-VIRUS- 侵略行為 5

現代/表参道大学/継士


 キャンパスの地下道を抜け、地上に出た先は一号館だった。一号館には通常の教室の他に進路相談室があり、就活中の四年生が生気のない顔で出入りするのを継士けいじはよく目にしていた。


 しかし今、一号館の電気は全て消え、非常口を示す緑色の照明だけが煌々と灯っている。教室の窓から薄々と差し込む外の光と、照らされて黄金色に輝くドローンを頼りに、継士は廊下を進んだ。


 危機的な状況にも関わらず、まるで何か決められた演習をこなしているかの様に、継士は自分が驚く程落ち着いていることに気がついた。


 だが、ほむらとの通信が確立されていなかったら、果たして自分は冷静でいられただろうか? 自問してみるものの、答えは出てこない。


進路相談室の扉の前に辿り着くと、ドローンからほむらの声が聞こえた。


『そろそろ着くわ――そこで待っていて』


「ああ」


隣を飛ぶドローンがその場に着地した。蠅の飛ぶ様な音が消えたことで、辺りは静寂に包まれる。


 扉の向こうから呻き声が聞こえ、継士は顔を上げた。やがてそれは助けを求める男性の声に代わり、その声に呼応し、励まそうとする女性の声までもが廊下まで伝わった。


 生存者だ――だが、負傷している。躊躇せず、継士は扉を開けた。


『ちょっと!』


ほむらが制止するのを無視し、継士は塵の漂う室内に足を踏み入れる。


 声の主達はすぐに見つかった。散らかった机や椅子の中に踞る集団が一斉にこちらを振り向くと、継士に目を向けた。


「怪我をしているのか?」


集団は四人。そのうち一人は年配の男性で、右膝から血を流して仰向けに倒れていた。苦悶の表情と額にこびり付いた無数の汗、そして右膝に刺さったストローの様な細い鉄パイプを見て状況が良くないことを察する。


 周囲を取り巻く三人は皆学生のようだ。その中で唯一の女子生徒が泣きそうな顔で、「何とかしてあげて! 足にパイプが刺さっていて……」と訴える。


よく見ると鉄パイプは右膝を貫通し、教室の床に深々と減り込んでいた。


『面倒事に巻き込まれたわね。だからその場で待っとけって言ったのに』背後からほむらの囁く声が聞こえ、同時に背中に若干の重みを感じた。ほむらの本体がようやく到着したようだ。


『全く。時間が無いのに、余計なことを』


彼女の言葉に棘が宿る。その呟きを無視した継士はその場にしゃがみ込むと、女子生徒と視線の高さを合わせた。


「この人は進路課の職員?」


「ううん。私達のゼミの教授。進路室に用があって来たら、突然外から凄い衝撃がきて――」彼女はそう言うと、視線を男性の負傷した足に向ける。


「一体何が起こっているんですか?」残る二人の男子生徒のうちの片方が継士に訊ねる。身体と、発せられる声は小刻みに震えていた。


「分からない」継士は手に握った鞄の中身を漁りながら答える。「例の衝撃の後、空から降ってきたロボットが学生を殺している」


「ロボット?」


「そう。この一号館より少し低い位の大きさの奴だ。俺は公園に避難する途中、呻き声が聞こえたから立ち寄ったまでだ」


話し終わった所で、継士の手が探していた物を探り当てた。鞄から取り出した黒く平坦なチョコプレートのような物――手の中でそれを弄ぶと、次の瞬間、銀色の刃が勢いよく押し出された。


「えっ、ナイフ!?」


女子生徒が真っ先に反応するが、継士は気にする素振りも見せず、それを左手に持ち替える。そして男性の足と床の間に手を入れると、鉄パイプに切っ先を押し当てた。


「うっ……」


鉄パイプを通して震動が伝わったのだろう、男性が嗚咽を漏らす。


「少し痛みますが、我慢して」


そう言った継士の左手が上下に動いた。五秒程の間にその動作は終了し、鉄パイプの大部分は床から切り離される。


「切れたのか……?」


男性が喘ぎながら訊ねてくる。


「ええ。一応動けるようにはなりましたが、外はさっき言ったように、危険です。保証は出来ないが、暫くはここで様子を見たほうが良いかもしれない」


「そうか。分かった。動けるようになっただけでも助かるよ」男はそう言うと、上体を起こす。「彼らのゼミの教授を務めている牧内だ。君は?」


「経済学部の燠継士おきけいじです」


「ああ、君が例の」牧内の顔から険しさが引き、笑顔へと変わった。「経済学部の先生方からは聞いているよ。二年連続で学部の最優秀成績者に名を連ねているそうだね」


「ああ、一応――」


言葉を続けようとした継士の顔が硬直した。


 硬直したのは顔だけではなかった――身体が自分の言うことを聞かず、指一本すら動かせなくなっていた。


見えない縄で引っ張られて崩れ落ちる石像の様に継士の身体が少しずつ傾くと、やがて床と平行になる形で倒れ込む。


「大丈夫か、継士君?」


牧内が震える手を差し伸べようとするが、継士は自分の意志とは逆に――その手を払いのける。


「やめろ」


再び発せられた継士の言葉には感情がこもっていなかった。立ち上がり、踵を返す――背中に引っ付いていたほむらが上手い具合に身体を伝い、彼らからの死角へと身を隠す。


「ちょっと待って!」女子生徒が同じように立ち上がると、継士に向けて叫んだ。


「どこに行くの? 外は危険なんでしょう?」


もう用は済んだ。後はお前達で何とかしろ――継士の意図を一切無視して、彼の背中はそう語っていた。開けっ放しの扉から廊下に出た継士は扉を乱暴に占めると、廊下の向こうへと走り始めた。

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