-VIRUS- 侵略行為 4

現代/渋谷警察署/夏海


 青山方面での異変は、六〇〇メートル程離れた渋谷警察署の五階、特別会議室の窓からも確認できた。


 警視庁有数の大規模な警察署である渋谷警察署にはおよそ七〇〇人もの警察関係者が勤務している。そのうち警察本来の職務である警備業務にあたる人間は四〇〇人程度。そのうちの九割に、渋谷各所への特別出動命令が下っていた。


 当該地域の治安維持。特別出動命令の内容を見た夏海なつみ警視監は大きな溜め息を吐いた。


「これでは……まるで警官に死にに行けと言っている様な物ではないか」


眼下には日本の中心都市とは到底思えない、凄惨な光景が広がっている――爆発し、炎上する車の群れ。その脇に転がる焼け焦げた警官の骸。それらが全て、日本の治安維持機関の一拠点の目と鼻の先に存在しているのだ。


 散発的な銃声が聞こえる――その度に夏海は顔を歪めた。


 治安維持の為に発砲すれば、敵に居場所を教えることとなる。それは、命令に従い忠実に職務を果たした警官の殉職の合図とも取れた――拳銃の発砲音の後には決まって別の、さらに大音量かつ先鋭的な銃声が聞こえるのだ。


「夏海課長」

 課内の呼称で呼ばれた夏海が窓から視線を室内へと戻す。歳は四〇前後だろうか。頬は痩け、腕は針金のように細いが眼光はぎらつき、飢えた獣の様な視線をその場に居る六人のうち、声の主へと向ける。


「我々も逃げた方が。出動命令が出ている様ですが、正直歯が立ちません」

上申する部下――草根くさねはまだ若い。三〇代前半といったところだろうか。


「もはや警視庁の手には余る事態です。薄々気付いてはおりましたが」


草根の言う通り、警視庁は早々に事件の解決を諦めた。敵は渋谷の街に蔓延るチンピラではなく、夏海の所属する公安が得意としている反体制勢力が相手でもなく、れっきとした軍隊だ。捜査も交渉も必要ない。


 必要なのは相手の侵攻を食い止める事の出来る軍事力。拳銃と警棒で武装したのみの警官四〇〇人弱では明らかに分が悪すぎた。


「陸自が到着するまでの繋ぎという事は分かっている。分かってはいるが……」


警官達は自衛隊が到着するまでの、言わば時間稼ぎとして派遣されているに過ぎない。


 そして時間稼ぎとは言いつつも、元々首都を囲む様に配置された陸自の駐屯基地は、首都圏上空からの大規模な空挺作戦については想定すらしていなかった。そしてその兵力も歩兵と軽装甲車が中心となっており、果たして彼らが眼前の脅威にどこまで対応出来るかについては疑問が残る。


「どっちみち今外には出られんよ」夏海が口を開いた。彼の言葉を裏付けるかのように、警察署のすぐ脇を巨大な人型の兵器が車を踏み潰しながら、轟音と共に通り過ぎる。


 凄まじい震動が会議室を襲った。しかし誰一人として動じる者はいない。まるで日常の一コマと言わんばかりに軽く外に目を流すと、彼らは本題へと戻る。


「警察署に攻撃が加えられない所を見ると『PWCS』の侵略は、どうやら入念に準備されたものではない様だな」夏海の同期で課長補佐の肩書きを持つ白雄しらおが口を開いた。


「或いはそれを知り得る力が無かったか、脅威にならないと判断して無視しているか。そういった考察も含め、我々の持つ情報は警察庁を通さず、既に防衛省に提出済みだ」夏海が白雄の言葉を引き継ぎ、答えた。「彼らが上手く対応してくれることを祈るしかない」


「警察庁には報告していないのですか?」


この場で唯一の女性――村主すぐりが口を挟んだ。声には懐疑の念が見て取れる。


その様な疑問が沸いて出るのは当たり前のことだった。公安とは言えそこには縦割りの指揮系統が存在し、有事の際は飼い主である警察庁に報告を上げるのが絶対となっている。


「事態の緊急性を判断したまでだ。五分のロスも無駄にはできん」


「しかし課長、後で上から何と言われるか」


「後で処分は甘んじて受けるつもりだ。後が有ればの話だが」


警察庁警備局からの異動組だという背景を押さえていれば、村主の質問は至極当然の物と言える。この場に居合わせる全員がその事情を理解していた。


「課長、機動班から連絡が入りました」会議室の端でラップトップを操作する眼鏡の男――湯川が束の間の沈黙に終止符を打つ。


「続けろ」


「はい。襲撃と同時に監視していたマル被――燠継士おきけいじを見失いましたが、どうやら彼は大学内の地下施設に潜伏しているようです」


「監視していたのは風街かざまだったな。再度見つけたという訳か」


「いえ。厳密には見つけたのではなく、あくまで推測とのことです」


「そうか……。彼女は連絡を取れる状況か?」


「いえ。電話は繋がりません。メッセージでのやり取りとなりますが、彼女がこちらの返信を閲覧した形跡はなし――あれ? PCがネットワークから遮断されました」


「遮断? 有線なのに?」


草根が声を張り上げた。湯川のラップトップはイーサネットケーブルでインターネットと繋がっており、物理的な通信網が壊れない限り、接続が途切れることはない筈なのだが。


「夏海、ジャミング以外にも何か働いているのだろうか」


「恐らくそうだろうな」白雄の問い掛けに、夏海が答える。「こうなってくると、他の機関との連携は絶望的だ――連中、本気で殴り込みに来たようだ」


「ああ。他の機動班が心配だ」


白雄はそう言うと、再び外の光景に目をやった。


「……非常時のマニュアルに従うことにしよう。連絡は取れないが機動班も心得ては居る筈だ」暫くの沈黙を破ったのは夏海だった。「下呂げろ第二政府機能区だいにせいふきのうくに向かう」

一同が驚愕の表情を夏海に向けた。全員の反応を伺った夏海は「さて」と呟くと、大きく深呼吸をして、続けた。


「すぐに移動しよう」言葉の額面だけを見るとそれは皆を誘っている様ではあったが、夏海の声色には無言の強制力が働いていた。「もたもたしてはいられん、恐らく政府は東京を捨てる。一〇分後に地下二階の専用駐車場に集合だ、いいな」


夏海の言葉を受け、各々が座席から立ち上がると、小走りで会議室を後にした。

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