-EXACERBATION- 侵攻拡大 1

アメリカ合衆国/ペンタゴン/ウィリアム


 グアムのアプラ港米軍基地が壊滅した。


 海軍司令ブロックの一角で、ウィリアム・テムズレイは右往左往するスタッフを尻目に、各地から上がってくる報告文に目を通していた。最中、同地からのエマージェンシー・コールが鳴ったのだ。


 同地からの映像を見たウィリアムらは長官府に直ちに上申、そして本土とグアムとを結ぶ海底ケーブルの破壊に踏み切った。


「人工衛星の破壊も完了した模様。日本を世界ネットワークから孤立させることに成功。同地からのハッキングも止みました」


オペレーターからの報告に頷いたウィリアムは、「まるで鎖国だな」と呟く。


 日米安保により、そして何よりも大規模なサイバー攻撃を受けたことにより、速やかに米軍の反攻作戦は開始されるだろう。だが、敵は一体どういった組織で、どうやってこれ程の打撃を日本に与えることが出来たのだろうか? 仮にも世界有数の海軍国かつ防衛能力を備えている日本に短期間で壊滅的な打撃を与えることが出来る国は限られている。


 襲撃直前にアプラ基地から送られてきた写真は、既に情報局と共有していた。しかし軍事情報の収集能力に絶対的な自信を持つ彼らとしても、二足歩行の人型兵器、そして空に静止する艦船の群れは空想上の概念でしかなく、それらが現実となってグアム基地を襲撃したことに驚きを隠せないでいた。


 そもそもこの襲撃者は何故このご時世に、何の脈絡もなく軍事侵略を行ったのか——古代ローマのような、国家間の戦争が外交の役目を担っていた時代とは違い、軍事行為とは最後の手段、あるいは感情的になり、もはや国家という体裁を失った者達の、最後の抵抗である場合が殆どだ。仮に相手に対し絶対的なアドバンテージを持っていたとしても、国際世論、そして大国アメリカの監視下でそのような愚行を晒す国家があるとは考え難い。


 やはりテロの類だろうか——いや、違う。資金調達力に難のあるテロ組織があのような先進的な兵器を調達、運用出来る筈がない。


 いや、そもそも二足歩行兵器、空中に静止する巨大艦船という事項自体が、自身のこれまでの常識を完膚なきまでに崩してしまっているのだ。それこそ空想上の域を出ない宇宙人が攻めてきたのだろうか?


「ウィル、ちょっとこれを見て!」


巨大モニタ上に次々と更新され、表示される情報と格闘していたウィリアムのもとに、情報処理担当のエリザベスがやってきた。


 彼女が手に持っていた一枚の写真に目を向けたウィリアムは、暫くしてからようやくその写真の意味を理解し、絶句するに至る。


 それは正確には写真ではなく、とあるSNSサイトをキャプチャしたものだった。とあるSNSサイトと言っても、恐らく全国民のうち半数以上が利用し、世界でも十億人規模での利用が見込まれる巨大なコンテンツだ。


 キャプチャ画面は、その中のとあるアカウントが投稿した写真と文章を映し出していた。


「日本の首都東京が壊滅。原因はアメリカ合衆国原子力空母からの戦略核誤発射。アメリカ合衆国は事実関係の隠蔽の為、同国に通じる全てのネットワークを遮断し、情報の統制を図っている……」


投稿された文章をエリザベスが消え入りそうな声で読み上げる。文章の上に表示された画像には、燃え盛る炎を背景に瓦礫の山と化した都市の写真が一枚。日本語が書かれた看板と巨大な交差点だったと思われる焼け跡、そして背景を埋め尽くす業火の中で、燃え尽きた練炭の様に崩れかけの高層ビルが一つ。


「これの出処はどこだ?」


「……投稿したのはワールド・アクロス・ジャーナルの公式アカウントよ」


彼女の言葉を聞いた途端、ウィリアムの顔からは血の気が引いた。


 ワールド・アクロス・ジャーナル、通称WAJはマンハッタンに本社を置く、世界的な経済新聞社である。世界中の主要都市に支局を構え、各国に対する影響力も非常に高い。


 それだけの地位を築けているのは、同紙の記事がそれだけ信憑性に富み、また優れていると結論づけられているからである。

「奴らは匿名の情報は一切取り扱わないのだったな? ええ?」理性を取り戻したウィリアムだったが、一瞬でその理性は錯乱へと変わる。「何故WAJがよりにもよってこんな記事を、しかも我が国に不利な捏造記事を——公式アカウントで投稿したんだ! 考えてもみろ、奴らの影響力を! たった数百文字で国一つを政変に持ち込むことだって出来るんだぞ!」


エリザベスは「残念ながら、ウィルの懸念が現実に起こりつつあるわ」と呟くと、記事のフッターを指し示した。「これを見て。他のアカウントによって、記事が凄い勢いで拡散されている」


彼女の言う通り、WAJの記事は今や不特定多数の個人によって、爆発的な勢いでネット上にばら撒かれつつあった。


「ウィルスだな、これは……」 


恐らくウィリアムの頭の中では、捏造記事が急速に拡大する様と、赤十字に勤務し、アフリカ南地域に派遣されている妻が対応に当たっている致死性の病原菌、エボラ出血熱が重なっていることだろう。


「……WAJは何と言っている?」


「それは情報局側で対応中じゃないかしら。私よりもウィルに先に連絡が行くと思うけど」


海軍長官であるウィリアムは仮にも海軍のトップなのだ。情報を整理し、組織の各部署に通達するのが彼の仕事でもあった。


「すまないエリザベス、そうだったな。私から連絡を取ってみる——」


線虫のように蠢く病原菌のイメージを必死に頭から取り払おうとしたのか、首を横に振り、固定電話を取ろうとし——ウィリアムは思わず受話器から手を離してしまった。


 海軍司令ブロックが突然、漆黒の闇に包まれたのだ。


 照明だけではない、巨大モニタ、周囲の情報処理端末、壁際に配置されている各種機器類——それらが全て沈黙し、光を発しなくなった。


「落ち着け! すぐに予備電源に切り替わる!」ウィリアムはありったけの声で叫んだ。「繰り返す、各員落ち着け! 今やっていることを直ちに止め、デスクの下に隠れろ!」


 彼は何度も同じフレーズを呪文のように声高に詠唱した——その頃には司令ブロック内のどよめきも幾分か収まり、ウィリアム自身もようやく平静を取り戻しつつあった。


 予備電源に切り替わったのはそれから五秒と経たないうちだった。巨大モニタに光が戻り、天井の照明が弱々しく灯り始めた頃、オペレーターの一人が絶叫した。


「海軍局のシステムが何者かの攻撃を受けています!」

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