第四章 スーパーお嬢様女子大生対スーパーおたく女子高生



   1



「そうなるとだな、犯人は最初の強盗に違いない」

 コングがとうぜんのように、いい切った。

 まずい、最悪の展開だ。

 さくらは焦る。このまま強盗捜しがはじまれば、自分が強盗だったのがばれるどころか、殺人犯にされてしまう。

「なんでそういいきれるの?」

 つばめがいう。そう、最初の強盗犯が殺人犯でないことを知っているのは、さくらの他はつばめだけだ。

「なんでだと? いいか、殺人と煙幕の関係が偶然だと思うか? そんなわけないだろうが。あれは殺人に密接に関係してるはずだ。つまり殺人犯はあの煙を使って不可能殺人をなしとげたんだ。そうに決まってる。となれば、煙を起こしたやつ、つまり強盗が木更津を殺した犯人でもある。あたりまえのことだろうが」

 たしかにあれを偶然と考えるのは無理があるだろう。しかしそれでも偶然は偶然だ。偶然というなら、コングたちが入って来たことが偶然の極致だ。

「ついさっきまでは、学生さんが犯人だって決めつけてたくせに」

 つばめが挑発する。

「ぐっ、それはだな、もう一組の強盗犯だなんてもんがいるなんて知らなかったからだ。ふつう、そんなこと思いつきもしねえだろうが!」

 コングは痛いところをつかれたと思ったのか、声を荒げた。

「つまりこういうことだ。その色男の学生がノックしていたときには、個室の中には木更津の他に犯人がいた。ノックされたときは木更津はナイフかなにかを突き立てられ、下手なことをいえなかったんだ。だからノックを返すしかなかった。その後、犯人は木更津の喉を潰し、肩を外し、溺れさす。そして学生が外に出たあと、なんらかの方法で鍵を閉める。どうやったかはわからんが、それなりに時間はあったから小細工する暇はあったはずだ。そしてあらかじめ仕込んであった煙幕を出す操作をし、その間に煙にまぎれてトイレから出る。どうだ?」

 それなりに説得力がある。コングもじつはミステリーマニアに違いない。

「あ、あのう、もしよかったら、もう少し前の映像を出してみませんか? もしかしたら、トイレに入ったまま出てこない人がいるかも……」

 三宅がおどおどと提案した。

「なるほど。犯人はあらかじめトイレで待ち伏せしてたってことか。木更津を殺したあともしばらくはトイレに潜伏し、煙にまぎれて逃走する。ありえるな。よし、再生しろ」

 さくらは少し安心する。画面を隅からすみまでチェックして、映っていないやつを探せといわれるのが一番きついからだ。その場合、煙幕発生前に画面に映っていないのは、まちがいなくさくらただひとり。殺人はともかく、強盗の方は言い訳しようもない。

 三宅の操作によって、画面は十二時ちょっと前まで戻った。そして早送りしながらチェックしていく。するとひとりトイレに近づいてくる女がいた。

「誰だこいつは?」

 黒のワンピースに白いジャケットを着た髪の長い女。顔には金縁眼鏡。

 涼子?

 さくらにとってまったく意外な展開だった。しかし今画面に映っている女が涼子であることは、さくらにとっては否定しようがない。

 そして涼子はトイレに入った。

 そしてさらに驚くことに、その直後、ひとりの銀行員がやはりトイレに入った。

「木更津さんだわ」

 大島がいう。

 そして四、五分後、涼子が出てきた。その直後に勝が中に入る。

「この女が犯人か?」

「それは無理ですわ。この女が出たあとに、勝くんがノックの返事を聞いています。つまりこの女が出た時点では木更津さんは生きていたんですわ」

 コングの疑問を、美由紀が否定した。

 それに関してはさくらもお嬢様と同じ考えだ。涼子が犯人のわけがないし、論理的にも正しいと思う。

「でも入ったきり出てこなかった人はいないね」

 つばめがいう。

「もっと前まで戻せ」

 コングの命令により、三宅はだいぶ前まで戻したあと、早送りで画像を操作したが、やはり入ったきり出てこない人はいない。

「ううむ。俺の考えは外れたようだな。逃げるのは煙にまぎれるにしろ、待ち伏せするためには事前にトイレに入ってねえと話にならねえ。だがそんなやつはいねえ。くそっ。……ということは、つまり、学生、やっぱりおまえが犯人ってことだ」

 コングの考えは、けっきょくそこに戻っていく。

「お~っほっほほほほ。なるほど、そういうことだったのですか? わかりました。わたくし今度こそわかってしまいましたわ、真相が」

「おい、まて美由紀。俺は犯人じゃないぞ。こいつのいうことを真に受けるな」

 川口が必死に弁解する。

「わかっていますわ。安心しなさい。わたくしがあなたの無実を証明して差し上げますわ」

「なにぃ、ほんとか? おまえの推理は当てにならんからな」

 コングも疑わしそうにいう。お嬢様はプライドを傷つけられたのか、コングをきっと睨むと、きっぱりと断言した。

「ご心配いりません。さっきは少しどうかしていたんですわ。でも今度はだいじょうぶ。鍵をどうやって掛けたかも、どうやってカメラの目を逃れたかも、そして動機すら完全にわかりましたわ」

「いってみろ。試しに聞いてやる」

 コングはあまり期待していない様子でいう。

「一見、完全に不可能に見えるこの犯罪。でもわかってしまえば単純ですわ。コロンブスの卵のようなものです。犯人も普通なら逃げ切れたかもしれないのに、相手が悪かったようですわね。このわたくしというものが偶然この場にいた不幸を呪うといいですわ」

 スーパーお嬢様の高飛車な態度が完全復活した。

「じつは先ほどの推理はそう的を外していたわけではないのです。ただちょっと詰めが甘かっただけですわ。いいですか? 犯人は木更津さんを殺したあと、ドアから出た。それだけは間違いありません。なぜなら、それ以外に脱出方法がないからです。ではどうやって、ドアの鍵を外から掛けたか? 鍵は硬く、糸で引っ張ったくらいじゃ、動かないはずなのに」

 たしかにさっきも同じようなことをいっていた。

「じつは鍵は糸を引っかけただけで簡単に動いたんです」

 この発言にざわつきが起こった。

「なんでだ? 鍵が硬いことは銀行員たちが証言しているし、取り替えた形跡もない。そこまで確認しただろうが?」

 コングの意見はもっともだった。

「嘘だったんです」

 それじゃあ、最初の推理とまったく同じじゃないか?

「だから嘘じゃないって」

 大島がむっとしながらいう。

 銀行員たちは口々に同じことを口走った。

「おまえはなにがいいたいんだ? さっきと同じじゃねえか?」

 コングがいらいらした口調で叫んだ。

「いいえ、違います。先ほどは大島さんが嘘をついていたのだと思いました。だけどそれは他の銀行員の皆様に否定されてしまいました。だけど、もし、嘘をついたのが大島さんひとりじゃないとしたら?」

「なんだって?」

「そう、全員が嘘をついていたんですわ。そう考えないと謎は解けないんです。どうして犯人がトイレに出入りするのがカメラに映らなかったのか? 映らなかったんじゃありませんわ。録画されなかっただけ。つまりその間、十秒くらいの間、録画を止めたからにすぎません。さいわい録画は長時間録画できるように、一秒に録画するコマ数を落としていますから、多少ぎくしゃくした動きになります。時間が飛んでも気づきにくいんですわ。そして、機械を操作できるのは銀行員の方だけ。つまり、銀行の方全員がグルだったと考えるしかないです」

 場が凍りついた。誰も口を利けないありさまだ。

 全員がグル。たしかそんなミステリーの名作があった。このお嬢様はミステリーなど一冊も読んだことがないとむきになっていたが、嘘に決まっている。

「ちょっと待て。今ここにその鍵があるが、現に硬くて動かねえ」

 コングは、さっきねじ山を確認するために持ってきた鍵の金具をいじりながらいった。

「それはたまたま弾丸が当たって変形したせいでしょう。なにせゴジラさん、ドアを開けるために、鍵のあたりに拳銃を撃ち込んだのですから」

 お嬢様は怯まない。

「監視カメラとは客を監視するためのものです。ですから受付カウンターは映しますが、奥の職員がいるところまでは映しません。だから実行犯がトイレに行くときだけ、カメラを切れば充分です。実行犯は奥にいた職員、おそらくは男の支店長でしょう。動機に関しては、先ほどみなさん自らが告白されましたわ。そう、全員が動機を持っているのです」

「な、なるほど」

 コングがうなる。説得力があったようだ。

「あらっ、しゃべってるうちに、さらに思いついてしまいましたわ。最初の強盗犯。それはヤラセですわ」

 さらに動揺が広がった。

「考えてみれば、強盗が来たことにすれば、殺人も強盗に罪を着せられる。それどころか盗まれたことにしたお金を山分けにすることもできます。一石二鳥、いえ、三鳥を狙った計画だったんですわ」

 おおお、ナイスな思いつきだ。

 さくらはこの推理を大歓迎した。

 銀行員全員グル説が正しいかどうかは知らないが、ヤラセ説には大賛成だった。もちろんそれが間違いであることは知っているのだが。

「馬鹿馬鹿しい」

「そうよ。いったいなんの証拠があるっていうのよ?」

 支店長とお局様が同時にいい放つ。受付のふたりも口々に「そうよ、そうよ」と不満の声を上げた。

「ふふふ、語るに落ちるとはこのことですわ。ミステリーで真相を暴かれた犯人のいう台詞こそ、今あなたのいった台詞、『証拠はあるのか?』ですわ」

 だからあんたミステリー読んだことがなかったんじゃないのか?

 語るに落ちるとはこのことだ。やはり美由紀はつばめ並みのミステリーオタクだが、それを隠しているだけなのだ。

「ふざけないで。つまり証拠がないからそんなことをいうんでしょう?」

 お局OL、小笠原は粘る。

「やかましい。俺はこのお嬢様の推理を支持するぜ。俺は証拠なんていらねえ。証拠は警察が集めるだろうぜ。とにかくこれで俺はすっきりした。あんた口だけかと思ったら、いうだけのことはあるじゃねえか」

 コングは手の平を返したように美由紀お嬢様の推理をほめたたえた。

 さくらはつばめの方をちらりと見る。露骨に不満げな顔だ。

 いいから黙っててよ。そうすれば強盗の疑いから逃げられるんだから。

 そんなさくらの思いと裏腹に、つばめはいい放った。

「だけど、ほんとにそうなのかな?」

 だあああ。いいから反論するなぁ。もし誰かが、「じゃあ、もう一回モニターをチェックして、いない人を確かめよう」とかいい出したらどうするんだぁ?

「お~ほっほほほ。負け惜しみかしら? わたくしの勝ちですわ。それとも今の推理の欠点が指摘できて、なおかつもっと完璧な推理があるとでもいうのかしら?」

 お嬢様の勝ち誇った笑いに、つばめはぶち切れたらしい。

「もっと完璧な推理があるかどうかはともかく、あなたの推理は穴だらけだわ」

 負けずにいい返した。

「穴ですって?」

 美由紀はほんとうに驚いたようにいう。

「このわたくしの完璧な推理のどこに穴があるというのです?」

「そんなの画像を再生してみれば一発でわかるわ」

 つばめはそんなこともわからないのとでもいいたげだ。

「どういうことですの?」

「いい? 画面下に表示されるカウンターに時間が秒単位で記録されてるんだから、時間が飛べばすぐにわかるはずよ。そんなあとで調べればすぐにわかるようなことをトリックに使うはずがないわ」

「そうよ、そうよ。そうすれば私たちの無実が証明されるわ」

 小笠原も勢い込む。

「そ、そこまでいうのなら、もう一度、再生してみようじゃありませんか」

 そういうお嬢様に、先ほどまでの自信は感じられない。

「私たちにも異存はない」

 斎藤支店長は受けて立った。

「よし、じゃあ、もう一度再生しろ。俺がカウンターの時間をチェックしてやる」

 コングもつばめの意見を受け入れたようだ。三宅に機械の操作を命令する。

 そして画像は再生された。

 みな食い入るように画面を見る。時間が飛んだところがないかチェックするためだ。自然とみながモニターのある受付カウンターに集まってくる。

 え?

 そのとき、さくらは偶然つばめの奇怪な行動を目にした。みなが画面に気を取られている隙に、カウンターの上に集められたスマホを盗み取った。そして後ろ手のままダイヤルしたのだ。

 メールを打ったわけではないらしい。さすがに見ずに文字を打つことはできないのだろう。

 さらにつばめはその後、なにごともなかったかのようにスマホをカウンターの上に戻した。

 そうか? 中の様子を涼子に知らせるつもりなんだ。

 さくらはようやくつばめの意図がわかった。涼子のスマホに掛けて、中でどんな会話がなされているか教える。警察に情報を売って、コングたちを捕まえる隙を教えるつもりなんだ。

 つばめはこっそり耳打ちしてきた。

「あたしが隙を作るから、窓のブラインドを開けて」

 だけどそれは無理だ。コングは推理合戦に没頭しているし、ゴジラもけっこうそっちが気になってる様子だが、ガメラだけはそんなものに気を取られず、ずう~っと窓際に立っている。まったくなにを考えているのかわからないやつだけど、さくらがブラインドを開けるのを黙って見逃すとは思えない。

 下手なことをしようとしたら、このなにを考えてるかわからないサイボーグのような女に撃ち殺されちゃうじゃないか。

 そんなことを考えているうちに、モニターの画面は煙幕の部分に掛かっていた。

「あいつのいった通りだ。カウンターの時間は飛んでない。それに不審な動きもなかったな。つまり録画する際に操作されていないってことだ」

 コングがいう。

「つまり残念ながら、銀行員全員共謀説は却下だ」

「おおおおお」

 銀行員たちが歓声を上げる。

「そ、そんな馬鹿な?」

 第二の推理も見事に外し、死にそうな顔のお嬢様。よろけて床に崩れ落ちた。

「きゃ~はっはははは。また外した。馬鹿、馬鹿、ば~か」

 つばめが容赦なく笑う。

「あ、あなたはわたくしの推理にけちをつけることしかできませんの? 馬鹿にしたいのなら、まずは自分の考えを話してごらんなさいよ」

 お嬢様は怒りに紅潮した顔で、唇を震わせていう。

「もちろんよ。あたしには今度こそ真犯人がわかったわ。とうぜん密室の謎も、カメラに犯人が映らなかった謎も解けるわよ」

 つばめは自信満々な態度でいい切った。



   2



 熊野のスマホが鳴った。

『私だ』

「課長」

 うんざりだった。木更津が殺されたことを嗅ぎつけ、またやる気を奪うようなことをいいたいのか?

『ついに犠牲者を出したな、熊野。それに二組の銀行強盗ってどういうことだ? そんなことあるわけないだろうが。寝ぼけてんのか、おまえ』

 けっ、あんたはデスクの電話で現場の人間を怒鳴ってりゃいいのかもしれねえが、こっちはそうはいかねえんだ。

「いいですか? 銀行員が死んだと思われるのは、私が指揮をとる前です。その時点で私はまだ休暇中ですから責任をとりようがありません。それに銀行強盗が二組いると情報を流したのは犯人を動揺させる手段です。とにかく隙を作らなければ、突入も狙撃も不可能です」

『犯人が疑心暗鬼になって人質を殺したらどうするんだ? 猿なみの頭とはいえ、少しはものを考えろ』

 その休暇中の猿を呼び出せといったのは誰だ? ポチの提案とはいえ、決めたのはおまえだろう?

『もしこれ以上人質から犠牲者が出てみろ。マスコミに袋叩きにされるぞ。死んでいいのは犯人だけだ』

 だから犯人を狙撃したいのは山々だが、この状況じゃ撃てないんだよ。人質に当たってもいいのか?

「いっそのこと課長が来て直接指揮をとられたらどうですか?」

『なにを弱気なことをいってるんだ。君が責任者だ。すべて私に任せて課長は寝ていてください、くらいのことはいえんのか?』

 ほんとうに寝てくれるんなら、それでもいいぜ。熊野はそういいたかった。

「わかりました。お望みどおり、私が全責任を取りましょう。そのかわり一切口出ししないでくださいよ」

 そういって、電話を切った。

 さてどうする?

 陽動作戦を仕掛けたはいいが、中の様子がまるでわからない。犯人が飯でも要求すれば、弁当に盗聴マイクを仕掛けることもできるんだが。

「警部、なにか進展ありましたか?」

 先ほどの涼子という美少女がまた近づいてきて、聞いた。

「いや、残念ながらまだだ。犯人と話がつかない」

「じ、じつはこのスマホなんですけど」

 彼女は自分のスマホを突き出しながら、深刻な表情でいう。

「中にいる友達からかかってきたんです。ただなにも応答がなくて」

「なんだって?」

 熊野は彼女からスマホを引ったくり、耳に当てた。

「もしもし、警察のものだが」

 返答はない。しかしかすかに音が聞こえる。おそらく声は出せなくて、スマホを通じて中の様子を知らせようとしているのだ。

 話し声が聞こえた。なにかいい争っている。熊野は耳に神経を集中させた。

『きゃ~はっはははは。また外した。馬鹿、馬鹿、ば~か』

 なんだ? 少女の笑い声?

 音は遠かったが、まちがいなくそう聞こえた。

『あ、あなたはわたくしの推理にけちをつけることしかできませんの? 馬鹿にしたかったら、まずは自分の考えを話してごらんなさいよ』

『もちろんよ。あたしには今度こそ真犯人がわかったわ。とうぜん密室の謎も、カメラに犯人が映らなかった謎も解けるわよ』

 なんだ? いったいなにが起きてるんだ? 真犯人? 密室?

 木更津を殺したのは強盗犯だろう。ちがうのか?

「これこのまま貸してくれ」

 熊野は涼子にそういって、中で発せられる声を聞き漏らすまいとする。

「なにかこれを増幅して聞く方法はないのか?」

 同時にそう叫んでいた。ポチにいったつもりだったが意外な者が反応した。

「はあい、お呼びですかぁ?」

 レポーターの早川だった。

「うちの器材にマイクとアンプとスピーカーがあります」

 それだ。それを使えば突入のタイミングを計れる。早川はもちろんスクープ狙いなのだろうが、ありがたい提案だ。

「よし、頼む。ただしそれを放送するのは逮捕のあとだぞ」



   3



「おめえは、いったい誰が犯人だっていうんだ?」

 コングはもう半分どうでも良くなってきたのか、投げやりな態度でいう。

「ふふん、信じてないわね。まあ無理もないわ。これだけでたらめな推理が飛び交ったんですもの。でも、今度はだいじょうぶ。任せなさい」

 つばめは相変わらず自信満々だ。さっきあれだけ恥をかいたのにと思ってしまうのは、さくらだけではないだろう。

「お馬鹿な推理でしたら、思いっきり笑って差し上げますわ」

 美由紀お嬢様は早くも敵意剥き出しだ。もっとも二度も死ぬほど笑われたわけだからしかたがない。さくらはプライドを傷つけられたお嬢様に少しだけ同情した。

「たしかにこの事件は難しいわ。事件は窓すらないトイレの中で起こった。犯人はドアから出たとしか思えないのに、古くて硬い鍵や監視カメラの映像がそれを否定している。つまり二重の密室なのよ。じゃあ、犯人は透明人間なのか? もちろん、そんなはずはないわ。あたしたちはなにかを見落としていたのよ」

「前置きはいいから早く本題に入れ」

 つばめのもったいぶったいい方に、コングは苛ついたようだ。

「密室殺人の可能性は、分類していけばそういくつもないわ。まず一見殺人に見えるけど、事故や自殺である場合。今回はこれは除外していいと思うわ。でしょ?」

「まあ、そうだな。自殺でわざわざあんな馬鹿げた死に方するわけがないし、どんな奇跡が起こっても事故であんな状態になるはずがない」

 コングも同意する。

「肩の関節は明らかに何者かが関節技かなにかで外したものでしょう。偶然どうにかなるようなものではありません」

 高木医師が補足する。

「それじゃあ第二に考えられるのは、犯人が現場に入らずに、どうにかして外から殺人をおこなった場合。これも無理があるわ。銃などの飛び道具を使ったわけじゃないしね。あの殺し方から考えて、犯人は中にいなければならなかった。でしょ?」

「あたりまえですわ、外からは手が通るような小さな穴さえないのですから。中に入らない限り、肩を外したり溺れさせたりはぜったいにできませんわ」

 お嬢様も肯く。

「第三に、犯人が人間でない場合。これは人間には通過不可能なルートでも、動物なら可能な場合があるってこと。例えば蛇なら小さな穴を通れるし、サルなら足場のない、高いところからでも侵入できる」

 そういえばそういう小説もあったな。ふる~いのが。

 さくらがそんなことを考えていると、素っ頓狂な声を出すものがいた。

「も、もしかして」

 三宅だった。顔にはとんでもないことを思いついてしまったという驚きがありありと浮かんでいる。

「な、なんだ。なんか思いついたのか、おめえ?」

 コングが叫んだ。

「犯人は蛇? 木更津さんに巻きついて、肩を外したあと、首に巻きついて便器に引き摺り込んだとか。そしてそのまま配水管を通って逃げたんじゃ?」

 そんなわけないだろ! 誰もがそう思ったはずだが、つっこまない。

 コングもこんなぼけ娘に期待して聞いたのが間違いだという顔でだまりこんだ。

「第四に……」

 つばめも無視して進める。

「なにか機械的な装置を使った場合。例えば時限装置やリモコンを使って発射される弾丸、落ちてくる鈍器、飛び出すナイフ。でも肩を外して顔を便器に突っ込む装置は考えつきそうにないわ」

「も、もしかして、ロボット?」

 大ぼけをかますのはもちろん三宅だ。いままでパニクったり、おどおどしたりのイメージが強かったが、状況に慣れ、素が出てきたのか、やたらと元気だ。

 だが誰もつっこまない。

「第五に、催眠術のようなものを使う。でもこれも無理。催眠術じゃ自殺はしないし、肩だって外せない。薬品を使って半狂乱にさせるとかも意味なし。もちろん超自然的なものは無視よ」

「ビ、ビデオの呪い? それとも自縛霊の住み着いた呪いの家に行ったとか?」

 つっこまない。

「第六になにか機械的な操作で、外に出たあと、外部から鍵を掛ける。これが最も可能性が高いけど、今のところ適当な答えが見つからないわ。それに監視カメラの問題もある」

「おう、あの鍵をあとから取り替えた様子もねえしな」

 大田黒がいかにも建築現場の人間らしい意見をいう。

「第七に、犯人が逃走したあと、まだ息があった被害者が死ぬ間際に自分で鍵を掛けた。例えば犯人が戻ってくるのを恐れたとかいう場合よ」

「それは無理でしょう。被害者は溺れ死んだんです。自分で鍵を掛ける余裕があれば死んでいません。そもそも両肩が外れているんですよ」

 高木医師が冷静に反論した。

「もう、出つくしたようですわ。けっきょく、わからないってことでしょう?」

 美由紀お嬢様が明らかに敵意を込めていった。

「慌てないで、これからが本題よ」

 つばめは少しも焦りを見せない。

「第八に、死体が発見されたと思われるときに、被害者はまだ死んでいなかった」

「な、なにぃ?」

 コングが思わず叫んだ。

「そりゃどういう意味だ?」

「だから、ゴジラさんが拳銃でドアを破ったとき、木更津さんは、じつはまだ生きていたってことよ」

「つまりおめえ、……俺が殺したっていいたいのか?」

 ゴジラが叫ぶ。

 たしかに第一発見者はゴジラひとり。そのとき、まわりには誰もいない。殺すチャンスはあった。だけど……。

「無理だ。こいつが鍵を開けたあと、俺が見に行くまでせいぜい十数秒しかなかったはずだ。そんな時間であんなことができるはずもねえ」

 コングが弁護する。

 じっさい、その通りだ。第一発見者が瞬時に被害者の喉を掻き切ったというふる~い小説があったけど、状況が違う。あんな複雑な殺しをするには時間がなさ過ぎる。

「あるいはドアを開けたとき、木更津さんは死んだふりをしていた」

「な、なんだって?」

 聞き返したのはコングだが、全員が耳を疑ったはずだ。

「だから木更津さんはお尻丸出しで、便器の水に顔を突っ込みながら死んだふりをしてたっていったのよ」

「おめえは馬鹿か? そんなことをする馬鹿がこの世にいるとでもいうのか? けつ丸出しで、便所の水に顔を突っ込んで息を止めてる? そんなやつ絶対にいない。いるわけがない。そもそもその推理が正しいとしたら、あいつはまだ生きてるっていうのか?」

「そんなことはあり得ません。彼はまちがいなく死んでいました」

 コングに引き続き、遺体を調べた高木医師も反論した。

「そう、今はたしかに死んでいるかもしれないわ。だけど、高木先生が検死したときはまだ、生きていたとすれば?」

「だから死んでたっていってるでしょう。そんなことまちがいませんよ」

 高木医師はむきになって否定した。

「そ、そうか? エリートぶった顔をして、あんたが犯人だったのか?」

 高木に向かっていきなり叫んだのは、ずっとおとなしく話を聞いていた自称芸能スカウトの渋谷だ。

「つまり、この医者は死体を調べてると思わせておいて、死んだふりをしていた木更津に、こっそり毒針を刺すかどうかして殺したんだ。そういいたいんだろう、あんた?」

 渋谷はつばめに同意を求める。

 医者がグルで真犯人が死んだふり。たしかにそんな小説もあった。ミステリーの古典的名作だ。だけど死んだふりをしていたのが被害者で、死んだふりをしている間に、医者が殺す? たしかにめずらしいパターンかもしれない。だけど……。

「ば、馬鹿馬鹿しい。いったい私がなぜ彼を殺さなくちゃいけないんですか? そもそも彼はなぜ死んだふりをしていたんです。それもあんな格好で」

 高木は半分笑いながら反論した。

 至極とうぜんの疑問だ。高木が木更津を殺した動機はともかく、木更津があんな格好で息ごらえをしながら死んだふりをする動機などあるはずがない。

「お~ほっほほほほほ」

 お嬢様は目に涙を浮かべながら、死ぬほど笑った。

「なるほど。その推理ならば、たしかに密室の謎も、犯人がカメラに映らなかった謎も解けますわ。でも人間の心理を無視していますわ。この方のいう通り、木更津さんがそんなことをするわけがありません。まさしくミステリーだけを読んで生きてきたミステリー馬鹿にしか思いつかない空論。まともな常識を持っていればそんな考えは絶対に出てきませんわ。そんな考えに乗るのは恥知らずの痴漢くらいですわ」

 お嬢様は先ほど笑い者にされた恨みとばかりに、しつこく笑い続ける。もちろん自分に対して痴漢を働いたと信じている渋谷に対しても容赦はない。

「あたしもそう思います。木更津さんはわがままで常にかっこうつけていないと気がすまないような人でしたから、死んだふりだけならともかく、自分の意思で便器に顔を突っ込んだり、下半身丸出しにするなんて考えられません」

 大島もこの推理に反対した。

「それにあとで警察が調べれば死因など簡単にわかりますわ。毒殺と溺死をまちがうなんてことはありえません。つまりそんなでたらめな推理が通用するのは今この場だけ。ああ、残念ですわ。警察の検死に立ち会えれば、いかにこの子が場違いなピエロかはっきりとわかるのに」

 お嬢様はさらにとどめを刺そうとする。

 つばめは死ぬほどの屈辱を味わっているかと思えば、けろっとしていた。というよりも、むしろ薄ら笑いさえ浮かべている。さっきとは違う。

「やあねえ、高木さんが犯人だって断定したのは渋谷さんよ。あたしはただそういう可能性を潰しておきたかっただけ。あたしがほんとうにいいたかったのは、次の第九の……最後の可能性よ」

「そ、そりゃ、ないだろ?」

 渋谷の面子丸つぶれ。恨みがましい目でつばめを見る。キャバクラのライバル大田黒は、それを見て豪快にあざ笑った。

「まあ、馬鹿にするならこれを聞いてからにしてほしいわ」

「失敗を認めないつもりですの?」

 コングもお嬢様も呆れ顔だ。

「それでその第九の可能性とやらはいったいどういうやつなんだ?」

 つばめは不敵に笑う。

「第九の可能性とは、密室などはじめからなかった」

「はあぁ?」

 なかったってあんた、あったじゃないか?

「つまりどういうことだ?」

 コングも納得がいかないらしい。

「ゴジラさんが銃で鍵を壊してドアを開けたから、みんなドアに鍵が掛かっていたと思い込んでるけど、じつは鍵なんか最初から掛かってなかった」

「なんだとぉぉぉ?」

「つまり、ゴジラは鍵なんか掛かってなかったのに、掛かっていたふりをしたのよ」

 銀行員全員グル説や、木更津死んだふり説に劣らない衝撃が走った。

「なんで?」

 複数の声が重なった。

「だから俺は犯人じゃないって。俺には殺す暇なんかなかっただろうが」

 ゴジラがせかせか体を動かしながら訴える。つばめはまっすぐにゴジラを見すえた。

「そう。じっさいに殺した犯人は別にいる。あなたがトイレに行ったときには、木更津さんはあのとおりに死んでいた。ただ、鍵は掛かっていなかった。だけどあなたは掛かっているふりをしたのよ」

「だからなんでだ?」

 コングが叫ぶ。

「もちろんゴジラが木更津殺しの犯人の片割れだってこと。そして密室にしたのは事故死を演出するため」

「事故死を演出ですって? じゃあ、どうしてあんな殺し方をしたというのです?」

 お嬢様が口をはさむ。

「予定では、実行犯はもっと事故死に見えるやり方で殺すはずだったのよ。例えば滑って転んで、そのまま便器に顔を突っ込んで死んだかのように見せるとかね。だけど木更津さんの思わぬ抵抗にあい、必死になったあげく、両肩を外してしまった。そんなことを知らなかったゴジラは当初の予定通り、銃で鍵を撃ち抜き密室に見せかける。その結果、こんな不可解な事件になってしまったんだわ」

「嘘だ。このガキ、俺を嵌めようとしている。でたらめだ」

 ゴジラが叫ぶ。

「おい、じゃあ、その実行犯ていうのは誰なんだ?」

 ゴジラの訴えを無視し、コングはつばめに詰め寄った。

 誰だ? さくらは自分なりに考える。今の推理が正しいなら、実行犯はカメラに映っていたはずだ。

 お嬢様の彼氏、川口勝。

 鍵に細工する時間はなかったが、殺すだけはできたかもしれない。そしてノックして返事があったというのは嘘だ。そう考えればすべて納得がいく。

 彼以外に考えられない。

 だが、つばめが指摘した犯人はそんな当たり前の人物ではなかった。それどころか最も意外な人物だった。誰も疑わず、トイレに一度たりとも近づかなかった人物。そもそも殺人が起きたときにはこの場にいなかったはずの人物。

「犯人はあなただわ、ガメラさん」



   4



 誰もがしばし絶句した。

「馬鹿な、そんな馬鹿なことがあってたまるか。もしおまえのいう通りなら、犯人は学生だろう? それ以外に考えられん。ビデオ映像が証拠だ」

 数秒の沈黙を破り、コングが叫ぶ。つばめはコングを無視して、ガメラに詰め寄った。

「いいえ、違うとはいわせないわ。あなたが犯人よ、ガメラさん。もし違うというなら、なんとかいってみなさいよ」

 みなの視線がガメラに集まる。今までこの中の騒ぎをただひとり無視し、一言もしゃべらず、氷のように冷静に、ただひたすら外を警戒していたガメラが、はじめて動揺を見せた。

 ガメラは、なにを馬鹿なことをいうのと居直ったか? いや、彼女は悲しいほどに動揺していた。声を上げないし、マスクのせいで表情はわからないが、体が小刻みに震え、立っているのがやっとといったほどだ。

 つばめが目で合図する。

 さくらははじめ、なんのことかわからなかった。だがつばめがちらっと窓を見ることで、さくらはようやく思い出した。

 ブラインドだ。

 つばめはガメラの気をそらし、ブラインドを開ける隙を作ったのだ。

 そのことにようやく気がついたさくらは、こっそりブラインドを開ける。しかし誰もそんなことに気を止めなかった。

 コング、ゴジラ、ガメラの三人は激しく動揺し、人質たちもつばめとガメラに意識が集中していたのだ。

「馬鹿をいえ。どうしてこいつにそんなことが可能なんだ? 俺たちといっしょに入ってきたんだぞ。無理だ。そうだろうが」

 コングは否定しつつも、ガメラの様子をおかしいと感じているようだ。それを必死に否定したがっているように見える。

「そうですわ。まったくわけがわかりません。きちんと説明してもらわないと誰ひとり納得しませんわ」

 お嬢様もパニック状態だ。

「なぜ犯人がガメラなのか? 常識で考えれば犯人は川口さんだわ。煙幕で覆われる前にトイレに入ったのは川口さんなのだから。しかも彼はノックしたらノックが返ってきたとまで証言してる。常識で考えてそんなことはあり得ない。つまり、嘘をついていると考えるのがあたりまえだからよ。にもかかわらず、なぜ犯人はガメラなのか?」

 みんなつばめに釘付けだ。

 しかしさくらは思った。この推理は本物なのかと。

 違う。この推理はダミーだ。ガメラの注意を惹くために作り上げたダミーのはずだ。だってどう考えてもガメラが犯人のはずがない。

 つばめは思わせぶりな態度でみんなの注目を引き、警官隊の突入する隙を作っているだけだ。

 だけど変だ。それならなぜ、ガメラは動揺している? 常に冷静沈着、まるで感情のないサイボーグのようにふるまっていたガメラが、なぜでたらめの推理にこうまで脅えるんだ?

「みんな良く考えて。カメラに映っていたのはもうひとりいたはず。そう、正体不明の女がいたでしょう? 仮にその女をXとすると、まずトイレにはXが入る。そして木更津さんが入る。そしてXが出てくる。それから川口さんが入って、出てくる。これが一連の流れだわ。では殺人を犯したのはXかそれとも川口さんか?」

「でも川口さんはノックの返事を聞いているのよ。もしそれが嘘なら、彼が犯人だからだろうし、もしほんとうなら、Xが出たあと木更津さんはまだ生きていたってことでしょう? だからいずれにしろ、Xは犯人ではあり得ないんじゃないの?」

 答えたのは大島だ。

 その通りだ。そもそもXとは涼子に他ならない。つまりその論理でいけば犯人は川口勝ということになる。さくらにはそうとしか思えない。

「そうとは限らないわ。そんなものはリモコンで操作できる小型のボイスレコーダーかなにかがあればどうにでもなる。あらかじめ、ノックの音を吹き込んでおいて、犯人がリモコンで操作したのかもしれない」

「ボイスレコーダーだって?」

 ゴジラが叫ぶ。

「そしてゴジラは死体を見つけたときに、どこかにそれを隠すことができた。そんなことはものの数秒でできることだし、なにしろ発見時はひとりだったのだから」

「嘘だ、俺はそんなことをしていない」

 必死で弁明するゴジラ。

「そもそもあたしがなぜこんな主張をするか? それはさっきビデオを見たとき、Xがソファになにかを仕掛けるのを見たからよ。つまりXこそが煙幕を仕掛けた張本人であって、この事件と無関係とは思えないわ。それにXとゴジラが共犯関係にあるなら、今現在共犯関係にあるガメラほど怪しい女はいない。しかも見たところガメラとXは体型が酷似しているわ。それにもし川口さんが犯人だとすれば、わざわざ自分に不利な証言をするのも変よ。物証はないけど、これがガメラこそが犯人だと思う理由よ」

「おおおおお」

 口々に歓声が上がった。

「俺はそんなボイスレコーダーなんか知らない。調べてみろ」

 ゴジラはそういって、上着を脱ぎ出した。

 コングはコングでそんなゴジラを無視して、拳銃をガメラに向けた。

「貴様。よくも俺を嵌めやがったな。舐めやがって!」

 ガメラも反射的に銃をコングに向けた。

 同時に銃声がうなる。

 その直後、窓ガラスが割れた。わずかに遅れてライフル音が数発鳴り響く。

 コングが崩れ落ち、膝をつく。ゴジラはぶざまに尻餅をついた。ガメラも前のめりに倒れていく。

 さくらの目にはまるでスローモーションのように映った。

「きゃああああああ」

 叫び声が上がる。

 続いて入口から警官隊が突入した。そして倒れている三人に銃口を向ける。

「く、くそ……」

 コングが微かにうなった。他のふたりも動いている。死んではいないらしい。しかし反撃する力はないようだった。

 警官隊は負傷した三人の強盗に手錠を掛けた。

 誰もが呆気に取られている。あまりに劇的な終焉だ。あまりにも意外な犯人。そしていきなりの突入。

 いや、違う。

 さくらは一瞬納得しかけたが、あり得ない。つばめの推理はやはりダミーのでたらめにすぎない。なぜならXはガメラではあり得ないからだ。Xは涼子だ。

「真栄田つばめくんというのは君か?」

 プロレスラーのような体と、熊のような顔をし、ぴちぴちのポロシャツを着た髭面男が入ってきて、つばめに声を掛けた。

「警視庁の熊野警部だ。君が飛原涼子くんに密かに電話してくれて助かった。ブラインドを開けてくれたことも大助かりだ。よくこっちの願いがわかったな」

 さくらにはこの似合わない格好をしたマッチョな警部が妙に頼もしく見えた。自分を窮地から救い出したからかもしれない。

 かっこいい。

 軟弱な男にはないかっこ良さだ。鋼のような筋肉と、男らしさがいい。さくらは不本意ながら見とれてしまった。

 だ、だめだ、こいつは敵だよ。あたしは強盗なんだから。

 そう、相手は単純に自分を救い出した男ではない。自分の犯行を暴こうとする男でもあるのだ。

 そんなことを考えていると、三体の担架が運ばれて来た。

「よし、こいつらを乗せてやれ」

 警部の命令で三人の強盗は担架に乗せられた。

「おっと、病院に連れてく前に、そのマスクを剥いでやれ」

「まって、スクープ、スクープ」

 さっきテレビに出ていたレポーターがカメラマンを従えて飛びこんできた。制止しようとする警官隊の隙間からカメラでねらう。警部は無理に排除しようとはしなかった。

 武装警官がコングのマスクを剥ぐ。

 マスクと大して変わらない、ごつい顔が苦痛に歪んでいた。

 続いてゴジラ。金髪に染めた二枚目ふうの優男。

 あれ? この男の顔……なんか見覚えがある気がする。

 さくらはとっさにそう思ったが、誰なのか思い出せない。

 そしてガメラ。マスクの下にまとめた長い黒髪がこぼれ落ちる。

 さくらは心臓が止まるかと思った。

「涼子?」

 そんな馬鹿な? 涼子は外で銀行を見張っていたはずだ。

 そういえば、ゴジラの顔は、涼子の部屋にあった写真に……。涼子といっしょに写っていた男、シンジだ。

「嘘だ、嘘だ、嘘だ」

 さくらがいくら否定しようとしても、弾丸を胸に受け、革ジャンを血に染め、蒼白になって脂汗を流している女の顔は涼子のものだった。

「ご、ごめん、……さくら」

 涼子は震える声でそういった。

 なんで? なんで? なんで? ……なんで?

 なんで謝るんだよ、涼子?

 なにかの間違いだよ、これ。こんなことはありえないよ。

 さくらは心の中で叫んだ。



   5



 涼子は薄れいく意識の中で思いだした。あのときのことを。

 あのときも銃を向けられた。

 そしてその凶弾は、無情にも両親の胸を貫く。

 両親は苦悶の表情で倒れ、床に広がっていく真っ赤な水たまり。

 思い出したくない悪夢。この一年の間、何度もうなされた夢。

 あのとき、あいつが銃を撃つ前に蹴り倒していたら。

 いや、そもそも銃を抜く前に倒していたなら。

 こんなに、……こんなに苦しむことはなかった。

 あの日以来、一日たりとも忘れたことなんかなかった。

 あいつらはあたしの目の前であんなことを。奈緒子にあんなことを……。

 だからきょうも銃を向けられたとき、ためらわなかった。

 一年前も、銃さえ……銃さえ持っていたならば。

 あるいは銃を持っている相手を倒せる力があれば。

 そんな考えがぐるぐると涼子の頭を駆け巡る。まるで熱にうなされたかのように。

 死ねない。あたしはまだ死ねない。こんなところじゃ死ねない。

 あいつを殺すまでは。



   6



『あっ、たった今、狙撃隊がガラス越しに犯人を狙撃しました』

 マンガ喫茶「サボール」の個室で、正彦は実況中継をおこなっているテレビに必死でかじりついていた。

『そして警官隊が突入。一時間で解決すると宣言した熊野警部、ほんとうに一時間で決めました』

 レポーターの早川が興奮を隠すことなく語っている。

 そんなことはどうでもいいよ。

 それより姉ちゃんたちは無事なのか?

 涼子からとりあえずさくらたちは無事らしいという連絡を受けて以来、銃声はなかったらしいが、気になってしょうがない。それにしばらく前から涼子のスマホに掛けてもずっと話し中で繋がらないのだ。まったく状況がわからない。

『熊野警部、突入は成功したんですか?』

 早川はポロシャツ姿のごつい警部にマイクを突きつける。

『突入による人質に被害はない。今、中から連絡が入った。犯人は銃弾を受けたが命に別状はなさそうだ。逮捕してこのまま警察病院に運ぶ』

 そうコメントしたあと、若い刑事を引き連れて、みずからも現場に突入していった。

『人質は無事のようです。そして警部自ら中に入っていきました。突撃レポーターの早川亜紀子としては、このまま指を咥えて見ているわけにはいきません。あたしも突っ込みませていただきます』

 そういうと、銀行に向かって走り出し、カメラがそのあとを追った。

 とにかく姉ちゃんもつばめさんも無事だ。

 正彦は肩の力が抜けた。しかもご丁寧にこのレポーターは中の様子を実況中継してくれるらしい。

 カメラは銀行の中に潜り込んだ。常識では考えられない行動だ。

 中には人質たちが後ろ手に縛られたまま、唖然としている。みな無事のようで、さくらとつばめも元気そうに見える。床に倒れているのは皮ジャン姿でゴムのマスクを被った三人の強盗たちだけだった。

 三人とも血を流しながらもうごめいている。生きているらしい。

『よし、こいつらを乗せてやれ』

 警部の命令で三人の強盗は担架に乗せられた。

『おっと、病院に連れてく前に、そのマスクを剥いでやれ』

 カメラは制止しようとする警官の合間を縫って、犯人映像をとらえる。

 まずキングコングのマスクが剥がされた。凶悪そうな厳つい顔が現われる。

 つづいてゴジラのマスク。金髪の二枚目ふうの男だった。

 そしてガメラのマスク。

「ええええ?」

 正彦は知らないうちに叫んでいた。

 嘘だ。そんな馬鹿なことがあるもんか。あり得ない。

 そう思うのも無理はない。マスクの強盗たちが入ったあとも、正彦は涼子とスマホで話をしていたのだから。

 涼子がマスクの強盗の一味のわけがないのだ。

 なんで? なんでだ?

 正彦は必死で答えを探そうとしたが、まるでわからなかった。

 涼子は銀行内で自分と話していたのか? 

 そんな馬鹿げたことは考えられなかった。そんなことをすれば自分の正体がすぐにばれるからだ。

 じゃあ、自分が話していたのはいったい誰だ?

 論理的に考えて、それは涼子ではあり得なかった。

 しかしどう考えても、涼子だったとしか思えない。

 あの声。しゃべり方。そうかんたんにまねできるものではない。

 正彦は完全にパニックになっていた。

 とにかく現場にいってみよう。ここにいたってしょうがない。

 その前に、もう一度だけ涼子のスマホに電話してみようと思った。また話し中かもしれないが、ひょっとしたら繋がるかもしれない。

 リダイヤルボタンを押す。

『はい』

 意外にも相手は出た。それも涼子の声で。

「誰だおまえは?」

 電話は切れる。

 正彦は喫茶「サボール」を飛び出した。そしてすぐ裏にある四つ葉銀行に向かった。

 いるはずだ。彼女がそこに。

 銀行前の通りはほとんどお祭り状態だった。出店こそ出ていないものの、人があふれ、テレビ局のカメラが銀行前にひしめき合っている。

「なんなんだ、こりゃ?」

 どうやら取材班と、テレビを見た野次馬が集まっているらしい。

 くそ、どこだ?

 正彦は彼女を探した。たぶんまだどこかにいるはずだ。

「たこ焼やでぇ。食わな損やでぇ。おいしいおいしいたこ焼やでぇ」

 隣のたこ焼屋は、これぞ商売のチャンスとばかりに売りまくっている。じっさい、かなりの数の野次馬が「うまい、うまい」といいながら、頬張っている。その野次馬の中にはまぎれ込んでいない。

 探せ。あきらめるな。

 そしてあきらめかけたとき、ばったりと顔を合わせた。

 長い髪、大人びた顔、そして黒いワンピースに白いジャケットを羽織った姿。つい数時間前に見た涼子と同じ格好だ。

「なんで?」

 正彦はいわずにいられない。

「なんでなんだよ?」

「ごめんね、しょうがなかったのよ」

「みんな君のことを心配して……、だからこんなことをやったんだ」

「知ってる」

「説明してくれよ」

「もうわかってるんじゃないの?」

「わからないよ。だから聞いてるんだ」

 そう、わからない。まるでわからない。いったいなぜこんなことになったんだ?

 彼女はここにいてはいけない。いるはずがない。

 それにこの服装をしていてはいけない。

 涼子のスマホを持っていてはいけない。

「さよなら」

 彼女はそういうと、ひるがえって駆け出した。

「待てよ」

「ごめん」

 一度だけ振り向くと、そういった。そしてふたたび駆け出した。

 正彦は追おうとした。しかし人込みの壁に阻まれ、押され、跳ね飛ばされ、地べたに這いつくばる。

 ごめん? なんで謝るんだよ?

 もう小さくなった後ろ姿に、正彦はもう一度だけ叫んだ。

「待てよ、奈緒子ちゃん」



   7



『七時のニュースをお知らせします。きょうの午後、四つ葉銀行友愛一番高校前支店で起こった前代未聞のダブルブッキング銀行強盗事件、そして密室殺人事件に関する新たにわかった情報をお知らせします。警察の調べで、奪われた三千万が出てこないだけでなく、その他にも三千万円が銀行内から紛失していることがわかりました。銀行員の横領なのか、あるいは強盗の仕業なのか、くわしいことはまだなにもわかっていません。

 また、殺害された銀行員、木更津俊哉きさらづとしやさん二十八歳は、検死解剖の結果、水を飲んでの溺死であることが判明しました。

 逮捕された強盗団は主犯、後藤田猛ごとうだたけし、三十五歳と火野慎二ひのしんじ、二十歳、そして少女A、十五歳で構成されていて、後藤田は闇金融から多額の借金をしていた模様。火野も同じ金融会社からやはり多額の借金をし、返済の当てがなかったようです。おそらくそれが強盗の動機と思われます。少女Aはまだ高校一年生で、なぜこの事件に関わったのか今のところわかっていません。

 警察が突入する直前、後藤田と少女Aは仲間割れをして互いに撃ち合った模様です。ふたりは互いの銃弾と警察の放ったライフル弾を受け、警察病院に運ばれました。三人とも急所は外れ、命に別状はないと思われます。くわしい取り調べは、三人が回復してからになりそうです』

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