-CLIENT- 人工知能 6

そんな会話があった翌日の放課後、継士けいじは表参道の喫茶店に立ち寄った。


 普段使う所ではなく、表参道の通りを少し下った所の商業施設に隣接する、学生には少し手の出しづらい店だ。


 席に着き、少しすると、継士を誘った相手――理恵りえが小走りでやって来た。


「一人飯じゃない夕ご飯は、何日ぶり?」


彼女は席に座ると、トートバックを机の下に置きながら、上目遣いに継士に訊ねた。


 理恵との出会いは中学生の時に遡る。高校は互いに別の所に入学したものの、継士が大学二年になった時に彼の一つ下、つまり一年浪人して同じ大学へと入学してきた。


「多分一ヶ月ぶり位じゃあないかな」継士はそう答えると、理恵が入店したのを察し、脇で待機していたウェイターにブルーマウンテンを二つ、注文した。


「それ、私が飲みに誘った時以来ってこと?」


「そうなる」


継士は恐らくセットに時間が掛かったであろう、綺麗に整った理恵のボブカットを眺めながら頷く。


世間一般に言えば、理恵は可愛い部類に入ると継士は思っていた。


「寂しくならないの?」


「別に。独りの方が落ち着くし」


「ふうん……私にはそんなの、耐えられないけれど。誰かと一緒にいないと刺激がないというか」


理恵はそう言うと、机の端に置かれた水に口を付ける。「継士は一人で生きていて、よく耐えられるね」


 哀愁、そして甘美な視線が自分に注がれていることに気付き、継士は少し後ろめたい気持ちになった――この視線を注ぐ相手を間違えていることを散々指摘してきたにも関わらず、彼女は会うたびに、こんな感じで継士を見つめる。


「昨日の出来事をコピーして今日というファイルに貼り付けたような、面白みのない一日が永遠に続いているだけ」視線を逸らしながら、継士は吐き捨てるように呟いた。「でも、俺は何故かそれに満足してしまっているっていう」


「コピペってやつ?」


「そう。もちろん細部に違いはあるけど、つまらない物であることに変わりはないよ」


「知っている。継士はいつもつまらなさそうな顔をしていたから」


理恵と再会し、会う度にそんな言葉で評されるのも何度目だろうか。


 だが、同時に継士は妙な胸騒ぎを覚えた。理恵の言葉に、多少の毒の様な物を感じ取ったからだ。


「で」丁度ウェイターがブルーマウンテンを運んできた所で、理恵が話題を変えた――そして、継士の嫌な予感は的中した。


「今日の継士、何か様子が変よね」


「変?」


何を突然言い出すのだろう。そんな表情を浮かべた彼に、理恵が「なんか、生き生きとしているから」と、淡々と告げた。


「……そうか?」


つまらなさそうな顔をしていた――数十秒前の理恵の言葉が蘇る。違和感を覚えた部分――語尾の過去形は意図的なものだったようだ。


「そう。普段憮然としている継士が、妙に楽しそうに見えるんだもん」


楽しそう? 自分が? とんでもない、と言い返そうとしたが、何故か反論の言葉が出てこない。


「図星でしょう」


勝ち誇ったかの様な理恵の顔が、継士の眼前まで迫る。


 理恵はどういう訳か、自分のことを好いている――それを理恵自身も口に出していないにしろ半ば態度と言動で公言しているし、継士もそれを理解している。その想いが実らないだろうということも、恐らく両名とも――。


 二人の間には妙な安心感があった。この状態のままでいけば二人の仲はこれ以上良くなる事も、そして悪くなることもないだろうという絶対的な安心感が。


 だからこそ、そんな事を聞かれるとは思ってもいなかった。「そんなに楽しそうにしていたかな?」と、決して動揺を見せないように言葉を返すが、彼女が何のことを指しているのか、継士の中で目星は既についていた。


「継士のことだから、決して表には出してはいないよ。けれど、女の勘とでも言うのかな」そこで理恵は言葉を一度切った。「女の勘って、どういうことに対して働くか、知っている?」


降参だ。継士はわざとらしく溜め息を吐くと、「三割正解で、七割間違いだよ。確かに女と会ってはいるけど、理恵が勘ぐっている様な関係じゃあない」と、囁くように答えた。


 勿論その女が限りなく人間に近い人工知能だという事実を言うつもりはない。慎重に言葉を選ぶが、理恵の言う女の勘が少し間違えているということを明らかにするという必要はあった。


「昊の知り合いだったんだ、その子」


「えっ……」


理恵が本心から驚いた顔を継士に向けた。


 これまでの付き合いの中で、継士は理恵に昊のことを話していた。直接会ったことはもちろん無いにしろ、行方不明の彼女と接点のある人物と偶然会ったという話を聞けば、大抵の人間は理恵の様な表情を浮かべるだろう。


「昊が失踪する前、同じ予備校に通っていたみたいなんだ。だから、彼女の話を聞くのが懐かしくて」


多少脚色した内容を、継士は口に出した。


「ん。まさか、その子に一目惚れした?」


「……いや」彼女の問いを頭の中で復唱し、何と返せば良いか考えてから、継士は口を開いた。そして、「ちょっと不思議な子過ぎて、それはないな」と付け加える。

「私が聞いてからあなたが答えるまでの、その間、気に入らない」


理恵は左手の爪を噛みながら、不機嫌そうに言った。とんだ勘違いだと言いそうになったが、会話が面倒な方向に進みそうな気がしたので、継士は口を閉じ、理恵が何か喋りだすのを待った。


「それで、今後、その子とはどうするの?」


「……たちの悪いマトリョーシカじゃあないことを確認してから考える」


「中に何が入っているか分からないのね」


 継士は頷くと、いつの間にか殆ど飲み干したコーヒーを啜った。


「入っているのは、毒虫かも知れないわよ?」


継士が飲み干し、机に置かれたコーヒーカップを見つめながら、理恵が呟く。


「そう。だから、あまり人とは親密にはなりたくないんだ。いつ皮を破って、擬態か、寄生していた物が飛び出してくるか、分からないから」


「その割に、継士は私には割と懇意にしてくれているけれど?」


「それは、理恵の思い込みが半分と、あとは居ても居なくても変わらないというのが残りの半分だと思う。中身も空っぽに近いし」


「何それ。頭にきた。もう誘われてやんないから」


自分から誘ってきたくせに。継士はそう思いつつも、会話の流れ、そして理恵の妙な追求が終わったことに安堵した。


 午後八時位になった所で、理恵は急用を思い出したと言って店を出て行った。ほむらの所に寄ろうか迷ったが、時間が遅いのと、喫茶店から公園までかなりの距離があることからやむなく断念し、原宿経由で自宅へと帰った。


そして翌日――空に穴が空いた。

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