-MERCENARY- 傭兵部隊 1

中世/オルレアン郊外/継士


目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっていた。


 立ち上がろうとしたものの、足の自由が利かない。そこでようやく自分が戦いに負けて捕われたことに気付いたのだろう、継士けいじは「くそ」と呟いた。


 両足首には錆び付いた手枷が填められ、伸びた鎖が付近の柱に結ばれている。柱というよりも、柵——周囲を見回し、自分が檻の様な物に収監されていることを認識する。


 松明により照らされた付近にはテントが並び、馬が一頭、同じように檻に繋がれ、周囲に生える草を貪っている。テントの隙間から漏れる光、至る所から匂う小麦と酒の匂い、そして喧噪から察するに、どうやら継士を捕らえた奴らは夕飯にありついているようだ。


 漂う匂いに屈服した継士の腹が恥ずかしい音を鳴らす。


「残念ながら、あんたの飯は無さそうね」


聞き慣れた声が、すぐ近くから聞こえた。


 見慣れた四角い筐体が、六本の足で器用に檻にぶら下がり、レンズを此方に向けている。そして間もなく、中腰になって継士を見下ろす少女のホログラムが檻の中に形成された。


「……ほむら!」


映像としての彼女が、人差し指を口元に持ってゆく。


「近くに監視役が居るわ。こっちに注意は向けていないけど、とりあえず静かにして、あたしの話を聞いて」


彼女の視線の先には人影が二つ、篝火に揺られて蠢いていた。継士は頷き、彼女に目を戻した。


「あんたを捕縛した奴らはどうやら行軍の最中で、今は小休止といったところ。セラフも鹵獲されたわ」


自分を殴りつけ、気絶させた青年の顔が思い浮かぶ。途端に殴られた頬にずきずきとした痛みが蘇った。


「セラフは動かないままか」


継士の言葉を受けて、ほむらの表情が何故か少し寂しそうなものへと変わった。だがそれも一瞬のことで、すぐにいつも浮かべている不機嫌そうな表情へと戻る。


「……ええ。システム自体は修復できたけれど、今はとても動かせる状態じゃあないわ。オールリカバリを走らせているから、恐らく明日の朝には再起動が可能になると思う。脱出するとなれば、それからになる」ほむらは一端そこで言葉を止めると、「あんたを捕まえた連中が今セラフのコクピットをこじ開けようとしている——セラフを動かしたいみたい。それで、起動させる秘密をあんたが握っていると考えている」と、付け加えた。


「俺が?」疑問系で訊き返したが、理屈は分かっていた。正体不明のATSに乗っていた操縦士から操縦方法を聞き出したいと思うのは当然のことだ。


「今のセラフを動かせるのはあんただけだし」


「ほむらも動かせるじゃないか」


ほむらは首を横に振ると、「起動自体は、所有権を持った人間じゃないと出来ないわ」と呟いた。「だから、まずはセラフに辿り着く必要がある」


「セラフは、この近くに?」


ほむらは立ち上がると、顎で遠くを指し示す。


「見えないと思うけど、この先五〇メートル足らずの場所にセラフが置かれている」


継士はその方向を見据え、暫くの間虚無を睨みつけていた。


「あんたのやろうとしていることは分かるわ。正直あたしの支援があったとしても、今はセラフで逃げ果せることはおろか、セラフに辿り着くのも難しいと思う。ほぼ全ての人間が常に腰に剣を差して、警戒しながら行動しているから」


「俺が奴らに捕まったから?」


「どうだろ。さっきみたいな戦いが日常茶飯事で起きているなら当然のことなんじゃないかしら?」

継士の思考には、恐らく甲冑を着た男性兵士の姿が残像として現れているのだろう。農村に対する略奪、現れた別の勢力、そして剣と盾、弩を用いたATS同士の戦闘——。


 彼を捕虜としている勢力は、明らかに戦い慣れをしている。国家間の大きな戦争があるのか、それともあくまで治安維持の類かは分からないが、継士が生きていた時代よりも数段物騒であることに違いはない。


「さっき、セラフを起動させる秘密を俺が握っていると彼らが考えている、と言っていたが」継士は暫く考えたのち、切り出した。「彼らとしては、俺をすぐには殺したくないと?」


「いや。さっき言ったのは彼らのうち、一派閥の意見」


「派閥?」


「そう。立ち聞きした程度だから分からないけれども、あんたを不吉の前兆と言って即刻処刑すべきだという輩も居たし、奴隷として売ってしまおうという意見も耳にした。だから、一刻も早くこの場から逃げた方が良い」


冷や汗が継士の頬を伝い、地面へと流れ落ちた。


「……俺を捕らえた連中は、一体何者なんだ?」手先の微小な震えを気にしながら、継士はほむらに訊ねた。


「分からない。あんたに関する話を立ち聞きしただけだから」


「立ち聞きって、奴らは日本語を喋るのか?」


「は? そんな訳ないでしょ。あたしがあいつらの言葉の意味を理解出来るだけであって、あいつらが喋っているのは決して日本語ではない。あんたの時代では使われてない、もう少し古い言語」


「古い言語……」


「……言葉が分かるってことは、通訳が出来る?」


この檻の中に入ったまま数日を過ごし、その後に迫る処刑、奴隷化という結末を回避する為に、この集団との意思疎通を行う。しかし、生まれた時代、場所、文化が違う人間達に果たして言葉が通じたからといって、継士の思い通りに事が運ぶだろうか?


 ほむらは少し間を置いた後、「正直微妙なところよ」と小さく首を横に振った。


「まず、奴らの言葉が分かるから、意味をあんたに伝えることはできる。けれども奴らに対してあんたの言葉を通訳して伝えることは出来ない。なぜなら、奴らにはあたしの姿は見えないし、その姿を投影するホログラムから発せられている音声も聞こえないから」


ホログラムは、所有者に許可された対象しか見ることができない——初めてほむらと会った時、彼女はそう継士に告げている。


「声まで聞こえないというのは初耳だ。他の奴らに見えるように、設定を変更することは?」


「セラフのコクピットに辿り着くことが出来れば、可能よ。意味は分かるわね」


意思疎通をする為には檻から逃げ出して、連中に見つからないようにセラフに辿り着く必要がある——ほむらはそう言っていた。


 周囲の喧騒は相変わらず鳴り止まない。テントから透けて見える影の数が、この集団の人数が決して少なくないことを示している。


 暫くの間松明に照らされた地面を睨んだ後、継士は彼女に向き直った。


「……そもそも昊は、何者だと思う?」


「あんたの恋人でしょ」ほむらは即答すると、「元」と、強調して付け加えた。


「そうじゃなくて。彼女は俺に、何か隠し事をしていたんじゃあないかって」


「あんたはどこまで馬鹿なの? どう考えても隠し事だらけじゃない! 試作型のATSをあんたの時代に持ち込んで、おまけに機体とあたしに変な設定まで施して、自分はさらに古代の時代に行って行方不明で……」


試作型のATSをあんたの時代に持ち込んで——その言葉を聞いた瞬間、継士の表情が瞬く間に驚きの色を孕み、やがて絶望へと変化した。


「……昊は、ひょっとして、未来からやって来た……?」


「え、今更そこ?」かろうじて絞り出した継士の言葉を、ほむらは手を叩きながら嘲笑った。「あんたの中ではそう結論付けられていると思って、あえて言おうとも思わなかったけど。所有権変更の回数は今の所一回だけよ? つまり、最初の搭乗者も鹿野絵昊。あんたみたいに、だれかから権限以上を受けた痕跡はない」


「昊が、元々の操縦者……?」


「そう。つまり、セラフが製造されて、最初の所有権登録が彼女名義で行われたってこと。勿論所有権登録を行わないと、機体は動かせないから——後は分かるわね?」


ほむらの口からは継士にとって初耳の情報も幾らか出てきたが、それについて彼が、何故今更話題にしたのかを問い詰めるような出来事は起こらなかった。


 溺れた時に浮かべるような顔をしながら、継士はその場に両手をついた。


 昊を取り巻いていた様々な環境を、継士は知っていた。両親が交通事故で死に、一人暮らしをしていたこと。夜は近所のレストランでウェイターのバイトを行って通学費を賄い、表参道大学に入ろうとしていたこと——それらすらも、今や昊が未来から来たということを証明する一要因に変遷して継士に擦り寄ろうとしているのだ。


 だが、昊が未来から来ていた——で、例えそうだったとして、継士と彼女との関係が何か変わるのだろうか?


「変わる……ものか」


 空気に溺れながら絞り出した一抹の言葉は何故か掠れ、一秒も経たないうちに霧消してしまった。


 何故途端に——鹿野絵昊がこうも遠い存在として、それも距離的ではなく、心情的に——継士の中で、上書きされてしまったのだろう?


「教えてあげようか」耳元でほむらが囁いた。「未来から来たってことは、何か目的がある筈。あんたの深層心理は、その目的に自分が利用されたんじゃないか、って思っているのよ」


ほむらの筐体からは、一筋の糸が継士の背中に向けて伸びていた。


「……お、お前……!」目の前の直方体を掴んで、思い切り地面に叩きつけたい——恐らく継士が思い浮かべたであろうその衝動は、実行されることはなかった。彼の体は硬直し、呼吸による僅かな動きしか許されていなかったのだ。


「落ち着いて。別にあんたを激情させたくて、心の中に入り込んだ訳じゃあないわ」ほむらが言い終わると、糸の先端に付いている針が継士の眼前を横切り、宙を漂い、彼女の筐体に収まった。やがて首から下の感覚が戻ったのだろう、元々這うような体勢をとっていた継士はうつ伏せに倒れた。


「そういう可能性もあるってことよ。客観的に見て、ね」ほむらのホログラムはそう言うと、継士の肩に手を乗せた。その手を掴もうとした継士の手は、案の定すり抜けてしまう。


「あたしの役目は、所有権を保持するあんたを守ること。だとすると、色々と邪推してしまうのよ——鹿野絵昊が、何らかの目的で、あんたをハメて、中世まで引き摺り込んだんじゃないか、ってね。それで、あんたと付き合っていたのは、目的達成の為の一ステップに過ぎないんじゃないか、って」


可能性の一つとして提示されたほむらの言葉が響いたのだろう、継士はいよいよ地面に顔を擦り付け、声にならない呻きを上げていた。


「いずれにせよ、あたしが何とかする。……あんたの身の安全だけは、ね」


そう言うと、ほむらのホログラムは消え、彼女の筐体もカサカサと虫の這うような音を立てながら檻の外へと去っていった。

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