-VIRUS- 侵略行為 3

現代/表参道大学/継士


 地面から生えた棒状の障害物を避けるように、後ろから正門を目掛けて逃げようとする一団が継士けいじを追い抜いていった。


 建物の外に出た彼は一瞬足を止めたが、間もなく他の集団に倣い、正門の方へ向けて駆けてゆく。


 隕石の破片が渋谷にも墜落したのだろうか? それとも、ミサイル? とにかく、あの光が渋谷の街、あるいはその近辺に激突し、揺れを引き起こしたのは明白だ。


 理恵は多分大丈夫だ。芯の強い奴だし、今頃は彼女の友人達と逃げ延びている筈――根拠は無かったが、中学からの付き合いにより形成された彼女の印象が無事であることを匂わせている。再会した暁には、ほむらとの関係を今度こそ根掘り葉掘り訊かれるに違いない。


 そうだ、ほむらだ――! 走りながらも継士の視線は校舎を超えた遥か向こう、都立公園のある方角へと向けられた。


 行動範囲を制限されている彼女はあの場所から身動きが取れない。それは継士が助けに行っても、力になれないことを意味している。かといってこのまま見捨てる訳には――。


 いやまてよ、と直感が継士に囁いた。


 もしかして、この一連の異変は、ほむらに関係しているのではないだろうか。


 確証は持てなかった。だが、昊そらからの連絡、ほむらとの出会い、そして渋谷一帯を襲う非常事態、全てが結びついているとしたら。


 過去に行った昊を何としてでも取り戻したい――この日、継士は放課後にほむらの所に行き、そう相談する予定だった。


 ほむらが協力してくれるかは分からないし、協力してくれたところで過去に行く算段がつく確証すら存在しなかった。


 だが、と継士は苦虫を噛み潰した様な顔を浮かべ、結論付けた――昊とほむら、そしてこの襲撃が結びついていたとして、継士にとって、それが何か意味を成すということは有り得るのだろうか?


 突然低い、不気味な音が一帯を支配し、継士の思考は中断された。


 周囲を逃げ惑う学生達も足を止め、音の正体を確かめようと辺りを見渡している。そして近くに居た女子学生が突然何かを叫びながら、空の一点を指し示した――継士もそれに倣い、指先にあるものへと目を向けた。


 東の空一面が、まるでイナゴの群れが移動するかのように、無数の小さな点で覆われていた。不気味な音は徐々に大きくなり、それにつれて点も拡大され、ひとつひとつの全貌を克明に、見上げる人間達へと刻んでゆく。


 点だと思ったものは異様な形をした飛行物体だった。継士が見たことのあるどのような飛行機やヘリコプター、戦闘機とも形状は異なり、二等辺三角形を基調とした外観に、昆虫の羽の様な物が側面から突き出している。


 底部しか見えないので機体上半分の構造は分からないものの、その艦船が数十機、乱層雲の手前に展開し、微速で地表へと近付いている――一目見てこれが現時点における、地球上のいかなる国の兵器でもないことが見て取れた。


 そして、それらからさらに小さな黒点が無数に吐き出され、地表へと落下している事に継士は気付いた。


――空襲か?


 中学生の頃に社会の授業で見せられた、戦争を題材としたアニメ映画を継士は思い出した。アメリカの爆撃機が焼夷弾を地方都市に落とし、それらにやられた人々が包帯漬けにされ、体中に蛆を飼い、呻きながら死んでゆく。その場面だけが何故か鮮明に頭の中に記憶されていた。


「学生のみなさんはこっちへ! 早く!」


後ろから大声が聞こえ、継士は現実に引き戻された。振り返ると、普段正門に立っている年配の警備員が、声を張り上げて学生の誘導に徹していた。


 一瞬、警備員の方に気を取られたが、不意に上空から金切り声のようなものが聞こえ、つられた継士は再び上を向いた。


 黒点のうちの幾つかは、地表に近付くにつれ急激にその落下方向を変え、地表に垂直ではなく、角度を付けて落下していた――まるで自分の意思を持ち、落下地点を最適な場所へと修正しているかのように。


 そしてたった今、一隻の艦船から放たれた黒点が継士の考えを裏付けるかのように大きく軌道を変え、それはまさに――このキャンバスに向かっているように思えた。合計で五つの点が、白い煙の様な物を吹き出しながら急速に、継士達の頭上を目指していた。


――逃げ切れない。身を屈めた直後、先程の揺れよりも凄まじい衝撃が電流のように空気を刺激し、継士の五感を一時的に奪い去った。


 味覚、視覚、聴覚、嗅覚、触覚。順番は定かではないが、五感が順次復旧すると共に継士は恐る恐る、閉じた目を開けた。


 辺りには煙が立ちこめ、相変わらず低音とどこからか銃声のようなもの、そして悲鳴までもが聞こえてくる。


 周囲には仰向けになり腰を抜かす学生や、あるいは継士のように立ち上がり、何が起きたのかを周囲を見回して確認する学生が散見された。しかし生きているうちの大多数は何かを叫び、訴え、そして涙を流し、彷徨っている。


 彼らに目立った外傷は見られない。粉塵を被っている以外は血も、傷も見られなかった。


 焼夷弾や爆弾の類ではなかったのか? 継士の疑問は煙が徐々に晴れ、眼前の二号館の屋上に陣取っていた『それ』を視界に捉えた事で解決し、そして彼を戦慄させるに至った。


 巨大なロボットが、膝を折り曲げて着地した姿勢のまま、銃を右手に取り継士を見下ろしていた。


 見下ろしていた、と表現出来たのは、そのロボットには胴体らしきものがあり、そこから四肢が生え、頂上部からは人間で言う頭部が覗いていたからだ。


 緑色の塗装と灰色の内部フレーム、合計二色からなるその機体は全体的に華奢な印象を抱かせる。脚部は機体全高と比較しても長く、付け根にあたる腰部から伸びる胴体は砲身を省いた戦車の砲塔部分を連想させた。五体を持っているものの、それが人間の姿というよりは機械としての機能を意識して作られたことが想像出来る。


 頭部中央には一筋の赤い線が入り、暗く発光している――目だ。継士は直感的に、赤い光の役割を感じ取った。


「……ロボット」今更分かりきった事を、近くにいた誰かが呟いた。それにより、継士は現実へと引き戻される。


 奴から逃げなければ。継士の身体は多少の遅れはあったものの、それを理解し、承諾した。踵を返し走り出そうとしたが、空から飛来した数発のミサイルが視界の端に入り、逃走しようとする継士の足を止めた。


 それらは眼前のロボットに向けられていたようだ。だが、継士の目の前でミサイルは全てロボットに撃ち落とされ爆発すると、粉々に砕けて破片を地表に振りまいた。凄まじい爆音に耳を刺激されながらもようやく継士はロボットに背中を見せ、正門へと走った。


 しかし、正門の所には別の同じ形のロボットが仁王立ちし、外に出ようとする学生の行く手を遮っていた。


 一瞬目が合い、額を冷や汗が流れ落ちる――踵を返すと足を止めずに、一番近い八号館のラウンジへと走って逃げる。


 死ぬ。これまで何度か死を感じる瞬間こそあったものの、直接何かから敵意を向けられて命を落としそうになったことはただの一度もない。


(昊を見つける前に、こんな――)


再び地面が揺れ、何となくそれが、最初に出会ったロボットが屋上から地面へと降りたった際の地響きであると気付いた。


 継士は決して振り向こうとはせずにラウンジの開かれた扉から中に入ると、そのまま全速力で中を通り、固唾を飲んで状況を見守っていたのだろう、学生の群れの間を駆け巡ると、奥に続く廊下から伸びる地下食堂への階段を駆け下りようとした。


『継士。聞こえるかしら』


どこからか呼び止められ、継士は振り向いた。しかしそこには誰もいない。崩れかけの壁と通路が今にも道を閉ざそうとしている情景が映るのみだ。


 だが、その声に聞き覚えはあった。


「ほむら?」


『そうよ。今あんたの所にドローンを派遣し、そこから話し掛けている』


「ドローン?」


立ち止まり、周囲に目を凝らす――それはすぐに見つかった。顔と同じ位の場所に飛んでいる蠅の様な音を出しながら、半径は一〇センチ程度だろうか、銀色の球体が浮いていた。


『それであんたを誘導してあげる――感謝しなさい。後でお礼はたっぷりしてもらうから』


「あ、ああ……」


一体どういうことだ? ほむらという存在はあの筐体一つであり、あの公園から出られずに嘆いていたのではなかったのか? 疑問を抱きながらもドローンが地下へと移動を始めたので、継士はそのまま後に続こうとした。


 ラウンジ側から閃光と共に突風が吹き、継士は咄嗟に階段を飛び降りると、受け身の姿勢を取った。直後に大量の瓦礫が、今まで継士が立っていた所を鉄砲水のような勢いで通過していく。


『あんた、割と運動神経は良さそうね』ドローンを通し、他人事のようにほむらが言った。『これからの仕事にうってつけだわ』


「し……仕事?」


『そう。それは来てからのお楽しみよ』


「待ってくれ」灰色と化した身体から埃と瓦礫を払うと、継士は立ち上がった。「今お前は、俺を逃がそうとしてくれているんじゃあなかったのか?」


『逃がす?』ほむらの口調が強くなる。『数日前迄のあんたのままだったら、その選択肢になっていたかもね。もちろん脱出経路は分かるわ――だけど色々と事情が変わった。というよりは、あたしの方がようやく事情を飲み込めたの』


ドローンが再び前へと進む。この先は地下食堂の筈だ。


「事情って、それは一体……?」


『だから、それは来てからのお楽しみよ。第一、口で説明しても分からないわ。実際に見てもらわないと』


見る? 一体何を見るのだろうか。ほむらの筐体と彼女のインターフェイスは既に目にしている。その他に、今更何を?


 問い掛けようとした次の瞬間、奥に見えかけていた地下食堂の天井――ラウンジの床が抜け、床を構成していたコンクリートやその上に倒れていた柱や瓦礫が、一斉に地下へと滑り落ち、継士の目の前にバリケードを作ってしまったのだ。


『別の経路を検索中――仕方ない、あたしも出向く。合流地点まで案内する』


「出向くって、お前はあの公園から出られないんじゃないのか?」


継士は条件反射から当然とも思える質問を口にした。


『あとで説明しようと思ったけれど』継士の質問を受けたほむらの声に棘が入る。説明するのが面倒くさいといった所なのだろう。


『あたし宛のメッセージを一通、受信したの。どこかのメールサーバに三年間保管され、このタイミングに自動であたし宛に送られるように設定されていた。そして、メールを開封することが、どうやら移動範囲を含めた、諸々の制限を解除するトリガーになっていたみたい』


「トリガー……?」


ただならぬ胸騒ぎが継士の中で沸き起こった。


「もしかして……そのメールは、昊からのものか?」


『そう』ほむらは即答した。『新しい所有権を持つ人は、燠継士おきけいじくんでお願いします、だってさ』

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