-VIRUS- 侵略行為 7

 ドームの入り口で銃を持った二人の兵士が、悲鳴を上げながら水面へと落下してゆく。残る一人も揺れで狼狽えた隙に継士によって橋から突き落とされ、間もなく荒ぶる波に飲まれて消えた。


 揺れと水飛沫に耐えながら継士けいじは橋の手すりにしがみつき、下を覗く。


 水面に銀色の光沢を放つ、一メートル四方の島が顔を覗かせていた。それは段々と島から尖った突起になり、突起から金属の彫刻物となり、そして金属の彫刻物から――人間の様な上半身を形成するに至った。つまり水面が徐々に下降していき、徐々に貯水槽の中に埋まっていた――隠されていた物体が、その全容を継士の眼下に曝け出そうとしていた。


 橋が下降し、物体の正面で止まった。水面は既に底部に残る水溜りへと変わり、側面の排水溝らしき箇所から殆どが流れ出てしまっている。


 恐らく水中に落ちた敵の兵士達も流れに乗せられ、排水溝へと引き摺り込まれてしまったのだろう、貯水槽の中には継士と、ほむらの筐体と、そして中央に直立したまま二人を見下ろす――その巨人だけとなった。


「ロボット……!」


銀色とも灰色とも言える表面は水滴で光り輝いており、逆三角形状の頭部と思しき部分には人間と同じく二つの目の様な物が確認出来る。頭部の下にはゆるやかな弧を描いて反り返る胴体と、その上部から突き出た二本の腕が貯水槽の両端から突き出た取手を掴んでいた。


 しかし、床とほぼ平行の角度となっている胴体の下部からは四本の脚が蜘蛛のそれのように伸びている。人間と昆虫、或いは獣が合わさった不格好な風貌だが、どこか洗練されていて、美しい――。


 不意に橋が再び揺れ、咄嗟に継士は身を屈めた。橋が半回転し、先端を伸ばすと、それはロボットの胸部へと到達した。


 どういう心理状態で、その行動を取ったのかは分からない。継士は無意識のうちに前へと進み、橋を渡り――ロボットの胸部へと近付いた。


 ロボットの胸部から白い霧が吹き出すと、継士を覆った。そして煙の向こうからは七分咲きの花のように放射状に開かれた胸部と、その奥で淡い光を放ちながら継士を待つ空間が露になる。


 広さは一畳程度。斜めに傾斜した空間には様々な計器類と共に、灰色の座席が取り付けられている。


 ロボットの操縦席に違いない。継士は拳を握りしめると、これから自分が行おうとしている事を想像しようとし、目を閉じた――瞬間、驚愕、恐怖、他の様々な感情が津波のように押し寄せ、思わず継士は目を開けると、その場に尻餅をついてしまった。


「何尻込みしてんのよ。あんたは今からこの機体――セラフに乗って、奴らと戦うのよ」


「ほむら、一体、これは……」


暫くの間放心状態となっていた継士は再度、事態を飲み込んだ。


「お前の権限を昊から俺に移す為に、この場所に連れてきたんじゃないのか?」


「別にあたし、嘘はついていないわよ」ほむらは肩を竦めると、あきれたような顔を継士に向ける。「あたしの所有権は確かにあんたに委譲されるわ――その為に使うデバイスが、このセラフ。そして、あたしの権限があんたに移るということは、自動的にセラフのパイロットになるということ」


「待て。このロボットでPWCSと戦うなんて話は聞いていない!」


「あら」ほむらはからかうような笑みを浮かべる。「あんたさっき、見捨てられないって言ってなかったっけ。人としての何とかの為にって。だったら当然、お友達を助ける為にセラフに乗って、奴らを倒すのがあんたの行動倫理に適っているんじゃないかしら?」


「……」


反論しようとしたが、継士は何も言い返せなかった。自分の正義感を上手い具合にほむらに利用され、屈服された事に今更のように気付く。


「まあ一応言っておくと、昊からのメッセージは多分、偶然なんかじゃない。きっと、あんたがこのロボットに乗って戦うことと、彼女自身の間に何か関連性がある気がするわ。あんたをセラフのパイロットにして、PWCSと戦って貰うこと、目的はそんな所じゃあないかしら?」


昊が、果たして俺にそんな一大事を押し付けるだろうか――継士は自問したが、現に彼女はほむらを使い、継士をこの場所まで導いたのだ。


 何か理由が有る筈だ。彼女が過去に飛んだのも、そしてPWCSの襲撃に合わせ、継士をほむらの元に誘導し、パイロットに仕立てあげようとしていることも。


「……このロボット――セラフは、PWCSと対等に戦えるのか?」


昊が俺に、そうして欲しいと願ったのなら――。囁くように、継士は訊ねた。


「そりゃもう。あんたの時代の兵器の比じゃないわ。単機で奴らのATS五機を相手に出来る程には強力よ」


「でも、俺はロボットの操縦なんてしたことがない」


「心配しないで。その為のあたしなんだから」ほむらはそう言うと、歪めた口から白い歯を見せた。「決まりね」


操縦席に腰掛けた継士は、周りを見回した。


 空間には映像――ほむらが公園で時々展開していた幾つかのホログラム・ディスプレイ――が浮いており、それらが他に光源のないコクピットを照らしている。


殆どが砂嵐だったが、中にはこのドームを映し出していると思われるものも確認できる。


 やや遅れてほむらの筐体が入ってくると、座席の斜め右から突き出た、筐体専用と思われる円筒状の台座に収まった。途端、無数のケーブルが台座から伸び、筐体へと差し込まれる。


 間もなく筐体から幾分か小型化されたほむらのホログラムが映し出されると、浮いている一つのホログラム・ディスプレイの前へと移動した。


 胸部が音を立てて閉まり、周囲を漂っていたホログラム・ディスプレイが全て消える。暗闇の中、操縦席の下部からくぐもった駆動音が聞こえ、それはやがて徐々に音量を増し――不意に音が途切れた。


 直後、コクピット内に再び無数のホログラム・ディスプレイが浮かび上がり、それらが高層ビルの窓のように隙間無く詰められ、継士の前面を覆った。


 そして、途方も無く強大な力が継士の四肢を締め付ける。驚いて身体に目を向けると、半透明の細い物質が彼の五体の要所を縛り、固定していた。


「な……」


拘束された、と思ったのは一瞬だった。別々の映像を映し出していたホログラム・ディスプレイが『セラフの所有権の委譲を開始』との文字を映し出し、同時に拘束具の重みが大幅に軽減されるのを感じ取る。


「あんた、臭い」


唐突に刺々しい言葉を言われたことで、継士の思考が一瞬飛んだ。


「ちゃんと風呂に入っている? 獣みたいな臭いがコックピット内に充満しているわ」


「むしろお前、嗅覚があったのか……」


「周囲の空気をスキャンする為に、筐体に与えられた機能に過ぎないけれど。それにしても臭い――昊はこんな匂いじゃなかったわ。柑橘系の、もっとうっとりするような香りを漂わせていた」


「知っている。俺も、あの匂いは好きだったから」


自分が発した言葉により、昊と知り合って、距離を縮め合った頃の記憶が、不意に蘇りそうになった。


 思い出に浸る余裕は、今はない――首を振ると、継士はそれらを掻き消した。


「昊と一緒に居るとき、あんた、臭いって言われなかった? 絶対あの子、我慢していたに違いない――」


ほむらはまだこの話題で継士をからかうつもりのようだ。継士は「それよりも」と強引に話題を逸らした。「機体の操縦方法を教えてくれないか」


ほむらは不機嫌そうな顔を留めたまま、「……はいはい」と継士に向き直った。


「身体に巻き付いているホログラム・レストリクターはあんたの四肢の動きを即座に機体に反映するわ。そしてあんたの手元に発現したホログラム・コントローラ――これは主にセラフの火器管制システムと直結しているけど――詳しくは戦いながら、あたしがレクチャーする」


ほむらはそう言うと、浮いているホログラム・ディスプレイに手を翳した。すると中央に巨大なホログラム・ディスプレイが浮かび上がり、『所有権委譲完了』の文字を映し出す。


「終わり?」


「所有権の委譲はね」ほむらは口元に笑みを浮かべた。「さあ、どうぞ、正義の味方さん。セラフはたった今から、あんたの物よ」

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