-CLIENT- 人工知能 3

 その少女は黒と白を基調としたエプロンドレスに全身を包み、腰まで伸ばした銀の髪と、頭頂部に咲いた大きな黒リボンが夜の風に靡いている。


 人間離れした美しさだ。言葉通り、まるで人間ではない、それこそ人知を超えた、生物ではない何かのように。


「ここで、何を?」


気付いた時には立ち上がり、彼女に声を掛けていた。自分の世界から現実へと引き戻された事に驚いたのだろう、目を大きく見開き、自分を呼びかけた声の主を探しているのだろう、暫く辺りを見回し――そして継士と目を合わせた。


 暫くの沈黙が二人の間に漂った。彼女は余程驚いたのだろうか、口を半開きにし、しばし呆然としていたが、やがて、「えっと――」という言葉と共に、続けて何かを言おうとしたのだろう、眉間に皺を寄せた。


 その状態が数秒続き、彼女はふう、と溜め息を吐くと、噴水の淵から降りた。


「――あんた、何、あたしが見えるの?」想像していたものとは違う、甲高い、気の強そうな声で彼女は問いかけた。


「え?」


「だから、聞いているでしょ。あんた、あたしのこと、見えるのか、って」


「見えているから、話し掛けているんだけど」


少女は大きく目を見開いた。


「ありえない。ここ三年位、この時間に、ずっとあたしはここに座っていたけれど――誰も気付いてくれなかった」


歩みかけていた継士の足が止まった。


 夜の風は既に止んでおり、にも関わらず彼女の髪はそれ自身が意志を持っているかのように、右に左に揺れている。


 そして、満月に照らされた噴水や木々の影が出口へと伸びているにも関わらず、彼女の影はどこにも見当たらなかった。


「まさか、幽霊?」


ようやく沸いた恐怖心と好奇心が、継士にそう喋らせた。


 彼女は微笑を浮かべると一歩、また一歩と継士に詰め寄った。思わず後ずさりしそうになるのを堪えようとしたが、その逆、いつの間にか四肢が金縛りに掛かったかのように全く動かなくなっていた。


「――!」


首から上だけは、力を込めればかろうじて動かす事が出来た。しかし、肩から下の感覚はやがて氷漬けにされたようなそれへと変わり、継士を襲う。


「これって、金縛りって言うんだっけ?」


嫌な笑みを浮かべながら、少女が歩み寄ってくる。


「お前、何をした……」


逃げられない――好奇心は一瞬にして恐怖心に塗りつぶされた。


「当ててみようか。今、あんたはあたしのことを幽霊だって思っている。それで、あたしが超常的な力で金縛りを掛けた、と思っている――どうかしら」


 少女と継士は、一メートルもしない距離から向かい合った。よく見ると彼女の身体は少しだけ透けており、噴水の影と月光に照らされた闇が、彼女の輪郭の中の色彩をさらに黒く、不気味に形作っている。


――ああ、彼女を装ってメールを送ってきたのは、この幽霊だったのか。


 今まで幽霊など片時も信じた事は無かったが、今自分に起こっている現象を受け入れた結果、そう結論を出さざるを得なかった。それとも実は燠継士という人間は寝たきりの植物人間で、彼の見る夢の中で非現実的な状況が繰り広げられているだけなのだろうか。


「……馬鹿じゃないの、あんた」目の前の少女が肩を竦めると、突然笑い出した。


「こうして動きを止めて、思考を覗いてみた人間は何人かいたけれど、この世界が夢だなんて。そんな頓珍漢なことを思い描いたのは、あんたが初めてよ?」


「お、お前、人の考えていることが分かるのか?」


今度は継士が目を見開く番だった。


「右肩を見てみなさい」少女はそう言うと、顎で促した。何も言わずに右へ振り返ると、肩の上に拳大の灰色の四角い物体が、下部から伸びた蜘蛛の様な細い脚を使ってしがみついていた。


「何だ、これは……」当然の疑問を口にした所で、気付いた。


 灰色の四角い物体の上部からピアノ線の様な一本の細い糸が伸び、それが継士の視界の外――恐らく首の後ろまで伸びている事を。


 物体の中央には一眼レフの様な、円形のレンズが装着されていた。レンズからは淡い光の線が数本伸び、それが丁度少女の立っている辺りで拡散し、彼女の輪郭を形作っている。


「疑似思考演算装置――その箱が、あたし。その中に超小型のスーパーコンピュータが内蔵されていて、あたし、つまりほむらという人格を、外部に映像として投影している」


「お前は、じゃあ……」


「そう」彼女が右手を挙げた。首の辺りに突然焼けるような熱さを感じて苦痛に顔を歪めたが、熱さはやがて血の通った胴体と四肢の感覚へと変わってゆく。「AIってやつね。もっともあなたが想像しているような、機械の延長線上の物とあたしを一緒にはしないで欲しいけれど。まあ今はそんな話、どうでもいいわ」


少女はそう言うと、継士に向き直り、髪を払った。


「とりあえずあんたは一体、何の用事でここに来たのかしら」


「思考を読めるんじゃなかったのか?」


「あんたに刺していた神経同調接続端子を抜いたから、もうそれは無理」


右肩に乗っていたほむらの本体が蝗虫のように飛び跳ねると、継士の前に着地した。上部から伸びた細い糸が宙を蛇のように舞っており、しかしその末端部分では、裁縫で使うものと良く似た銀色の針が、継士に先端を向けたまま静止している。


 物体の下部から伸びた六本の脚が揺れる海草のようになめらかに動き、ほむらの本体が継士に再度近付いた。


「この端子をあんたの首に刺して思考を読み、動きを司っていたの。さっきみたいに動きを止めることも出来れば、逆にあたしの思うように身体を操ることも出来る」


「――つまり」継士は緊張から、息を吐いた。「殺すことも」


「そうなるわね。一応素性が分からなかったから、針を刺してみたんだけど」


「そのときに思考から素性を辿れば良かったんじゃないか。俺の考えている内容だけじゃなくて」


「人の思考を探る、記憶を辿る、っていうのはかなり面倒な処理なの。この小さい箱のスペックだと数秒が限界だわ。やろうとしたけど出来なかった」


ほむらはそう言うと、「勘違いしないでね。あたしじゃなくて、この端末のスペックが低いだけだから」と、吐き捨てるように付け加えた。


機械の癖にやたらと感情が豊かだ――継士はそう思いながら、「ここに来た理由だけれども」と口を開く。


「昔の知り合いに呼ばれて」ほむらに対しての警戒が無意識のうちに解かれていた。妙に人間臭い人工知能――もしかしたら付け入る隙を与える為の布石なのかも知れない、そんな深読みをしつつも恐らくはそれが杞憂だろうと勘繰った。


「三年近く失踪している子なんだけれど、今日になって突然この公園の位置情報が添付されたメールが届いて」


「子? 子って言ったか? 女?」


理由は分からないが、ほむらの目が細まった。


「うん」躊躇無く継士は頷いた。「その子から来たメールだと思った」


「ははん。女の尻を追っかけて来た訳ね」ほむらが腕を組み、何度か頷く。「それでこの場所に来た。そういうこと?」


「そうなる」


「なるほどね」ほむらの目つきが変わった。「その子の名前、聞いても良い?」


継士は目を閉じ、深呼吸をした。長い事、彼女の名前を口に出していなかったからだろうか、その数文字を口にする事が何か恐ろしい物を呼び起こす呪文を詠唱するかのような、そんな幻想に囚われてしまっていた。


「――鹿野絵かのえ」ようやく開いた口から、彼女の苗字が漏れ出た。「鹿野絵昊かのえそら


ほむらが一瞬、丸い目をさらに大きく開くと、驚いたような顔を曝け出した。そして元の表情に戻ってから暫く目を瞑った後、「なるほどね。ようやく分かったわ」と呟いた。


「え?」


ほむらは意地悪そうな笑みを浮かべると、組んだ腕を胸の高さ位まで差し出した。開かれた掌の上に突然、薄い長方形の半透明な緑色の物体が現れたかと思うと、見えないプロペラで静止するかのように宙に浮かび上がった。


 間もなくその物体――ホログラム・ディスプレイという名前だと、ほむらが説明した――の大きさが一メートル四方の正方形となり、表面に一〇代後半の、まだ幼さの残る女性の顔を映し出す。


「こ、これは――!」


継士の全身に電流が走り、全ての思考が飛んだ。


 映像の中の彼女――鹿野絵昊は無表情にこちらに視線を向け、その口元は固く結ばれていた。

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