第三章 名探偵が多すぎる、怪しいやつも多すぎる
1
いったいなにがあったんだ?
正彦は不安になった。状況が飲み込めない。無線を聞いていても最初はパトカーの動きがわかったが、そのあとどういう事態になっているのかよくわからない。
ちゃんと逃げられたわけ? それにしてはなんの連絡もないし……。
外がみょうにさわがしい。いやな予感がした。
マンガ喫茶のボックス席に設置されているテレビをつける。ワイドショーがいきなり事件のことを報道し出した。
『お昼のスーパーワイドです。四つ葉銀行友愛一番高校前支店に強盗が入りました。きょうはいつものコーナーをお休みして、現地レポートを特番としてお送りしたいと思います。それでは現地に飛んでいるレポーターの早川さん、お願いします』
司会の中年アナウンサーから、現場に立っている若い小柄な女性レポーターに画面が切り替わった。ミニスカートにTシャツ姿、ショートカットのいかにも好奇心旺盛そうな女だ。不自然に眉をしかめ、真剣な顔でレポートする。
『はい、
犯人は拳銃で武装? 銀行内に篭城? 中で銃声?
なんかの間違いだ、そりゃ。
正彦はそう信じたかった。篭城はともかく、拳銃なんて持っていないし、人を殺したりするわけがない。
なんたって、もし計画が失敗して籠城しているとすれば、それはあの姉ちゃんとつばめさんなのだから。
『ご近所の方にいったいなにが起きたのか聞いてみましょう。いったいなにがあったんですか?』
レポーターの早川は隣のたこ焼屋のお兄ちゃんにマイクを向けた。
『わい、ちょうど見てたんや。たこ焼売っとったらそこの地下鉄の出口からマスクした三人がな、ばあ~っと走って銀行の中に入ってな。そしたらな、どばあ~って煙が出てきたんや。そしてそのあとに銃声。すごかったでえ。あ、ところでたこ焼食わへんか? めっちゃうまいでえ』
例のいなせな茶パツ兄ちゃんはまるでこの世の一大事というようなことを、いかにも楽しげに語った。
『こ、怖いですねぇ。いったい犯人はこれからどうするつもりなんでしょうか? 犠牲者出たのでしょうか? そして増えるのでしょうか?』
カメラの映像はまたレポーターに切り替わる。早川はさも深刻そうな表情で視聴者をあおった。
『長年、事件らしい事件のなかったこの街で、ついに凶悪な事件が起きてしまいました。このまま放送を続けていきたいと思います。新たなことがわかり次第、お知らせしていきます』
ゴムのマスクの三人組だって? 誰だよ、そいつら?
正彦は混乱した。
とにかく理解不可能な得体の知れないことが起こっている。それだけは間違いない。
ここにいていもしょうがない。とにかく現場を見ないと……。
いや、その前に涼子さんに電話だ。それが涼子さんの役目なんだし。
正彦は涼子の携帯番号を押した。
『はい』
「涼子さん? 正彦だけど」
『あ、ああ、正彦? どうした?』
「どうしたじゃないよ? いったいなにが起こってるの? 姉ちゃんたちは無事なの? テレビじゃ銀行に犯人が篭城してるとか、拳銃の音が聞こえたとかいってるけど、なにがあったのさ?」
『ああ、それがよくわからないんだ』
「なんでさ? 涼子さん見張りでしょう? 見てたはずじゃないか。テレビでいってたけど、マスクをした三人組が入ったってどういうこと?」
『だからそのままさ。キングコングとゴジラとガメラのマスクをした三人組が突入したんだよ』
「煙幕の前に? つまり姉ちゃんたちは逃げそこなったの?」
『ああ、……そういうことだね』
涼子はあまりのことに気が動転しているのか歯切れが悪い。
「そいつらなんなの?」
『わからないよ。とにかく、さくらたちは出てこれなくなった。そいつら警察に囲まれてることに気づいて篭城したからね』
「つまり姉ちゃんたちは人質になったってことだね?」
『そうだ』
「とにかく俺もそっちにいくよ」
『だめだ。正彦はそこにいろ』
「なんでさ、ここで警察無線聞いてたってしょうがないよ。無線じゃたいした動きはわからないし」
『いや、逆におまえがこっちに来たってなにもできないよ。こうなったらあたしたちにできることなんかない。来てもただ警察に顔を覚えられるだけだぞ。状況はあたしが随時教えるから、正彦はそこで情報を集めるんだ。警察無線にインターネット、それにテレビだってあるだろ。ニュース速報だって外じゃ聞けないからな』
「わかったよ」
『じゃあ、切るよ。お互いなにかわかったら知らせ合う。いいな?』
「うん」
そして電話は切れた。
大変なことになった。
銀行に篭城した強盗が逃げおおせた例はないだろうから、いずれその強盗は捕まる。正彦としては、それまでさくらたちの無事を願うしかない。
まてよ?
無事、マスクの強盗が捕まっても、姉ちゃんたちがやったことは警察にばれるんじゃないだろうか?
もしばれなくても、そうなったらもう三千万なんて手にはいるわけがない。
奈緒子ちゃんはどうなる?
きょうあたり、奈緒子ちゃんを誘拐した男から涼子さんに連絡が入るはずだ。涼子さんはどうするつもりなんだ?
正彦は自分たちがとんでもない状況に嵌まり込んだことを自覚した。
2
「そもそも、あの木更津とかって男はどんなやつなんだ? 誰かそいつを殺す動機があるのか?」
コングは、窓際に並んで地べたに座り込んでいる銀行員たちに向かっていった。
さくらはちょっと意外に思った。どうやらコングはただの粗暴な男ではないらしい。動機を追及しだした。そしてそれには同じ銀行員に聞くのが手っ取り早い。
ゴジラは体を揺すり、せかせかと歩き回りながらも、人質たちにちらちらと目を配った。一方、ガメラは例によって、人形のように一切の感情を表に出さず、沈黙を守ったまま、ひとり銃を構えてブラインドを少しめくり、窓から外を観察していた。
そういうことはこのふたりに任せて、コングは探偵役に徹するつもりらしい。
「おい、おまえ、ずいぶんやつに敵意を持っていたみたいだな」
コングがはじめにに問いかけたのは大島だった。彼女はついさっき、木更津はひとりだけ逃げ隠れしているに違いないと、敵意を持った発言をしていたために真っ先に疑われたらしい。
「いったいおまえとあいつの間になにがあったんだ? 殺したいほど怨んでたんじゃないのか?」
「あ、あの男は最低の男です」
気丈な大島はコングの恫喝にもめげず、はっきりという。
「銀行員の癖に、やくざめいた男ともつき合いがあったみたいです。職務時間以外はなにやってるかわかりません。暴力ざたにも関わってるかも。一週間くらい前には顔に痣作ってましたし」
「ほう? それから?」
コングが興味深そうにうながした。
「勤務時間だって、女子社員にちょっかいをいつも出そうとしてました。あたしたちにセクハラもしょっちゅうしてましたし。……支店長にいってもなにもしてくれませんでしたけど」
「な、なにをいうんだ大島くん? そんなことはないだろう」
支店長がすっとんきょうな声を上げる。
「だってそうじゃないですか? あの男が痴漢まがいのことをしたと訴えても、我慢しろって……」
「馬鹿、知らない人が聞いたら本気にするじゃないか?」
おそらく大島さんの方が正しいのだろうと、さくらは思った。それほど支店長は動揺している。
「ふん、つまり木更津とやらはどうしようもない不良社員で、女子社員にやりたい放題だったわけだな? そうなのか?」
コングは次に三宅に目を向けた。
大島と違い、この中でもっとも動揺しているのではないかと思えた三宅だが、まるで木更津になにかされてないと女の魅力で負けるかのように、目を潤ませながら激しく主張する。
「あ、あたしは大島さんに負けないくらいひどいことをされたんです。あの男、帰り道をつけて来て、事もあろうにあたしをレイプしようとしたんです。あたしあそこを思い切り蹴って、逃げて来たんです」
おいおい作ってないか、それ?
さくらは疑いの眼差しで見た。
まるで「あたしこそが一番魅力的なの、だから一番ひどい目にあったの」と主張したいだけなのではという気がする。
それを聞いて燃えたのが、おそらく三十なかばを過ぎていて、大人の色気というよりおばさん臭さを身につけた小笠原だった。
「まあ、あなたたち大変だったのね。だけど酷いことをされったっていうならわたしだってまけていないのよ。わたしは結婚を申し込まれたのよ。それで断ったら今度は殺すって脅すの。わかる? わたしは殺すって脅されてたのよ」
「ぜってえ、作ってんだろ、おまえ?」
コングが叫ぶ。
「し、失礼な。わたしに女の魅力がないとでもいうの?」
ヒステリックに叫ぶが、受付のふたりはもとより、支店長すら呆れた顔で見ていた。
みんなひどいことされた自慢をしているが、そのことが「わたしは犯人にふさわしい動機を持っている」といっていることに気づいていないらしい。
「つまりおまえたち女子社員には殺しの動機があるってことだ」
舞い上がる女子行員たちと違い、コングは冷静だ。
「で、でも、あたしたちがそんな目に合ってるのに、なにもしてくれなかった支店長も変です。きっとなにか弱みを握られてたんだと思います」
衝撃発言は大島だ。まるで日頃の鬱憤を晴らすかのように、支店長をきっとにらみつけると、普段はとてもいえないような心情を暴露する。
「お、大島くん、君はいったいなにをいいだすんだ?」
支店長は大声で叱責するが、動揺が丸見えだ。なにしろ銀行での立場が悪くなるだけでなく、殺人の動機があると取られるからなおさらなんだろう。
「だって支店長、あいつをクビにするどころか、みょうに特別扱いしてるし、絶対変です。ふつうじゃありません」
「あ、……あたしもそう思いますぅ」
三宅も大口開けて、大島を応援する。
「あなたたち馬鹿なことをいわないの。支店長に向かってなんて失礼な」
小笠原がたしなめても、大島は怯まない。
「支店長、小笠原さんと不倫してるんでしょう? それをネタに強請られてたんじゃないんですか?」
「な、な、なにをいうの? この小娘がぁああ!」
「き、君はいつもそうやって人のプライベートを詮索してだなぁ」
修羅場と化した。なかなか人間関係がこじれた職場らしい。さくらはこんな銀行にだけは就職しまいと思った。
「やかましい」
コングが怒鳴り散らす。
「つまり、おまえたち銀行員には全員に動機があったってことだな?」
一瞬静まり返った。
「つまり、木更津殺しの犯人は、おまえたち銀行員の中にいる」
コングは彼らを指差し、啖呵を切った。けっこう探偵ごっこを楽しんでないか、こいつ? まるでミステリーの終盤の名探偵のようなふるまいだ。
「おうおうおうおう、そいつぁあ、どうかなぁ?」
大声を張り上げ、ずいと一歩前に踏み出しつつ、まるでミステリーに出てくる間抜けな警部の間違った推理を正すかのように指摘をしたのは、作業着に地下足袋、日焼けした四角い顔に角刈り頭と見るからに大工な男。名前はええっと……たしか大田黒郷一郎だったっけ? さっきはあっさりとガメラに投げ飛ばされたくせに、やけにえらそうだ。
「俺は知ってるぜ、この中で他にも動機があるやつを」
後ろ手に縛られながら、仁王立ちし不敵に笑う。
「だ、誰だそいつは?」
コングすらその迫力に少しびびった。
「それは自称芸能プロの渋谷よ」
じ、自称? さくらはこけそうになる。
「俺とこいつはなあ、キャバクラでよく顔を合わせるんだよ。同じ女をどっちが早く落とせるか競ったライバルだ。それだけじゃねえ、殺された木更津もそこの常連で、ライバルのひとりよ」
大工は偉そうにいうが、いってることはちっとも威張れることじゃない。しかしそういうことなら、芸能スカウトの肩書きはますます怪しい。それで落ちる女がいるかもしれないからだ。
いわれてみれば、あんなしょぼい男が芸能スカウトとは疑わしい。
「しかもこいつは数日前に木更津と女のことが原因でけんかになった。木更津に殴られやがったんだよ。その頬の痣がなによりの証拠だぁ」
た、たしかによく見ると頬に痣が。
「ぐわっははははは。こいつはそのことを怨んで木更津を殺したに違いねえ。どうでえ、いいのがれできんのならしてみやがれ、こんちくしょうめ」
「違う、殴られたのは本当だが、殺してなんかいない」
渋谷は必死に弁解する。偽者スカウトかもしれないと思うと、さくらはさっきのように弁護する気力がなくなった。
「おい、つまりおまえも木更津とは敵対関係にあったってことだな?」
豪快に笑う大田黒にコングは詰め寄る。
「なにぃ? 馬鹿をいうな。俺はあんなやつ問題にしてなかったぜ。こんな渋谷みたいな野郎といっしょにするんじゃねえ」
「私だってそんなくだらないことで人を殺すもんか」
渋谷はここぞとばかりにつっぱった。
「よく考えてみろ。そもそも私はこの自意識過剰女に両肩を外されたんだぞ。殺せるわけないじゃないか」
「お黙り、下郎が」
美由紀がそれを受け、虫けらでも見下すように見ながら吐き捨てる。
「ふん、殺したあとに外されたんだろうが? そんなもんがアリバイになるとでも思ったんなら、おおまちがいだぞ、こんちくしょうめ」
大田黒も、なにをいってるんだこの馬鹿、といった顔で罵倒する。
だけど、じっさいのところどうなんだ?
さくらは考える。
木更津はいつ殺されたんだろう? 煙幕の前? 最中? あたしたちが銀行に入ったとき、木更津は自分の席に座っていたんだろうか? それともその時点でトイレにいたのか? 思い出せなかった。
「そもそも密室なんだろう? 私が殺したっていうならどうやって鍵を掛けたんだ? つまりやっぱり事故なんだよ」
事故? そんなことがあり得るだろうか? 木更津は両肩を外されていた。片方だけならなにかにぶつけて外れたってこともあるかもしれないけど。
少なくとも現場を見たさくらには、あれが事故や自殺とは思えない。拷問の末に殺されたように見える。
「密室、密室って、あんなの密室のうちに入らないわよ」
いきなり投げやりな態度で口をはさんだのはつばめだった。密室と聞いて目を輝かせていたのが嘘のようだ。きっとあまりに簡単に解けてしまったのだろう。
「一瞬興奮したけど、鍵は横にスライドする差し込み型のレバーだもんね。細い糸をレバーのつまみに引っかけておいて、ドアを閉める。そうすれば外から糸を引っ張るだけでレバーは嵌まる。あとは糸を外せば密室の完成。ほんの数秒あればできちゃうわよ。だから内鍵が閉まってたからって、事故や自殺である必要はないわ」
どうせならもっと複雑怪奇な密室を持ってこい、といわんばかりの態度だ。
「だから楽しみは犯人当てだけなの。だから続けて、罪のなすり合いを。それで必要な情報がそろうと思うわ」
「おめえ、ひょっとして探偵の真似事ができるのか?」
コングが聞く。
「まかせといて。あなたたちが犯人でないなら心配する必要はないわ。あたしがきっちり解決してあげる。探偵の真似事じゃなくて、あたしは名探偵なの」
つばめが調子こきはじめた。
「なんてったって、日本海外問わず、数千冊のミステリーを読破し、そのほとんどの真相を当てた経歴を持つんだから。あなたは必要なデータだけあたしに提供してくれればそれでいいの」
「お~ほっほっほっほ」
つばめの思い上がりを打ち砕くかのようなけたたましい笑い声。美由紀スーパーお嬢様だ。きっと手さえ自由ならば、手を口に当て、天を見上げて笑ったに違いない。
「ミステリーを読み込んだから名探偵? 笑えますわ。こんなに笑ったのは久しぶり。わたくしはそんなくだらないもの読んだこともありませんけど、あなたよりも優秀な頭脳でこんな事件解決して差し上げますわ。ええ、ミステリーのようなものは一度たりとも読んだことなどありませんけど、そういう名探偵がいてもいいでしょう?」
ほんとは大好きなんじゃないのか、ミステリー?
「あら、ほんとは隠れて読んでるんでしょ? あたしに負けないくらい。だって一見ゴージャスなその外見の下からあたしと同じ匂いがぷんぷんするわ」
つばめもそのことを感じ取ったらしい。
「まああ、なんてことをいうの、この子は? わたくしが、あんな下品で下らなくて、人間が描けてなくて、パズルのように人が死ぬだけの小説を読むとでも? しかもあなたと同じ匂いですって? 馬鹿にするのもほどほどにしていただけません?」
似てる。たしかに似てる。
さくらは思った。外見や喋り方はまるで違うが、その本質は驚くほど似てるような気がする。つばめと美由紀はそっくりだ。それは直感に過ぎないが、絶対に外れていない気がする。
「わたくしがあなたのようなオタク少女と同類のわけないでしょう。何千冊もの本を読んでやっと推理の仕方を覚えた人といっしょにしないでいただきたいわ。わたくしはそんなものに頼らなくてもわかるんです。なぜなら天才ですから」
この人、むきになればなるほどつばめに似てくるような気がする。
とにかく似たものはぶつかり合う宿命だ。ふたりの火花の散らし合いに、みんなぽか~んとした顔で見ている。
「あのぅ、探偵さんの推理を覆して悪いんだけど」
そういったのは大島だ。
「さっきの密室トリック、ちょっと無理があると思うわ」
「え、なんで?」
つばめはまさかケチをつけられるとは思っていなかったようだ。
「あの鍵はすごく硬いのよ。バーが錆びた上に少し曲がっちゃって、手で引っ張ってもなかなか閉まらないくらいに。だから糸を引っかけたくらいじゃ閉まらないと思うわ。思い切り引っ張れば、きっと糸の方が切れちゃう。かといって、ピアノ線みたいなのを使えばドアに疵がつくと思うし」
さっき見た限りではそんなピアノ線で擦ったような跡はなかった。
「そ、そうなの?」
つばめは怒るかと思いきや、顔をぱあ~っと輝かせる。
「つまりそんな簡単なトリックじゃないってことね?」
「嬉しそうに笑ってるんじゃねえ。おまえほんとうに名探偵なのか?」
コングが怒鳴る。しかしつばめはまったくひるまない。コングを無視し、お嬢様に宣言した。
「いい? 勝負よ。あたしとあんたのどっちが名探偵か? タイムリミットは救出されるまで。それまでにどちらが真相にたどり着けるか?」
「お~ほっほっほ。面白いわ。あなたのようなただのミステリーオタクがわたくしに勝てるかしら?」
あまりにも馬鹿馬鹿しい女の戦いがはじまった。互いに後ろ手に縛られた状態で立ち上がり、至近距離でにらみ合う。このふたりの自称天才女の意地の張り合いに、まわりの誰もが明らかに呆れていた。
「ふふ、ひらめきましたわ」
おお、美由紀お嬢様、先制ポイントか?
「お~ほっほっほ、わかりましたわ、犯人も密室の謎も」
「嘘?」
つばめは動揺を隠せない。
「犯人はあなたね、大島さん」
「はぁ?」
大島は速攻で真実を暴かれ、驚愕した。といいたいところだが、じっさいは、この変なお嬢様はいったいなにをいいだすんだといわんばかりの顔で、間の抜けた声を上げた。
3
熊野は少し焦りだした。
電話を入れて要求を聞こうとすれば、今それどころじゃないと逆切れする。
それどころじゃないってどういう意味だ? ありえんだろ?
包囲された強盗なら、どうやって逃げるかしか頭にないはずだ。この俺が個人的な恨みを忘れて、要求を聞いてやろうとしてやったというのに。
強盗団のリーダーがなにを考えているのかまるでわからない。
それほど強盗事件を担当しているわけでもないが、さまざまパターンがある殺人犯とちがって、追いこまれた強盗の考えなんてそうそうあるはずがないのに。
こんな経験ははじめてだ。
「やつらどうするつもりっすかねぇ?」
星は気楽にいう。
この野郎、俺の立場も知らないで、なんて気楽なんだ。俺は失敗すれば離島勤務だ。しかもひとり人質が殺されたのはおそらく間違いない。つまり、俺の将来はすでに真っ暗だ。それなのにこの男は。
「いやあ、課長が『誰もいないから、とりあえずおまえ行け。上が行くまでおまえが指揮をとれ』っていったときには、ほんとどうしようかと思いましたよ」
そのまま、おまえがずうう~っと指揮をとってりゃ良かったんだ。
熊野は心の中で毒づく。
「しかも現場に着くと、『当面、誰もいけないからおまえが責任者だ』なんて連絡してくるから、すかさず『熊野警部を呼びましょう。どうせ暇をもてあましてますよ。なんなら私が電話して呼びます。五分できますよ』って提案したんすけどね。ほんとに五分でくるんだものな、あははははは。警部、せっかくの休みなのに暇すぎますよ」
殺す。いつかこいつ殺す。
こいつのせいで香ちゃんには振られ、休暇は台なしになり、左遷が決まりだ。
「だから警部、遠慮しないで指揮とってください。警部の命令ならなんだってやりますよ、俺は」
じゃあ死んでくれ。
そういいたいのをやっとの思いで飲み込んだ。だが、じっさいのところどうする? 相変わらず犯人は狙撃する隙を見せないし、突入する場所もない。
「警部さ~ん」
そんなことを考えていると、黄色い声を上げて若い女が近づいて来た。それも馬鹿でかいテレビカメラをかついだカメラマンを従えてだ。
「あのぅ、あたしワイドショーレポーターの早川亜紀子です。警部さんがこの事件の最高責任者なんですよね?」
早川は可愛らしい童顔に好奇心いっぱいの笑顔を浮かべ、マイクを突きつける。
「そ、そうだが」
「きゃああああ。警部、照れてます。それにこの服装、なんか可愛いぃ」
お、おめえこそ、可愛いじゃねえか。熊野はその言葉を飲み込んだ。
「あのポルシェ、警部のだってほんとうですかぁ?」
どこから聞きつけたのか、そんなことまで聞き出す。
「ま、まあな」
「かっこいいいぃぃ。ぜひ今度乗せてくださいねっ」
「い、いいぜ」
「なにいってんすか、警部。今それどころじゃないでしょう?」
ポチのやろうが口を挟んできやがった。
「おい、警部は今忙しいんだ。邪魔すんじゃねえ。マスコミはまだ立ち入り禁止だ。しっしっ」
「ひっど~い。なにこの人?」
この若造は学生時代から女にキャーキャーいわれていたせいで、女に対する口の利き方を知らない。
「ふんだ。あんたみたいなちゃらちゃらした若造より、こっちの警部の方がたくましくて可愛いんだから」
そういって、早川は熊の腕に手を回した。
積極的じゃねえか! 熊野は舞い上がる。
「警部、なにでれでれしてんですか? そんなことだから、女子高生に手を出したあげくに恐喝されるんすよ」
テレビカメラに向かってなんてこといいだすんだ、この馬鹿は?
反射的に鉄拳をポチの頭に叩き下ろす。もちろん手加減なんかしねえ。
ポチは頭をかかえてうずくまっているが、知ったことか。
「つまらねえ、ジョークをいってんじゃねえぞ。本気にするだろうが、知らない人が聞いたらよ」
まったくこの男は、島流しだけじゃ物足りなくて、俺をクビにしたいのか?
この発言で、早川がちょっと引いたように気がする。
「と、ところでさっきの銃声は? 誰か犠牲になったんですか?」
いきなり真面目な顔になり、事務的な質問をしてきた。しかももっとも突かれたくない急所を的確に突いてくる。
「まだくわしいことは、なにもわかりません」
そういうしかなかった。人質が死んだなどといえば野次馬たちだけでなく、課長が騒ぎだす。
「解決のめどは?」
これまた厳しい質問だ。
「一時間だな」
「えっ?」
「一時間以内にすべて解決してみせる。この熊野に不可能はない」
なぜこんなことをいったのか自分でもよくわからない。もしかするとポチの失言から名誉を回復したかったのかもしれない。あるいは無意識の内に自分を追いこんで最高の力を発揮させようとしたのか? とにかく、なんの当てもないまま、発作的にそう口走ってしまった。
「みなさん、聞きましたか? 熊野警部は、宣言しました。一時間以内に事件を解決してみせると。さすが警視庁切っての名警部、熊野警部です」
早川はカメラに向かって、今の発言をほめたたえた。
「ありがとうございます。いいコメントいただいて」
早川は最後にとびっきりの笑顔でそういうと、「スクープ、スクープ」と叫び、走り去っていった。
「警部ぅ」
ポチが呆れたようにいう。なにか当てでもあるんですかといいたいのだろう。
「あのぅ」
後ろから声を掛けてきた女がいた。さらさらの長い黒髪をし、黒いワンピースに白いジャケットを羽織った美女。彼女も早川同様、立ち入り禁止措置を突破して入ってきたらしい。
熊野はこの女が一見大人びて見えるが、おそらく十五、六歳、最大でも十八を超えることはないだろうと見当をつけた。そういうことはほとんど外したことがない。ロリータアンテナがついている。
「ほんとうに一時間で解決してくれるんですか?」
「君は?」
「飛原といいます。今あの中に友達がいるんです」
「なんだって?」
たしかに彼女は顔に心配そうな表情を浮かべている。
「それで、なにかわかることでもあるのか?」
「いえ、スマホも通じませんし……。たぶん犯人に取られたんだと思います」
たしかにひとり一台携帯電話を持つ時代だ。中の情報を漏らさないためにも、犯人は携帯を取り上げるだろう。
「あ、あの、さっき誰かが撃たれたんですか? ひょっとしてあたしの友達が……」
「友達って女子高生か?」
「はい、ふたりいます」
「はっきりはわからないが、女子高生が撃たれたという情報は入っていない。撃たれたとしたらべつの人間だ」
そう、撃たれたとすれば木更津とかいう銀行員だ。女子高生じゃない。そしてその後、新たな銃声はおきていない。
熊野も女子高生が殺されるなどといった事態はなんとしても避けたい。
「そうですか、ありがとうございます」
飛原と名乗った女は頭を下げると、すこし離れてからスマホを掛けた。熊野は何気ないふりをして聞き耳を立てる。
「あ、正彦? 涼子だ。警察に確認したら、今のところ、さくらとつばめは無事らしいよ。そっちはなにか新しい情報入ったか? ……なにもない? わかった。なにかわかったらまた電話する」
彼女はせいいっぱい強がっているのか、男のような口振りで誰かにそう伝えると、電話を切った。
きりっとした顔つきが、途端に憂いを秘める。それを見て、熊野は思った。
可憐だ。
4
「なんであたしが犯人なの?」
大島が呆れた顔でいった。
さくらもそう思う。いったいなにを根拠にそんなことをいいだしたのだろう、このお嬢様は?
美由紀は少しも慌てずにどっしりと仁王立ちしたまま、論を展開していく。
「まず、あの状況でどんな可能性があるか考えて、ひとつひとつ潰していけば、残るのが真実ですわ」
とりあえずは正論だ。そこまではさくらにも異存はない。
「まず、自殺、あるいは事故。でもあの状況からそれは考え難いですわ。なぜなら、被害者は両肩を外されていた上に、喉に打撃を受けている。喉の打撃はともかく、肩なんていうものは関節技でも使わない限り、そう簡単に外れるものではありません。両肩同時となればなおさらですわ。つまり、犯人によって人為的に外されたとしか考えられません。さらにあのサディスティックな殺し方から考えて、犯人は木更津さんを怨んでいた。そう考えられます」
「だけど木更津さんを嫌ってたのは、あたしだけじゃないわ。さっきはっきりしたでしょう?」
大島はお嬢様をきっとにらんで反論する。
「もちろんですわ。ただあなたも候補に入っていることをお忘れなく」
美由紀は話の途中で邪魔をするなとばかりに大島をにらみ返すと、反論をさえぎった。
「次に、犯人はどうやって犯行後に外に逃げたか? 可能性は限定されます。ドア以外の場所から逃げたのか? その可能性はありませんわ。窓もついていないし、天井には点検口もありません。つまり犯人はドアから逃げたのですわ。それではいつ? 犯人は殺害後にどこかに隠れていて、ゴジラさんがドアを開けたあとに逃げたのか? あるいはいまだに隠れているのか? その可能性はありませんわ。なぜならトイレの中にはどこにも隠れる場所などないからです」
話が盛り上がるに連れ、美由紀の態度は偉そうになっていく。ほんとうにそういう所はつばめにそっくりだ。
「つまり、犯人はその前にはすでに脱出していた。ではどうやって? 先ほどこの方がいったように糸で操作してレバーを挿し込んだのか? 残念ながら、それは大島さんによって否定されましたわ。鍵は硬くてそれは無理だと」
「ええ、その通りよ」
大島は肯定する。その理知的な瞳には挑戦的な炎が燃えさかっていた。
「残念ですがそれは信じられません。なぜならそれが唯一の可能性だからです。他の可能性はあり得ません。つまりどういうことか? 論理的に考えて、考えられることはただひとつ。大島さんが嘘をついている。鍵は糸で操作できた。それならなぜ大島さんはそんな嘘をついたのでしょう? それは彼女が犯人だからに他なりませんわ」
美由紀は体を反らせ、鼻をツンと上に向け、これ以上ないくらい偉そうにいい切った。
「あ、あのう、……それはちょっと無理だと思います」
ひとりだけ拘束を免れている三宅が遠慮がちに挙手し、けちをつけた。
「な、なぜですの?」
「だって、鍵のことはほんとうなんです。うちの職員ならみんな知ってますよ。それに大島さんはずっと受付カウンターであたしの横にいました。アリバイがあります」
その一言に美由紀は固まった。
「ぎゃははははははははぁ。馬鹿、馬鹿、ば~か」
つばめだった。つばめはよほどおかしいのか、後ろ手に縛られたまま、芋虫のように床をごろごろと、それこそ文字どおり笑い転げた。
「ピエロ。ピエロだわ、この女。名探偵のふりをしたピエロよぉ」
目に涙を浮かべながら、ばんばんと足で床を叩く。ほとんど友達の失敗を笑う小学生だ。
美由紀は顔を紅潮させ、唇をかみしめながら、体全体を小刻みに震わせている。これほどの屈辱を味わったのは、あるいは人生ではじめてかもしれない。
「口先だけの名探偵かよ」
コングが吐き捨てた。
「おだまり!」
美由紀は自分の命を握っている男を一喝すると、つばめにカミソリのように鋭いまなざしを向ける。
「じゃ、じゃあ、あなたにはなにか考えがありますの? 人の失敗を笑うだけなら誰だってできますわ」
「そうね、犯人はまだわからないけどさあ……」
つばめはようやく馬鹿笑いをやめ、話しはじめた。
「密室の謎は解けたわ」
ほんとかよ? さくらは、つばめが美由紀の二の舞いにならないことを願った。
「ほんとですの? いったいどうやったっていうんです?」
「鍵を取り替えたのよ」
「えっ?」
「だから、犯人はあらかじめ、……たぶんきょうの午前中だと思うけど、鍵を同じ型で、もっとスムーズに動くものにつけ替えておいたのよ。だから糸のトリックが使えた。ただそれだけだわ」
「おおお」
口々に歓声が上がる。たしかにそれが合理的な唯一の可能性かもしれない。
「おうおうおう、悪いが嬢ちゃん、そいつはどうかな?」
しかしそれにけちをつけるものが出た。見るからに大工な男、大田黒だ。
「な、なんでよ?」
つばめの顔に不安が走る。
「俺がさっき見た限りじゃあ、鍵は新品に見えなかったぜ。だいぶ古い、錆がついたものだった」
「だから新品じゃ怪しまれるから、わざと古いのを使ったのよ」
「そいつぁ、どうかな? ビスのねじ山を見てみればわかるんじゃねえのか? もしねじ山にも錆がついてれば取り替えてねえってこった。ドライバーで回すときに錆が削りとられるからな」
「おい、外れた錠を持ってこい」
コングがゴジラに命じた。そして持ってきた金具を見る。
「大工のいう通りだ。ねじ山に錆がついてる。つけ替えた形跡はねえ」
コングがそういうと、一瞬の沈黙のあと、けたたましい声が上がった。
「お~ほほほほほほほほ。人のことを馬鹿呼ばわりしておいてなんて間抜けなの? 名探偵のふりをして観察力ゼロ。ミステリーを何千冊も読破したから名探偵ですって? 無駄。まったくの無駄。あなたは人生の貴重な時間を無駄に捨てていたんですわ。なんてかわいそうなんでしょう」
美由紀は後ろ手のまま、ぴょんぴょんと飛び跳ね、目に涙を浮かべながら、大口を開けて笑い続けた。
まさしく似たもの同志とはこのことだ。ちょっと表現方法が違うだけで、やってることはつばめとなんら変わらない。
つばめの反応もまさにうりふたつ。真っ赤になってぶるぶると震えている。
「ちっ、ほんとに口先だけだな、おまえら」
コングがそんなことをいって、火に油を注ぐ。
「面白くなってきたわね。つまりこの密室はそう簡単に解けないってことよ。だからこそ解決し甲斐があるってもんだわ」
つばめはそういって笑った。必ずしも負け惜しみだけではなさそうだ。じっさい、難解な謎を解き明かす喜びに打ち震えているらしい。
「おい、俺が知りたいのは密室の謎じゃなくて、誰が殺ったかだからな。つまり俺たちが犯人じゃないことを警察に証明できればそれでいい」
コングがつばめの喜びに釘をさす。
「もちろんそれも暴いてみせるわよ。あたしの想像ではきっと密室の謎を解くと、自動的に犯人もわかると思うわ。どっちにしろ解決まで時間の問題ね」
つばめはめげない。高らかに勝利宣言した。
「お~ほっほ、もちろんわたくしだって負けていませんわ」
スーパーお嬢様も負けずに宣言する。
「おうおうおう、ところで俺の渋谷犯人説はどうなったんでえ? まさか却下されたんじゃねえだろうな?」
見るからに大工な男、大田黒が蒸し返す。
「だから、その暴力女に肩を外されたんだ。そんなことはできなかったっていったじゃないか」
「だからよぉ、それは殺したあとの話だろうが、こんちくしょうめ」
大工は渋谷の反論を認めない。
「そのことだけど、そもそもあいつはいつ死んだんだよ?」
せかせか歩き回りながら人質を監視していたゴジラが、口を挟んだ。
「残念ながら、遺体の状況からははっきりした死亡時間まではわかりませんね」
高木医師が事務的な口調でいう。
「そういえば、木更津君は強盗騒ぎのちょっと前には席を外していたな」
斎藤支店長がぼそりという。
「監視カメラを見てみればいいんじゃないかしら?」
大島が提案した。
「映像はずっと録画されているわ。トイレの入口も画面に入っているはずよ。トイレの個室の中までは見えなくても、いつ誰がトイレに出入りしていたか調べれば、犯人がわかると思うわ」
「それだ!」
コングが叫ぶ。
「おめえの方が、このふたりの自称名探偵よりもよっぽど頼りになるぜ」
その一言に、つばめと美由紀はそろって口を尖らせる。
えっ、で、でも、それってまずいんじゃないの?
さくらは恐ろしいことに気がついた。
煙幕が噴き出すまで、あたしの姿は画面に映っていないはずだ。それまではべつの服装をしていたのだから。
だけど、それはすなわちトイレにいたからと思われるんじゃないだろうか?
あるいはそれが原因で、男の子に変装していたのが自分だとばれる?
どっちにしろまずい。
まずい、まずい、まずい。非常にまずい。どうする?
残念ながら、今さらどうすることもできない。
「おい、おまえ操作できるんだろ? 録画を止めて、監視カメラを再生してくれ」
コングは人質で唯一手を拘束されていない三宅に命令した。
「は、……はいぃ、あわわ」
三宅は冷や汗を流しながら、意味不明の返事をし、ばたばたと走り回る。監視カメラのモニターはカウンターの一番端に置いてあり、画面はもちろん部屋の奥の方を向いている。三宅はそのモニターの向きを変え、みながいる方に向けると、機械を操作した。
モニターの画面は四分割されている。真ん中で縦に分かれ、画面がさらに上下でふたつに分かれている。
左の画面がATMを睨むカメラ。分割された下の画面はなにも映っていない。右のふたつがカウンターと待ち合いコーナーを映している。トイレの入口が写っているのは、その内の上の方の画像だ。
「ちょっと小さすぎてよくわからんな。このトイレのドアが映っている画像だけ拡大できないのか?」
「あ、はい、できます」
三宅は機械を操作して、コングのリクエストに答えた。四分割されていた画面はそのカメラの画像だけになる。
さくらにしてみればとりあえずありがたかった。ひとつのカメラの映像なら、映っていなくてもいい訳できる。
「きょうの画像全部残ってるのか?」
「はい、テープじゃなくて、ハードディスクに直接記憶させるタイプの機械ですから長時間記憶できるんです。一ヶ月前のものでも瞬時に呼び出せます」
「よし、それじゃあ、十二時すぎくらいの画像を出せ」
三宅がなにやら真剣な顔で、ぱたぱたと機械を操作すると、下の日付と時間のカウンターが十二時十分になっている画面が現われた。カメラの画角はトイレの入り口以外に待合いスペースもカバーし、客たちの姿が映る。コマ数を節約しているせいか、多少動きはぎくしゃくしている。
そしてまさに再生がはじまったときに中の電話が鳴った。いや、モニター映像の話ではなく、この部屋の奥にある行員用の電話が。
三宅がそれを取る。
「あの、熊野警部が犯人さんの要求を聞きたいそうです。リーダーの方と話をしたいっていってますけど」
コングは受話器を受け取ると叫んだ。
「うるせい。こっちは今それどころじゃねえんだ!」
そうして受話器を叩きつけた。
5
『うるせい。こっちは今それどころじゃねえんだ!』
受話器をたたきつける音が耳に響く。
「くそ」
あの野郎、自分の立場をまるでわかっていない。
こちらは銀行を完全に包囲している。やつに残された道は人質を盾にして、脱出用の車かヘリコプターでも要求するしかないはずだ。そしてそんなことがいまだかつて成功した試しはない。
「ポチ、あの野郎はなんであんなに強気なんだ?」
熊野はいらだちを星にぶつけた。
「さあ、俺にそんなむずかしいことを聞かないでくださいよ、警部」
こんなやつに聞いたのが間違いだった。熊野はすぐに後悔する。
「しかし変だ?」
熊野は今さらながら、強盗の行動に不信感を持つ。
あいつらはなぜ、先発隊が騒ぎを起こし、警察が包囲したころを見計らって第二隊が突っ込んだんだ? しかも警察が見ている中、地下鉄の出口から出てきて?
しかもその直後に煙幕が店内に充満する。
「あの煙幕はなんだったんだ? 常識で考えたら変だろ?」
「さあ? だから、俺なんかにはわかんないっすよ」
ポチに聞いたわけじゃない。考えが口に出ただけだ。
そもそも犯人は、どうやって脱出するつもりだったんだ? 逃走用の車も用意していない。
もし俺だったら……。
「もし俺が犯人だったら、あの煙に紛れて地下鉄に飛び乗る」
「な、なんすか、警部。なにか思いついたんすか?」
熊野がいきなりでかい声で叫んだので、星は仰天したらしい。
「そうだ。俺なら脱出のためにあの煙を利用する。おそらく犯人たちもそう考えたはずだ。それなのにどうして別働隊が突っ込む? 逆だろうが」
そのとき、熊野の頭に電光のようにひとつの考えが浮かんだ。
まさか? まさかそんなことが起こるはずがない。
とうぜんそう思った。しかしそのあり得そうにないことが謎を解明してくれるただひとつの答えのような気がした。
「銀行強盗は二組いる!」
「な、なにをいってるんすか、警部。そんなことあるわけないじゃないすか」
「いや、それしか考えられん。いいか? 最初の通報では、犯人は少年ということだった。拳銃だって使ってない。犯人はあらかじめ煙幕の発生する装置を仕込んでおいて、その煙に紛れて地下鉄に飛び乗るつもりだったんだ。そうとしか思えん。それじゃあ、なぜ、煙幕が発生する直前に、べつの三人組が突っ込んで来たか? そいつらは知らなかったんだ。最初の強盗とあとから来た強盗はまったく無関係なんだよ。お互いのことをなにも知らない。偶然バッティングしたんだ。旅行会社のミスでホテルがダブルブッキングしたようにな」
「そんな馬鹿な?」
たしかに馬鹿げた考えだ。しかし熊野はそれが真実だと直感した。そうなると木更津を殺したのは最初の強盗犯という可能性も出てくる。
「ほ、ほんとですか、それ?」
そう聞いてきたのは、涼子とかいう大人びた美少女だ。
「あ、ああ、君の友達はよほど運が悪かったらしい」
彼女は真っ青になった。よほど友達のことが心配らしい。
「警部、今の話ほんとですか?」
もうひとり、聞いてきた女がいた。レポーターの早川だ。顔全体から好奇心を溢れさせ、食いついてくる。
「なんだおまえか、今のはオフレコだ。あっちいけ、しっし」
ポチはこのレポーターと相性が悪いらしい。取りつく島もなく追い払おうとする。
「ふんだ。でも聞いちゃったもんね。今の警部の話は筋が通ってるわ。警部ったらまるで名探偵みたい」
嬉しいこといってくれるぜこの女。もっといってくれ。
「スクープ、スクープ」
しかし早川は熊野の思いをよそに、そう叫びながら走り去った。
「あちゃあ、まずいっすよ、警部。放送させないように俺が……」
「かまわん。やらせろ。放送したければすればいいさ」
「え? いいんすか?」
「陽動作戦よ。犯人だってたぶん中でテレビのニュースを見てるだろう? 動揺させて隙を作るんだ」
そうだ、たんなる思いつきだが悪くない。ひょっとして二組目の強盗は、最初の強盗のことを知らないのかもしれんのだ。教えてやれば必ず動揺する。そのときこそが突入のチャンスだ。
6
ゴジラはうろうろ歩き回りながら、画面と人質たちの様子をちらちらと見くらべ、ガメラは画面を無視し、無言のまま外の様子をうかがっていた。しかし、それ以外のもの全員は、食い入るように再生されたモニターを眺めた。
画面のカウンターは十二時十二分を示している。トイレに近づくものがいた。それはスーパーお嬢様の彼氏、川口勝だった。
彼はドアを開け、中に入る。カメラがそれを映し出した。
「おおおお」
口々に叫び声が上がる。
「おめえか、おめえが犯人だったのか?」
コングが叫んだ。
「じょ、冗談じゃないぜ。俺が入ったのはもうひとつの方の個室だ。俺は断じて犯人じゃない」
「け、それこそ冗談じゃねえぜ。そんな都合のいい話があってたまるか」
「決めつけるのは早いですわ。最後まで見てから議論するべきです」
美由紀お嬢様が必死の形相でかばった。
「まあ、そうだな」
コングもしぶしぶ納得する。
しかし画面を見続けると、二、三分ほど経ったときに、勝がトイレのドアから外に出てくるのが映った。そしてそのあと誰も近づかない。そして煙幕騒動が起こった。煙幕は一、二分ほどで晴れ、その後、誰も近づくことなく人質として拘束された。
「見ろ。こいつが出たあと、誰もトイレに入っていない。つまりこの陰気な色男が犯人ってわけだ」
コングがいい切った。今度は誰も反論しない。さくらもそう思った。
「そうだ。男のおまえならあいつの肩を外すことも可能だろう。動機はさっぱりわからんが、そんなものはどうでもいい。おまえが犯人なんだ」
「もっと前の画像を出してみるべきですわ。きっと勝くんの前にトイレから出てきた人がいるはずですわ」
そう主張したのは美由紀お嬢様だ。
たしかにそれは理にかなった弁護だ。勝が入ったときはすでに木更津は死んでいたのかもしれない。もう少し巻き戻せば、犯人が出てくるところが見えるかもしれない。
「その必要はないよ」
意外なことに、勝はそれをさえぎった。
「だって、俺が入ったときには木更津さんとやらは生きていたからな」
一瞬沈黙が訪れた。つまり罪を認めたということか?
「勘違いしないでくれ。俺は犯人じゃない。ただ俺は最初に木更津さんが死んでいた方の個室をノックしたんだ。そのとき、ノックが返ってきたんだ。だから反対側の個室に入った。それが真実だ」
「おまえが犯人じゃないなら、どうしてそんな大事なことを黙っていたんだ」
コングはとうぜんのことを追求する。
「だってそんな不利な証言をできるわけないじゃないか。そんなことをいったら、誰も俺が犯人だと決めつけるに決まってる」
「け、信じられるかそんなこと。そもそもおまえが犯人じゃないなら、犯人はいつ殺した。そしていつ出ていったんだ。カメラに映っていないのはどうしてだ?」
「わからないよ、そんなこと。だけど俺は犯人じゃない。それだけは事実だ」
「おい、お嬢様探偵よ。なにかこいつを弁護する材料はあるか? こいつ以外のやつが犯人である可能性は少しでも残ってるのか?」
「犯行は煙幕のどさくさに行われたのかもしれませんわ」
「け、一分足らずだぞ。その間になにができる。不可能だ」
沈黙が訪れた。たしかに彼が犯人としか思えない。もし彼のいうことが本当だとしたら、犯人は透明人間ということになる。
「犯人捜しはこれで終わりだ。おう、テレビをつけてみろ。事件のことをやっているかもしれねえ」
コングは三宅に命じて、待ち合いコーナーのテレビをつけさせた。案の定、この事件のことを放送していた。
「だけどさあ、ほんとにこの人が犯人なのかな?」
収まりかけた場を蒸し返そうとするのは、つばめだった。
「だって、煙幕の間の一分で殺すのが不可能だっていうなら、この人だって使える時間は二、三分くらいしかなかったのよ。三分で、どうやって肩を外して、溺れさせて、鍵を閉めて出てきたっていうの? そもそもどうやって鍵を外から閉めたの? 謎はなにも解明されてないわ」
「ぐっ、そ、それは……」
コングも詰まった。
たしかにそうだった。謎はなにも解明されていない。動機はもとより、どうやったかもまるでわかっていないのだ。常識で考えれば、彼が殺人を犯すのは不可能だ。
「そうですわ。この子のいう通りよ」
お嬢様ははじめてつばめと意気投合した。
そんな中、テレビの画面から、レポーターはとんでもないことをいい出した。
『みなさん、大変なことがわかりました。銀行強盗はなんと二組いたんです。神の悪戯のようなダブルブッキング。そして最初の強盗は人質の中にいるはずです。なんと奇妙な偶然。一見平凡な強盗事件はじつは前代未聞の大事件だったのです』
「な、なにぃ?」
コングは絶叫した。よほど驚いたらしい。たしかに彼らだけが知らないことだ。コングは殺人に気を取られて、そもそも煙幕がなぜ充満していたかを疑問に思う余地がなかったらしい。そしておそらく人質たちも最初の強盗が自分たちの中に紛れているとは思ってなかったはずだ。
「ほんとうか、そりゃあ?」
「あ、あの子は、コングさんの、お仲間じゃ……なかったんですか?」
「どおりで変だと思ったわ」
三宅と大島が続けざまにいう。
まずい。まずい。まずい。まずすぎる。さくらは思った。
今度は最初の強盗狩りがおこなわれるに違いない。画像をチェックすれば、自分の姿が映っていないのがまるわかりだ。つまりそれこそ、さくらが犯人である証拠。
『それにしても強盗をして逃げようとしたら他の強盗が入って来て人質になるなんて、あまりにも間抜けでちょっとだけ同情したくなっちゃいます。そして中ではすでにひとり犠牲者が出たもよう。犯人はどちらの強盗なのでしょうか? あるいは人質の中に殺人者が? そう、もしかしたら、銀行の中は二組の強盗犯と殺人者の三つ巴の戦いがおこなわれているかもしれないのです。ああ、なんという事件、あたし早川亜紀子はこんな事件を担当できて幸せですぅ』
まさしくその通りだった。今、この中には二組の強盗犯と密室殺人犯がいる。このレポーターのいうように、三つ巴の戦いがはじまろうとしているのだ。
さくらは目眩がした。
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