-EXACERBATION- 侵攻拡大 2

現代/世田谷/キリー


 キリーはポケットに入れていた液化食料を取り出しながら、先行する四機への指示を威力偵察に切り替えた。


 間もなく前方にある家屋の遥か向こうからから砲弾の着弾音が聞こえ、続けて褐色の爆煙が夕焼けを残した夜空へと上がる。


 戦術マップ上に表示された自衛隊の装甲車が次々と消えてゆく。僅か一〇秒程度で敵の一中隊が全滅したことを確認し、四機に指定ポイントへの到達を指示したキリーは手にした液化食料を飲み干すと、冷めた目でコクピットの片隅に浮かび上がったホログラム・ディスプレイを見つめる。


「風街理恵、か」


確かに、レインから提示された情報に不備はなかった。


 二〇歳、東京の私立大学に通う一年生。親元から離れ、一人暮らし。戸籍上怪しい経歴は見当たらない。


 しかし、殺された正規軍兵士が死んだ際、母艦に転送されたキルカメラには不自然に傾いた彼の視界と、間もなく彼のヘルメットの中を無表情に覗き込む彼女の整った顔が映し出されていた。


 ホログラム・ディスプレイに映し出された彼女の写真と経歴からは想像もできないような行動だ。キリーは目を細めると、片手で別のホログラム・ディスプレイを立ち上げる。


 表示されたのは、上空から撮影したとも追われる東京周辺の衛星写真だった。その中央辺りから左側にかけて、折れ線グラフのような青い線が一本走り、右側頂点は今現在も微速ながら左側へと移動している。


 第四小隊が警察庁の中枢システムを占拠したことで、一部を除く日本中に設置された同庁管轄の監視カメラは全てPWCSの配下に収まっていた。


 既に既存のソフトウェアは第四小隊が構築したファロンにより跡形もなく消滅し、同小隊が作成したオリジナルの監視ソフトウェアに置き換わっている。これにはマークした人物を瞬時に捜索し現在位置を特定、周囲の環境情報と照らし合わせて辿り着く為の最適経路までを使用者に提示する機能が備わっていた。


 キリーは風街理恵の居場所を既に特定し、彼女を追跡するまでに至っていた。


 ソフトウェアに経路探索の指示を与える。ファロンから瞬時に回答が届いた——最大出力で移動した場合、五分で接触可能。


 キリーのブラックハウンドが瞬時に限界まで加速した。粒子ジェネレーターから得られる莫大なエネルギーが肩部と背部の多重スラスターから放出され、脚部の跳躍力と相まって爆発的な加速力を生み出す。


 拡張現実層に表示される情報を一切無視し、キリーは過去世界の街並みを駆ける——それは文字通り、巨大化した彼自身が走るという感覚そのものだった。


 ブラックハウンドはもちろん、PWCSの制式量産機体であるロウクスにもこの機能——通称『SAS』、半同化機能が搭載されていた。


 搭乗者の背中には機体から神経接続用のケーブルが伸び、彼らの脊椎と機体の制御システムが直接的に結びつくこととなる。直後から搭乗者はATSと一体化し、生身の時とほぼ同じ動作をATSで行うことが可能となる。


 だが、完全にATSと一体化する訳ではなく、例えば五感において搭乗者が不快に感じる部分は自動的に検出され、機体から搭乗者へのフィードバックは行われないよう調整がされている。また背部スラスターによる加速や機体内蔵兵器の射出など、人間が持っていない機能要件は全て声帯、あるいは思考による操作が必要となっていた。完全に機体と一体化させないという方針は、搭乗者にとってのメリットと成り得るものも多い。


「キリー、こちらレイン」


アンビエントからの通信が入り、レインの声と共に彼女の顔がホログラム・ディスプレイに映し出される。


「アメリカの核攻撃疑惑により、各国の核運用閉域網の起動を確認。第四小隊の構築したファロンがロシア、中国、パキスタンのそれら閉域網に攻撃を仕掛けています。パキスタンはじきに陥落し、ファントムフェイスの管轄下に置かれると想定。ロシアと中国はあと二時間程度、あるいはもう少し時間がかかりそうです。アナログで管理されていない限り、世界中の核兵器の三〇パーセントを半日以内に我々が直接管理出来ると思われます」


 ファロンはファントムフェイスが開発したサイバー攻撃用のプログラムである。このプログラムはアクセス可能な他のOSのソースコードやインストールされているプログラムを自動で改変し、感染前の面影を跡形も無く消し去り、極めて凶暴なマルウェアの溜まり場にしてしまう。


 第四小隊により渋谷に存在する国内有数のデータセンターの基盤上に放たれた、ファロンとそれを搭載する仮想OSは、同データセンターに存在する数千の物理サーバ上で管理されていた全てのシステムを致命的なまでに侵食し尽くし、今や各国の基幹システムを根こそぎ掌握する為の侵攻拠点に作り変えていた。


 第四小隊がファロンに実行させた作戦は極めて高い効果を上げている。日本をネットワークから孤立させる作戦をアメリカが取ることを想定し、日本国内に紛れ込んでいた各国の諜報員と、彼らと本国が連絡を取る為に必要な一連のネットワーク機器、つまり拠点に設置されたルータはもちろん、数千キロ離れた二拠点間を結ぶ為に必要な人工衛星——それらを全て掌握したのだ。


 もちろんアメリカや他の国は、海底ケーブルだけでなく空に浮かぶ人工衛星についても自爆させるかミサイルで撃ち落とすかを行っている。だが、日本に諜報員を送り込んでいる数十の国のうち半分以上は諜報機関が政府から独立しており、彼らが管理している人工衛星がどの程度あるのか、政府側も把握できていなかった。


 破壊が遅れた人工衛星に対し、ファロンはすぐにマルウェアを送り込んだ——まずは自爆機能のプログラムを破壊。次いでネットワークコンフィグを変更し、直接通信の相手を諜報員の端末や拠点のルータではなく、ファロンが構築した仮想ルータへと変更した。


 そして、ファントムフェイス側に寝返った一〇余りの人工衛星を守る為に、ファロンは本国と切り離された在日米軍の軍事システムを掌握し、紐付く巡洋艦、潜水艦をも手中に収めてしまった。


 それらが保有する全ての長距離ミサイル攻撃システムは、ファントムフェイス管理下の人工衛星に対して放たれたミサイルに対する一〇〇パーセントの撃墜率を付与された、自動迎撃システムへと変化を遂げていた。


 同時に、既に各国の主要データセンターに対しファロンは攻撃を開始していた。真っ先に世界的知名度を誇るマスメディアのシステムを掌握し、各SNSサイトでアメリカが日本に対し核を発射したと報道させたのだ。


 これに揺さぶられた核保有国の殆どは、自身が管理する核運用システムを起動させた——これらは通常時、誤作動を危惧して物理的に電源が切られた状態になっており、加えてインターネットとは繋がっていない、独自の閉域網、つまり閉ざされたネットワークで構成されている。


 もちろん、その閉域網にアクセスする為の端末も万一の事態を想定し、インターネットからは切り離されている。だが、端末には殆どの場合無線LANが搭載されており——有効範囲内には無線ルータ機能を持つ端末、例えば職員の持つスマートフォン等が常時存在する可能性も大いに存在していた——その条件に当てはまるのが、前述のロシア、中国、パキスタンだったのだ。


 ファロンはそれらの端末に、範囲内に存在する全ての通信機器のIPアドレスを割り出し、パスワードを解析し、アクセス先をファロンに変更させるマルウェアをばら撒いた。


 じきにそれら三国の核運用システムはファントムフェイスの手に陥ちる。その事実はPWCSの存在が世界中に知れ渡った後にこちらから声明として発表すれば各国を一斉に黙らせ、無駄な武力戦闘に持ち込まずに懐柔させることが出来るに違いない。その為にも最低一国に対しては武力攻撃を仕掛け、速やかに中枢の各システムを掌握する必要があった。


「第七小隊に風街理恵の情報は送ったか?」


「はい。現在素性を調査中とのことです」


レインは想定通りの回答をよこしてきた。


(少しつまらないな)キリーは一拍置くと、「レインは風街理恵について、どう思う」と訊ねた。


「ファロンから情報が上がってくる前に結論付けるのは危ないですが、彼女が一般の女子学生である可能性はほぼゼロだと考えています」


「ほう」


キリーは相槌を打ち、レインに話の続きを促す。


「風街理恵がキルカメラに映し出されたのは、彼女が初めて監視カメラの映像に映り込んだ後です。ファロンがこの地域一帯の監視システムを乗っ取った後、風街理恵が最初に映り込んだのは兵士を殺害した建物からは若干離れた校内の広場です。そして、建物の方向へと彼女は走って移動した——しかし、建物付近には一機のロウクスが張り付いていました。戦術ログを見る限り、広場から走って出口に向かえばロウクスに見つからず脱出が可能——しかし、彼女は敢えてその現場に近づくという不可解な行動を取っています。そしてロウクスとセラフの戦闘によりその建物が破壊された後、彼女は付近の警察署に一直線に向かい、おそらくそこの地下からでしょう、オートバイで脱出しています」


レインの言う通りだった。監視カメラに断片的に映し出された映像には、大学から逃げ出した後、大通りを移動して警察署に入り、そしてオートバイに乗って西側へと脱出する彼女が入り込んでいた。


「不可解な行動の理由は」


「これは推測に過ぎませんが——彼女はセラフのパイロットを探していたのではないでしょうか」


キリーは頷くと「興味深いな」と呟く。「何故セラフのパイロットを探していたのだと思う」


「それは——恐らく我々の侵攻を知っていたからではないかと」


キリーの表情が、微笑へと変わった。


「レイン、想像力が過ぎるのではないか?」


「……そうですね」ややトーンを落とし、彼女は答えた。「セラフのパイロットの安否を確認し、同機へと導くのが彼女の役割ではないかと考えています。それなら一度建物に入った後、セラフとロウクスの戦闘を見て、一直線に脱出を図ったのも頷ける」


「ふむ」


「任務を達成したことにより彼女は警察署に予め用意していたオートバイで首都圏自体から脱出。これらの行動から彼女は警察絡みの人間で、かつ同組織を筆頭とし、国内に我々の侵略があることを予め知っていた人間は多いのではと考えています。そして、その情報を伝えたのは、紛れもなく——」


「そこまでだ、レイン」キリーは会話の終了を宣言した。「私の言葉遊びに付き合ってくれて感謝する。ファロンと第七小隊からの情報を元に、今の仮説が正しいか確かめろ」


「……承知しました」レインは頭を下げ、再び手元を忙しなく動かし始める。


 既に風街理恵との距離は既に眼前にまで迫っている。キリーはブラックハウンドを跳躍させると、彼女が最後に目撃された地点に荒々しく着地させた。


 巻き起こる粉塵が一段落し、キリーは目視で周囲の状況を確認する。


 ブラックハウンドが着地した地点は、旧世界に作られた大型駐車場のようだった。衝撃で何台かの乗用車が横転し、アスファルトには亀裂が入っていた。


 隣には地上五階程度の大型建造物が建っている。


「ショッピングモール、というやつか」


それ以上の興味を示すことなく、キリーは視線を他の場所へと移しながら、「アンビエントの推進剤はどうだ」と再びレインに話し掛けた。


「予想以上にアルトロン・エンジンのリチャージに手間取っており、まだ発進できていません。同様の問題が正規軍の方でも起こっているようなので、特定した燃料の精製工場に向け、武力制圧部隊が派遣されているようです——ただ、これらの問題は想定内の範囲です。明日の朝までには解決するでしょう」


「承知した。ファロンの監視システムはどの地域まで及んでいる?」


「精度はともかく、範囲としては日本全域です」レインの即答が返ってきた。「風街理恵の痕跡がキリーの現在地点で途切れている件ですよね、丁度報告しようと思っていたところです」


「ありがとう。続けろ」


「駐車場には民間企業管轄の監視カメラが四台、互いの死角を補うように設置されています。履歴を漁ったところ、ほんの一〇分前に同地を自衛隊のヘリが一機、西方向へと飛び立っています。その五分前に到着したのが風街理恵。彼女も自衛隊のヘリに乗り込む所を監視カメラが捉えています」


「自衛隊のヘリは彼女を待っていたのか?」


「厳密には、彼女を含めた数人、だと思います。風街理恵と合流し、乗り込んだのは日本政府の高官三人。他は風街理恵を含めた警察関係者、及び自衛隊員となります……ただ」レインはそこで一度言葉を切った。「居合わせた警察関係者は風街理恵を含め、警察内部で保管されている個人情報に厳重にアクセス制限が掛けられており、突破、閲覧まで少し時間が掛かりそう、とのことです」


「たかが警備隊のデータベースが、そこまで堅牢に作られているのか」


「……何か匂います、キリー」レインの言葉に影が差した。「アドバイザーからの仕事は全て私の方で処理していますのでご安心を——今、ヘリの進行予想地点を共有しました。ヘリのモデルから割り出した航続距離、また周囲の施設から割り出した着地地点として可能性が高いのは、名古屋近辺だと思われます」


「下呂ではないのか?」キリーの口調には多少の嘲笑が含まれていた。「日本はわざわざ遠方の温泉地に臨時政府機能を持たせたのだったな」


「はい。首都に対する奇襲、また政府保有のデータセンターが狙われない限り、下呂は立地、隠密性からしても十分有用だと思います。最善策ではないですが」


「最終目的地は恐らく下呂だろう。適宜最適経路を指示してくれ」

そう言うのと、キリーのブラックハウンドに握られたアサルトライフルが火を噴くのはほぼ同時だった。


 柱を重点的に狙われたショッピングモールが、轟音を立て、大量の砂塵を撒き散らしながら瓦解してゆく——それらに紛れ、窓からRPGでブラックハウンドを狙っていた自衛隊員達の悲鳴が聞こえるが、キリーは特に気にする様子もなく、機体を加速させた。


 幾つもの砲弾が駐車場のアスファルトを抉り、ショッピングモールの崩落に迫る衝撃を周囲に撒き散らす。


「戦車か」遥か向こう、戦術マップの端に表示された敵の機影から型式を検索——陸上自衛隊の一〇式戦車が候補に表示された。


「なるほど、まだ生きている駐屯地のC4Iを独立させて使っているのか——それで連携が出来ている。砲撃精度も悪くない」

キリーの指が、一つのホログラム・ディスプレイをなぞる。五輌の一〇式戦車が拡大され、それらが発する電波が可視化されて表示される。


「レイン、正面の戦車の通信から駐屯地を割り出した。どうやらファロンの初回スキャンに引っかからなかった拠点らしい——制圧指示を」


「了解」


戦車の砲弾は連射こそされないものの、極めて正確だ。一発一発に威嚇ではなく明確な殺意が込められ、それらが音速の六倍以上の初速で放たれ、ブラックハウンドの近辺へと着弾するか、あるいは遥か彼方へと消えてゆく。


 ブラックハウンドはそれらを躱しながら戦車隊に接近、ほぼ目視距離に到達し、そして跳躍——一〇式戦車の背後に着地した。

「キリー、ファロンによる電子制圧が完了しました。場所は自衛隊の立川駐屯地。C4Iは現在停止中で、ファロンが現在の作業を終え次第移行にかかるそうです」


レインからの報告と同時に、散開し砲塔を旋回させていた五輌の戦車の動きが鈍くなった。


 車輌自体には恐らく異常はないだろう。ただ、各車輌は駐屯地とのネットワークを断絶されてしまったことで、他の戦車との連携が困難になっている筈だ。


 主砲が何発か発射されたが、それらはブラックハウンドをかすりもせず、明後日の方向へと飛んでいった。


「操縦系統はアナログ操作のようです。こちらから完璧に沈黙させることは不可能」


「沈黙させるだけならものの数秒で出来る」


キリーが言い終わらないうちに、残りのブラックハウンドが地表を駆け、戦車を取り囲んだ。そして急接近すると、主砲を発射させる暇を与えることなくアサルトライフルを上部装甲に突きつける。


「日本国自衛隊に告ぐ。諸君の負けだ。速やかに戦車から投降せよ。我々の目的は殺戮ではないが、諸君の行動次第では、今後一般市民への攻撃もやむを得ない」


拡声機能を使い、外部にそう発信したキリーは、やがて戦車のハッチを開き、両手を上げて降りてくる戦車兵を一通り確認した。


「パペット・ドローン投入」キリーの呟きに呼応した無人のブラックハウンドの肩部から、球状の物体が射出されると、それらは引き寄せられるかのように戦車の上部ハッチに転がり込んだ。


 暫くすると、拡張現実層に表示されていた味方識別信号が五から十へと増えた。ユニットの種類は、車輌——つまり、無傷で鹵獲した一〇式戦車五台がキリーの指揮下に加わったのだ。


「レイン、この旧式車輌は燃費が悪い。補給地点のピックアップを頼む」


 キリーが喋る間に、無人であるはずの一〇式戦車はその場で方向転換を行うと、ブラックハウンドの間をすり抜け、西方向へと前進を始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る