息を呑み込んだ。
彼女の後ろからオーラが吹き出ている……神秘力者が必ず有する、自身が力を持つ者の証たるそれが。
しかしマリナから放たれているのではない、マリナの後ろにいる何者かがそれを放っているのだ。
その何者かが悪意を持っていることは確かであり、何かを構え、今にも後ろから飛びかかろうとしている――!
危ない、とファナリヤが警告する暇はなかった。
「そこに――いんだなァッ!!!!」
何故なら彼女の反応で位置を特定したマリナが即座に回し蹴りを放ち、その何者かを見事に路地の壁に叩きつけたからである。
その衝撃で力の発動が止まったのか、それは浮き出てくるかのように姿を現した。
大凡30から40代ぐらいの中肉中背、いかにも悪党として描かれそうな顔をした髭の濃い男だ。
男はしばらく咽ぶも立ち上がり、マリナへ向かって突進するが、彼女はそれを軽々と一蹴。男はまた数メートルふっ飛ばされ、咳き込む。
「げぇっほ、ごほっ……い、いつから気づいてやがった……!」
「あんたがこっちの後をつけ始めた時からに決まってんじゃねえの。うちには索敵値MAXの優秀な職員が2人いますから?
集団行動で隙がない以上、襲ってくるとしたらあたしと彼女が二人きりになるその瞬間しかない。ホントにテンプレ通りに事が進むもんねえ」
実に嫌味ったらしそうにマリナが笑う。
一方、ファナリヤは驚きのあまり目を丸くした。
あの楽しい時間全てにこの男が存在していた……つまり、常に敵はこちらを狙う機会を伺っていたということになる。
しかし誰一人として気づく素振りは見せていなかったのは何故なのか。それはすぐ、謝罪と共にマリナの口から告げられた。
「ごめんね、黙ってて。でもその方が相手をよりよく騙せたし、何よりファナリヤちゃんがみんなと楽しんでるの邪魔したくなかったのよ。
トラベロ君たちにも話してないわ、知ってるのは二人だけ」
――レインとアキアスだ。
ファナリヤはすぐに確信した。
ティルナノーグの仲間の中で、事態にいち早く気づける力があるのは彼らしかいない。
この二人だけは偶然の同行ではなかった。それを気づいていたから、自分を護る為にわざと偶然を装ってくれていたのだ。
……それに気づいた時、彼女の中で、今まで仲間たちと過ごしてきた時の光景が走馬灯のように駆け巡った。
あの二人が、マリナが、トラベロが……仲間たちが自分にしてくれてきたことを思い出せば思い出す程、胸の中に熱い何かがこみ上げてくる。
マリナと男のやり取りを見ている中、ファナリヤは拳を強く握りしめた。
「くそっ、神秘力がねえ女にこの俺様がしてやられるなんざ……!」
「神秘力者だからって必ずしも天下に立てるとは限らねえ、そんなこともわからないなんてホントモブ悪役お似合いだわ」
「このアマ……ッ!!」
マリナの挑発にまんまと乗った男は再び神秘力で姿を消し、マリナの背後を取ろうと行動する。
が、その行動もまさに彼女の言う通り、モブの悪役が似合うも同然だった。
――ここにもう一人、神秘力者が存在していることをすっかり忘れているのだから。
「《髪繰り》!!」
ファナリヤの掛け声と共に、彼女の髪がうねりを上げて姿を消した男に襲いかかる。
ぐえ、という情けない声と共に男はその身を捕らえられ、身動き一つ取れない。
「ぐ、く、くそ……何ですぐに……」
「神秘力者はそれぞれ、力を持つ証として……オーラを纏ってます。……貴方の力は、それを隠しきることは、できないみたいですね」
はっとした表情を浮かべる男。
どうやら言われるまで気づかなかったようだ、とことんモブである。
「……マリナさん、ごめんなさい。わたしのせいで気を遣わせちゃって、ごめんなさい」
「何言ってんの、ファナリヤちゃんが謝ることじゃないって」
「ううん、謝らせてください。――わたし、自分が許せない。護ってもらってばっかりの自分が、凄く、許せなくなったんです」
ファナリヤは引き続き髪を動かし、男を軽々と持ち上げる。
「わたし……いつも、怖がってばっかりで、その度にトラベロさんやマリナさんや、ティルナノーグの皆さんに、助けてもらって。
それにずっと、甘えてばっかりで、結局何もしてなかった……何一つ恩返し、できてなかった。
怖いの繰り返しで逃げてばっかり……でも、それも今日でやめます。今日でやめれなくても、やめる努力をします!」
ぶんぶんと男を掴んだまま髪を振り回し、遠心力をつけ始める。
「今まで自分の身は自分で護ってきたもの……!わたしだって、戦うことはできるもの!
甘えっぱなしの自分はやめます!自分の身も、マリナさんも、トラベロさんたちも、わたしが護ります……!護るために戦いますッ!!」
その決意の言葉と共に、遠心力に身を任せて飛び上がり――そして、男を思い切り地に叩きつける!
ぐほぁ、と先程以上に情けない声が飛び出し、男はそのまま泡を噴いて気絶した。
恐らく当分、起きる様子はないだろう。
「……はぁっ……はぁ…………ふぅ……」
息を切らしてファナリヤはへたりとその場に座り込んだ。
疲れがどっと押し寄せてきて、手もよくよく見ればぷるぷると震えている……
緊張の糸が切れた瞬間というのは、こういうことなんだろう。
「ファナリヤちゃん!」
心配そうにマリナが顔を覗き込み、ファナリヤの肩を抱き寄せる。
「だ、大丈夫、です……き、緊張、しちゃってたみたいで……凄い、疲れが……」
「……そっか。――まあ、そうよねえ。こんなことほとんどやってなかったもんね」
「はい……でも、今度から……使った時のことを考えて、怖がるのはやめます。やめる努力します。
だから、わたしがまた怖がってたら……叱ってくださいね」
へにゃりと笑顔を浮かべる。
その笑顔は今日見てきた――否、今まで見てきた彼女の笑顔の中で一番輝いているようにマリナには見えた。
……この場にトラベロ君がいないのが残念だわ。彼に一番見せてあげたいのに。
そんなことを思いながら、彼女の成長を心の底から喜びマリナも釣られて笑った。
「……さて、帰るにしてもこいつどうしようかしらねえ。そのまま放置?」
すっかり伸びている男を見ながらマリナが一言。
このまま放置して帰るべきか、警察に突き出すべきか……どっちにしろ色々と面倒なことが免れない選択肢である。
「……どうしましょう」
ファナリヤも答えに困っている。
まあ、マリナが答えに悩むような案件を彼女に回答しろというのも難しい話ではあった――主に人生経験的意味で――。
とはいえこのまま男が起きるまで悩むワケにもいかなくもあるワケであり、どうすれば何事も無く帰宅できるのか……
そう思案に耽っていた時だった。
「ご心配は無用です。この男は我々が回収して帰りますので」
一人の男の声が唐突に聞こえてくる。
――どこかで聞いたことのある気がする声だ。
ファナリヤはそう思っただけだったが、マリナは違った。
「この声……まさか!」
驚きを隠せないような表情で声のする先を見やる。
そこにはいつの間にか、男の前に二人の人物が立っていた。
一人はフードと帽子で顔を隠した小柄な男性――そしてもう一人は、以前幾度かファナリヤに接触した白髪の"狂人"。
「……エイ、ヴァス……ラヴレス……!」
ファナリヤが恐る恐る狂人の名を呼んだ。
あの時のことは嫌でも覚えていて、怖がるのをやめると決意しても体が震える。
その様子を察したのか、フードの男が忠告するかのようにエイヴァスに声をかける。
「今日の目的は、わかっていますね?」
「うるさいな……こいつを回収してさっさと帰ればいいんだろう?ならさっさと終わらせろ」
「おいてめえッ!!」
二人の行動を抑止するかのようにマリナが立ち上がって叫ぶ。
その声が向けられた先はフードの男、僅かに覗かせる瑠璃色の瞳はじっとそちらを見つめている。
「てめえ……何でそこにいんのよ。今までどこに行ってた……!!」
「……はて、私は貴女とお知り合いでしたでしょうか?」
「とぼけんな!!その声であたしに誤魔化せると思ってんのか!!トゥルケ!!!」
トゥルケ――マリナの弟の名。
ファナリヤははっとした顔で同じように男を見やった。男は帽子を目深に被り、一呼吸置いて答えを返す。
「申し訳ございません、そもそも私は名前がなくて。
強いて言うのであれば、そのまんまで「ジョン・ドゥ」と呼んでください。では、失礼致します」
そう告げた後、エイヴァスが伸びている男を抱えた状態で神秘力を行使する。
「おい待てッ!あたしの話はまだ――」
マリナがそう叫んだ頃にはもう、彼らの姿はどこにもなかった。
……翌日。
「あらファナリヤちゃん。出かけるの?」
昨夜のことなど何もなかったかのように、いつもの調子でマリナが声をかける。
しかしその目には酷い隈。一睡もできていないのだろう。
――無理もない、あんなことがあれば。そう思うも敢えてファナリヤはそこに触れずに置いた。
「はい。ちょっと、お買い物に」
「一人で大丈夫?ついていこうか?」
「わたし一人でやりたくて……大丈夫です、自分の身は、自分で護れますから」
「ふふ……そうね。気をつけていってらっしゃい!」
「はい、いってきます!」
買い物カゴを片手にファナリヤは玄関を出る。
携帯のアプリで地図を見ながら、目的の店へと一歩一歩進んでいく。
「えっと……次の曲がり角を、右に……」
ぶつぶつと確認するように呟きながら画面を見て歩く。
そして曲がり角を曲がった先で……
「きゃっ!」
前を見ていなかったので人と衝突。
互いに尻餅をつくが、ファナリヤは慌てて立ち上がってぺこぺこと頭を下げた。
「あ、ご、ごめん、なさい……!わ、わたし前、見てなかったですね……!」
「いえ、気にしないでください。私もよくやりますから……おや?」
……聞き覚えのある声。前にもこんなことがあったような……
ファナリヤはぶつかった相手の顔を見る。
――ターコイズブルーの髪に、瑠璃色の瞳の小柄な男性。
「また、お会いしましたね」
「あ、貴方は……!」
ファナリヤは目を丸くする。
この男性は以前、アキアスとカフェに行った時に偶然ぶつかった人物。
その時にどこかで見たような気がすると漠然とした何かを覚えていた。
しかし今度は漠然とした何かではなく、確実なものとしてファナリヤの頭に浮かんだ。そう、彼は――
「歩きスマホは危ないですよ。地図を見る為とはいえ気をつけてくださいね」
「あ、あの……」
「では……」
「ま、待ってください!」
立ち去ろうとする男性の後ろ姿へ叫ぶ。
「……何か?」
「あの……あの……トゥルケさん…………です、よね……?マリナさんの……弟の……」
トゥルケと呼ばれた男性は少し意外そうな顔を浮かべる。
そして数秒の沈黙の後、軽い溜息と共にこう答えた。
「…………あの姉のことだから、私のことは言っていないと思っていたんですがね」
くすりと笑った後、申し訳無さそうな顔を見せてから背を向ける。
「――すみません。私はまだ、帰れないんです。やらなければならないことがあって……」
「……やらなければ、ならないこと…………?」
「時がくれば、私から向かい全て話します。だからここで会ったことは、姉と母には黙っていて頂けますか?
それからレヴィンゼードさんと、レイディエンズさんにも同様に。お願いします」
そう告げると、トゥルケは目先にある青信号の横断歩道を渡っていく。
ファナリヤはただ、それを見送ることしかできなかった。
そして同時に、昨夜のことを何故か思い出す。
背を向ける前の揺らいだ瞳が、昨夜のフードの男のそれとデジャヴしてならない。
――例え同一人物ではないとしても、彼は……トゥルケはマグメールに関わっているんじゃないだろうか?
昨夜と今日のこれだけしか根拠のない疑問を、ファナリヤは抱かずにいられなかったのだった。
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