-VIRUS- 侵略行為 6

「どういうことだ。何で俺を操作した!」


ある程度走った所で、継士けいじの身体は解放された。ほむらの筐体から伸びた端子が首から引き抜かれると宙を漂い、やがて筐体へと収まった。


 ほむらと最初に会った時と同じく、継士の身体は数十秒の間、彼女に操作されてしまった。助けようとした生存者を見捨て、一人建物の外へと逃げ出したと捉えられても仕方ない行為に、継士の憤りは到底収まりそうになかった。


「どういうことだ、ですって? それはこっちの台詞よ」ほむらのインターフェイスが具現化すると、継士へと詰め寄る。「人を助ける時間なんてないのよ! それにあんた、あわよくばあいつらも連れて行こうとしていたでしょう!」


自分の決断に間違いはない、継士はそう信じていた。


 ほむらなら安全な脱出経路を知っている。だから彼らを連れ出し、ほむらが自分を何処かへと案内する前に逃がしてしまおうと思ったのだ。


 継士は背後を振り返った。彼女に操作されていた間、自分の身体は一号館を飛び出し、瓦礫――倒壊した五号館の残骸の間を縫うようにして駆け抜けると、ある場所で止まっていた。


 キャンパスには二箇所の喫煙室がある。そのうちの一つ、位置にして五号館と呼ばれる建物の丁度西側に継士は立っていた。


 周囲にロボットの影は見当たらないが、恐らく死角となっているだけだろう、再び動けば見つかる恐れは十分にあった。


「駄目だ、見捨てられない。自分は戻る」


継士の芯は固かった。彼の意志を身体が引き継ぎ、一号館の方へと足を踏み出させようとする。


「何で? 何でそこまでして彼らを助けたい訳? 助けた所であんたに入る利益は何もないのに?」


「利益の問題じゃない。これは人としての問題だ!」


「人としての問題? 足手まといになってあんたの死ぬリスクが高くなるだけでしょ? そんな事にわざわざ首を突っ込む気?」


何てことだ――継士は頭を抱えたくなった。


 彼女の人格が形成されたのは三年前。人ではないという部分もあるが、あの公園が彼女の世界の全てであり、三年間、彼女は継士と、昊以外の誰とも喋らずに過ごしてきたのだ。


「はぁ」ほむらはほむらで、悪戯を繰り返す我が子に向けるような呆れた顔を作ると、「仕方ないわね」と呟いた。


その表情は、むしろ俺がしたい位だ――継士がそう思った刹那、隣で静止していたドローンが突然頭上に飛び上がると、突然凄まじい音を立てて爆発した。


「なっ――!」


継士は絶句し、目を見開いた。爆発した破片が、散る桜のように空中を漂い、地表へと落ちてくる。


「これで一号館には、戻れなくなったわね」


彼女の言葉の意味を、継士はすぐに理解した。一号館の方から先程のロボットが銃を握り、警戒した足取りでこちらへと向かってきたのだ。


「お前、そこまでして俺を……!」


今の彼女は自分の意志の通りに継士を動かす事しか考えていない。その為には喜んで周りの人間を見捨てるし、あるいは危害を加えてしまうのだろうか。


 怒りの感情を多分に含んだまま継士は振り返り、気だるそうな表情を浮かべるほむらと目を合わせた。


「下を見て」


ほむらに言われた通り下に目を向けると、マンホールがあった。人に注意を促されない限り、日常における背景の一部として処理してしまう様な、どうでもいいオブジェクトの筈だ。


 だが、ほむらの筐体から伸びた細い腕がマンホールの隙間へと入り込み、一秒と経たぬ間にそれを宙に浮かせ、脇に退かせた事で、背景の一部は立派な脱出経路へと姿を変えた。


「ここから逃げるのよ――飛び込みなさい。すぐに!」


ほむらが叫ぶのと同時に、敵のロボットがこちらに気付いた。構えた銃が向けられる前に継士は空いた穴に飛び込んだ。


 深さは二メートル程度だろうか。人一人がぎりぎり立って進める位の空間が広がっていた。無難に着地して上を向いた継士は、空いた穴が既にほむらによって閉じられている事に気付く。


「時間稼ぎにしかならないけれど。さ、先に進んで」


彼女の言う通り、継士が動き始めて暫くした頃、背後で銃声が聞こえた。金属が破裂するような音が聞こえ、先程のマンホールが打ち破られたのだと継士は確信した。


 彼女に続き、継士は通路を進んだ。暗かったのは入り口付近のみで、所々に蛍光灯が配置され、それらが二人の行くべき場所をぼんやりと指し示している。


「……あのATSは無人制御よ。一連の爆発で、マンホール周囲の捜索という優先すべき目標が追加された筈」


ほむらが小さな声で呟くと、継士に遠慮がちな視線を向ける。


「あの爆発によって、生存者達からロボットの目を逸らせたってことか?」


「……偶然よ、偶然」


そう言うと、ほむらは視線を逸らし、再び前を向いてしまった。


 もしホログラムの映像が彼女の感情と結びついているのであれば、ドローンの自爆は全て彼女が計算した上での操作だったのだろう――継士を動かし、生存者の近くに貼り付いたロボットの注意を引く為の唯一の手段として。


「入り口は壊されたけれど、PWCSの歩兵が降りてくるまでには暫く時間が掛かるでしょうね」ほむらは呟いた。


「PWCS?」


「奴らの通称よ。正式名称は過去世界保全機構かこせかいほぜんきこうって言うらしいけれど。名前だけが、あたしの中のログに保存されていた」



名前から、継士は何となく国連を思い浮かべた。彼らから見て過去にあたる世界の平和を掲げ、行動している組織だろうか?


 だが、実際に今対峙しているそのPWCSとやらは恐ろしい程に攻性であり、その行動からは世界平和といったキーワードは微塵も感じられない。


 通路は一本道だが、直線は少なく、大抵が弧を描いたような曲線で、加えて途中何度か右折と左折を繰り返している。


「ほむら、教えてくれ。奴らは一体何なんだ? お前との関係は?」


「はっきりとは分からない。ただ、昊からのメールと共に解除された筐体内のログにはあいつらの情報が一通り残っている。それによるとどうやら、あたしを作った集団みたい」


「お前を取り返しにきた」


「だと思うけれど――ひょっとしたら」ほむらの言葉がそこで一瞬途切れた。「そらも関係しているのかもしれない。あたしはあの子が過去へと行った理由を知らないから……あるいはその両方か」


「昊が彼らの標的になっているってことか?」継士は首を振った。「ありえない。昊は普通の女の子だった。こんな襲撃と接点があるような人間じゃあ――」


「あたしに言われてもねえ、そんなことは知らないわ。ただそういう可能性があるっていうだけ。今はあんたを連れていくことだけにあたしは集中したいの」


ほむらはそう言うと、再び継士の前に立ち彼を先導する。


「そもそも、俺達はどこに向かっているんだ。お前のユーザー登録とやらと関係があるのか?」


「大有りよ」丁度分岐に差し掛かり、ほむらは右の道を指しながらそう答えた。


「所有権を登録すると、あたしが提供出来る全ての機能を、あんたは使えるようになる――要するに、あたしに命令できるって訳だけど」


「命令? 例えば誰かを殺して欲しいって言えば、お前はそいつを言われた通りに殺すってことか?」


「そうよ」歩きながらほむらは頷いた。


本体はただの箱なのに、わざわざ立体映像として表示されたホログラムが喜怒哀楽を付けて自分とやりとりしている事に継士はようやく気付き、若干ながら可笑しさを感じてしまう――そういう所も含めて、彼女は子供っぽい。


「ちなみに今現在のあたしの所有権は、依然として昊のまま。だけれども、その昊から命令と受け取れるメールを受信した。あたしはそれに従わなければならない。可及的かつ速やかに」


新しい所有権を持つ人は、燠継士くんでお願いします――継士は昊が送ったとされるメールの内容を思い出した。


「所有権の委譲を、これから行う訳か」


「そう。だからあたし達は、手続きを取る為の場所に向かっている。偶然起こった未曾有の災害の中、ね」


『偶然』という言葉を、ほむらが強調した。


昊からの突然のメール、ほむらとの出会い、そしてPWCSの襲撃、ほむらの所有権委譲。


 数日の間に起きたこれらの事象は、間違いなく偶然ではない。方法こそ分からないものの、昊の一連の行動はこの襲撃を三年前に予期した上での物ではないだろうか?


「ちなみにその手続きは、どうやって取るんだ?」


「あと数分で目的地に着く。いずれ分かる」


ほむらが言い終わらないうちに、周囲のコンクリート製の壁が揺れ、ぱらぱらと粉が落ちた。同時に通路のどこかで何か大きな塊が落ちるか、砕けるかのような音がし、やがてそれは複数の人間の足音になった。


 自分達と同じように、誰かがこの狭い通路まで避難しに来たのだろうか? その疑問は、突然銃声がこだまして聞こえた事により、泡となって消えた。


 自衛隊という可能性もあったが、地上を監視するロボットの目を逃れ、こんな通路にまで彼らが踏み込んでくる理由があるだろうか? 


「奴らの歩兵だわ」ほむらが呟いた。「急ぎましょう」

遠くから聞こえる靴音が、徐々に近付いてくる気がした。ほむらの筐体が速度を上げ、継士も走って後を追う。


 数十メートルの直線を走り抜いた所で、後ろから「いたぞ!」と、男の叫ぶ声が聞こえた。


 見つかった。背後を振り返らずに二人は走り抜き、そしてある所で、足を止めた。


 巨大な空間に二人は辿り着いていた。半円状のドームの天井からは無数の電灯の光が注がれており、その下には巨大な貯水槽だろうか、濁った水面が顔を覗かせている。その外堀を継士達二人がぎりぎり歩ける位の通路が取り囲み、中央に向けて一本の橋の様なものが伸びていた。


「行き止まりだ」


ここが分岐を右に行った場合の、地下通路の終点のようだ。


 ほむらに先導されて橋の前に立つと、継士は背後を振り返った。鹿野絵の向こう側、自分達が通ってきた通路から無数の影がドームに向けて蠢き、次第にそれらが大きくなる。


 橋の先端に何か四角い、灰色の箱が置かれている。ほむらの筐体はそれの前に陣取ると、ホログラムを消した。


「さて。今から一分位の間、前に出て、なんとかあたしを守って。いいわね」


唐突に言われた言葉に継士は「え?」と間抜けな声を返してしまう。


 しかし、間もなく黒い防護服の様な物に身を包んだ人間が三人、両手で構えた銃をこちらに向けながらドームに踏み込んできた。


 PWCSの歩兵であることに間違いはない。だが、この状況で、彼らから彼女を守る? どうやって? 


 問いかけようとするも、既に敵の注意は自分へと向けられていた。何かを呟くことも含め、下手な行動は出来ない。


 「民間人に警告する。速やかに両手を頭の後ろに回せ。再度の警告の後、我々は威嚇射撃、再々度の警告にて頭部を打ち抜く」


 オクターブの低い、機械により処理されたと思われる不気味な音声が、ドームに響き渡る。


 これがPWCSの歩兵か――中に入っているのは人間だろうか、それともこれらも無人制御なのだろうか?


 考えながらも継士は言われた通り、丁度ほむらが見えないように彼らに向き直ると、両手を頭の後ろに回した。


「よし。そのままじっとしていろ」PWCSの歩兵のうち一人がそう言いながら、銃を向け、歩み寄ってくる。


 防護服からは伸びた数本のチューブがヘルメット状の頭部に突き刺さっており、顔面に当たる部分はマジックミラーのように世界を跳ね返し、その中に継士を映し出していた。まるで檻の中に閉じ込められた哀れな人間を遠隔で監視するモニタのように。


「一体何の真似だ。どうして大学を襲った?」


「お前には関係ないことだ」兵士は既に継士の眼前まで迫っていた。ヘルメットに反射した光景に、ほむらは映っていない。存在はばれていない筈だ――。


「用があるのはお前の後ろに隠れているそのガラクタだ」兵士の言葉を受け、継士の緊張が極限に達した。


 兵士は持った銃の引き金に手を掛けた――撃たれる。数秒先に迫る死の予感を、継士は感じ取り――後頭部に回した掌中に隠したナイフを思い切り、兵士の右手へと突き刺した。


「っ……!」


兵士が右腕を銃から離した隙に、継士は兵士の首に手を回し、背後から締め付けると、ドームの入り口からこちらに銃を向ける残された兵士の方へと向き直った。一瞬の展開に彼らも動揺したのだろう、何かを喚きながら銃をさらに高く掲げ、継士に向けた。


 継士の左手に握られたナイフは既に兵士の右手から引き抜かれ、今度は首元へと突きつけられている。兵士の表情こそ分からないものの、しきりに身体を震わせている事から、心理状況は大体想像できる。


 この震えは恐怖から来るものに違いない。つまり、人間の恐怖から来る震えの真似を忠実に再現できる程の高性能なロボットが未来に存在しない限り、中に入っているのは十中八九人間となる。


「お前、一体……!」


継士は兵士の質問に答えず、代わりに首を締める力を一段と強くした。


「あんた、やるわね」ほむらが後ろから賞賛の声を上げる。「でも、その抵抗は必要なかったかも。作業終わり。間もなく起動するわ」


「起動?」


「――セラフよ」


突然水面が思い切り飛沫し、侵略者との間に障壁を作り出した。

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